第二十四話 決死
「……」
「……ちょいと遅くねえか?」
五人でフィアを待つ間。
「拾って戻って来るだけだってのに。遠くまで行っちまってると――」
「――大丈夫よ」
やけにゆっくりと時間が流れている感覚を覚える俺たちの前で、懸念するリゲルの反応に立慧さんが告げる。不安を吹き飛ばすようにはっきりと。
「さっきの連絡の通り、カタストにはちゃんと葵が着いてるわ。何かあったなら、とっくに知らせが来てるし」
「さっき先輩がしていたような方法で、ですか?」
「ああ。――簡単な『念話』と言うかな」
頷きを返す先輩。
「通信用の術式で、魔力に声を乗せて相手のところへ飛ばすんだ」
「へぇ、携帯みたいっすね」
「そうだな。ただ、セキュリティについても普通の携帯電話なんかと同じく、原理を知っている技能者には盗聴される恐れがある」
「……!」
「私たちの使う術式は勿論、傍受を防ぐ工夫と改良がされてるが、周囲に気付かれないよう離れた特定の一方向にだけ魔力を作用させるのは、そうでなくとも思ったよりコツが要るんだ。近距離ならともかく、数百メートルや数キロ先に声を飛ばそうと思えば、それなりの魔力も消費するしな」
「意外と使い勝手のいい術式じゃないのよね。まあ万が一、連絡が取れないような事態が起きたとしても――」
両腕を組んだ立慧さんが、改めて自信に満ちた表情を披露する。
「私らと戦えるくらいの技能者が近づいてきてるなら、すぐに分かるもの」
「えっ――」
「っそうなんですか?」
「ええ。気配とか、魔力を感知すればね」
――気配と魔力。
「試験のときのあんたもやったんでしょ? 虚像に紛れた郭の居所を、魔力で感知して」
「あー! あのときのあの感じっすか?」
「そうそう。力のある技能者は大抵、強大な魔力や気配を持ち合わせてるものだから、その分自分の存在を他人に気付かれやすくなるの」
リゲルほど鋭いものではないが、思い起こせば俺自身も、相手の気配を感覚で察知することはこれまでに何度もあった気がする。暗殺者の老人と対峙したときの殺気や――。
「いるだけでも世界に変化を起こしている以上、悟られる余地は必ずある」
「――」
「まあ、それを何とかするために、【気配隠匿】とか【魔力隠匿】っていう技術もあるわけだけど。仮に私たちが気付けないような大物が来てたとしても――」
「リア様の感知から逃れられる人間はまずいない」
雷を操る男と、郭の魔術を前にして感じていたような力の波動。相手の発する信号を、より高い精度で感知することが、術のみならずその使い手自身を捉えることにも繋がるということなのだろう。火をつけていた煙草の煙を燻らせる先輩。
「四賢者の中でも随一と言われる感知能力の鋭さに、蔭水たちも目にしたような【空間】の概念魔術がある。どんな仕掛けを打たれようと、先手は確実にこっちが取れる構えだ」
「なるほど……」
そこまで考えられた上での布陣だったというわけか。秋光さんたちの戦略に頷いたその時。
「あ――」
「――!」
「済みません、立慧さん」
道の先から届いてきた聞き覚えのある声に、俺たち全員の視線が振り向かされる。空と砂地の映る景色の中で、浮き上がる白銀の髪を靡かせて、こちらに向かってきているフィア。
「遅くなってしまって。その……」
「……?」
「落とし物を探している時に、こちらの方にお会いしたんですけど」
幾分言い出しづらさを覚えているのか、申し訳なさげな様子でいるその後ろには、一人の見慣れない人物が着いてきている。――誰だ?
