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彼方を見る者たちへ  作者: 二立三析
第三章 日常を超える扉
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第八話 揺らいだ日常


 ――夢。

 意識した瞬間にそれが分かる。広い、日本風の家屋。

 食事にも使っていた畳敷きの床の間。壁には年季の入った掛け軸、重ねられた座布団が(すみ)に置かれ、中央に鎮座する背の低い机が、短い影を投げかけている。開け放たれた障子――。

 ――ッ⁉

 傾いた午後の陽射しに照らされた空間に、瞠目する。父が座っているはずの縁側には、白いレースの背中。

 夕日を浴びる白銀の髪。小柄な肩の上に掛かる数本の筋が、静かにそよいでいる。血溜まりも刀もない清らかな背中に、一歩近づこうとした。

 刹那。

 ――っ。

 辺りが唐突に暗くなる。人気のない道路。

 ――さんッ!

 肌を刺す夜の冷気。名前のない叫び声が聞こえる。弾かれたように向いた先、地面に腰を落とした彼女に、刃物を持って差し迫る影が――‼

 ――ッ‼

 少女の身体に短剣が突き立てられた瞬間。重苦しい痛みと共に、目が覚めた。

 



 ――晴れやかな青空の見える日中。

「……傷は大丈夫なのか?」

「おう。まあちっとは痛むが、これくらいどうってことはねえよ」

 明るい照明の降り注ぐ図書館のミーティングルームにて、俺たち四人は向かい合っている。違和感を覚えるほどいつも通りに終わった、学園の放課後。

 ホワイトボードを横に、キャスターの付いた椅子につく反対側で、見慣れたスーツ姿に身を包んだリゲルが、机の上の左腕を軽く曲げて見せる。……同じデザインのスーツは新調。

「起きてくるときも問題はねえし、帰ったあとは疲れもあって、すぐにバタンキューよ。久々に寝坊しちまうところだったぜ」

「相変わらず呑気だな、貴様は……」

 傷口を縫合したあと包帯をぐるぐる巻きにされていたはずだが、タフなものだ。老人の不意打ちを退けて帰路についた昨晩――。

 ――あのあとには結局、何事もなかった。

 ジェインが知っているという町医者のところへ行き、急患扱いで処置してもらった。寝ているところを叩き起こされたのか、羊印のパジャマにナイトキャップを着けたまま、事情も聞かずに手当してくれた医者には感謝しかない。不良の喧嘩だろうと思われたのか……。

「医者の腕も良かったしよ。お前の紹介にしちゃ、有意義なツテだったじゃねえか」

「……」

「寝不足か? 蔭水」

「……ああ」

 二度とこんな真似はしないようにと、きつく念を押されたが。……当然のように調子は悪い。

「カタストさんも」

「そうですね……」

 悪夢を見て跳び起きた以外は泥のように眠っていたはずだが、それでも全身には筋肉痛や傷の痛み、鉛の入った服を着ているかのような疲労が残っている。外傷のなかったフィアも。

 精神的なショックが抜け切っていないのか、普段より元気がなく。今日の朝、学園まで登校してくるのも一苦労だったほどだ。本当なら一日休んでしまいたいくらいだったが――。

