第十四話 謎と思い悩みと
「……ふぅ」
学園の昼休み。
集団行動を離れて、黄泉示さんたちからは見られない時間に、私は溜めていた息を吐く。このところ……。
――共同生活の進行が、上手く行っていない。
理由ははっきりとわかっている。……私の黄泉示さんに対する反応。
黄泉示さんの前に出ると、普段通りの言動ができなくなってしまっていることが原因になっている。言葉が上手く出てこなくなるというか……。
色々な感情が一度に頭の中を巡って、つい、正面から向き合うのを避けてしまうというか。――あの日の行動。
~~っ。
自分のした行為を思い返すと、恥ずかしさで胸のうちが熱くなってくる気持ちがする。……他意などはなかった。
人気のない暗い廊下で、壁に手を突いて必死に自分を支えている黄泉示さんを見たとき、その苦しみをどうにかしてあげたくて。ギリギリのところで耐えているこの人を……。
誰かが受け止めてあげなくてはと感じたのだ。ほとんど衝動的な動機でやってしまったために。
終わったあとのことや、その行為が他にどういう意味を持つかについては考えもしなかった。……他の方法があったのかもしれない。
いきなり胸に相手を抱きしめるようなやり方でなくとも、より賢明で、恥ずかしくないやり方が。……だけど。
「……」
今思い返してみても。あのときの自分には、ああするしかなかったという気持ちが昇ってくる。あのときの黄泉示さんは――。
私の目から見ても分かるくらい、はっきりと弱っていた。耐え難い苦しみを抱え込んで。
今にも心が砕け散ってしまいそうな、瀬戸際で耐えているように見えた。一人で重荷を引き受けているような黄泉示さんに。
――違うのだと。
一緒に歩む誰かがここにいるのだと、そう、伝えたかったのだ。気持ちが逸る余り……。
「……ふぅ」
ああいう形での表現になってしまったことは、少し、やりすぎだったのかもしれないけれど。胸のうちを埋めている熱っぽさに、手を心臓の近くに当てる。……そう。
やってしまったことは仕方がない。自分がなぜあの行動に出たかは分かっているし。
間違いだったとも思っていない。今私が考えるべきなのは、そのあとのことだ。気にしないでもらえるよう――。
普通の態度で、これまで通りに接するようにしていればいい。始めはぎこちなさがあっても、次第に消えていくはず。
ゆっくりと自然な形になる。変な意識さえしなければ、何もかもそれで元通りになるはずで……。
「……」
なのに、それが上手くできないでいる。……なんなのだろう?
私の胸の中にある、この、気持ちは。正体の知れない心の揺れ動きを、抑えるように小さく手を握り締める。……ストレッチのペアで触れられたとき。
何か、これまでとは違った感覚があった。ただの気恥ずかしさではなく。
心臓の、思わず跳ねるような感覚というか。――黄泉示さんと顔を合わせると。
近くにあの人がいることを意識すると、行動がぎこちなくなる。今までどうしていたのか。
どうしてあんな風に接せていたのかが思い出せなくなって、つい距離を離してしまう。何が変わったわけでもないはずなのに……。
「……はぁ」
どうしてこんな風になってしまったのだろうか。もやもやした憂鬱さ。
自分で自分をコントロールできていないことに、また溜息を吐く。……このままではいけない。
共同生活をしている以上、どうしても黄泉示さんとは顔を合わせることになる。嫌っているような態度をするのは、黄泉示さん自身に申し訳ないし。
四人での行動が肝になっている以上、リゲルさんやジェインさんにも迷惑が掛かっていることになる。フォローしてもらった失敗を思い出して、また息を吐きそうになる気持ちの中で――。
「――」
ふと、あのときの情景が意識に蘇ってきてしまった。背を向けて立っている黄泉示さん。
身体のあちこちから血を流し、寒さと恐怖に息を震わせながら、必死で相手の前に立ちはだかっている。光のない刀を手にして、ただ一心に前を向いたまま――。
……。
……どうして。
――どうして黄泉示さんは、ああまでして戦おうとしてくれたのだろう?
