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彼方を見る者たちへ  作者: 二立三析
第一章 新しい日々の始まり
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第六話 魔術師の憂鬱


 ――表通りに並ぶカジュアルな店の一角。

「うーん……」

 ラックに掛かった様々な衣装の並ぶ通路で、悩ましさに満ち満ちた声が上げられる。高さは突き抜けてはいないが、スラリとしたシルエット。

「どっちが良いのかな……」

 遊ばせた毛先を金色に染めた、ダークブラウンの髪。髪の先を伸ばした指先で(いじ)りつつ、洒落っ気の出るよう、ラフに着崩されたチェックのボタンシャツには似つかわしくない、真剣な呟きが唇から漏れる。視線の先にある二着のうち――。

「……うーんっ」

「どうかなさいましたか?」

 片方は見れば誰もが仮装かと疑う大げさな意匠のタキシード。隣にはご丁寧に似合いのシルクハットとステッキまで置かれている。足を止めて(うな)る姿を気に留めてか、店員と思しき女性が、これ以上はないと思えるタイミングで近付いてきた。

「お客様。よろしければお手伝いいたしますが」

「……いやね? この二つだったらどっちの方が良いかと思って悩んでたんだけど……」

「そうでしたか。――宜しければどんな場面でお使いになられる予定なのか、教えていただいても構いませんでしょうか」

 客あしらいに慣れた様子で店員は話を進める。慇懃(いんぎん)な申し出に男は数瞬考えるような素振りを見せたが、一分の隙もない営業スマイルを前に観念したのか、整理するように言葉を紡ぎ始めた。

「あー。実は今度の火曜日に、うちの会社のお偉いさんと仕事で会うことになってまして……」

「はい」

「そのときに着てくなら、これとこれ、どっちが良いのかと思ってね」

「……は?」

 一瞬店員はポカンとする。間の抜けた表情を引き締めて、気を取り直す意味もかねて自問する。この客は。

 ――うちの店が、パーティー用の出し物グッズを扱う店だと知らずに入ってきたのだろうか。

「どうもこういうことは慣れてなくてね……チョイスが分からなくて困ってたんだ」

 ――いや。

 例え間違えて入ったとしても、商品を見ればそれぐらいのことは分かるはず。ビジネス用のスーツを探しに来る人間など、この店にはどこにもいない。

 ――この店はそもそも、あなたが求めてるような品を扱う店じゃないんですよ!

 声を挙げて突っ込みたくなる気持ちをグッと抑え、店員は作り上げた笑みを崩さずに対応する。ここで取り乱してはいけない。

「そうですね……。お客様の方で、何かご希望などがあれば」

「希望かぁ。やっぱ地味なのより、派手な方がいいのかな? 賑やかだし」

「――不躾(ぶしつけ)ですが、会社の方に制服などはおありでしょうか?」

 自分から声掛けに出てしまった以上、少しでも無難な選択肢へ導かなければ。――駄目だこいつ。

 目の前の二つのうち、これでもかと言うくらいに輝いた金色のスーツを手に取ったことで、店員はすぐさま前案を撤回する。一般社会における常識的感性を持った人間であれば、こんな服装は選ばない。

「一応あるにはあるんだが、着用は自由なんで。ホント滅多に来ないようなお偉いさんだからね。いつも通りの服装じゃ失礼だと思ったんだけど」

「っ……いえ。そう思われる方も多いのですが」

 絶対に。――こっちの方がどう考えても失礼だろうが⁉

 心の中で盛大に叫びながらも、店員は溢れ出る情動をどうにか抑え込む。……落ち着け。

 このまま行けばこの男は、そのお偉いさんとやらに確実な失礼を働くことになる。そうなってから服のせいでどうのこうのとクレームをつけられては堪らない。見えている問題は、未然のうちで対処すべし――。

「――実際にはやはり、いつも通りの服装で会われた方が、変に(かしこ)まっていないということで印象が良くなるものなんですよ。うちの支店長も、先日似たようなことがありまして」

「っへえ、なるほど」

 気が付いたように頷いて。

「それは確かに盲点だったな。必要以上に飾るより、自然体でってわけか」

「ええ。ですから――」

 ――なぜこんな、子どものお守りのような真似をしなければならないのか。

 遣る瀬ない思いを間違っても表には出さないまま。己の職責に殉じた店員は、にこやかに誘導を進めていった。




 支部への帰り道。

 (れい)代わりの買い物を済ませて店をあとにした男は、悪くない気分で道を歩いている。困っている最中、親切で気のいい店員と出会えたことを感謝しながら。

 ――ファビオ・グスティーノ。

 ロゴの入った紙袋を抱えた何とも威厳のない姿ではあったが、これでも技能者界に名を轟かせる三大組織の一角、魔導協会に属する魔術師の一人であった。驚くことにというべきか、それもただの構成員ではなく。

 世界の各所に設けられた十四の支部。魔導協会が各地の情勢に対応するため、技能者界の要所に設けた拠点の運営管理を任せられた人物。『支部長』と呼ばれる立場の人間であるのだ。

