第17話「小さなほころび、揺れ動く加速計画」
若手社長がDX拡張を加速しようとし、保守派はまだ警戒。レイラと真鍋がサポートしつつ、修士郎は「運がいいだけ」と謙遜するも火種の再燃を予感し、対策を模索し始める。
翌朝、オフィスのドアをくぐった鳳 修士郎は、まだ人影の少ないフロアに一抹の緊張感を感じ取った。昨日、若手社長が「部分導入の成功を足掛かりに、一気に全面リプレイスを進めたい」と表明したばかりだ。保守派の抵抗を抑えきれていない現状での加速宣言は、火種に油を注ぐ行為にも思える。
「おはようございます、鳳さん」
シニアマネージャーの高梨柊一が近づいてくる。彼は今朝ほど保守派管理職から連絡を受けたらしく、眉間に皺を寄せている。
「『昨日の方針はあくまで若手社長の独断で、我々は納得していない』って苦情が来てる。試験ラインが上手くいったのは認めるが、それを根拠に一気に進めるのは拙速だというさ」
「やっぱりな。まあ、現場レベルでは“やるなら一気に全部やってほしい”って声もあるし、意見が真っ二つに割れてる感じか」
高梨は深く頷き、「こんな状況じゃ、いずれ大きな衝突が起きかねない。いつものように、おまえの“閃き”に期待してるんだが」と、暗に助けを求める。
デスクに荷物を置いたところへ、デジタルネイティブの新卒コンサル・真鍋 航がやってきた。彼はパソコンを抱えながら、昨夜作り込んだらしいデータを示す。
「高梨さんから聞いて、保守派管理職がどれだけ懸念してるかまとめてみました。拡張部分のリスクや導入スピードについての不安が大半です。一方で、“すぐやってくれ”って声も同じくらい多いですね」
モニターに映し出された棒グラフは、拡大路線を求める声と慎重派の声がほぼ拮抗していることを示している。
そこへ、まるでAIが選び抜いたように完成度の高い美貌をもつコンサルタント、レイラ・藤堂が合流する。MIT仕込みのデータサイエンスだけでなく、“エモロジカル”とも呼ばれる感情操作術で評判の彼女は、クライアントとの折衝や内部コミュニケーションで大きな影響力を持つ。
「おはよう、みんな。やっぱり一夜で状況ががらっと変わるわけね。昨日の若手社長の加速発言、思った以上に波紋を広げてる。で、鳳さんはどう動くの?」
レイラは修士郎をまっすぐ見つめる。まるで「また何か閃きがあるんでしょ?」と問いかけるようだ。修士郎は苦笑しながら、「いや、“運がいいだけ”で今までは乗り切れてきたけど、今回は下手したら崩壊しかねないかも」と呟く。
午前中、会議室では若手社長と保守派管理職との緊急打ち合わせが開かれることになった。真鍋とレイラも参加し、シニアマネージャーの高梨がファシリテーションを担うという形。修士郎は合議の場を支える形で、双方の言い分をまとめようと気を引き締める。
「試験ラインが成功したのは評価しますが、それを即座に全面リプレイスに結びつけるのは乱暴だと思います」
保守派の代表格とも言える管理職が最初に口を開く。対する若手社長は「競合の動きを見れば、ここでスピードを上げないと市場で遅れをとる」と譲らない。会議は冒頭から平行線をたどり、少しでも火がつけば爆発しそうな空気が漂っている。
真鍋は自席でデータを呼び出し、「拡張スピードを段階的にすればリスクも下がる」と淡々と説明。だが保守派は「結局、最終目標は全ライン置き換えだろう?」とつっかかる。
そこでレイラが口を挟み、優雅な微笑とともに、「今は“最適な速度”を探しているのでは? 全ライン導入に反対する人も、“効果は認める”段階まで来ているはずですから、感情的な抵抗を解きほぐす時間こそ必要では」と落ち着いた声で言う。巧みに“エモロジカル”を用いた言葉に、保守派も一瞬言葉を呑む。
それでも若手社長は「時間をかけすぎると世界が先に行く」と不安を隠せない。修士郎は彼の焦りを見透かすように、前夜まとめたアイデアを提示する。
「部分拡張→実証→次段階拡張、というステップを細かく設けて、導入ごとに関係者の合意を取り付ける。段階ごとに成果と課題を評価しながら進めれば、保守派も安心じゃないかな」
保守派管理職は一考する表情を浮かべ、「まあ、そこまで段階を分けるならば理解できるかもしれん」と折れ始める。若手社長も「最終的にフルリプレイスできればいいので、段階を踏むのはやぶさかじゃない」と妥協の姿勢を見せる。
こうして会議は一時的に落ち着きを取り戻し、次回までに段階的ロードマップを詳細化することで全員が合意する。終わってみれば、修士郎の“運がいいだけ”の閃きで今回もバランスが保たれた格好だが、本人は「気休めかもしれない」と胸に不安を抱える。
打ち合わせ後、レイラは修士郎に歩み寄る。「さすがね。今回はけっこう本気でぶつかりそうだったけど、結局、あなたが折衷案を示して救われた。それこそ何手も先を読んでたんでしょ?」
修士郎は曖昧な笑みを返し、「みんなの意見を聞いてたら自ずと道が見えただけだよ」と言う。そこに真鍋が加わり、「レイラさん、僕にもその“エモロジカル”のやり方、教えてもらえませんか?」と頼み込むが、彼女は「年下は恋愛対象にならないの。筆下ろしも本気じゃないわ」と断わりつつ微笑む。真鍋はショックを受けながらも、まるで憧れを募らせるだけの姿に終始する。
高梨が「また大荒れになるかと思ったが、なんとか沈静化。次は細かいステップ案の作成だな」とホッと息をつき、修士郎も「みんなが助けてくれたおかげさ」と謙遜しながら安堵する。だが、プロジェクトはまだ道半ば。段階的導入が進むにつれ、別の問題が浮上する可能性も大いにあるだろう。後戻りできないほどの火種がくすぶっていると、修士郎は肌で感じていた。
夜、妻からのメッセージで「揚羽も元気にしてるし、今週末は出かけよう」と誘われ、修士郎は笑みをこぼす。レイラとの微妙な距離感、真鍋の素直な憧れ、高梨の冷静な管理能力――すべてが入り混じる職場での日々が波乱に満ちたとしても、家庭の笑顔があるかぎり頑張れると彼は思う。
「運がいいだけ」と言いながら、不思議と毎回、適切な閃きと巻き込み力で物事をまとめあげる修士郎。次なる試練で彼がどんな一手を繰り出すのか、周囲も、そして彼自身も知らないまま、“加速と火種”の物語は続いていくのだった。