第六話 協会探索
――三時間に渡った指導を終えて。
「く~ッ、腹減ったぜぇ!」
「食事のときくらい静かにしなさいよ。ガキじゃないんだから」
「いいじゃねえか、元気があって」
俺たちは、朝と同じ食堂で昼食に着いていた。真っ先にハムとチーズに食らい付くリゲルに。
「鬼みてえな支部長のしごきに付き合ってんだからな。人間息抜きってもんが肝心――」
「――誰が鬼ですって?」
「流石に疲れたな……」
「そうですね……」
背筋の伸びた姿勢で箸を使う立慧さんと、両肘を突きながら碗を傾けている田中さん。先輩たち三人が加わった、大所帯での食事になっている。
「どんな訓練だったんですか? 黄泉示さんたちは」
「俺とリゲルはもっぱら、自分たちの特殊な力についての訓練だな」
疲労した身体にエネルギーを行き渡らせるよう、香味ソースの乗った中華風の唐揚げをよく咀嚼しながら話す。初回ということもあってか……。
「俺は例の技、【魔力解放】についての訓練で、リゲルは重力魔術について」
「おう! みっちり教わってるぜ!」
「始めだから、今はほとんど座学みたいなものだけど。午後は肉体的な技の方についても訓練をするらしい」
「んぐっ。ぷはぁ~っ! まあな!」
そこまで高度な課題などはなく、リゲルも俺も、教わった内容を反復練習しているような段階だ。頬張っていた中身を飲み込んだリゲル。
「今んとこは地道な訓練って感じだな。俺と違って、黄泉示の方は割ときつそうだけどよ」
「え」
「いや、大したことじゃない」
――心配をかけるようなことは余り言いたくない。
「すぐに慣れる。――フィアの方はどんな感じなんだ?」
「っ、はい。私の方はとりあえず、基礎から始めてみようってことで……」
自分の課題に集中できた方がいいだろうし、フィアの場合はまた、気にしてしまうかもしれない。ナイフとフォークを一旦置いたフィアが、胸の前でボールを取るように手のひらを向け合わせる。眉間にしわを寄せる集中ののち――。
「――っ」
「――なるほどな」
「っこんな感じで、魔力の使い方を教わってる感じです」
両手のひらの間に、淡くて小さい、魔力の光が生まれた。僅かに光量を変えつつ、不安定に揺らめいている。――魔力の発露か。
「意識を集中して、力を熾す感じで。……っ」
「――あんまりやり過ぎるなよ」
水晶球のときには先輩の補助がなければできなかったことを考えると、明確な進歩と言っていいに違いない。額に汗を浮かべたフィアが光を消したところで、斜め前の先輩から声が飛ばされてくる。
「魔力は自然経過で回復するものだが、個人によって容量の限界がある。完全に空っぽになると、運動機能とか肉体面にも色々と支障をきたすからな」
「は、はい」
「まあでも、着実な成長じゃねえか。――お前の方はどうよ?」
「ん?」
「相手側からのご指名だったけどよ。あのおっさんのところで、まともな訓練を受けられてんのか?」
「――まあな」
食事の開始から一心不乱に高カロリー食を食らっていたリゲルと違って、視線の先のジェインは、こんなときでもバランスと行儀を守りながら食べている。サラダドレッシングのついた口元をナプキンで拭きとって。
「概念魔術という特異性のお陰でこれまで力を扱えていたが、より十全に使いこなすつもりなら、術名を含めた詠唱で自覚を持つことが必要だと言われてな」
「――」
「今は基本的なところから始めて、理論を学ぶ段階でいる。座学のような感じだな」
「へぇ。あんたも案外、まともに教えてるみたいじゃない」
――立慧さんと同じ指摘か。
そう思ったタイミングで、当人が話に食いついてくる。持ち上げたコンソメスープのカップを片手に、すぼめたタンジェリンオレンジの瞳で、もの言いたげに田中さんを目にした。
「自主練とか言ってほっぽり出しといて、自分はぐーたら決め込んでるとばかり思ってたけど。やれば何だかんだできるのね」
「今から基礎だけ仕込んどけば、あとあと楽になるかな~って思ってよ。魔導院で使ってる教科書とか渡しといて、勝手に読ませればあとは寝るだけ――」
