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彼方を見る者たちへ  作者: 二立三析
第五章 試されるもの
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第三話 異なる歩み


 ――朝。

「……」

 どうしようもない気分のときであっても、それは構うことなしに訪れる。気を抜けば溜め息を吐きたくなる気分を抑えつつ……。

 深緑色をした大理石のテーブルの鎮座する食堂にて、朝食の席に俺たちは着いていた。一月振りの外出に、凶王(きょうおう)永仙(えいせん)の襲撃。

 突然となる(あずま)小父さんの来訪。様々なことが一度に重なったせいか、昨日は自室に戻ってから何をするでもなく、すぐに寝てしまった。泥のように眠りこけていたところをアラームに叩き起こされ、慌てて身支度を済ませて飛び出してきたのがつい十分ほど前のこと。

 疲労の取り切れていない身体はまだ重いが、それも内心の感情に比べればまるで気にはならない。一晩という時間は昨日の衝撃を拭い去るための間隔として見るならば、余りに短過ぎるように感じられた。

「……」

 ――黙々と。

 食器の音だけが響く中で、緩慢に食事を口に運んでいく。見慣れた内装の中に着いているのは、リゲルにジェイン、立慧(リーフイ)さん、田中(たなか)さんの計四人。

 小父さんは昨日会ったきりどうしているか分からず、フィアは部屋のノックはしたものの、返事がなかった。治療室に運ばれたままの先輩も……。

 姿を見せていない。そのことも場の空気を重くしている原因だろう。

 いつもは大体何かしらの話題で賑やかな食卓だが、今日に限っては世間話もせずに静まり返っている。普段騒がしいリゲル、田中さんも大人しく。

 立慧さんなどは喋らないだけでなく、明らかに食自体が進まない様子を見せている。皿の上には手付かずのトーストや、目玉焼き、ハムなどが残ったまま。かく言う俺も、正直余り食欲はない。

 昨日協会に戻ったのち、フィアに関しては容態を確認したあと、リアさんが部屋まで運んでくれた。尋ねたところでは〝安静にしてりゃ治る〟とのことだったので、今はその言葉を信じて待つしかないことは分かっている。……見舞いに行きたいのは山々だが。

 俺が行ってもかえって、休息の邪魔になってしまうだけだ。何もできずに待つだけの自分。

 力になれないでいる自分が恨めしい。鬱屈した気持ちのまま、静寂に満ちた朝食を終え――。

「……ごちそうさま」

「……」

「――訓練はないわよ」

 開口一番。俺たちに向けて立慧さんが放ってきたのは、そんな一言。

「あんたらも昨日の件で疲れてるでしょうし。……私も、今はそんな調子じゃないの」

「ま、そうだな。降って湧いた休日だとでも思って、今日はゆっくりしとけや」

 そのあとに田中さんが続く。指導役である二人からそう言われてしまっては、こちらとしても頷くしかない。

「うっす」

「分かりました」

「それじゃ、そう言うことだから」

「――あんまり気にすんなよ」

 答えたジェインにそう言い残して、立慧さんは俺たちに背を向けて歩いて行ってしまう。耳打ちの素振りで口元に手を当てて話してくる田中さん。

「お前さんたちの事、別にどうこう思ってるってわけじゃねえんだが、あれで中々プライドが高い奴だからよ」

「……はい」

「今回の件で、自分に何もできなかったことを悔やんでんのさ。上守(かみもり)の奴のことも――」

「――聞こえてんのよ、馬鹿田中」

 飛ばされる叱責にもやはり覇気はない。こちらを振り向いた立慧さんは、一つ溜め息を吐いて。

「……悪いわね」

「――?」

「修行を付けてくれって頼まれてるのに、こっちの事情で反故にするような真似しちゃって。指導役として失格だわ」

「……いえ」

「そう。そんなことありっこないって思ってたけど――」

 例え立慧さんたちがOKしてくれたとしても、俺たちの方も修行ができる調子ではない。リゲル、ジェインの様子を見て取った立慧さんが。

「永仙や凶王本人に出て来られちゃ、それこそ本山に閉じ籠るくらいしか手立てがない。あんたらは良くやったと思うわ」

 お手上げというように軽く手を開く。茶目っ気のあるそんな仕草にも、今はどこか活力が欠けている。

「あれだけ力の差がある相手に、刀一本で突っ込む奴なんて初めて見たし。結果的には大した怪我もせず帰ってこれた」

「……」

「一人はまだ眠ってるけど、それだって怪我のせいじゃないんだし。……ホント、凶王の一撃を避けたってだけでも大金星よ」

「……立慧さ」

 向けられた目付きは今までにない、どこか(いたわ)わるような感情が秘められているようで――。

「――でも、二度目はない」

 言い切った立慧さんの目が厳しさを増す。――ッ。

「次あいつらと出会ったなら、あんたらは確実に殺される。私としても、死なせるために指導を付けるつもりはない」

「……‼」

「待って下さい。それは――」

「そういうわけだから、訓練はしばらく中断。またことが落ち着いて、その上で必要だと思ったら始めましょ」

 予想していたはずの言葉。

 だが現に突きつけられた宣告は、予想よりずっと重い意味を持っている。続けようとしたジェインを立慧さんが一瞥する。

「あんたたちも、気持ちを整理する時間が要るでしょうし」

「――っ」

「じゃ、また明日ね」

 放たれた台詞に、ジェインが開きかけていた口を止めた。手のひらを振った立慧さんが背を向ける。

「修行はしないって言っても、担当役を外れるわけじゃないから。何かあったらまた言って頂戴」

「くれぐれも、無理だけはするんじゃねえぞ」

 今度こそ食堂を出て、去っていく二人。……その背中を見送るしかない俺たち。

 無力さを噛み締める沈黙の中で、外出後の一日は、陰鬱な調子で幕を開けた――。

 




