第十七話 開かれる戦端
「――ッ!」
刺さる魔力の拍動。
肌身にぞぶりと牙を突き立てられたかのような錯覚を、探知の感覚を張り巡らせた支部長は文字通り自らの五感で感じとる。鉈で鎖を断ち割るが如き強引な切り口――。
――こう来るとはな。
呆れるほど潔いやり口に、場違いと知りながらも苦々しい笑みが浮かんできてしまう。前回の邂逅。
冥王派の老人が帰還を果たせなかったことで、異変の起きたことは凶王派の知るところとなった。組織の監視役が目を光らせているのは承知の上だったはずだが――。
その牽制。凶王派以外の組織であれば間違いなく二の足を踏まされるだろう監視の網と罠を、正面から踏み抜いて来た。強襲を仕掛ける瞬間まで魔力を隠し通し、監視者たちの知覚を掻い潜った下手人。
そして。
「……」
「――へぇー」
自身の眼前に降り立った影。四人の動向を間断なく窺っておきながら、異変に馳せ参じることのできないでいるわけを支部長は目にする。……全身を覆うような装束。
「準幹部級クラスがいるかもとは聞かされてたけど。こんなのが監視役なんだ」
「……」
「あんたが支部長?」
目深に被られたフードから覗く髪先。殺気や闘気の一切を感じさせない佇まいでありながらも、分かる。
「うちの爺さんが死んだらしいけど。まさか、あんたみたいなちまっこいのに殺られたわけじゃないよね?」
「……いや」
全身に纏わりついている死の気配。ヒトガタの凶兆とも言える、死の匂いが目の前の女性に染み付いていることが。選んだ言葉。
「暗殺者の老人は、私が補足した」
「……」
「事情を訊いたのちに解放するつもりだったが、やり取りの末、自分で命を絶った」
「あー、そゆこと」
納得したように頷いたフードの中から、呆れるような溜め息が吐かれる。怒気も悲哀もない。
「とっととターゲットを殺しときゃいいのに、何やってんだか。大方、暗殺者の矜持とか言って手間取ったんだろうけど」
「……」
「ま、爺さんにしては、妥当な最期だったってところかな。支部長相手じゃ荷が重かったろうし」
「……あんたも冥王派か」
「まあね。――勘違いしないでよ」
女性の語調がプライドを含んだものに変わる。肌に吸い付く灰色の長手袋から、透き通るような白い指先の一本を顕わにした。
「冥王派の『人差し指』」
「――ッ!」
「あの爺さんと一緒にしてたら秒殺だから。他も始めてるみたいだし――」
爪に彫られた独特の刻印。遠隔地で起こる力の衝突を察知する支部長の意識に、神経を直接掴まれたかのような緊張が走る。親指と小指を除く三本の指の名を冠するそれは。
冥王派の中核をなす技能者を示す称号。冥王より直に力を認められた証であり、技能の髄は一般の構成員とは隔絶した領域にある。決死の警戒をもって相対する支部長の前で、手袋をはめ直した女性が、冷たい無機的な気配を放った。
「こっちも始めようか。輝かしい怨恨の歴史に彩られた、偉大な組織の人間同士の殺し合いって奴を」
昼下がりの街路に、もうもうとした白色の濃煙が立ち込める。アスファルトの焼ける臭い。
「……ッ……!」
押さえた腕を掻い潜って、刺激的な臭気が鼻を突く。次第に晴れていく煙の切れ目に、懸命に目を走らせる。……っフィア。
「はっ……ッ」
「……ぶねえな。ギリだぜ」
リゲル、ジェイン。凝らした視界の中に、全員の立っている姿が映り込む。……辛うじて。
「……あれ?」
辛うじて全員が無事でいる。息を乱し、冷や汗をかいてはいるものの。
傷を負った様子はない。襲撃を受ける前と同じ姿のままだ。――不意打ちを受けた一瞬。
それぞれの反応と同時に、ジェインの援護による加速が瀬戸際で間に合ったのだ。後方に散る形で跳んだ俺たち。
一瞬でも対応が遅れれば餌食にされていたが、どうにか避けることができた。食らいつく蛇のように鼻先を過っていった――。
「今のを避けるか。――やるねぇ! 若人たち!」
「……‼」
「冥王派の下っ端を退けたってだけのことはある。でもまあ、次はどうかな」
青白い光。スローになる視界で目にした光景がフラッシュバックする。……普通でない腕前を持っていたとはいえ。
原始的な得物を使ってきたあの老人とは違う。記憶の母やジェインと同じ、普通でない力による攻撃だ。今しがた四人を殺しかけたとは思えないほど朗らかに声を挙げる男。
舞台の幕でも上がったかのようなテンションのまま、感情の読めない目で俺たちを見つめている。構えを取る俺たちの前で、福音を授けるように右手を掲げ挙げた。
「――どうして僕たちを襲う⁉」
その機先。攻撃の出だしを、ドンピシャのタイミングでジェインの叫びが遮る。――そう。
「ん?」
「何が目的だ⁉ 僕らやお前たちの使う、その力が関係しているのか⁉」
「あー、なるほどねぇ」
始めの奇襲は既に凌いだ。今の俺たちの立ち位置は、相手にただ襲われる立場から、目の前の男と戦う側へと移っている。……取り組むべき優先事項。
「分かる。分かるよ、その気持ち。理不尽だって思うよなぁ」
俺とリゲルが前、ジェインとフィアが後ろという陣形は、回避を利用して作れている。次に問題となるのは、現状における脅威の分析。
事前に話し合っていた方針の通り、ジェインが言葉で時間を稼いでいる間に、思考をフル回転させていく。――なんだった?
