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彼方を見る者たちへ  作者: 二立三析
第二章 学園での出会い
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第二十五話 行楽日和は四人で


「――蔭水!」

 講義終わり。

 人の声のざわめく教室を出て、廊下の向こうから掛けられた声に、鞄を持った俺とフィアは振り返る。石造りの通路を早足で近づいてくる相手。

「カタストさんも。今終わりか?」

「はい」

()いてるうちに屋上に行こう。早いところ――」

「――黄泉示! フィア!」

 見慣れたシルバーフレームの眼鏡の奥で、理知的なライトブラウンの瞳が生命力のある光を放っている。鋭く分かれた髪の房が周囲を警戒するように揺れたところで、反対側から威勢の良い声がかかった。――響いてくる駆け足の音。

「飯行こうぜ飯! あの野郎が来る前に――ゲッ!」

「……ちっ」

 反対側の廊下から走ってきたリゲルが、俺たちの影から姿を現したジェインを見て急停止する。不服気に眼鏡を上げたジェインの前で、静止した革靴と床との間にうっすらとした煙が上がる。……沈黙。

「……よう」

「ああ」

 互いに距離を取り、俺たちを挟んで二人が睨み合う。気に食わない相手に出くわした獣のような……。

「早えじゃねえか、今日は。良いのかよ? お勉強しに残ってなくて」

「きっちり課題の提出まで終えているから問題ない。お前こそ大丈夫なのか?」

 それでいて相手の力量は認めざるを得ないでいるような、微妙な雰囲気の空気が漂っている。牽制し合う二人。

「去年は講義どころか、全科目の試験をばっくれたと聞くが。序盤のふて寝のせいで、一人だけ後輩と呼ばれることにならなければいいがな」

「言うじゃねえかよ。――言っとくけどな、最近の俺は一味違うぜ? こないだの課題だって――」

「――屋上でいいんだよな?」

「おう!」

「ああ」

 同時に答えた二人が睨み合うのを、視線を合わせたフィアと苦笑いしつつ、階段に向かって歩き出す。先日のごたごた以来――。

「うおーっ!」

 この四人でつるむのが、俺たちにとって日常の光景になっていた。定位置となっている一角。

「相っ変わらず美味そうだぜ。フィアはホント、料理上手えよな」

「そんなことないですよ。普通くらいで」

「実際見事な腕前だな」

 緑と眺望に囲まれた最奥のテーブルで、互いに弁当を広げ合う。食堂や購買を利用することも多いのだが。

 今日は久々に屋上で食べようということで、全員が手持ちの弁当を持ってきていた。まだ真新しいプラスチック製の弁当箱の中には、フィアが昨日の夜から準備したおかずたちが(いろどり)豊かに詰め込まれている。栄養バランスもしっかり考えられていて――。

「弁当歴は僕もそれなりに長いつもりだったが、素直に脱帽だ。盛り込みのコツを教えて欲しいくらいだ」

「そんな……」

 まるで誰かの理想の弁当像が形になったのではないかと思うほど。二人からの絶賛を浴びたフィアが、面映ゆいように照れつつおかずを箸でつまむ。俺からすれば意外だったのだが……。

「そういう二人も上手いと思うけどな。リゲルもジェインも」

「まあな。俺は昔っから、ちょいちょい自炊してるからよ」

 このメンバーは俺以外、何れも料理ができるらしい。紙袋に入った大量の鶏から揚げと、たっぷりのハムとチーズ、トマトにレタスを挟んだBLTサンドという、ボリューミーな弁当を持ってきているリゲル。

「毎日トレーニングとかやってると、市販の弁当だと食い応えがなくてな。高校のときは夜食とか食うこともあったし、必要に合わせてある程度のメニューは作れるようにしてるぜ」

