第六話 英雄たちの集い
陰鬱な一日が明けた翌日。
「……」
いつもの通りに、俺たちは協会の食堂にて朝食のテーブルに着いている。……問題は何も解決していない。
フィアはまだ目覚めてはいず、気分も晴れているとは言い難い。昨日レイガスに突き付けられた事実。
予定の大部分を占めていた修行がなくなった以上、やることは見いだせず、先輩も未だに治療室から戻ってきていない状態のままだ。先の見えない憂鬱と、事態の困難さだけが頭の中を巡っていて――。
――しかしながら。
「ほお……こりゃ美味えな」
それを一旦脇に置いておかなければならないほど予想外の光景が、今の俺たちの目の前には繰り広げられていた。対面の一番手前側で料理を頬張りつつ、感心したように頷いているのは、昨日から協会を訪れていた東小父さん。
「ちょっと料理人呼んできてくれねえか? 主夫として参考までに、作り方を訊いてみてえからよ」
美食家気取りでそんな台詞を口にしているが、それはまだいい。小父さんのジョークは今に始まったことではないし、協会に来ていた以上、この場にいたとしてもおかしなことではないからだ。今ここで主に問題となっているのは――。
「――ふむ。悪くない」
食卓に新たに加わっている、二人の人物たち。高級感の漂う黒のスーツに、品のある仕草でワイングラスを傾けている白の手袋。
「魔導協会というくらいだから、料理などには造詣が浅いと思っていたが、どうして中々。認識を改めなければいけないね」
「二人ともマナーが足りませんよ。賓客として持て成されているのですから、少しは遠慮もしませんと。――あ、ボトルもう一本お願いします」
着飾らない聖職衣を纏った、壮年の女性が笑顔で注文を出している。……面識のない相手ではない。
むしろその逆に相手を知っているからこそ、今ここにいることへの強い驚きがあった。リゲルの父親であるレイルさんに、
「まったく……」
ジェインの保護者である、エアリーさん。かつての学園での日常の中で目にした二人が、協会の食卓についてワイングラスを次々と空にしていく。その隣で呟いている応対役。
「どうして支部長の私たちが担当役なのよ」
「仕方ねえだろ。上の命令だよ。上の」
頬を膨らませる立慧さんと、諦めたような溜め息を吐く田中さん。俺たちの担当だったことで、そのまま保護者たちの相手役も任されることになったらしい。
「にしても、私たちじゃなくたっていいじゃない。もっと別の人材がいるでしょ、別の」
「全くだぜ。《救世の英雄》って度々口にしてたお前さんなら嬉しいんだろうが、俺はこんなことより部屋でごろごろしてたい――」
「っ、馬鹿! 余計なこと言わなくていいの!」
「――お、何だ支部長さん。俺らのファンか?」
小声で田中さんを窘める立慧さんだったが、既にその声はばっちりと当人に届いてしまっていたらしい。にやりと得意げな笑みを浮かべながら小父さんが声を掛ける。
「あれから十年も経つってのに、参っちまうねぇ。一線を退いたとはいえ、危険な男ってのはいつでも魅力の尽きないもんだぜ」
「君のような粗暴な男にファンなどいるわけがないだろう。もっと常識に基づいた発言を心掛けたまえ、東」
「全く二人とも、配慮が足りないと言いますか……。彼女は私のファンに決まってるじゃないですか。同じ女性ですし。馬鹿な貴方たちががっかりしないよう、気を遣ってくれていたのですよ?」
「あはは……。……そんなことは、全然、ないんですけど……」
続く二人の言葉に、立慧さんは誤魔化すように笑ってみせる。……口調と表情が完全に外向けのものだが、それを責められるような立場に今の俺はない。
「……なんか、思ってたのと違うのよね」
ぼそりと呟かれた台詞が耳に届く。――それも当然だ。
立慧さんが三人にどんなイメージを抱いていたのかは知らないが、それぞれの家で生活を共にしてきた俺たちですら、今の小父さんたちの姿には大いに困惑しているところだ。朝食の席で顔を合わせてから訊いたところによると――。
レイルさんとエアリーさんが着いたのは昨日の深夜。小父さんが協会に入り込んだとの噂を耳にして、すぐさま用意を整えて駆けつけてきたらしい。それぞれ立場があるにもかかわらず……。
「……というか神父、教会と子どもたちの方は」
「大丈夫ですよ。臨時とはいえ、頼りになる代役に任せて来ましたから」
「……親父、ファミリーは――」
「率先して手を挙げてくれる部下がいてね。非常時を託せる後進が育っているとは、嬉しい限りだね」
