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彼方を見る者たちへ  作者: 二立三析
第三章 日常を超える扉
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第十三話 二人の距離


 ――翌日。

 窓の外に蒼天の覗く晴れやかな日曜日。陽光の降り注ぐ理想的な秋晴れの気温を実現した、絶好の外出日和ではあるが。

「――よーし!」

 各人の最近の成長具合を考えて、俺たちはこの日を朝から鍛錬に当てることにしていた。いつもより若干テンションが高めなリゲル。

「んじゃ、今日も元気に始めてくぜ」

「……」

「まずは準備運動から。眼鏡は俺、フィアは黄泉示とな!」

「ああ……」

 言葉に(みなぎ)る力。逃れられない未来に待ち構えられているジェインが、全てを諦めたような足取りでリゲル(ゴリラの腕)の方へ向かっていく。トレーニングにも慣れてはきたが。

「……」

 早朝からとなると、流石に少し身体が重い。隣にいる相手。

「……大丈夫か?」

「……」

 どこかぼんやりとした様子のフィアに声をかける。昨日は結局――。

「フィア?」

「えっ、あっ……」

 フィアは食堂へ、俺はそのまま部屋に戻る形で別れてしまった。話が中途半端な体で終わってしまったこと。

 きちんとした形で礼を言えていないことから、会ってちゃんと話をしようと思っていたのだが。……フィアの様子がおかしい。

 トレーニングルームに集まったときから、どこか心ここにあらずと言うか、何か違うことに気を取られているような様子でいる。睫毛の長い二重(ふたえ)の瞳が、初めて隣にいる相手を見たかのような瞬きで俺の方を見る。

「寝不足か?」

「あっ、いえ……」

「調子が悪ければ、少し休んで」

「いえ。――っ大丈夫です」

 いつも通りの口調。こちらを安心させるように、懸命な笑みを浮かべてみせる。本人がそう言うのなら……。

「……じゃあ、始めてくか」

「そうですね。お願いします」

 これ以上続けるのも野暮というものか。マットに座り、足を伸ばして前屈の姿勢を取ったフィア。

 力を込めれば折れてしまいそうな肩と背筋(せすじ)。相変わらずの華奢な身体つきに、一抹の懸念のようなものが昇ってくる。このところのフィアは、調子を崩しがちだった。

 フィアだけでなく、最近は全員の疲労が溜まり気味なこともある。……無理はさせられない。

 もし体調が悪いのを押しているのなら、少しのミスでも大事に繋がる可能性がある。万が一にも怪我をしないよう。

「――っ」

 力を入れすぎないことに注意して、いつも以上に慎重な仕方で、ゆっくりとフィアの肩に手を乗せた。ッ――!

「――」

 ――ビクリとした震え。

「っあ。……えっと……」

 痛みの反射のようなそれに動きを止めた俺の前で、フィアの身体が、俺の手のひらから遠ざかる。――なんだ?

「フィア……?」

「お? どーしたよ?」

「……ッどうかしたのか……?」

「いえ、その……」

 今の反応は。立ち上がって迷うような視線を覗かせるフィアに、膝で体重を乗せているリゲルと、吊られた男のようになっているジェインが顔を向けてくる。――加減を間違えた?