「子どもたちの為に、夕飯を作ることが多いからな」

 三人前くらいはありそうな量を、豪快にかっ食らっている。ジェインの弁当はかご状のバスケットに入っていて……。

 フィアのと同様、きちんと栄養バランスを考えて作られているようだ。質実にして細やかな料理が綺麗に並んでいる。眼鏡を上げる仕草。

「基本的には神父が作るんだが、忙しいときには僕やマリアも手伝いをする。自分の分の弁当を作ったりしているうちに、自然と上達した」

「なるほどな……」

「経済的なことや、利便性も考えれば、作れるに越したことはない。蔭水も――」

 三人の視線が、俺の手元の弁当に向く。――地獄の鎌底でゆで上げられたようにぐでりとした人参。

 業火で火炙りにされた焼き鮭はあちこちが焦げていて、皮などほとんど炭化している。水加減を間違えて炊かれたコメが、お粥のように並々と注がれている……。

「――まあ、続けていれば上達はするさ。諦めなければ人間、大抵のところまでは昇れるものだ」

「今どきは購買とかコンビニとかも充実してるからよ。別段、料理ができなきゃいけねえってわけじゃねえんだよな」

「今回は全部、初めて取り組む料理でしたから」

 さりげなく視線と論点を逸らした二人。フィアが気遣いと思い遣りに満ちた笑みを向けてくる。……これでも一応、教えてもらいながら作ってはいるのだが。

「失敗しても仕方がないと思います。――目標通り、オムライスの完成頑張りましょうっ」

「……微妙にフォローになってなくないか? それ」

「――ふぅかテメエ、バイトはほふひたんだよ」

 なぜ上手く行かないのかは謎だ。塩気の足りない浅漬けを味わっていたところで、唐揚げを頬張ったままのリゲルがジェインに視線を差し向ける。――そう言えば。

「前はあんだけ忙しいつってたのに。最近じゃあ一緒に飯も食って、放課後もぶらついてんじゃねえか」

「ああ。――先月から、教会にスポンサーがつくことになってな」

 俺もフィアも、そこは気になっているところではあった。綺麗に焼かれた卵焼きを、フォークで刺したジェインが持ち上げる。

「無条件で定期的にかなりの寄付をしてくれるとのことで、気乗りしていなかったバイトを幾つか減らした。金銭面の心配は当分しなくていいと、神父もほくほく顔だ」

「――」

「そうだったのか」

 胸を撫で下ろす。それならば――。

「今どき教会に寄付とか、珍しい奴もいるもんだな」

「良いことじゃないですか。親切な方がいるんですね」

「話が旨すぎて、正直寝耳に水の気分だがな。神父のツテとやらに感謝している」

「! んじゃ、オールド・パルのバイトは」

「続けさせてもらうが? 金銭面以外にも、社会勉強としてあの場所は都合が良さそうだ」

「――テメッ」

 孤児院も子どもたちも、当分の心配は要らないのだろう。テーブルを挟んでやり合う二人の悶着を、俺とフィアが仲裁して収める。いつも通りの時間。

「――提案なんだが」

 和気藹々とした会話が過ぎていき、全員の弁当が空っぽになり始める頃、バスケットのふたを閉じたジェインが、咳払いして何かを言い出してきた。

「今度の日曜、四人で遊びに行かないか?」

「――」

「最近隣町の辺りにオープンした、レジャー施設があるだろう」

 携帯を操作して、あらかじめ用意していたらしいホームページを開いて見せる。……『リバティ・ルーデンス・センター』。

「機会があれば子どもたちを連れて行こうかと思っているんだが、その下見もかねてということでな。幅広いジャンルのアトラクションを取り揃えているようだから、午前中から行っても退屈はしないと思うんだ」