「初めてこの町に来たということで、迷ってしまったみたいで」
「あー、それで遅くなってたのかよ」
「はい。できればその、場所だけでも教えてあげられないかと……」
身綺麗な衣服を着た、精悍な老人。灰色に染まった髪の毛と、顔に刻まれたしわの多さから、年齢は少なくとも七十には達しているように思えるが、俺たちを向く黒々とした両の瞳には、明晰な理知の光が宿っている。……なるほど。
落とし物を見付けた途中で、迷っている老人を助けて遅くなっていたというわけか。フィアらしい理由。
いつ襲撃が来るかも分からない状況下で、人助けに時間をかけるのは用心が足りないと言うべきかもしれないが、葵さんもリアさんも反応していないなら問題はないのだろう。他人を連れているとはいえ、無事戻ってきてくれたことの方に安堵を覚えている中で――。
「……上守先輩?」
「――っ?」
疑問符を浮かべたジェインの台詞で、俺たちの隣で起きていた、異変に気付く。連れ立ったフィアたちを目にした先輩。
「――は」
思わず零れたような一音と共に、開いたままでいる唇から火のついた煙草が空中を落下していく。地面に落ちた煙草を見向きもしない、見開かれた双眸の異様さに疑問を感じた刹那――。
「――離れなさいッッ‼‼」
――ッ鼓膜を突き破るような叫び。
「今すぐ、そいつから‼」
「――ッ⁉」
「ッなんで――ッ!」
耳を打つ立慧さんの剣幕に、フィアのみならず、俺たち全員が反射的に身を竦ませている。――ッなんだ⁉
「葵はなにやってるの⁉ リア様は――‼」
「――駄目だ、繋がらない――ッ‼」
「ちょ、ちょっと、立慧さんッ?」
「――騒がしいことだ」
一体何が、先輩たちをここまで慌てさせている? 状況を掴めずにいる俺たちの間に。
「支部長ともあろう人間が取り乱しては、守るべき人間に不安を抱かせることになる」
「……⁉」
「同行者の動揺を招かぬよう、いかなる事態の中でも平静でいられなくては。――随分と慎重になったものだ」
これまで聞いたこともない、深みを持つ明朗な声が響き渡った。フィアの後ろにいた老人。
迷い人としてつき従うようだった位置取りから、いつの間にか、ニットを着たフィアの、ふわりとした糸を纏う白い肩の隣にまで出てきている。視線を集めても動じない、力の込められた語り口と……。
「高々数時間、部外者四人の護衛に、ここまでの人員を割いてくるとは」
「――ッ」
「レイガス辺りは随分と反対しただろうに。秋光らしいと言えばらしいが」
自分こそが場の支配者であるというような、余裕のある圧をもって見渡す眼差しに、本能的に気勢を呑まれるような感覚がする。……なんだ?
訳知り顔で口にされた内容に、不安が叢雲のように湧き起こってくる。関係者以外には知り得ないはずの情報。
協会にいる秋光さんたちを除けば、俺たち以外には知りえないであろう事実を、なぜこの老人が知っている? フィアに連れられてきただけの人間が――っ。
「……‼」
「……冗談じゃあねえよな」
「……ッなんであんたがこんなところに」
眉根を歪めて相手を見据えている先輩たち。田中さんさえもが額に汗を浮かばせている中で、困惑と動揺に言葉を震わせたままの立慧さんが、気の昂ぶりを抑えるように唇を噛み締めた。
「九鬼、永仙……ッ‼」
「――」
……えいせん?
確かに聞き取れたはずの名前に、思考の理解が追い付かないでいる。……九鬼。
「……えっ?」
「――ッ‼⁉」
「はぁっ――⁉」
「おかしなことを訊く」
永仙⁉ ――俺たちを狙っている敵方の首謀格。
古巣であった魔導協会を裏切り、凶王派と手を結んで宣戦布告までしていると言う人物。全ての元凶とも言えるその本人が――⁉
「私は既に、数多の人員を有する組織の長ではない」
「――ッ」
「探し物があるのなら、自分の脚で訪ねるのが妥当というものだ。――ここには誰も来ない」
今俺たちの目の前に立っている、この老人だというのか⁉ ……俄かには信じ難い。
「秋光が相応の護衛をつけたのと同様に、私も頼りになる助っ人を呼ばせてもらった」
「――」
「かの凶王たちが相手では、四賢者といえども容易くは動けまい。理解すべき事柄としては、それで充分だろう」
だが、目の前の相手の語る言葉の中身と、それに対する先輩たちの反応とが、ただ一つの明瞭な事実を告げている。……凶王。
レイガスが前に言っていた、秋光さんたちと同格の技能者たち。それを今永仙がこの場所に連れて来ているということは。
「……っ随分大胆な真似してくれるじゃない」
絶体絶命と言えるこの状況下でも、リアさんたちは俺たちを助けには来られない? 辛うじて気迫を失わないでいるような立慧さん。
「三大組織全体から追われる身のくせに、白昼堂々と現れるなんて。こんな場所で姿を晒して、どうなるか分かってるの?」
「……!」
「今回の外出を知ってるのは、うちとあんたたちだけじゃないわ。他の二組織だってすぐに――っ」
「――そうだな」
自分に注意を引き付けようとする意図を汲み取っているのか、先輩と田中さんが傍目からは気づかれないほどじりじりと立ち位置を変えている。……ッ不用意には動けない。
「確かに長く留まるのは問題だ」
「……っ!」
「協会のみならず、他組織の戦力が駆けつけてくる恐れもある。――なら」
仮にフィアを助けるための行動を見せたなら、俺たちの側の誰かが死ぬ。そのことを確信しているかのような慎重さだ。――頷き。
「手早く要件を済ませるとするか――」
「……!」
支部長という協会でも高レベルの戦力を前にしているはずの永仙が、悠々と先輩たちから視線を外す。冷ややかな意図を秘めた眼差しの向く先は、
フィア――っ……!
