第九話 友たちの結束
「……!」
目的地に向かって急いでいる最中。
「――リゲル」
「黄泉示」
廊下の先に見えた、サングラスの友人と俺は合流する。――偶然か?
「どこに行くんだ?」
「いや――」
方角から察するに、リゲルも俺と同じ場所に向かっていたように思えるが。サングラスを外し、スーツの胸ポケットに入れたリゲルは、少し迷ったようにして。
「さっき電話で訊いたら、サロンにいるってもんで。親父に会いによ」
「――っ」
「黄泉示は?」
「……俺は、サロンにいる小父さんに会いに」
「そうか」
互いの目的地を確認し合った俺たちが、視線を交わす。……言葉は要らない。
「――行こうぜ」
きっと今俺たちの胸には、同じ考えがあるはずだ。俺の心を読んだかのように、リゲルが促した。
「親父たちのところに。話すことってのはきっと、同じことだろ?」
――
「――お」
本山の四階に位置するサロン。
「来たじゃねえか」
「リゲル君も一緒だね」
洋の東西の装飾の入り交じる不可思議な空間の中で、山水画の描かれた布織物を纏ったソファーに、小父さんとレイルさんが腰かけている。アップルパイ色のローテーブルの前に置かれた、コーヒーとティーカップ。
「話があるということだったが、何の用事かな」
「俺も黄泉示にそう聞いてるな。二人で来るとは思わなかったが」
食後に友人同士で旧交を温めていたのか、玉ねぎをアレンジした青模様の入る丸平皿の上には、海苔の巻かれた煎餅と、ホワイトからブラックまでのチョコレートに、龍や月などの意匠が彫られた種々の月餅が並べられている。一度のアイコンタクトで呼吸を合わせ――。
「「――お願いします」」
二人で、同時に頼みを入れた。――深々と。
「俺に、戦い方を教えてください」
「頼むぜ、親父」
頭を下げた俺の隣で、まっすぐ前を向いたリゲルが、音を立ててグローブの拳を握り締める。
「あいつらに一泡吹かせられるよう、俺を鍛えてくれ」
「……」
――無言。
心地よい室温が保たれているはずのサロンに、アロマの香りでも掻き消せない、真剣な空気が流れていく。……数秒の静寂。
俺たちの頼みに、小父さんたちは答えを返して来ない。無精髭の口元に咥えられていたダミーのシガレットが、武骨な剣客の指先で、火の付いたままゆっくりと外された。
「――本気で言ってんのか?」
「……!」
「冗談なら笑えねえが。お前らを狙ってるのは、そこらの技能者とはわけが違う」
甘えのない鋭い眼差し。十年に渡る付き合いでも目にしたことのないような、いつになく硬く厳しいむき出しの鋼のような声音が、俺の耳を打ち据える。
「俺たち技能者の世界の頂点。ヒヨッコのお前らが、束になっても敵わねえ相手なんだぞ?」
「以前の話で、その辺りのことも伝えたつもりだったがね」
にこやかな中にも、黒色の銃口めいた冷たい剣呑さを放ち始めているレイルさん。
「君たちを狙っている一味の一人である九鬼永仙は、かつて私たちと肩を並べて戦う戦友だった」
「――」
「彼の力は現役時の私たちと同格。こちら側にブランクが空き、彼が現役を続けていた今となっては、私たちを上回るだろう」
持ち上げたカップから昇るルイボスの香り越しに、レイルさんの寒気のする眼差しが俺たちを射抜く。
「現に前回の遭遇でも、君たちは手も足も出ていない」
「……ッ」
「君たちの担当をしていた人間が身代わりになって、なんとか命を拾えた。命懸けで君たちを守った相手に対し、申し訳ないとは思わないかい?」
「……だから」
顔を上げて言い出す。……ッ引くわけにはいかない。
「だから、見ているだけというわけにはいかないんです」
「……」
「俺たちが守られるだけになろうと、凶王と永仙はまた俺たちを狙ってくる」
言葉の一つ一つに、自分の到達した答えを刻み込ませながら。小父さんたちの真剣に圧されながらも、相手の目を真っ直ぐに見続ける。
「俺たちの代わりに誰かが戦って、その人たちが傷つく」