「……」
私の中にあった疑問。忙しさやトラブルの中で自然と沈めていたそれが、意識の上に浮上してくる。……黄泉示さんは、優しい人だ。
始めの頃は無理に自分を押さえつけているようなきらいもあったけれど、それでも見ず知らずの私を家に置いて、相手をすることを選ぶくらいには優しい。リゲルさんやジェインさん……。
バイト先や、教会の子どもたちへの態度を見ていても分かる。戦うことが向いていないのではないかと思うくらい、黄泉示さんは思い遣りをしてしまう人で……。
……。
……だとしても。
突破口の見えない状況下で、命を懸けてまで、誰かを守る理由にはならない気がする。……私だから、ということではない。
もしあの場に倒れていたのがリゲルさんでも、ジェインさんでも、黄泉示さんはああしていたと思う。例え見ず知らずの誰かであっても。
自分の力で逃げることができずに、手を伸ばさなければ死んでしまう誰かを前にしたなら、きっと。……普通に考えたなら。
黄泉示さんのそれは、美徳と呼べることなのかもしれない。――誰かを助けに危険へ向き合える勇気。
他人の為に自分を省みないで戦える性質はきっと、多くの場面で多くの人が素晴らしいと手を叩くことだろう。自己犠牲として褒めそやされることでさえあるはずで――。
「……」
だけど。……あのときの黄泉示さんを目にしたとき、私の心情にあったのは、そうした明るい感情ではなかった。
……ッ!
――あの冷たさ。戦ってもいないはずなのに、自分の骨身にまで染みわたるような恐ろしさは、今思い返してみても全くその温度を変えることがない。……どうして。
どうしてあのときの黄泉示さんは、あんなにも――……。
「……」
……そろそろ。
そろそろ、戻らなければならない時間だ。私たちは今、四人で纏まって動いている。
全員が集まってからでなくては、次の教室へ行くことができない。昼休みは残りあと十分。
ジェインさんたちも食べ終わっている頃だろう。問題がないことを確認して、早足で階段へ向かおうとした――。
「――貴女」
「――っ」
そのとき。唐突に呼びかけられた声に、つい、足が止まってしまう。――顔を向けた先。
「……!」
「もしかしてだけど――」
他の人のいない廊下を、一人の人物が、私の方に向かって歩いてきていた。……誰だろう?
「前に確か、リバティ・ルーデンス・センターにいたわよね?」
「あ……」
肩口まで伸ばされた青い髪。上質そうな品の良いブラウスを纏って、凛然とした、抜身の剣のような雰囲気を備えている女学生がいる。鋭い切れ長の瞳。
モデルだろうかと思うほど端麗な容姿と、どこか厳し気な冷たさを放つ雰囲気が目を引いてくる。――黄泉示さんたちと遊びに行ったあのとき。
「ちょっと今、いいかしら」
「え、その……」
「話がしたくて。訊きたいことがあるの」
ビリヤードと卓球で、驚くような腕前を見せていたあの女性だ。戸惑う私に、相手が近づいてくる。
「心配しなくても、そこまで時間は取らせないわ」
「……っ」
「答えが知りたいだけ。貴女がいつも一緒にいる相手」
……なんだろう?
黄泉示さんたちのところに戻らなければいけないはずなのに。……この人の目を見ていると。
「あの、三人について――」
なんだか――。
「――おい」
――声。
「非技能者への接触は極力なしにする」
「――っ」
「三組織共通の原則だ。栄えある聖戦の義の信徒さんは、そんなことも守れないのか?」
割り入った誰かの気配に、微睡みかけていた意識が覚醒する。廊下の後ろから飛ばされた声に、私の目の前まで来ていた女性が振り返っている。――暗めのポニーテール。
青髪の女性とは対照的な、中学生かと見まがうような背丈をした女学生がいる。背丈に似合わない大人びた眼つき。
コートの周りに、微かに漂っている煙草の匂い。この人も……?
「……」
「――ッ⁉」
どこかで見たことがあるような。――寒気。
「……チッ」
凄まじい眼つき。目を見た私の息が一瞬止まりそうになるほどの険を覗かせた女性が、忌々し気な仕草で踵を返す。……なに?