「っ……済みません」

「……」

「今日の柔軟なんですけど、その……」

 普段のように触れているつもりで、何かマズいことをしてしまっていた? 躊躇うようだったフィアの口から――。

「黄泉示さんじゃなく。……リゲルさんと組ませてもらえないでしょうか?」

「うん?」

「おっ?」

 恐らくは誰もが思いもしなかっただろう、控えめな拒絶の言葉が出された。――。

 その後――。

「いよっし、いい感じじゃねえか?」

「そうか?」

「おうよ。だんだんこなれてきた感じだぜ」

 料理会の時間。耐熱容器に入れられたホワイトソース。サングラスを外したリゲルのチェックに、ホッと息を零す。四人で協力して夕飯を作るのが主なこの時間だが。

「んじゃ、このままオーブンに入れて十分な。火加減はいじらなくていいから!」

「ああ。……」

 始めの対決でフィアが最強だと分かったことで、ほとんど俺が三人から指導を受けるような時間帯になっていた。……毛色の違う指導についていくのは難しい。

「――どうですか?」

「問題ない。予定通りに仕上がりそうだ」

「じゃあ、そのまま続けてください。リゲルさんの……」

「――フィア」

 だとしても、その分だけ学ぶことは多くある。指示を仰ごうとした瞬間。

「あっ、えっと、お魚の様子を見ないといけないんでした」

「……」

 不自然な様子で去ってしまう桜色のエプロン姿。遠ざかる髪の結び目を目にしたまま、伸ばしていた手を下ろした。――。

「……なあ」

「どうしました?」

 ――学園にて。

 教室への移動中。互いの間にきっかり二メートルほど開いている距離を目にしながら、俺は前を行く相手に声をかける。流れる銀髪を揺らして振り向くフィア。

「……」

「――っ」

 表情も仕草もまるでいつも通りだが、近づこうと踏み出すと、その分だけそそくさと離れていく。反発する磁石のような――。

「……いや」

「何でもないなら、良かったです。リゲルさんたちも待ってますし」

 それでいて、当人は普段通りと言うようにしっかりした笑顔を浮かべたままでいる。言葉の投げ方を見失った俺に、何かを隠すような素振りでフィアが背を向けた。

「遅れないよう、早く、次の教室に行きましょう」

 ――

 ―

 ――矢のように過ぎていく数日間。

「……ふぅ」

 次から次へと現れる課題をこなし、今日もまた、多忙な一日が終わろうとしている。――夜。

 洗い場から回収した洗濯物のカゴを持った俺は、人気のない廊下を一人で歩いている。普段はもう少しこまめにしているのだが。

 このところ考え事などがあったせいか、うっかり溜め込んでしまっていた。……脳裏を占めている問題。

 ここ何日か、常に意識に留まっている悩みに思考を巡らせる。……どうしたものか。

 何度考えても上手いやり方は見つからない。晴れない憂鬱に小さく息を吐きつつ――。

「……?」

 一つの部屋の前を通り過ぎようとしたところで、ふと、そのことに気が付いた。……なんだ?

 今一瞬、部屋の奥に明かりが見えた気が。ここは確か、ホールという話だった。

 レイルさんの描いた書画や彫刻などが飾られており、来客を含め誰もが自由に見られるよう、扉を設けていないのだとか。見間違いかもしれない――。

「――」

「――誰だ?」

 そう思いながら覗き込んだその先で、一つの人影が声を挙げる。――毛先の鋭い特徴的な茶髪。

「――ジェイン」

「蔭水か」

 薄暗い部屋の奥に、寝間着にナイトキャップを被ったジェインがいた。どこからか運んで来たらしい椅子に掛け。

 目の前の机には炎の灯されたランタン、イーゼルに支えられた四十センチ四方ほどのカンバスが置かれている。……絵を描いていたのか。

「驚いた。この時間まで起きていたんだな」

「ああ、洗濯があって」

「そうか。――昼間は中々、自由な時間が取れないものでな」

 頷いたジェインが、改めてカンバスに向き直る。右手に執っていた絵筆を、左手のパレットに出されている絵の具に着け。

「自分の部屋だと集中できないこともあって、こうしてここで絵を描いているんだ。黒服にも一応、許可は貰っている」

「なるほど……」

 納得する反面、疑問に似た驚きのような気持ちも浮かんでくる。ジェインの絵の上手さは、前に自作の絵本を見たときに知るところではある。

 あれだけの技量は日頃から描いている故なのだろうが、今は夜の一時過ぎ。昼間にあれだけのタスクをこなしておきながら……。

「――カタストさんと何かあったのか?」

「――っ」

 集中力の必要な絵にも時間を割くというのは、趣味の範疇を超えているのではないか。――一瞬。

「……やっぱり分かるか」

「まあ、見ていれば流石にな」

 訊かれたそのことに意識が留まる。肩の力を抜いた俺に対し、集中しているのか、カンバスの色を重ねながら話してくるジェイン。

「勉強会でも蔭水の隣を避けているし、バイト先でも、不自然に目を逸らすことが多い」

「……」

「リゲルも気付いているし、子どもたちも気にしているようだった」

 ……そう。

 フィアの態度の変化は、あのトレーニングの時間に留まるものではなかった。俺と顔を合わせる全てのタイミング。

 数日間それが続けば、流石におかしいと思わないわけにはいかない。気のせいなどではなく――。

 明らかに、フィアの様子に変化が出ているのだ。……心当たりはある。

 理由も何となくではあるが、想像がつかないものではない。しかし……。

「――長引くのは、余り好ましいとは言えないな」

 どう向き合ったものか、分かりかねているのも事実だ。……フィアの方だけではなく。

 自分自身に起きている変化に、戸惑わされる気持ちがあるせいもある。フィアから距離を置かれていること。

 これまでよりいくらか余所余所しい態度で接されているというそれだけで、やけに落ち着かない感じがしてしまう。……元々フィアとは、手掛かりが見つかるまでの居候の関係だった。

