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彼方を見る者たちへ  作者: 二立三析
第三章 日常を超える扉
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第七話 静かな夜



 ――抜かった(・・・・)

 漆黒の帳を微かな星明りが照らす中、闇夜の暗がりに紛れるようにして屋根から屋根へひた走る、一個の人影が空を切る。……痛みを訴える脇腹。

「……っ」

 打撃と骨折の苦痛を意志の力で抑え付けながら、痛恨の失態に暗殺者たる老人は歯噛みする。容易と見た当初から。

 ――まさか、ここまで事態が変化するとは。

 気配を殺し、疾風と一体となって駆け抜ける脳裏に、去り際の光景が蘇る。……意識が回復した直後の不意打ち。

 守り手の首筋を掠めて器の喉を貫く軌道。事の終息に緩んでいる機を突いたつもりの、最後の一手さえ退けられた。あの消耗で気付いたスーツの青年も大概だが……。

 真に脅威だったのは眼鏡の青年の方。二本の指に受け止められる寸前、余力を絞って投げたはずの短剣の速度が、異様なまでに減衰していた。

 物理的な変化ではない。高度も軌道も変わらず、ただ速さだけが変化するという異常事態。推測に至った今でも信じがたい。信じ難いことだが、あの力は恐らく――。

 ――想定外だ。

 まさか器の周りに、あれだけ稀有な力の担い手が集っているとは。……守り手だけなら問題はなかった。

 多少の手間さえあれ、使命を遂げられるはずだった。功を(はや)らず観察に時間を()いていればと、そのことだけが今となっては口惜しいほど悔やまれる。時間的な猶予は既にない。

 王命の達成を中断したとしても、確実な形で情報を持ち帰るには、今このときしか機はなかったのだ。駆け走る速度を更に上げる。守り手たちの件だけでなく――。

 器自身に起きていた異変もある。聞かされていた情報との齟齬。

 提供源であるあの男が(たばか)ったのか、そうでないのか。(あらた)めなければならない懸念、軋みを上げる老骨に歯を食いしばりつつ、分水嶺(ぶんすいれい)と見ていた境界の付近に老人は到着する。……追跡の気配はない。

 隠形法を兼ねた人払いの呪の効力が消え、今頃は監視役が出張ってきているはずだが、どうにか気取られずに済んだようだ。安堵の息を吐く代わりに弛みなく視線を周囲に回す。これ以上犬の鼻を(あざむ)くのは不可能だろう。

 時間に連れて周囲に捜索の手が伸びてくるとなれば、できるだけ迅速に離脱するのみ。決意の意気に呼気を整えつつ、老人は夜の街並みを眺める。……技能者は、一般の社会の陰に営む存在。

 だがその技能者界のうちであっても、公然と明と暗の線が引かれている。家々の明かりが照らすこの町並みを、自分たちの領域として(はばか)らない者たち。

 自分たちを秩序の担い手と自称する組織の影を思い浮かべて、その傲慢さに苦々しい嘲弄が這い出てくる。――話し合いのための休戦期間。

 和平と共存への取り組み。振り(かざ)すのも馬鹿馬鹿しい名分を盾にしつつ、裏ではどれだけの策謀が巡らされていることか。奴らとの共存など、望むべくもない。

 何れ社会の均衡は崩れ、驕慢(きょうまん)な秩序の塔は崩れ落ちる。組織が力を落とし――。

「……」

 あの男がこちら側へ来たからには、必ずや。――その為にも。

 まずは当座の真贋を正さねば。気息を整えた老人が屋根より飛び降りる。組織の奢り昂りを踏みつける心持で。

 平時の慎重さをもって軽やかに。負傷の身であるのが問題外であるように、音もなく平易な道へと降り立った――。

「――」

 ――()

