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彼方を見る者たちへ  作者: 二立三析
第四章 魔導協会での生活
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第二十話 古木は曲がらず



 ――魔導協会総本山の八階層。

「……」

 飾り気のない質実な調度品が秩序正しく並べられている室内で、四賢者たるレイガスは今、白色の椅子に腕を組んで座している。自分、並びに弟子である(かく)に与えられた専用の個室。

 賢者以上の権限を持つ人間の許可がなければ入ることはできず、道具の整った理想的な環境で、つまらぬ邪魔の入る余地なく修行に専念することができる。積み重ね磨き上げてきた力の報酬と言えるはずのそこに――。

「……っ」

 今、一人のあからさまな部外者の姿があった。――リゲル・(ギャンビット)・ガウス。

 一般社会の規範服であるスーツを身に着けた、協会内では通常見かけることのない出で立ちから、レイガスは報告書にあった目の前の人物の名前を思い起こしている。……秋光(あきみつ)が抱え込んだ四人の情報源のうちの一人。

 凶王派と永仙(えいせん)に命を狙われ、その狙いの一端を担わされているかもしれない重要な立場の参考人。昨日の試験での意図せぬ帰結によって、明日の外出が決まっている人間でもあるが……。

「……」

 諸々の事情が絡むとはいえ、今のところ一介の部外者に過ぎないと言えるこの青年が、何ゆえ自分たちのいるこの部屋を訪れることになったのか。

 訪問の理由についてレイガスに心当たりはなかったし、今でも思い当たるような節はないでいる。馴染みのある魔力の拍動を感じ、確認のために外に出てみたところ、単身置き去りにされているこの青年の姿を発見した。

「……どうしてここにいるんですか?」

 妙な動きをされるリスクのある人物を放置するわけにもいかず、やむなく迎え入れたというだけの話なのだが。口を開いた郭。

「人間の服を着たゴリラのような存在が。ここは一応、魔導協会の機密事項とも言える場所なんですが」

「いや……」

 歯切れの悪い反応。

「昨日の件で、少し話しときたいことがあってよ」

「はぁ?」

「部外者は入れねえってことで、どーしたもんかって悩んでたら、リア・ファレルって婆さんが現れてな。部屋の前までなら連れてってやるってことだったんで、連れてきてもらった」

「リア・ファレル……?」

 青年の言葉を受けた郭が、(いぶか)しげな表情のまま、判断を仰ぐようにレイガスを見遣ってくる。――早くこの闖入(ちんにゅう)(しゃ)を追い出し、修行を再開したい。

「……」

 瞳の奥にある心情はよく理解できるほどで、レイガスとて問題がなければすぐさまそうしている。元よりこの青年の訪問については、事前に何の連絡も受けてはいない。

 例え青年の言葉の内容が真実だったとしても、そこから先を取り合う必要はレイガスたちにはない。そもそも本当に火急の用件であるのなら、わざわざ部屋の前に置いていくなどという迂遠な真似はしないだろう。

 だが……。

 ――リア・ファレル。

 現四賢者の中でも最年長を誇る魔術師であり、歴代の賢者の中でも最も長い活動期間を誇る人物の名前がレイガスの思考を引き止める。齢七十を数え、

 他から見れば充分に古老と言われる立場のレイガスであっても、彼女を前にすれば若造との(そし)りを免れることはできない。立場にそぐわない破天荒な行動も多い人物ではあるが……。

 魔術師として類まれなるセンスと才覚を持ちながら、それに溺れることなく腕を磨き続け、今より凶王派との対立が激しかった時代に大賢者を務めあげていた人物として、リアのことをレイガスは心から評価していた。……敬意を表すべき相手。

 現行の協会ではごくまれな、その部類に入る相手であることは間違いない。そしてこの青年の訪問が、少なからずリアの意向を反映したものであるのなら。

「……」

 ――予定外の出来事とはいえ、この青年を無下に追い出すわけにはいかない。

 不歓迎の気配を前にしてただきまり悪げに座っている青年ではあるが、今こうして相対しただけでも、相手の持つ才覚をレイガスははっきりと感じ取ることができていた。……重力魔術に対する支配級の適性に加えて。