 早ければひと月、少なくとも数か月の後には事態が解決し、フィアはいなくなるというつもりでいた。(一人)の生活に戻ることを望んでいたにもかかわらず……。

「互いの意思疎通が上手くいかなくなると、場合によっては、事故に繋がる可能性もある」

「……」

「実際この間の調理でも、危うく魚を焦がすところだったしな。――言いにくいことなら、言わなくて構わない」

 いつの間にか、こんなにも隣にいるのが当たり前のようになっていたのか。自分自身の心情。

「ただ、普段通りに接せるようになるのが一番だと思うとは言っておく。余計なお世話かもしれないが」

「……ああ」

 思いがけず自覚させられた変化を、まだ受け止めきれずにいる。……ありがたい。

「分かってる。――悪い、気を遣わせて」

「別にそんなことはないさ。話は変わるが――」

 状況が動かし辛いことを察した上で、敢えて、言わなければならないことを言ってくれたのだろう。ジェインの指先が、カンバスに新たな線を引いた。

「――()の修練の方はどうだ? 何か、変化は」

「――そうだな」

 新しい問いかけに、俺の方も一旦意識を切り替える。普通でない力の鍛錬。

「正直ほとんど進展がなくて、今一つな感じだ。ジェインの方は?」

「僕も(かんば)しくはない。本などを読んで、精神鍛錬の真似事のようなことをしているが」

 四人のうち、リゲルとフィアは力を持っていないこともあって、普段のトレーニングの時間とは別に、それぞれ一人の修練に取り組むことにしている。……無理もない。

「効果があるのかどうかすら分からない。雲を掴むような手応えだ」

「そうか……」

「昨日、試しに力の継続時間を測ってみたが、修練を始める前と後とで秒数にほとんど差はなかった」

 難し気な面持ちのまま、筆先で絵の具を混ぜ合わせていくジェインの口から、ある種妥当と言える結果が語られる。……俺たちの中に、普通でないものの専門家はいない。

「取り組みは続けてみるが、上達は計算に入れない方が無難かもしれない。いざというとき、できるかどうか分からないことを前提にするのは、リスクが高すぎるからな」

「だな……」

 基礎的な知見の土台もなく、完全に独力の手探りで取り組んでいる状態なのだ。ジェインの方は特にそう。

 俺の方は一応、自分の力についての知識と幼少期に母から教わった瞑想のような鍛錬法があるのだが、それでも上手くいっていない。やり方がどこかまずいのか。

 自分の中の魔力を制御する感覚、身に着けようとしている技法の骨子となるそれを、未だに思い出せずにいる。子どもの頃、剣の方に強く憧れた俺は……。

 蔭水流の他の呪法についての知識が、ほとんどないに等しい。あの技の習得は、今の俺にできるただ一つの普通でない力の鍛錬であって。

 成果がないとしても、やり続ける以外にないのだ。……小父さんにアドバイスを求めることも考えはした。

 だが、ああ見えて勘の鋭い小父さんは、こちらのひょんな一言からでも異変を見抜いてしまう可能性がある。何かが起きたことを悟られれば。

「……」

 それだけでもすぐ、此方に飛んできてしまうことになりかねない。物思いをしながら、線と色を重ねていくジェインの手元を見ているうちに――。

「……あれ」

 ふと、頭の中の記憶と一致することがあった。……これは。

「今描いてるのって、もしかして」

「ああ。――少年との話し合いで秘策を閃いた少女が、ドラゴンと対峙する場面だな」

 口に出した俺の推測に、ジェインが頷いてくる。以前にフィアと読んだ絵本の場面。

「例の事件があったとき、この絵はまだ描きかけだったんだ」

「――」

「性分と言うか、中途半端な状態で放っておくのが気になってな。どうしても完成させておきたくて、持って来てあった」

 少女の冒険の、山場となるワンシーン。書き足されていく情景は確かに、七割ほどが以前に描かれているように見える。そういうことか。

「……水彩画と違って、油絵だと厚みがあるように見えるんだな」

「実際、物理的な立体感が出るからな。透明度も低くなって、全体的な濃さと重さが増す」

 ハードな日程のあとでよくと思ったが、創作者ならではの熱意というものなのかもしれない。鑑賞に入っている中で。

「そういえば――」

 一つの引っ掛かりを思い出す。あの夜の戦いで気になっていたこと。

「医学系の勉強もしてるのか? ジェインって」

「――いや」

 口にした疑問に、忙しなく動いていた筆先が止まる。口を結んだジェインが、俺を見てくる。

「特にはしてないが。どうしてだ?」

「前に襲われたとき、傷の見立てが、専門家らしかった気がして……」

 ――老人と死闘を繰り広げた夜。

 あとから駆けつけてくれてきたジェインは、俺とリゲルの傷の程度をかなり確信を持った口調で断定していた。性格からの推測ではあるが……。

「……昔」

 ジェインの場合、頼みにできる知識がないのなら、ああいった断定はしなさそうに思える。絵に向き直るジェイン。

「昔、(かじ)っていたことがあるんだ。そのときの、名残のようなものだな」

 表情を隠すように光るレンズの奥の瞳が、絵に戻る前の一瞬だけ、僅かに暗い光を見せた気がした。



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