 着地の衝撃を技量で殺したその瞬間、自らを囲む異様を老人は視認する。濁った白に輝きを帯びている。

 不透明な強固な魔力の隔壁。一瞬前まで広く静かな夜が広がっていたはずの視界は、全て同じ平面に遮られている。四方に加えて上下まで。

「……ッ」

 完全に。見回す六角柱の結界に、蟻の這い出る隙間さえない。これは――。

「――速いな」

 罠。自らの陥った事態を飲み込んだ瞬間。

 エコーのかかった声が外部から響いてくる。……芯に張りを秘めた肉声。

「分かって構えていても、捕らえるので精一杯だ。仕掛けの時間があって良かったよ」

「……」

「まずは落ち着いて欲しい」

 まだ齢若いが、それなりに成熟していると思える女の声だ。術法で反響の方角を操作しているらしく、どの地点から声を掛けられているかは判然としない。……姿形も皆無。

「好戦的な連中も多いが、私は必ずしもそちらに敵意を持ってるわけじゃない。理由もなく、始めから危害を加えるつもりはない」

「……」

「こちらの仕事に協力してもらえれば、身の安全は保障する。私の立場にかけて誓おう」

「……この術法」

 自負を覗かせる物言い。自らを囲む壁には触れないまま、確信をもって老人は言葉を紡ぐ。

「――支部長か」

「そうだ」

 頷かれるまでもない事実。推測を確かにするだけでしかない肯定に、老人は湧き上がる強い絶望の念を自覚する。――支部長(・・・)

 魔導協会の本拠地たる総本山と、各地への影響力を支える拠点である十三の支部。うち支部一つの運営管理を任される上位の構成員は支部長と呼ばれ、一般の協会員と比較して極めて高い技量を有している。……幹部である四賢者ほど圧倒的な脅威でないとはいえ。

 然したる序列も持たず、ただ王派に属するだけの技能者からしてみれば、出会った時点で死が確定しているようなもの。諜報と暗殺に秀でた技能者である自分が……。

「今夜は組織の領域で好き勝手にやってくれたようだが、事を荒立てるつもりはない」

「……」

「見たところで状況は分かってもらえたと思う。私の質問に、正確に答えてくれればいい」

 抗える相手ではない。――答えなければどうするというのか?