 賢者見習いとして練磨してきた郭の【魔力隠匿】を看破する感知能力。門外ではあるものの、肉体のオーラと報告書の内容を合わせれば身体的にもかなりの鍛錬を積んでいることが(うかが)える。気の流れの把握と制御に対する成長も極めて急速なものであり――。

 凡百の協会員と比較した場合、こちらの方がむしろ相手をするには相応しいと言えるほど。リアの意図が読み切れないことに加えて……。

「……まあいい」

「――っ?」

 引退して中立者となった英雄たちの中でも、あの男(・・・)の息子だという事実に、懸念を覚えはするが。――頷き。

「私は暫く席を外す」

「――ッ⁉」

「話があるなら、その間に済ませるといい。――適当に相手をしておけ」

「し、師匠⁉」

 困惑から問い返すような郭の台詞を置いて、立ち上がったレイガスは部屋から外へ出る。予定外の事態ではあるが……。

 郭にとっても決して、悪影響となることはないに違いない。……魔術師として極めて優秀な素質を示している弟子。

 だが、これまで時間のほとんどを理論と技術の習得に割いてきたために、対人面ではまだ(つたな)い面があることをレイガスは承知していた。将来的に協会を導く立場に就くことを考える以上、その方面の問題との接触は避けて通れない。

 一つのミスに囚われるほど郭は愚直ではないが、賢者見習いになってより最大級の失態と言える昨日の件の当事者と相対して乗り越えられるなら、その方がより顕著な成長を望めるだろう。人気のない廊下を進み……。

「――」

 専用の昇降機の近くまで来たところで、レイガスは一度歩みを止める。これからの行動。

 弟子の修行で埋まっていた予定が唐突な空きを見せたことに、どう補充をするかの考えが顔を覗かせたからでもある。……協会に保護されている四人。

 期せずして今、そのうちの一人を目にしたわけではあるが、残りの三人についても自身の目で確かめたいとの思いがレイガスの脳裏に顔を覗かせていた。元はと言えば穏健派の失態に端を発する事案。

 基本的には筆頭である秋光に処理を任せ、手を出すとしても外出の件についてのみの腹積もりだったのだが、昨日の試験で状況が変わった。郭の出した合格の判定。

 代役を任せた師として、それ自体に異存はない。協会を巡る情勢を理解する郭が判断を下したのなら、確かにその時点では合格を出せるだけの根拠があったのだろう。

 しかし――。

「……」

 時と場合によっては、受かってしまった(・・・・)という可能性も否定できない。静寂の満ちる廊下。

 遮る者のいない道を前にして、レイガスの踏み出したつま先が、厳粛なローブの裾をはためかせた。







「さて……」

 ――業務のあるという先輩たちと分かれ。

「……どうするか」

「どうしましょうか……」

 魔術による立体地図の設置された一階ホールの前で、俺とフィアは揃って立ち尽くしている。……当初はリゲルやジェインたちと過ごすつもりだった。

 大事である外出を明日に控えるということで、四人で話でもしながら適当に本山をぶらつこうかとでも思っていたのだが、四賢者に二人が攫われてしまったことで、一気に手持ち無沙汰になってしまった形だ。考えてみれば……。

「……黄泉示さんはどこか、行きたい場所とかありますか?」

「いや……」

 四人で共同生活をしていた頃から、間を置かずに今回の保護生活になだれ込んできたわけで。昼間に二人きりで行動するのは、随分と久しぶりな気がする。数か月ぶりとなる一対一。

「特にはない感じだな。フィアは」

「私もその、特別希望はなくて」

 出会った当初、二人で生活をしていたときには当たり前だったはずの組み合わせだが、このところは先輩たちを含めた複数人で行動するのが普通だったせいか、どことなくぎこちなさの漂うような雰囲気がある。……距離の近さ。