(このところ散々だったけど、これでようやく一段落できるかな)

 これまでの経緯を思い返しつつ、ファビオは足元に転がる小石を見ずに避ける。若輩ながらも力量が認められ、十四支部の支部長となったのが先月のこと。

 初めての責任者役は何に付けても慣れないことばかり。てんやわんやの日々を送っていたファビオだったが、補佐や支部員の手厚いサポートもあって、何とか役目を滞りなくこなせていた。順風満帆とは言わないまでも、実りの多い日々が始まりそうであり。

 ――そんな彼の支部がつい先日、凶王派の一角、覇王派の反秩序者による襲撃を受けた。

 一説には全魔術師の八割近くが所属すると言われる魔導協会。ここ十数年の間、立て続けに大事件が起きたことで権勢が落ち込んでいたのは確かだが、それでもちょっかいを掛けてくる(やから)がいるなどとは予想の外。気が付いたときには相当に狼狽し。

 支部のメンバー総出での奮戦になったものの、どうにか死者を出さずに撃退することができた。肩を貸す仲間共々胸をなでおろし。

 負傷者たちがベッドに並ぶ横で事後処理に奔走。疲労に鞭打ち、眠い眼をこすりながら調書を作成し、数日前に本山に提出した。

 ――そして明日なんと、現四賢者の一角、魔導協会幹部にして筆頭たる式秋光が、その件について自分を訪ねてくることになっている。

(わざわざ四賢者が来るってことは、やっぱあのことについてだよなぁ……)

 ファビオとしても心当たりは一つしか持ち合わせていない。木立を横に曲がる道なりに歩みを進めながら、晴れた空の下でそのことを振り返った。

 ――支部を、今まで自分を支えてきてくれた仲間たちを守り通す。

 その一念であのときのファビオは行動していた。協会の支部に攻め込んで来るだけあって、敵もまたさるもの。

 相応の手練れの水際立った強襲を受けたファビオたちは混乱し、初手から守勢一辺倒へと追い込まれていた。重傷を負った仲間たちの呻き声。

 辺りから立ち昇る血の臭いと、自分たちを取り囲む敵対的な魔力の脈動が、紛れもない死地に在ることを教えてくれている。不安と恐れを抱く支部員たちの眼差しを受けて――。

 ――己の持てる全てを、ファビオは投じた。

〝――ッッ‼‼〟

 魔力の一片、血と体力の一片まで、使えるものは全て使おうとした。唯一のアドバンテージである地形の把握と支部の仕掛けを崩しに用い。

 敵の主力と思しき数人を切り離す。頭に叩き込んだ資料と目にした術技から敵方の力量を分析し、即席のパーティーを決め、戦力と相性を考慮して戦線の維持を任せる。

 仲間たちが作り出す戦場に可能な限り援護に回り、各々で優勢を確保していく。気炎を上げる心臓が破裂するほどに駆け走り、試作の段階だった術式の発想すらも用い、血を吐くような激戦と数度の博打に勝利したのち、どうにか敵方最後の主力に深手を負わせることに成功する。

〝ッ! ……ふぅ〟

 昇って来たのは達成感よりも疲労感。喉が焼け付くような息を短く吐いて、すぐに別のメンバーたちの加勢に向かおうとした。

 その、瞬間。

〝……‼〟

 敵の後方で佇んでいるソレが、ファビオの目に鋭く突き刺さる。いつからいたのか。

 なぜそこにいるのか。どちらの答えもファビオには分からなかったし、今となってはそれを考える余地もなかった。脅威を認識した途端、全身に体感したことのない震えが走る。あれは――。

 ――かつて魔導協会には、至高の大賢者と謳われた人物がいた。

 極東の国における退魔の名家に生を受けながら、十代にして見切りをつけて出奔。後ろ盾もない単独で協会の門を叩き、支部長を飛び越えて二十歳で四賢者の座に就任した。

 四大組織の秩序を打ち崩すことになった《厄災の魔女》討伐への参加に、数多くの分野での新理論の構築、発見、応用。協会内の並みいる派閥を平伏させ、《救世の英雄》の称号を得ることになった事件を経て、歴代最高の若さで協会の頂点に上り詰めた。稀代の才覚と人格を兼ね備え、不世出の大賢者と呼ばれた男の名は。

 ――九鬼(くき)永仙(えいせん)

〝……〟

 矍鑠(かくしゃく)たる背筋。七十を超える齢に(しわ)の刻まれた面の中にある双眸はしかし、年齢など感じさせないほどの、峻厳(しゅんげん)に輝く熱量に満ちている。静謐(せいひつ)にして深みのある気配。

 身体から立ち昇る魔力は神色にして自若(じじゃく)であり、同じ人間なのかも疑わしいほど。湛えられた密度と厚みは、世界そのものと比較して遜色ない。

 ――そのときのファビオは、生涯最高に必死だった。

 若くして支部長に認められた自負と技量。魔術師として疑いようもなく優れ、死闘で研ぎ澄まされているその感覚が、脳裏へ的確な判断を下していた。――無理だ(・・・)