「……っ」
「――早く戻れよ」
今のは。喉元に刃物を突き付けられたかのような震えを感じている前で……。
「……っえ」
「連れが待ってるんだろ? 一人でうろついて、心配させないようにな」
「っあ、あのっ」
ポニーテールを揺らす女性が背中を向ける。上ずった私の声には答えることなく、手を一度だけ上げて、廊下の向こうへと去っていった。……。
――
――『トラット・メンタ』。
「――五番のテーブル席! 三名様追加頼むよ!」
「っはい」
「了解っす!」
特に客入りの多い昼付近、リゲルと共に、店長の手を借りてフロアをさばいていく。……本当に忙しい。
「よし、オーケー!」
「……ふぃ~っ!」
「四人以上の席が埋まったから、一旦入りは落ち着くかな。テーブルへの気配り、頼んだよっ」
「――っはい。……」
スポーツ系の団体客が入ってきたこともあって、さながら戦場という様相だ。店長がキッチンに入り――。
忙しない仕事の合間に、つかの間息をつく間隙が訪れる。……フィアとの間はまだ、ぎこちない。
避けられがちで、話らしい話はできないでいる。四人で共同生活をしている以上……。
二人で会う時間というのも、中々とれないわけで。以前には簡単にできていたこと。
いつの間にか当たり前のようだったそれが、今では存外難しいことになっていると気付かされる。……このままにしておくわけにはいかない。
どこかしらで、タイミングを見て――。
「――っ。ッいらっしゃいませ」
話を。ドアベルの音に視線を向ける。入ってきたお客。
「一人だ」
「――」
「喫煙席あるか?」
「あ、はい。こちらに」
肩口を過ぎる焦げ茶色のポニーテールに、小柄な背丈とミスマッチな、どこか大人びた雰囲気を持つ女性を目にする。……気のせいだろうか。
「ご注文は……」
「コーヒー、ブラックで」
「畏まりました」
一瞬、どこかで見覚えがあるような気がしたが。――トラット・メンタの食事は、素材からこだわって作られている。
肉も野菜も農薬などを使用しない自然栽培の食材を使い、中でもマスターが選んだ豆だけを使用した特製のブレンドコーヒーは、常連客の間でも人気が高い一品だ。注文を取り終えたあとの席。
素朴な木肌の椅子に腰かけた客が、コートの中から鈍銀色のシガレットケースを取り出す。窓枠の近くに置かれた小さな観葉植物を背景に、ライターを手にして……。
「黄泉示ーっ、季節の色どりパスタ、いっちょあがりな!」
「――ああ」
「――っと」
咥えタバコに火をつけた。キッチンから出てきたリゲルが、その仕草に目を留める。
「ったく、しょうがねえな」
「……?」
「――あーっと、駄目だぜ、お嬢ちゃん」
立ち上る煙。タバコをくゆらせる客に近づいて、火のついたそれをヒョイと取り上げた。……!
「タバコなんて吸ってたら。まだ中学生だろ?」
「……」
「健康に悪いぜ。若いうちはんなもん吸うより、ケーキとかにしとけって」
……なんだろう?
この、気になる感じは。確かに目の前の客は中学生にも見える。
俺は雰囲気で見送ったが、大人びた学生として注意する判断をしたとしてもおかしくはない。だが――。
「規則から外れたい気持ちってのも分かるけどな。規則ばっかじゃ人間息が詰まっちまうし」
「……」
「コーヒーは奢りにしとくし、なんか話したいこととかあったら聴くからよ。今日のところは、煙草は――」
「――っ‼」
さっきから何か、嫌な予感が。――瞬間。
「――ッリッ、アービ」
「……驚いた」
思い出した。これまでに何度か見かけたことのある相手。
「学園の有名人が、こんなところでバイトしてるとはな」
「……っ⁉」
「シトー学園二年」
リゲルを制止しようとしたそのタイミングで、片目を僅かに見開いた小柄な女性客が、ポケットから何かを取り出す。学年のところが見えるよう――。
「上守千景だ。よろしくな」
俺たちにとっても馴染みのある学生証を、机の上にパサリと投げ出した。――っ。
――
―
「――すんっませんしたぁ!」
バイト終わり。
「まさか先輩とはつゆ知らず。大層無礼な真似を……!」
「気にしなくていい」
アービンの姿のまま平身低頭するリゲルの前で、例の一人客――上守先輩が、火をつけた新しい煙草をふかしている。何でもないことのように。
「間違えられるのは慣れてるからな。――そっちの二人も、初見の反応はそんな感じだった」
「う……」
「あ……」
「――よう」
平然と口にしているが、バッチリ覚えられている。学園の屋上で初めて遭遇したときを思い出していたところで、フィアの方に先輩が視線を送る。
「こないだぶりだな。大丈夫だったか? あのあとは」
「はい。……その」
「何かあったのか?」
「ええと……」
注目が集まる。視線を受けるフィアは、何かを戸惑っているような素振りで。
「この間の昼、知らない学生に声を掛けられたところを、助けてもらって……」
「!」
「そうだったんですか」
「たまたま見かけただけだ。大したことはしてない」
「いやー、しっかし」
本心からのように謙遜する先輩に、リゲルがきまり悪そうに頭を掻く。
「ホントに済んません。一応前は同学年だったはずなんすけど、記憶の方がどうも……」
「覚えてないのも無理はない」
顔色一つ変えずに、煙草の煙をくゆらせる先輩。
「編入生だからな、私は。今年の八月、中途から学園に入った」
――八月。
俺とフィアが入学する一ヶ月ほど前。学期の終わり際で、周囲の反応に嫌気のさしていたリゲルが、ほとんど講義をフケていた時期でもある。その頃に編入してきたのなら――。
「――あーっ!」
リゲルの側に覚えがないのも確かに、仕方のないことなのだろう。――っなんだ?
