第12話「新たな風、揺れる胸中」
2年前にチームを組んでいた藤堂レイラが再び参画し、熟練技術者の不安をデータ分析で浮き彫りに。修士郎は家族を想いつつ、からかい上手なレイラと共に企業改革へ踏み出すが、微妙な距離感に戸惑う。
翌週の月曜朝。いつもより少し早めにオフィスへ足を運んだ鳳 修士郎は、山積したデータを確認しながら深いため息をついていた。先日の“熟練技術者の不安”が表面化して以来、プロジェクト全体の再調整が急務となっている。高梨柊一や若手の真鍋 航との連携を進めているものの、組織内の対立は根強く、地道なデータ分析とコミュニケーションの双方が欠かせない状況だ。
そんなとき、ふいに背後から聞き覚えのある声が響いた。
「おはようございます、鳳さん。まだ“たまたま運がいいだけ”とか言ってます?」
振り返れば、そこには藤堂レイラ(とうどう れいら)の姿があった。フランス人の祖母を持つクォーターで、30代前半とは思えないほどの洗練された身のこなしが印象的。修士郎は一瞬戸惑いながらも笑みを浮かべる。
「レイラ……久しぶりだな。2年前に組んでたときも散々からかわれたけど、またここで一緒になるのか」
レイラはMIT卒のデータサイエンティスト思考を得意とする有能なコンサルタントだ。2年前、別のプロジェクトで同じチームを組んでいた時期があり、その際に彼女の圧倒的な分析力と、修士郎への遠慮のない“からかい”を知った。修士郎自身は妻子ある身でありながらも、この自由奔放な女性に翻弄されがちだった記憶が鮮明に残っている。
「今回は高梨さんに声をかけられて合流しました。MITで培ったデータサイエンス力をフルに発揮して、熟練技術者の不安とやらを数値化してみましょうか」
得意げに言うレイラは、さっそくノートPCを広げ、現状の課題やヒアリング結果をピックアップしていく。ほどなくして高梨が合流し、続いて真鍋が到着。三人が顔を合わせると、オフィスの一角が一気に活気づく。
午前中には若手社長とのオンライン会議が設定されており、チームは昨今の対立を整理した資料をまとめる作業に追われる。レイラは手際よくスライドを作成し、熟練技術者たちの心理的抵抗をいくつかの指標に分解してみせた。
「たとえば“技術継承×AI”の指標をこのグラフで可視化したら、現場のモチベが急激に下がる局面が分かるかもしれませんね。理屈じゃ分かっていても、数字にすると説得力が増すんですよ」
そのプレゼンを横目に見ていた修士郎は、内心で感心していた。2年前もそうだったが、レイラは数字を“説得の武器”として扱うのが非常に巧みだ。一方で、彼女はどこか楽しそうに修士郎の反応を伺い、邪気のない色気をまとうような表情をちらつかせる。
ほどなくして始まったオンライン会議では、レイラが作成したグラフを用い、現場の不安を定量化した資料を若手社長に提示する。スクリーン越しに深刻そうな表情を浮かべる社長は、「ここまで抵抗が強いとは想定外だった」と驚きを隠せない。
修士郎はそんな社長に、「だからこそ“対話モデル”を用いて、AIの恩恵と熟練技術の価値を同時に高める施策が必要になります」と提案する。脳裏では、2年前のプロジェクトでも似たような局面をレイラと共に乗り越えた記憶が蘇る。“突拍子もない閃き”と評された修士郎のアイデアが意外な形で活路を開いたのだが、本人はいつも「運が良かっただけ」と謙遜する。
会議後、ひと段落ついたチームの前に、レイラがスッと歩み寄る。
「鳳さん、相変わらず“先を読んでないフリ”してるんですね。2年前もそうでしたけど……本当は何手先まで見てるのかしら」
からかうような口調に、修士郎は曖昧な苦笑を浮かべる。既婚者である自分には確固たる一線があるし、そもそもレイラは彼を軽妙に揶揄いながらも、仕事では絶大な協力者になってくれる稀有な存在だ。2年前の経験から、それを痛感している。
昼下がり、高梨が新たに上がってきた熟練技術者の意見をチームに共有する。真鍋はデータ分析ツールを駆使して瞬時に可視化し、レイラは「ここが痛点ですね」と指し示す。修士郎はその結果を見て、またも妙な確信に打たれる。
「……ここを押さえれば、現場とAIの融合は一気に進むかもしれない」
しかし彼は相変わらず「まあ、たまたま思いついただけだけどね」と言葉を濁す。するとレイラが目を細め、「そこが鳳さんらしい」と笑う。真鍋も高梨も、それぞれ苦笑いを浮かべつつ、これからの展開に期待を寄せる。
仕事が一段落した夕刻。資料をデスクにまとめている修士郎のもとへ、レイラが軽やかな足取りで近づいてきた。
「鳳さん、今度また“二人で”飲みに行きましょうよ。新しいデータ分析モデルの話、詳しくしたいの」
甘い声で誘われ、修士郎は一瞬言葉に詰まる。「2年前もチームを組んでた頃、飲みに行くたびに彼女から冗談半分で不倫を匂わされ、困惑したっけ……」と思い出が胸をよぎる。それでも仕事の話があるのは確かだし、何より彼女の分析力はプロジェクト成功に不可欠だ。
「そうだな……みんなで行くならいいけど、二人ってなるとさ、ほら……」
「またパワハラやセクハラって言うつもりです? 大丈夫ですよ、奥様が愛妻家なこと、私も尊敬してますから」
レイラは深くウインクしながら笑う。挑発とも取れる態度に、修士郎は妙な胸騒ぎを覚えながらも、きっぱりと拒否する勇気はなかった。
ふとスマートフォンが震える。妻から「今日も帰りが遅くなる。揚羽のことお願いね」というメッセージだ。修士郎は“愛妻家”である自分を改めて自覚しつつ、レイラの誘いにどう折り合いをつけるか思案する。仕事上の相談相手としては最適なパートナーなのに、その冗談交じりの“誘惑”に翻弄されてしまう自分が情けないやら面白いやら。
夜風が吹き抜けるオフィス街を歩きながら、修士郎は思い返す。「2年前にも似たような状況があったな……俺がどん詰まりで悩んでいるとき、レイラが最後に背中を押してくれて、起死回生の策を閃いたんだったっけ」。どこか“運が良かった”だけで済ませてきたが、先読み力と巻き込み力は周囲が認める修士郎の真骨頂でもある。レイラもその強みを見抜いているからこそ、からかいつつ助けてくれるのだろう。
「どんな苦境でも、なんとかなるさ――って思ってると、意外と道が開けるんだよな」
自分への言い聞かせのようにつぶやき、夜空を見上げる。企業改革はまだまだ先が長いし、熟練勢との対立も簡単には解消しそうにない。だがレイラが加わった今、プロジェクトはさらに動きを増すに違いない。自分が妻を想う気持ちは揺るがないし、娘・揚羽の成長を見守る立場でもある。そんな中でレイラの存在がもたらす“新たな風”に、修士郎は戸惑いつつも、一抹の期待を抱いていた。
「結局、最後に俺が閃いたって、誰かが手を差し伸べてくれるから成り立つんだよな。運も助力も、全部活かしてこそ俺の巻き込み力なんだろう」
いつものように謙遜まじりの独白を浮かべながら、自宅へ急ぐ足取りを少しだけ軽くする。そこには、揚羽が待っている家族の時間がある。だが同時に、翌日からもレイラとのスリリングな駆け引きと、プロジェクトの巻き返し戦が待ち受けているのだ――。