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彼方を見る者たちへ  作者: 二立三析
第四章 魔導協会での生活
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第十六話 試験終了


「――黄泉示(よみじ)‼」

「――ッ!」

 ――覚醒。

 身体の感覚を覚えるより先に、他者の声が耳に届いたことで自分の存在を意識する。俺は――ッ。

「――黄泉示さん」

「無事か、蔭水(かげみず)!」

 生きているのか? 脳裏に焼き付く轟音と閃光。くらつきの残った思考で見回した視界に、フィアとジェインの顔が映り込む。……リゲル。

「怪我はないですか? 傷は――」

「……っああ」

「大丈夫かよ、マジで⁉」

 答えながら視線を自分の身に落とす。服も、肌も……。

 見下ろす五体のどこにも、目を覆うような負傷はない。……どうして。

 あのときに見た光と熱気は、確実に自分の身を焼き尽くすはずだった。肉の深部まで届くようだった力の波動。

 先に見た世界の終わりのような光景を、全身の感覚がはっきりと覚えている。なのになぜ――。

「……?」

 幾度目かになる瞬き。多少の冷静さが戻ってきた俺の目に、意識が遮断される前にはなかった、奇妙なものが映り込んでくる。俺たちの周りをふわふわと(ただよ)っている、

「――」

 絵本の中にでも出てきそうな、幻想的な姿をした妖精。薄い緑色の(ころも)をまとい、虹色に(きら)めく羽の生えた小さな少女の姿をしたそれが。

「……」

 何やら興味深げな面持ちで、俺たちを見回しながら空中を漂っている。少し前方の地面に張り付いているのは、見たこともないような原色をした(まだら)模様の蜥蜴(とかげ)

 鈍重そうな見た目から予想するより僅かに早い歩行の速度で、周囲の状況などまるで意に介さないかのように、のそのそと床を()い回っている。……何だ……?

「……【火精霊(サラマンドラ)】……」

 これらは。疑問を覚えていたそのとき。

「――ッ」

「――そこまでにしましょう」

 対面にいる相手から零された呟きに、本能的な恐怖が身を竦めさせる。警戒心を(あら)わに向き直った俺たちの側の空気を、横から飛ばされてきた穏やかな声色が霧消させる。っこの声は。

(かく)。試験はもう終わりました」

「……」

「これ以上、彼らに何かをする必要もない。今問題となっているのは、彼らが君の示した基準を超えたかどうか」

 三千(みち)(かぜ)さん。見届け役として場外にいたはずの、スマートな立ち姿が試験場内に入ってくる。郭と俺たちの中間に立ち。

「合格に達したかどうかです。どうでしたか?」

「……」

「彼らの力は。君の眼から見て、外出許可を出すに足りているものだったでしょうか?」

「……ええ」

 批判や追及を含まない、どこまでも穏やかな口調で紡がれる台詞に、郭が落ち着きを取り戻したような頷きを見せた。――そう。

「そうですね」

「……!」

「その判定を下すのが僕の役目です。立ち振る舞いを見た上で言わせてもらうなら――」

 郭と俺たちの戦闘はそもそも、そのことを判断するための試験だった。合否が自分の手のうちにあることを思い出したのか、考えるような目つきになっていた郭の瞳が冷徹な閃きを覗かせる。――絶望的。

 そんな予感が過る。郭が具体的にどんな意図を持っていたのかは分からないが、試験前と試験中の態度からしても、俺たちを合格にさせまいとしていたのは明らかだった。

 全員での連携と機転によってどうにか反撃することはできたものの、それでも結果的に一撃を加えるには至っていない。最後に行き過ぎた行為があったとはいえ――。

「……っ」

 それはあくまで相手方の落ち度であって、俺たち自身の力量を証明するものではない。これまでの対応を考えるなら――ッ。

「――合格だ」

 ――……っ?

