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彼方を見る者たちへ  作者: 二立三析
第四章 魔導協会での生活
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第十三話 不穏な始まり



「――本当にやらせるつもり?」

 試験場の外。

「私らがみっちり指導してきたとはいえ。あいつらはまだここに来て一ヶ月よ?」

「……」

「色々と危なっかしいところもあるし。レイガス・カシア・ネグロポンテって言ったら、伝統派のトップじゃない」

 黄泉示(よみじ)たちの試験が行われるフロアから一階層を下った踊り場で、四人の魔術師が言い合いをしている。黙したままの(あおい)に食ってかかる立慧(リーフイ)

「事あるごとに秋光(あきみつ)様と衝突してるので有名な。外出許可が秋光様の提案なら、絶対邪魔してくるに決まってるわよ。よりによってそんな人間に試験役を――」

「私は本山の内部事情については詳しくないが……」

 あくまで落ち着きを保った千景(ちかげ)の話し出しに、立慧が噴気しかけていた語気を止める。

「レイガス様とその賢者見習いについては、余り良くない噂も耳に入ってくる」

「――」

「外部に一切を知らせない、徹底した秘密主義での修練。支部や本山の魔術師との交流もほとんどしない」

 愛用のケースから煙草を取り出そうとして、思い直したように金属製の蓋を閉じる。千景が改めて葵を見た。

「顔を合わせたことがあるのも、会わせるに足りると判断されたごく一部の人間だけ。他人を歯牙にもかけないあの性格は、周囲から隔離された環境で(つちか)われたものなんだろうな」

