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彼方を見る者たちへ  作者: 二立三析
第五章 試されるもの
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第一話 賢者の対峙


 ――深夜0時を回る夜半。

「……」

 魔導協会の幹部である四賢者、その筆頭を担う重鎮たる(しき)秋光(あきみつ)は、一人冷たい手術室前の長椅子に腰掛けていた。廊下からドア一枚を隔てた部屋の中。

 祈るように重苦しい表情で指を組み、肘を付いた自らの膝に視線を落としている姿は、仮に一般の協会員が目にすれば組織を脅かす凶事があったかと恐々とする場面だろう。待機のための空間が安全性の観点から直接廊下に面していないことは、多くの協会員たちにとって真に幸運と言える事態でもあった。

 前触れなく。

「――ふう」

 閉ざされていた両扉が開いたかと思うと、中から白髪を布地で束ねた一人の老人が姿を現す。秋光と同じ四賢者の立場にある古老、レイガス。

 常に緩むことのない厳しい気配を湛えた規律正しい人物ではあるが、厳めしい目付きを備えたその双眸にも、今は隠しきれない疲労の痕が見受けられる。二時間を超える大手術を終えた――。

「……レイガス」

「滞りなく済んだ。……全てな」

 友好関係にあるとは言えない同僚が、秋光の言葉に息を吐く。部屋隅の台上から水差しを掴み取り。

「……(あおい)は――」

「――私が不得手を打つとでも思っているのか?」

「――」

 続けずにはいられなかった秋光の問いかけに、流れる清流で喉を潤すレイガスの相貌から、叩き付けるような鋭い一瞥が返される。瞳に滲む揺るぎない自負。

「悪辣な仕込みの把握に時間はかかったが、所詮はにわか仕込みの範疇にある小細工だ」

「……」

「被術者への負担、負傷と疲労による消耗の程度まで考慮に入れて治療してある。数週間もあれば十全に動けるようになるだろう」

「……お前から治療役を申し出てくれたと聞いた」

 微かな苛立ちさえ覗かせるレイガスの平常を前にして、ようやく秋光は安堵の息を吐ける自らの心境を自覚していた。――頭を下げ、

「感謝する。レイガス」

「……私が治療役を買って出たのは、(さくら)御門(みかど)ほどの術者を失うことが協会にとって余りに重い損失だと考えたからだ」

 本心から礼を言う秋光に、隠すつもりのない硬い不機嫌を含ませたレイガスが口にする。小さく鼻を鳴らし、

「お前たち穏健派のためではない。どの道あのレベルの症状を障りなく治療できるのは、今の協会では私くらいのものだろうからな」

「……そうだな」

 皮肉の込もったレイガスの台詞に、顔を上げた秋光もまた、同様の頷きを見せた。――(さかのぼ)ること数時間前。

 蔭水(かげみず)黄泉示(よみじ)たちの外出時に起こった凶王派の強襲にて、護衛役の一人であった魔術師、櫻御門葵は、凶王(きょうおう)の一角たる《賢王》と交戦し、敗北した。事態の終息後に秋光の発見した彼女は、全身に数十箇所以上の傷を受けながらも奇跡的に一命を取り留めてはいたものの、

 失血と心身の消耗による過度の衰弱状態にあったため、帰還後早々に秋光の手によって治療の要請が行われた。集められた治癒師たちによる負傷の分析が始まり――。

〝――ッ待て〟

 正に治癒が始まろうとするその直前にあって、立会人として(かたわ)らに控えていた秋光が、治療台の上で起きている奇妙な現象に気が付いたのだ。……葵の身体の内側。

 凶王によって傷つけられた身体の内部に、治癒師たちの魔力に呼応して微かな(うごめ)きを見せている、葵自身とは別種の魔力の反応が宿っている。――()

 裂傷や創傷を主とする葵の負った傷口全ての内部に、髪の毛にも満たないほどの細さを持つ極細の魔力糸が挿入されていた。平時では一切の魔力を熾さず、

 宿主以外の魔力に反応することにより、初めて自らの機能を発揮する魔道具。駆け付けたレイガスの手により慎重に取り出された血染めの透明糸を目にした直後に、その場にいる誰もが賢王という技能者の悪辣極まりない狙いの意味を理解することができていた。……仕込みに気付かず通常の治療を行っていた場合――。

