第四話 自分たちの才能
「――さてっと」
先輩たちのあとに続いて連れて来られた先。
小さな体育館ほどの広さのある、遮るもののない空間の中で、立慧さんが気合を入れるように足を肩幅に広げ直す。六メートルほど離れた、俺たちの対面に立って。
「じゃ、早速実践で見せてもらおうかしらね」
「――うっす!」
「一応言っとくけど、あんたたちがどんな技法を使うか、私はある程度知ってるから」
腕組みをした状態で立ちはだかられる。――いきなりの模擬戦闘。
「適当にくれば一瞬で終わるわよ。心してかかってきなさい」
「……その、寸止めとかは」
「普通に当てる気でいいわ。私の方は当然本気は出さずに、軽く撫でる感じで行くけど」
「四対一――でいいんすよね?」
「勿論。一人ずつじゃまだるっこしいし、話にならないでしょ」
「戦い方を相談しても構いませんか? これまででも一応、作戦などを練ってはいたので」
「大いにしなさい。あんまりダラダラやられてもあれだから、手短にね」
心の用意をしたい俺たちとは対照的に、立慧さんは余裕という風に手を振っている。自信に満ち溢れた仕草を見て取って、円陣を作る形で内向きに顔をつき合わせた。口元を手で隠したリゲルが――。
「……どうするよ?」
「支部長……ってことは、先輩と同じくらい強いってことですよね……」
話し出すのに続いて、緊張のこもる眼差しでフィアもひそひそ声で囁いてくる。……確かにそういうことになる。
「だろうな。……多分」
「あの酒飲みを見ていると、一概にそうとも言えなさそうだがな。――どの道、今の僕らにできることは限られる」
あくまで肩書きの上では、だが。ジェインの目線に続いて見遣った先。
「分かっているのは、相手が魔術を主体にする技能者ということだけだ。あの男のような攻撃を警戒しつつ、訓練通りのやり方で行こう」
「――分かった」
「――そういや、黄泉示がやってたあの技って」
「あ」
「使えるんでしょうか? 使うとまた、その」
「……済みません」
「どうした?」
バツの悪い思いで訊く。【魔力解放】を使った場合、最低でも数時間はまともに動けなくなってしまう。
「その、例の、使ったあとに動けなくなる技のことなんですけど」
「ああ。――問題ない」
このあとに本番の修練が控えているのなら、本末転倒とも言える事態になり兼ねないはずで。――っ。
「立慧は気のスペシャリストでな。昨日の蔭水みたいな症状なら、恐らくかなりの程度緩和できるはずだ」
「多少だるいのは覚悟してもらうけどね。そういうわけだから、出し惜しみなしで来なさい?」
頷いた先輩の先で、誇らしげな顔をした立慧さんが、前に出した手をくいくいと曲げてみせる。――可能なのか?
「折角あたしが相手してあげるって言うんだから。本気で挑んでこないと、後悔するわよ」
「いよっし。なら、お言葉に甘えるとすっか」
「そうだな。――援護の合計は三分間」
そんなことが。あの技は、俺の生家である蔭水家に伝わる固有技法。
血肉に暗黒の魔力を重ねている蔭水家だからこそ使える、特殊な技のはずなのだが。――疑問に思うことはある。
「力を見る戦闘であることを踏まえて、初めから全開で仕掛ける形で行こう。倒すくらいの気持ちで行くぞ」
「うっしゃあ‼ 燃えるぜ‼」
「っ頑張りましょう」
「いい気迫ね」
だとしても、手を抜くという選択肢がないことは確かだ。目の前の立慧さんが、先輩と同格の立場の技能者であるのは確か。
「さっきより少しはマシな顔つきになったわ。いいじゃない」
「――!」
「怪我なんて万一にもさせないから。安心して掛かって来なさい」
「――行くぞッ‼」
今の俺たちの力がどこまで通用するのかを、改めて確かめる機会になるだろう。興の乗った眼光。
掛け声に連れてかけられるジェインの援護。スローモーションになる視界につれて――。
「やってやんぜぇッ!」
「はいッ!」
「――ッ‼」
袋から終月を抜き放つ。フィアの気合いを背に受けつつ、リゲルと並んで飛び出した。
――
―
――数分後。
「……」
「……」
「……」
「……」
「――まあ、そう落ち込むな」
