第十五話 心決めて
――夜。
「……」
全てのスケジュールが終わったあと。やるべき工程が済んでいることを確認して、俺は自分の中の用意を確かめる。……よし。
大丈夫だ。言うべき内容は纏まっている。
これからしようとしていることにも、迷いはない。今度こそ――。
「――?」
思考を中断するノックの音。
「はい」
「――黄泉示ー」
掛けた声に、覚えのある低い声が返ってくる。――リゲル?
「休んでるとこ悪いんだけど、ちょっと今いいか?」
「ああ――」
近づいたドアを開ける。……なんだろう。
「取り敢えず、座ってくれ」
「おうよ」
トレーニングの割り当てや、同じフロアの担当と言うこともあって、日中はよく顔を合わせるリゲルだが、部屋まで訪ねてくるのは珍しい。――戦闘訓練の件だろうか。
フィアとの一件以来、多少マシになっている自覚はあるが、それでもまだ一本は取れていない。……あまり遅くなればあとの用事に差し支える。
「……それで……」
「あ~、なんつうかな?」
リゲルには悪いが、場合によっては用件だけ聞いておくというのもありかもしれない。尋ねようとした俺の前で。
「俺はよー、黄泉示」
「……」
「昔、ひでえ失敗をしちまったことがあんだよ」
「――え?」
リゲルは軽い口調で話し始める。一瞬だけ覗かせた重い決意の表情など、なかったかのように。
「今の面子に会う前、高校のときの話な」
「……!」
「もしかすると、あの眼鏡辺りから聞いてるかもしんねえが――」
あくまでも、気安い会話のような口調で。――これは。
「高校の頃、俺は、自分と似たような面子でチームを作ってた」
「……!」
「自分の環境に不満を持ってるはみ出しもん同士で集まって、好き勝手動いてな。色々とやんちゃはやったし、バカやったりもした」
以前にジェインから聞かされた、あの話だ。……高校で不良のチームを作っていたというリゲル。
「バラバラの素性と趣味がある奴らだったけど、意外なくらい上手く纏まっててな」
「……」
「あの頃の俺は、そんな毎日が続くと信じて疑わなかった。こんなに噛み合った最高の俺たちなら、必ず何かができるはずだって、無邪気にそう、信じてた」
だが、敵対する暴力組織に無謀な突貫を仕掛けたことで、チームは瓦解。メンバーから死亡者まで出たという。かつての日々を見ているようだったリゲルの眼が、斜を向き――。
「――俺は間違えた」
「――ッ」
「向き合うべきもんと向き合わなかったせいで、チームはバラバラになって。相棒だと思ってた奴を失って、両腕の骨をへし折られた」
重い一言。――苦悩。
「トレーニングもできない状態で、家に籠って。大学じゃ避けられて、一人で腐って……」
「……」
「――そんでまぁ、今、こんな状態になって、思うわけよ」
後悔。疑いようもないそれらの感情が強く滲んでいる。過去の全てをその身に刻み付けてきたのだろうブルーの瞳が、俺を見る。
「――絶対失いたくねえ」
「――!」
「かけがえのねえダチに、そいつらと笑ってられる毎日を。なにがなんでも、守ってみせるってな」
「……リゲル」
握り締められた拳。……決意の強さ。
「……あーっ、だからまあ、何が言いたいかっつうとな?」
どれだけの覚悟を心のうちに秘めているのかが、直に伝わってくる。拳を解いたリゲルが、どうしても力の入らずにいられなかった自分を揶揄するように、気恥ずかし気に髭の上を人差し指で掻く。それを言うためだけに……。
「このところフィアとの仲がギクシャクしてんのを、そろそろ見てらんねえっつうか」
「――」
「お互いなんか顔を合わせづらいってのはあんだろうけど。動かなきゃマズいタイミングってのもあるんじゃないかっつうか。余計なお世話かもしんねえけど――」
「――リゲル」
敢えて、このタイミングで話し辛いことを話しに来てくれたのか。続きそうな台詞を止める。正面から相手を見て。
「ありがとう」
「お?」
「丁度今から、フィアのところに行くつもりだったんだ」
「――」
正直にそう言った。……沈黙。
「リゲルの言うように、そろそろ動かなきゃいけないってことで」
「……マジかよ」
「ああ」
「……」
俺の台詞を聞いた瞬間、リゲルの動きが停止する。ゆっくりと瞬きをして、厳めし気に腕を組む仕草。スラックスに包まれた長い脚を、膝の上に乗せる……。
「……それで」
「――ッ早く言えよ‼」
途中で、張りのある素手の平手に、勢いよくテーブルが叩かれた。――ッ⁉
「二人とも奥手っぽいもんだから、中々動けねえのかなーとかなんとか思って、ハズイ話までしちまったじゃねえか!」
「いやまあ、リゲルの言ってくれたことは別に――」
「うっわーッ! ガチで恥じい!」
虚空に向けて打たれたジャブの連打が空を切る。……照れ隠しなのか?