 絶望的な自嘲の中で、戯れにそんな問いを投げかけたい気持ちまで昇ってくる。返答など決まり切っているにもかかわらず……。

 ――いや。

「まず、一つ目だが――」

「――協会の犬風情に、答えることなどない」

 投げかけてみたところで、返って来ることなどないのかもしれない。断固とした老人の否。

「……私が気になってるのは、あんたがなぜあの四人を狙ったのかってことだ」

「……!」

「名のある『逸れ者』の関係者とはいえ、あの四人の属する地帯は中立。こっちの事情とは無関係の学生だ」

 意味するところが伝わったのかどうか、老人の反応を無視して支部長は問いかけを紡いでくる。――逸れ者。

「手を出すのは秩序の逸脱を意味する。技能者界の均衡関係を崩そうとする行為は、協会の監視者として見過ごせない」

「……」

「――なぜあの四人を襲った?」

 支部長の言葉に老人の脳裏で線が繋がる。組織方と凶王派の間で中立という言葉が使われる場合。

 その言葉はそれなりに特別な意味を持つことになる。事前より含めていた、この地域において勘案すべき特殊な要素。

「上から指示が出ていたのか? 所属のトップか」

 記憶にある情報との一致を確かめる。……ならば。

 あの三人とは。今しがた自分が手に掛けようとしていた、あの若き技能者の(ひな)たちは――。

「あるいは別か。あんたの独断なのか、それとも――」

「……は」

「……?」

 理解。

「はははははははッッ‼‼」

「――」

 決壊。哄笑、哄笑、哄笑。

 自らの状況を無視して老人は嗤う。目の前の支部長の言う言葉に、言葉の前提となるその事実に。

「――っ技能者を秩序の元に置くと言いながら」

「――」

「英雄の子息であれば野放しか! 笑わせてくれる」

 降り乱した頭髪が額をなぞる。自らの中の空気を吐き切った老人が、鋭い眼光を壁に差し向ける。

「協会の意向に従う走狗の分際で。我らを管理でもするつもりか?」

「……質問に答えてもらえないなら、私としてもこの状態を維持するわけにはいかなくなる」

 全てふざけている。何が秩序の管理者、正しき道の守り手だ。――傲慢。

「凶王派の技能者が組織の監視区域に侵入し、一般の学生を襲った」

「――」

「これだけでも協会が処断の判断を下すには充分な理由だ。本山に送られれば、あんたの処遇がどうなるかは分からない」

 傲慢、傲慢。恥知らずにもほどがある。言外に覗かせてくる脅し。

「記憶の操作で強制的に情報を抜かれる可能性もある。動機を教えてくれさえすれば、私の裁量でどうにか」

「――顔も見せない相手に何を話す?」

 居丈高に放った台詞に、壁の外を沈黙が過る。

「私から話を訊こうと言うのなら、まずこの牢獄から自由にするといい」

「……それはできない」

 予想通りの答えに鼻を鳴らす。決まり切った返答。

「あんたの私らに対する敵意は明白だ。この術を解除するならまずは、その敵意を収めてもらう必要がある」

「ふざけた言い分を立てるものだ」

 期待などしていない。――これが協会だ。

「……何もかもが、貴様らの思い通りになると思うな‼」

 力と傲岸で何もかもを踏み潰そうとする。怒りが胸中を埋め尽くす。闘気を露に吠えた老人の挙動に合わせて、壁の内部の魔力が高まりを見せる。収束の速さは流石の手腕。

 だが――ッ‼

「――ぐッ……ッはッ‼」

「ッ⁉ チッ――⁉」

 手に馴染む得物を自らの胸板に突き立てる。捕縛の術式が四肢を押さえる寸前に、磨き上げた刃が萎びた肉の繊維を貫き、肋骨の間を抜けて過たず心臓を破壊する。

「……ッ!」

「これで……いい」

 治癒の間に合わない致命傷。脳への血流が寸断される数秒……。

 最期の責任を果たせたことに、老人の口元が小さく上がる。……無理に命を繋がれ、情報源として使われるのは恥辱の極み。

 名を持たぬものであれども、冥王派の末席に身を置く者として、最悪の失態だけは避けねばならない。自らの不手際故に情報を持ち帰れぬことに、心残りはあるが……。

「――くそっ!」

 現状ではこれが最良手。自分が戻らないとなれば、異変は王派の知るところとなる。

 事情を察し、本格的に戦力を送り込む。そのときこそ、王たちの目論見が達せられるときになるのだ。自身を閉じ込めていた結界が解ける。肉体の閉塞などどうでもいい。

 相手の思惑を崩して世を去れることに、清々した気持ちさえある。支部長の悪態を最期の賛辞として聞きながら――。

 インクの染みのようにぼやける世界。己の目に映る景色を、老人は最早まともに判別できなくなっていた。






「……」

 結界の解かれた街路の外れ。仰向けに倒れる男の骸を見て取って、支部長は今一度事態を振り返る。装束の上から深々と突き刺さる短剣。

 急所を外れていれば治癒が可能だったが、こうも見事に致命傷を施されては手の打ちようがない。如何なる景色を見つめているのか、満足げに笑みを浮かべている皴だらけの口元を、やり場のない思いで目にする。……苦い思い。