「あーっ、あーっ、あーっ」
「――ッ」
「やっぱりそうです。どこかで見た顔だと思ってましたけど……」
俺たちの視線の先、人の行きかう通りの先から、一人の若い女子が俺たちを見て声を上げている。明るい茶髪をしたショートヘアー。
丈の長くないスカートとソックスの間からは眩しい太腿が覗き、秋風の寒さに負けない活発さを感じさせている。大袈裟なアクションののち、軽快なテンポで近づいてきた相手が――。
「ジェイン君じゃないですか! お久しぶりです!」
「……⁉」
一直線に、ジェインの方へ顔を向けてきた。――ッジェイン⁉
「あれー? 覚えてないですか?」
「……いや……」
「私ですよ私、御堂由香里ですよ」
意外なコンタクトに一瞬気を取られる。不意を突かれたのか、年下と思しき女子に声を掛けられたジェインは、凄まじくギョッとした形相をしている。……珍しい。
「……御堂?」
「高校のとき、クラスで一緒だったじゃないですか」
いつも知的で冷静。ジェインのこんな表情など、出会ってから初めて見た気がする。眼鏡の奥に気が付いたような表情が走ったところで――。
「懐かしい話もありますし、色々お話ししたいところなんですけど……」
「……」
――なんだ?
「今日は先客がいるみたいですし。由香里たちも用事があるので、またにしますね!」
「――由香里さん」
今一瞬、少女が、先輩の方に目を遣った気が。判然とするより早く。
「時間です。そろそろ戻る必要があるかと」
「分かってますよ、ネイちゃん」
離れた街路から、熱のない声が掛かる。短くカットされた薄桃色の髪。
日向に取り残されたような建物の影の中に、一人の女子が立っている。俺たちに声をかけてきた相手と同様――。
「分かっているならもう少し早く動いてください。前回も遅れそうだったので」
「えー、そんなことないですよ」
年のほどは高校生ほど。若さの残る可愛らしい顔立ちだが、表情は顔の筋肉が死んでいるように無機質で、どことなく人間味がない。友達と思しき女子の台詞に、少し拗ねたように言葉を返して……。
「――じゃあ、またです! ジェイン君!」
「……」
敬礼をした少女が、元気よく走り去っていった。……。
「……なんだったんだ?」
「……分からない」
今のは。嵐のような登場と退場だったが……。
「高校のときの同級生だ。確かに、クラスメイトではあったが……」
「――つうかよ」
たまたま顔見知りを見かけて、とにかく声をかけたかったのだろうか? 手を差し上げたリゲル。
「お前にあんな知り合いがいたなんてのが驚きだぜ。てっきり昔っからのがり勉野郎と思えば」
「……仲が良かったわけじゃない」
ジェインの思案気な表情は変わらない。からかうような台詞に、少し考えるように。
「話した回数さえ多くない。精々が学年十番台程度の秀才だった僕に対して、向こうは飛び級で高校に入ってきた天才だったからな」
「え――?」
「他の科目はあれだったが、数学については突出した才能を持っていた。いつもどこかぼうっとしていて、クラスの中でも浮いていたようだったが……」
「……」
瞬きしたフィアと目を見合わせる。――今の女子が?