「いいですね。楽しそうです」

「テメエが遊びのお誘いとはな。仏頂面のがり勉野郎だった癖に、変われば変わるもんだぜ」

「万年暇人のお前にはちょうどいいだろう。――蔭水はどうだ?」

「……ああ」

 七階建ての大型ビルの中に、室内ゲームからスポーツまで含めたあらゆるエンターテイメントが揃っているそうだ。営業時間や場所などを確認するが、特別問題はなし。

「大丈夫だ。特に予定もないし」

「よかった。十時ごろ、駅前で待ち合わせにしよう」

 考えてみれば、全員でどこかに遊びに行くというのはこれが初めて。……間違いなく楽しい思い出になるに違いない。

 充実した一日になりそうだ。期待を胸に、四人揃って頷いた。――。

 ――そして。

「――ウオッシャアああああああッッ‼」

「……くっ」

 響き渡る勝利の雄叫び。咆哮を上げるリゲルの隣で、俯いたジェインが膝を折っている。

「……」

「……えっと……」

 唐突な展開に取り残されている俺とフィア。二人を眺めていた翡翠色の瞳が、長い睫毛を揺らしてぱちぱちと瞬きする。

 予定時間通りに駅前に集合し――。

「どうしてこうなったんでしたっけ?」

「……さあな」

「どうだ⁉ 見たか小癪なメガネが!」

「……っ油断した」

 真新しいビルの内部へと入った俺たちだったが。……至極平和にゲームをしていたはずが、いつの間にか、二人の間で決闘と言わんばかりの勝負が勃発していた。

「……投げてる途中でリゲルが、〝もうばっちしコツは掴んだぜ。どうだ? 勝負すっか?〟とか言い出したのが始まりだった気もするが……」

「ジェインさんも、ノリノリで乗っかってましたからね……」

「まさか四連続でハットトリックを決めてくるとは。……貴様、本当に初心者か?」

「あったりまえよ。経験者のくせに、ハンデもつけない誰かさんとは違うんでね」

 グローブを脱いだ指を得意げに突き付けるリゲル。――地面に記されたスローイングライン(投擲位置)から二メートルと少し離れた距離にあるのは、暗めの照明の中で光を放っているダーツマシン。

 同心円状に並んだ得点エリアを鮮やかに点滅させるボードの並んだ空間で、遠くのレーンの客が訝しげに俺たちの様子を眺めている。――そう。

 LLCに入って最初に俺たちが取りくんだゲーム、それが、この四階に設置されているダーツだった。バイトで経験があるというジェイン以外は、初心者ということで――。

「有利な条件で負けてるなんぞ、なっさけねえ。こすっからい戦略を捨てて、一から練習し直した方がいいんじゃねえか?」

「……フィアの点数は」

「240点です。黄泉示さんは……」

「310点。……」

 始めに軽く投げ方の練習と、ルールの説明を受けてゲームとなった。屈辱的に顔を歪ませて手を握り締めているジェインの正面に、赤く輝いている780の文字。

 リゲルの前に表示されている、810の数字を目にする。……初心者の点数ではない。

 俺たちが遊んだのは、ダーツの中でも簡単なカウントアップというゲームなのだが、周囲を見てみても同じくらいの点数を出している人間はほとんどいない。慣れていそうな面子でチラホラ上が見える程度。

「……リゲルがおかしいんだよな?」

「はい。……多分」

 フィアなどは普通に投げると的まで届かなかったので、ボードに二歩近づいての位置からでこの点数になっている。ジェインの読み違いというよりも……。

「……」

「ふぃ~。――で? どうするよ」

 初回で難なく上級者レベルの腕前にまで達している、リゲルの運動神経が凄まじすぎるのだ。勝者の勝ち煽りは終了したのか、爽やかな顔をしたリゲルが俺たちを向いてくる。

「次の勝負はよ。不公平になっちまうし、敗者が先に決めていいことにすっか」

「……」

「えっと、その」

「……あれにしよう」

 勝負をしに来たわけではないのだが。迷っている俺たちの隣で、膝を突いたまま固く口を結んでいたジェインが、同じフロアにある別の方角を指し示した。

 あれは――。

「――何かと思えば、球突きかよ」

 ――ビリヤード。カウンターでチェックを受け、人数分のキュー・スティックと、滑り止めに使うブロック状のチョークを受け取る。余裕しゃくしゃくと言った様子のリゲル。

「楽勝じゃねえか。こりゃあっさり二連勝もらったな」

「――ルールはオーソドックスなベーシックゲームでいこう」

 まだ開店して一時間程度のせいか、スペースはそこまで混んでいない。隣り合う二つのテーブルを確保した俺たちの中で、近くにあるルールブックに目を通すジェインが、リゲルの挑発を無視した口調で説明していく。