「完全に意味のねえ自分語りじゃねえか。まあ、あれか」
「いや……」
「どうせいつかは話さなきゃならねえと思ってたんだし、良しとするか」
「……それがいいんじゃないか」
俺としては、リゲルが自分からああいった話をしてくれたというだけでも、響くところはあったのだが。援護のつもりで言った台詞に、恨みがましい視線を返される。なぜ……。
「ったく、黙って乗らせるとかいう鬼畜の所業は置いといてよ」
「……」
「いよいよ話すってんなら、決めて来いよ、黄泉示」
釈然としない俺の前で、リゲルが拳を突き出す。真っすぐに向けられるその仕草に。
「ビシッとな!」
「――ああ」
頷いて差し出す拳。ぶつけ合う衝撃のあとに、視線を交わし合った。
――
―
「……」
静けさが満ちた廊下。
「――はい」
「フィア」
覚悟を決めたノックに返ってきた声に、声をかける。……話を終えたリゲルは既に去った。
「こんな時間に悪い。話がしたいんだ」
「……」
「……大丈夫か? 今」
「……はい」
今この場にいるのは正真正銘、俺と相手の二人だけになっている。ゆっくりとした足音。鍵の外れる音に続いて。
「……」
開いた扉から、フィアが顔を覗かせる。変わらぬ可憐さで流れる銀の髪。
宝石のような煌めきの中に緊張を覗かせた翡翠色の瞳が、小さく頷く。無言の招き入れに従って、部屋の中へと入った。
「……」
――壁際の椅子。
ベッドの奥側に設けられた応接のためのスペースで、俺とフィアは机を挟んで対面している。……フィアの部屋。
初日に見た通り、俺の使っている部屋と作りは同じ。家具や内装も変わらないが、どことなく自分の部屋より綺麗で清潔感がある気がする。きちんと布団の畳まれたベッドと……。
「……」
整頓されている持ち物が、そう感じさせるのかもしれない。……向かい合っている緊張。
覚悟を決めてきたとはいえ、そうした感情はやはり、自分の心臓に絡みついている。考えてみれば。
記憶喪失という事情を踏まえた結果、フィアとはこちらに来て以来、ずっと二人で生活を続けてきていた。四人での共同生活が始まり……。
リゲルやジェインとは距離が縮まった気がしていたが、フィアとは逆に、遠くなってしまっていたのかもしれない。いつも隣にいた相手。
離れている白銀の姿を前にすると、落ち着かないような気持ちが昇ってくる。……以前のように話せない。
以前のように隣にいられないことが、自然な形ではないような。フィアも同じような心境でいるのか……。
目は合わなくとも、先ほどからどことなくタイミングを計り損ねているような気配が伝わってくる。纏わりつく躊躇いを振り払うように。
くっと表情を引き締めたフィアの瞳が、覚悟を決めたようになる。面を上げて話し出そうとする相手に――。
「……っその」
「――ありがとう」
真っ先に告げた。……そうだ。
「え?」
「……ずっと、怖くて仕方がなかった」
何よりもまず、このことを始めに伝えなければならない。一度声に出したことで――。
「またあの夜みたいに、戦うことも」
「……!」
「いつ襲われるか分からないことも。……今度こそ本当に、誰かが死ぬかもしれないってことも」
思った以上にしっかりと言葉が続いてきてくれる。一つ一つの台詞を、明確に。
「あのときのフィアのお陰で、自分が一人でいるわけじゃないって気付けた」
「――っ」
「命を狙われたあの夜に、自分がなんで剣を取ったのかを思い出せた。だから」
「い、いえ」
偽りない俺の感謝を、フィアが止める。自分には過ぎているというような慌てぶりをして。
「そんな風に言われることじゃないです。私はただ、その」
「……」
「苦しんでいる黄泉示さんを、助けたくて。一人じゃないんだと、思って欲しくて……」
立ち消えになる言葉。口にした台詞に、何を思ったのか。
「……ごめんなさい」
自然と下を向いていた唇から、声が零れる。ぽつりぽつりと。
「あのときのことは、衝動的で……」
「……」
「あとから恥ずかしい気持ちが湧いてきてしまって。距離を置こうと思って、でも……」
「……」
「中々向き合えずにいて。引き延ばしているばかりで……」
――零れていく。