「……それで、その」

「……昨日のことについてなんだが」

 体調を押してでも、向き合わなければならないことがあった。――昨日の一件。

 突然の襲撃を受けた俺たちは、力を合わせて老人を撃退した。命を守れたそのこと自体は喜ばしい事実だが。

「……」

 同時に、明らかになってしまったこともある。……俺の持っている刀。

 普通でないこととの関わりは、一緒に住んでいるフィアにさえ話していなかったことだ。昨夜と今朝に覚えた、何かを訊きたそうな素振り。

 どう話したものか、迷っている自分がいる。……ジェインについても尋ねなくてはならない。

 リゲルと俺たちの窮地を救った、あの力は何なのか。俺と同じように――。

 以前から、普通でないものとの関わりを持っていたのか、そうでないのか。マフィアとの繋がりを持っているとはいえ。

 唯一まともな手段で戦い抜いていたリゲルからすれば、俺やジェインについて訊きたいことは山ほどあるはずだ。差し迫る危険があったことで先延ばしにできていたこと。

 それと向き合わなければならない。戦いの熱が冷めた今、その事実が一層不安なものに感じられ――。

「――十五のとき、僕の家は火事にあった」

 ――前触れのない語り声が、動けないでいた意識に届く。

「家族は皆死に、僕だけが生き残った。炎と煙に巻かれて意識を失い――」

「……っ」

「病院で目覚めた。体調の回復を待って、今のエアリー神父に引き取られることになったが」

 眼を見開くフィア。淡々と語られる内容に、リゲルでさえ口を挟もうとはしない。……ジェインの過去。

「教会で暮らすようになって間もなく、僕は自分が不思議な力を使えるようになっているのに気が付いた」

「……!」

「落ちていく物の速さや、自分の動く速度を変えられるんだ。人目を忍んで試していくうち、それが時間の操作としか呼べないようなものであると理解した」

 以前にエアリーさんから耳にしたことがあったとはいえ、改めて聞くと、その重さに言い難い気持ちになる。話の流れに気付いた俺の前で、ジェインが手にしていたコーヒーの缶を放り上げた。

「正確には、対象に付随する(・・・・・・・)時の流れ(・・・・)

「――」

「掛けられる対象は人、物を問わない。質量の大きいものや、強いエネルギーを持っているものについては無理なこともあるが、変化の大きさはおおむね倍速まで」

 真っ白な天井に向けて投げ上げられたコーヒー缶が、俺たちの目の前でゆっくりと(・・・・・)空中を落下してくる。俺やリゲルの速度を上げたのとは逆の変化。

「同時に複数の対象に掛けることもできるが、その分の集中力が必要なうえ、力を使っている間にある消耗の感覚が大きくなる。連続して使える時間は、どんなに軽いものでも三分が限界と言ったところだ」

「消耗……ですか?」

「ああ」

 力を適用すると定めた対象に流れる時間の速度を、どちら側にも変化させられるということか。フィアの言葉に応えつつ、ジェインが机にぶつかりそうな缶を悠々と掴み取る。

「なんと言うか、使っていると意識に疲労が溜まり、じわじわと集中力が落ちていく感じがする。推測だが、ゲームや漫画で言うMPのようなものを消費しているのかもしれない」

