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彼方を見る者たちへ  作者: 二立三析
第三章 日常を超える扉
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第五話 曲調変化


 ――やはりか(・・・・)

 目前にある結論。どこまでも熱を帯びない思考で、老人は己の推測が間違っていなかったことを追認する。――今日という夜は、正しく驚きの連続だった。

 身体能力と(つたな)い武器だけで想像以上の粘りを見せた守り手に、自らと互角の戦いを演じられる力量を持った一般の学生。通常より監視の厳しいはずの区域でありながら……。

 このレベルの技能者候補を、完全に野放しにしておくとは。秩序の管理者とやらを自称する、三大組織の仕事ぶり。

 日頃嘲弄(ちょうろう)敵愾心(てきがいしん)で当たる相手への、至極真っ当な疑問が浮かんできてしまうほどになる。本来ならあり得ることのない事態であり……。

 それでも既に糸口は掴んだ。機が来るごとにこちらの動きを鈍くされる、不可解な現象。

 青年の用いる力の正体を、老人はこの短時間で見事に看破していた。発動に際して明確な予兆がないことから後手に回らされたが。

 絡繰(からく)りを見抜けば対処は容易い。あの力は特定の対象単位でなく、漠然とした空間の範囲へ作用している。

 必ずしも効果的な場面で用いられていないこと、発動に際し不自然なほど起こりの気配がないことから、青年自身に技能の自覚がないことは明白。技術としては実に未熟な段階であり、自覚的な変化を(もたら)せないことを考えれば――。

「……」

 自重を利と成せる上から攻めるか、力の効果範囲に自らも巻き込んでしまう近場から攻めるかを選べばいいだけのこと。六十年の中で老人が仕留めてきた標的には、それこそあらゆる種別の技能を用いる人間がいた。

「……おうおう。んな慎重にしてねえで、掛かって来いよ、爺さん」

 (つちか)われた経験から来る分析と観察の眼力は、多少才気に恵まれた程度の若輩に後れを取るものではない。外套の裏から新たな短剣を取り出した老人に対し、青年は悲壮にも威嚇を飛ばしてくる。……傷を受けた左腕は満足に扱えない。

 一瞬一刹那が生死を分ける攻防において、最早先のような立ち回りができないことは明白。冷静に考えれば死を迎える直前でありながら……。

「……」

 恐怖を戦意が上塗りしている。――ふざけた気概だ。

 ただの学生如き、平穏の微温湯(ぬるまゆ)に浸っているような人間に、なぜそれほどの気骨があるというのか? 痛みを感じないわけでもあるまい。

 構えを保つ気迫は見事だが、左腕を庇っているせいか、重心には幾分のズレが見える。待てば失血で倒れる傷ではあるが。

「――」

 猶予となる時間もない今、片付けるのが上策というもの。自然な思考で老人は駆け出しへと移行する。手を緩めるつもりは毛頭なく――。

「――リゲルッ‼」

「――っ」

 だからこそ(・・・・・)、その行動を目にしたときに、(くぼ)んだ眼をまたしても(すが)めることになったのだ。大きく自分との距離を詰める青年。

 渾身と思える踏み込みの勢いで、コンマ一秒足らずして彼我の間合いに入る。固めた拳の意味を理解した瞬間。

 ――っ。

 身体に掛かる重さを老人は自覚する。特攻。

 長引けば勝機はないと見て、捨て身の突貫を選んできた。玉砕を覚悟した気迫に――。

 経験と直感が判断を下す。……右腕(・・)を捨てるつもりか。

 此方の意識の薄まりを見抜いたわけではない。負傷に急き立てられての、いわば背水の心持がなさしめた突貫だが、故にこれまでで一番の気の乗りようを見せてもいる。無事な片腕を(おとり)として、傷ついた左腕でフィニッシュを狙う。