「十五の的球(まとだま)を全部使って、より多くの球をポケットに入れた方が勝ち。慣れるまではお互い試し打ちをして」

「そうですね」

「余り早く終わってもつまらないから、五ゲームで多くのセットを取った方が勝利ということにしようか。僕とリゲルが同じ台」

「おうし!」

「蔭水とカタストさんが同じ台。交代するかどうかは、時間を見て決めればいいか?」

「そうだな」

 ルール的に問題はない。さっきのダーツの件を考えても、リゲルとジェインの卓はハイレベルなゲームになりそう。

「んじゃ、俺が一番手(ブレイクショット)行くぜ」

「――練習はしなくていいのか?」

「ただ(つつ)いて入れるだけだろ? 要らねえっての、そんなもん」

 俺やフィアでは相手が務まらなさそうだ。リゲルは勝負にノリノリのようだが――。

 敗戦を経て落ち着きを取り戻(クールダウン)したらしいジェインは、既に相手にしていないように見える。……よかった。

 そこまで殺伐とした事態にはならなさそうだ。経験者の身で初心者を負かそうとしたとはいえ――。

 勝負後のリゲルの煽りも中々のものだったので、正直不安があった。……今日は四人で遊びに来た日。

 以前のオールド・パルのようなことになってしまっては、レジャーの雰囲気が台無しだろう。フラグになりそうな台詞で手をひらひらと振って、台についたリゲルがキューを構える。感覚で構えただけのように見えるが。

「一発で半分以上入れてやるぜ。いくぜ――」

「――」

「うらぁっ‼」

 すでにそれなりに堂に()っている。――気合一閃。

 空気を焼き焦がすような豪速で突き出された革製のタップ(先端)が、弾丸の如き威力で撞いた手球をトライアングルに直撃させる。爆発するように弾け飛んだ色とりどりのボールたちが――‼

「――っ」

「いよっし! 入れ! 入れッ‼」

「……」

 四方の壁と球同士で激突し、跳ね返り、いつどれがポケットに落ちてもおかしくない勢いでエリア内を蹂躙する。縦横無尽の激走を、固唾を飲んで見つめるうちで。

「……!」

「――ッなんだとぉ⁉」

「――角度、力、コース、入れるイメージ」

 思い思いに躍動したボールたちは、一つも入ることなく。バラバラの位置で静止しているのを目にしたリゲルが絶句する。俺たちの後ろから、眼鏡を押し上げたジェインが静かに台の近くに歩み出てきた。

「全てが揃ってようやくポケットに入れられる。力と運動神経だけではな」

「……っ!」

「数打ち当たりに期待するなどもってのほか。――ビリヤードは、計算のゲームだ」

 講釈のあとで台に着く。……雰囲気が違う。

 (よわい)を経た勝負師のような目つき。構えのために手にしたキューを半回転させる、その仕草でさえ既に一分の隙もない。長年慣れ親しんだ得物のような――。

「必要なのは戦略を導き出す頭脳と、それを実行に移せる技術」

「――」

「己の無知を悔いるがいい。――【輪を踊る月光(ムーンライト・ロンド)】」

 円熟した動作で、リゲルより遥かに洗練されたフォームを取る。纏った気迫に息を呑む俺たちの前で、昂らない冷静さを込めた眼でショットした。技名(・・)――⁉

「――うっ」

「ああっ!」

 まさかの宣言に驚く(ひま)もなく。前からすれば軽すぎると思える手つきで()かれた手球が、真円に近い軌道を描いて三つのボールにタッチしていく。一番、二番。

「……ッ‼」

「――コンプリート」

 三番。番号通りの順番で押された的球が、導かれるようにするするとポケットに落ちる。役目を果たした手球が……。

「……!」

「っ凄い……!」

「――二手目はくれてやる」

 プレイヤーの再ショットを待つように、始めにジェインが撞いた箇所までゆっくりと戻っ(リターンし)てきた。――凄まじい腕前。

 構えを下ろしたキューとは反対側の中指で、ジェインがクールに眼鏡を押し上げてみせる。……謎の技名が全く違和感になっていない。

「番号順に狙う必要もないが、併せてハンデだ。精々足掻いてみせるんだな」

「ッ、上等‼」

「……やってたことがあるのか?」

 肩に掛かるプレッシャーを振り払うように勢い込んで台に向かうリゲルを目に、柱の近くまで下がったジェインにこっそりと尋ねる。流石に未経験者ではないだろう。

「昔、地下のクラブで清掃のバイトをしていたことがあってな。休み時間に店員同士でよく遊んだ」

「道理で……」

「ダーツの腕もそこで磨いたものだ。学園に入ってしばらく離れていたが、今でも並みの常連くらいならあしらえる」

 光を反射するレンズの奥から、ジェインの理知的な瞳が、冷徹にスーツの背中を捉える。……落ち着いていたわけではない。

「蔭水はカタストさんと、ゆっくり楽しんでくれ」

「……っ」

「僕はあの思い上がったイノシシを仕留めておく。時間をかけて念入りにな」

「……ほどほどにな」

「いよっし! 一個入ったぜ‼」

 先の敗北から反省点を洗い出し、確実に仕留めるプランを用意していた。肩をいからせたリゲルが戻ってくるのと入れ替わりに、台を離れる。……今は手を出すべきときではないのかもしれない。