「まぁ、ありゃあ大分尖った性格だな」

 千景の見立てに、田中も肩を(すく)めて追従する。

「魔力と自信がビンビン来てやがる。丁寧に隠しちゃいたが、相当やる気があんのは確かみてえだぜ」

「っそうよ。だから――」

「つっても、俺は中止させる気はねえけどな」

「はぁ?」

「支部長である俺らが鍛えたんだぜ? あんな年端も行かねえ若造に、やられるわけがねえって」

 耳を疑うと言うような立慧に対し、ニヤリと笑みを浮かべる田中。

「てんやわんやしてもしょうがねえ。師匠たるもの、後ろでどーんと構てりゃいいのよ」

「齢自体はカタストたちと大して変わらないと思うが……」

「大した指導もしてないくせに、いつの間に師匠になってんのよ。他人事だと思って大した適当振りね」

 楽天的に言い放つ田中を、立慧が明確な非難のこもった眼つきで(にら)み付ける。

「あんたのそういう能天気なとこだけは、時々羨ましく思うことがあるわ」

「――では、私はこの辺りで」

「――待ちなさいよ」

 背を(ひるがえ)しかけた葵に、立慧が食い下がった。

「人選についての返事をまだ聞いてないわよ。人を食った生意気な態度に誤魔化されるほど、私ら支部長はバカじゃない」

「……」

「あの(かく)って奴、態度はいけ好かないけど相当の実力者だわ。あの性格に加えてレイガス様の意向があるとすると、試験とはいえ何をしでかすか――」

「……秋光様も、その辺りは考えておられます」

 想像に言葉を切った立慧に、葵が瞳を向ける。

「だからこそ、自身の弟子――もう一人の賢者見習いをつけたのでしょう。対等な見届け役として」

「って言ってもね――」

「――頼りになんのかよ?」

 割り込み。

「あの坊ちゃんは。ただでさえ心がふらふらしてんのに」

「――ちょっと」

「修行の行き詰まりで消沈してたところを、こんなよく分からねえ主導権争いに巻き込まれちまって。あの郭って奴の方が、肝だけならよっぽど据わってそうに見えたけどな」

「……」

「――心配は無用です」

 今しがた立慧が口にしようとしたのだろうことを口にする田中に、千景を含めた二人が静観する形になる。葵の返答。

「賢者見習いという立ち場は、一時の(つまづ)きで揺らぐほど軽いものではありません」

「――っ」

「次代の賢者として協会を担うはずの者。選ばれた立場に相応しい力を示し続けてきたことには、それだけの重みがある」

 口調はいつものように淡々としていながら、どことなく遠い。再度背を翻した葵が――。

「その立場を自負する人間であれば、同じ立場の者以外の言葉は届かないでしょう」

「……!」

「賢者見習いの相手が務まるのは賢者見習いだけ。――何を言おうとも、すでに(さい)は投げられました」

 去っていく姿のあとに、言い渡すように言い残した。

「貴方たちにできるのは、信じて待つことだけです。自分たちの鍛えた彼らの成長を」


 ――

 ―


「――まったく」

 ……先輩たちが去り。

「お節介な保護者たちですね」

「……っ」

「支部長の本懐を忘れているのか、どうも困ります。大した仕事量のない修養派とはいえ、些末(さまつ)な事件に三人もの支部長を()く采配には、ほとほと首を捻らざるを得ませんね」

 試験場の中には俺たち四人と郭、三千風(みちかぜ)さんだけが残されている。これ見よがしに息を吐きながら言ってのける郭。

「支部長とは一般人の世話を焼くためではなく、協会の秩序を維持するために立場を与えられているもの」

「――」

「補佐に運営の多くを任せ、素人の指導にかかりきりになっている現状は、役職の本分から明確に外れています。私情の交じった過保護と言わざるを得ない」

「――それは違います」

 呆れたように首を振りつつ批判をするその姿に、三千風さんが口を開く。

「彼らが巻き込まれている事件は、通常のアウトオーダーの事件などとは危険性が明らかに異なる」

「……!」

「普段協力姿勢を見せることの少ない凶王派が、連帯して襲撃に(たずさ)わっているんです。(ファン)さんたちをつけるのは、支部長クラスでなければ有事の際の対応に不足が出ると考えているから」

 淀みのない口調には、師である秋光さんに対する揺るぎのない信頼がある。

「魔導の秩序とは、魔術師だけでなく、それに関わる人間全てに対して守られるはずのことです。相応(ふさわ)しい人員を適切な事例に配置することは、協会の理念にいささかも違っていない」

「大した言い振りですね。彼らを狙う凶王派の意向には、裏切り者の九鬼(くき)永仙(えいせん)の意図も絡んでいるのでは?」

 ――っ。

「九鬼……」

「……永仙?」

「おや。自分たちに関わる重大な情報であるにもかかわらず、知らされていないとは」

 初めて耳にする名前。微かに唇を噛むようにした三千風さんの前で、郭がわざとらしく大仰な驚きを披露する。俺たちに同情するとでも言いたげな視線を向けて。

「恥ずべき不手際ですね。協会の賢者見習いとして、僕が部外者の貴方たちにも分かりやすく説明してあげますよ」

 過分に他意のある笑みで手を掲げてみせる。傷一つない指先がぱちりと音を鳴らすと同時――。

「……っ!」

「えっ?」

 俺たちと郭の真横、何もないはずの空中に、長方形をした鮮明な映像が浮かびあがってきた。――なんだ?

「今から半年ほど前――」

 これは。紙芝居を映像化したような、デフォルメされた背景と人物が動画の中を生きているかのように動いている。……魔術による投影。

「この魔導の本拠地たる魔導協会の本山において、前代未聞と言っていい事件が起こりました」

「……」

「当時の『大賢者』。魔導協会のトップである魔術師であった男、九鬼永仙が、あろうことか自分の組織に反旗を翻したんです」

「――っ!」

 この綻び一つない映像を詠唱もなしに映し出す芸当は、俺たちの習い覚えた技法のどれだけ先にある技術なのか。――なに?