「田中には渡さないよう、支部と書庫の連中に事前に連絡しといてあげるわ」
「うげっ!」
顔を顰める田中さんに対し、立慧さんがにっこりと微笑む。……仲がいいのか悪いのか。
「ったく。何十年も前から働いてきた老いぼれだってのに、きつい扱いをされるぜ。年長者への敬意ってもんがねえのかねぇ」
「言われなくても、他の年長には敬意を払うわよ。あんたの場合、敬えるポイントが一つもないってのが悪いんだから」
どことなくリゲルとジェインの関係を彷彿とさせるような気もする。白々しいとばかりに言った立慧さんが、海老フライを突き刺したフォークでびしりと田中さんを指す。お世辞にも真面目そうに見えないのは確かだが……。
「そこまで酷いんすか?」
「そうよ。――年がら年中、酒ばっかり飲んでて仕事しないで、支部のことほっぽり出してふらついて、書類の九割九分は補佐任せなんだもの」
そこまで言われるほどなのかは。――予想以上に酷い。
「今回の件で連絡したとき、あんたの補佐官、電話の向こうでまた溜め息ついてたわよ。頭抱えてるのが見えるような雰囲気で」
「いいんだよ、別に。どうせ日頃っから暇なんだし。お前らの第十支部とか十一支部とかと違って、十四支部なんて、難しい案件も滅多に来ねえんだから」
「それでも普通の案件くらいは来てるでしょうが……!」
「――支部によって忙しさに違いがある、ということですか?」
「そうだな」
耳を塞いでぐいぐい酒を呷る姿に、じっとりとした視線が集中する。分析するように呟いたジェインに、先輩が水の入ったグラスを置いた。
「基本的には番号が若い方ほど設立が古くて、技能者同士の抗争が厳しい場所に建てられたって歴史がある」
「へえ……」
「今じゃ必ずしもそうとは限らないが、慣例としてか、第三支部までの支部長は特別優秀な奴が選ばれるな。――支部長の就任を決めるのは、協会の運営を担う四賢者だ」
そういう事情なのか。以前に聞いた話では、確か協会には十五の支部があるという話だった。
「支部の運営を受け持つのに必要な力量と、立場に見合った責務を果たせる人間性があると判断されなければ支部長には選ばれない。コネや人間関係で着くのは不可能といっていい」
「力量と……」
「人間性ね……」
「いやぁ、照れちまうぜ。お褒めに預かっちまって」
田中さんは番号的には最下位に近く、先輩たちはその上くらいということになるのだろう。思わずと言った様子で視線を移した俺たち。溜め息を吐きつつ見る立慧さんに、ほろ酔い気分な田中さんがへらへらと手を振っている。……昔は真面目だったのかもしれない。
「……えっとその、田中さんも支部長なんですから」
「……」
「普段の素行はともかくとして、やる気になれば実力はあるはずじゃ……」
「そうよ全く。――あんたも少しは危機感を持ちなさいよ」
今では見る影もないが。やや真面目な口調で言う立慧さん。
「第一支部のハディムさんに続いて、支部長でも二番目の古株だって言うのに。このままじゃ最悪――」
「つうか嬢ちゃん、よく見たらとんでもなく可愛いな」
「――えっ」
「よかったら酒とか注いでくれねえか? やさしく手酌でよ」
「……っええと、その……っ」
「――ッ本気で殴るわよ、このバカ田中が‼」
酔っ払いに迫られて困惑するフィア。差し出した手に思いっきりビンタを受ける田中さんの悲鳴を耳に、焼き野菜を二つに切った。……。
「――午後の指導の時間についてだけど」
「はい」
「私たちは用事があるから、十五時過ぎくらいから再開にしましょ」
昼食の終盤。各人の前の皿が空になってきたころ、立慧さんがそう告げてくる。香り高い湯気の立ち昇る、ジャスミンティーのカップを手にしつつ。
「食休みと休憩もかねて。あんたたちも疲れてるだろうし」
「食ったから割と回復はしてるんすけど。んな遅いんすか?」
「あんたね。――私らが支部長だってこと、忘れてるでしょ」
軽く息を吐いて首をすくめる。
「色々とこなさなきゃならない仕事があるのよ。補佐はいるんだけど、まだまだ頼りなくてね」
