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彼方を見る者たちへ  作者: 二立三析
第三章 日常を超える扉
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第十九話 新たな一幕


「……チッ」

 ――白昼の公園内。感知域から完全に消失した気配を確かめて、青髪の女性は込み上げる怒気を舌打ちで吐き捨てる。――逃げられたか。

 凍り付き、氷結している辺り一帯。霜の降りた遊具の残骸を目にしつつ、風切り音と共に剣を仕舞う。青みがかった光を放つ細身の剣身が鞘に納められると同時、立ち込めていた氷点下の冷気が消失し、平常な秋口の気温が舞い戻った。

 ――魔力にて駆動する、機械仕掛けの構造体。

〝ワハハ! ゆけ、タイタン‼〟

「……ッ」

 子ども染みた笑い声を思い返す度に走る虫唾を、眼光を鋭くすることで女性は抑えつける。あの齢にして考えられないほど高度な技能。

 実戦でまともに運用するとは考えづらい、実験的な機能を惜しげもなく披露してきた。類を見ない外連味(けれんみ)のある技法であったことも鑑みるに、賢王派所属のアウトオーダーと見て間違いないだろう。終始殺気や闘気がなかったこと。

 性能を確かめるような試験的な立ち回りだったことからしても、ほとんど確信できる。まともなぶつかり合いに至る以前、警戒と様子見の段階で離脱されたが……。

 それもやむを得ない。凶王派が衝突を知って送り込んだ技能者である以上、迂闊に踏み込めば手痛い罠を踏む可能性があるからだ。ふざけた対応を逃すのは業腹とはいえ。

 これ以外の選択肢はない。抑えきれない苛立ちを呼吸で散らし、今一度女性は一帯の気配を探る。監視対象の四人に加え――。

 注意していた二つの気配のうち、一つが既にない。……恐らくは支部長の方。

 出し抜かれたという事態への憤慨(ふんがい)よりも、疑問が女性の胸中を支配していた。近年では類を見ないほど組織だっていた凶王派の陽動。

「……繋がりでもあれば道理だが」

 組織側の担当者が一様に足止めを食う中で、なぜか協会の支部長だけが、あの短時間で時間稼ぎを抜けることができていた。……技量の優越ではない。

 年季の差があるとはいえ、最強の救難守護聖人と呼ばれる自らに、あの牙なしが勝っているとはどうしても思うことができないからだ。足止め役との相性の所以(ゆえん)か……。

 ――別の要因か。何にせよ、早急に事態を報告しなければならない。

 微かに残る魔力に鼻を鳴らして。氷河のような青髪を揺らしつつ、背を向けた女性は去って行った。

 





 金属音の鳴り響く激戦地。

「――」

「――おう」

 気を抜けば(なます)に刻まれるような火花の交錯。何かに気付いたらしい、巨漢の大男が不意に距離を取る。頭骨(とうこつ)の堅牢さを誇示するようなスキンヘッド。

「そろそろ時間か。――ここまでだな、お嬢ちゃん」

「……」

 合わせるように引き下がった相手。豪放磊落(ごうほうらいらく)な笑みを向けられた先で、一人の少女が腰を落とした前傾姿勢を保っている。飾り気のない短い髪。

 薄桃色のショートヘアー。両腕に装着された金属製の手甲から飛び出す、ナイフを巨大化したような大振りの刃物が、端正な可憐さに無骨な物々しさを付け加えている。日常には不自然と思える姿にも……。 

「しっかしなんだ。執行者っつったらもっとへなちょこかと思ってたが、若い割に中々できるな」

「……」

「ほっそい胴体でジャガーみてえな動きして。機関の成長も(あなど)れねえもんだ」

 不思議と違和感を見出すことはできない。威圧を湛える中にも好意的な眼差しで男が見やる。

 骨太な両腕の皮膚には、薄く緋の滲む鋭利な直線が薄皮一枚という際どさで何筋か入れられている。整えられた石畳には数箇所の弾痕。整然と積まれていただろう壁のブロックには、巨大な落石でもあったのかと思える破砕が走っている。