思い立ったら即行動力というバイタリティには、つくづく驚かされるところだが。聞こえのいい台詞で頷く二人。整えられた笑顔の裏に、なにやら欺瞞の臭いを感じつつも……。
「にしても、まさか……」
「知り合いだったとはよ。……親父たちが」
「……ああ」
俺たちは今一度頷き合う。――そう。
突然の訪問にも驚かされたが。食堂で顔を合わせた俺たちにとって最高に不意打ちとなったのは、三人が三人とも、以前普通でない世界の一線で活躍していた技能者だったということだ。全員が《救世の英雄》の称号を持ち……。
共に戦った戦友であり、秋光さんや、俺の両親の仲間でもあったという。……寝耳にいきなり風呂一杯の水かけを喰らった気分。
「……というか《救世の英雄》とは」
「……」
「具体的には何をしたんです? 神父」
「あれ、言ってませんでしたっけ?」
日常側であったはずの人物と、普通でない世界の境界があっけなく混ざり合ったことに、常識の崩れるような動揺を拭い切れないでいる。称号に対するジェインの問いかけに、エアリーさんは実にあっけらかんとした表情で口にし。
「俺もまだ教えてもらってねえんだが?」
「そういえば、リゲル君には話したことがなかったね」
ウェルダンな赤身肉のステーキを口に運びながら、レイルさんも優雅に微笑みを浮かべている。この人たちは全く……。
「ったくよ……。――黄泉示は知ってんのか?」
「……いや」
頭の後ろに手をやったリゲルの言葉に、首を振る。大きな戦いの功労者。
英雄と呼ばれるに足る偉業を遂げたのだということだけは、昔聞かされているが。……俺も小父さんも、あえてその話をしてくることはなかった。
「確か、式さんの話によれば、十年前に起きた戦いとやらに関係しているとのことですが……」
「おお、そのことはもう秋光から聞いてんのか」
俺の両親に関連する、深刻な話題に繋がることになるからだ。チラリと此方を見る小父さん。意味は分かるものの、この場で答える方法はない。
「あの、できれば私も聞きたいんですけど……」
「噂くれえは耳にしてるが、当事者から聞けるんなら、酒の肴には丁度いいかもな」
「そうだね。こうなった以上は隠していることもないだろうし……」
退屈を紛らせていたらしい、立慧さんと田中さんも興味を示す。要望の多さを鑑みてか、レイルさんが了承と言うような面持ちを見せた。
「ええ。まさか、こういう形で話すことになるとは思いもしませんでしたが……」
「――よっし。そんじゃここは代表として、俺から話すとするか」
「誰も君を代表にするなどと言った覚えはないが?」
意気揚々と親指で自らを指し示した小父さんに、飛ばされた鋭い指摘。
「全くです。貴方に代表になられるくらいなら、そこらの石ころに任せた方がまだマシですね」
「うっせえなてめえら‼ 少し黙っとけ!」
首をすくめたエアリーさんが辛辣な批評を口にする。怒気のこもった大声にやや引いた俺たちを目に留めて、小父さんが誤魔化すようににょごりと口の端を上げた。
「――うおっほん。というわけで、俺が話をすることになるが――」
「――」
「ま、一々全部を話してると長くなるからな。掻い摘まんで大筋だけ話してくことにするぜ」
「驚いた。聞いたかな? よりにもよってあの東が、話を要約するなどと言っていたように聞こえたが」
「ええ、聞きました。――間違いがあれば私たちがバンバン修正していきますから、安心して聞いていて下さいね」
「いい加減にしとけよ、てめえら……ッ」
「……」
拳を震わせる小父さんを前にして、レイルさんとエアリーさんがふざけた口ぶりで声を潜める。……今のは。
言葉の中途で小父さんは、俺にしか分からないような意味ありげな目線を一瞬だけ差し挟んだ。俺に対する気遣い。
小父さんがわざわざ大筋を話すと前置きしたのは、俺の事情に配慮をしてくれてのことだろう。両親にまつわる話――。
かつて自分が味わった喪失を、俺はフィアたちに話してはいない。両親が亡くなったという事実だけは、暗殺者の老人に襲われた事件の成り行き上、話さざるを得なくなってしまっているが。
そこに至るまでの経緯、詳しい事情の中身は伏せたままだ。……俺の望まない形で過去に触れることへの配慮。
「あとで倍返しにしてやるから。覚えてろよ」
「覚えていろとは、また怖い言葉を使いますね。気性の粗暴さが滲み出ているようです」
「……神父、もうそろそろその辺で」