 意識を向ける相手が他にいないことで、相手の醸し出す諸々が普段より気になってきているというか。俺より幾分背の低い頭から流れる白銀の髪。

 過剰な装飾のないシンプルな服装と相俟(あいま)って、当人の元々持つ可憐さが一層際立っているようだ。……そこまで戸惑うことでもない。

三千風(みちかぜ)さん辺りを探しに、サロンに行ってもいいと思いますけど……」

「――書庫の方にでも行ってみないか?」

 フィアとはもう、ある程度気心が知れているのだし、夜には二人で治癒魔術の練習もしている。出した提案。

「書庫、ですか?」

「ジェインは頻繁に通ってるけど、俺たちは普段はあまり見ないし。知識がついてきた今なら、読める本もあるかもしれない」

「そうですね……」

 修練をしているとはいえ、俺たちの知識はまだまだ浅い。同じことを考えたらしいフィアが、

「話を聞いて、私も少し気になってましたし。――行きましょう」

 頷いた。――。

 ――フィアと二人。

 見慣れた本山の景色の中を、並んで歩いていく。白銀の髪の揺れる横顔。

「晴れてよかったですね」

「そうだな」

「建物の中でも、窓から見える景色で気持ちは違いますし。明日も雨じゃないみたいで良かったです」

 一歩を踏み出すごとに、可憐なその精彩に意識を惹き付けられる感覚がする。先輩によれば……。

 食事のあとの検査でも、異常は見当たらないとのことだった。魔力の使用を控えめにして。

 今日一日、のんびりしていれば問題はないだろうと。お墨付きをもらってホッとした気持ちもある。

 ……だが。

〝短期間に繰り返したり、無理をする時間が長かったりすると、後遺症が残ることもある〟

「……」

 朝食のときに告げていた、先輩の忠告が脳裏に蘇る。――後遺症。

 今回は幸運だったが、大事に至っていた可能性はあったということ。郭の術の威力があと少し高ければ。

 三千風さんの介入が僅かでも遅かったなら、取り返しのつかない結果を招いていたかもしれない。限界を超えて魔力を消耗するという行動は、それだけリスクを伴うものであって……。

 ――その引き金となったのは。

「……フィア」

「はい?」

 唇から零れ出てしまっていた声を聴き留めた、フィアがこちらを向く。やや低い位置から見つめてくる小さな顔。

「どうしました?」

「……いや」

 混じりけのない翡翠の視線を合わせて返事を待つ姿に、どうしようもなく躊躇(ためら)いが顔を覗かせる。口にすべきかどうか。

 仲間を守るために強くなると言っていたフィアの思いを、無下にしてしまうのではないか。自意識過剰ではないかとの気持ちもある。

 口にしかけている言葉に迷いはあって。だが――。

「昨日の件なんだが――」

「――ここにいたか」

 それでも、やはり。話し出そうとした瞬間。

「――ッ」

 響いてきた超然とした闊歩の足音に、俺とフィアの眼差しが、揃ってそちらの方へと向かされた。――矍鑠(かくしゃく)とした背筋をした、

 背の高い一人の老人。通りすがる協会員たちが慌てた様子で会釈して避けていくのを気にも留めずに、廊下の先から真っすぐ俺たちの方へ向かってきている。首元まで伸ばされた白髪に、

 荘厳さを感じさせる白色のローブ。揺るぎなく保たれている威厳は、何年もかけて根をはった古老の(かし)の木を思わせる。……誰だ?

「――二人か?」

「……⁉」

「残りは三人だと思っていたが。ジェイン・レトビックはどうした?」

 俺たちを目当てに近づいて来たようではあるが、記憶を探ってみても覚えはない。――ジェインの名を知っている?