 ただの学生が下すとは思えない豪胆な選択にも、己を見すえる瞳には一点の迷いもない。――事情は不明。

「――ッッ‼」

 だが、少なくとも賞賛には値する。獲物として認めることができる相手には、最高の一技を以て報いること。

 それが暗殺者として生きてきた老人の矜持。込める力は最小限、命懸けの突進の威力を逆用し、斜めに切り上げる軌道で腕と肩の動脈を切断する。乾坤一擲の拳を紙一重で躱すまでのイメージが。

 すでに完全に老人にはできている。描いた光景へ向けて――。

「リゲルッッ‼‼」

 過たずに。叫びが夜の街路に木霊した刹那、突き出された拳の脇を、鋭利な銀の刃が一閃した。




 

「――リゲルッッ‼‼」

 ――叫んだときには、全てが手遅れだった。

 満身創痍のどこに勝機を見出したのか、迫ろうとした男に突貫を仕掛けて飛び出すリゲル。二人の影が近付く刹那、迫る男の瞳が炯炯(けいけい)と輝き――‼

「――ッッ‼」

 白刃が月下に軌跡を走らせる。右腕から首筋までを一直線に薙いだ軌道。一瞬のちに飛び散る鮮血と、苦悶の呻き声がイメージされた――。

 ……ッ‼

 ――直後。

「……なに?」

 夜の風の吹く景色の中で、唐突に誰かの声が零れる。……リゲルではない。

 短剣を握るあの男。獲物を仕留めたはずの老人から、初めて素朴な感情の込もった声が発せられている。……なにが。

「……!」

 ――切れていない(・・・・・・)

 目を見開いたリゲル。突き出された腕、握り締められた拳の真横で、振り抜かれた血の付いていない刃が静止している。――外したのか?

「――下がれ‼ リゲル‼」

 殺しのプロたる老人が、あの局面で? 信じられない奇跡を目の当たりにした心境に、腕を突いている俺の更に後方から、覚えのある声が飛ばされる。――っまさか。

「ッ‼」

 振り返るより先にリゲルが飛び退く。判断を下しかねているような老人が動きを決めるより早く、片腕での構えを保ちながら、俺たちのところにまで後退してくるリゲル。信じ難い面持ちでブルーの眼が後ろを向いた――。

「――相変わらずの猪突猛進だな」

 その場所にいた相手。――ジェイン(・・・・)

 ジェイン・レトビック。鋭いふさを持った茶地の髪。理知的な面立ちを際立たせるオーパル型の眼鏡のブリッジを押し上げて、目を見開いているリゲルに冷ややかな一瞥をくれる。いつものように。

「ハンデを負ったからといって考えなしに突っ込むのは、無謀と勇敢をはき違えた馬鹿のすることだ」

「……!」

「素手で刃物に挑むようなゴリラに、戦術を解く方が無益かもしれないが」

「……テメエ」

 辛辣な物言いも変わらない。もの言いたげに唇を開きかけたリゲルが、思い直したように視線を前に戻す。

「なんでここにいやがる? さっきのは――」

「説明はあとだ」

 腕を下ろしたジェインも視線の方角を変える。リゲルと同じ方角。

「状況の解決のため、まずは相手を押さえておく必要がある。頼めるか?」

「……へっ」

 新たな人物の出現に、動きを止めていた老人の方へ。口の端で答えたリゲルが前へ出る。腕を構え直し、戦意を新たにするように拳を握り締めた。

「任せとけよ。この性悪眼鏡が」

「マフィアもどきに言われたくはないな。――死なない程度に努力しろ」

 




「……」

 信じ難い思いで、老人は目の前の展開を見つめていた。

 新たな闖入者が現れたことへの驚愕はある。人払いの呪を破って現れた二人目。

 冥王派の技能者として用立てている技法。並の技能者では感知さえ難しいはずの術法を、こうも立て続けに破られるとは。

 ――だが。

「……へっ」

 その驚愕も、眼前のこの事態に比べれば吹き飛ぶほどのこと。先ほどと同様。

 リゲルと呼ばれていたスーツの青年が老人の前に出る。短剣の刺さった左腕は辛うじて構えを保ってはいるものの、間違っても生死を懸けた攻防に耐え得ることなどできはしない。

 ――そんな状態の仲間を、またしても前に立たせる?