「……――はっ?」

「……個々の力量に違いはありますが……」

 思わず上げてしまっていた声。瞬きする俺をじろりと一瞥したあとで、郭がもう一度俺たち全員へと視線を移し直す。

「中級の魔術障壁を素手で打ち破る馬鹿力に加え、人間のくせに野生動物()みた感知能力を持っているゴリラ」

「……ああ?」

「重力という、強力な属性に対する分不相応な適性も持っているとなれば、これはもう並大抵のことでは手の付けようがない。――後衛の参謀役」

 苛立ちを隠さず眉間にしわを寄せるリゲルを無視して、評価の言の葉がジェインへと続く。

「危機的な状況でも抜け目のない手を打つ思考力と判断力に、時間という稀有な概念魔術があるだけでも強力でしょうが、敵方からさえ技術を盗もうとする手癖の悪さが加わったなら、その狡猾(こうかつ)さには磨きがかかる」

「なに……?」

「相手をする人間は、ほとほと嫌な顔をさせられることでしょう。運よく才能に恵まれた二名は当然として……」

 不服そうなジェインの反応をスルー。己の仕事を優先させる試験官の瞳が最後に見たのは、俺とフィア。

「あとの二人には正直、そこまで目ぼしい点はありませんでしたね」

「……っ」

「序盤から中盤まではほとんど何の手も打てず、一人は最後に多少の思い切りの良さ、一人は多少気合の乗った魔術の腕を披露しただけ」

「……」

「……ただまあ」

 仮借(かしゃく)なく下される品評。緊張を浮かべざるを得ないでいる俺たちに、ふっと気を抜いたような表情を(のぞ)かせて。

「羊は羊なりに、磨いてきたものとやらを持っている」

「……!」

「強靭な牙や爪がないとしても、(つちか)われた毛皮と角が抵抗の役に立つことくらいは認めるべきかもしれない。以上が合格を出した理由です」

「……」

「ええと……」

 示すべき反応に迷う。……評価されているのか。

「……あ、ありがとうございます……?」

「……ふん」

「けっ。――色々ごちゃごちゃと言ってやがるけどよ」

 そうでないのか。分かり辛い態度になお、フィアが礼を言った隣で、気に食わないというようにリゲルが舌を打った。

「要するに、俺らの力を認めざるを得なくなったってことじゃねえか」

「――」

「公平でなきゃいけねえ試験官のくせして、最後にこっちの仲間に大怪我させ掛けやがって。悪びれもしねえで合格とか、ふてえ野郎だぜ。――どうせ馬鹿にしてた相手に一撃食らいそうになったもんで、頭に血が昇っちまったんだろうがな」

「――最後のミスについて何を言われようと構いませんが」

 ヒヤリとする発言。遠慮なく喧嘩を売っていくようなリゲルの台詞に対し、怒るという選択肢をあくまで除外しているような態度で郭が答える。

「結果について言えば僕は、試験官として冷静な判断を下しただけです。とやかく言われる筋合いは」

「やる前にあんだけ言っといてか? ――気付いてんだよ」

 リゲルの眼が何かを見抜いているようにきつくされる。

「さっきから身体の向きとか変えて、さりげなく胸元隠しやがって。なんなんだよその仕草」

「――っ」

「黄泉示に服を切られたのが、そんなに気に食わねえってか。鍛えてもねえ貧相な身体つきだから、他人に見られんのが嫌でしょうがねえんだろ」

「――死にたいんですか?」

「……ええと……」

 押さえ込んでいたはずの熱気が再燃する。怒気と殺気を飛ばして睨み合う二人の間に、困り顔をした三千風さんと、先ほどの奇妙な生き物二体が割り込んできた。

「まあまあ二人とも、その辺りにしましょう」

「――」

「試験後に何かあったとなっては、上守(かみもり)さんたちが心配しますし。レイガス様と先生も、黙っているわけにはいかなくなってしまいます」

「……ふん」

「ちっ――」

「それと……」

 鼻を鳴らしながらも矛を収めた郭。まだ納得がいっていないようなリゲルの後ろで、三千風さんが微妙な表情を見せる。言ったものか迷ったように逡巡(しゅんじゅん)したのち。

「皆さん、何か勘違いをされてるようですが」

「……?」

「郭の下の名前はその……詠愛(えな)と言いまして」

 対面の相手の様子を窺いながら言われた台詞。――っ?