「その……っ」

「……誰でしょうか?」

 先輩たちの話によると、俺たちの素性については、一般の協会員は知らされていないとのことだったが。――警戒心。

「俺たちは一応、本山預かりの身で」

「……そうか」

 一方的な発言をぶつけてくる相手に身構える俺たちを前にして、厳粛な面持ちを持つ老人がアーチのような眉根を気付いたように押し上げる。口の中で小さく呟きを零し。

「まずはそこからだったな。久方ぶりに名乗ることになるか」

「――?」

「改めて挨拶をさせてもらおう。――私の名は、レイガス・カシア・ネグロポンテ」

 粛然とした口調で名前を口にした。レイガス――。

「この協会で四賢者を務めている人間の一人。昨日君たちの試験官を務めた、(かく)詠愛(えな)賢者見習いの師匠でもある」

「――ッ⁉」

「えっ――」

 名乗られた音階を目の前の人物と結びつけるより先に、告げられた素性の方に意識が集中する。――郭詠愛。

「君たちの素性やここに来た経緯も、秋光や(さくら)御門(みかど)補佐官から知らされている。隠し立てをする必要はない」

「……」

「今日は単純に、確認したいことがあって来ただけだ。君たちの仲間であるリゲル・G・ガウスが、郭に話をしに来たように」

「――!」

 目の前にいるこの老人が、俺たちを落とそうとしてきたあの賢者見習いの、師匠? 口にされた話題。

「っ会えたんですか?」

「――」

「リゲルさんは、郭さんと」

「ああ。部屋の前で右往左往しているようだったので、こちらから招き入れさせてもらった」

 リゲルについての不安を抑え切れなかったようなフィアの問いに、目の前のレイガス――さんは、粛然とした面持ちを崩さずに答えてくる。……敵意は感じない。

「多少強引な形ではあったが、リア・ファレルが連れて来たようだったしな。昨日の件で話があるらしい様子だったが……」

「……その」

 にこやかながらも始めから見下しと嫌味をもって接してきた郭とは違い、本心から言葉を口にしているようだ。事情が掴めていないような向こうの素振りに……。

「ジェインは今、リアさんと一緒にいるはずで」

「ふむ?」

「ジェインの使える、概念魔術に興味があるということで。朝食の席から連れていかれた状態なんです」

「――なるほどな」

 幾分の警戒は残りながらも、知っている情報を提供する。頷いた相手。

「いかにもリアらしい。興味のある事柄については、どこまでも真っすぐに動く」

「――っ」

「リア・ファレルはいささか奔放ではあるが、理由のない行動はとらない人間だ。かつて大賢者を務めた身として、中庸な判断能力も持っている」

 聞いた事情に即座に理解を示しながら、俺たちの内心を推し量った様子で話を繋げてくる。朝食のときの会話から気になっていたこと。

「君たちの友人に対して、害を与える行動を取ることはない。心配は要らないだろう」

「そうですか……」

 ジェインの安否について保証がされたことで、フィアがほっとしたように肩の力を緩める。……嘘を言っているようには見えない。

「……それで」

 真意が明らかになったわけではないとはいえ、少なくとも悪意で俺たちに近づいてきたわけではなさそうだ。となれば――。

「俺たちに、用があるというのは?」

「――そうだ」

 残る疑問は、なぜ俺たちを探していたのかについて。思い出したように首肯したレイガスさん。

「聞きたいことというのは他でもない。昨日の試験について、確認したいことがあってな」

「――」

「頼みと言った方が正しいか。君たちが郭から合格を勝ち取った試験の内容を、詳しく教えてもらいたい」

「試験の中身……ですか?」

「師として郭から話を聞いてはいるのだが、やはり双方から聞き取りをするのが公平だろうからな。彼女に修行をつけている身として、どういう振る舞いをしていたかは知っておく必要がある」

 幾分含みを込めた目つき。……なるほど。

「本人からは話し辛いこともあるかもしれないからな。君たちから見て昨日の試験がどうだったのか、遠慮なく教えてもらいたい」

 暗にこちらに伝えてくるようなその素振りで、事情を何となく理解する。――昨日の試験については正直、試験管である郭の対応に問題があった。

 郭自身がどういう形で報告をしたのかは知らないが、リゲルが郭と話をしに現れたことで、何かしらトラブルがあったことには気づいたに違いない。フィアと顔を見合わせたのち。

