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彼方を見る者たちへ  作者: 二立三析
第四章 魔導協会での生活
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第二十二話 小さな幸せ

「――ッ」

 晴れやかになる視界。

 体重を乗せたスニーカーの底ゴム(アウトソール)を通じて、足裏に地を覆う細かい砂の粒子の感覚が伝わってくる。頬を撫でる風。

 澄んだ涼しい空気の中に混じって、人の話し声と煮炊きの匂いが届けられてくる。隣から――。

「く~ッ!」

「――」

「……外ですね」

「そうよそうよ!」

 伸びやかに上げられる解放の声。感慨深げに呟いたフィアの真横から、グローブを嵌めたリゲルの拳が前に突き出された。

「どこまでもだだっ広く続いてる大地と空!」

「――」

「作り物じゃねえ。ひさっびさの外だぜ!」

 感嘆を込めて吐かれる長い息に、自然と心が湧き立ってくる。魔導協会の本山を出て――。

 ゲートから外に降り立った俺たちは今、高地に広がる町の入り口にいる。――一時間ほど前。

〝――用意はいいか?〟

 外出に向けての準備を整えた俺たちは、最後の確認として先輩たちから話を聞いていた。仄かに光を湛える法陣の前に揃った六人の集団。

〝今回外出先とするのは、大陸の田舎町〟

〝――〟

〝蔭水たちの通ってた学園の付近は相手に張られている可能性もあるため、可能な限り関係のない地域を選んである。時間帯は十四時から十七時までの三時間〟

〝うっす!〟

〝午後のうちに出て、陽が暮れる前までに撤収する。――行動中は常に、私たち三人が全員の近くにつく〟

 説明の手を止めて、こちらを見回す先輩の仕草に、控えている立慧さんと田中さんが応じてくる。真剣な眼差しで俺たちと目を合わせて。

〝行動に当たって特別な制約は設けないが、人混みに突っ込んでいったり、安易に(はぐ)れたりするような行動は避けて欲しい。自分たちでも周りに気を配ってくれ〟

〝了解です〟

「いやぁ~、しっかし――」

 並んで歩いていく俺たちの間から、浮足立って仕方がないという風に辺りを見回していたリゲルが、潜望鏡のように額に着けていた手を下ろす。ふむ、ともっともらしく頷いて。

「始めて来る場所っすけど。田舎の方にしては、活気があるみたいでいいっすね」

「『山安霊門』は、この辺りじゃ割と大きな町だからな」

 相槌を打った先輩が、口に噛んだ紙巻き煙草(シガレット)に金属製のオイルライターで火をつける。背丈の関係もあって……。

「伝統的な山間での生活様式に加えて、商工業が発達してる。遺跡なんかがある土地からは少し離れてるから、観光客は余り来ないらしいが」

「いや、なんつうか、それが(ひな)びた秘境、って味わいを出してる感じでいいっすよ。変に都会化してない分、景色も良くて空気も上手いですし!」

「――騒がしいゴリラだな」

 二人が並んでいると、煙草さえなければまるで兄妹か何かのように見える。はしゃぐ様子に溜め息を吐きつつ、気に入らなさげな視線を差し向けたジェイン。

「暫くぶりの外出とはいえ、僕らは別に遊びに来ているわけじゃない」

「――」

「今後に繋がるかもしれない重要な場面だ。本来の目的を考えれば、少しはクレバーに振る舞えると思うが?」

「はぁ~っ? なに頓珍漢(とんちんかん)なこと言ってやがるよ」

 呆れ気味の注意を受けたリゲルが、般若のように顔を崩して、けッと顎をしゃくる。

「テメエみたいな仏頂面して周りを睨んでちゃ、あからさまに警戒してます~ってアピールしてるようなもんじゃねえか」

「――」

「外に出て来たからには、目一杯この機会を楽しむ! ついでに相手の油断を誘って、ふん捕まえられれば一石二鳥ってもんだぜ」

「それは――」

「……一理あるかもしれないが」

「……っ何が一石二鳥だ」

 ぶっちゃけリゲルは、久々の外出でテンションが上がっているだけなんじゃないか? ジェインが額に青筋を浮かばせ――ッ。

