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1話 突然の婚約者

 人は、生まれた時に二つの呪いを授かる。

 一つは、この世に生を受けた事そのもの。

 一つは、名前。


          ○


 もし私が事故に遭ったり病気に罹ったりして目も当てられない様な姿にでもなったら、両親はどうするつものなのだろう。幸いにも私は容姿に恵まれたが、それが一生続くとは限らない。第一、人は老いるのだ。老いて、顔に皺が刻まれれば、いずれはお伽噺に出てくる醜いエルメおばさんの様な姿になる(もっともエルメおばさんは初めから綺麗な姿ではなかったのかもしれないが)。それでも両親は、私にこの名前をつけた事を後悔しないのだろうか。


 両親は、畏れ多くもスティルという名前を私につけた。スティル。ここカタ王国に伝わる神話の最高神の妻であり、最も美しいとまで言われる女神の名前。見栄っ張りな貴族が我が子に神話の神や英雄の名前をつけるのは珍しい話ではない。兄さんだって英雄の名前をつけられた。だが、それにしてもこの名前をつけるのはどうかしている。名前の通りの美しい娘に育たなかったら殺す気だったのだろうか。


「あの二人にそんな度胸がある訳ないだろう。実の娘を殺したとあっては、体裁を保てなくなるからな」


 ある日愚痴を兄さんに溢したら、そんな答えが返ってきた。


「それにワタシが鶏を解剖している所に出くわした母さんはその場で倒れたんだ。人なんて殺せる訳がない。父さんだって無理だろうな。服が汚れるのを嫌うんだから、人の返り血なんてもっての外だ」


 そう言って兄さんは鼻で笑った。騎士や処刑執行人でもない人が人を殺すのはよくない事だからだ、なんて答えが返ってこないあたり、実に兄さんらしい。


「心配するな。お前の顔に傷ができたらワタシがすぐに治してやる。ワタシは医者だからな」


「まだ見習いでしょ。それに治すよりも解剖する方が好きなくせに」


「解剖だって医者の仕事の一つだ。さあ、もう話は終わりか? ワタシはこれから山羊を解剖するんだ。解剖するなら夕飯の支度に間に合う様にしてくれと言われたからな。お前も一緒にどうだ、と言いたいところだが、そういう訳だから早く解剖せねばならん。また機会があったら一緒に解剖しよう」


「……うん。その時はまた色々教えてね」


「ああ」


 最後に兄さんは私の頭をくしゃくしゃと撫でて、厨房へと向かった。貴族の息子が夕飯に出す山羊を解剖するなんて、他の人が聞いたら目を剥くだろう。気が狂っていると罵る人もいるかもしれない。でも、その誰もが娘まで解剖に付き合う事があるとは考えもしないだろう。最も美しい女神と同じ名前を持つ娘が動物を解剖するなんて、そんな不敬な事は誰も信じたりはしないし、信じたくもないのだ。




 私と兄さんは、幼い頃から仲の良い兄妹だった。兄さんの話に付き合えるのは私くらいなものだったし、私が何でも話せるのは兄さんだけだったから、他に仲良くできる人がいなかったとも言える。兄さんが医者になる為の勉強をしに魔法医術学校へ行くようになってからは、兄さんの話に付き合える人は増えたみたいだし(それでも片手で数えられる程度だと兄さんは言っていた)、兄さんより幾つか年上のヴァンセートという使用人が家に来て彼女の人となりが分かってからは、私も彼女になら大抵の事は話しても大丈夫だと確信した。それでもやっぱり、私達兄妹にとっての一番の話し相手はお互いしかいなかった。兄さんにとっての私は、私にとっての兄さんは、かけがえのない存在だ。私は心の底から兄さんを愛している。きっと兄さんも私の事を愛している。二人きりでいる時だけ私の心は安らいだ。私の世界には、兄さんだけいれば充分だった。それなのに……。




「スティル、彼はイズヴェラード家の長男ウェルグ君だ。パーティーで何度か会っているのを覚えているな?」


「……ええ」


 父さんから“綺麗な格好をして”客間に来るように言われ、仕方なく言う通りにしてみれば、そこには父さんの言う通り何度か会っている(はずだがあまり覚えがない)青年がいた。イズヴェラード家は著名な貴族の一つだ。その長男が今家にいて、父さんは“綺麗な格好をした”私を彼と会わせた。これから何が起こるか嫌でも分かる。


「ウェルグ君、彼女が私の娘のスティルだ。どうだ、名前に恥じない美しさだろう」


 父さんがまるで美術品でも紹介するように言った。


「はい。パーティーでもお会いしていますが、こうした落ち着いた場で見るとより一層美しさが際立ちますね。この姿を額縁に収めたい程だ」


 ほら。やっぱり美術品扱いだ。これだから兄さん以外の男は好きになれない。毎日丁寧に手入れをしているのであろう奴の金髪を全部むしり取ってやりたい。


「今すぐ額縁に収めるのは難しいが、いずれは君と娘の……それといつか生まれてくる子供達が微笑む姿が、額縁に収められる事になるだろう」


 私は奥歯を噛んだ。予想通り、縁談だ。彼を私の婚約者にするつもりだ。兄さんに縁談を持ち掛けてもあらゆる手段を用いて破棄してくるから、私に矛先が向けられたのだ。


「君がスティルの婚約者になってくれて嬉しいよ。お前もそうだろう、スティル」


 何という事だ。婚約者にする“つもり”どころかもう確定している。いつだってそうだ。女である私に決定権など与えてくれない。


「ですが、父さ……お父様。私はまだ十五歳です。結婚するには早いです」


「だが来月には十六になる。結婚して子供を産むには良い年齢だろう。それともお前はこの好青年を前に恥じらっているのか? なに、今すぐここで抱き合えと言っている訳ではない。それはお前達二人がより親密になり、結婚してからでもいい」


 父さんは私が彼と親密な間柄になれると本気で信じているのだろうか。いや、恐らくは信じる信じないの話ではない。私にそうなるよう強制しているのだ。吐き気がする。ウェルグはウェルグで今の話を聞いて“好青年”らしく顔を赤らめているのが癪に障る。


(早く兄さんの元に行きたい。兄さんに話を聞いてもらいたい)


 だが不幸にも、兄さんは今学校にいる。帰ってくるのは週末だ。ヴァンスに聞いてもらおう。


「いつ結婚するかは君のご両親を交えてまた話し合おう。だが君はもう娘の婚約者だから、いつでも好きな時に家に来たまえ。スティル、お前も未来の住処であるイズヴェラードの屋敷へ遊びに行くといい。私も何度か訪れたが、あそこは薔薇園がとても綺麗だ。お前も気に入るだろう」


「……はい。分かりました」


 私が返事をすると、父さんは満足した様に頷いた。そのくせもうお前に用は無いと言わんばかりに私を追い払った。


(あんな奴と結婚なんて、絶対に嫌……)


 しかし私の意思とは関係なく、この日から私の世界に異物が混入した。

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