第13話「隠れた摩擦、揺らぐ均衡」
熟練技術者の不安と若手社長の加速方針の狭間で、修士郎はMIT卒の美貌データサイエンティスト・レイラの助力を得る。彼女の挑発的な誘いに戸惑いつつも、改革と家庭の両立に悩み続ける。
翌日、朝のオフィス。前夜にまとめあげたデータを再点検しながら、鳳 修士郎は薄いコーヒーをすすっていた。熟練技術者の不安が表面化して以来、プロジェクト全体の再調整が一気に進んでいるが、その分対立も深刻化しつつある。若手社長の加速路線と保守派管理職のブレーキ、この両者をどうバランスさせるかが、今の鍵だ。
「鳳さん、昨日の集計、もう少し掘り下げたいんですけど」
声をかけてきたのはデジタルネイティブの新卒・真鍋 航。AIツールを自在に扱い、社内外のデータを瞬時に可視化してくれる頼れる存在だ。彼のモニターには、新たなグラフや集計表が並んでいる。
「ありがとう。これで各部署がどう感じてるか、より明確になるな。あとは、その数字をどう説得材料にするかが腕の見せどころだね」
修士郎が礼を述べると、真鍋は照れたように笑う。
一方で、シニアマネージャーの高梨柊一は別室で打ち合わせ中。次の一大行事は“熟練技術者とのラウンドテーブル”だ。保守派役員や現場リーダー、若手社長まで呼び寄せる予定で、意見の激突は避けられない。だからこそ、事前の根回しが重要で、高梨はその調整に奔走している。
そんななか、ミーティングエリアに戻った修士郎の目に飛び込んできたのは、まるで「美人の理想形をAIが集約して作ったかのような完璧な容姿」を持つ女性――レイラ・藤堂の姿だ。フランス人の祖母を持つクォーターでありながら、エキゾチックというよりは“整いすぎた彫刻”のようで、周囲の視線を否応なく集めている。
「おはよう、鳳さん。昨日の“心理抵抗指数”の集計、もう確認した?」
「まだ。けど一番抵抗が大きい層を洗い出さないとな……。一見“賛成”と言ってる人の中に、強い不満が隠れてる気がする」
レイラはMIT仕込みのデータサイエンス力を誇り、2年前にも修士郎とチームを組んでいた。当時から修士郎を遠慮なく茶化しつつ、仕事面では完璧と言えるほどのパフォーマンスを見せる“半分AIのような”存在だった。ふわりとした笑みを浮かべ、彼女は修士郎の提案を「もっと詰めよう」と促す。
昼前には若手社長がオフィスに姿を現す。保守派役員から「ラウンドテーブルは過激すぎる」とクレームが入り、どう説得すべきか悩んでいるらしい。修士郎は真鍋が作成した最新のグラフと、レイラが可視化した対話モデルを提示。
「ここで定量的に“意識改革の成果”を測れるようにすれば、やりすぎという批判にも反論できます。実際、熟練技術者が抱える不安を数字で補足しながら、対面のコミュニケーションでほぐしていく形です」
レイラがスライドを操りながら説明し、若手社長は深く頷く。「なるほど。これなら保守派を納得させられそうだ」と安堵の表情を見せる。
会議を終えてデスクに戻った修士郎に対し、レイラがひそかに近寄ってきた。
「また“運が良いだけ”って言うの? あなたの“何十手も先を読む力”は2年前からずっと変わらないわね」
そのからかいに、修士郎は曖昧に笑う。確かに、ここぞという局面で思いついた策が成功することが多いが、本人は運と周囲のサポートだと本気で思っている。レイラはそんな謙遜をからかいつつも、彼の閃きを頼りにしていることを隠そうとはしない。
夕方には、調整を終えた高梨が合流し、今後の段取りを話し合う。ラウンドテーブルでの議題や参加者リスト、進行プランなど、詰める項目は山積みだ。そんな合間、レイラは修士郎の肩に軽く触れながら、「あとで二人だけで飲みに行きましょうよ。もっと深い戦略を語り合いたいの」とウインクする。
修士郎は戸惑いつつ、「いや、既婚者の俺がそんな……」と明確に断りきれない自分をもどかしく思う。だが、レイラは悪びれる様子もなく、完璧な美貌で微笑を湛えたまま「また今度ね」と踵を返す。その無駄のない動作は、まるでAIが算出した“最適行動”のようにも見え、修士郎は苦笑するしかなかった。
仕事をひと段落させてスマートフォンを確認すると、妻から「今日は在宅。揚羽と先に夕飯を済ませてる」とメッセージが届いていた。愛妻家であり父親でもある彼は、「家族のもとへ早く帰りたい」という思いが一方にありながら、レイラの仕事面でのサポートが不可欠なのも事実。2年前のプロジェクトでも、彼女の分析力と助言がなければ乗り越えられなかった壁が多々あったのを思い出す。
夜のオフィス街を歩きながら、修士郎はつぶやく。「結局、俺が閃いて形にできるのは、レイラみたいな人がデータで裏打ちしてくれるからだよな……それなのに、あの誘い方はやっぱり戸惑う。俺は妻が大事だし、揚羽の父親でもあるし……」
まるでAIが組み上げたかのように緻密に美をまとったレイラは、時折“不倫しない?”と冗談を飛ばしてくる。彼女は修士郎の立場を尊重しているので一線を越えてはこないが、その誘い方は絶妙で、修士郎の心に微妙な乱れを生んでいる。
「……仕事に集中しよう。あれこれ悩むのは本意じゃない」と頭を振り、ネクタイを緩めて歩を速める。家族の待つ家では、娘・揚羽の声が日々の疲れを洗い流してくれる。ただ、企業改革の波はますます勢いを増し、熟練勢や保守派を巻き込んだ大きな渦となりつつある。そこに閃きと巻き込み力が必要とされるなら、やはり彼は最前線に立たなければならない。
「運がいいだけ、じゃもう通用しないかもな……」
そんな自嘲とも決意ともつかない言葉を胸に、修士郎は家路を急ぐ。完璧な美を纏うレイラ・藤堂との再会によって、企業改革も自身の内面も大きく動き出している――彼自身がそのことにまだ気づいていないだけかもしれない。