「貴様のような浮かれ気分で、いざと言うときに対応できるわけがあるか。試験のときの独断専行といい――!」

「――はいはい」

 いつもの衝突を繰り広げる直前、俺とフィアが止めに入るよりも早く、立慧(リーフイ)さんが二人の間に割って入ってきた。子どもの喧嘩を見るように軽く息を吐きつつ。

「その辺にしときなさいよね。こんなところで騒いでも、目立つだけだし」

「――」

「今のあたしらはあくまで、あんたらの要望に合わせて息抜きのために出てきたって設定なんだから。仲間内で喧嘩なんてしてると、せっかくの三時間があっという間に過ぎてくわよ?」

「立慧の言う通りだ」

 気まずげな表情を見せた二人に向けて、先輩が更に鎮火の材料を追加してくる。

「この外出には、(あおい)の伝えたような仕掛けとしての目的も確かにあるが、それが全てってわけじゃない」

「――」

「普段は本山の中にいるお前たちに、憂さを忘れて羽を伸ばして欲しいってこともある。(かく)との試験でお前たちは、それが叶うだけの成長を示したわけだしな」

「……そうですね」

 口にされた言葉の意味を噛み締めるようにフィアが頷く。……そうだ。

 今日この外出は、それまで単に保護されるだけだった俺たちが、初めて自分たちの力で掴んだ機会。次がいつになるかも分からない、

「リゲルさんも、ジェインさんも」

「今日は楽しく行こう」

「……まったく」

「しょうがねえな」

 貴重な時間であって。そのことを再認識してか、じろりと気に食わなさげに見あった二人が視線を逸らし合う。変わらない仕草にフィアと小さく苦笑いを零しながら、両側に店の並ぶ通りの中へ足を踏み入れた。

 ――

 事前の説明によれば――。

 余りに大人数の護衛であったり、あからさまな力量のある人物が固まっていたりしても襲撃を未遂に終わらせるだけなので、葵さんとリアさんは姿と気配を隠して離れた位置から警護を行うとのことだった。これが俺たちの常識内の話であるのなら、

 距離を取っていて大丈夫なのかと危惧するところではあるが、リアさんの空間魔術の効力については、以前の邂逅で実際に目にしている。いざというときでも瞬時に俺たちの元へ移動してこられるのに疑いはなく。

 本番となる今日にはその二人だけでなく、十人近くの職員も本山でバックアップの体勢を整えているらしい。――準備は万全。

 凶王派の人間が飛び込んでき次第、捕まえる用意はできているということになる。思い描いた裏事情に、軽く深呼吸をしながら――。

「そういえば……」

 気になっていたことを口に出す。ジェイン。

「ん?」

「昨日リアさんに連れてかれたあと、夕飯のときにも帰ってなかったけど、何かあったのか?」

「――ああ」

 ――そう。

「まあな。食堂から飛ばされたのち、ファレルさんの私室という部屋に入れられてな」

「へえ」

「四賢者の個室というだけあって、色々と奇天烈な道具が置いてある場所だったが、そこで幾つかの質問やチェックを受けた」

 郭のところへ謝罪にいったリゲルは昨日、昼飯のときには帰って話を聞かせてくれていたが、ジェインは夕飯の終わるころになっても戻ってきていなかった。夜のうちには帰っていたらしく。

「質問の意図は不明だし、何を知りたかったのかも分からないが、一通り答えると興味が失せたようで、時間が潰れたことを抗議したら、最後に書庫の鍵をくれた」

「書庫の鍵?」

「魔導協会本山の書庫には数百万を超える魔術関連の蔵書が収められていて、大きく三階層からなっているんだが、普通に入れるのは一階層までなんだ」

 今日の朝には顔を合わせていたが、外出の説明と諸々の用意とで、今までそのことについて話せるタイミングがなかったのだ。眼鏡を上げて解説するジェイン。

「これまで僕もその範囲で知識をつけていたが、リアさんの権限で特別に二階層までの鍵を貸してもらった。目を通せる本の量が格段に増えたもので、読みふけっていたらいつの間にか、深夜になってしまっていてな」