「機能しないと一大事だからな。魔導協会の支部は、周辺地域の魔術的なトラブルなんかを一手に引き受けてる」
先輩から解説が入る。私物と思しき焼き物の茶碗からは、芳醇な抹茶の香りが漂っている。
「どうにもならないときにはヘルプが送られてきたりするが、実務的な対応は支部内で完結させるのがセオリーだ。通常の職員以外に、支部長補佐ってのがいて、普段の仕事のサポートと緊急時の代役をすることになってるんだが、立慧のとこはまだ若いからな」
「最終的なチェックは私がしないといけないのよねー。面倒だけど」
「とかなんとか言って、また全員分見てやんだろ?」
からかうような田中さんの口調。
「物好きだよなぁ。仕事なんて適当に下にほっぽり投げときゃいいのに、自分から率先して手伝ってんだから」
「上が自分から動くから、周りもやろうって気になるんでしょ? ――立場のある人間として、きちんとした力と姿勢を示す」
しっかり腕を組む。こうして聞いていると――。
「支部長として選ばれた私たちには、本来ならそれだけの責任があるのよ。ホ、ン、ト、は、ねッ」
「へいへい」
「ったく。そういうわけで、あんたたちの指導も手を抜かずに行くつもりだから」
「――はい」
田中さんとは違って、支部長という立場にどれだけ立慧さんが責任感を持っているのかが伝わってくる。――昼飯が終わり。
「さて……」
〝本山内は、好きに見て回ってもらっていい〟
立慧さんたちと別れた俺たちは、食堂から移動して一階のホールに来ていた。別れ際。
〝出入りや見学は基本的に自由で、立ち入れない場所や区画があれば、その辺りは駄目ってことになる。あと〟
〝なんでしょうか?〟
〝お前たちの素性についてだが。もし他の協会員に会うことがあっても、詳しい事情については話さないようにしてくれ〟
〝――〟
〝凶王派に狙われてるとか、支部長が指導についてるとか、そういうことだな。聞かれるようなら特別措置で保護された人間だと言って、それでもしつこいなら、私らの名前や、秋光様預かりだってことを仄めかしてもいい〟
〝あんたたちの関わってる事件は、うちでもそれなりに重要な案件だからね〟
先輩たちから言われた内容が蘇る。今一度念を押してくる立慧さん。
〝能力の詳細とか、どういう訓練を受けてるとか、話さないようにすること。いいわね?〟
「どうしましょうか。中を見るのに、制限はないみたいでしたけど……」
「とりあえず、地図を見てみないか?」
人の行きかう円状のホールの壁際に、等間隔で並んでいる半円状の通路を目にする。どれも鏡写しのように似ている。
「次の指導までは二時間程度だ。何がどこにあるかも分からない状態で回るより、行き先を決めておいた方がいいだろう」
「中央に置いてあるって言ってたな」
このままではどれがどこに続いているのかも分からない。対面まで数百メートルはあるだろうホールの中央に置かれている、巨大な台座に俺たちが近づいた。上に何も載っていない、台形の礎石。
「これ――なんでしょうか?」
「どこにも何も書いていないな」
「あの水晶球みたいに、魔力で反応するんじゃないか?」
透き通る鉱物らしき物体の高さは一メートルと少しで、丁度胸下くらいの高さになる。すべすべした台座の表面に手を乗せて、魔道具のときと同じように魔力を込めるた直後。
「――ッ」
「おおっ⁉」
鉱石の表面に幾つもの光の線が走り。聳える台座の真上に、立体的な建物の図像が浮かび上がった。細部まで緻密に描き出している――。
「これが地図かよ」
「凄いですね……」
「外観の見取り図のようだが。――動かせるのか?」
「やってみる。――っ」
魔力の光。精巧なCGで作られたホログラムのようなそれに、手を置いたまま念じると、図が角度や大きさを変えながら回転して、施設を指す矢印の枠内に簡単な説明文が浮かび上がってくる。……これは凄い。
「はぁ~、滅茶苦茶分かり易いな、これ」
「今僕らがいるのが、このところだな」
「全部で十階建てなんですね」
拡大した一階部分の中心部に、現在位置を示す光点が表示されている。フィアの言う通り。
