第十六話 破綻の来訪
「……」
リングの中央。
互いの間合いの一歩外、出足を牽制し合う緊張の状態でリゲルと対峙する。……このところ。
際どい引き分けが多くなってきている。まだ一本を取ることはできていない。
だが、確実に前とは何かが違っている感触がある。……そうだ。
迷いや恐れが消えたわけではない。あのとき老人に打ち込んだ、終月の感触。
肉がつぶれ、骨を折るような感触は、未だに俺の手のうちに残っている。殺されることへの恐れ、殺すことへの恐れはあり。
――だとしても。
「――ッ‼」
今だけは。読んでいたフェイントの動作を、敢えて押し切る形で接近する。目を見開いたリゲル。
「――‼」
反応した黒革のジャブ。風を切り裂いて唸るコンビネーションの連打を、刀身の峰を使う形で受け逸らす。――惑わされるな。
格闘の技術で上回られているとはいえ、間合いは俺の方が有利。決定打を放つのなら、リゲルも俺の刃圏に踏み込んで来ざるを得ない。牽制の中に織り込まれた本命打――。
「ッ‼‼」
俺の作った隙に飛び込んできたそれに、息を合わせる形で大きく後ろに跳び下がった。――リゲルの重心が僅かに崩れる。
胴に引き付けた刀身が居合の体勢を整えている。生まれたほんの一瞬の居つき、次の瞬間には消えている隙に向かって――‼
思い切り。不完全な奥義の要領で放たれた刀身が、遅れたガードを弾いてリゲルの胴手前で止められた。ッ……‼
「……‼」
「――はっ」
――一本。通算八十戦目での、初めての奪取。止めていた息を吐く呼吸の中で、リゲルの口元が大きく競り上がる。
「……リ」
「――やるじゃねえか‼」
何かを言うより先に、思い切り背中を打つ手のひら。つッ――!
「このところ調子が上がってると思ったけどよ。遂にって感じだな」
「ああ――」
「負けてらんねえぜ。――もう一本‼」
――
「三番テーブル入りまっす!」
見慣れた内装の喫茶店。金髪緑眼の好青年に扮したリゲルが、活気のある声を挙げる。微妙に素が出ている気もするが――。
「――ありがとうございました!」
「二番テーブルの会計と、六番さんのお客様注文な」
「ッああ」
熱気の中ではむしろ、少しくらい素の出ている方が似合って聞こえる。この辺りの連携も慣れたものだ。
「――黄泉示さん、お願いします!」
「分かった。――っと」
キッチンのフィアから渡される熱々の料理。中央の鉄板を掴まないようにして皿を受け取る。調理帽子を被っているフィアの姿も――。
「カタストさん、次はハンバーグを頼む!」
「はい!」
随分と板についてきた。ジェイン共々、立派にキッチンを支える立役者だ。――休憩時間。
「……うむ……」
賄いを食べる中で、俺たちを見たオーナーが、何か重々しい顔つきで頷いている。いつになく真剣な顔つきに……。
「どうしました?」
「お前のざっくばらんな接客態度についてだろう。給金が下がるな」
「テメエの雑な仕事についてじゃねえの。プレートの盛り付けが、二センチくらいずれてたぜ」
「いやいや。立派になったな、と思ってね」
つい気になって訊いてしまった。ジェインとリゲルがいつも通りの憎まれ口をたたく中で、感心したように真面目な眼差しを向けるオーナー。
「様になってきたと言うか。アービンくんも、初めの頃の無理に繕った口調より、そちらの方がいいね」
「いやぁ、済んません」
「黄泉示くんも今では丁寧な仕事ぶりだし、カタストさんの料理の腕前は驚きだ。ジェイン君は相変わらず、八面六臂の活躍をしてくれている」
「そんな……」
「お世辞じゃあないさ。君たちさえよければ、正式な従業員としてここにいて欲しいくらいだよ」
「――」
多少本音が混じっているようなオーナーの言葉。単なる賞賛だけではない台詞に、俺たちの側も少し表情が引き締まる。
「それは……」
「ああ、いや。気にしなくていい。店主としての私の、我が儘というものだからね」
了解済みと言うようにオーナーが頷く。……俺たちの今の生活は、不安定なものだ。
「事情があることは始めから聞いているし、それを理解した上で来てもらっている。若いうちは一ところに留まるより、色々な事柄を経験した方がいい」
「……」