「予想もできない余りに突発的な事態に、四賢者を含む当時の協会員たちは混乱し、貴重な魔導具を盗まれた挙句(あげく)、永仙の逃走を許してしまった」

「……」

「その後九鬼永仙は更に三大組織の一つである聖戦の義の保管庫に押し入り、『神器』と呼ばれる強力な魔道具を奪取。なにを考えたのか、今では不倶戴天の敵であったはずの凶王派に席を置いている」

「……⁉」

 右手の人差し指を立てて歩き回る郭の仕草に合わせて、映像の中の人物たちが人形劇のように場面を移し替えていく。――っその名前。

「貴方たちが命を狙われている原因は不明ですが、そこには凶王派だけでなく、間違いなく九鬼永仙の意向が絡んでいるんですよ」

「……」

「極東の魔導の大家の出である彼は、出自を等しくする(しき)秋光(あきみつ)の親友であり、共に穏健派を打ち立てた同志でもあった」

 沈黙している三千風さんを、意味ありげに見遣る郭の視線。……それは……。

「君たちの陥っている現状はつまり、永仙と秋光様を擁する一派が作った事態と言っても過言ではない。穏健派の甘さが招いた失態です」

「……その責任を取って、先生は率先して混乱の収束に尽力しました」

 本当なのか? いつになく苦しそうな面持ちで口を開く三千風さんが、今一度郭を視線に捉える。……内容を否定しない。

「事件のあとで筆頭に選ばれたのも、かねてより重ねてきた人望があってこそのことです。凶王派の思惑に巻き込まれた彼らについても、できる限りをしようとしている」

「白々しい空言(そらごと)に口が回る。まあ、いいですよ」

 意図はどうあれ、今しがた語られた事情は事実だということか。再度のフィンガースナップで映像をかき消した、郭が不敵な笑みを浮かべた。

「今回の試験に直接関係のあるものではないですし。――いい機会ですからね。次代の賢者候補筆頭と言われている君に、僕の力を見せる」

「郭……」

「――始めましょうか」

 三千風さんの声を無視して俺たちへと向き直る。崩れることのない余裕で。

櫻御門(さくらみかど)補佐官から聞いている通り、試験形式は四対一。貴方たちが戦闘不能になる前に、僕に合格を認めさせるだけの手腕を示すことができればクリアです」

「……っ」

「制限時間は無制限。この試合場は技能者の技量を試すため、生半可なことでは傷一つ付かないように作られていますので」

 堅牢さを強調するような軽い足踏み。

「互いに心置きなく全力を出せるでしょう。技能以外にも使えるものがあれば、何を使ってもらっても構いませんよ」

「……僕らは普段、それぞれ担当の支部長と個別に訓練をしている」

 用意は万全という様子の郭に、ジェインが声を飛ばす。

「四人で連携をとるのは久し振りだ。抜き打ちが試験の要素とはいえ、事前に立ち回りの相談くらいはさせて欲しい」

「好きにどうぞ」

 ともすれば拒否されかねないと思う提案にも、郭はあっさりと答えを返してくる。始めから俺たちなど眼中にないという感じで。

「その程度のことで結果は変わりませんし。――実戦では敵は待ってなどくれませんから、その点は本来減点すべきなんでしょうが」

「っ」

「ひと月前まではただの学生だった貴方たちだ。不幸な一般人への同情として、今回ばかりは大目に見てあげましょう」

「……言質(げんち)は取ったぞ」

 背を向けて――。

「……どうする?」

「――考える必要なんてねえだろ」

 顔を突き合わせる。俺の問いかけに、今にもぶちぎれそうと言ったドスの利いた声で呟くリゲル。

「相手の言う通り、遠慮も手加減も要らねえ。全力でぶっ飛ばしてやるだけだぜ」

「まあ待て。奴を叩きのめしてやりたいのは僕も同じだが……」