 理解できない。老人がそう考えたのは決して、情や人道と呼ばれる動機からではなかった。

 新たに乱入したあの青年、ジェインと呼ばれる眼鏡の青年が、捨て駒のつもりで采配を振るったのではないことが分かっていたからだ。……あの目は決して、破れかぶれで指示を下す者の目つきではない。

 把握した事態から頭の中で推測と計算を終え、明確な勝算を持って動いている者の眼だ。理解不能な判断と同時に、先の光景が老人の思考を支配していた。……必中の必然をもって放たれたあの一撃。

 過つことなどないはずの目算が、決定的に狂わされた。スーツの青年の影響ではない。

 走る前より受けていた力の影響など、当の昔に量り終えていた内容。あの交錯の瞬間、変えられていたのは自分ではなく――。

「……何処見てやがんだよ?」

 相手の動き。相対する人影から声が飛ぶ。――先に比べれば抑え気味。

 だが創痍(そうい)のはずの身体からは、陽炎と見まがうばかりに熱された闘気が立ち昇っている。注意を向けざるを得ない。

 肉体に凝縮された戦闘の意志。この相手を放置することは、手負いの獣を前に背を向けることと同じ――‼

「てめぇの相手は……俺だろうがッッ‼」

 咆咻(ほうく)を纏う青年が踏み出す。見据えるべき眼前の脅威に対し、老人が(たずさ)えた刃を構えた。






「――」

「――立てるか?」

 男と対峙しに進むリゲル。血に(まみ)れたスーツの左肩に懸念を覚える中で、近づいて来たジェインが俺に手を伸ばす。変わらない面立ち。

「蔭水。手酷くやられたな」

「……っジェイン」

「ああ。……見たところ重傷はない」

 細いが華奢ではない手のひらに、体重を支えられながら立ち上がる。なぜジェインがここにいるのか。

「腿の傷はやや深いな。大事にはならないと思うが……」

「……無茶だ」

 そのことは分からないが、一つだけ分かっていることがある。冷えて強張った顔の抵抗を無視して喉を動かす。

「……っあいつは、今のリゲルが敵う相手じゃない。どうにかして人を――」

「――無理だ」

 ――なに?

「帰る途中、胸騒ぎがして戻ってきてみたが、ここに来るまで誰ともすれ違わなかった」

「――⁉」

「いつの間にか、気が付いたら人気が失せていたという感じだ。抜け出せないかどうか試してみたが……」

 問い掛けるような俺の眼差しを受けた、眼鏡の顔立ちが首を振る。……そんな。

「電波も通じず、人の気配は皆無。僕らで何とかするしかない」

「ッ、だが……!」

「相手の得物は、刃渡り十センチ程度のナイフ」

 それではもう、ほとんど絶望的な。感情的に反論しそうになった俺に、どこまでも冷静な口調でジェインが告げてくる。

「動けない状態のカタストさんと蔭水が殺されていないことから考えて、リゲルが本調子なら互角程度には戦える。間違いないか?」

「それは……」

「――大丈夫だ」

 否定でない俺の反応に、ジェインが力強く頷く。何かしらの確信を持つ態度で。

「今のリゲルなら、前と互角以上に戦える。――始まった」

「――ッ」

 その言葉に弾かれたように前を向く。左腕の動かなくなったリゲルと、然したる負傷もない老人との戦闘は――。

「ッ⁉」

 眼を見開いて戦況を凝視する俺の、予想だにしない光景を展開していた。地面を滑るように引き下がる老人。

「ウラァッ‼‼」

 実体を持たぬ影のように現実味のない挙動。間違いなく全力を出しているその姿を、後退の機を逃さずにリゲルが猛追する。息吹と共に瞬く黒革の拳が――。

 気炎を上げるような苛烈さで、老人を後方の空間へと追いやっている。――ッ押しているのだ。

 深手を負っているにもかかわらず、あの暗殺者の老人を、リゲルが。……左腕はほとんど動いていない。

 血を失って状態が悪化したのか、赤と黒のまだらに染まる腕は構えこそ辛うじて保ってはいるものの、それだけで精一杯という感じだ。事前に懸念していた通りだが。

「――」

 ――速い(・・)