「……」
「俺たちを守ろうとしてくれる人たちの負担を、少しでも減らすために――」
血の滲むほど指先に込めた力。
「困難な状況でも抗えるように、ならなくちゃいけないんです」
「――ここで他人任せにしちまったら、終わりなんだよ」
魂を込めた俺の言葉に、リゲルが呼応するようにして声を上げる。
「どんな野郎が相手だろうと、呑まれたまま引き下がることだけはしちゃならねえ」
「……」
「どれだけクソッたれた状況だろうが、二度と膝を折ることはしねえって決めたからな。例え、誰が相手だろうとも」
「――」
リゲルが、意味ありげな視線でレイルさんに視線をぶつけている。凶王たちではなく、まるでレイルさん自身に挑んでいるようなその眼差しに――。
「……ったく」
なにか含む意味合いを感じていたとき。沈黙を保っていた小父さんが、場のプレッシャーを掻き消すように髪の毛を掻きむしった。
「そういう頑固なとこは、あいつらに似てるよなぁ」
「――!」
「自分の大事なところで答えを出しちまったら、誰が何と言おうと梃子でも曲がらねえ。お前らに言った話は正直、正真正銘俺らの本心だ」
こちらを追求するのを止めて、明け透けな口調で内心を詳らかにしてくる。保っていた姿勢を崩し。
「保護者としちゃあ絶対反対。許可なんて考えられもしねえがな」
「……っ」
「だからつって、本人の意志を無視して閉じ込めとくのが趣味ってわけじゃねえ。真剣なやる気があるんなら、そいつを見過ごす道理ってのはないに等しい」
視線を上げた小父さんが、見えない煙の上る天井を見つめているような表情でそう言い切る。言葉の余韻の染み込む時間を置いたのち、改めて背中を前へと曲げ直して。
「当人たちが自分の答えを抱えたままでいるんなら、どっかで必ずその影響ってのは出てくるもんだ。頭ごなしに押さえて衝突を招くより、動機を汲んで方向性を模索すべしってのは、レイルとも話してたところだったしな」
「――え」
「以前に話を聞いたとき、明らかに納得がいっていない様子だったからね」
俺たちを目にする小父さんの隣で、微笑みながらお茶を口にしているレイルさん。カップをテーブルに置き。
「どこかで何かしらの話はあると思っていた。まぁ、リゲル君のことだから、正直もっと早く来ると思っていたくらいだったけどね」
「ぐっ!」
「気持ちを固めるのに意外と時間がかかった。まあ、リゲル君にしては、それだけ考えていたということにしておこうか」
「……含みのあること言ってくれんじゃねえか……っ」
にこやかに微笑むレイルさんの前で、リゲルが拳を震わせている。……俺たちが来ることは小父さんたちの予想のうちだった。
立場としては反対だが、俺たちの意志を無視するつもりもない。ということは――。
「しょうのねえ体たらくじゃあったけどよ。――了解ってことでいいんだよな?」
「一応はね」
ひとまずは、鍛錬の話を受け入れてくれるということであるはずで。レイルさんが首肯する。
「詳しい内容については、具体的なことを進めてみないと分からないが。話を先に進めるために、ひとまず場所を移そうか」
――
「……」
「――しっかしあれだなぁ」
サロンを後にして。広々とした本山の通路を進む俺たちの間で、小父さんが言い出す。
「二人揃ってきたのはよかったんだが。修行となると、あとの面子はどうするかだな」
「そのことは重要だね。カタスト君については、まだ寝ているんだろう?」
「――っはい」
「意思確認はできないだろうから仕方がないが、今回の問題については、あくまでリゲル君たち四人が当事者だ」
先ほどのフィアの様子を思い起こす俺の隣から、改めて状況を整理される。……それは勿論だ。
「全員が狙われている以上、バラバラの方針で動けば纏まりを欠く」
「……」
「戦力的に見ても恐らく、四人がいてようやく一人に対抗できるかどうかといったところだろうからね。取り敢えずはジェイン君がどうするか――」
