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彼方を見る者たちへ  作者: 二立三析
第五章 試されるもの
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第二話 東の苦悩


 ――夜月(やげつ)(あずま)は心配だった。

「……」

 何が、と言われると困る。差し迫っている脅威に対する恐怖とは異なって、不安とは往々にして、具体的な内容を欠いてこそ(もたら)されるものであるからだ。

 友の――秋光(あきみつ)の手腕を疑っているわけではない。

 出会った当初、仲間として共に戦ってきた当時から、彼は高潔な人間だった。誰かが負うべき面倒事に背を向けた自分とは違い、あの戦いのあとも四賢者として永仙(えいせん)と共に魔導協会を盛り立ててきたのだし、永仙が協会を離反して以後、裏切り者の友人との(そし)りを受けながらも、先頭に立って協会を立て直したのも彼だと聞いた。

 言動における信頼や誠実性という意味ならば、自分などより余程真っ当な人間であり。そのことは(ひが)みや(ねた)みなどではなく、ごくごく単純な理解として東のうちにある。

 しかし……。

「……」

 ――そうは言っても、不安なものは不安なのだ。ガラリとした家の中。

 元から一人ならば然したることもないといえ、二人だったものが一人に減じたとなれば心持ちは変わってくる。……面倒事に巻き込まれた、とは聞いた。

 事態が解決の目を見るまでは、安全性のため、黄泉示(よみじ)たちを協会で保護しなければならないのだとも。最初に秋光から連絡を受け取って以後、自分から連絡を取るような真似を東はしていない。

 事務的とはいえ、定期的な状況報告は毎週送られてくるのだし、協会の筆頭として舵取りをする今の秋光の立場の難しさは、東とて重々承知している。中立勢力として微妙な立ち位置にある自分が干渉することになれば、協会はともかく他の二組織が良い顔をしないだろう。……下手をすれば協会それ自体が、微妙な立場へと追い込まれるかもしれず。

 厄介事の発生を防ぐためにも、極力干渉しないという自分の判断は正しい。秋光からもそのように頼まれているのだし、東だってそう思っている。

 だが……。

「ふーー……」

 ――それでもやはり、気になるものは気になってしまうのだ。考えを落ち着かせるための一服を吸おうとして、東は伸ばしかけていた指先を止める。かつて愛用していた本革のシガレットケース。

 使い古され、滑らかさを増したブラウンレザーの立方体は、今どこを見渡しても机の上にはない。黄泉示をこの家に引き取って以来、彼の健康に与える影響を考えて、東は長年の習慣だった喫煙をきっぱりとやめたのだった。黄泉示のいるの前ではその意識は保たれているのだが……。

「ちっ……」

 一人になるとそうもいかないらしい。蘇ってくる紫煙の感触に苦々しいものを覚えつつ、ない煙草を求めて宙をさまよった右手を、ポケットの中に突き入れる。片腕だけでは具合が悪かったのでそのまま左手もぶち込み、かくして実にガラの悪い中年男の絵面ができあがることとなった。さて……。

「……」

 ――どうするか。……自分には、義務がある。

 彼が一人の人間として居場所を見つけ、少なくとも自らの足で人生を歩んでいけるようになるまでは。友たちによって果たされるはずだったその責務を、果たし続けなければならない。その事実は明白だ。