「そうだったのか……」

「そういや――」

 レイガスの安全の保障だけでは気になっていたが、それならむしろいいことだ。――リゲル。

「試験で賢者見習いに実力を認めさせたってのに、先輩たちからは何もなしっすか?」

「ん?」

「可愛い教え子が奮闘したんすから。合格祝いとかで、なんか奢ってくれてもいいんすよ?」

「え――」

「……中々に強請(ねだ)り上手だな」

 冗談めかした口調で言うリゲルに、苦笑気味な顔をした先輩が肩の力を抜く。

「満漢全席ってわけにはいかないが。まあ、クレープくらいなら奢るのもありか」

「――」

「マジっすか?」

「いいですよ、そんな」

「カタストたちが頑張ったのは事実だからな。少し遅くはなったが、私からの(ねぎら)いみたいなものだ」

「やれやれ。千景(ちかげ)は甘いわね」

 先輩が案外乗り気な姿勢を見せてくる。自分でも意外そうな顔をしたリゲルの前で、肩を竦める立慧さん。

「甘やかしてもいいことはないんだけど。ま、生意気な天狗の鼻も明かせたことだし、あんたたちが昨日問題を起こさなかったことも考慮して、私からも飲み物くらいは奢ってあげるわ」

「ヒュー! 太っ腹っすね、流石!」

「っその褒められ方は嬉しくないけどね……」

「いいんですか? 本当に」

「支部長だからな」

 尋ねた俺に、頷きながら先輩は早くもクレジットカードを出している。

「これでも一応、生活費に困窮するようなことはない。贅沢をするほどの余裕はないが、協会から色々と手当てが出てる」

「役職のない方はまた違うんだけどね」

 立慧さんも、事前に用意していたらしい財布から、幾らかの札と硬貨を取り出す。

「支部や本山で何かしらの仕事に従事してる人間には手当てがつくけど、所属してるだけだと逆に、協会費を取られるわ」

「そうなんですね……」

「所属してるだけでも色々と恩恵はある。他の組織からの保護や、特殊技能絡みの事件に巻き込まれた際の補償、調査など」

 神妙に頷くフィアに、先輩が捕捉の説明を付け加えた。

「簡単に言えば、技能者界でも屈指となる組織の庇護が受けられるってことだな。技能が使えると言っても、誰もがそれを生業(なりわい)にしようと思うわけじゃない」

「お前ら甘いもんばっかか~? 俺は当然、つまみとビールで――っ」

「あんたは私と一緒に自腹!」

 調子に乗った田中さんが(はた)かれている。――確かにそうか。

 何かしらの事情で知識や力があるとしても、誰もがそれを自分の軸にしたいと思うわけではない。下手に関わりのある要素を持ってしまっている分、トラブルに巻き込まれるということも多くなるはず。

「あざあっすっ!」

 そういった面倒事を避けられるのなら、金銭を払ってでも所属する意味はあるのかもしれない。各人が頼んだクレープを受け取り。

「く~っ、うめぇ~っ!」

「静かに食えないのか、貴様は」

「これじゃお子様じゃねえかよ……」

「っ仕事中に酒飲んでんじゃないわよ、まったく」

 頼んだ酒を取り上げられてジュースを渡された田中さんのぼやきを耳に、歩いていく。……新鮮だ。

 どこまでも真っすぐに続いている道。出店や露店からは活気のある売り文句と歓談の声が響き、走る子どもたちの笑声が柔らかな拍子となって伝わってくる。やけに気分がいい。

 実生活面では不自由のない待遇を受け、色々と刺激的な体験もしたことで、そこまで鬱々とした気持ちは抱え込んでいないつもりだったが、こうしてのびのび陽の光の下を歩けるというのには、また違った解放の感覚があるのかもしれない。リゲルたちとの喧騒。

「美味しいですね――」

「皮がモチモチで面白いな」

 魔術師である先輩たちも交えながら、普通でない事柄とは離れた日常の場面を過ごしている。こんな穏やかな時間が。

 ずっと――。

〝――これが顛末だ〟

「――ッ」

 不意に。

 頭の奥に響いた厳めしげな老人の声に、高揚していた気分が水を浴びせ掛けられたように冷えていく。……そうだ。

 例え協会から遠く離れた場所にいるとしても、俺たちは決して自由になったわけではない。レイガスのあの言葉。

 あのとき見せられた死のイメージと、身と心を凍りつかせるようだった恐怖の感覚が蘇るたび、指先から身体の熱が奪われていく気がする。……遠くないうちにあるという、魔導協会を含んだ組織方と凶王派の衝突。