「一昔前には、玩具(おもちゃ)みたいな豆鉄砲を振り回してたってのに。それとまあ、動き易さを重視してるのは分かるんだが……」

 (まばた)きすらせずに男を見据えている少女。無機的に見える薄い虹彩の瞳から放たれる殺気は、戦いの間隙にあって全く衰えを見せていない。惜しげも無く顕にされている張りのある太腿へ、食い気のある男の視線が走った。

「――誘ってんのか? その短いヒラヒラは」

 ――踏み込み。

 軽口の虚を突くように少女が仕掛ける。瞬足の突進から突き出された肉厚の刃先を、事も無げに手の甲で受け逸らす男。続く左の連撃を前腕で捌き。

「ッ――!」

「――待ってたぜ」

 高揚した笑みを浮かべて拳を握った瞬間、後方から飛来した狙撃弾。後頭部から脳髄をまき散らす狙いのヘッドショットを、男は見ないまま頭の位置だけをずらして躱し切る。速度より隠密を主眼とした亜音速の減音弾が、敢え無くアスファルトの足場に散らされた。

「――ッ」

 直後に起こされた強烈な閃光。100万カンデラを叩き出す発光と、間髪入れない180デシベルの轟音が男の不敵な笑みを消し飛ばす。握り込んだデリンジャーから音響弾の薬莢を排出し、吸着した耳当てを外しつつ男の背後に回り込んでいた少女。

標的の影で着弾点からの光を遮り、無防備に晒された延髄目掛けて、細身の身体ごと飛び込むように切り込んだ。――刹那。

「ッ‼」

 真横から飛び込むように割り込んだ強烈な一撃が、少女の矮躯ごと叩き折るようにブレードを弾き飛ばす。流れた四肢を空中で引き付けて丸めつつ、飛ばされた少女が追加の蹴撃を手甲でガードする。背面まで突き通すのではないかと思える鋭い前蹴り。