「――分かりました」

「――」

「少し、長くなるかもしれませんが。どこから話しましょうか?」

「ありがたい。そうだな」

 レイガスさんに向けて頷く。――断る理由はない。

 昨日の件はもう済んだ話だが、郭が今後の協会で舵取りをする立場を担うのなら、ことは俺たち以外にも影響する可能性が出てくる。師であるというこの人にとっても。

「手間になってしまうとは思うが、できれば顔合わせの段からお願いしたい」

「はい、大丈夫です」

 自分の弟子が何をしたのかを知っていた方が良いはずだ。レイガスさんの求めに応じて、フィアと昨日の内容について話し始めた。

 ――

 ―

「……なるほどな」

 重々しい頷き。

「合点が入った。リゲル・G・ガウスも、その件で話をしに来たというわけか」

「……」

「いずれ協会を導く賢者見習いとして、他者の力量を測る際には、手を緩めず当たるようにと教えてきたつもりだったが……」

 郭と俺たちの邂逅から、最後に先輩たちが駆けつけてくるまでを話し終え。話を聞いたレイガスさんが、小さく溜め息を零す。……無理もない。

「試験を始める前からの非礼のみならず、保護すべき君たちの身を危険に晒しかけたとは」

「……その」

「信頼して試験役を一任した以上、私自身の責任でもあるな。――済まなかった」

「――っ⁉」

「っ。い、いえっ」

 自分の弟子がそういった行動をしていたと知れば、少なからずショックを受けるだろう。唐突に頭を下げてきたレイガスさんに、フィアと俺が揃って動揺させられる。――っまさか。

「結果的にはその、何事も起きずに済んだわけですし――」

「リゲルも今日は、謝りに行っただけで」

 組織の最高の立場を担う四賢者。年齢でも遥かに俺たちより上の人間が、こうまで(いさぎよ)く頭を下げられるものなのか? 慌てて手を振ったフィア。

「俺たちももう、気にしてないですから」

「……そう言ってもらえると助かる」

 どうにか執り成そうとする俺たちに、顔を上げたレイガスさんが、厳めし気に結ばれていた口元を小さく緩める。……本当に驚きだ。

「君たちは人間ができているな。郭もその点については見習わせなければ」

「そんなことは……」

「……しかし」

 あの郭の師匠である人物が、実際こんなにも紳士的な相手だったとは。信じられないような気持ちでさえいる俺の前で。

「事情の説明までしてもらい、そこまで迷惑をかけていたとなると、何も返さないのでは心苦しいな」

「いえ、別に気にしなくても」

「立場としてそうもいかない。何を贈ったものか迷うところだが……」

 思案する面持ちをしたレイガスさんが瞑目する。どこまでも誠実な対応の仕方。

「本当に大丈夫ですから。今日の件は」

「――やはり、この辺りがいいところか」

「――っ」

 気遣いを遮る言葉の途中に、それまでから思いもよらない無感情な老人の眼差しが、俺たちを唐突に突き刺した。なに――ッ?

 ――刹那。

「……ッ‼⁉」

 瞬間的に塗り変えられた周囲。俺を囲んでいた協会の景色が、前触れなく一変している。ッ――⁉

「……フィアッ⁉」

 なにが起きた(・・・・・・)⁉ 反射的にしていた瞬き。暗がりに沈む景観の輪郭から、放った叫びに対する答えは返ってこない。……ッ落ち着け。

 確かに直前まで、俺はフィアたちと協会にいたはずだ。動揺を抑えつつ眇めた俺の視界に、景色の全容が顕わにされる。――暗い夜の道。

 古いレンガ造りの家々が立ち並ぶ欧風の町並みの中で、墓標のように立ち尽くす木々たちが月明りを受けて深緑の(こずえ)を静かに揺らしている。……間違いなく一度も訪れたことがない。

 隣にいたはずのフィアも、レイガスさんの姿もあらず、ただ馴染みのない冷たい風景が広がっているだけだ。リアさんのような……。

 空間魔術による転移法? ……だとしても説明がつかない。

 俺たちのいた協会での時刻は十三時過ぎ。真夜中らしい目の前の景色との時差を照らし合わせれば、一体どれだけの距離を飛ばされたことになるというのか。肌に触れる夜気が体温を下げていく中で……。