 ――治癒師たちの魔力に応じて一斉に弾けた魔力糸が、内部から宿主の肉体をバラバラに切断する。……単に身体の一部が欠損すると言うような生易しい光景ではなく、

 主要な身体の部位から内臓の一つに至るまで、葵と言う人間を構成するパーツの全てが解体され、その身体を腑分けされた家畜以上の凄惨な肉の集まりへと変えていただろう。柔らかな治療の光に満ちた治癒室が、一瞬で臓腑の臭いに満ちた阿鼻叫喚に染まる様子……。

「……つくづくしてやられたものだな」

 一手を間違えた先にある惨状を思い描いたならば、賢者として齢を重ねてきた秋光とて、背筋に血の凍るような寒気を覚えずにはいられない。自分たちの陥りかけていた罠の重みを痛感する中で、

「業腹にもほどがある。もう一人重傷を負ったと言う、支部長の方はどうした?」

「――葵より二十分ほど前に治療が始まり、八割がたの施術はすでに終わっている」

 待機中に受けていた報告の内容を秋光は思い返す。蔭水黄泉示たちの担当を任せていた支部長の一人、上守(かみもり)千景(ちかげ)

 障壁や結界術のスペシャリストである彼女もまた、同一の凶王の手によって、重度の重傷を負わされた状態にあった。背面から石壁へ激突させられたことによる打撲傷と、骨折及び臓器への損傷。

 近代大型車両の衝突に匹敵する威力を受けたことの結果だが、咄嗟の手腕で障壁を展開したことにより、辛うじて致命傷までには至っていない。四人の治癒師が付く大掛かりな治療となり――。

「被術者への負担が大きいため、明日(みょうにち)との二回に分けて行うらしい。後遺症の心配はないとのことだが」

「ふん、辛うじて及第というところだな」

 レイガスが扉より出て来るつい先ほど、秋光も報告を受けたところだった。……治癒師として極めて優秀な腕前を持つレイガスは、かつて魔導院にて後進の育成のための教鞭をとっていた時期があった。

 各体系に分散していた治癒魔術の理論と技術を己の知見と経験を合わせて纏め上げ、万人に通じる基礎としての教本まで作成した彼からすれば、協会に在籍する治癒師は全て自分の教え子と言っていいようなものなのかもしれない。現役時に『教え子殺し』との不名誉な二つ名を受けていただけあって、その評価は決して優しさに満ちたものではなかったが……。

「本山の治癒師である以上、単純な重傷の治療などできてしかるべきだ。――これは明らかに、奴らから我々への挑発だ」

 後半で口調を異にしたレイガスが、瞳に殊更強烈な光を覗かせる。

「その気になれば命を奪えたものを、敢えてここまで入念な仕込みをして嘲笑(あざわら)っている」

「……」

「まるでこちらの手並みを拝見するといった具合にな。ここまでされて、まだ手を(こまね)いているつもりか?」

 言葉に宿るのは純粋な義憤の情。手術の疲労をも抑え込む、激しさを秘めた双眸が、挑むように秋光を貫いている。……沈黙。

「――理解できんな」

 何を返すまでもなく黙考することを選んだ秋光に、レイガスは失望とも取れる息を吐いて言葉を続けてくる。己のうちで燃える熱を幾分抑えるように、

「近年魔導協会に所属する術師は、レベルが下がっていく一方だ」

「……!」

「支部長らを含めた準幹部級までは最低限度の水準を保ってはいるが、本山や支部の一般の協会員についてはその程度が甚だしい。治癒師にしても今回のような事態に対処できるのが私一人となっては、ほとほと先が危ぶまれる」

「……ああ」

 ――そう。

 レイガスの言うその事態については、秋光も理解するところではあった。苛烈な抗争の歴史が小康状態を迎えた代償として、ここ十年近くの協会においては、所属する魔術師の練度不足が目立つようになってきている。

 魔導院の充実と発展の影響を受けて、高度な知識や複雑な理論を把握できる人員は増えているが、いくら座学でそれらを詰め込んだとしても、実戦における力が即座に増すわけではない。有事の際の対応力。