「――おうっ?」

「――退()いて下さい」

 峻烈な金属音を撒き散らしながら着地した少女の見据える先、男の隣に、一人の若い女性が現れている。砂漠の夜を思わせる浅黒い肌。

 手入れを欠かしていないと思える漆黒の黒髪に、街灯りに煌めく切れ長の瞳。ロングブーツにタイトなビジネススーツを纏う姿は、まるで名士の秘書か、法律家を思わせる。

「他派への義理は果たしました。らしくないですね。ナンバーズを前にして気を抜くとは」

「ガッハッハッ! まあそう言ってくれるなよ、コッキーちゃん。こんなに活きのいい嬢ちゃんたちに囲まれちゃあ、ロートルも(たぎ)るってもんだろうが!」

「ちゃん付けは止めてくださいと言ったはずですが……」 

 溜め息を吐きつつ、女性はチラリと目の前の少女でない方角に気を配る。潜んでいるスナイパー。もう一人のナンバーズがいる地点に。

「無駄に手のうちを晒す必要はありません。三派からも、嘆願を聞き容れる旨の書面が届いています」

「ようやくか。我らが王の剛毅(ごうき)振りも困ったもんだ。あれでこそ王の器だが」

「全くです。――引きますよ」

 少女を見る二人の姿が薄れていく。気配の消失を見届けて、耳元の無線機の向こうにいる相方に、少女が応答を投げかけた。

「――ターゲットが離脱しました、由香里さん」

「ばっちり見てますよ。位置変えも兼ねて、B-4地点に向かってます」

 得物を持ちながら移動しているためか、僅かに弾む呼吸がインカムから届いてくる。十分後。

「ふぅ……」

 汗を拭く栗毛髪の少女と、合流した薄桃色髪の少女が側道に並び立つ。数百メートルの距離を移動してきたにもかかわらず、互いに息の乱れている様子はない。

「相変わらずの体温上昇ですね。持久力の不足を感じます」

「重たい得物を持ちながらなんですから、見逃してくださいよ。向かって来てる様子はありませんでした」

 前髪を払い除けつつ、手にしていた狙撃銃を肩に掛ける。ボルトアクション式のレミントンMSR。

「PDAの探知にも引っかかりませんし、単純な離脱だったみたいです。ミッションコンプリートですねっ、ネイちゃん」

「? はい。対象の方は突破されたようですが」

「真顔で言わないで下さいってば。覇王派の幹部クラス二人を止めてただけでも、大金星だって思いません?」

「向こうは始めから時間稼ぎが狙いのようでした。一人は終盤のみの参戦ですし、上が由香里さんと同じように判断するかは疑問が残ります」

「……時々ネイちゃんに、人の心はあるのかなって気持ちになっちゃいますね……」

 外観上は一見そのように見えるが、肉抜きを含めた馴染みのないカスタムがされている。しみじみと言ったのち、重い想像をするようにはぁ、と少女が溜め息を吐き出した。

「何はともあれ、本部の人たちに報告ですね。釈明は頼みましたよ、ネイちゃん!」







「――さん」

「……」

「黄泉示さん」

「……!」

 灰色に浸かるようだった眠りから目覚める。霧のように散っていた意識が浮上すると同時に、身体を倦怠感と虚脱感が襲ってくる。

「……フィア」

「気が付きましたか。良かった……!」

 俺を覗き込むように見ていた翡翠の瞳が、安堵したように緊張を緩める。垂れ下がる銀色の髪の毛が、木陰を作る柳のように揺らめいている。ここは――。

「……俺の家か?」

「はい。済みません。場所が近かったのと、人目がない方がということでここになって」

「……いや」

 久しぶりに目にする壁と天井。寝かされていたソファーから起き上がりつつ、俺のポケットから取り出したらしい鍵を受け取る。起きたときに一瞬、手を握られていたような気がしたが。