「……」

「神父や子どもたちはこのことを知らない。力は持っていても、使うことはほとんどなかったからな」

 披露を終えて置かれる呼吸。……ジェインの意図。

「自分の力の正体を知るために、色々と調べてみたりもした」

「――!」

「本を読んだり、ネットでそれらしい情報を漁ってみたり。シトー学園には神秘系の講義や資料があるから、それを当たってみたりな」

 いきなり自分の力について話し始めたわけを、俺もある程度は推測できる。――なるほど。

「だが、調べてみても結局は分からなかった」

 オカルトなどを信じていなさそうなジェインがそういう講義を取っているのを不思議に思ったことがあったが、そのためだったのか。自嘲気に口の端を上げるジェイン。

「何を読み、どんな話を聞いても手掛かりはない。上手く使えれば有効な能力かもしれないが、元より得体の知れない力だ」

「……」

「分かっている以外にも、何かしらの反動があるかもしれない。一生使わずにいるつもりだったが……」

 缶の表面を撫でていた指が離れる。半分は自分自身に言い聞かせるようだった鳶色の瞳が、対面にいる俺たちに向けられた。

「――昨晩、あの事件が起きた」

「――」

「常識では考えられないような現象を目の当たりにし、友人にも力と関わりのありそうな相手が現れた」

 ――いや。

「普通でない力を持っていたとしても、誰かにそれを話すことはできない」

「っ――」

「信じられないか、面倒事の種になるだけ。気持ちが分かるとは言えないが、理解はできるつもりだ」

 全員に均等にではない。敢えて言うならば、ジェインの眼はこの中でも俺に向けられているように感じられる。少なくともジェイン以外で唯一――。

「話して欲しい。これまでの僕自身と、これからの僕らのためにも」

「……ったく」

 普通でないモノとの関わりを顕わにしている、俺に。――息を吐く声。

「真っ先に俺が言うはずだったのに、なんでテメエが言っちまうかね」

「――」

「そういうことだぜ、黄泉示」

 身を乗り出したのはリゲル。サングラスを外したブルーの眼で、にかりと笑って手を広げてみせる。

「こっちは元々堅気じゃねえわけだしな。不思議な力や何やらがあったりするくらいで、どうってことはねえ」

「……」

「言い辛いことなら伏せても構わねえし。どんな事情があれ、俺らがダチだってのは変わらねえからよ」

「……リゲル」

「その……」

 一点の曇りもないような笑顔。太陽のような力強さに言葉を止めた――。

「黄泉示さんさえよければ、私も聴きたいです」

「……!」

「昨日のその、ただ守られていることしかできませんでしたけど」

 その隣から。思い悩むように言葉少なだったフィアが、躊躇いを残しながらも語り出してくる。膝の上に置かれた小さな手のひら。

「黄泉示さんやリゲルさんたちの、少しでも力になれるように……」

「……」

「私も、知りたいと思いますから」

 白く細い指先が、悩んだ末に決めたのだろう気持ちに握られている。どこまでも俺を信じているような……。

 翡翠の瞳。三人の言葉が、意識の中で響いてくる。……俺は。

 ――自分の素性のことを、誰にも話すつもりはなかった。受け入れられるはずもない。

 俺の関わっている事情は、世間一般の常識からは外れているもの。信じられても信じられなくても厄介になる。

 自分の中での理解や理解者は既にあり、まつわる事情を考えれば、軽々しく口にできることでもない。自分の胸の奥に仕舞い込んだまま……。

 新しい日常を壊さないよう、これから出会うことになる誰にも打ち明けないままで、それでいいのだと思えた。――だが。

「……」

 今となっては。自分と共にいる三人。

「……ジェインの場合と違って」

「……!」

「俺の場合は、家系が少し特殊なんだ」

 一筋に俺を見つめているフィアの視線を意識しつつ、頭の中で考えを纏めながら、静かに話し始めた。……そう。

「俺の生まれた家、――蔭水家は、元々退魔(・・)の家系として知られていた」

「退魔、ですか……?」

「ああ。世の中にある、人に害を齎す普通でないものに対する専門家で、代々そういった仕事を継いできたらしい。昔はそれなりに名前のある家だったらしいんだが……」

 俺の両親はともに、普通でない力を使う活動家だった。子どもの頃の記憶。

「俺の生まれた頃には規模自体は随分縮小してて、でも両親がそういう活動をしてたから、俺もそれを教わった」

「……」

「退魔に使う術法や、剣術。いわゆる普通でない技法を。例えば――」

 幼少期の頃を思い出しながら、机の上に手のひらを翳す。一瞬の集中ののち。

「――〝終月〟」

「――!」

「うおっ!」

 詠唱に従って呼び覚まされた呪が起動する。微かな消耗の感覚が収まるのとほぼ同時に、俺の手のうちには緑色の布袋が握られていた。

「これがその一つ」

「……っ」

「刀を仕舞う袋に掛けられた術法で、離れた場所からでも手元に呼び出せる。武器を持たない状況下でも戦えるよう」

「……なるほどな」

 細長い袋のひもを解き、中に入っている得物を握る。冷たい地金の感触を覚えながら――。

「昨日、遊びのときにはそんな袋は持っていなかったと思ったが、そういうわけだったか」

「ああ。――この刀」

 机の上に袋を滑らせる。膝の上で顕わになった刀身に目をやりつつ、記憶の糸を手繰り寄せた。

「『終月』は、俺の家に伝わる刀の一つで、鍛錬用の道具なんだ」

「鍛錬用……」

「重さは真剣と同じだけど、刃はついてなくて、何かを切ることはできない。素振りで振り易いように、(つば)も拵えもついてない」

「おお。だから、昨日の爺さんがぶった切れたりしなかったのか」

「……まあ、そうだな」

 話半分に頷く。昨晩の戦いで、十年ぶりに目にした刀身。

 理想の象徴として何ものにも染まらない、吸い込まれるような黒の色は、断絶に等しい時間を経ても一切の変わりがないように思える。かつて慣れ親しんだ道具を手にしたことで……。