目の前で閃いた、あの光は。俺たちを一度に攻撃してきた凶器。
「なんでだって、不条理だって。殺しに来た相手に、問いを投げかけたくなる気持ちも分かる」
「……っ」
「でも大抵、襲う方は手前勝手な理由を持ってるものさ。聞いたところで納得はできないし、死にたくなければ抗うしかない。全力で――」
一見すればただの閃光。普段目にする可視光のように無害にも感じられるものだったが、記憶の寒気と残された攻撃の余波がその威力をはっきりと物語っている。焦げ臭いくすぶりを上げる地面。
街路の焼け跡が熱を持ち、力の残滓と思しき閃光が微かに弾けている。思い当たる現象は――。
「――足掻いて見せなよ」
「――ッ‼」
――電気。理解した刹那に向けられた、男の指先から閃光が放たれる。激しい放電を伴って襲い来る――‼
「ッ! 〝終――ッッ‼」
雷の直線。予期していた攻撃、右胸を穿つようなそれを、体軸を中心に半身になることで躱し切る。身体の横を通り過ぎていく電光に――。
「――ッ⁉」
武器を呼び出そうとした瞬間、直線的だった電光の軌道が、撓むようにして唐突に動きを変える。咄嗟に沈ませた背中の上を‼
「チィッ‼」
薙ぎ払うように閃光が空ぶっていき。軌跡の先にいたリゲルに上体を引くステップで躱されたところで、曲がり角に立っていたカーブミラーに直撃を見舞うと、鏡面を砕き散らして煙と共に地面に散乱させた。……ッ……‼
「……‼」
「ふむふむ。へえー」
なんだ、あの威力は。態勢を立て直し、構えを取る俺たちを見て、男から感心したような声が挙がる。――高圧電流の鞭。
「強化もなにもない状態で、その身のこなしか。悪くないね」
アスファルトを焦がし、直撃したカーブミラーを即座に粉砕するほどの。電熱の蓄積を受けてか……。
男を見据えている視界の端で、中ほどから真っ赤に融解した金属の柱が飴細工のように頭を垂れていく。……食らえばただでは済まない。
「捕まえるにはちょっと骨が折れるかな。卑怯な感じもするけど……」
毛の先ほどでも触れた瞬間、文字通りに全身を消し炭にされるだろう。理解して背筋を冷や汗が伝っていく俺の前で、軽く振るった男の左手の人差し指の先に、今しがた俺たちに向けられたのと同じ電光が弧を描くようにして出現する。……見えている鞭の長さは六メートルほど。
だが、あの出現が男の普通でない力によるものである以上、相手の意志一つで変化させられる可能性を考えておいた方がいい。背後の二人がじりじりと下がる気配。
「セオリー通りって言うか、後衛から削らせてもらうとしようか。足の遅そうな二人から」
「……ッ!」
「動かない方がいいよ。下手に一部にでも当たると、死ぬほど痛い思いをすることになるし」
前に立つ俺たちはこれ以上下がれない。俺と同じく前衛を受け持つリゲルが、全神経を凶器と男の動きに集中しているのが分かる。掠めるだけでも致命的になる。
「ちゃんと当たれば即死で済むから。死体は無惨な感じだけど――」
俺たちの接近を阻むように相手の正面を滞留している鞭。男が一歩踏み出す動きに合わせてか、凶器を形成する青白い電光が微かに震えた――。
――瞬間。
「――ッ‼」
悠然と進む男が二歩目を踏み出そうとした刹那に、全力で地を蹴り出す。全霊を脚に込め――ッ‼
「特攻かい? 果敢なことだ」
リゲルと全く同時に、安全圏から二歩で鞭の圏内へ。慎重さをかなぐり捨てたような突貫に、男の右手の指先から新たな電流の凶器が空中に弧を描く。左右に携えられた必殺の得物が。
――ッ‼
無情なまでの正確さで、俺とリゲルに振るわれる。波打つ電撃が食らいつくその瞬間。
画面の速さを切り替えたように、目に映る全ての光景がスローモーションへと変化した。――ジェインの援護。
「 お お ッ ⁉」
予定通りに掛けられた加速の後押しを受けて、俺とリゲルが迫る鞭の軌道から身体を外す。追い縋ろうとする電光の動き。
「――〝終月〟‼」
背後から伝わる熱を、力を込めた踏み込みで置き去りに。詠唱に応じて顕現した得物を掴み取り――‼
「シィッッ‼‼」
「フゥッ‼‼」
見開いたまま固まっている男の眼。轟く裂帛の気合を後押しに、左右から挟み込む形で、リゲルと共に一撃を見舞った‼ ――‼
――決まった。
「――ッ⁉」
風を食んで突き進む漆黒の刀身。最速を誓い空気を裂断する【無影】の一閃が、打ち込みの手応えを得る前に、激しい電光と共に弾き返される。――ッなに。
「チィッ‼」
届いたのはリゲルの舌打ち。ストレートを直前で引き戻したのか、不格好な体勢のまま大きく後方へ飛び下がる。抵抗のわけを悟る余地もなしに――。
「――」
「いやいやいや……」
覚えた悪寒に、反射的と言ってもいい所作で後退した。……なんだ?