「……!」

 見渡す景色の備えている、一つの不自然な点に気が付いた。絵画のように整えられた町並み。

 陽光の降り注ぐ時間帯であれば風光明美とさえ言えるだろう景色の中で、しかし、人間だけが欠落している。――っどこにも姿が見えない。

 四方に伸びる道を満たすのは、全てが沈黙しているような深い暗闇だけ。家の中にも、通りの向こうにも、

 一切の気配が感じられない、別世界のような空気であって。――明滅。

「……ッ」

 頭の中に過ったデジャヴに、身震いするような恐れが湧き出てくる。……ナイフを手にした暗殺者の老人に襲われたあの夜。

 不自然なほど人気のない状況も、時間も、あの時と酷似している。襲ってくる不安に終月を呼び出そうとしたとき――。

「――っ⁉」

 重い何かが地面とぶつかったような物音に、反射的にそちらを向かされる。……見つめた視線の先。

 建物の陰となる路地の奥に、何かが横たわっているのが見える。……影からはみ出している手……。

「……ッ‼」

 馴染みのあるグローブの嵌まったその腕は、スーツを着た肩の部位からグロテスクなほど綺麗に切断されている。……覚えのある眼鏡。

 罅割れ、フレームの折れた装身具の隣に、赤黒い汚れのこびり付いたブラウンの髪を持つ誰かの顔が伏せて置かれている。首筋に深く突き刺さった銀の刃に、吐き気を(もよお)す震えが起こってきた――。

 そのとき。

「……さん」

「……‼」

 背後から届いた声に身を打たれる。――フィアッ⁉

「――ッ‼」

「……っ、黄泉示、さん……ッ」

 本能的に振り返った先、冷たい月明りの下に、巨大な人状の影に吊り上げられている彼女がいる。――黒い怪物。

「ッ、フィア――ッ‼」

 間近に見ているはずなのに正体の掴めない、巨大な漆黒の人影が、苦悶に息を途切れさせるフィアの首筋を絞め上げている。駆け出し――ッ!

「……⁉」

「黄泉示、さん……」

 助けに走ろうとした自分の足が、一歩も前に出ていないことに気付く。……手が。

 脚が、動かない。終月を喚び出そうとした声は枯れ、解放できるはずの魔力はなぜか微塵も熾りを見せてくれない。立ち竦むしかできずにいる俺の前で……っ。

「――ッッ‼‼」

 影の持つ重圧に力がこもり。何かが潰れる嫌な音がしたかと思うと、首の折れたフィアが目の前の地面に投げ出された。――。

「……」

「……フィ、ア……?」

 その光景を受け止めきれずに呟く。四肢を別々の方向に向けて斃れた体躯。

 胸を銀色の刃に貫かれ、ワンピースを血の色に染めたフィアの死骸が、無言のまま俺を見てくる。石畳に広がった髪。

 美しかった白銀の髪は冷たい金属のように生気を失い、血の気の引いた顔からは、開いたままの唇が死に際の恐怖と苦痛を教えてくれている。生前と変わらない……。

 透き通る翡翠色の瞳。二度と輝きを灯すことのなくなった双眸を踏み越えて、巨大な黒い影が、俺の眼前に迫って来た。……フィアたちを殺し、

 自分を殺そうとする脅威を前にして、まだ俺は動けない。訪れてしまった最悪の結末に……。

 為すすべなく、ただただ身を震わせている。人形のように身体を持ち上げられ、枯れ木のように首をへし折られる寸前――。

 ……済まない……――。

 俺の胸にあったのはただ一つ。俺のせいで命を落とすことになった相手に対する、重苦しい罪悪感だけだった。…………。

 ………。

 ……。

「――ッ⁉」

 ――覚醒(・・)

 途切れたはずの世界が見えたと思った瞬間、急速に意識が浮上してくる。深い水底から引き上げられたような、

 すぐには受け止めきれない、はっきりとした現実の感覚に、(あえ)ぐように酸素を体の中に取り込もうとする。……っここは?

