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彼方を見る者たちへ  作者: 二立三析
第一章 新しい日々の始まり
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第七話 少女の祈り


 ――少女が上がるのを待っている間。

「ご覧ください! まるで巨人が(なた)を振るいでもしたかのように、周囲の木々が切り倒されています!」

 荷物整理を終えてソファーに横たわった俺は、テレビの画面に流れるニュースをぼんやりと眺めていた。興奮気味のキャスターの声。

「断面はまるで鏡のよう! 一体一晩のうちに何が起きたのか⁉ 現場付近は今も報道陣立ち入り禁止とのことですが、我々はこれからも事態を究明し――!」

 鼻息を荒げる熱弁に、気持ちのズレを感じて画面の電源を落とす。興味の惹かれるような内容はない。

 代わり映えのしない番組ばかりだ。ソファーに寝転がって天井を見上げる。ネットで動画を(あさ)っていてもよかったが。

 何となくそんな気分にはなれないでいた。向こうでしていたような時間潰しに気を散らせないのは、家の中に誰かがいる現状と、先ほどの電話の中身が意識に留まっているからかもしれない。

〝――よう、黄泉示!〟

 通話に出るなりのハイテンション。前もって耳を離していたことに感謝させられる、威勢のいい一声が脳裏に蘇る。

〝家には無事着いたか? そろそろ落ち着いたかと思って掛けたんだが〟

〝もう夕飯も済ませてます。……済みません〟

 会話の内容は予定通りとなる安否確認。日本は早朝のはずだから、起き抜けに取るもの取らずで掛けて来てくれたのだろう。

 ――夜月(やげつ)(あずま)

 父と母の親友にして仕事仲間であり、行き場のなくなった俺を引き取ってくれた恩人。剃刀(かみそり)を扱うのに慣れていなく、いつ見ても剃り残しの見える顎元と、五十を過ぎても無頼漢染みた雰囲気の中にある、知らない人間が見ればいささか剣呑に映るのだろう、目力のある瞳が思い起こされる。

〝連絡が遅くなって。少し、バタバタしてたので〟

〝構わねえよ。何もないってことが分かれば、こっちとしてはそれで安心だ〟

 今の俺があるのは正真正銘、小父さんのお陰だと言っても過言ではない。含みや距離感のない台詞に、疲労を覚えていた神経がほぐされていく。

〝不都合とか、足りないもんとかねえか? 何かありゃあこっちからまた送るが〟

〝大丈夫そうです。自分で調達できますよ。一人暮らしの為にこっちに来たんですから〟

〝そりゃそうか〟

 年齢差はあるが、俺と小父さんの関係は基本的に気安いものだ。互いの声を耳に、軽く笑いあった。

〝――小父さん〟

〝ん?〟

〝……実はですね〟

 例の一件について。

〝家の方は問題ないんですが、その〟

〝なんだ? 何かあったか?〟

〝はい。……〟

 どう切り出すかに迷って言い淀む。――元から伝えるつもりではいた。

 少女の申し出を了承したのも、警察などにいるよりここにいた方が問題解決のためになると判断したからだ。小父さんはその鍵となる人物。

〝――遠慮すんなよ〟

〝……!〟

〝重たい荷物なら俺が持つ、俺が疲れたらお前が持つ。だろ?〟

 避けては通れない。それでも躊躇ってしまった俺の耳に、心を読んだような小父さんの言葉が届く。……そうだ。

〝済みません。実は――〟

 そう約束した。気持ちを改めて、ようやく話を切り出すことができた。

 ――概要を伝え終わり。

〝なるほどなぁ……〟

〝……〟 

〝記憶喪失ってのは難儀な話だな。状況を聞くに、確かに何かが絡んでんだろうが……〟

 答えを待つ俺の耳に届いたのは、そんな呟き。一通りの説明はしておいた。

 他人の目に映らないという不可解な状況。特徴的な症状のほか、当人には自覚がなさそうなことなど。考えているのか、空けられる沈黙の間に、叢雲のように不安が湧いてきて。

〝……おじ〟

〝――いよし、分かった!〟

 転調。立ち込めた暗雲を晴らす、膝を打つ軽妙さが響いてくる。

〝いたいけなお嬢ちゃんと、黄泉示の漢気の為に、一肌脱ぐとするぜ。放置しちゃあ寝覚めが悪いしな〟

〝っありがとうございます〟

〝礼はまだ早いっての。事件内容と素性の調査、症状改善の線で当たってみる〟

 決まれば小父さんの行動は迅速だ。剃り込まれたグレーの頭の中には、既に幾つかの手段がピックアップされていることだろう。

〝そこまで掛からねえとは思うが、分かり次第連絡入れるぜ。じゃ――〟

〝はい。お願いします〟 

〝――あ、そうそう〟

 頭を下げる気持ちで話を終えようとしたところに、中断が入る。何か。

〝その嬢ちゃん、齢はお前と同じくらいでいいんだよな?〟

〝ええ。……多分〟

 正確には年齢不詳だが、そう違うようには見えない。精々一つ二つ下か、上かというところだろう。

〝よし了解。楽しみに待っとけよ!〟

 意図を判じかねて曖昧に頷いた俺に、最後まで威勢よくそう言って、小父さんとの通話は切れた。ぼやけた電灯の光。

「……ふぅ」

 目を細めて光を遮りつつ、記憶のリプレイを停止する。最後の発言が少し不分明だったが。

 ひとまずやるべきことはできたことになる。かつて父や母と共に活動していた小父さんは、普通でないものの専門家。

 一線を退(しりぞ)いて長いとはいえ、かつて(つちか)った知識や情報網は健在。今回の件について言えば、警察や病院よりずっと頼りになる人物のはずだ。あとは待つことしかできない。