 冷徹な怒気のこもる目付きでジェインが眼鏡を上げる。日頃から犬猿の仲の二人が、いつになく意見を一致させている。

「相手は賢者見習い。先輩たちより格上で、三千風さんと同格の技能者だ」

「っ……そうですよね」

「策もなしに挑めば間違いなくあしらわれる。まずは戦型の確認から――」

「――まだですかね」

 ――ッおい。

「温情から(ほどこ)しを与えたとはいえ、時間は有限です」

「――」

「つまらないことに費やしているほど、賢者見習いという立場は暇ではないんですよ。自分たちより価値のある相手の時間を削っていることを考えて――」

「――おい」

 まだ一分も経っていないんだが。つらつらと悪意のある台詞を並べ立ててくる郭に対し。

「さっきから黙って聞いてりゃよ。何様のつもりなんだよテメエは」

「……なんの話でしょうか?」

「テメエのそのふざけた態度のことだよ」

 リゲルが指を突き付けた。怒りに満ち満ちた語気。

「他人相手に価値がねえだの、自分の方が重要だの」

「……!」

「世間も知らねえようなガキんちょが。自分のホームで立場があるからって、他人を見下していい道理があるとでも思ってんのか?」

「これは驚いた」

 並みの相手ならそれだけで震えあがってしまいそうな眼光が、サングラスを外したブルーの瞳から放たれている。真っ向から叩きつけられた敵意に怖じけることなく、郭が冷笑に近い笑みを浮かべてくる。

「何を口にするかと思えば。保護されている身で、随分と過ぎた口の利き方をする」

「――ッ」

「平和ボケした穏健派の人間に応対されると、草しか()めない羊の態度も大きくなるものなんですかね。――なにがいけないんです?」

 開き直ったように大仰に肩を竦める仕草。

「技能者の世界にしろ、貴方たち一般人の社会にしろ、世の中を動かしているのは力のある人間です」

「……」

「非力で凡庸な人間は僕らに守られ、導かれるだけの立場でしかない。――見向くような価値もないと考える方が、至極当然の結論だと思いますが」

「よく言うぜ」

 初めから対等な立場など認めていない相手の態度にも、リゲルは臆さない。迫力のある人相で不敵に笑い。

「能力だけが全部だと思ってるとか、見た目にたがわずまだまだお子ちゃまだな」

「……!」

「黄泉示とフィアがどんな人間なのかは、俺の方がテメエよりずっとよく知ってるぜ? 身も心も貧相な野郎が将来組織を引っ張ってくとか、おかしくて(へそ)が茶を沸かしちまうよ」

「――ッ」

 薄い胸板へ向けられた挑発の視線。数瞬。

「……随分な侮辱だ」

 ほんの僅かな時間だけ、静寂がリゲルと郭の間に差し渡される。……これまで通りに崩れない余裕。

「大人しく立場を(わきま)えていればいいものを、ここまで己の分際を知らないとは」

「いや……」

「――いいでしょう」

 だが、リゲルの発言が余程のこと逆鱗に触れるものだったのか、これまでにない凄味がその裏にある気がする。――自然体。

「そこまで啖呵(たんか)を切ったのなら、試してみるといい」

「――ッ」

「自分の牙が相手に届くかどうか。貴方たち程度の力量では、僕に触れることすらできない」

「――上等じゃねえか」

 力を抜いているような何気ない立ち姿でありながら、瞳の奥に潜めた牙を向くような気迫によって、先ほどまでとはまるで違う構えなのだということを理解させられる。――ッ。

「テメエみたいな見下し暴言野郎に、ダチを(けな)されて黙っている(いわ)れはねえ」

「……!」

「ぶっ飛ばしてやるよ。すかしたその(つら)一遍(いっぺん)、全力でなぁッ‼」

「――リゲルさん⁉」

「おい――っ⁉」

 マズいと思った瞬間、止める間もなしにリゲルが郭目がけて突っ込んで行ってしまう。って――!