「助かった。ありがとう」

「――起きたか」

 実際のところは分からない。フィアに詳しい事情を訊くより先に、廊下に繋がる扉から新しい足音が入ってきた。――ジェイン。

「……ジェイン」

「いきなり倒れるものだから心配したぞ。運び込むまで、カタストさんがずっと君を支えていた」

「……そうだったのか」

「先輩の治療のあともついてくれていた。電撃のダメージが大きかったのか?」

「いや……」

 おもむろにかぶりを振る。子どものときにも味わった感覚。

「……あのとき使った技の、副作用みたいなものなんだ」

「副作用……」

「ああ。一時的に全部の身体能力が上げられる代わりに、切れたあとは何時間か、力の抜けたような感じになる」

「ただでは使えないということか。あのときの蔭水の動きは、傍から見ていても目を見張るものだったが」

「ああ。っ……」

 頷きながら頭を押さえる。……思考がぼやけている。

「……フィアの傷は」

「黄泉示さん……」

「大丈夫だったのか? リゲルは……」

「――目が覚めたか」

 寝ていたおかげである程度体力は戻ってはいるが、虚脱の感覚は消えてはいない。浮かんできた問いを口にしたところで――。

「蔭水」

「……先輩」

「気分はどうだ?」

 また新たに、二人が部屋に入ってきた。思わず瞬きしてしまうような低身長に。

「一時間くらいは寝てたか。割と特殊な症状だったから、私の方でできることは余りなかったが」

「起きたかよ、黄泉示!」

 暗い茶地のポニーテール。光沢のない黒のジャンパーの裾を揺らす先輩と、気力に満ち満ちているようなリゲルがいる。上着を脱いだシャツ姿で……。

「……なんでそんな」

「先輩に、腕の傷を治してもらってたんです」

「腕の傷……?」

「以前に老人と戦ったときにつけられた傷だ。力を無理に使った影響で、傷口が開いていたらしい」

「いやー、気付いたら血がダラダラ流れてきててよ。先輩がいなかったらヤバかったぜ」

 何でもないことのようにあっけらかんとした表情で、リゲルが傷のあった上腕を叩く。……治癒。

「……なら、二人の傷も」

「私が治した。レトビックもカタストも、そこまで重い傷じゃなかったからな」

 麻痺していた俺の脚を回復させたのも、先輩だった。込み上げてくる思いに従って……。

「……ありがとうございます」

 深く頭を下げる。――あのときの俺たちは、本当に絶望的な状況にいた。

 積み上げてきた努力を呆気なく蹴散らされ、全霊の抵抗でさえ通じない無力を味わわされるだけのところでいた。先輩が駆けつけてくれなければ……。

「礼ならいい。ガウスたちから、もうたっぷり貰ってるからな」

 俺たちは全員、あの場で殺されていただろう。他人の命を救ったにもかかわらず、先輩は相変わらず気負いのない平静とした態度でいる。頭を上げたところで……。

「……戦いは、どうなったんです?」

「……っ」

「あの男は。あのあとは……」

「……あの男には逃げられた」

 意識を失う直前に見た光景、稲光を纏う男と、対峙する先輩の姿が蘇ってくる。――顛末(てんまつ)を知っているのだろう。

「上手く立ち回られてな。最後にデカめの一発を撃たれて、それでドロンだ」

「……先輩は、私たちを守りながら戦ってくれたんです」

 三人の顔つきが重くなる。戦いの光景を思い出しているように、キュッと手を握り締めたフィア。

「あの人が凄い量の雷を放って、それを全部受け切って。道はボロボロでしたけど、周りの建物には傷一つありませんでした」

「マジで肝が冷えたぜ。空気がバチバチ震えてて、いつ破られるんじゃねえかと思ってたけどよ」

「向こうがしびれを切らしたようで、最終的には逃げていった。正しく一命をとりとめた気分だな」

「――振り返りはそこまでにしよう」

 煙草を取り出す動きを見せた先輩は、ライターを出さないまま、指の間に挟んだ煙草を揺り動かしている。他人の部屋というのに配慮するのを何となく意外に思っていた俺の前で……。