「第一書庫、第二書庫――。図書室があるのか」
「サロン……休憩室か?」
本山の中心部と言える建物は十階層からなっていて、巨大な円柱状の構造になっている。俺たちのいる一階のメインホールからは、放射状に通路と建物が枝分かれしており。
さっきまでいた食堂や訓練場、宿泊施設はそのうちの一部分。始めに入ってきた法陣が並んでいる入り口も、その中の一つにあるらしい。地下には更に三層があるようだが……。
「詳細の見れない部分もあるな」
「四賢者の私室などがあるのかもしれない。組織として、外部には明かせない区画もあるだろう」
「仕事場のとこも入れねえみたいだぜ。外部者の立ち入り不可って出てきやがる」
上層の三階層と同様、『非公開区域』の文字が浮かぶだけで、具体的な情報が開示されない。四人であちこち図を動かしつつ、ルートや情報などを読み取って。
「どうするか。僕は書庫へ行ってみたいと思っているが」
「休憩時間にまで字と睨めっこしたくねえっての。俺はやっぱり中を回ってみてえ気分だな。サロンとかいいんじゃねえか?」
「そうですね――」
「……どうするか」
選択肢が見えて来たところで、しばし悩みの時間になる。……本に興味がないわけではない。
今後のことを考えれば、指導の時間外でも色々と知識をつけておくのは有益かもしれない。しかし――。
「いよーし。いざ、出発!」
まずはやはり、自分たちのいるこの場所の内部を見ておきたかった。書庫へ行くというジェインと分かれて。
「楽しそうだな」
「そりゃあワクワクしねえか? 魔術師の住処だぜ? 魔術師の」
「まあな……」
「ちょっと、ドキドキしますよね」
前を行くリゲルの背中を目に、フィアと並んでサロンへと向かう。――滅茶苦茶うきうきしている。
「探検だぜ、探検。火を噴く石像とか、動き回る空中階段とか、魔法でぱ~っと現れるドアとかあったりしねえかな~っ」
「そんなのが出てきたら大変だな……」
冒険に出発する少年のようだ。俺としても興味がないわけではないが……。
リゲルほどワクワクしているとは言えない。両親が特殊な技能者だったこともあり。
「そうですよね。ドラゴンとか、グリフォンとかいるかもしれませんし……」
「……実は結構期待してるのか?」
魔術師と言っても決して、おとぎ話のような生活をしているわけではないと実感しているからだろう。内心の期待が抑えられないようにそわそわしているフィアを隣に、辺りを見回しつつ階段を上り――。
「ここか?」
「そうじゃなかったか?」
「いよっし。お邪魔しまっす!」
駄々広いフロアの一角に、隠すようにつけられているドアへとたどり着く。覚悟も決まらないうちに、溌溂としたリゲルが勢いよく扉を開けた。空間の開いた先にある――。
「……!」
「おお……」
明かりの灯っている空間に目をぱちくりさせる。これはなんというか。
「綺麗ですね……」
「廊下とはまるで別物だな……」
あくまで普通の意味で凄い。石造りの通路から入った部屋に敷かれるのは、東洋風の絨毯。
壁には幾つもの絵画が飾られ、天井には古風なシャンデリアが品格のある灯りを投げかけている。上質の設えがなされた、緩やかな曲線を持つソファーが並び。
各々の前には背の低い、濃い渋色をした木製の机が置かれている。艶のある表面が、静かに光を照り返している様を見ると、自然と心が落ち着いてくる。迎賓館かなにかのようだ。
「ふかふかだな」
「うおっ! こいつはいい椅子だぜっ」
洋の東西の文化が交じり合ったような不思議な雰囲気を醸し出している。壁に飾られている絵画たち。
「すげえ……」
「動いてますね、この絵……っ」
「本当だ……」
一見何気ない風景画に見えていたが、見つめているにつれ、太陽の位置や影の形が変わっていくのに気付く。時間帯が変化しているのか。
「なんでしょうか、これ」
「コーヒーメーカーみたいだな」
ジェインに教えたら興味を持つかもしれない。対面の壁際に設置された長机の上に並んでいる、小さな幾つかの器具たちに近づいていく。……なんだろうか?