「……俺もジェインと同じで、子どもの頃以外、こうした力を使ったことはほとんどない」

「……」

「十年以上鍛錬はしてないし、習ったことも、ほとんどは忘れてる。日本を出て……」

 単なる言葉や記憶以上に、思い起こされてくることがある。家の庭先で、何度もこの刀を振るったあの日。

「使わないように生きていくつもりだったんだ。昨日の件がなければ」

「……」

「……なるほどなぁ」

 その果てに味わった失意と喪失。刀身を袋の中に収めつつ、終月に注いでいた視線を前に戻した。

「なんだかよく分からねえ眼鏡とは違って、黄泉示の方はきちんと習った技法ってわけか。ルーツがはっきりしてるってわけだな」

「そうですね……」

「なるほどなるほど。ん、つうと――」

 話を聞き終えたばかりの三人には、今しがた聞いた内容を咀嚼(そしゃく)しているような表情が浮かんでいる。何かを考えているらしいフィアの前で、思いついたようにリゲルが顎元に手を当てる。

「さっき刀を呼んだみてえな黄泉示の術法と、ジェインが使った時間を操るって力は、同じようなもんってことか?」

「……分からない」

 素直に首を振る。対象に付随する時の流れを操るというジェインの力。

「俺が習った術法は基本的に、自分の中のエネルギーみたいなものを消費して発動するって聞いた記憶がある」

「エネルギー……」

「魔力とか、それこそMPとか。ジェインの言ってた感覚からして、それは同じかと思うんだが……」

 行使に伴うと言っていた精神的な疲労感は、俺が術を使うときの感覚と酷似している。ジェインのそれからすれば恐らく、袋に掛けられた術式を発動する俺の方が、ずっと軽いものではあるが。