 聞かされた内容は今でも俺の脳裏に克明に焼き付いていて、忘れることなどできない。不安がないはずもない。

 自分事として明確に意識することはできないにしろ、迫り来ている災害の話を耳にしているときのような、漠然とした緊張がどこかで根を張っている。顔や態度に出していないとはいえ……。

「学園の周りで食ったのも美味かったけど、こっちも負けてねえよな」

「そうですね」

「……」

 あの日同じ体験をさせられた、フィアもその点は同様であるはずで。……どんなことを考えているのか。

「――どうした、蔭水(かげみず)

 不安や恐怖を押し殺してはいないのか。普通に見える仕草の裏にある心に思いを馳せて黙り込んでいた俺に、やや低い位置から温かみの滲む声がかかってきた。――先輩。

「硬い表情をして。クレープは口に合わなかったか?」

「いえ……」

 綺麗に纏められた胡桃色のポニーテールを揺らし、手には先ほど買った胡麻(ごま)(あん)バナナのクレープを持っている。……フィアたちからは少し離れている。

「……済みません、先輩」

「どうした?」

「試験のときの郭と、昨日会ったレイガス……さんから聞いた話なんですが――」

「――」

 ここで訊いても聞かれることはないだろう。四賢者の名前を口にした途端に、先輩の表情がはっきりと変えられた。厳しげな表情のまま。

「協会を裏切って、今は凶王派にいるという人物……」

「……」

「組織方に宣戦布告しているという、九鬼(くき)永仙(えいせん)という人物は、どんな人間だったんですか?」

 俺の問うた内容に、口を結んでくる。……沈黙。

「……そうか」

 僅かな迷いの色を含む空気のあとで、自分を納得させるように頷いた先輩が、静かに口を開き直す。

「様子がおかしいとは思っていたが、そういうことか」

「……」

「弟子だけじゃなく、本人まで動いてくるとはな。余程のこと決定に不満があるらしい」

 表情に覗く複雑な陰影。一枚岩ではないのだる協会の内部事情を思ってか、小さく息を吐いて。

「――事が起きるより先に事件を解決する手がかりを見つければ、組織側の事情に蔭水たちが巻き込まれることはない」

「……!」

「知ればかえって負担になることもある。秋光(あきみつ)様たちや私たちとしては、そういう考えだったんだがな」

 そう口にする。……そうか。

「事情を聞いたなら、気になるのは当然だ」

「……」

「質問に答えよう。――蔭水の今言った通り」

 今こうして一緒にいて、日々の指導などを共にしていると忘れそうになることではあるが。……先輩たちと俺たちとでは、そもそもの立場が違う。

「九鬼永仙は元々、魔導協会の大賢者だった魔術師だ」

「――」

「リア様を始めとした四賢者全員に認められ、数百万人の頂点として、組織を引っ張っていた。いつも忙しく飛び回っているような人だったから、私もそう何度も話す機会があったわけじゃない」