 残る右腕による拳撃の速度が。……これまでとは、段違いに上がっている。――いや。

 よくよく見れば右腕だけではない。詰め寄る速度、刃を躱す上半身の動き、残像を残すようなステップの俊敏さ。

 目の前で披露されるすべての動作。肉体全ての動きが――。

「……あれなら暫くは持ちそうだな」

 傷を負う前より、格段に速さを上げているのだ。条理を無視したような現象に目を(しばた)かせる隣で、呟いたジェインが俺の方へ視線を戻す。

「状況を確認したい。――カタストさんはどうなっている?」

「っ、……気を失ってるらしい」

 ――分からない。

 リゲルの身に何が起きたのか、ジェインがどんな魔法を使ったのか。何もかも未知数ではあるが。

「あの男に睨まれて、腰を抜かして。そのあとの恐怖とショックで、多分……」

「カタストさん。……起きないな」

 ジェインに何かしら考えがあるのは事実だ。戦闘の様相を気にしつつ話を進める。眠るように横倒しに地面に倒れたまま、長い髪を銀の流体のように広げているフィアは、未だに意識が戻っていない。

 規則的な呼吸はしており、見たところ外傷もないが、ジェインに揺すられても反応がない。……それだけショックが大きかったのか。

「見たところで異変はない」

「……」

「蔭水の言う通り、精神性のショックで気絶していると見るべきだろう。早急な処置が必要な状態じゃないが……」

 あれだけの心労を受ければ無理もないだろう。手を取ってフィアの脈を測っていたジェインは、そこで思考を纏めるように一瞬だけ言葉を切って。

「逃げてもらうのは無理か。やはり、あの相手を先に仕留めるしかないな」

「仕留める……⁉」

「ああ。君もリゲルも手傷を負っている。全員で逃げ(おお)せるのは無理だし、人気のないこの状態の仕組みを解明するには、時間がかかり過ぎる」

 ブラウンの瞳が本気の眼で俺を見てくる。言っていることはもっともだが……。

「……っどうやって」

「僕の力を使う」

 ――()

「詳しい説明はあとにするが、僕はある特殊な能力を持っている。対象となる相手の行動速度を、およそ倍速程度にまで引き上げられる」

「……!」

「今リゲルに使っているのもそれだ。強力な力ではあるが、持続時間に問題がある」

 行動の倍速化――。

「一人に対してでも、連続で三分程度しか持たない。左腕の動かないリゲルが、時間内にあの相手を仕留めるのは難しい」

「――」

「戦闘技術のない僕の速度だけを増加させても、あの男には通じない。見たところ蔭水は、戦うための武器を持っているようだ」

 それができるなら、確かに可能性は。眼鏡を押し上げたジェインの眼が、俺の握っている終月に注がれる。……そうだ。

「この力を、蔭水にも使用する。リゲルと男が戦っている隙をついて」

「……」

「長い戦闘は難しい分、全力の不意打ちで相手を仕留めて欲しい。やれるか?」

「っ……」

 自身の状態を確かめる。血のこびりついて固まった肉体。

 裂かれた傷口はまだ鋭い痛みを発し、側頭部のほか、殴打された数か所には紫色の痣ができている。寒さと失血のせいか。

 筋と筋肉は硬く強張り、肩と左脚の創傷は変わらず、焼け付くような悲鳴を上げ続けている。全力で動けるのはどう甘く見積もっても一度だけ。

 ――だとしても(・・・・・)

「――ああ」

「よし。参戦のタイミングは僕が見る」

 やらないという選択肢はない。ジェインの真剣な目が伝えてくれる。今ここで俺がやらなければ。

「ここだという瞬間に援護を掛ける。蔭水は、相手を仕留めることだけに集中してくれ」

「……分かった」

 リゲルも、ジェインも、フィアも。できる限りの力を蓄えるため、全身の力を抜く。息が白くなるような夜気の中で、前だけを見据えた。



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