「蔭水が起きた以上、のんびりもしてられない。確認なんだが、お前たち、どこまで事情を把握してる?」

「――」

「私たちは、その……」

 話題を切った先輩が俺たちを一瞥する。これまでより更に真剣さの増した目つき。

「前のときには、いきなり襲われて。今回も……」

「ほとんど何も分からないというのが正直なところです」

「……そうか」

 咥え煙草の奥に覗かせた表情に、フィアとジェインが答える。俺たちの事情を聞いた先輩が、考えるように視線を虚空に向ける。……色々と分からない点はある。

 話したいことも、訊きたいことも。だが……。

「上守先輩は……」

 一つだけ。俺の胸のうちに、引っかかっていることがあった。あの男の言っていた言葉。

「あの男だけじゃなく。前に俺たちを襲ってきた老人とも、戦ったんですか?」

「……!」

「……ああ」

 このことだけは、訊いておかなくてはならない。肯定の返事に唾を飲み込む。緊張をもって――。

「……殺したんですか?」

「……結果的にはそうなるかもな」

 訊いた台詞。何かしらの強い反応を予期して身構えた俺に、先輩は、思ったよりずっと静かな態度で返してきた。

「前回お前たちを襲った暗殺者に対して、私は事情を訊こうと試みた。逃走を防ぐため、隙を見て結界内に捕縛したが」

「……」

「こちらの目的が信用されず、対話を拒絶されたのちに自害された。私の落ち度と言われても仕方がない」

 ……殺そうとしたわけではない。

 先輩の言葉を信じるならば、そういうことになる。自分たちと敵対している相手だとしても……。

「千景先輩は……」

「何者なんすか? 一体」

「――何者、か」

 少なくとも、初めから命を狙うつもりでいるわけではないと。雷を操るあの男と渡り合っていた実力。

「気になるのも当然だな。一言で言うなら――」

「――」

「私は、ある組織に籍を置く魔術師(・・・)だ」

 俺たちのような巻き込まれた素人とは、明らかに先輩は違っている。――魔術師。

「この辺りの治安を見るために配属されてたんだが、途中でお前たちが狙われてるのに気が付いてな」

「……!」

「情報を集める意味も兼ねて、様子を見させてもらっていた。お前たちの巻き込まれてることについて……」

 完全に普通でない側の単語が出てきたことへの驚きはあるが、同時にどこか納得したような気持ちもある。……元からその手の世界があることを知ってはいた。

「私はある程度の事情を知ってる」

「――ッ」

「恐らく自分たちで考えてる以上に、お前たちの置かれた状況は切迫してる。お前たちに生活があるのを分かった上で言うが」

 あれだけの現象を見せられた以上、信じざるを得ない。……先輩の出現が、この不透明な事態を見通す鍵となっている。

 俺たちの誰もがそのことに気付いている。覚悟の時間を作るように言葉を切っていた先輩が、俺たちを見つめつつ、再び口を開いた。

「――着いてきて欲しい。私に」

「――っ」

「相手はいったん引きはしたが、ここにいる以上はまだ安全とは言えない。場所を移して、そこで事情の説明をする」

「……それは」

「……理屈は分かるっすけど」

 要望を受けた俺たちの側に、微妙な警戒の意識が漂う。……先輩は俺たちを助けてくれた。

「断った場合にはどうなるのか、訊いても構いませんか?」

「……組織に身を置く以上、私にも立場に応じた職務がある」

 感謝してもしきれないとはいえ、素性や真意がはっきりしたとは言えない。冷静なジェインの問いかけに、視線を宙に逸らした先輩が煙草を口から外す。

「同行を断られた場合、私がお前たちを連れて行く(・・・・・)ことになる。手錠をかけるような真似はしないが」

「……!」

「――分かりました」

 そういうことか。さっと顔を固くした俺たちに続いて、ジェインが素早く頷いた。

「無理に連れていかれるくらいなら、受け入れる方が賢明ですね。――どのみち、事情を知る(すべ)は見つけないといけない」

「……ああ」

「そうしてもらえると助かる。――なら、行くとするか」

 その気になれば、先輩が俺たちを赤子の手をひねるように捻じ伏せられるのは明白だ。促した先輩に続いて――。

「……どこへ行くんですか?」

「そこまで遠くじゃない。入り口は近くにある」

 廊下へ踏み出たところで、尋ねた俺に先輩が返してくる。揺れるポニーテールに似合うと思える、先ほどより柔らかな声音で。

「案内するよ。私の所属する組織、魔導協会の本山へ」








「いやぁ~、面目ない!」

 継ぎ目のない石壁に包囲された闇。一人一人が尋常ならざる威容を放つ、凶王たちの列席する場に、面の皮の厚過ぎると思える声が響く。

「まさかあの状況で、支部長が抜けてくるとは思わずにですね。いつでも割れるってことは確認してたんですが、上手いこと粘られちゃいまして」

「……その前に」

 王命を終えて帰還した、私服姿のクラウス。自身の扱う雷の術法の影響か。

「その恰好はどうにかならなかったのですか? 魔王派の重鎮とはいえ」

「――釈明はいい」

 手脚を覆っていたはずの衣服は、袖裾(そですそ)が共に焼け焦げ落ち、疑似的な少年スタイルになっている。黒々とした毛に覆われたむさくるしい手足の飛び出た風体に、片眉を顰めた賢王の言葉を、通る魔王の声が遮る。

「問題となるのは器の真贋と、その出来だ。どうだった?」

「ええ。そりゃばっちり確かめましたとも」

 片膝を突いたクラウスが、破れた袖の残骸を更に捲り上げる。道化ぶりを気にも留めない少女の前で、魔王自らの手によって刻まれた赤銅色の術式が、静かな感応の光と共に衆目に晒された。