注ぎ口のような部分が付いているが、上についた球体の中身は見えない上に、どれも見た目は同じに見える。手に取ってみようとして――。
「――お困りですか?」
「うぉッ⁉」
「きゃっ⁉」
後ろから掛けられた声に、三人で揃って飛び上がった。振り向いた先。
「いや……済みません」
「あ……」
「そこまで驚かれるとは思っていなかったもので。唐突に声を掛けてしまって、失礼しました」
「っ、いえ……」
困ったような笑顔を浮かべる、一人の青年が立っている。――齢は二十代の後半くらいか。
清潔感のあるカジュアルな服装に、癖のない爽やかな顔立ち。日頃から節制を心がけているのだろうスラリとした体型には、二枚目の俳優として雑誌に出ていてもおかしくなさそうなスマートさと、好感の持てる親しみやすさとが同居している。巡らせた俺の視線に映り込んだ、入口から死角になるソファーテーブルに置かれたコーヒーカップ。
「こちらこそ済みません。気づかずにいて……」
「いえいえこちらこそ。その道具の使い方に悩んでいるようでしたが……」
入って来たときにはもう中にいたようだ。延々続きそうになる謝罪合戦を打ち切るようにして、青年が机の上の器具に目を遣る。
「それは、飲み物を注いでくれる魔道具なんです。カップを置いて、軽く魔力を込めると――」
「あ……」
「こんな風に。思い浮かべた好きな飲み物を、自動で注いでくれるようになってるんですよ」
白い器の中に湯気の立つコーヒーが注がれる。始めはそうかと思っていたが。
「なんでも大丈夫なんですか?」
「流石に種類に限りはありますがね。基本はコーヒー、紅茶、緑茶にフルーツジュース各種と牛乳。あとは日替わりのドリンクが追加されるくらいでしょうか」
「へぇ~。でも、んなちっさいのじゃ、直ぐに空っぽになっちまうんじゃねえすか?」
「保存の術式とは別に、内部の空間を拡張させる術式が施されていて、見た目より入るように設計されています。この魔道具なら、容量は大体百リットルくらいですかね」
「ひゃ、百リットル⁉」
手にしていたフィアが思わず声を挙げる。……手のひらサイズからはとても想像ができない。
「凄いんすね……!」
「日常的に使われる生活用の魔道具ですが、地味に高度な術式が仕込まれてるんですよ。初めて見る方は大体、そうやって驚きます」
俺たちの反応に人のいい笑みを浮かべて、そこでふと、青年が考えるような面持ちを見せた。
「どうしました?」
「ああ、いえ。――見ない方たちだな、と思いまして」
顔を知らないというのは礼を失するからか、少し申し訳なさげに眉尻を下げながら相手が続ける。
「今は、本山内のほとんどの部署は職務時間中ですし。ここも初めてのようなのが不思議で……」
「あ、それは……」
「特別措置で保護されたんです。昨日入ったばっかりで」
「特別措置?」