立慧さんとの模擬戦を終えた俺たちは、仲良く膝を抱えて訓練場の床に座り込む羽目になっていた。明らかな気遣いの滲んだ口調で……。
「初見で立慧に適う奴なんてまずいない。まともに教わってもいないんだから、伸びる余地はまだまだあるさ」
「あーあー、泣かせちまって。若い芽を早目に摘んどこうって言う、年増の支部長さんは怖いねぇ」
「泣かせてないし、私はまだ二十代よ! しょうがないでしょ! あれ以上持たなかったんだから――ッ」
労いを掛けてくる先輩の向こうから、やいのやいのと言い合う田中さんたちの声が聞こえてくる。――立慧さんと俺たちの戦い。
〝――行くぜッ‼〟
始めに示し合わせた通り、先手を取ったのは俺たちの方だった。手のうちが知られている以上、待ち構える形は不利。
〝――ッ‼〟
ジェインの援護による速度差と、数の優位による押し込みを狙うため、速度を倍加させた状態で俺とリゲルが立慧さんを挟み込むように距離を詰める。俺の側が先に仕掛けるようなフェイントを折り込みつつ――。
〝うらぁッ‼〟
〝――っ〟
リゲルが繰り出した拳のラッシュに、逆らわず距離を開けて躱した立慧さん。側面から終月を手にした俺が飛び込もうとしたとき。
〝あっ⁉〟
〝――っ⁉〟
上げられたフィアの声に、思わず振り返ってしまう。マット質の床にうつ伏せ気味に倒れ込んでいる姿。
〝黄泉示ッ‼〟
〝――はい、油断大敵〟
〝ッ⁉〟
躓いた? そう思った直後に立慧さんの声が届く。慌てて振り向こうとした胸板に手のひらが置かれ――ッ。
〝――ッ⁉〟
〝ついでにこっちの方も〟
〝きゃっ⁉〟
〝……マジかよ〟
抗えない衝撃を受けて倒される。臀部に響く痛みに気付いたときには、立ち上がろうとしたフィアが、目の前にいる立慧さんからデコピンをお見舞いされているところだった。――っどういうことだ?
〝これで半分ね。あとは――〟
〝……‼〟
〝チィッ‼〟
後衛としてフィアは、俺たちとは充分に距離を置いていた。十メートルは離れていたはずの間合いを、俺を倒した直後に詰めきったというのか? 見据えられたジェインの目前にリゲルが飛び込んでくる。継続する速度増加の恩恵を受けたジャブの連打を――‼
〝――フッ!〟
〝ッ‼〟
緩急のついた独特の足運びと手技で捌き切る立慧さん。紛うことなき研鑽された体術の動きに、不意打たれたリゲルが顔面を歪め。
〝――ぐっ⁉〟
〝――ッ‼〟
互いの前腕が擦れ合う瞬間に放たれた踏み込み。地を襲う強烈な振動にリゲルの重心がぐらついた刹那、流れるように放たれていた縦拳が、リゲルの眼前でピタリと止められた。……っ決着。
〝――三人目〟
〝――クソッ‼〟
〝残るはあんただけだけど〟
〝……降伏します〟
敵わないと見たジェインが白旗を挙げる。開始からものの一分も経過しないうちに、俺たちの布陣は完全に崩壊してしまっていた。……。
思い返してみると――。
「……済みません」
「……」
「私があんな場所で転ばなければ……」
「いや……」
「しゃあねえって。フィアのせいじゃねえよ」
思った以上に何もできていない。直接手を交える機会のあったリゲル以外は、ほとんど無抵抗のまま終わってしまっている。情けなさで項垂れているようなフィアに、軽く息を吐いたリゲルが首を振る。――その通りだ。
「気が付いたら、距離を詰められてたな」
「ほとんど予備動作のない、滑るみたいな高速の移動だったぜ。齧ったくらいの動きじゃねえし」
「というか貴様、なぜ自分の力を使わないんだ?」
「野郎相手にぷっぱなした時以来なんか調子が変わっちまって、今一上手く発動できねえんだよ。ホントに魔術師なのかよ、范さんは」
「――立慧は、協会の中でも異色の経歴の魔術師でな」
フィアの転倒が皮切りになったとはいえ、一つの隙で語れるような実力差ではない。技術の応酬でリゲルが上をいかれていた以上……。
「出身が大陸の、武術の道場を開いてる家系で、幼い頃に基礎からみっちり叩き込まれたらしい。肉体技法である武術をベースに、魔術を補助に使って戦うっていうのが、立慧の築き上げてきたスタイルだ」
「なるほど。それで――」