 抗うことすらできない。己が持つ力、思考、手法の全て。

 骨肉が摩耗するまで挑んだとしても、揺らがせることすらできないだろう。湧き立つ血潮が本能的な恐怖に凍り付いていく。自分たちは、ここで。

 ――瞬間。

〝……っ〟

 認識した現実に目を疑う。佇む永仙の纏う魔力が、微かに揺らぎを見せる。……理解の追い付かない術式。

 直後、目に見えない指示を受けたように、襲撃者たちが引き下がっていく。統率の取れた動きで負傷者を抱え、林の中へ。

〝引いた⁉〟

〝なんで……〟

 引き潮のように消えていく。苛烈な死闘が唐突に終わりを告げたことに、仲間たちから信じられないような声が上がる中。

〝……ふぅ~〟

 自分の見据える脅威まで姿を消していることを確認して。腰を抜かしたファビオはただただ、心底から息を吐いた。

「……」

 ――今思い返してみるなら。

 なぜ自分たちが助かったのか分からない。あのときのファビオたちに、九鬼永仙などという怪物を相手取る余力はなかった。

 そもそも敵方に彼が付いていたのなら、始めから当人が出ていれば終わる話。あとから分かったことだが、襲撃時には支部の真下を通る地脈の一部に濁りが生じており、平時なら万全を期すはずの防御結界や、本山との接続を持つゲートが十全に機能していない状態だった。侵入が容易であり、増援の憂いも断てる。

 千載一遇と言える好機を見据えて来たはずにもかかわらず、みすみす支部壊滅の機会を逃すとは。

「……」

 一体。足元の小石につま先がぶつかり、揺れる紙袋を押さえる。そもそも永仙と覇王派が行動を共にしているという事実が、ファビオ、そして協会にとっては青天の霹靂に等しい。

 離反して半年が経過しているとはいえ、彼が元々魔導協会で指導的な立場を取っていた人物であることに変わりはない。永仙が大賢者に就任して以後、協会が凶王派に対して穏当路線をとっていたことは確かだが、四賢者時代の彼に煮え湯を飲まされたアウトオーダーは一人や二人では利かないはず。

 怨みを抱く者など山のようにいる。下手をすれば内輪もめを招きかねないような爆弾を、覇王派は敢えて抱え込んだことになる。他の派閥への牽制を兼ねているのか。

 覇王派の頭が例の狂覇者であるならば、案外何も考えていないということもあるのかもしれない。……駄目だ。

 煮詰まってきた思考をファビオは散らす。皆目見当も付かない。粋がってみたところで自分は所詮、先月支部長になったばかりの若造だ。

 実績も経験も言うに及ばず、凶王派と三大組織を巡る情勢を全て理解しているわけでもない。九鬼永仙(あの男)と覇王派に何か狙いがあったのだとして、そんなことは到底分かるはずがないのだ。

 ――明日秋光が話を聞きに来るなら、彼に判断してもらった方が無難だろう。

 同じ東方の退魔機関出身。永仙と共に戦場を駆けたこともある彼ならば、分かることもあるのかもしれない。言い聞かせながらファビオは慣れた道筋を歩いて行く。既に進路は町を外れて郊外にまで差し掛かり、十五分ほど歩けば修復されたライムストーンの外壁が見えてくるはずだった。

「――っ」

 ――肌がひりつくような、害意の籠った視線。

 何度体験しても慣れることのない感覚を首筋に感じて、思わず眉を(ひそ)める。――尾行(つけ)られている。

 視線を感じさせる辺りお粗末だが、気配を隠匿する技術はそれなり。物取りというわけではなさそうだ。

 反秩序者か、それとも別の敵対組織の手の連中か。先日の襲撃といい……。

 最近の自分には何か、良からぬものを引き寄せる霊でも憑いているのかもしれない。栄えある魔導協会の支部長であるはずのファビオだったが、就任後の度重なる気苦労に、今ではそんな冗談めいたことさえ考え始めていた。その方面に心得があるという秋光の補佐官に顔を繋いでもらい、お祓いでもしてもらった方が良いかもしれない……。

 ――支部のメンバーは、前の襲撃で疲弊している。

 傷の完治していない者もいる以上、負担をかけるわけにはいかない。自分が処理した方がいいだろう。

 判断してファビオは、支部へ続くのとは別の道を辿り始める。この先に今は使われていない空き地がある。

 支部周辺はどこも表向き別名義の私有地となっているため、改めて人払いをする必要はない。こんなときのために用意されている空間に、追跡者を誘導し、迎え撃つ。

 明日は秋光が訪ねてくるのだ。煩わしい処理はさっさと終わらせて、万一にも非礼のないようにしておかなくては。

 心情を反映して、道行く足取りが徐々に早まる。紙袋の揺れを他人事のように感じながら、ファビオは姿の見えぬ尾行者を連れていく。


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