青年が目をぱちくりさせる。こう説明しておけばいいとのことだったが。
「――それは珍しいですね。居住区画にいるとなると、しばらく本山に?」
「え、ええ」
「それはそれは。申し遅れましたが僕は、三千風零と言います」
事情を飲み込んだように頷く。名乗りに見せる爽やかな笑顔。
「本山で見習いを務めている魔術師です。見るだけだと分かり辛いこともあるでしょうし、良ければ軽く、中を案内しましょうか」
――
三千風さんに導かれる形でサロンをあとにし――。
「――本山の建てられているこの地域が、地理的にどんな位置なのかは知っていますか?」
「いえ」
「詳細は秘密なんですが、とある大陸の山奥でしてね。周囲数百キロ以上に渡って、都市や民家のない土地が続いています」
各フロアを回りながら、障りのない声量で解説がなされていく。手慣れたツアーコンダクターのような話しぶり。
「協会が元々は宗教勢力の影響を避けて建てられたということもありますが、その辺鄙な立地もあって、『ゲート』と呼ばれる仕組みでの移動が基本になっているんです。来るときに通ったと思うんですが……」
「あーっ、あのグルグルする奴っすよね」
「慣れていないとそうかもしれませんね。術式を設置した特定の二地点間を結ぶ、移動用の専用術式。数百キロから数千キロに渡る距離でも、数秒程度で渡り切ることができます」
「それは――」
「凄いですね……!」
「便利なシステムではありますが、どこにでも設置できるものではないんですよ。龍脈地といって、元から極めて強い魔力の通っている個所を利用しなければ、それだけの距離を結ぶことはできません」
「ふむふむ」
「維持や調節のための複雑で難解な術式も組まないといけないですし。定期的なメンテナンスも必要で、組織力を持つ協会ならではの恩恵ですね」
言葉の端々には、自分の所属する組織への誇りが感じられる。立ち入りの許されている区画を、順番に見て回り――。
「へぇ~。ビックリするような仕掛けとかないんすか?」
「火を噴く石像もありますよ。魔術で隠された扉とか、動き回る階段とか」
「あるんですか……」
「ええ。防衛や秘匿のための仕組みなので、安易に見たり動かしたりはできませんが」
「済みません……案内していただいて」
「いえいえ。僕が好きでしていることですからね」
恐縮げなフィアを含めた、俺たち全員に小さく微笑む。――紳士的な人だ。
「普段は協会の領野で過ごしているもので、外から来た方と話すのも新鮮ですし。たまにはこうして――」
「――あんたたち」
不意に呼び止めた声。
「――立慧さん」
「あれ、どしたんすか? んな時間に」
「確認が早めに終わったから、探しに来たのよ。そしたら――」
「――范さん」
視線の向きを変える立慧さん。瞬きした三千風さんと、正対する形で向き合う。……知り合いなのか?