「いてえいてえ!」
俺が【魔力解放】を使っていたとしても、太刀打ちできなかったはずだ。魔術師とは思えない身体能力。
堂に入った動きのわけに納得した矢先に、切羽詰まった中年男性の悲鳴が聞こえてくる。背中に馬乗りになられた形で……。
「やめろって立慧! 折れちまうっての‼」
「ッ大事な仕事の最中だってのに、からかうのもいい加減にしなさいよね……っ!」
「っ大人げえねえってのはホントだろうがッ。陰険な術まで使って、年下の相手を転ばせてよっ」
「あれは勝手に転んだだけよ! 感知でそれくらい気付いてんでしょうが……っ!」
「――ストップストップ」
ガッチリ関節を極められている田中さん。袖の中からミシミシと嫌な音が聞こえ始めたところで、先輩が二人の間に割って入る。――転ばせた?
「その辺にしとけ。支部長同士のいざこざで怪我なんて、シャレにならないだろ」
「――っ」
「あいててて。助かったぜ、上守。あー、ひでえ。一張羅が縒れちまった……」
「田中もあんまりからかい過ぎるなよ。――どうだった?」
「え。ああ、そうね」
あのときのフィアは、どう考えても自分から転んだように見えたが。我に返ったらしい立慧さんが手櫛で髪を梳く。怒りの感情を追いやり。
「正直言ってまあ、予想通りってとこかしら。戦い慣れてない初心者って感じ」
「……!」
「ズブの素人よりは動けるし、技能がレアだから、その辺の協会員くらいなら通用するかもしれないけど。一定以上の格を持ってる奴には逆立ちしても勝てないわね。――さて」
威厳を取り戻そうとしているような素振りで壁際に歩いていく。事前に置いてあった袋の中から。
「まずはもう少し詳しい検査ね。これを使ってもらうわ」
「……?」
「なんですか? これは」
「『宿星天球図』って言ってね。当人の、魔術的な適性について調べる『魔道具』よ」
直径三十センチほどの、円形の土台を持った空洞のガラス球のような物体が俺たちの前に置かれた。
「水晶球の表面に手を当てて、魔力を込めると、当人に対応した適性が立体的に浮かび上がるの」
「……!」
「素人はよく不思議な術を見て、魔術魔術って一括りに言ってるけど」
「わぁ……」
短く爪の切り揃えられた立慧さんの手が球の表面に触れた瞬間、内部に眩く輝く光の粒子が現れたかと思うと、光線と光点で結ぶ図形を形作っていく。――魔術的な仕組みを備えた道具。
「実際にはその中にも多様な系統や属性があって、端から試して行ったらキリがないくらい」
「……!」
「この魔道具は本人の魔力の質を読み取って、大体の向き不向きを示してくれるってわけ。新しく協会員になる人間の検査にも使われてるくらいだから、外れることはないわ。――誰から行く?」
「えっと……」
「――俺から行きますよ」
幾重にも絡み合う曲がりくねった線と、強弱をつけて発光する光の散らばりはまるで、立体の星図か宇宙地図を見ているようだ。真っ先に手を挙げたリゲル。
「んな不思議な道具見せられちゃあ、ワクワクしっぱなしっすから。トップバッターってことで」
「ガウスね。じゃ、表面に手を当てて」
「うっす」
「グローブは外して。力を使うときみたいに、魔力を込めてみなさい」
言われた通りにリゲルが両手を当てる。
「今んとこ、自分じゃ上手く使えないんすけど」
「ちょっとの魔力でも反応するから。物理的に力を使うみたいな感じで、気合を入れてやればいいわ」
「了解っす。――フンッ!」
手に力を込めたリゲルが覇気を昇らせる。水晶玉かが割れはしないかと危惧した直後に。
「ッ‼」
「おおっ!」
「出たわね。気質は攻撃寄り――」
峻烈な光が煌めき。力強く輝く光の線が、球面一杯に複数の弧や点を形作った。先に目にした――。
「得意なのは放出、強化。まあ、妥当なところね。細かい魔力制御は苦手で」
「――」
「魔力量はかなりあるわね、出力もトップクラス並み。基本的なスペックがかなり高いわ。――って」
「……驚いたな」
立慧さんのものよりも構造は単純だが、全体的な光の輝きが強い気がする。描かれる形を読み解いていく途中で、立慧さんと先輩の声が止まる。――なんだ?