「息子に窘められるとはまだまだだね。私のような品行方正、誠実が服を着て歩いているような人間からすれば、息子の手を煩わせることなど全くありはしないわけだが」
「親父。悪いけど、話が進まねえから」
エアリーさんとレイルさんも、その辺りの事情を踏まえて小父さんに話し手を任せてくれたのかもしれない。リゲルとジェインの指摘を受けて保護者が静かになったところで。
「――うし。じゃあ始めるぞ」
ようやく小父さんからの話が始まった。机の下で静かに握り締めた拳。
「今からざっと、十年くらい前のことだな」
「……」
「技能者界にある、三大組織と凶王派の構図については聞いてると思うが、そいつは十年前でも変わらねえ。生まれついての才能と度胸、道行けば誰もが振り返るダンディズムに溢れた俺は、組織や民間から依頼を受けて仕事をこなす、フリーの技能者として活躍してた」
「ダンディズム……?」
覚悟を決めた俺の前で、初めに語られるのは小父さんの素性。ぼそりと疑問を挟んだ立慧さんの呟きが耳に届く。
「当時、エアリーは『聖戦の義』、レイルは『国際特別司法執行機関』っつう組織に所属してたんだが、活動上たまたま知り合う機会があってな。ぶつかり合いもあって、馬は合わなかったんだが、なんだかんだで一緒に仕事をしたりすることが多くなってた」
「懐かしいですね」
「あのときもう少し的が近ければ、二人とも今此処にはいなかったかもしれないね」
「いなくなってたのはテメエだろ。技能を悪用する犯罪組織なんかを片っ端からぶっ潰したりして、裏社会の奴らを震え上がらせてたぜ」
「……」
懐かしそうに目を細める小父さん。一人一人でも手の付けられなさそうな三人が、徒党を組んで敵方を蹂躙していく姿……。
「若気の至りで、凶王派にちょっかい掛けたこともあったな。そんな悠々自適な日々を送ってる俺らの元に――」
「――」
「大口の依頼主だった三大組織から、『アポカリプスの眼』っつう技能集団についての情報が舞い込んできた」
「……『アポカリプスの眼』?」
「成立から千年以上の歴史を持つ、小規模な技能者集団」
狙われた犯罪組織の側からすれば、さぞかし生きた心地がしなかったに違いない。ジェインの呟きに、小父さんが即座に説明を付け加える。
「あからさまに危険なある極端な思想を持ってたが、頭のおかしな連中だと思われて誰も相手にしてこなかった。組織というには小さすぎる、五、六人の集まりってこともあって、実際近年まで大した技術も持ってなかったらしい」
「危険で極端な思想……?」
「選民思想とか、優生思想とかっすか?」
「違え違え」
近代の著名な例をリゲルが出して見せる。小父さんは笑って軽く手を振って。
「――世界の破滅、だ」
「……」
「……」
「……え?」
突拍子もないワードに、思わず声を零してしまう。そんな……。
「今でも、マイナーな一部の宗教とかには似たような考えがあるんだがな」
「……」
「この世は苦しいことが多くて、生きるのは苦痛の塊だから、全部消しちまおうってわけだな。人間自体が穢れてるとか、世界を創った奴が最初から間違えてるからとか、そういうことを言う奴もいるぜ」
「……なんつうか」
そんな、漫画のようなことが。リゲルが、何とも言えないような表情を浮かばせる。
「また随分コテコテの動機っすね。九十年代の悪役じゃあるまいし」
「そう思うだろ? 三大組織の反応も、似たようなものだったらしいぜ」
ジェインも今一つ話の流れを掴み兼ねるような表情をしている。――仕方がないだろう。
「だから実際ことが起きるまで、誰も異変に気付かなかった。俺たちのところに入ってきたのは、その連中が何やら怪しい動きをしてるらしいって情報だった」
「……っ」
「具体的な目的を調べて、危険なようなら対処してくれって話だったんだがな。色々苦労して調べたところ、なんと――」
思想としてあり得ることが分かっていたとしても、本気でそんなことを目指しているとは普通は思えない。当時の組織の判断に共感する気持ちでいる俺に――。
「『アポカリプスの眼』はすでに【世界を滅ぼす術式】とやらを開発済みで、そいつを使って長年の目標を実現しようとしてることが分かった」
「……⁉」
「そいつが発覚したときゃもう、大騒ぎでなーっ。いつもはかたっ苦しい三大組織が、ハチの巣に松明を投げ込んだみてえになってたからよく覚えてるぜ」
「まっ、待ってください」
煙草を取り出す手つきをして、途中で止める東小父さん。思わずと言った調子で手を挙げたジェインが。