 だが、今回関わっている事情はそれだけではない。すでに退いた技能者界の事情。

 三大組織間のパワーバランスという、大事かつ面倒な問題が絡んでいる。現役として奮闘している、秋光にかける負担を考慮した場合――。

「……行くか」

 果たしてそれでも自分が(おもむ)くことが、適切な判断だと言えるのだろうか? 瞬間的。

 無意識に言葉が自身の口から零れ出ていたことに、東は失笑を抑えきれず苦笑する。通り一遍の理屈をこねまわしてみても……。

 腹のうちはすでに決まっていたらしい。こんな即応的な思考が身についてしまうのを、世間では親バカと言ったりするのだろうか。――いや。

 この場合には、過保護の方が正しいのかもしれない。益体のないことを想像しながら、東は古ぼけた(とう)の木の編み椅子から立ち上がる。まずは荷物を纏めなければ。

 面倒事に巻き込まれているなら、入り用な物品も幾つか出てくるし、協会までの渡航権も必要になる。何しろ最初に連絡を受けてから、もう一月も経っているのだ。

「いよっし――」

 準備を始めるなら早い方が良いだろう。そう考えて東は、くたびれたリュックの在処(ありか)を思い出すことにした――。

 ――

 ―

「――ってなわけで、協会にお邪魔してたんだが……」

「……」

 協会に到着し、(あおい)を治療室へ運び込んでから五分足らず。

 容態の分析に集まった治癒師たちの顔触れを確認する暇もなく、秋光は東への対応に回ることを余儀なくされていた。応接室のソファーに腰かけた友の姿。

「やっぱ不味かったか?」

「……そうだと言っても、帰るつもりはないのだろう?」

「まあな」

「……」

 記憶の中よりいくらかは老けた外見に、(はばか)ることなく息を吐き出して見せる。旧友にして中立の《(はぐ)れ者》。

 引退して十年の月日が経つとはいえ、かつて英雄として名を轟かせた彼らの動向は、今でも技能者界において強い影響力を持っている。東たちの関係者――蔭水黄泉示たちを保護したことについても、協会は微妙な立場に置かれているというのに。

「……一応訊くが、どうやって中に入った?」

 そこに独立勢力として誰もが目を付けている本人がやって来てしまえば、面倒事の発生は最早避けられる目などなく。……事前連絡(アポ)なしでの来訪など門前払いされて然るべき。

「幾ら名の通った技能者とはいえ、こちらに通達もなしで通すことなどあり得ないはずだが」

「しばらく窓口で粘ってたら、元気のいい奴が出てきて入れてくれたぜ。バーティンとか言って、俺のファンだっつうから、サインやったら喜んでたけどよ」

「――」

 協会の中核たる本山にこうも易々と侵入を許すようでは、何のための【大結界】か分からないだろう。――頭痛。

 予想の斜め上を行く回答に、秋光は痛むこめかみを押さえつける。よりにもよって四賢者の一人が許可を出したのでは、窓口を担当する一般の協会員にはどうにもならない。

「……こうなった以上、何とかするよりないな」

「頼むぜ、四賢者サマ」

 バーティン以外の賢者が出払っていたことが、まさかこんな形で裏目に出てしまうとは。あえておどけた調子で口にした東に、返答代わりの溜め息を秋光は零す。……不幸中の幸いと言うべきか。

 凶王派と永仙の同盟を前にした今の組織方は、迫る大規模な戦闘に備えて緊急的な協力体制を結んだ状態にある。追及は免れないとはいえ――。

「……悪いな。迷惑かけちまって」

 筋の通った言い分を十二分に用意しておけば、深刻な衝突にまで陥ることはないだろう。あとでよくよくバーティンに言い聞かせておかなければならないと思う秋光の耳に、ポツリと、そんな雨垂れのような言葉が届いてきた。台詞の奥に含まれた重み。

「……できることなら、事前によく考えてから動いて欲しかったものだがな」

「いや、悪いとは思ってんだよ。本当に」

 謝罪に込められた誠実さに、敢えて気付かなかったような素振りで秋光は応答する。――東が無理を押してまで協会(ここ)を訪れたのは、ひとえに養子である蔭水黄泉示の身を案じたがゆえのこと。

「まあ、来てしまったものは仕方がない」

「――」

「蔭水黄泉示のために来た以上、追い返すつもりもない。――これからのことを考えねばな」

「そう言って貰えると助かるぜ。ホントは様子だけ見て帰るつもりだったんだが、凶王(きょうおう)派に狙われてるとあっちゃあ、んな真似は逆立ちしたってできねえからな」

 それが当人にとってどういう意味を持つかを知る秋光からしてみれば、例え負担がかかるとしても、強く咎める気になれないというのが実情だった。――口調は平易。

 だが声に混ぜられた深刻の音色を、秋光が聞き逃すはずもない。東の来訪が如何に問題であろうとも――。

「――凶王と永仙が前に出るとは、徒事(ただごと)ではない」

 結局全ての核心は、その点にあるのだ。一応の誤解を避けるため、言葉を選ぶ。

「お前やエアリーたちの方で、心当たりはないのか?」

「……ないことはねえけどな」

 やや決まりが悪そうに後頭部を掻いた反応の理由は、秋光からしても察しが付けられる。今でこそ《救世の英雄》として名高い東、レイル、エアリーの三人。

 だが、現役時の彼らの行動はお世辞にも行儀が良かったとは言い難く、関係者の頭を悩ませていたその中には、凶王派へちょっかいを出したというとんでもないものまで交じっている。レイルとエアリーは所属していた組織の任務上。