「――さて、じゃあ」
言動からは、とてもそう見えなかった。今一つ状況が呑み込めないでいる俺たちを置いて。
「私もこの辺で失礼するか」
「――」
「友人同士の集まりに、部外者がいてもあれだからな。掻き回したようで済まなかった」
「いえ、それは」
肩をすくめた上守先輩が、爪先の向きを変える。立ち去られる直前――。
「あ――」
「――分かってる」
言わなければならないこと。声に出そうとした俺の意図を、先読みしたような台詞が止めてくる。振り向き際に顔を少しだけこちらに向けてくる先輩。
「ガウスのことを言いふらしたりはしない。事情があってやってることなんだろ?」
「――」
「素性が素性なだけに、やり辛いことはなんとなく分かるからな。――危ないことだけはしてくれるなよ」
全てを理解しているような台詞を言って、振り向かずに歩き去っていった。……揺れるポニーテール。
「……は~っ」
小柄な後ろ姿が小さくなり。見えなくなったところで、リゲルが盛大に息を吐く。なんと言うか。
「かっけえな、上守先輩」
「……」
「見た目に似合わずハードボイルドっつうか。背丈の方は大分ちっこいけど、ギャップがすげえぜ」
「驚きましたね……」
――危ないところだった。何かが琴線に触れたらしい、目を輝かせているアービンの隣で、緊張していたようなフィアの溜め息が零れる。
「リゲルさんの変装がばれるなんて。お客として、近くで見られはしましたけど……」
「……そうだな」
再度、ジェインが思案気にする。……本当にそう。
「一目で分かるような造りにはしていなかったつもりだが。学園から遠いということで、多少緩んでいた部分があったかもしれない」
「ったく。誰かさんの肝いりの策だってのに、情けねえ話だぜ」
「念入りなテコ入れをする必要があるな。――ヘリウムガスを吸わせて声を変えるか。顔の骨を幾つか外して形を変えれば、今度こそばれないだろう」
「誰がするかよ、んなこと!」
「……」
友人の俺たちから見ても別人と思えるあのアービン・スタイルを、見破られるとは思いもしていなかった。見られた相手が不幸中の幸い。
もし仮に理解のない他の学生だったとすれば、あの場で店が大騒ぎになっていたかもしれない。騒ぐ二人の隣で――。
「……どうした?」
「あ、いえ……」
フィアはまだ、何かを考えているようで。声を掛けた俺に、迷うような素振りを見せたのちに、躊躇いがちに口を開く。
「ジェインさんの同級生だったっていうあの人と、もう一人の人……」
「……」
「どこかで見たような気がすると思っていたんですけど。前に一緒に、ルーデンス・センターにいた人たちですよね?」
「――」
……そうだ。
「あー、そういやいたっけか?」
「……始めのダーツのときと……」
色々あったことで失念してしまっていたが、確かにあのときにはあの二人組がいた。言葉と共に記憶を掘り起こしていく。
「卓球のときにもいた。あのときは――」
「青髪の女の人と試合をしていて。千景先輩が審判役でした」
そうだった。ダブル対シングルという変則的ゲーム。プロも顔負けと思えるような技量の応酬に、傍から見ているだけでも唸らされたものだったが。
「……実は、その」
「?」
「この間の昼休み、私に声を掛けてきたのが、その青髪の女の人だったんです」
「……!」
――それは。
「先輩が来たら、すぐに立ち去って。ルーデンス・センターにいたときは、友達なのかなって思ってましたけど……」
「先ほどの様子からは、そうは見えなかったな」
フィアの言いたいこと。大意を呑み込んだ俺たちの前で、ジェインが腕組みをする。……明らかにおかしい。
「少なくとも、仲良く遊びに行くような仲には見えない。知り合いと言うのなら、声もかけないのは不自然だ」
「そうですよね……」
「……」
「んー?」
休日に外で卓球をするような間柄でありながら、他の場所で会ったときは挨拶すら掛け合わない? ……何か。
何かが妙だ。上手く言えない違和感。
「……そういえば」
状況を説明するパズルのピースが、一つ二つ欠けているような。考える最中に――。
「蔭水とカタストさんの間の問題は、解決したのか?」
「え?」
「いや。二人ともいつの間にか、自然に話せるようになっていると思ってな」
「……あ」
今になって気付いたかのように、フィアがまじまじと俺の顔を見る。……そういえば。
「――っ」
「あーあー」
肩の触れ合うような近さに気付いた瞬間、目を逸らして距離を取り直すフィア。俯き気味に立ち位置をずらしていく仕草に、リゲルが頭の後ろに手を重ねる。
「戻っちまった。テメエが余計なこと言うからじゃねえか、ジェイン」
「解消していないなら同じことだろう。指摘してもしなくても変わらない」
「……その」
「いや」
済まなさそうなフィアに首を振る。……先輩たちのことは確かに謎だ。
「……」
だが、今はやはりまず、この件をどうにかしなければならない。共同生活の取り組み自体にかかわってくる問題。
そして、それ以前に。静まらないズレの感覚を感じている自分を覚えつつ……。
――ある決意を、俺は心の中で固めつつあった。