「お久しぶりです。半年ぶりくらいになりますか? ご無沙汰してしまっていて」
「そうね、久しぶり。いつぞやの本山任務以来かしら」
慣れた雰囲気で言葉を交わす。不仲というわけではないようだが。
「噂はちょいちょい聞いてたけど。合格の時期はもう決まったの?」
「はは。残念ながらまだでしてね。先生の課題に、随分と悩まされてますよ。――と、いうか」
言葉の中にはどことなく余所余所しさと言うか、社交辞令的な色が覗いている。会話の途中、ふと気付いたように、少し大きくした目を三千風さんが俺たちに向ける。
「范さんが迎えに来たと言うことは、もしかして、この三人が例の?」
「いや、気づいてなかったの? 知ってて一緒にいるもんだと思ってたわ」
「四人組だと聞かされていたので、別の方たちかと。そうですか……」
「……あの」
会話に入っていけない。フィアに、立慧さんが目を向けた。
「あんたたちも、もう聞いてる? こいつは」
「見習いさんっすよね。サロンでたまたま会って、案内してもらってたんす!」
「……あんた、自分のことなんて説明したの」
「外部の方に言うことでもないかと思いまして。済みません」
「全く。――いい?」
バツの悪そうな笑みを見せた三千風さんに対し、立慧さんが呆れ顔になる。俺たちに向けて言い聞かせる口調で。
「こいつは三千風零。今の協会に二人しかいない『賢者見習い』の一人で、四賢者筆頭を務める秋光様の弟子に当たる人物よ」
「ええ――っ⁉」
驚愕の情報を得た俺たちが一斉に目をパチクリさせる。――俺たちを案内してくれていたこの人が。
「あの爺さんの弟子かよ⁉ っと――」
「構いませんよ。先生は寛容な方ですから」
協会の幹部にしてトップ、あの秋光さんの、弟子だというのか? 紳士的な中にもどこか、気まずそうな笑みを浮かべている三千風さん。
「そう畏まらないでください。賢者見習いと言っても、四賢者への就任が決まっているわけではないので」
「相変わらず生真面目な奴ね。今の時点で候補が二人しかいないんだから、ほとんど確定事項みたいなもんじゃない」
「一年以上進展がないわけですからね。どうなるのかは分かりませんよ」
「はぁ。前々から思ってたけど――」
どこか重たげに零した三千風さんに、立慧さんが両腰に手を当てる。
「あんたは自分を過小評価し過ぎ」
「……」
「四賢者の眼鏡にかなって、その齢まで弟子を続けられてきたってこと自体、立派な努力と才能の証でしょうが。謙遜も度が過ぎると嫌味になるのよ?」
「それは……済みません」
敢えて棘を交ぜたらしい激励に小さく笑う。立場についても驚きだが――。
「……その」
「はい?」
「済みませんでした」
秋光さんにいきなり掴みかかった手前、弟子となるとその辺りが少し気まずい。頭を下げた俺に。
「以前、秋光さんに」
「ああ、大丈夫です。気にしていませんよ」
事情はやはり知っていたのか、三千風さんはあくまで丁寧に首を振ってくる。柔らかな物腰のまま。
「事情があったことは聞いていますし、先生も根に持つような方ではありません。勇気があるなと驚いたくらいでして」
「……済みません」
「いえいえ。――では、僕は失礼しますね」
踵を返す。
「時間もいいようなので。范さんも皆さんも、またお会いしましょう」
「あ、ありがとうございましたっ」
「ウイっす!」
「……ふぅ」
思い思いに挨拶し、背中が見えなくなったところで息を吐く。まさか……。
「んな凄え相手だったとはな。心臓に悪いぜ」
「驚きましたね。でも、なにか……」
「自信なさげだったって?」
そのことは感じていた。あまり覇気のある印象を受けなかったと言うか。
「私も詳しくは知らないけど、最近どうも、修行の方が上手くいってないみたいね」
「――」
「賢者見習いっていうのは言うまでもなく、四賢者から直々に教えを受けられる唯一の立場なんだけど。一つの課題を切っ掛けとして、もう何か月も修行をつけてもらってないって聞くわ」
「なるほどねぇ」
リゲルが頷く。どれだけ才能があったとしても……。
「幾ら将来有望だからって、そいつは少々凹むかもしれないっすね」
「進展がないったって、ちょっとやそっとで揺らぐ立場じゃないんだから、ドーンと構えてりゃいいのよ」
力の向上への悩みは尽きないものなのかもしれない。大きく息を吐き出す立慧さん。
「秋光様も最近は忙しかったんだし。修行の進展に落ち度があるとしても、百パーセント三千風のせいってわけでもないんだから」
「? 何かあったんですか?」
「――っ。まあね」
協会のトップに当たる秋光さんが忙しいとなれば、何かしらの問題があったのではないか。立慧さんが口ごもる。喋り過ぎたと感じたのか、少し視線を逸らして。
「協会の運営とかの関係で、色々とごたごたしてたのよ。――行きましょ」