「女性ですよ、郭は」

「――はっ?」

「えっ?」

「んっ?」

 リゲル、フィア、俺。三千風さんが口にした中身に、三人の視線が一斉に集中する。目の前にいる青年……。

「……」

「……何をジロジロ見ている?」

 郭が、女性? っいや――。

「僕は気付いていたがな」

「――っそ」

「……そうなのか?」

「ああ。ゴリラは勘違いしていると思っていたが、まさか二人とも気付いていなかったとは」

 別にその、比較的平坦と言える身体つきを確かめていたわけでは。言葉に詰まったフィア、驚愕を隠せない俺たちの間で、ジェインだけが平然とした顔つきを保っている。確か……。

「……叩きのめしてやりたいとか言ってた気がするんだが」

「僕は男女平等主義者だからな。あれだけの暴言を吐いてくる人間に、男も女もない」

「……っその」

 さらりと言ってのけるジェイン。姿勢を整え直して向き直ったフィアが。

「――勘違いしてしまっていて、済みませんでした」

「……」

「……悪い」

「……別にいい」

 頭を下げるのに合わせて謝った俺たちを前に、郭から軽く溜め息が吐かれる。言われてみれば……。

「分かりやすい恰好をしているわけでもないからな。初対面で間違えられるのにも、もう慣れた」

「自己紹介でフルネームを名乗るようにすれば、そんな誤解は招かないと思うんですが」

「一々反応されるのも面倒だ。どのみち一度しか会わないような連中に、名前まで教えてやる義理もない」

 化粧はほとんどしていないとはいえ、唇には薄くリップが塗られているような気もする。それぞれが事実を受け止めていく中で……。

「ええ……?」

「……」

「……マジで? いや、だって――」

「謝る必要はないですよ」

 一人、衝撃から立ち直っていないような人間がいた。飛ばされる冷ややかな声。

「試験にデリカシーを求めているわけではないですし。気の感知には優れても、そこまでは気付けないのは原人らしいとは思いますが」

「……!」

「さて――」

 予想外の方角から反撃を喰らって口を(つぐ)んだリゲルを置き去りに、郭が足の向きを変えた。

「仕事とはいえ、素人たちの相手をするのも疲れました」

「――」

「僕はもう帰らせてもらいます。今日の修練もありますので」

 こちらの返事も待たずに歩いていく。試合場の外へ抜け。

「――ああ」

 扉へ手を掛けかけた中途で。纏まりを取り戻した滑らかな黒髪を揺らして、振り返った。

「最後に一つだけ」

「――っ?」

「目を疑うほど稚拙(ちせつ)な固有技法と、刃もついていない(なまく)らを振るう羊に言っておきますが――」

 俺のことか? 思わずぎくりとする中で、今日初めてではないかと思うほど、はっきりと合わされる郭の瞳。

「――立ち向かうべき相手に、加減などするな」

「――ッ」

「加減とはあくまでも、命を失う危険のない人間がするもの。大層幸運なことに、貴方たちの命を狙っている連中に、貴方(ごと)きが仕留められる相手などいません」

 皮肉に薄く(わら)うような。

「死にたくなければ、必ず殺す気で振るうことです」

「……」

「正真正銘の全力で。――では」

 それでいて真剣さのこもっている眼差しを残して、扉を開けた姿が向こうに消えていく。気配が去り……。

「……ふぅ」

 開閉の立てる残響が失せたところで、誰からともなく、息が零された。――終了。

「……疲れたな」

「お疲れさまでした」

 ようやくそう思える。時間にすればそれほど長い試験ではなかったはずだが……。

「仕事の一環として見させてもらいましたが、いい試合でしたね」

「――っ」

「リゲル君たちも、黄泉示くんたちも含めて、ひと月前までは一般の学生だったと思えないほどの立ち回りでした」

「いや……」

 フルマラソンを走り切ったあとのような、力を使い果たしたような疲労感がある。お世辞でなくそう言っているような三千風さんの態度に、どこか極まりの悪い感覚が浮かび。

「……ありがとうございました」

「ん?」

「最後に郭が暴走したときに、割り込んでまで助けてくれて」

「いや、マジっすよホント」

 ともすれば俺以上に危険を感じていたらしい、リゲルが大きく息を吐く。

「あれを喰らってたら、ガチでただじゃ済まなさそうだったすもん。三千風さんがいなかったら、どうなってたことか」

「――礼ならこの子たちに言ってあげてください」

