第十二話 外出試験
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――魔術で浮遊する巨大な円盤。
高速で浮上する石造りの設備から下乗して、訪れたのは初めて足を踏み入れる八階層目。協会の中でも訪れる人間が限られているのか……。
「――では」
下の階より一層静けさの増したフロアを歩いていき、一つの扉を潜り抜けた先の空間で、先導してきた葵さんが改めて俺たちに向き直る。……広さは小規模な体育館ほど。
「貴方たちに対して行われる試験の内容について説明します」
「っはい」
「安全を確保できると思えるだけの護衛をつけるとはいえ、殺害を狙う襲撃者の前に出るとなれば、最低限自分たちの身を守れるだけの力量が備わっていなければなりません」
天井も高く、ここに来た初日に立慧さんと模擬戦をした試合場の倍程度の広さがある。俺たちを見回す冷静な瞳に、移動の間に落ち着いた空気が再び引き締まるのを感じながら身構える。……そうだ。
「具体的に言えば、外出中に直接襲撃者と対峙するような場面ができたとしても、致命傷を負わずに時間を稼げるかどうか」
「――」
「実戦の中でそこまでの動きが可能であるのなら、アクシデントが起きても護衛の到着や逃走を望めます。――試験は四対一の模擬戦形式」
リスクを負って状況を動かすという決意をしたのだとしても、それはあくまで覚悟の話。力量が不足していれば実行に至ることはない。一対多。
「この修練場を舞台として行ってもらいます。凶王派からの襲撃がある場合、相手も相応の力量者になるだろうことを予測して、試験官は適切な力量を持つ人間が務めるべきだと判断しました」
「――」
聞いた限りではこちらに有利な条件のように思えるが、纏まって動くのだろう外出時の状況を踏まえると、それが適切なのかもしれない。力量者――。
「――って」
「まさか……?」
「違うわよ。――私らも知らないのよ」
先輩や三千風さんたちに向いた俺たちの視線の意図を、首を振った立慧さんがあっさりと否定してくる。
「公平性の問題で、開示は直前まで伏せるとかで。あんたたちが頷いて、ようやく教えられることになってるの」
「同じ理由なんでしょうが、僕も先生から話は聞いていませんね……」
「――日頃の指導を務める支部長たちでは、互いの情報が知れすぎています」
先輩たちと俺たちを共に見渡した葵さんが話を進める。軽く咳払いをしたのち。
「日常的に交流のある人物でも同じこと。状況を考えれば、貴方たちが相対すべきなのは未知の相手」
「……!」
「試験を担当するのは四賢者レイガス様の弟子。三千風零と立場を同じくする、もう一人の『賢者見習い』です」
「――ああ」
――声。
「時間通りと思いましたが、皆さん少々早めに来ていたようですね」
「……!」
「お待たせして申し訳ありません。――初めまして」
先に俺たちが潜り抜けてきた扉が、再び口を開ける音がする。一同の視線を受けて俺たちの前に現れたのは――。
「賢者見習いの、郭と申します」
「――」
「初対面の方も、そうでない方も、以後お見知りおきを」
注目を集めても一切物怖じしないほど洗練された物腰を持つ、年若い一人の青年だった。……線の細い身体つき。
「賢者見習い……?」
「おお、アレが噂の……」
「……初めて見たな」
一六〇センチの前半と思しき身長に、後ろで一つに結ばれた、流れるような黒髪。溌溂とした瞳には才気と力が宿り――。
端整に整えられた顔立ちとルックスからは、ハスキーな声の音と相俟って、中性的な雰囲気を感じさせている。……これが試験の相手。
「先輩たちも初対面なんですか?」
「まぁなあ。支部長ったって、本山のことを何でも知ってるわけじゃねえ」
「――っ」
「知らないことなんざ、ごまんとあるさ。三千風と並ぶもう一人の賢者見習いっつったら、秘密主義で有名だしな」
「……郭」
「久しぶりですね、零」
訳知り顔で田中さんが呟く傍らで、互いの名を呼び合った二人が視線を交わす。――そうだ。
先に葵さんも言っていたように、賢者見習いということは、三千風さんと同じ立場の人物ということ。将来協会を率いる四賢者の最有力候補である魔術師を指しており。
その実力もまた同等に違いない。組織にとっての重要性を考えれば、情報が秘匿されておかしくはないはずで。
――しかし。
「……」
それにしては、何か。相手が現れてからというものの、硬い表情を見せている先輩。
「ええ。だけど……」
「――そちらが外出許可を得たいという四人ですか」
気がかりがあるような目つきを覗かせている立慧さん。周りの態度が気になっている中で、挨拶を終えたらしい相手が、俺たちに視線を向けてきた。にこやかな微笑。
「一般の学園に通う身でありながら、穏やかでない騒動に巻き込まれるなど、色々と事情があるようですが」
「……!」