「……?」

 トラブルの解消のためにも、早いうちに手掛かりが掴めればいいが。目を閉じて寝返りを打とうとしたところで、ふと、届いたそれに意識を留める。――今。

 何かが聞こえたような気がした。澄ました耳に響くのは、ドア越しに減衰されている小さな声。間違いない。

 呼んでいる。立ち上がって風呂場の方へ。何か足りない物でもあっただろうか……。

「どうした?」

「――あ、黄泉示さん」

 ドライヤーは渡してあったと思いつつ、廊下から声を掛ける。既に風呂場からは出ているようで、ドア一枚を隔てた脱衣所から洗濯機の音に交じって、はっきりとした少女の声が響いてくる。……やり辛い。

「ああ。何か置き忘れてたか?」

「……その、ですね」

 やましい気持ちがあるわけではないが、向こうが風呂上がりとなると、多少は意識してしまうのも事実だ。想像を散らす俺の耳に届く、言い辛そうな気配。なんだ……?

「……言ってくれれば持ってくる。遠慮はしなくても……」

「きが……」

 ん?

「着替えが、ですね。その」

「……ああ」

 ――そういうことか。

 考えてみれば、そうだ。風呂に入ったなら、次は着替えなければならない。

 着の身着のままで倒れていた以上、少女に替えの服などあるはずもない。本来なら多少の汚れはさておいて、もう一度さっきの洋服を着るところなのだろうが。

 俺の下手なアドバイスによって、その服は今洗濯機の中に放り込まれている。二人してそれに気が付かないとは、色々と間抜けというか……。

「……分かった」

「済みません……。……それで」

「用意してくるから待っててくれ。二十分くらいで戻れると思う」

「えっ⁉ はっ、はい。分かりました……⁉」

 抜けていると言うか。――仕方がない。

 驚いている少女を他所に、早足でリビングへ戻る。少なくとも半分は俺の責任だ。

 女物の服などこの家にはないし、俺の使っているものを渡すのも色々具合が悪い。乾燥まで待っていては時間が掛かる。

 コートと財布を掴んで玄関へ向かう。どの道寝巻きは必要なのだから、買いに行くのが賢明だ。

 ここに来る途中で目印にした『ギムレット』は、幸い雰囲気の悪くなさそうな洋服店だった。時間帯からしてもまだやっているはずで。

 早目に済ませよう。急いで靴に足を入れると、夜の冷気の中へ飛び出した。




「あ、あの……ッ!」

 玄関のあった方角から、扉の閉まる音が聞こえてくる。少しの間耳を澄ませてみても、あとには何も聞こえてはこない。

 ――どうやら黄泉示さんは、本当に服を買いに出て行ってしまったらしい。

「……失敗、しましたね……」

 誰もいない脱衣場で、タオルを巻いた私はそう呟く。正面にある洗濯機の回る音が、やけに大きく響く。

 まさか着替えがないのを忘れたまま、自分で自分の服を洗ってしまうとは。

 今日でも一番の失敗かもしれない。我ながら本当に間が抜けている。そのせいで黄泉示さんが……。

「……」

 先ほどのやり取りを思い返す。――間に合わせのもので大丈夫です。

 待たせてしまってすみません、乾くまで待っています。考えていたはずの台詞は結局、驚きに流されて出てこなかった。事情を察してくれたのは有り難いし、即断で買いに出てくれたのも嬉しい。

 感謝することだと分かってはいるのだが、それでも拭いきれない不安が残る。――用意してくるということは当然、私の着替えを用意してくるということで。

 それはつまり、下着もということになる。居候の身であるわけだから、着けられるものであれば何でも構わないのだが。

 ……それにしては随分、行動に出るのが早かった気がする。

 男性一人で女性物の下着を買いに行く場合、普通、少しは躊躇いがあったりしないだろうか? 馴れているとは余り思いたくない。葛藤も含めて即座に決断してくれたのかもしれないけれど。

 そもそも()はともかく、()を買うには情報が必要だ。それすら訊かずに行ってしまったというのは……?

「……」

 服の上から見ただけで、サイズが判別できる――。

 ……いやいやいや。

 流石にそんなはずはない。それではまるで変態か何かだ。一人芝居にツッコむようにフルフルと頭を振る。黄泉示さんに対しても失礼に当たる。

 きっと咄嗟のことで焦ってしまって、考えが及ばなかったに違いない。うん、きっとそう。

 無難な考えに脱衣場で深々頷く。戻ってきたらちゃんとお礼を――。

「――くしゅっ!」

 唐突な身震い。

 身体を走った寒気に、思わず二の腕をかき抱く。――湯冷めしてきてしまった。

 濡れたままタオルだけで立っているのだから、当たり前だ。迷った末にタオルを外して、もう一度浴室のドアを開くことにする。そこまで湿ってはいないし……。

「ふぅっ……」

 タオルはもう一度使いまわせばいい。お湯に身体を沈めた途端に、溢れる心地よさから自然と息が零れる。温かみが身体に巡って、心と身をじんわりとほぐしていく。ゆっくりと……。

 お湯に漬かる中で、あらぬ想像が頭に浮かび上がってくる。女性ものの下着売り場をうろついている黄泉示さん。

 右往左往しつつ、真剣な表情でものを物色している姿。……うん。

 申し訳ないけれど、不審者にしか見えない。少なくとも傍目には間違いなく怪しいだろう。

 どうか、忘れているだけでありますように……っ!

 待つしかない身である中。私は祈るような気持ちで、目を閉じた。


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