「俺の場合はもう一つ、術を使う場合は普通、それに対応する呪文を唱えるって教わったんだ」

「――」

「あ」

「さっきみてえな、〝終月!〟って奴か」

 合点が入ったような三人。――そう。

「なるほどな」

「……」

「蔭水の知識に沿えば、僕は唱えるべき呪文を知らないで使っているわけだからな。実際そういった呪文には覚えがない」

「同じ部分はあるけど、違うものかもしれないってことですね……」

「……俺が受けた手ほどきは、完全だったわけじゃない」

 聴く限りでは、ジェインの力については詠唱という工程が存在しない。対応する呪文がある場合でも、習熟すれば詠唱を縮めたり、破棄したりすることはできるらしいが。

「受けたのは子どもの頃だし、十年前の話だ。覚えてない部分もあるかもしれないんだが……」

「……知識のある人間に訊くのがいいかもしれないな」

 その場合でも、元の呪文と言うのは術ごとに存在しているということになる。――っ。

「蔭水も含めて、僕らはほとんど素人のようなものだ。専門家がいるなら頼るのが一番早い」

「……」

「――両親に連絡を取ることはできないか?」

 ジェインが俺を見てくる。……その話。

「蔭水からでなくとも、僕が直接話してもいい。向こうを出てきている以上、何かしら事情があるとは思うんだが――」

「……っあ。その……」

「……いや」

 事情を知らない相手からすれば至極妥当な提案を、話を聞いたときから気付いていたようなフィアが押し止める。……頭の奥が痛い。

「……十年前、両親は亡くなって」

「――」

「蔭水の家系は色々あって衰退してたらしいから、他に親族はいない。……だから」

「……そうか」

 思い起こしてきていた記憶と相俟って、あのときの感情が蘇りそうになる。……ここが境界線だ。

「済まなかった。軽率な発言だった」

「いや……」

「ったく。理屈しか考えない眼鏡は、これだから困るぜ」

 溢れそうになる情動に蓋をする。やれやれ気味に言ったリゲルを、ジェインがじろりと睨む。……いつもの突っかかりではない。

「お前に言われたくはないな」

「デリカシーがないって言うかよ。――で、ちょいと気になってたんだけど」

 空気が重くなりそうだったのを見て取って、敢えて場を混ぜてくれたのだろう。気遣いの有り難さを感じている前で――。

「昨日の夜、最初に襲われたのは黄泉示とフィアだったんだよな?」

「……ああ」

「俺はまあなんかたまたまとして、黄泉示に不思議な力があって、相手もその手の関係者なんだとすると……」

 リゲルの瞳が、別の方角を向く。視線の向いた先。

「黄泉示やジェインだけじゃなく、フィアにも、そういうのがあるってことか?」

「――」

 話を向けられたフィアが、僅かに翡翠色の目を大きくした。それは。

「……」

「私は……」

 何かを言いかけて言い淀む。……普通でないモノとの関わりはない。

 少なくとも、当人の自覚ではそうだ。問題になるのは、フィアの事情。

 話すかどうかは本人次第になる。答えを待つ中で――。

「……記憶喪失なんです、私」

「――」

「……ん?」

「二か月ほど前に、一人で路上に倒れていて。どこの誰なのかも、覚えていなくて……」

 心を決めたようなフィアが、事情を語り出す。名前以外の一切の記憶がないこと。

「……は~っ」

 俺の小父さんのツテを使って事情を調べてもらっているが、まだ一つの手がかりもないことなど。一通りの経緯を聞いた、リゲルが息を吐く。

「それで、黄泉示の家にいるってわけか」

「はい……」

「……驚いたな」

 完全に予想外だったようなジェイン。……それはそうだろう。

「カタストさんが蔭水と一緒に住んでいるのは知っていたが。てっきりそれは、付き合っているからだと思っていた」

「っ⁉」

「えっ――」

 フィアの事情もそうだし、東小父さんがフィアを学園に入れたことについては、俺も。――って。

「いやー、それなー」

「え、えっと――」

「……」

 そのことか? 予想外の方角から一撃を受けた俺と、フィアが揃って顔を見合わせる。こんな時にそんな話とは。

「大学一年で同棲までしてるとか、雰囲気に似合わず進んでんなーとか思ってたのによ」

「いや、それは……」

 さっきまでの緊張感というか、真剣さがどこかへ行ってしまったような気がする。……というか。

「……なんで二人暮らしって知ってるんだ?」

「リゲルとの話し合いで部屋に呼ばれたとき、カタストさんのものらしき私物があるのが見えたからな」

「――っ」

 なぜ二人とも、そのことを。あのときか……!

「一人暮らしにしては部屋数も多いし、距離感も近い。休日も二人でいるようだったし、親しい関係にあるんじゃないかとな」

「冷蔵庫もデカいなーって思ったしよ。普段から一緒にいて、講義なんかも毎回二人で出てるもんだから」

「……」

「……」

 何とも言えない居心地の悪さに、押し黙る俺とフィア。……言われてみればそう思われておかしくはない。

「私と黄泉示さんは、その、別に」

「事情はさっき聞いた通りで、それ以外のことはない」

「――まあ、その話は置いておくとして」

 分かっていたはずではあるが、傍からどう見えていたのかを突きつけられると別のむず痒さが出てくる。俺たちの間がぎこちなくなっているのを察してか、ジェインが話題を執り成した。

「カタストさんがそうでないのなら、結局相手の目的は分からないということか」

「……!」

「思い当たる節は誰もない。だというのに、相手は間違いなく僕たちの命を狙ってきている」

 ――そうだ。

 思えば始めから、気になっていたことではあった。なぜ、俺たちは命を狙われたのか?