「――ッあのゴリラが」

「っ、ジェインさ」

「……仕方がない」

 ッ作戦はどうするんだ? 呆然とする俺とフィアの隣で、ジェインから苦虫を噛み潰したような声が零れてくる。忌々し気に口元を歪め。

「個別に戦えばいい的になるだけだ。――行くぞ、二人とも!」

「ええっ――⁉」

「いや、何か作戦とか――」

「あの馬鹿に合わせられる戦術などあるか⁉ 今はとにかく、ゴリラを狩らせないことが第一だ!」

「はっ、はい!」

「行くぜ、こんにゃろうめがッ‼」

 いつにないジェインの叫びに思わず頷いたフィアと、頭を押さえた俺が用意を整える。前方で響く号砲を合図に、なし崩し的に俺たちの試験が幕を開けた――。




 ――

 ―

「〝終月〟っ。――ッ!」

「ウラウララァッ‼」

 開幕に先んじて。手元に呼び出した黒色の刀身を手に追い(すが)る俺の前方で、気迫を(みなぎ)らせるリゲルが郭へと飛び掛かっていく。――ッ速い。

 日頃合同で鍛錬を行っていることからして、俺なりにリゲルの運動能力には予測をつけられるつもりでいたのだが、想像を上回る速度に距離を縮められないでいる。騎兵の如くに突き進むスーツの姿を――!

「まさか本当に突っ込んでくるとは」

「――ッ‼」

「優れた才能を持つとはいえ、直情的な馬鹿では活かしようはありませんね。知性を持たない獣だ」

 自然体のまま佇立(ちょりつ)する郭が迎え撃つ。柔らかな高級生地を纏う左右の手を、緩やかに腰元に下ろしたまま。

「救いようのない――」

「ウラァッ‼」

「――【水泡の壁】」

「――ッ⁉」

 薄く(わら)った頬目がけて放たれた右ストレートを、瞬時に生じた水膜の障害物が受け止めた。――ッ障壁。

「ッんだよこいつはぁ‼」

「属性魔術の基本の一つである、中級の対物理障壁」

「ッ!」

「人の腕力ごときで破れるものではありませんよ」

 粘度のある巨大な水泡が郭を包み込み、膜に沈み込んだリゲルの腕を絡め取っている。っ食らえばゆうに骨をへし折る威力を持つリゲルの拳を。

「チィッ――!」

「呆気なさ過ぎて他愛もない。まず一人――」

「ッ【時の遅延】――‼」

 あの一瞬に展開した術式で無力化した。まずいと見て取った俺が、終月を構えたまま一か八かで二人のいる場に飛び込もうとした刹那。

「【二分の一倍速】‼」

「――っ」

 試合場の空気を裂くようなジェインの詠唱が駆け走り。時間の加速を予想して身構えた直後に、何かを仕掛ける気でいた郭の動作が急速に勢いを失った。これは――ッ⁉

「こ――の―程度の魔術で僕の動きを止められるとでも?」

「ッ‼」

「扱う者の少ない概念魔術とはいえ、格上の術師相手に干渉系統での妨害が望めないのは常識です」

 これまでに使っていたような、行動速度を倍化させる魔術ではない。――加速の逆。

「魔導院であれば落第並みの対応策。担当した支部長の手腕が疑われますね――」

 俺たちにかけていた援護と逆の効果を、相手への妨害として使っているのか。賢者見習いである郭に即座に影響はレジストされたらしく、目に見えていた遅延の効果が一秒ほどで消え失せる。――ッ駄目だ。

 見据える二人との距離を測りながら思う。今の援護を経ても、リゲルの救出には間に合わない。

【魔力解放】を使えば辛うじて届くかもしれないが、試験が始まったばかりのこのタイミングでは、どの道先を潰してしまうことになる。暗雲たる予測に奥歯を噛み締めたそのとき――。

「――う」

 見ている光景の中で起きている、異変に気付かされる。――震え。

「ッウオラァッッッ‼‼」

「――⁉」

 渾身の力を引き出すような怒号がスーツの背中から(ほとばし)る。地面を打ち震わせる裂帛(れっぱく)の踏み込みが響いたかと思うと、リゲルの右腕を捕えていた水の膜が、空気圧の限界を超えた風船のように弾け飛んだ。なに――ッ⁉