 奇妙な生き物たちの方を向く三千風さん。

「僕はこの子たちを呼び出しただけで。攻撃の威力を減衰したのは、彼女たちがやってくれたことですから」

「――」

「彼らは――?」

「【四大精霊】」

 ジェインの問いかけに、飛び込んでくる妖精と右手をハイタッチさせた三千風さんが答える。

「召喚士として僕が契約を結んでいる精霊たちでして。古典的な西洋魔術の体系において基本となる四つの属性を司る精霊のうち、二柱を呼び出しています」

「……!」

「【火精霊(サラマンドラ)】と【風精霊(シルフェ)】。郭が高度な【複合魔術】を放とうとしていたのが分かったので、対応するために」

「【複合魔術】……?」

「異なる二つ以上の属性を組み合わせることによって、威力や効力の増大を狙った魔術のことですよ」

 蜥蜴を肩に乗せている三千風さんの説明に思い当たる。そういえば。

「属性の強みを引き出す精密な比率での構築に成功すれば、より強力な魔術を生み出せますが、バランスを崩してしまった場合、かえって個々の属性の威力を殺してしまいます」

「――」

「優れた術式の構築能力とセンス、属性への理解がなければこなせない芸当でして。郭は暗黒以外の七属性全てに対して、それを行える素養を持っているんです」

「――っ‼」

 直前に見せていた障壁の魔術も、水と雷を組み合わせたものだった。っそれは――。

「加減はきちんとしていたと思いますよ。最後の失敗についても、術を放った直後にマズいと気付いてはいたようですし」

「……」

「術式を強制的に中断して、効力を破棄することはできたでしょう。その場合でも、軽い火傷くらいは負うことになったかもしれませんが」

 リゲルやジェインとはまた違った才能。属性に対するマルチスキルとでも言っていいものだ。本当に……。

「なんと言うか……」

「いえいえ。僕は本当に、大したことはしていないんですよ」

 手強(てごわ)い試験官だったということで。三千風さんが手を振ると同時に、二体の精霊たちが景色に溶けるようにして姿を消した。

「あの時点で大事にならないことは決まっていたようなものですし。郭が呪文をキャンセルしなかったのは、僕が精霊たちを呼ぶのが見えていたのと――」

 実力者として語る視線が、フィアを見る。

「あの状況の中で、カタストさんが咄嗟に展開した障壁に気が付いていたからだと思います」

「……え?」

「郭の複合魔術の威力は強力で、精霊たちでもあの一瞬に全てを消し去ることはできませんでした」

 三千風さんの言葉に一瞬気を取られる。……フィアが?

「残ってしまった炎と雷撃の余波で君が傷を負わなかったのは、今発動している魔力流の効果もありますが、それ以上に確たる守りがあったところが大きい」

「……!」

「持続はほんの一瞬だけのものではありましたが、襲いかかる熱と電撃をしっかりと防ぎきっていましたからね。――驚きましたよ」

 意識を取り巻く閃光と轟音で、まるで気が付けなかった。思わず振り向いた俺の視線の先で。

「魔術を習い覚えてひと月の人間が出せる強度とは思えませんでした。上守支部長から教わった術式の行使も見事でしたが、直前より更に出力を上げたものでしたし」

「……はい」

「あれだけの効果を引き出せるとは、(ファン)さんたちが気付いている以上の素質を持っているのかもしれません。これからの成長にも期待が――」

 三千風さんから賞賛を受けているフィア。その様子が、おかしい。

「……!」

「そう……ですね」

「――カタストさん?」

「大丈夫……です」

 俺に続いてジェインたちも気付く。かすかにふらついている足元。

「ちょっとだけ、眩暈(めまい)が……」

「――」

「……っ」

 定まっていない焦点に、額に浮かんだ汗。声を途切れさせたフィアが――。

「――っ⁉」

「――っ、おいッ⁉」

 大きくぐらついたかと思うと、唐突に地面に崩れ落ちる。咄嗟に受け止めた身体。

「――フィア‼」

「ッ、――これは」

 腕に寄りかかる身体が熱を持ち、零れ落ちた白銀の髪の下から、目を閉じたままの荒い呼吸が微かに断続している。混乱に狼狽する俺たちの間に。

「――どうした⁉」

 試合場の入り口から、耳慣れた誰かの声が飛び込んできた。



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