「自分の脚で世界を旅して、目に見える世界を広げていけば、どこでだって歩ける知識と自信が身につくものさ。――さ」
いつ崩れるか、いつ元に戻るのか、それさえも自分たちでは分からない。言い難い気持ちを覚えている俺の前で、店長が明るいウィンクを飛ばした。
「午後の仕事と行こうか。元気よく頼むよ!」
――
「いや~」
仕事終わり。
「今日も良く働いたぜ! 特別に色まで付けてもらっちまったし」
「本当ですね……」
晴れた昼下がりの中を、俺たちは歩いている。渡された封筒は、いつもより少し厚い。
「でもなんか、嬉しかったよな」
「――え?」
「自分の仕事ぶりが認められた気がして」
「……そうだな」
しみじみとした気持ちで頷く。素性で関わりを避けられてきた、リゲルからすれば――。
「今日はこのまま子どもらのとこか」
「前回は人気を集めていたが、そうはいかない」
その思いは恐らく、特に強いのに違いない。ジェインがじろりとリゲルを睨む。
「今度は僕の人形劇を披露する日だからな。年少組にも分かり易いよう工夫して、大盛り上がりになること間違いなしだ」
「へいへい。そういうテメエも、ちっとは体力がついて来たじゃねえか」
身体能力の高さを生かしたリゲルの遊びは特に年少の子どもたちに人気があり、ジェインとしては対抗意識があるらしい。クスリと笑む俺たちの隣で、リゲルが話を移す。
「始めはただの柔軟だけで、圧延されたのしいかみてえになってたってのに。成長したねえ」
「どこかの誰かがテストで倍以上の点数を取れるようになったことからすれば、微々たる進歩さ。――カタストさんも、最近動けるようになってきたな」
「はい」
答えとしてフィアが返すのは、明るい張りのある声。
「新しく組み直したメニューが良かったみたいで。食事の方も、しっかり食べるように意識してます」
「ジェインの援護が掛かれば、俺とかリゲルの攻撃を躱したりできるくらいだもんな」
「本気で狙われてるわけじゃないからですよ。黄泉示さんも、料理が上達してるじゃないですか」
最近、料理指導の方で進歩があった。進歩と言っても。
「炊き込みご飯を作るのに成功しただけだけどな……」
「それでも凄いですよ」
「本当だぜ。初めの頃は、なんだかよく分かんねえおじやばっかり作ってた黄泉示がよ……」
「人間は成長できる。そのことを確かに実感したな」
涙ぐむリゲルと、感慨深げに頷いているジェイン。そこまで大袈裟なことじゃないと思うんだが……。
「――連携も板について来たよな」
「だな。コンビネーションもバッチリ」
リゲルがばしりと手を打つ。地力の底上げが進んできたことを考慮して――。
最近の俺たちは、個人の成長に焦点を当てたトレーニングだけでなく、四人での連携について幾つかのパターンを作っていた。ホワイトボードに描かれたジェインの立案。
前々から食事時などに説明だけはされていたそれを、頭の中に叩き込み、何度も反復練習を繰り返してきた。上手く嵌まるかはそのときが来てみないと分からないが。
「いつでも来いって感じだぜ。前みてえにはいかねえ」
「可能であれば、身柄を確保するのが一番なんだがな」
状況を想定した備えがあるということは、それだけで心の支えにはなる。ジェインの言葉――。
「解決策を見付けない限り、状況の改善は見込めない。相手の身を押さえられれば、目的を探るのがずっと簡単になる」
「俺らも用意ができてるわけだしよ。いっそのこと、ボコボコにして捕まえといてやるってのはどうよ」
「それはちょっと……」
「レイルさんに頼むのが無難だろうな」
勢いのやや先行したような軽口に、フィアと俺が小さな苦笑いを零す。……こんな冗談も言えるようになった。
襲撃から、この生活の初めに比べて、ずっと良好な精神状態になったことは確かだ。だが――。
「……来るんでしょうか?」
忙しない平穏の合間に意識が浮上するたび、思ってしまうことがある。フィアの言い出したこと。
「本当に。今みたいな生活をしていると、その……」
「……」
「……確かにな」
誰もが胸のうちで思っていたのだろうことに、理解の色を覗かせたジェインが頷きを見せる。どことなく遠くを見る目。