「……その『アポカリプスの眼」という組織は人数も少なく、大した力を持っていなかったんですよね?」
「おーよ」
「大したことができないから放置されていたはずなのに。なぜ、いきなりそんな術式の開発に成功を?」
「分からん」
腕組みする小父さんから投げられたのは、すっぱりとした回答。
「俺らのやったのはあくまで対処療法的な討伐で、事情の究明じゃなかったからな」
「……!」
「相対した連中も敵意や狂気やらが丸出しで、到底話のできるような状態じゃなかったし。術式自体はホンモノで、あともうちょい遅れてれば発動してたらしいから、千年以上に渡って研究を継ぎ続けてきた結果、たまたま当時に努力が実ったってことなのかもしれねえけどな」
少し迷うような素振りを見せた挙句、家でも度々目にしていた、ダミーのミントシガレットを箱から取り出す。口に咥えて。
「代替わりで中身も何度も変わってるだろうに、それだけの長い間同じ目的を受け継ぎ続けて来たって言う、その執念だけは感心できなくもねえがな」
「……世界を滅ぼす術式と言っても、そんなものが……」
「もう少し正確に言えば、〝世界中の人間を皆殺しにする術式〟だがね」
――皆殺し。
「世界を滅ぼすなどと言ったところで、我々のいる宇宙や時空ごと消滅させられるわけではない。こういう組織は往々にして、自分たちの主張のために話を大きく見せたがるものさ」
「あとで痕跡から行われた分析によると、地球全体の地脈を狂わせることによって、世界中に大規模な自然災害の連鎖を引き起こそうとしたみたいですね。タネが分かればなんてことはないですが」
「……いやいやいや……」
あっけらかんというレイルさんとエアリーさんに、リゲルが首を振る。……大分大きな話だと思うのだが。
「当時の三大組織は、色々とデカい事件のあとで内部事情やらパワーバランスやらが微妙な状況でな。事態が切迫してることが分かっても、組織を挙げてどうこうするってわけにはいかなかった」
「……」
「大人数を抱える組織の準備が間に合うだけの時間もない。――そこで颯爽と解決を買って出たのが、自由に見動きのできる俺たちだったってわけさ」
煙を吐き出す要領でシガレットを口から離した小父さんが、ニヤリときざな笑みを浮かべる。
「組織に籍を置く人間も交じりながら、外部の技能者と積極的な交流を持ち、限りなく肩の荷が軽い連中」
「――」
「それまでも一緒に活動してた二人のフリーの技能者と、前々からちょいちょい面識のあった魔導協会の秋光、永仙が加わって。あとはまあ、お決まりの展開だな」
話のフィナーレを飾るように、悠々と両手を広げながら、椅子に背を持たれかけさせる。
「起動の準備をしてる連中のところに乗り込んで、相手の面子とそれぞれ戦闘を繰り広げた」
「……!」
「『アポカリプスの眼』を壊滅させて、術者を失った術式は発動せずにめでたしめでたし。事件の終結が確認されたあとで、晴れて《救世の英雄》の名前で呼ばれるようになったってわけだ」
「……それは……」
シガレットを咥え直して話を〆た小父さんに、言うべき言葉を見失う。総合すると、要するに――。
「――っマジもんの英雄じゃねえかよ!」
「過言とは到底言えませんね……」
「そうね。――話の内容自体は、技能者界一般でも割と知られてるわ」
大袈裟と思えた称号に、一切間違っていることがない。目を見張ったリゲルと、嘆息するジェインの前で、立慧さんが頷いている。
「世界を揺るがす秘密組織の妄執を食い止めた、救世の英雄たちの偉業。同時にこれだけの人数に送られたのは、歴史上でも初めてらしいけど」
「歴史上?」
「技能者界の歴史上じゃ、今の話みたいな危機が起きたのは一度だけじゃないのよ」
魔導協会の支部長として知識のある立慧さんが、立てた三本の指を順番に折り曲げてみせる。
「数百年前に突然顕現して、周囲一帯を焦土にして地図を塗り替えたっていう『真の恐怖』に、千年前に起きてた魔導連合と聖騎士団の戦争の最中に現れて、双方の戦線を壊滅させたとされる『静謐の天使』」
「……!」
「年代も分からない太古の昔に現れて、一夜にして強大な王国を滅ぼしたって言われてる『永久の魔』。技能者界の歴史の中でも最大級とされてるこれらの災厄は、ひとくくりで『世界三大脅威』って呼ばれてて、倒した技能者には例外なく《救世の英雄》の称号が送られたとされてるわ」
「――まあ、とはいっても、明確な記録の残ってる奴はほとんどいねえんだがな」