「とっととかかって来いよ。怖気づいたか?」

「そう焦るな。すぐに絶望を教えてやる」

「……こっちも始めるか」

「そうですね」

 ダーツでの経緯がある以上、殴り合わなければ落ち着かないこともあるだろう。聞こえてくる喧騒を尻目に――。

「……えっ、と」

「ゆっくりで大丈夫だ」

「はっ、はい」

 何度か練習をし、じゃんけんの結果として、先行はフィアからゲームを始める。初めてのゲームのせいか。

「……っ」

 手球に向かって構えるフィアは、慣れないように位置を調整している。足首の上までを覆う白色のスカートが、キューを持つ腕の動きに合わせて僅かに前後に振れる。……銀白色の髪。

「……よし」

 エリアの全面を覆う、グラスグリーンのラシャに映える長髪が、乗り出した背中の上を淡雪のようにサラサラと流れていく。ポジションを確定させたフィアが、慎重に狙いを定め――。

「――えいっ!」

「――」

「――あ」

 インパクトの瞬間、力み過ぎたのか、指先から外れたキューの軌道がずれる。中心を外れて突かれた手球は、力なくクルクルと転がって。

「……」

「もう一回でいいぞ」

 三角の陣形を、微塵も揺らがすことなく止まった。――そんなこんなで。

「だーっ! くっそー‼」

 ゲームを終え。ビリヤード場をあとにした俺たちは、真新しい通路を進んでいる。地団太を踏みかねない勢いのリゲル。

「あそこで一発が決まってりゃあな! まだ勝負は分かんなかったってのに」

「あの状況からでは、どう足掻いても逆転は不可能だったがな」

 冷静に言うジェイン。結果的に最後まで同じペアでゲームをすることになり――。

「お前が全部の的球を入れない限り、どこからでもショットを決められる。見苦しい自己弁護は止めるべきだと思うが」

「ダーツじゃ震えあがってたくせに、よく言うぜ。まだイーブンになっただけ、本番はこっからだろうがよ」

「結構難しいんですね……」

 リゲルとジェインの方は予想通りジェインの圧勝。俺とフィアは勝敗というよりも、お互い協力してどうにかゲームを進めるという感じになっていた。……確かに難しい。

「ビリヤード。初めてやりましたけど」

「そうだったな」

「――どうする?」

 手球、的球、ポケットの位置が綺麗に一直線に並んでくれればいいが、そうでない場合、初心者同士だとしばらく的球が入らない膠着状態が続くことがちょくちょくあった。ジェインが、エレベーター前のフロアマップを目で示す。