 見回す俺の目に映り込むのは、先と変わらない協会の景色。レイガスさんに、

「……フィ」

 フィアもいる。見慣れたその姿に声を掛けようとした瞬間――。

「――ッ⁉」

 突然に倒れ込む身体を、辛うじて受け止める。強張っている手のひらに、

「――っ、フィアッ⁉」

「……ッ、……黄泉示、さん?」

 冷え切っている身体の温度。自分の胸を強く押さえ、蒼白の顔面になったフィアが、途絶えがちな息を継ぎながら俺を見てくる。細かく震えるその声と眼に……。

「……さっきのは……」

「……‼」

「すみません、私……っ」

「……この程度の魔術もレジストできないか」

「……っ⁉」

 心が砕けてしまうのではないかと思うほどの、恐怖を宿して。――届いた台詞。

「っ、レイガスさ――」

「報告書にあった印象の通りだな」

 こちらの反応を無視した冷たい響きに、ガツンと頭を殴られたような衝撃がする。……まさか。

「素質と力は凡庸」

「……っ!」

「試験の合格も、才ある人間の零れを拾っただけに過ぎない。嫌な予想が当たる形になったか」

「……なんで」

 今俺たちに起こった変化は全て、レイガスさんが仕掛けたことなのか? 人が変わったように冷淡な台詞。

「なんで、こんなことを……っ⁉」

「なんで、だと?」

 問わずにはいられなかった俺に対し、元凶である老人は、明瞭な苛立ちの籠った視線でこちらを射抜いてくる。俺たちの側に非があると言うほどの――。

「何をされたのかも分からない蒙昧(もうまい)の身で、よくぞ吠えたものだ」

「……ッ!」

「お前たち二人には、立場を入れ替えただけの、(おおむ)ね同じビジョンを見せた」

 鋭く厳し気な眼つきで。……なに?

「力及ばず殺される感覚がどんなものか。自分たちの顛末を、分からせるために」

「……‼」

 その言葉で理解が及ぶ。――ッこの老人は。

「……俺たちは……ッ」

「……」

「貴方の弟子の出した、試験を超えた」

 昨日の郭と同じ、俺たちの外出を諦めさせるためにそうしてきたのか。――怒り。

「同意のもとで合格を勝ち取った。秋光さんたちも――ッ‼」

「――だからどうした?」

 沸騰する激情に任せた声が、冷酷な声の音にかき消される。箸にもかからないという風に鼻を鳴らすレイガス。

「護衛が何人つこうと保障にはならん。最終的に問題となるのは、お前たちが自分で自分の身を守れるかどうか」

「――ッ」

「始めから他人に守られるつもりでいて、温厚な素振りで近づかれたなら、害を為そうとする人間の区別もつけられない。中級クラスのレジストもまともにできない体たらくで、どうして無事に凶王派の前へ出られるなどと言える?」

 誇張のない冷厳な言の葉が俺を突き刺す。それは……ッ。

「……」

「どこまでも能天気な素人だ。お前たちは知らないだろうが――」

 唇を噛む俺を目に、レイガスが更なる追い打ちを口にする。

「魔導協会の裏切り者、九鬼(くき)永仙(えいせん)は凶王派と同盟を結び、協会を始めとした三大組織に宣戦布告を仕掛けてきている」

「――⁉」

「遠くない将来、組織方は奴らとぶつかり合うことになるだろう。技能者界そのものを、混沌とした戦場に変えてな」

 言葉の内容に声が出ない。……戦場?

「敵方となる凶王派には、私たち四賢者と同格の力を持った技能者が五人(・・)いる」

「……!」

「組織方が全力を傾けたとしても、百の勝ちを握れるかどうかは怪しい。――そんな状況の中で、部外者であるお前たちに余計な手間暇を使う」

 冷ややかな眼差しが俺とフィアを見下ろしてくる。告げられた事実の重さに……。

「秋光の判断自体が、本来であればありえんほど甘いものだ。――覚えておけ」

 思考がまともに働いてくれない。沈黙した俺たちを前に、決着とばかりにレイガスが宣告した。

「この問題について、お前たちができることなど何もない」

「――!」

「つまらん欲目を出して協会の負担が増えれば、それだけ組織方の勝ちの目が薄まることになる。本山と協会員たちに守られている、お前たちの生存の可能性もな」

 数泊の間を置いて返される足先。去っていくレイガスの足音を――。

 ――俺たちはただ、(うつむ)きながら受け止めることしかできないでいた。

「死にたくなければ大人しくしていろ。……余計な手間を増やすな」



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