……っ。
――峻烈なイメージ。
全ての光を失った死体の瞳。レイガスから見せられた惨劇の光景が、現実と重なり合う形でフラッシュバックする。……っ嫌だ。
記憶の中で何度も目にした畳敷きの和室。ぬめる血だまりの中に膝を突く人影が、腹から突き出す刀身の冷たい輝きが、怖気の這う鉄錆の臭いを連れて俺の全身に迫ってくる。――ッ嫌だ。
俺は――ッ‼‼
「――」
伸ばされた永仙の指先が、翡翠色の目を見開いて固まったままのフィアの髪に触れる寸前。
「――〝終月〟ッ‼」
「――っ⁉」
叫びと共に喚び出した得物を掴み取る。全身から【魔力解放】の暗めきを立ち昇らせ――‼
「――ッッ‼」
「――蔭水ッッ‼」
「馬鹿ッッ‼ ッ止まりなさいッ‼」
力を込めた右脚で地を蹴り出し。先輩たちの制止も無視して、渾身の勢いで飛び出した‼ ……っそうだ。
無理だということは分かっている。目の前の相手、九鬼永仙は、俺が敵うレベルの技能者ではない。
今は離反したとはいえ、かつては魔導協会のトップを務めていたほどの人物。昨日相対したレイガスや、信じ難い芸当を披露していたリアさん、秋光さんらと同格の相手であって。
日頃修練を受けている先輩たちや、試合場で対峙した郭よりも力量は遥か上。勝てる道理などあるはずもなく――ッ。
「――‼」
それでも構わない。実力の差は圧倒的。
だとしても、九鬼永仙は魔術師だ。術式とそれに伴う詠唱の技法を用いて戦う技能者。
先日本格的に体感した、郭と同じ種別の技能者であることだけは疑いようがなく。不得手な近接戦闘を仕掛けようとする相手には、必ず注意を向けてくるはず。――っ一瞬だけでいい。
一瞬でも俺の方に意識を引き付けることができたなら、必ずリゲルやジェインが隙を作ってくれる。先輩たちが――‼
「――ッ‼」
絶対に、フィアを助け出してくれる。消耗を考えない全霊の踏み込み。
肺腑の中の息を全て吐き出し、回避も防御も捨てた愚直な突進で、永仙までの距離を刹那に詰めることに成功する。――機会はこの一瞬だけ。
〝立ち向かうべき相手に加減などするな〟
俺に対する相手の力の見極めが終わっていなく、手のうちも知られていない、今この一度きりしか無いのだ。脳裏に蘇る郭の言葉。
〝死にたくなければ、必ず殺す気で振るうことです。正真正銘の全力で〟
それまでの試験の中では見せていなかった、真剣な眼差しが思い返される。……そうだ。
目の前の相手は遥か格上。殺すつもりなどないとしても。
加減も何もかも、今この瞬間には無用なものでしかない。例え一瞬でも隙を引き出そうと思うのなら。
自分の全てをもって――ッッ‼‼
「――ッッ‼‼」
当たるッ‼‼ 裂帛の気迫で振り出した【無影】。
地面を踏み割るほどの力を乗せ、刹那に発動した【魔力凝縮】のパンプを受けた全身が爆発するような勢いで加速する。佇む老人の胴体に――。
黒塗りの刀身が届く直前、俺は、この一刀の直撃を確信していた。