小父さんたちの話を本当に酒の当てにしていたらしい田中さんが――いつの間にか手にしていた日本酒の香りのする徳利と、熟成の行き届いたスルメを噛みながら口を挟んでくる。
「『真の恐怖』は当時、王国に認められた勇者と歌姫が斃したって話になってるが、その二人の実在性は不明らしいし。協会の前身だった魔導連合と、聖戦の義以前のお抱え組織だった聖騎士団がドンパチやってたのは事実にしても、化け物みてえな被害を出したっていう『静謐の天使』が討伐されたって記録は残ってねえ」
「……!」
「『永久の魔』に至っては完全に伝承だけで、関連する記録も証拠も残らない、ほとんどお伽噺みてえなもんだし。はっきり素性の分かる人間で《救世の英雄》の称号を付与されたのは、十年前の『アポカリプスの眼』事件の当事者だけって言って構わねえんじゃねえか?」
「歴史とかまったく興味なさそうなのに、やけに詳しいわね……あんた」
「こないだ支部の図書室で、『技能者界全史』ってのを読んだんだよ。長え上に退屈だったが、昼寝の導入剤としちゃ最適だったぜ」
「そんなの読んでないで、仕事してる連中を手伝ってあげなさいよ!」
「はぁ~……」
真っ当な抗議の肘鉄を受ける田中さんの側方で、リゲルが感極まったように椅子に背中を預ける。
「なんかもう、スケールが大きすぎて、溜め息を吐くしかねえっすわ」
「三大脅威の話はともかく、アポカリプスの眼の件だけでも充分驚愕する話だな……」
「――ま、伝承にしろ十年前の話にしろ、こんなのは昔の話だ」
真面目に考え込むようなジェイン。纏めるように小父さんが言う。
「蹴りの付いた俺らの話より、今の方が重要だな。――で」
「――」
「本題に入るわけだが。まさか驚いたぜ」
「……!」
「面倒事に巻き込まれてるってのは聞いてたが、よりにもよって凶王派と永仙に狙われてるとはよ」
「ええ。驚きました」
今一度俺たち四人を見た小父さんの隣で、エアリーさんが、頷きを見せる。
「十年以上も前に足を洗ったはずのことが、今になって別の形で降りかかってきてしまうとは。因果を感じざるを得ませんね」
「全くだね。――だが」
スマートな眼を細めて頷くレイルさん。
「それももう安心していい。私たちが来たからには、君たちがこれ以上苦労をする必要はないからね」
「え――」
「どういうことだよ?」
「厄介事は、俺らが片を付けるってことだ」
思わず声を零した俺。訊き返したリゲルに、小父さんが宣言する。
「一回でも実際対峙したんなら分かってるだろうが、永仙や凶王って連中は、多少の努力をしたところでどうにかなるようなレベルじゃねえ」
「――」
「秋光や協会の魔術師のお陰で一度は命を拾ったようですが、次に会えば確実に殺されます」
エアリーさんが、真面目な面持ちではっきりと言い切る。立慧さんやレイガスと同じ――。
「凶王派の構成員の襲撃を切り抜けた時点で、貴方たちは充分に頑張りました。」
「んなこと言われたって――ッ」
「このことはもう、協会側も了解していることだよ」
俺たちの身内である小父さんたちからしても、その見立ては変わらない。――なに?
「私的な事情があるとはいえ、本来中立とみなされている私たちを引き入れるのは、三大組織の一角である協会にとって低くないリスクがある」
「……!」
「他の二組織から睨まれる――その面倒を差し置いて私たちを滞在させることにしたということは、協会の内部に私たちを戦力として役立てようとする意向があることを示している。――違うかな?」
「……」
レイルさんの眼差しに、立慧さんは沈黙する。腕組みの上で一文字に結ばれた唇が――。
「ま、そういうことだな」
答えを語っているようなものであって。……そうだ。
小父さんたちの言っていることは、妥当だ。凶王や永仙との力の差は絶望的。
技能者として実力を持つ人間から何度もそう言われ、俺たち自身もそう思っている。レイガスの言葉に答えられなかったときのように――。
この状況を自力でどうにかする方策など、見つけられなくて当然と言えるはずの事態なのだ。――だが。
「……」
消え失せない何か。
「無謀な無茶は終わりってことだ。しっかし美味えな! このクッキー――っ!」
「……欠片がこっちまで飛んできてますね」
「品性のないことだ。茶菓子とはそもそも、腹を満たすために出されるものではない――」
気楽な小父さんたちの会話を耳にしながら。自分の中にある、溶けることのない蟠りのような何かを、俺は無言のうちに握り続けていた。