 東については請け負った仕事の成り行き上と、いずれも凶王派に敵意を抱いてのものではなかったが、経緯としては全て東たちの側から仕掛けたもの。結果的に小規模な小競り合いに収まったとはいえ、両者の間に少なからず遺恨が残されていることは間違いない。

「ただ、今更恨み言(そんなん)でトップが出てきたりしねえだろ。警戒態勢を取ってる協会の保護下にあるのを、無理矢理襲ってるわけだしな」

「そうだな」

 東の言及に秋光は頷く。旧友に保護と襲撃の事情を説明するに当たって、秋光は一切の隠し立てをしなかった。

「……フィア・カタスト」

 永仙と凶王派の同盟から続く一連の経緯についても、組織の機密に当たる箇所を除いた内容を包み隠さず話してある。予想と変わらない答えを受けた上で、予定していたもう一つの核心へ言葉を進める。

「彼女について、蔭水黄泉示から何か聞いていることはないか?」

「あの純朴そうな嬢ちゃんか。学園生活の準備で向こうに着いたその日に、偶然出会ったらしいぜ」

 急な話題転換とも思える話に、合点がいっているように答えを返してくる東。――そう。

「一般の通行人から見えない状態で道端に倒れてるのを見付けて、技能者絡みっぽいから保護したとか言ってたな。記憶喪失で、名前以外覚えてることがないんだとも」

「そうか」

 秋光たちの眼からして、残りの点で最も問題となり得ると思えるのは、その一つしかない。以前に素性調査の依頼を受けたときと何一つ変わらない話。

「事情だけ聞きゃあ相当アレだが、とっくに調べは済んでんだろ?」

「……まあな」

 友の台詞に秋光は曖昧に言葉を返す。世界最大の技能組織である三大組織の一角――魔導協会の情報網は一級だ。

 学園に潜入していた上守(かみもり)支部長からの報告書、及び協会滞在後の本人への調査で、危険がなさそうだということは分かっている。本人の人間的な気質、魔術的な才能を踏まえてもそのことには恐らく間違いがなく。

「だが、素性は未だに不明なままだ」

「……」

「一般人に見えない状態で市街に現れ、蔭水黄泉示に発見される以前の足取りは一切掴めていない。そこが少し気になっている」

「なるほどねえ……」

 納得の面持ちで背を預けた、東の後ろの背もたれが、雲に沈み込むような柔らかな音を立てる。

「確かに何かありそうって言っちゃあありそうだが、今の時点じゃ何とも言えねえな」

「……」

「電話で話した限りじゃ、ただの感じのいい嬢ちゃんだったし。これまでの行動を聞いてても、裏があるような振る舞いとは思えねえ」

「……何もなければ無論、それが一番だ」

「ま、そうだな」

 分かっている風に東が相槌を打つ。秋光とて、決して何かがあって欲しいと思っているわけではない。

 四賢者という立場からすれば、少なくとも疑わしい可能性は全て考慮しておかなければならないというだけの話なのだ。脚を組み替え直した東が――。

「嬢ちゃんのお陰で、黄泉示もそこそこ陽気にやってるみたいだしよ。俺の方でも様子はよく見てみるぜ」

「……」

「手持ちの情報じゃ役に立てそうにねえし、黄泉示たちの近くにいてできそうなことつったら、それくらいしかねえからな。下手に内部の仕事とか請け負うと、また二組織からつつかれんだろ?」