 迫る危険を適切に切り抜ける力とはやはり、己の身で潜り抜ける戦いの中でしか掴めないものなのだ。魔導院において優秀な成績を修めた本山勤務の治癒師たちといえども、それを磨く経験が圧倒的に足りていない。

「いくら凶王が相手とはいえ、最も格の低い《賢王》を相手にこのざまとは」

「……」

「技能者界全体を巻き込む抗争を前にして、戦力に不足があるのは明白だ。難局を乗り超えられたとしても、このままではいずれ……」

 死傷者を撒き餌として更なる叫喚を齎すような、非道の悪意の込められた負傷に相対する機会となれば、なおのこと。――極限の状況下において力を発揮する魔術師を育て上げられなければ、いずれ協会とその秩序は混沌の内部に飲み込まれることになる。

「――夜月(やげつ)(あずま)を迎え入れたそうだな」

「――致し方なく、な」

「そのことについて是非を問うつもりはない。奴が技能者としての常識で己の行動を決めるような人間でないことは、私とてよく知っている」

 日頃から口にする予測を言葉の端々に覗かせていた、レイガスが暫し言葉を切る。次に出される話の内容については、秋光もおおよその推測ができている。凶王派と永仙との衝突を控えた現状――。

「――捉え方によっては、これは好機だ」

「……東を駒として使えと言うのか?」

「駒ではなく、戦力としてだ。幸いなことに、奴が動く要因は揃っている」

 自分たち協会の戦力に不安があるのであれば、どこか別の場所からそれを調達してくるしかない。微かに鼻白む気配を見せるレイガス。

「平時であれば面倒なだけの厄介者だが、急場であれば少しは役に立つ。組み入れること自体は難しくあるまい」

「あの四人をダシに使えと?」

「奴がここに来た理由が本当ならば、強いらずとも、どの道動くことになるだろうな。息子も同然の人間が、凶王派に狙われているとなれば――」

「……」

「守るために戦うことは、至極真っ当な動機には違いない。奴と我々の利害は一致している」

 (しわ)の刻まれた厳粛な面のうちにある双眸が、今一度秋光を睨むように見据えてくる。

「状況を打開するのに、これ以上の好機がどこにある? 然るべき機会を見逃せば、挽回の機会は二度と巡ってこないかもしれん」

「……東を積極的に戦力として用いるような真似をすれば、他の二組織が黙っていない」

「始めのうちはそうだろうな。だがそれも、我らが主導の下に永仙と凶王を討ち取ったとなればすぐに消える」

 秋光の反論も織り込み済みだというように、目の前のレイガスは鷹揚に頷いてさえ見せている。確固たる論駁の意志――。

「一時泥を被るだけのことだ。――迷うことなどないと思うが?」

「――東はすでに剣を捨てた身だ」

 それを前にしてなお、秋光はレイガスの判断に頷くわけにはいかなかった。この場における互いが分かっていること。

「十年というブランクのある身で、生還の望みの薄い戦いに投げ込むわけにはいかない。東を戦いに巻き込むならば、あの四人も影響を受けることになる」

「――絵空事を描くのも大概にしろ」

 かつて組織幹部と並ぶほどの力量を有していたとはいえ、今の東を凶王派との戦いに投げ込めば、十中八九彼は生きて戻ることはできない。強い語調。

「秋光。筆頭である今のお前は、協会を率い、守り通して行かなければならない立場にある」

「……」

「かつての立場と、情とにかかわらず。己の望みを協会に引き摺らせるような、身勝手な真似はするな」

 言葉を返さない秋光に対し、レイガスは見切りを付けたように踵を返す。廊下へ続く扉に向けて歩いていき――。

「――例え望まずとも、状況は動いていくぞ」

「――っ」

「手遅れの局面を前にして、己の判断を悔いることがないといいがな――」

「――レイガス」

 呼び止めに対して揺れる白頭の後頭部。立ち止まる背中から向けられた視線は、完全に振り返ることはなく。

「襲撃を受けたあの四人に対して、一つ頼みたいことがある」

「……それは、協会を率いる賢者の筆頭としての言か?」

「そうだ」

「……」

 秋光の断言に、レイガスが小さく息を零す。一拍を置いたのちに振り返ると、挑戦的な視線を差し向けた。

「ならば断る余地はないな。――私に、何をしろと?」



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