第14話「衝突の予感、揺らぐ均衡」
保守派と若手が衝突必至のラウンドテーブルで、修士郎が先読みの提案を繰り出し、レイラと真鍋が後押し。混乱は収束したが、火種は消えず新たな波乱を予感させる。
翌朝、鳳 修士郎はいつもの時間より早く出社し、シニアマネージャーの高梨柊一とラウンドテーブルの最終準備に取りかかっていた。保守派からも若手陣営からも噴出する意見をまとめ、熟練技術者たちの不安をどう受け止めるかが今回の議題の核心だ。スライドに映る議事進行表を見つめながら、高梨が眉をひそめる。
「さすがにひと悶着じゃ済まないかもしれないな。役員レベルで反対を表明する人もいるらしい」
「そうだな。こっちもそれなりに対策を練らないと。真鍋が作成した最新データと、レイラが可視化した心理抵抗モデルを駆使して、何とか乗り切るしかない」
修士郎は深呼吸しながら、集計資料を片手に心中で作戦を組み立てる。彼はいつも「運がいいだけ」と謙遜しているが、いざ修羅場を迎えると“何十手も先を読む思考”を働かせる癖がある。ただ、本人はいまだに自覚していない。
デジタルネイティブの新卒コンサル・真鍋 航は、すでにラウンドテーブルで使うパワーポイントを最終修正中だ。近くではMIT卒のデータサイエンティスト、レイラ・藤堂がその画面を一瞥し、口元に笑みを浮かべる。
「真鍋くん、グラフのカラーリングもう少し落ち着かせたほうがいいかも。数字が目立ちすぎると、保守派が逆に警戒するわよ」
「なるほど…了解です、レイラさん。ありがとう」
“AIが作ったかのような完璧美人”とも噂されるレイラのアドバイスは的確で、真鍋は素直に耳を傾ける。修士郎が感心して見ていると、彼女は振り返って軽く肩をすくめた。
「このくらい朝飯前です。鳳さんこそ、今日はラウンドテーブルで一波乱あるんじゃないの?」
「まあ、そうかもな。今回は誰か一人が“正解”を示せる問題じゃないし。みんなで知恵を出し合わないと」
レイラは修士郎の回答にくすっと笑う。2年前、共に修羅場をくぐり抜けたからこそ、お互いの強みと弱みを知り尽くしている。しかし、同時に彼女は修士郎への挑発や冗談を忘れない。「デートに行きましょうよ」といった誘いを思い出し、修士郎はわずかに胸をざわつかせる。
昼過ぎ、ラウンドテーブルが始まる時間が近づいた。会議室の一角には、保守派の管理職や熟練技術者が集まり、逆側には若手社長や新規事業を担うメンバーが陣取る。真鍋がスクリーンに映したスライドには、AI導入のメリットと課題が整理され、レイラが可視化した「心理抵抗度合いのグラフ」が続く。
「まずは、AI導入がどの部分で既存の技術を補完し、逆にどの部分で衝突が起こりそうか…。その境界をデータで示したいと思います」
真鍋が淡々と説明を始めると、若手社長は嬉しそうに頷く。だが、あるベテラン管理職が腕を組んでにらむように画面を見つめていた。
「確かに数字では分かった。だが、俺たちの現場の“誇り”はデータじゃ測れない。AIに取って代わられるんじゃないかという不安が、そんなに簡単に消えると思うのか?」
会場に緊張が走り、若手社長が身を乗り出す。「いえ、もちろん現場の皆さんの意義は大切にしたい。そのための“融合プラン”が…」
しかし保守派の数名が一斉に言葉をかぶせ、「ただの言葉だけでは信じられない」「結局、首切りにつながらないか」など、厳しい意見を次々に放つ。修士郎はここが正念場だと悟り、小さく息を整える。
「皆さん、どうか落ち着いて。今回のデータはあくまで“共存”のための材料です。たとえば現場でしか得られないノウハウを、AIが補完する形にすれば、時間のロスを減らして熟練者がより高度な仕事に専念できるかもしれない」
低く柔らかなトーンで語り始める修士郎の言葉に、会場の視線が集まる。レイラが目配せし、真鍋の画面に新たなスライドが映し出される。そこには、具体的な技能継承プロセスとAIの支援範囲が重なり合うイラストが表示されていた。
「ここでは経験豊富な技術者の知見をAIに教え込み、それが新人をサポートする形を想定しています。結果的にベテランの負担を減らしつつ、新人にも高い水準の学習機会が提供される。さらに人間同士でしか得られない部分はしっかり温存し、権限も再定義することで“やりがい”を保てるはずです」
すらすらと要点を解説する修士郎の説明には、何十手先を読んでいるかのようなスムーズさがある。保守派の一部は依然渋い顔をしているが、さっきまで声を荒らげていたベテラン管理職は少し考え込むように口をつぐんだ。
議論は数十分続き、全体としては「AIを排斥するのではなく、うまく共存する」方向にかろうじて落ち着いた。若手社長もほっと安堵し、修士郎のもとへ駆け寄る。
「やっぱりあなたの“一言”が効きますね。あそこまで声が上がったら普通はまとまらないですよ」
修士郎はいつものように、「いや、たまたま運が良かっただけだよ」とはぐらかし、横で聞いていたレイラは微笑を浮かべて呟く。「出た、“謙遜の鬼”」。
会議室を後にする人々の背中を見送りながら、高梨が重いため息をつく。「今回の騒ぎは収まったが、まだ火種は残ってる。何かあれば再燃するだろうな」
「そうだね。これからが本番だよ」
修士郎も表情を引き締める。AI導入が大枠で合意を得たように見えても、企業文化や技術者の誇りなど、データでは割り切れない部分が山ほど残っている。そのときこそ彼の“閃き”と巻き込み力が試されるのだろう。
一方、パソコンを片づけながらレイラが近づいてきた。「鳳さん、今夜は飲みに行きません? ‘二人だけ’で」。冗談とも本気ともつかない口調に、修士郎は胸をざわつかせるが、「今日は家族が待ってるんで」とやんわり回避。レイラは「ふふ、また今度ね」と美しい笑みを浮かべるだけだった。
夜風を感じながらオフィス街を歩く修士郎は、胸元にふっと安堵を覚える。愛する妻と娘がいる家へ帰る安心感と、レイラが見せる妙な色気――その対照的な世界を行き来しながら、彼はなお“運がいいだけ”と心の中で言い訳する。でも、本当はわかっている。自分には周囲を巻き込み、先を読んだうえで形にする力があるのだと。
「また新たな衝突は起こるだろうけど、なんとかなるさ」
そうつぶやき、修士郎は家路につく。たとえ火種が残っていても、閃きと巻き込み力、それに仲間たちの助力があればきっと乗り越えられる。彼の中で少しずつ確信めいた光が育ち始めていた。