「私怨や金銭絡みじゃねえだろうしな。ありゃ明らかに、何かしらの指示があって動いてたって感じだぜ」

「事態は解決していない。逃げた以上、襲撃に備える必要が……」

 愉快犯や衝動的な動機などではないだろう。リゲルとジェインが介入し、あれだけの手傷を負ってなお、男は俺たちを殺そうと試み続けていた。

 一度は意識を失ったにもかかわらず、倒れた姿勢を保ったまま、機を(うかが)っていたのだ。……執念と意志。

 殺意に裏打たれたそれらを、はっきりと感じられる。萎びた手に馴染む短剣の扱い。

 殺気を殺すぬるりとした現出が思い起こされてくる。心当たりなどまるでなく……。

 それでいて、相手からは明確な意図をもって狙われ続けている。正体不明の殺意。

 見通しのつかない、得体の知れない何かに付きまとわれているような不安と恐怖が、首筋にじっとりと汗を滲ませてくる。否定のできない不気味さだけが確かであって――。

「……いいのか?」

 考えるより先に、そのことが口をついて出てしまっていた。……言わないわけにはいかない。

「二人とも。この件に関わって」

「あん?」

「俺たちを襲ってきたのは、ただのゴロツキとは違う」

 一方的に巻き込まれた俺たちと違って、リゲルとジェインは自分からこの事件に飛び込んできた。他人を助けるために迷いなく死地に飛び込める――。

「関わり続ければ、命を落とす危険性もある。相手の目的は分からなくとも……」

「……!」

「初めに狙われたのはリゲルたちじゃない。あの男に関わらずに済むなら――」

 そんな二人だからこそ、安易に善意に頼るなどということはできないのだ。……俺とフィアに選択の余地はない。

「――その話はあまり意味がないな」

 だとしても、リゲルとジェインには、まだ。ッ――。

「徹底して二人だけを狙うならともかく、あの老人は、邪魔に入った僕たちのことも殺そうとしてきていた」

「……っ」

「目的のためなら他人を排除するような、危険人物であることには変わりがない。捨て置けはしないし」

 自分の命が懸かるような話題をしているにもかかわらず、ブラウンの瞳は、どこまでも冷静だ。

「始めから四人狙いで、たまたま先に二人を狙っただけということも考えられる。昨日の交戦で、僕らも新しい標的に加わっているかもしれないしな」

「――だな」

 俺とフィアが反論を継げないでいるうちに、リゲルが頷く。

「何も分からねえ状態で四の五の言ってみても始まらねえし。少なくとも、ダチが狙われてんだ」

「――!」

「その時点で俺らも無関係じゃねえ。――ガチで言ってんじゃねえよな?」

 大きく身を乗り出して俺を見るリゲルの目は、静かな怒りさえ湛えているように感じられる。

「ダチのピンチに自分は逃げられるからって背を向ければ、一生後悔するぜ」

「……」

「黙っちゃいられねえ。どうするかってのは、四人の問題だろ?」

 強く拳を握りしめる動作のあとで一転して、こちらの不安を吹き飛ばすような、力強い笑みを見せてきた。二人とも……。

「……悪い」

「ありがとうございます。その……」

「言いっこなしだっての。昨日のだって、黄泉示が頑張ってくれなきゃ全員お陀仏だったんだしよ」

「お前にしては的確な意見だな。――さて」

 本当に、何と言えばいいのか。謝意を示すしかない俺たちの前で、ジェインが次の話題への区切りをつける。

「事態の解決に向けて、僕らが何をするかの話をしよう」

「――」

「相手の目的も何も分からない以上、僕らだけでというのは難しい。有効な手立てを打つためには、何の力を借りるのかということになると思うが」

 ……そうだ。

「――神父たちには知らせたくない」

「――っ」

「折角スポンサーがついたところでもあるし、これ以上心労をかけたくない。話すにしても、普通でないモノとの関わりを持たない神父たちにできることは少ないだろうしな」

 幾らジェインや俺に普通でない力があり、リゲルが格闘に秀でているのだとしても、俺たちだけでこの事態を解決するのは不可能に近い。……気持ちは理解できる。

「……そうだよな」