「――っ!」

 忸怩たる情念が、地面に支部長の拳を叩きつける。冷たい痛みを感じながら……。

「……失態だな」

 事態の帰結を要約して、身体に馴染んだジャンパーの内ポケットからシガレットケースを取り出す。今回の一件。

 結末を除いて成功した最後の捕縛を除けば、事態の始まりから終わりまで、支部長はほとほと後手に回らされているといってよかった。始めは単なる中立地帯の状況監視。

 協会員として決まりの仕事の担当になってから、ひと月ほど前に変化が訪れる。元々の標的である二人と立場を同じくする、新たな関係者の出現に加えて。

 監視対象同士の接近。図られた気配の見えない事態に対応を判断しかねているうちに、今回の事件が勃発した。……冥王派の暗殺者。

 元々は斥候か、偵察を本分とする技能者だったのか、戦闘能力自体は高くない。素人同然の四人が邂逅して、命を取り留めた理由でもあるのだが。

「――」

 歴の長い暗殺者だけあって、気配を隠す技術は大したものだった。煙を吐きながら支部長は思う。支部長である自分のみならず……。

 他の二組織の監視者の目をも擦り抜け、隠形(おんぎょう)法の術理を仕込んだ人払いの結界を起動。一般人を遠ざけ、認識を阻害する術式の作用に、戦闘が始まって幾許かが経過するまで支部長も事の起こりに気が付けずにいた。標的自身に抵抗する力がなければ――。

 今頃は間違いなく、首尾よく戦果を持ち帰られていたことだろう。灰色の煙が肺を満たしていくごとに、気持ちが平衡を取り戻していく。……冥王派の所属。

 だとしても、派や個人の独断ではないはずだ。覇王派による例の襲撃と言い、若手の支部長であったファビオの殺害と言い。

 ここ最近、凶王派の組織に対する憎しみが復活してきているように思える。老人の見せていた怨徹骨髄(えんてつこつずい)の相。

 成立の当初から続く敵対と(わだかま)り。彼我の間に開かれた戦端と惨劇の数々は、技能者界の歴史を紐解けば山のように積み上がっている。例え如何なる門外であろうとも。

 技能者界に身を置く者ならば知っている。両者が不倶戴天の敵であること。

 不変と思われるその対立図式を変えようと試みたのが、至高の大賢者と謳われた九鬼永仙、並びにかの英雄の一人である式秋光を筆頭とした、穏健派の魔術師たちだった。長年に渡る確執に終止符を打ち。

 両者が共存できる技能者界を作り上げる。一年ほど前までは公然と語られていた夢が、今では酷く懐かしく脳裏に思い起こされる。三大組織の力の落ち込みようからして。

 当面は力の回復に尽力しなければならないことは分かっていたものの、支部長は、本気でその夢を見ていた一人だった。考えたことがあっても、無理だと首を振っていたこと。

 それを実現しようとする姿に、計り知れない感動を覚えたものだ。対立と殲滅を主張する伝統派の魔術師とやり合い、中立派に立つ友人と、何度か口論に近いやり取りになったこともあった。

 どれだけ輝いて見えた夢も……。

「……」

 崩れるときは一瞬でしかない。寂寥に似た侘しさを感じて、支部長は半分ほど減った煙草を指の先でくゆらせる。……凶王派は間違いなく、何かしらの動きに出ている。

 今から凶王派との融和を成功させようとすれば、立ちふさがる問題の数はうずたかく積み上がって見えないほどになる。協会内部の混乱の解決、意志の取りまとめ、敵対姿勢を変えない二組織との交渉。

 自分たちのやってきたことは、全て無駄だったのだろうか。胸中に木霊した問いかけを、答えぬまま霧散させるように首を振る。今考えるべきはそれではない。

 九鬼永仙は協会を離反し、凶王派に着いた。彼と凶王の意向を受けた技能者によって中立区域が侵され、三大組織の作り上げた秩序が揺るがされている。……できることからやっていくしかない。

「……難儀だな」

 (ひね)りのない結論にやるせない感情を抱きつつも、支部長は星の煌めく夜空に視線を上げる。これから始まることになる展開の憂鬱さと。

 自分たちの行く末。世界の向かう展望に、思いを馳せつつ。


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