 特殊な技能に関わりがあるとはいえ、俺たちはあくまでも無所属の人間。命を狙われているからこそ保護されているだけであって……。

「一協会員として見ていただけで、(おっ)(けん)も含んでの話になるかもしれないが……」

「……」

「――立派な人だったよ」

「――っ」

 組織に属する先輩たちとは違い、自分たちから協会と凶王派の問題に関わる理由はないのだ。――その一言。

「秋光様と同じ、凶王派との対話路線を掲げる立場を取っていた人でな。賛同者たちと協力して、穏健派という方針を新しく立ち上げた」

「……」

「始めは人数も少なく、困惑や反発も多かったが。――〝何を言ってるんだ?〟」

 言葉のうちに含められた、間違いようのない感慨を耳にする。かつてその中に身を置いていた日々。

「そんなことができるはずがないし、考えられもしない」

「……」

「不可能なんじゃないかと、私もそう思っていた。だけど……」

 自分にとって最も輝いていた時間を語るときのような、懐かしさを含んだ色。先輩の口にする言葉と――。

「大賢者として協会を引っ張り、様々な問題の解決に奮闘するあの人たちの努力を見ているうちに、そんなことは気にならなくなっていった」

「――」

「見ている人間も思い始めてきたんだ。――できるかもしれない」

 語調に力が籠る。あったのだろう確信。

「成立の経緯から対立してきた凶王派と組織方との間で、本当に共存する関係を築けるかもしれない。思いもしなかった景色を、見られるんじゃないか」

「……」

「理想と言えるはずの明日を、自分たちで実現できるんじゃないかってな。……まあ」

 見据えていたはずの展望を口にして、思いの丈を語ってきた横顔が、フッと疲れたような愁いを帯びた眼つきになる。

「半年前に起きた当人自身の離反で、全ては振出しに戻された」

「――っ」

「当時の協会は相当の混乱に陥って、騒動が落ち着いた今でも、穏健派の路線を唱える人間はほとんどいなくなった。中には始めから離反は計画済みで、対話を唱えることすら仕込みだったんだという人間もいる」

「……そうなんですか?」

「さあな」

 問いの意味を微妙に取り違えた先輩が、遠くの空を見るように視線を上げる。

「真意は永仙自身にしか分からない。何を考えて協会を離反したのか」

「……」

「何を思って穏健派という夢を捨てたのか。秋光様たちも含めて、私もそれを知りたいと思ってるのかもしれない。――済まないな」

 自分自身を叱責しているような表情でいた先輩が、再度俺の方に向き直った。

「蔭水たちからすれば、到底納得できない話だろう。凶王派と永仙の共謀で、命を狙われてる」

「……!」

「日常を壊す理不尽を巻き起こした相手だ。私としても、永仙のそういった行いについて擁護するつもりはない」

「……いえ」

「――なーに辛気臭い話してんのよ」

 湯気の立つ饅頭を持って割り込んできた立慧さんが、がっと千景先輩の肩を引き寄せる。その場で何回かくるくると周り。

「おい、立慧――っ」

「まったく、あの伝統派の師弟にも困ったもんよね」

「――?」

「こっちの方だって色々と考えがあるってのに、自分勝手な思惑で掻き回してくれたりして。――どれだけ凄い魔術師だろうが、裏切り者は結局裏切り者よ」

 真ん中から二つに割られた小麦粉の半球。八角の香りの昇る肉まんを食べながら口にする立慧さんの言葉には、とうに事情を割り切っているような冷静な響きがある。何度もそのことを考えた上で。

「自分が負ってる事柄の重さを考えたなら、そんな真似は絶対にできなかったはずだわ」

「……!」

「凶王派と組んだのだって、組織に追われる自分の保身を考えた結果でしょ。凶王派と三大組織の全面衝突なんてことになれば、どれだけの被害が出るかも分からないってのに」

 導き出した答えとして、本気で軽蔑しているように小さく舌を打つ。……新たにされた情報。

 漠然と抱いていた不安とは別に、先輩たちの話を聞いたことで、俺の中で今までとは異なる疑問が深まってくる。……九鬼永仙。

 魔導協会の頂点を担うほどの実力者であり、秋光さんの友人で、かつては敵対する勢力とも共存の路線を掲げるような人物だった。その全てを裏切って古巣相手に戦争を仕掛けようとしている人間が……。

「――ったく、おい、おい上守(かみもり)!」

 なぜこんなタイミングで、俺たちを? ――田中さん?

「どうした?」

「どうしたもこうしたもねえよ。――っ若者の相手を、俺に任せんなっての」

 ゼイゼイと息を吐く田中さんは、この短時間で額に汗までかいている。リゲルとジェインのやり取りで疲弊したのか……。

「二人にしとくと爆発しやがるし、あっちこっち動き回るしで、バイタリティが違えよ。長年こき使われた年寄りに重荷を背負わせるとか、年長者へのいたわりってもんがねえのかねぇ」