「驚いた。どうして中々」
「……!」
「ただのひよっ子かと思えば。本当にやるじゃないか、若者たち」
今の、不可解な現象は。素早く距離を開け直した俺たちに対し、埃でも払うように上着の裾を払った男が、感心したような視線を送ってきている。……無傷。
「それが最初の回避のカラクリか。速度だけ綺麗に変化してるように見える辺り、ただの強化法じゃないね」
電流の鞭を消し、何事もなかったかのように顎元を撫でさする男の身体には、服を傷つけられた痕跡さえない。……あり得ない。
「なんだか妙に体が重い感じもしたし。冥王派の奴がやられたとは聞いてたけど」
混乱する意識の動揺を、終月の握りに力を籠めることで鎮めようとする。先の俺たちの一撃は……。
あの状態から、決して防げるものではなかった。初見の虚を突いた、完璧と言えるタイミング。
綿密に手順を練り、幾度となく繰り返してきた、訓練通りのコンビネーション。全てが完璧にはまった以上。
あれは今の俺たちに繰り出せる、最高の攻撃の一つであるはずで――。
「……魔法の盾か何か持ってやがんのか」
――それを呆気なく防がれた。苦いリゲルの舌打ちが、思考に気付きを与える。……そうだ。
魔法の盾、そうとしか思えない。一瞬だけ走った手応えを考えるに、あの鞭と同じ電流の――。
「素人とは思えないね。親父さんに頼んで、死体の処理とかしてもらっちゃった?」
「えっ」
「なに?」
「あれ? 違ったか」
唐突な発言にフィアが息を呑む。はずみで口にしたようなジェインの反応に、こめかみを掻いた男が皮肉気な笑みを浮かべる。――な。
「流石にそうか。腰抜けの暗殺者といえども、子ども四人にやられるようじゃ浮かばれない」
「……!」
「とりあえず嬉しいよ。無知な子どものままで、自覚もないままいてくれてさ――」
――死んだ?
あの老人が、俺たち四人を襲い、苦しめてきたあの暗殺者が。矮躯に似合わぬ冴え渡る技巧。
受けた蹴りの威力。磨き抜かれた白刃との死闘が、白昼夢のように脳裏に蘇る。……なぜ。
なぜ、あの老人が……。
疑問が脳内を巡る。愕然とした衝撃の覚めない最中で。
男の口角が、嘲弄に歪んでいた。
「――ッッ‼⁉」
瞬間。背後に轟く壮絶な爆音に、振り向かされる。
「なッ――⁉」
「おおッ⁉ 躱すねえ⁉」
掻き消された叫びと悲鳴。振り向いた俺たちの視線の先で、濛々とわき上がる黒煙と、垂れさがった右腕を掴んでいるジェインが見える。腕に食い込んだ幾つもの破片……。
「……ッ……‼」
「そんな可愛らしい恰好で。運動は苦手そうなのに、大したものじゃない」
「ッ、立て‼ カタストさん‼」
だが、本命はジェインではなかった。身体ごと真横に飛び込んだように倒れ込んでいるフィア。
二人の足元にあったはずの地面が、爆薬でも仕掛けられていたかのように、地中から大きく抉れて弾け飛んでいる。――なにが。
「ッ……‼」
目の当たりにする光景。思い至った考えに、穴の縁で弾けている電光を目にしてなお、信じ難い思いが拭いきれない。俺たちの前から動かなかった男は……。
「視力や反射神経まで上がってるのか。体力はなさそうだから……」
足元から俺たちの後方へ電流を流し込み、狙いの箇所に威力を集中させて消し飛ばした。砕かれたアスファルトの破片。
土と石の欠片が、まるで散弾のように辺りにぶちまけられている。ジェインの腕から滴り落ちる血。
「ッ……!」
痛みに身を震わせながら立ち上がるフィアの右手脚から、避けた服の下に赤黒い緋色が覗いている。汗と泥に汚れた手脚も拭えず顔を歪めるフィアを、眺め遣ったままの男が、顔色一つ変えずに頷きを見せた。
――マズい。
「力尽きるまで撃ち込めばいいだけかな。じゃあ、さようなら」
此方に攻撃の手立てがない以上、連発されれば手の打ちようがない。ジェインの援護があるとしても。
いずれ捕まる。数分間を逃げ回ったあとで、全員があの電流で焼き尽くされる。――物言わぬ黒焦げの死体。
脳裏に湧き上がる不吉なイメージが克明になっていく。……どうする。
どうすれば――ッ⁉