 

 

 

「――」

 ――静かに。

 だが、獲物を見定めた大鷲(おおわし)のように確固とした足取りで廊下を進んでいく老人。時折擦れ違う姿を目にした協会員が、慌てて頭を下げると逃げるようにその場を後にしていく。内心の恐れを隠せずにいる態度。

 だが、そんな周囲の反応も、今の老人、レイガス・カシア・ネグロポンテにとってはどうでもよかった。普段から大して気にも留めていないのだから、いつも通りということもできたが、それにも増してどうでもいい。

 ――平時であれば上層で郭に修行を付けているこの時間。レイガスが一人廊下を闊歩しているのは、(ひとえ)秋光(あきみつ)から受けた依頼のためだった。

〝――フィア・カタストを治癒して欲しい〟

 昨晩秋光から言われた内容がレイガスの脳裏に蘇る。夜月(やげつ)(あずま)についての議論のあとでそんな中身を言い付けてくるとは呆れを禁じ得なかったが、依頼に対する感情自体もそこまで重要なことではない。

 仕事の受理に当たって事情を聞けば、昨晩すでにリアが容態を確認しているとのこと。外傷や内臓への傷はなく、中心となる症状は保持魔力の枯渇。

 本来なら精神の防衛反応としての気絶、及びそれに伴う休息によって気力体力を取り戻すはずだが、今回は消耗の度合いがやや激しかったらしい。重傷を負った上守支部長、突発的な訪問者である夜月東への対応で充分な検診ができなかったため、大事があっては困るという理由でリアからレイガスを治療役に指名してきたのだと言う。

 ――気に食わん。

 歩みを止めないまま、レイガスは己の記憶を探り起こす。確か(かく)が行った試験の際にも、同じような症状を示していたはずだ。

 脆弱で自己犠牲的。以前に幻惑系の魔術で下した見立てが、正しかったことをレイガスは再認する。推測に違う点はない。

「……」

 無力でありながら危険に飛び込んで他者を守ろうとし、(いたずら)に傷つくだけの(やから)だ。蘇ってくる記憶に苛立ちを覚えて、レイガスは更に歩く速度を上げる。敢えて言うべきことでもないが――。

 四賢者に選ばれる魔術師は前提として、高い魔力操作の技術を備えていることが絶対である。その中でも大賢者という経歴を持つリア・ファレルの腕前をもってするならば、単純な魔力払底(ふってい)程度の症状は緩和できて当たり前のこと。

 実例の少ない症状であることは確かとはいえ、多少程度が激しいくらいで苦労をするものではない。深手を負っていた支部長や補佐官と違い、外傷もないとなれば尚更そうであるはずなのだ。

 ――にもかかわらず。

「――っ」

 リアが敢えて自分を指名してきたという事実が、レイガスの(かん)にやや障っていた。……以前のように真意を推し量るまでもない。

 リアが賢者同士の和を取り持とうとしてくるのはこれまでにもあることだったが、それで本来必要のない仕事まで手掛ける羽目になっていたのではたまらない。――郭にはまだ指導すべきことが多くある。

 協会を取り巻く近年の状況を見ていても、決してレイガスとて時間に余裕があるわけではない。凶王派との衝突を控えた今、なるべく多くの時間を己と後代の研鑽に割くべきであるのは確かだが――。

 そう内心でのたまってみたところで、この状況ではほかの選択肢がないということもレイガスにはよく分かっていた。秋光があくまで四賢者の(・・・・)筆頭であり……。

 協会の長である大賢者でない以上、対等の立場を主張すれば退けることはできるだろうが、それは協会の秩序を徒に乱すことに繋がり得る。……今回の一件は所詮些末(さまつ)(ごと)

 大局的な組織の方針を巡って対立しているとはいえ、その下で行われる雑事(ざつじ)については別だということを心得ていなければならない。――そして。

「……」

 詰まらない意図の絡んだこの件についても確かに、気になる点がないわけでもなかった。……凶王自身による先日の襲撃。

 現場にいあわせた二名の支部長によれば、意識を失う直前、確かにフィア・カタストの放った魔術によって、九鬼(くき)永仙(えいせん)退(しりぞ)いたということだった。本来ならそんなことは夢物語としてもあり得ない。

 たかが魔術を習い覚えて一月の少女が、魔導協会の頂点にまで上り詰めた術師を退かせるなど。――記憶喪失。

 その症状についてもレイガスはまた思うところがある。以前上守支部長が治療を試みた際、記憶の回復に失敗したということは聞いている。

 扱う術が偏重気味な嫌いはあるとはいえ、それでもあの支部長の腕前は決して悪くないものであるはずだった。少なくとも本山に所属する並みの治癒師よりは磨き上げられているはずであり。

 それが失敗に終わったということはつまり、余程深度の深い記憶喪失であるのか、或いは――。

「……」

 ――だからこそ(・・・・・)、という面もあるのだろう。

 考慮の末にそう結論付けて、レイガスは幾らか溜飲を下げる。……いつだって、リアの考えは二つ以上の思惑を含んでいる場合が多い。

 秋光にしても、甘さを抜きにすればそこまで愚かというわけでもない。フィア・カタストの居場所は聞いていなかった。

 症状が緩和していないならまだ寝ていると考えるのが自然だが、休息を取ったことで多少体力が回復している可能性もある。……無駄足を避けるなら、取るべき方策は一つか。

 そう考えて気を取り直すと、レイガスは自らが進むべき方向へと歩みを向けた……。


 

 


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