「なによ、だらしないわね」

 弱音を吐いている姿に、饅頭を一気に飲み込んだ立慧さんが物言いたげに自分の腰に手を当ててみせる。

「年寄りとか言ってる割に、あんたまだ五十四とかでしょ? いつも部下に仕事を押し付けてばかりなんだから、こんなときくらい根性見せなさいよ」

「っまだ五十ね。俺の知る誰かさんなんてのは、じき三十(みそじ)になるってので焦ってるように見えてたが――」

「――タブーについて言うのはこの口かしらね~ッ⁉」

「ふぁぐッ! ひゃめろっへの!」

 凄みのある笑顔でキレる立慧さんに、摘まんだ口を伸ばされる田中さんが抗議の叫び声を上げている。……明らかになっていないことは多い。

「ったく、二人とも引率なんすから、そうやって一々突っかからないでくださいよ」

「まったくです。人目のあるところで自分の感情を制御できないのは、年齢に相応しい振る舞いとは言えないのでは?」

「よくそこまで自分を棚上げにできるな、お前たち……」

 だが、その騒々しさで少し、ざわめく胸の感覚が治まった気がする。リゲルたちと先輩たちが騒いでいる中で――。

「――出店を見てるのか?」

「あ……」

 少し離れたところで動きを止めている、フィアの姿に近づいた。振り返りざまに揺れる翡翠の眼。

「はい。デザインが素敵だと思って……」

 しゃがんで腰を下ろした背中。暖かな陽の光を照り返して煌めく白銀の髪の零れる前にある露店には、色も形も違う様々なアクセサリーが並べられている。中央にある簡易な木の丸椅子には、慣れた様子の店主が座ってパイプをふかしており。

 商品の並ぶ布の広げられた隣には、他にも何人か好みの品を物色する客がたむろしている。……こういうものは普段あまり見ない。

「確かに結構、よさげな品揃えに見えるな」

「そうですよね……」

 自分が着けるわけでもなく、興味も引かれないからだが、実物を見れば綺麗だとは思わされる。草花や蝶などを模して作られた形。

「好みもあるんだろうけど、これだけあると迷うよな……」

「……黄泉示さんは」

 ブレスレットや指輪、ネックレスなど、磨かれた木や金属の素体の並ぶ中で、ときおり嵌められた赤や青などの石が透明感のある静かな輝きを放っている。流石にそこまで高価な品は置いていないらしいものの……。

「黄泉示さんは、どれが似合うと思いますか?」

「え?」

 どれも値段に比べて安っぽい感じはせず、品物自体は割とよさそうだ。唐突な問いかけ。

「……フィアに、ってことか?」

「……はい」

「……」

 想定外の台詞に訊き返した俺に、フィアは真面目な表情で頷いてくる。幾分緊張げに俯いている瞳。

「そうだな……」

 正面に注がれる視線に混じっているその不安に、真剣なものを感じさせられて、改めてアクセサリーの方へと向き直った。……正直な話。

 ――この手の装身具を選ぶセンスは、俺にはまったくと言っていいほど無い。普段着るものの洒落(しゃれ)具合など気にしていないし。

 (はた)から見て無難に纏まっていて、奇天烈さで悪目立ちしなければいいか、くらいにしか考えたことがない。身だしなみは最低限度。

 ファッションに気を遣うというのは、俺からしてみれば極めて遠い世界の話であって。実際前にフィアのパジャマを買いに行ったときにも、回答が分からず真っ先に店員の助けを求めたくらいだった。

 だが……。

「……」

 俺と並んで目の前のアクセサリーたちを見つめつつ、心待ちにしているようなフィアの横顔。はっきりとした心情は分からない。

 だとしても、こうして答えを求めていることからして、フィアからすれば重要な問いかけなのだろうことくらいは推測できる。昨日レイガスに見せられた幻……。

 いつも通りに振舞ってはいても、気にせずにはいられないだろう内容が頭を過り。……正直言って自信はない。

 だが、相手がこうして自分の選択を待っているのなら、例え苦手な分野だとしても、真剣に応えるのが筋というものだろう。――特徴的と言えるフィアの容姿。

「ふぉお、これ、美味いっすね!」

「ちょっと、私にも寄こしなさいよ」

 日頃(そば)で目にしている彼女の振る舞いと人間性に、これまでの関わり合いから思い起こせる限りの知識を引き出して想像をフル回転させる。背後で響いているリゲルたちの騒ぎ声を耳に受けつつ、たっぷり三分間ほど悩んだ末――ッ。