「――なっ」

「フンッ‼」

 狙い澄ませた一点に負荷を集中させるようにして捻じり込まれたリゲルの腕。――破ったのか⁉

「シィッ‼」

「――ッ!」

 魔術の強化も援護もない独力で、賢者見習いの障壁を。瞠目する視線の先で眉根を跳ね上げた郭。消え残りの水泡に囚われて回避の動きを取れていない相手の顔面に向けて、(うな)りを上げるグローブの拳が――ッ‼

「――ッ⁉」

「えっ⁉」

 叩き込まれたと思った瞬間、鼻頭(はながしら)をへし折る勢いで繰り出されていた左のストレートが、空振りを意味する鋭い風切り音を響かせる。――なんだ⁉

「――なるほど」

 俺たちの目の前に映る郭の姿が、突き出されたリゲルの拳をすり抜けている。響く声。

「猪突猛進をするしかないイノシシかと思えば、どうして中々」

「――」

「内部の気の操作。内丹法の術理については、一定程度を修めているようですね」

 今しがたまで確かに実体だったはずのその姿が、出力を停止されたホログラム映像のように消失する。試験場のどこにも姿は見せないまま、聞き覚えのある声だけが郭の存在を辺りに響き渡らせている。……高度な幻。

「瞬発力や持久力と同時、魔術に対する抵抗力も上がっている」

「……!」

「素手で中級の障壁を破るとは。事前の愚策とは裏腹に、大いに驚かされましたよ」

 魔術によって反響の方角を操作されているのか、辺り一面からエコーを掛けて響くような声の出どころは、まるで見当がつけられない。周り全てに警戒するしかなくなった俺たちに対し……。

「そして――」

「……っ」

「後衛の参謀役。貴方も中々の判断をする」

 気紛れに評価を下すようだった郭の声が、くらつきから立ち直ったようなジェインを指して、微かに認識を改めるような色を帯びた。

「発動後に即座に反動を警戒したその様子だと、レジストの危険性については理解していたようだ」

「――」

「危機の最中にあえて見え見えの悪手を選び取ることで、僕の意識を一瞬とはいえ生まれた隙の方に集中させた。スマートとは言えませんが、効果的な一手です」

 ――そういう意図だったのか。

 郭の説明を聞くことで、後追いでジェインの行動の狙いを理解する。間違えれば挽回の余地のないあの数瞬に――。

「――さて」

 そんな高度な考えを巡らせていたとは。相変わらずの思考能力に舌を巻く気持ちでいる中で、今一度調子を変える郭の声。

「このまま貴方たちが隠形(おんぎょう)を破れるかを眺めていてもいいんですが、一応は試験ですからね」

「……っ」

「迫り来る脅威に対して、どう対応するか。貴方たちなりの奮闘を見せてもらわないといけません。そこで」

 始めの嫌みを取り戻したような台詞。嫌な予感を覚えた直後――。

「――趣向を少し変えましょうか」

「――ッ⁉」

 合図というような郭の宣告と同時に、俺たちを取り巻いている試験場に、明確な変化が訪れた。これはッ――⁉

「――ええっ⁉」

「なん――っ」

「……なんなんだ、これは」

「さあ」

 目の前の光景を疑って眼を擦る。俺たちの眼前に現れたのは、試験場の半分を埋めるような郭たち(・・・)の姿。

「守りとしてはこんなものですか」

「……!」

「遭遇したことのない事象にどう向き合うか。あなた方の対応力を測るには持ってこいの試練と言えるでしょうね」

「――へっ」

 総勢三十人を超えるだろう賢者見習いの姿が、見渡す視界一面に映り込み。にこやかに手を振ったり、挑発する表情で腕組みをしていたりと、てんでバラバラの行動を取っている。――リゲル?