「――おや」
例え俺たちが立ち向かうことを望んだとしても、フィアやジェインの意向を無視する選択肢はあり得ない。歩みの途中。
「二人とも。こんなところにいたんですか」
ホールの対面から現れた、二名の人物に目が向く。飾り気のない聖職衣を纏ったエアリーさんと――。
「――っジェイン」
「蔭水、リゲル」
「丁度いいところに。今からそっちに行こうと思ってたんですよ」
同時にこちらを見付けて、不意を衝かれたような表情をしているジェイン。――なに。
「修行をつけてもらえるよう、神父に頼んでいた」
「……!」
「あの連中に対抗するには、これまでのような訓練では到底追いつかない」
即座に事情を把握したようなジェインが、押し上げた眼鏡の奥から確固としたブラウンの眼の光を覗かせる。
「上守先輩が負傷し、范さんたちの協力も得られない以上。次にあんな事態が起きても何かをするためには、神父たちの協力が不可欠だ」
「――っ」
「けっ。結局、考えることは全員一緒かよ」
「鍛えると言っても、別々に訓練をしたのでは足並みが揃わなくなってしまいますからね」
ジェインらしい、論理的なアプローチでそこに辿り着いたのか。小父さんたちと同じことを口にするエアリーさん。
「他のメンバーの意見を確かめてからということにしようと思っていたのですが。――この分ならひとまず、貴方たちについては相談は要らなさそうですね」
「仮に本格的に鍛えるとなるとすれば、時間は一分一秒でも惜しい」
満足げにレイルさんが目を細めてみせる。
「次の襲撃まで半年あっても足りないくらいだ。カタスト君が目覚める前に、君たちでその辺りを実体験しておくのもいいだろう」
「確かにな。やって見ねえと分からねえこともあるってことだし」
頷いた小父さんが、改めて俺たちを数えるように見返した。
「三人いるんなら数自体は丁度いい。チャレンジしてみるとすっか」
――
「――さて」
移動してきた区画。
「鍛えるにあたって初めに、俺らから条件がある」
小父さんたちの鍛錬用として秋光さんから許可を貰っているという修練場。全員で使っても充分なスペースがある広々とした空間の中で、三人を代表して小父さんが俺たちに宣言してくる。
「お前らの力を伸ばすのは決して、積極的に戦わせるためじゃないってことだ」
「……!」
「秋光や支部長の嬢ちゃんたちにも言われてるかもしれねえが、凶王や永仙は、運や捨て身でどうにかなる相手じゃねえ」
これまでに何度も聞かされてきた内容。……分かっている。
「年季も練度も桁が違い過ぎる。お前らができるようになんのは精々、自分の命を簡単に取られねえようにするってことくらいだ」
「増援が来るまで時間を稼ぐか、戦闘の隙をついて逃げられるようにするとかね。――そしてそれだけの制限を設けても、相手が彼らであれば要求するハードルは高くなる」
前回の外出で目にした襲撃者たちの強大さは、当事者だからこそ忘れることのできないものだ。微笑のまま目に凄みを浮かべたレイルさん。
「手解きはするが、ついて来られなければそれまで。諦めてのんびり休暇でも過ごすといいよ」
「おうよ」
「――分かりました」
「――よし」
覚悟を決めての同意に、小父さんが頷いてくる。――チャンスは一度切り。
「んじゃ、まずは軽く力を見せてもらうとするか」
「――っ」
「現状の確認は重要ですしね。模擬戦までは要りませんから、大丈夫ですよ」
小父さんたちの要求する水準に、辿り着けなければそこで終わりだ。こちらの心情を読んだかのようにエアリーさんが穏やかな微笑みを向けてくる。
「このあとの修業の方が本番ですし。私たちの認識と齟齬が無いように、各人の技能を見せてもらう感じですね」
「蔭水家の固有技法に、今メインで使ってる技。重力魔術にボクシングの腕前」
「時の概念魔術と、魔術の知識。それぞれ順番に披露してもらおうか」