無数の点の中に一つだけ、他とは比較にならない明るさを持っている一点がある。言葉を止めた二人の視線も、微細な粒子を振りまくその点に注目しているようで――。
「『支配級』か。【星】の属性だな」
「間違いないわね。報告からして、統率級はあるだろうと思ってたけど……」
「ええと、なんなんすか? その」
「さっき言った適性についての話。同じ属性や系統に対する適性でも、強さによってレベルの違いがあるの」
当然と思える疑問に、立慧さんから説明が入る。
「適性の有無が向いてる矢印の方向を指すとすれば、適性の位格はその矢印の大きさを表す」
「……!」
「低い順に『眷属級』、『使役級』、『統率級』。普通はこの三つだけだけど、支配級は更にその上にある適性。数百万人に一人と言われてる、破格の適性なのよ」
聞かされた中身に思わず絶句する。っまさか――。
「凄いですね……!」
「凄いな……! これは」
「……」
リゲルにそんな才能が眠っていたとは。溜め息を吐くような感嘆が零れる。確かに前の襲撃でも、強敵であるあの男の動きを止めていた。
修練もなしで力を発揮できたのは気合いに加えて、支配級という才能があったからなのかもしれない。浮足立たずにはいられない俺たちの間で――。
「……リゲル?」
「お、おお」
当の本人はなぜか、芳しい反応を示さずにいる。……どうしたんだ?
「――いやーッ、驚いちまったぜ」
いずれ父親を超えることを目標としているリゲルなら、てっきり真っ先に手を叩いて喜びそうなものだと思ったが。気を取り直したようにリゲルが大きく頷く。
「まさか俺に、んなビッグな才能が眠ってたとはよ。これからは三人とも、《ザ・グラビティマスター・リゲル》! って呼んでくれよな!」
「え……」
「――センスのない二つ名をひけらかすな」
――ジェイン。
「売れない場末のレスラーか何かか? 才能があるとしても、それを授かった時点で浮かれているようでは高が知れる」
「ああ?」
「才能など所詮、状況を形作る要素の一つでしかない。――次は僕が行きます」
毒を含んだ批評を述べたのち、変わらぬ冷静さで眼鏡を上げてみせる。
「才能の有無はともかくとして。力への適性と言う意味なら、この僕がゴリラに後れを取るはずもない」
「ほう? この才能溢れるマスターに対抗しようたぁ、無駄な努力ってのが目に見えるようだぜ。まあ頑張ってくれや」
「大分元気になったな、二人とも」
「じゃ、やって頂戴」
余裕たっぷりに頭の後ろに手をやるリゲル。立慧さんの声を受けてジェインが水晶球に手を当てる。集中するように眼鏡の奥の眼が細まると同時――。
「――っ」
「わぁっ」
リゲルのときと同じように、光輝く適性図が現れた。――細く緻密な線で描かれた、
「これはまた……」
「随分難解なのが来たわね。えっと――」
複雑精緻な図像。リゲルのものよりもかなり入り組んでいて、立慧さんと比べても更に細かい構造に見える。角度を変えなければ分からないような部分に……。
「――得意なのは魔力操作や補助、幻惑。全体的に器用なタイプで、どの系統や属性でも問題なくこなせる」
「はい」
「オールラウンダー型だけど、反面、魔力の保有量や出力はそれほど高くない。実戦での組み立てには、注意と計画性が必要ね」
「へっ。大口叩いた割には、大したことねえな」
「ただ……」
先輩と立慧さんが顔を寄せていく。勝ち誇った表情のリゲルの前方で、矯めつ眇めつ眺めていた立慧さんが、眉間に深いシワを寄せた。
「……これは多分、『概念魔術』ね」
「概念魔術?」
「報告にもあったから、予測のうちの一つとして立ててはいたけど。――魔術っていうのは基本的に、魔力と呼ばれるエネルギーを利用して、世界のうちで自分の望んだ現象を実現させるって技術なの」
図の中でもとりわけ入り組んだ一部を見つめつつ、解説が始められる。魔術についての一般的な説明から。