「何を用意してくると思えば。数頼みのかくれんぼじゃねえか」

「……!」

「いくら並べようが所詮はまやかし。片っ端から殴って消してきゃ、いつかは本物に辿り着くぜ」

「――待てッ‼」

 現れた郭の集団に気を取られていたリゲルが、覇気のある気勢を取り戻している。指で顎先を(こす)り、両腕を引き上げたファイティングポーズで――ッ。

「リゲルさんッ!」

「そらッ――‼」

 ジェインとフィアの制止を振り切り。これまでで一番気合いの乗った前傾姿勢でもって、正面にいた郭の一人にジャブを放った。――直撃する。

 刹那。

「――グゥッ‼⁉」

「ッ⁉」

 触れようとした虚像の眼前から鮮やかな閃光が迸ったかと思うと、リゲルの全身を輝く光の洗礼が襲う。なに――⁉

「リゲルッ⁉」

「――ッチィッ‼」

「――やれやれ」

 攻撃を受けながらも、どうにか跳び下がったリゲル。発せられる苦悶の声をなぞるように、集団のうちから嘲弄(ちょうろう)する含み笑いが響き渡る。これは――‼

「馬鹿の一つ覚えと言いますか。間抜けな獣も、ここまで読み通りだと呆れ果てますね」

「……ッ‼」

「リゲルさん――!」

「一度把握した相手の能力に、なんの手立ても打たずにいるわけがないじゃないですか。先ほどの交錯(こうさく)で、貴方の運動能力と魔術への抵抗力はおおよそ測らせてもらいました」

 罠? 膝をついているリゲルにフィアが駆けよる。手のひらから柔らかい治癒の光が零れ出す中で……。

「大丈夫ですか⁉ 今治療します――!」

「端からドミノ倒しのように殴られては敵いませんので。頑丈なイノシシにも効くよう、相応のトラップを仕掛けてあります。そして――」

 郭の言葉が意味深に途切れる。……なんだ?

 気配に見上げた先。十メートル以上はあるだろう、白い化粧石の敷かれた天井の近くから、弾けるような異音が鳴り響いている。どこかで耳にしたことのあるような。

 本能的に背筋を凍らせるような放電音(・・・)。見開いた瞳の先に――ッッ‼‼

「――ッッ‼⁉」

「きゃあッ⁉」

 天井から一条の閃光が迸り。景色を引き裂く稲妻が、衝撃を伴って地面に激突した。――身を(すく)め。

「……‼」

「攻撃としてはこれを」

 思わず防御の姿勢を取っていた俺たちと郭の集団の間に、魔力のコーティングが為されている地面に散っていく電光の余波が見える。……っ今のは。

「上級クラスの雷撃」

「……!」

「資料によれば、貴方たちは以前、雷を操る技能者と対峙したことがあるようですし」

 落雷(・・)なのか? 目を見張る眼前で残された放電が空気に散っていく。……あの男が先輩との戦いで見せたのと同じ攻撃。

「そのときを思い出すという意味でも丁度いいでしょう。過去に抵抗のできなかった脅威に対して、リベンジマッチと洒落(しゃれ)()みましょうか」

「……正気か?」

 鼓膜と肌を震わせた威力は、記憶の中にある恐怖と寸分違わない。……額に冷や汗が浮かんでくる。

「抵抗の仕方を心得ている魔術師ならともかく、僕らがこんな攻撃をもらえばただでは済まない」

「……‼」

「命に関わる危険性もある。幾ら実戦を想定した試験とはいえ――ッ」

「――こんな攻撃で人は死にませんよ」

 平然とした台詞が、ジェインの抗議を(さえぎ)る。

「平穏なぬるま湯に浸かっていた学生には分からないかもしれませんが。魔術師同士の戦いでこのレベルの攻撃が振るわれることなど、決して珍しいものではありません」

「……!」

「協会の治癒師の腕前なら、精々治療室のベッドで何週間かを過ごすくらいで済みます。休みなしに修行に励んでいた貴方たちには、いい休暇になるのでは?」

 冗談めかした悪意を込めて言われる台詞。……本気なのか。

「危険を(おか)して外に出るよりも、余程安全な待遇だと思いますが」

「……ッ悪趣味な野郎がッ」

 本気で俺たちを。戦慄を覚えながら終月を構え直した前で、郭の嗤い声が耳に響いた。



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