 協会の事情を()(はか)った素振りで提案してくる。背の低いテーブルからカップを持ち上げつつ、茶をすする東の姿に……。

「――東」

「なんだよ」

「変わったな」

 ――記憶の中の戦友の姿は、重ならなかった。軽い音を立てて受け皿に茶を置いた、東が笑ってみせる。

「――だろ? これでも炊事洗濯掃除と、主夫として一通りの家事はこなせるようになったんだぜ」

「以前の傍若無人ぶりを考えれば、到底考えられないほどの変化だな」

「暇があれば今度披露してやるよ。そう言うお前は、相変わらず変わりねえみたいだな」

「そうか?」

「ああ。久々だから、ちっとは変わってるかと思ってたんだが……」

 冗談めかして言ってのける老成の面持ちに、かつて相対する敵を軒並み震え上がらせた技能者としての面影は見当たらない。()めつ(すが)めつこちらを眺めてくる東。

「相変わらず苦労してそうなところとか、人が()さそうなところなんかは昔のまんまだ」

「……褒めているのか? それは」

「勿論だっての。……いや、でもよく見てみりゃ、(しわ)とかが増えたか……?」

 気負いのない口調。当然の如く出された旧友の指摘に、心のどこかで安堵している自分がいることに秋光は気付かされる。……変わらない。

「十年も経てば当たり前だろう」

「にしてもよ。書類とばっか睨めっこしてねえで、たまには鏡でも見てみたらどうだ? 目じりの辺とかちょっとすげえぜ?」

 いつの間に自分は、その言葉をこれほど重く受け止めるようになっていたのだろうか。心のどこかで小さく嘆息し――。

「……そろそろ行くか」

「お、そうか?」

「突然の訪問者のお陰で、色々とやらねばならないことが増えたものでな。面倒な処理が山積みだ」

「しっかり根に持たれてやがる。――適当な用事がありゃ、何でも言いつけてくれよ」

「そうさせてもらうとしよう」

 互いに立ち上がる。去り際――。

「――東」

 掛けてしまった言葉に、秋光は一瞬自身の動きを止める。振り向いた友。

「ん、どした?」

「……まだ」

 十年前から遥かに落ち着きを帯びたその顔に、迷いながら言葉を続ける。自分の選んだ選択の先を。

「まだ、終わってはいないのか?」

「――」

 その問いかけを受けた瞬間、

 これまで陽気さを保っていた東の表情から、全ての感情が抜け落ちた。……一瞬。

「……っまあな」

「……」

「自己満足だってのは分かっちゃいるんだが。せめて、あいつが独り立ちできるようになるまではな」

 白昼の夢のように短い時間だったが、それだけにその印象は秋光の心にはっきりと刻まれていた。十年という月日が経つとしても……。

「誰かがあいつを見守ってなくちゃならねえ。最低限の義務を果たすくらいは、あいつらも許してくれんだろ」

「……そうか」

 決して読み違えることのない心の機微。――お前のせいではなかった。

 誰もお前を恨んでなどいない。心のうちに湧く言葉の羅列を、秋光は培われた克己心で抑え込む。……っ今更。

 今更そんなことを言ったとして、何になるというのか。今いる相手の道を(おとし)めることにもなり兼ねない。

 目の前に立つ友の決断に対して、何かをしようと思うのなら――。

「ま、思いがけない事情で関わることになっちまったわけだが……」

「……」

「協会も今は色々ときな臭い状況にあるみたいだしよ。この件に繋がる事態を解決することについちゃ、俺も惜しみなく協力するぜ」

 友が技能者界を去ろうとしたあのときに、すでに声をかけておくべきだったのだ。今の自分と東はすでに同じ。

永仙(あいつ)が凶王派と組んで今回の一件を仕掛けてきてんなら、戦友だった俺たちも無関係じゃねえ」

「……」

「協会の離反時に力になれなかった分も含めて、働かせてもらうぜ。ふぁ――っ」

 他人の言葉ではどうあっても下ろせぬ重荷を、その身に背負ってしまっている。かつてのような気迫ある眼の色を見せた東が、不意に気の抜けた大欠伸で伸びをする。

「……もらった部屋で寝るとするぜ。いきなりの旅行だったから、時差ボケやら何やらで、眠くて仕方がねえよ、まったく……」

「……またな」

 眼元に浮かんだ涙。幾分頼りなさげな足取りで出ていく友の背を見送って、秋光は暫し静寂の中に身を浸す。……いつまでも感傷に浸るわけにもいかない。

 夜月東が協会に入ったとの情報は早ければ今日中、遅くとも翌日には二組織へと伝わっているはずだ。言い出される前にこちらから弁明の意を伝えておく必要があり。

 重傷を負った上守支部長と、葵の容態も気になる。……見立てを任せた治癒師たちの検分もそろそろ終わる頃合い。

「……」

 万一を考えて、長時間にわたって賢王と相対した葵の方は、自分が立ち会っておくべきか。考えを纏めると、秋光は先に友が出ていった扉へと歩いていく。為すべきことをなし。

 自らが筆頭を務める組織と、それに関わる人間の置かれた状況を少しでも望ましいものにするために。二人を飲み込んだ扉が閉じたのち……。

 ――無人となった応接室の中にはただ、痛いほどの静寂だけが残されていた。





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