フィアが悩んでいたこと。何度も何度も思っては胸のうちに溜まっていたのだろうことが、ゆっくりと。黙って耳を傾けている俺の前で。
「……私も」
自身の言葉の残響を聞いているようだったフィアが、言葉の色合いを変える。
「私もずっと、怖かったのかもしれません」
「……!」
「あの夜のことを思い出すと、まだ身体が震えます」
思い出しているのだろうこと。振れる感情の針を示すように、自分の腕を掴む指先が静かに握られる。
「何もできないでいた自分が情けなくて。またあんなことが起きてしまうんじゃないかって」
「……」
「怖くて、仕方がなくなります。前に立つ黄泉示さんが……」
恐れと不安を浮かべた翡翠色の瞳が、何かを問うように俺を見る。目を瞑り。
「……でも」
「――」
「そんなときだからこそ。……ゆっくり、歩いていくしかないのかもしれません」
次に目を開いたときのフィアの表情は。先ほどよりもどこか、穏やかな強さを持っているように見えた。
「自分にできることを踏み締めて」
「……」
「一歩一歩。真剣に……」
……そうだ。
「焦りに逃げることをしないで」
「……」
「自分のできる限りを。誰かと一緒に」
「……ああ」
どれだけ状況に焦りを感じていたとしても。俺たちには常に、できることとできないことがある。
飛べない断崖を無理に飛ぼうとしてしまえば、自分を潰してしまうだけになる。本当の意味で難しく、意義のあることは……。
「フィアが焦りを覚えなくていいよう、俺も力をつける」
「……」
「今はまだできなくても、隣で努力し続ける。……だから」
「……ありがとうございます」
その中で、自他に嘘を吐かないこと。できないの一歩手前までのことを、全力をもってやり続けることだ。肩の力を抜いたフィアが、穏やかに微笑む。……よかった。
「……リゲルさんとジェインさんにも、謝らないといけませんね」
「お互いにな」
「はい。明日からは、その」
互いの間にあったぎこちなさが、消えてくれた。これでまたきっと――。
「――っ」
以前のように。安堵する気持ちの中で、何かを言おうとした、フィアの指先が。
「っあ……」
机の上に置かれていた、俺の指に触れる。肌から伝わる柔らかさと、体温。
「……」
「……その」
あの日のことが思い返されてきて、自然と頬に熱が昇るのを感じる。……気恥ずかしさは変わらない。
「問題は解決しましたけど。……まだ少し、恥ずかしいですね」
「……だな」
――だが、嫌な感じではない。指を触れ合わせたまま。
どちらからともなく顔を見つめる。浮かんでいる互いの気持ちを感じて、笑い合った。
「ん~……」
天蓋に星灯りだけが降るような真夜中。長い影の差す古びた電柱の頂上に、一人の男がしゃがみ込んでいる。中腰のまま。
「なるほどねえ。普段は四人でガッチリ固まって行動」
折り畳まれた長い脚。足に馴染んだワークブーツの爪先だけを狭い足場に乗せて、額に当てた手のひらの下から何かを見渡すようにしつつ、齧っているのはオレンジ。厚く苦味のあるはずの外皮を――。
「予定がないときとか、無防備になる夜とかは、父親の根城に引っ込んでるってわけか。こりゃあ中々」
気にすることなく、磨かれた鋭い歯で球形を削り取っていく。――種から身まで。
最後の一片までを咀嚼し終え、己の腹の中に収めた男が、結論を出すように腕組みをした。
「厄介だねぇ! 学生とは思えないくらい緊張感を持って行動してる」
ポケットから取り出したのは新しいオレンジ。先ほどのものより更に丸く大きいそれを指の上で回し、お手玉のように放り上げる。頭の上に乗せ。
「冥王派のお節介のお陰か、周囲には組織の連中がうろちょろしてるし。どうするかなぁ~」
頭から肩、肩から肘、肘から指の爪先へ。密かに磨いた技巧の披露を誰も見ていないことに無聊を覚えるように、弾いたオレンジをコートのポケットにしまい入れた。
「――ま、ひとまずは、他の派の連中が着くまで待つとするかな」
呟いた男が電柱を飛び降りる。十メートルを超える高さから気負いもなく、影のように地面へ降り立ち。
「折角王派の垣根を越えての作戦なんだから。役に立ってもらわないと」
悠々と体躯を引き起こす。瑞々しい果実の芳香を口元から漂わせながら、闇の中へ姿を消した。