「……っこれとか」

「――」

 慣れない思考に疲労を覚えながらも、並べられた商品の中から俺は、一つのアクセサリーを選び出していた。鳥の片翼を(かたど)った、

 刺繍製のブローチ。光沢のある空色から純白の白へと変わるグラデーションは鮮やかで、装いとして重すぎないことから、フィアの普段着ている衣服に合わせても違和感はないように思える。軽やかで。

「……」

 繊細な刺繍ならではの温かみのある流線が、空を自由に羽ばたくイメージを見る者に伝えてくれる。彼女の白銀の髪と、翡翠の眼。

「……素敵ですね」

 少しあどけなさのある顔立ちにも、ピッタリ嵌まるイメージで。じっと見つめていたフィアが、自分でも気に入ったように頷いた。

「柔らかくて、可愛くて」

「……大丈夫そうか?」

「はい。ありがとうございます」

 スイレンのように顔をほころばせる。……良かった。

「選んでいただいて。いきなり言ってしまって……」

「いや」

 悩みに悩んだ末の決断だったが、どうにか喜んでもらえたようだ。ほっとするような、こそばゆいような感覚を覚えた俺の前で。

「じゃあ……」

「――?」

「これと、こちらのものを下さい」

「あいよ」

「二つ買うのか?」

「はい。トラット・メンタで働いてたときの、バイト代があるので」

 俺の手にしたものに加えて、フィアがもう一つ別のアクセサリーを店員に渡す。強面髭面の店員が、見た目からは想像できない手際の良さで商品を包み。

「――まいどあり! お二方」

「いえ」

「ありがとうございます」

 手渡された二つの紙袋。ブローチの入っている方を自分に近づけたフィアが。

「っどうぞ、黄泉示さん」

「――え?」

 もう一つの袋を、俺に向けて差し出してきた。――。

「……俺に?」

「はい。その……」

 数秒の硬直。脈絡のなかったような贈り物に、フィアが少し言い淀むような表情を覗かせる。

「日頃お世話になっていることのお礼、ということで」

「――」

「額としては全然、大したものじゃないんですけど。っあ、掛かっていた食費や生活費については、きちんとお返しするので」

「……いや」

 勘違いされることに思い至ったのか、慌てて取りなしてくるフィア。……どうしよう。

「あくまで気持ちというか。日頃の感謝というか、その……」

「――大丈夫だ」

 予想もしていなかった行為を前に、咄嗟に言葉が思いつかない。何とかそれだけを口にして。

「気にしてない。なんていうか、その……」

「……!」

「……開けてみてもいいか?」

「――っはい」

 見つめるフィアの前で、テープで止められた紙袋を開封する。素朴な茶色の包装紙の中から現れたのは――。

「これは……?」

「……うさぎのキーホルダーです」

 うさぎの顔の形をした、可愛らしいキーアクセサリー。デフォルメされた意匠になっており。

「アクセサリーなんですけど、お守りとしても使えるらしくて」

「……」

「鞄とか、携帯とかにもつけられるみたいなので。邪魔でなければ……」

 刺繍でつけられた赤い目と、ちょびりと伸びた耳。×印を描く口を囲む、どことなくもっちりとした輪郭線が、コミカルな愛嬌のある雰囲気を醸し出している。じわじわと湧いてきている感情。

「――ありがとう」

「――」

 胸を一杯にするその気持ちが、純粋な喜びなのだと理解したときには、言葉が口から零れ出ていた。

「嬉しい。大切にさせてもらう」

「――っはいっ」

 不器用に気持ちを伝えた俺に、フィアが花のように明るい笑顔を見せてくれる。――っ良かった。

 外出について色々と迷いもあったが、今は本心からそう思える。目の前にある彼女の微笑み。

「――おお~? 何やってんだ?」

「あ」

 この笑顔を見ることができて、本当によかったと。――っ田中さん。

「二人して見つめ合っちまって。何やら怪しい雰囲気――」

「――あんたは首突っ込むんじゃないの!」

 アイアンクローをかました立慧さんが田中さんを遠ざける。騒がしくも賑やかに流れていく空気に、二人してくすりと笑みが零れた。



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