「試験官を任された身として、僕も恙なく終えられるよう努めますので。公平な試験にしましょう」
「――っ、ああ」
優美とさえ言える仕草で歩いてきたのち、自信に溢れながらも、悪印象を抱かせない素振りで手を差し出してくる。――なんだ。
先輩たちの反応に不安を感じてしまっていたが、蓋を開けてみれば礼儀正しい相手だ。次代の幹部候補ということは恐らく、人間的な意味でも研鑽を積んでいるということ。
「手間をかけて申し訳ない。こちらこそ、どうぞよろしく」
「は、はい。よろしくお願いします」
実力だけでなく、人格的な面も考慮しての選出なのかもしれない。恐縮しているらしいフィアと順番に、差し出された手を取ろうとして――。
「――っ」
「……?」
「……」
直後に目にした動作に一瞬、本気でその意味を理解しかねることになった。戸惑う様子のフィア。
「え、ええと……?」
「……何をしている?」
「何を、とは?」
困惑している俺。理解していないような素振りで惚けてくる相手に、眉根を顰めたジェインが声を飛ばす。
「なぜ僕らにだけ手を向ける? 二人が手を出しているのが見えないのか?」
「――ああ。これは失礼しました」
今気づいたと言ったように慇懃に振り返る相手。俺たちの手をスルーした視線から、先にもまして隙のない微笑みが送られる。
「日頃からの修練で、貴方たちのような価値のない人間には目を向けるなと教わっているもので」
「――っ!」
「気を悪くしたなら済みません。試験の方ではきちんとお相手させていただきますので、ご心配なく」
「ああ……?」
「――では」
不愉快そうに片肩を上げるリゲル。俺たちの反応など歯牙にもかけていない素振りで、目の前の賢者見習い――郭がポンと手のひらを合わせた。
「始める前にまず、人払いから手をつけましょうか。櫻御門補佐官と、そこの支部長三人」
「――」
「ここまでの説明と案内、ご苦労様でした。試験内容を閲覧する権限は貴方たちにはないので、退室をお願いします」
「っ――⁉」
「……なに?」
それが当然であるかのような自然さで放たれた台詞。眉根を寄せた先輩の隣から――。
「……郭――だったかしら?」
立慧さんが歩み出る。眼つきに湛えた緊張と、胸元での腕組みに警戒心を顕わにして。
「あんたは聞いてないのかもしれないけど、私らは今回の事件について、秋光様から四人の担当を任されてる」
「――」
「指導役に任命されてる身としても、こいつらの成長ぶりを確認する義務があるの。万が一がないように――」
「――僕の師匠は、何かと慎重派でしてね」
毅然とした反論を、平然と遮る声音。
「賢者見習いとしてまだ荒い僕の力を、こんな半端なタイミングでお披露目するわけにはいかないとのことなんですよ」
「……!」
「この条件は貴方たちの言う、秋光筆頭も同意していることです。そうですよね?」
「……ええ」
抜け目のない余裕を持つ視線を向けられた葵さんが、懐から丁寧に丸められた一つの書面を取り出してみせる。これは。
「秋光様直筆の親書です」
「――!」
「今回の試験の段取りを郭賢者見習いに一任すること。当事者以外の同席は、三千風賢者見習いに限定する旨が記されています」
「っ、うそ――ッ」
「……本物みたいだな」
開かれた文面に、信じられないと言うように詰め寄った立慧さん。悔しげに内容を検める表情に続いて、瞳を細めていた先輩が首肯する。
「四賢者の正式な判がある。偽造の利く代物じゃない」
「嫌ですね。この程度の茶番劇に、そんな込み入った仕込みをするわけないじゃないですか」
「あー、んじゃまあ、しょうがねえってことか」
悠然とした笑顔で頷く少年。気のなさげな仕草で背中を掻いた田中さんが――。
「聞いてたかよ、受験者たち」
「――」
「お偉いさん方には何やら色々とあるみてぇでな。とりあえず、俺らはここまでってこった」
俺たちに向けて話を振る。いつも食事の席で見せているような、気負いのない態度で。
「試験自体は見ちゃやれねえ。ま、本番前の予行演習とでも思って、怪我しない程度に頑張れよ」
「ッ何が予行演習よ。――いい?」
――怪我? 不穏な単語に動揺する俺たちの前で、顔を近づけた立慧さんが真剣さを覗かせる。
「仮にもしヤバいって思ったら、試験途中だろうが絶対に棄権すること」
「……⁉」
「例え今回の件がふいになるとしてもよ? チャンスなんて、諦めなければ何回だって見つけられるんだから」
「……私たちから見ても、今のお前たちは着実に力をつけてる」
考えながら言葉を紡いでいるような先輩が。
「だとしても、無茶はするな」
「――っ」
「引き際を見極めるのも肝心だ。戦う相手をよく見て、応じた対策をとれ」
「――健闘を祈ります」
泰然とした余裕で佇んでいる青年に油断のない一瞥を向ける。促す葵さんに続いて、先輩たちが扉の向こうへと姿を消していった……。