「それを補強したり、コントロールしたりするための手段として術式や呪文、発動媒体なんかがあるわけだけど。大抵の場合の結果は例えば火が出せたり、魔力の盾が出せたりするくらいのことに留まる」
「ふむふむ」
「それと違って――」
「……中にはどうやってそれを実現化させているのか分からない、きわめて抽象的な事象に影響の及んでいる魔術がある」
ジェインの例に繋げていくように。説明に参加した先輩。
「一般化された術理がなくとも、とにかくそれができてしまっている。そういうわけの分からない特異な魔術を、私たちの使う体系化された魔術と区別して、概念魔術と呼んでるんだ」
「なるほど……」
神妙に頷くフィア。分かったような、分からないような感じだが。
「つまり……」
「とんでもなく珍しい類の魔術、ってことですか?」
「そういうことね。概念魔術の使い手は、極めて数が限られるわ」
曲げた指を顎に当てつつ語る立慧さん。
「支配級の適性より遥かに稀で、魔術の歴史上で何人いるかって言うくらい。それも大抵の場合は、魔術について造詣の深い人間が、限界まで極めるような修練の果てに使えるようになったってケースがほとんど」
「……!」
「一般的な魔術の知識もなしに概念魔術だけ扱えるなんていうのは、正直聞いたことがない。相当特殊な例に違いないわね」
「それは……」
言葉の奥に不穏なものを感じてか、紡ごうとしたフィアが言葉を見失う。対象に付随する時の流れの操作。
これまでの襲撃で何度も命を救われて、意識をすることもあったが、ジェインの力は確かに法外と言っていいほど強力なものだ。リゲルのような生まれつきの才能。
そうだとしても説明のつかないような何かだと、立慧さんたちは言っている。沈黙を契機に、どことなく不安な空気が広がっていくようでもあって――。
「――流石は僕、と言ったところか」
そんな空気の流れを、当の本人が立ち切った。っジェイン。
「才能だけで浮かれ気分になっているゴリラとは格が違う。日ごろの誠実な勤勉さが、真っ当に報われたというところだな」
「けッ。テメエが誠実とか、へそが茶を沸かしちまうぜ」
「勤勉さは正直関係ないと思うが……」
「気楽でいいわね。ま、落ち込まれるよりはいいけど」
「――気にはしていますよ」
落ち着いた声で言ったジェインが、眼鏡のフレームを押し上げる。
「元よりルーツの分からない力ですから。専門家の范さんたちからしても特異ということになれば、気にならないはずがない」
「……!」
「不安は当然あります。ただ、例えそうであったとしても――」
眼鏡の奥の瞳が、今一度強い理性の光を見せた。
「今は、この力を使って戦っていくしかない」
「……」
「これまでの襲撃で痛感している通り、今の僕たちには力が必要です。自分たちに降り掛かってきた災難を、生き延びるために」
「……ま、そうね」
――そうだ。
「なんだかんだ言っても、使えてるもんはしょうがないわね。能力としてはこれ以上ないくらい便利なものだし」
「そのお陰で危険を乗り越えられてるわけだからな。ポジティブな捉え方をした方が、状況には合ってるか」
以前に互いの力を話したときにも、ジェインは自分の力を正体の分からないものだと言っていた。いつの間にか使えるようになっていた力。
先輩たちに修行を頼んだのも恐らく、未解明な力のルーツを探りたいという狙いがあったのだろう。空気が落ち着きを見せたところで――。
「それじゃ、次はどっちがやる?」
「あ――」
「前二人がなんだかやたら派手な内容だったからあれだけど。流石に次くらいは驚かされないといいわね」
「その……」
「俺はあとでいいです」
こちらの様子を見るようなフィアにそう応える。この空気でトリを務めるのは少し酷だ。
「特にこだわりはないので、フィアさえよければ」