「預かってたコイツにビビっときましたよ。揺さぶってもみたんですが、出来自体は不安定じゃないみたいですね。力の気配も変質も、何も感じませんでした」

「……」

「逃げ回るだけのカワイイ女の子でしたよ、こっちの気が重くなるくらい。守り手の方も大した腕じゃあないです。取り巻きも含めて。ただ」

 袖口を元に戻したクラウスが、僅かに思い起こす表情を見せる。

「扱う力は結構レアですね。例の蔭水の一族に、ハイクラスの異能力、稀に見る概念魔術の使い手」

「……」

「質のいい卵のバーゲンセールって感じですよ。将来的なことを考えれば、色々と利用価値はあると思いますが」

「それは重畳ですね。監視役の方はどうでした?」

 絹糸のような賢王の言。絡めとるような含みのある目つきが、魔王派の実力者へ向けられる。

「中立者たちの庭番を任された、担当者の力量は。少しは噛みごたえのある相手でしたでしょうか」

「大して全く。味気のない相手でしたね。強情で一本気で」

「……」

「若さのわりに凝り固まってて。食えたもんじゃないです、あれは。放っておいても早死にしますよ」

「それはまた」

「――失態への処分は別に下す」

 品のいい満足げな微笑の横で、深紅の瞳がクラウスを見つめる。

「沙汰は追って伝えさせよう。ご苦労だった、クラウス・ムウロ」

「王命とあらばいつでも。例え死地でも地獄でも、この血肉が枯れ果てるまで」

 (うやうや)しい一礼を見せたクラウスが、床に刻まれた文様の発光と共に姿を消す。静寂が数瞬過ぎり――。

「――滑稽な体たらくですね」

 時間の経過に伴って落ち着こうとしていた空気を、歯に衣着せぬ賢王の物言いが断ち割った。嘆かわしいとでも言いたげに、愁眉(しゅうび)をわざとらしく(ひそ)めて首を振る。

「冥王派に続き、まさか魔王派までもがしくじるとは。王派の統括者を名乗る立場であるにもかかわらず、クラウスという懐刀(ふところがたな)まで持ち出しておいて、嘆かわしいというか」

「――全くだな」

 芝居がかった中にもどこか喜色を含ませて咎め立てる賢王の声とは別に、至極純粋な溜め息が零れ出す。頬杖を突いている狂覇者。

「やはり俺が出るべきだっただろう。古臭い権威と序列などに(こだわ)るから、こうも失態を積み重ねる羽目になる。旧套墨守、株を守りて兎を待つとはこのことだな」

「謹慎者は黙っていなさい。忠節ある二人から連日の嘆願がなければ、こうして列することさえ敵わぬ身なのですよ」

「……」

「――何はともあれ、確認は取れた」

 空気を読むことのない台詞に叱責を放つ賢王。影のまま沈黙を保つ冥王を左手に、魔王が宣告を放つ。王たちの目線が、場に残る一人の男へと向けられる。

「考えるべきは器への対処だ。協会に(かくま)われた標的をどうするか、意見を聞こうか」

「……始めからこのつもりだったということか」

「一度目で壊せればそれまでだったが、不測の可能性が顔を出した時点で、お前には今一度、己の立場を証明してもらう必要が出てきた」

 呟いた男――かつての魔導協会の長である九鬼永仙に対し、魔王が崩れることのない冷厳さを向ける。内情を知る立ち位置からすれば、事の次第は不必要なまでに明らかなこと。

「魔導協会の総本山、地脈龍脈に基礎を置く【大結界】ほどの守りであれば、我ら凶王派といえども、攻め込むのは不可能に近い」

 予定通りに器との接触を果たした以上、魔王派の重鎮を務めるほどの実力者に、素人紛いの技能者数人を殺せないなどということはありえない。……指示が出ていた証だろう。

「協会の手のうちを知り尽くした者の智慧(ちえ)でもなければ。古巣相手に、お前がどのような判断を下すのか――」

 此方の言葉の真贋を確かめるだけでなく、抜け出す監視者を選別し、敢えてその所属に保護させるようにと。魔王の言の葉が永仙を捉える。(よわい)に似つかわしくない深い紅を湛えた虹彩が――。

「――示してもらおうか、元大賢者」

 黙考する永仙を映したまま、透き通る玉石のような光を放った気がした。



三章はここまでになります。

四章については投稿が少し遅れる予定です。


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