「警察も頼りにならない……ってことですよね?」

 エアリーさんや教会の子どもたちは一般人。命の危険さえ伴う事態に、親しい人間を巻き込むことなどしたくないだろう。やや躊躇い勝ちに言い出したフィア。

「普通じゃない力を持ってるとすると。警察だけじゃなくて、他の人たちに頼んでも……」

「……親父に頼むのが筋だろうな」

 腕組みしたリゲルが言う。

「その手の力に知識がなくとも、ファミリーの情報網がありゃ何かしらは掴めるだろうし。親父なら案外、事件自体もどうにかしちまいそうだしよ」

「確かにな……」

「――んー、けどなぁ」

 一度会っただけではあるが、レイルさんの凄味と風格は、昨日のあの男を前にしたとしても全く引けを取らないような予感がする。椅子に背を預けるリゲル。

「何か問題があるのか?」

「昨日も言ったけどよ。うちの親父、今仕事で海外に出てんだよ」

 ――っ。

「結構デカめの用事らしくて、暫く連絡は取れないって話だし。戻るのは大体二か月くらい先になるって言われてるしな」

 そうだった。……二か月先。

「二か月……」

「……リゲルの父親に頼むのが解決作だとして……」

 零すフィア、思案気に呟くジェイン。二人の声に共通するトーンの重さが、事の重大さを物語っている。……そう。

「そうなると問題は、当面の安全の方だな」

「――」

「あの老人が逃げた以上、いつどこで襲ってくるのかは分からない。普段の生活でも、襲撃のリスクを想定しておく必要がある」

「……一人になる場面は避けた方はいい、ってことか」

「ああ。――昨日のことを考えるに、相手は人通りの少ない夜、人気のない場所を狙って襲ってきていた」

 今の俺たちでは、レイルさんのファミリーの他に頼れる相手もいない。二か月というその期間だけは、自分たちで安全を確保しなくてはならないのだ。――確かに。

「あの状態が相手の作り出したものだったのなら、なおさら襲撃の露見は気にしている。昼間、人目に付く場所なら安全な可能性は高いだろうが、万が一を考えると、なるべく固まって行動していた方がいいことには違いない」

「そうだな」

「人通りの多すぎる場所ってのも避けた方がいいぜ」

 昨日の不自然な人気のなさを考えれば、明らかにその傾向はある。――そうなのか?

「ごみごみして身動きも取れなくなっちまうような場所だと、近づいてバッサリとか防ぎようがねえからな。ある程度の視界とスペースは、確保できるようにしとかなきゃならねえ」

「……その……」

 傾けた首筋に手刀を当ててみせる。現実味の籠った仕草にゾッとするイメージを覚えたところで、考えていたフィアが何かを言い出した。

「昼間はそれで大丈夫かもしれませんけど。……学園の終わったあととかは、どうしましょうか」

「――」

「帰ったあととか、寝るときとか。相手の人がその手の専門家なら、うちとかでも安全じゃない……ってことですよね?」

「それは――」

 そうなってくる。あの老人は、間違いなく殺しのプロ。

「……普通の鍵とチェーンロックじゃ、どうにもならないか」

「うちの教会もそうだな。物取りなどは警戒していないので困らなかったが、セキュリティなどは無いに等しい」

 普通でない技能を持っていることからしても、通常の防犯程度では頼りにならない。……窓を破られでもすればそれで終わり。

「――ふっふっふ」

 日中に幾ら警戒をしていたとしても、寝込みを襲われれば一たまりも。――リゲル?

「えっと……?」

「なんだゴリラ。不気味な笑い顔をして」

「いや~な~?」

 思わせぶりに勿体ぶりなリゲル。いつもなら噛み付いているだろうジェインの皮肉を、気にも留めずに。

「そいつについちゃあ、一ついい考えがあるぜ」

「――」

「セキュリティはばっちし。四人で行動するにも打ってつけな、パーフェクトな作戦がよ」

 自身に満ち溢れたように胸を張っている。多少の不安がしなくもない俺の前で、サングラスをかけたブルーの眼が、ニヤリと笑みを浮かべた。



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