「っ、はい。――じゃあ」
「私が補助するから大丈夫だ。表面に手を置いて」
俺自身の適性については何となく予測がついているし、注目されないよう、早目に番を流してしまった方が楽だろう。先輩に手のひらを重ねられながら、フィアが道具の表面に小さな手をおずおずと触れさせる。
「ゆっくり集中してくれ。手のひらから力が伝わるような感じで……」
「――っ」
真剣に見つめる眼差しに浮かぶのは微かな期待。緊張気に唇を引き結んで、両目にぐっと力を込めた。
「――っ!」
「お?」
「これが貴女のね」
直後に、水晶球の中で幾つかの光の粒が煌めくと、フィアの適性図が顕わにされる。……空白の部分が多い。
「魔力量はやや低め、出力は今一つ。得意な系統は……」
「治癒と、障壁系統に少しだな。無属性と神聖に軽い適性がある。あとは」
前の二人に比べて輝いている部分はなく、光も弱めで、素人目にも寂しげに見える。これまでよりずっと儚げな天球を前にして。
「まあ、ほどほどってところね。普通でむしろホッとしたわ」
「前の二人が異常続きだっただけだ。ギネスに載ってるビックリ人間と比べてるみたいなもので、こっちの方が正常だな」
「は、はい」
「なんか今、さり気なくディスられた気がするんすけど」
「気のせいよ。じゃ、最後」
「――はい」
言葉を切った先輩の胸のうちは、言わずとも何となく察せられる。間を置かずに右手を水晶の上に乗せる。
ひんやりとした手応え。薄い見た目から思ったよりも確かな、滑らかな鉱物の感触に、しっかりと手のひらを押し当てる。終月を呼ぶときのように魔力を込めた途端――。
「――おっ」
「――!」
「これが蔭水か。だが――」
これまでと同じようでありながら、明らかに趣きの異なる図像が出現してきた。弧や点を描いている光の粒。
「真っ黒ですね……」
「大分分かり易いわね」
「蔭水の一族だからな。属性の適性は、暗黒で固定されてる」
その全てが、水の中に落とされた墨汁のような墨色に染まっている。……俺の生家である蔭水家は、人の身で異形に対抗する力を得るために、代々暗黒の魔力を血肉に重ねてきた。
「系統は――あんまりないわね。強化と、攻撃系が少々」
「魔力量は並み、出力に関しても普通だな。他には言うこともないか」
「みたいね。――さて」
初めにした予測の通り、適性にもその影響が出ているらしい。フィアと同じくらいにあっさりとした評価が終わったところで、立慧さんが水晶球を袋にしまった。考えるようにして。
「担当についてだけど。さっきの模擬戦のスタイルと合わせた形で言うと――」
「――俺はそのメガネを貰うぜ」
「――っ」
「はぁ?」
唐突な一声の出所を、立慧さんが睨み付ける。
「一人だけ興味なさげに寝てたくせして、何言ってんのよ」
「そいつがこの中で一番鍛えんのが楽そうだからな。ほっといても勝手に伸びるような苗木があんのを、見過ごすわけにはいかねえだろ」
「あんたね……ッ」
「まあまあ」
――動機が不純すぎる。試合場の床に寝転んで、ひらひらと手を振っている田中さんに、食って掛かろうとした立慧さんを先輩が止める。
「相性を考えれば、どの道似たような分け方にはなるんじゃないか?」
「――」
「私がカタストの担当。立慧にはガウスと、蔭水の二人を見てもらうと丁度いいと思うんだが」
「……ま、そうね」
説得力のある理由で二人を納得させる手腕は、日頃からの苦労が偲ばれる手際の良さだ。……なぜ田中さんのような人間が指導役に選ばれたのか。
「スタイルが似てるのはその二人だけだし、田中に二人やらせるわけにもいかないものね」
「決まりだな。――修練区画の方へ移動しよう」
「っはい」
他に手の空いている人間がいなかったのかもしれない。担当されるジェインの行く末に不安を覚えつつ、先輩たちの促しに続いて、本格的な修行の場へと歩き出した。