「上の方にもレストランフロアがあるみたいだが。この階や途中にも、カフェテリアなんかがあるらしい」

「結構色々ありますね……」

 ――時刻は十一時五十分。

「下にはフードコートもあるみてえだけどな。まだ昼ちょい前くらいだし、どこでも入れねえってことはないんじゃねえか?」

「うーん……。どうしましょうか」

「そうだな――」

 悩むところだ。案内板を見つつ、意見を出し合った結果――。

「――」

 ざわめく熱気。広々とした敷地のあちこちから、年齢も人数も様々な人の気配が聞こえてくる。――フードコート。

「おお、こりゃビックリだな」

「結構混んでますね……」

「まだ空いてはいるがな。多少早めでよかったと言うところか」

 吹き抜けの空間には百を超える席があるが、七割くらいは既に埋まっている印象だ。見渡しつつ、通路付近の四人テーブルを取る。椅子に荷物を置いて。

「荷物は俺が見てる」

「りょーかい。ちゃちゃっと選んでくるぜ」

「早目に選んでくる」

「ありがとうございます。……」

 小さく頭を下げたフィアと、自分たちにだけ分かるようアイコンタクトを交わす。――今日という日のため。

 フィアにはあらかじめ、ある程度の現金を入れた財布を携帯してもらっていた。身寄りのない状態で家に間借りしている以上。

 フィアと俺の財布はイコールで、普段の買い物や食事のときなどは、基本的に俺が支払いを済ませている。……今回それはマズい。

「いよっし。宣言通り、ちゃちゃっと選んで来たぜ」

「……早いな、貴様」

 記憶喪失や同棲の件を話していない以上、二人にバレればあらぬ誤解を招くだけだ。最速で番号札を持ってきたリゲルと、やや遅れて反対側から現れたジェインを迎えて――。

「ラーメンの方は結構混んでたな。列ができかけてたから、行くなら早目の方がいいと思うぜ」

「バーガー屋を選ぶのはお勧めしない。前にあそこの系列店で食べたことがあるが、良くも悪くも無難という印象だった」

「分かった」

 遠くの方で選ぶのを迷っているらしいフィア。揺れる白銀の光沢を視界に収めつつ、席を立った。

 ――十分後。

「――」

「――そういやさっきさ」

 鳥の香りの立ち昇る白湯(パイタン)スープから、熱々の中華麺をすすりつつ喋るリゲル。――全員のメニューが揃い。

「ビリヤードやってるとき、凄え美人がいたよな」

「そうだったか?」

「ああ、いたな」

 食事に(いそ)しみながら会話を交わす。頷くジェインの手元には、鮮やかなクミンの色をしたドライカレー。

「キツイ感じをした青髪の美人で、飛び入りの挑戦を受けている様子だったが、入って来た男たちを軽々とあしらっていた」

「そんな人がいたんですか……」

 俺は無難なミートソースパスタで、フィアは目玉焼きの乗ったガパオライスを食べている。フードコートという利点を存分に生かしているのか。

「あれはほぼプロ並みだったな。愚にもつかない素人の相手さえしていなければ、一戦申し込みたいくらいだった」

「そしたらボコられてるテメエが見れたってわけか。残念至極だぜ」

「全然気づかなかったな」

 国際色豊かなメニューが多いようだ。フィアとのゲームに集中していたせいで、周りには余り気を配っていなかった。

「ダーツのとき、元気のいい二人組がいるのは見たけど」

「元気?」

「いましたね。高校生くらいの女の子二人で、コントみたいにはしゃいでいたというか――」

「あー! いたなそういや」

 声のトーンを上げたリゲルが箸でこちらを指し示す。

「ウサギみてえにぴょんぴょん跳ねてたの。やたらめったら動くから、つい視界に入れちまってたぜ」

「食器を人に向けるな。汁が跳ぶだろうが」

「うるせえな。素人に負けたのが悔しすぎて、周りに目も向いてなかったくせによ」

「……今ここで間違いを正してやってもいいが……」

「――待て待て」

 剣呑な気配を放ちかけ始めたジェインにストップをかける。……まあ。

 これだけ人が来ていれば、中には目立つ人物もいるということだろう。周りからすれば俺たちもさぞかし目立つグループなのかもしれないなと、そんなことを思い――。

「一緒に持ってくるか」

「あ、済みません」

 済まなさそうなフィアから空のコップを受け取って、給水機の近くへ行く。……本当に人が多い。

 できてからまだ間もない施設だが、この分なら経営も安泰なのではないだろうか。何とはない想像を巡らせつつ、水を注いだコップを持って戻る――。

「――おっと」

「あっ」

 その途中。通り過ぎる人の背後から出てきた、一つの影に腕がぶつかる。――しまった。

「済みません。不注意で――」

「ああいや、いい」

 ぶつかってしまった相手は、立った状態からつむじが見えるくらいの小柄な女性。暗めの髪色をしており。

「こっちも不注意だった。気にしないでくれ」

「済みません」

 一つにまとめた長めのポニーテールに、背丈の小ささには似合わない、クマのある眼つきを逸らして去っていく。……気のせいだろうか。

「ありがとうございます」

「ああ」

 どこかで見たことがあるような気がしたのだが。記憶を探りながら席に着く。……まあいい。

「つうか適当に選んだけど、割と美味いなこれ」

「全体的にアタリのようだな。カレーもスパイスが効いている」

 思い出せないということは、そう大したことではないのだろう。ジェインたちの声を聞きつつ、残りのパスタをフォークに絡め取った。


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