「追い込まれた状況から始まった生活だったが、思った以上に充実している」
「……」
「これが普通の日常だと、錯覚しそうになることもある。始めのうちは間違いなく、揉めるだろうと考えたものだったが」
「よく言うぜ。――ま、気の緩んでるときが一番危ねえって言うしな」
肩を竦めつつ、平熱の真剣さを示すリゲル。 ――そうだ。
「来るか来ねえかは関係ねえ。親父が戻ってくるまで備えて、きっちり対処するだけだぜ」
「……そうだよな」
状況がどちらだとしても、俺たちのやることは変わらない。この日常を守ること。
自分が生きている中で出会い、輝いている誰かを守ることこそが、今の俺が剣をとるわけだ。全ての悩みを解決する答えが見つからないとしても。
少なくとも、それだけは分かっている。俺だけでなくきっと――。
「またあの老人が来たとしても、俺たちは誰も死なせない」
「――」
「全員で――」
フィアやリゲル、ジェインに取っても。力を込めた言葉。
「乗り越えてみせる。何があったとしても」
「……そうですね」
胸に宿る決意。静かに頷いたフィアが、眼差しの奥に仄かに湛えられた光を見せる。
「あと一ヶ月ですし。――頑張りましょう、これからも」
「殺されるつもりなどないさ。端からな」
「いよっし! 臨時収入もあったことだし、今夜は景気づけにバーベキューと行くか!」
どこまでもクールな素振りでジェインが頷き。四人の気持ちが一致したところで、威勢のいい台詞が空気を散らす。
「そこのスーパーで肉とか野菜とか買ってよ。パーティー用のコンロがあるから、庭でそいつでジューっと!」
「浮かれるなと言ったばかりだろう。素人が適当に炭で焼くより、手順を踏んで調理した方が確実に美味い」
「片付けが大変なんじゃないか……?」
「チッ、チッ、チッ。分かってねえなぁ。バーベキューには、理屈じゃ測れねえロマンってのがあんだよ」
反応が今一つな俺たちに対して指を振るリゲル。……そうなのか?
「焼き方だって色々あるし。知らねえとそこの眼鏡みてえに、なんか火で焼くだけだーっとか思っちまうだろ?」
「そうじゃないんですか?」
「ただ焼くつっても、直火焼きとか、赤外線で焼くやつとか、燻製とかローストとか色々あんのよ。BBQマスターの俺が――」
今まさに火を相手にしているかのように熱く拳を握る。マスターによる解説が始まろうとした――。
「――ららら~っ」
「――?」
そのとき。音程の外れた、奇妙な歌声に俺たちの視線が集められる。道の向こうから歩いてくる……。
「なんだあれ」
「酔っ払いか?」
「……近づかない方がいいな」
一人の人物。ふらつく足取りで、街路の木や壁に手を突きながら、進む方角も不確かに歩いてきている。眉を顰めるジェイン。
「絡まれると面倒だ。右の通りから――」
「――やーあ! そこの若者たち!」
迂回して避けようとした瞬間、ばっちり声を掛けられてしまった。俺たちに狙いをロックしたのか。
「四人で並んで羨ましいねぇ。こんないい陽気の日に、どこへ行くのかな?」
「え、ええと……」
「いやぁ、天気もいいもんで、これから皆で公園にいくんすよ」
「ピクニックかい! いいねぇ」
意気揚々と腕を振り上げてくる相手は、着古された外套を纏った、いい齢の男。戸惑いがちなフィアに代わって、リゲルが上手く作り話で調子を合わせにいく。……四十代前後だろうか?
「こんな陽気の下でシートを広げて、ワインとパンを相伴に預かれれば、さぞかし楽しいんだろうなぁ……」
「――済みませんが、僕たちはその」
「うらぶれたロートルと違って、君たち若者の未来には明るい前途が広がってる。素晴らしいじゃないか!」
長身で、味のある面立ちではあるものの、どことなく日陰者のような雰囲気がある。気分が高揚しているのか、意図的に発したのだろうジェインの苦言もお構いなしに語っていく目の前の相手。……なんだ?
「えっとその、そんなことは……」
「いやいや、全く」
覚えた違和感。――酒の臭いがしない。
「こんな気持ちのいい日にお仕事なんて、ついてないよ、ホント」
「え?」
素面だ。理性の光を湛えた瞳が俺たちを覗いた直後、弾けるような異音を伴う閃光が、広がる視界を覆い尽くした。




