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彼方を見る者たちへ  作者: 二立三析
第二章 学園での出会い
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第二十一話 己の戦い




 ――崩れた空模様。

「……」

 空にかぶさる灰色の緞帳(どんちょう)。外部の熱も振動も伝えることのない分厚い窓ガラスの外を、叢雲から降る時雨が覆っている。……雨。

 人の手による工作が為される前の土であればいざ知らず、安定した足場という一面を重視した石畳やアスファルトの路面では、水は染み入ることなく流れていくしかできない。地に砕けて随所で別の水滴を作る雨だれを見るたび、リゲルには思い出されることがあった。……。

 ――全てを失ったあの日。

 濡れた血の臭い、血で染まった拳の感触。両腕に刻まれた古傷が、忘れられぬ痛みを思い起こすように熱を持ち始める。……大丈夫だ。

「――もうじき来るようだよ」

 あの日のようにはならない。距離をとって背後から掛けられた声に、リゲルが握り締めていた拳を解いた。

「いきなりの雨で、道が少し混雑しているらしい。二、三分と言ったところかな」

「……ああ」

「予報にない雨も最近では珍しくないね。気まぐれに羽ばたいている蝶でもいるんだろうか?」

 部屋の中央には、いつもと変わらない雰囲気の父親。ファミリーのドンであるレイル・G・ガウスが、空間の(あるじ)として佇んでいる。揃いのように似たダークスーツに。

「気象の構成要素は極めて複雑かつ混沌としたものだから、元からそれを予想するなんてことができない話なのかもしれないけれどね」

「……」

「それにしても――」

 自分と黒白の対照を成している手袋の色。平時であれば略されている、胸元から覗いているシルクのハンカチが、今日がレイルという人物をもってしても正装で臨むべき日であることを教えてくれている。意味ありげな視線を差し向ける、切れ長の瞳。

「リゲル君が突然頼んでくるものだから、驚いたよ」

「……」

「普段はあれだけ力を貸してほしくないと言っているくせに。飛び入りの用とはいえ、五日前に言ってくるのは中々の無茶振りだね」

 そつのない微笑のまま、棘を刺すような台詞を吐かれる。リゲルとしては返す言葉もない。

「タイミングが良かったから線が通ったけど、同じ手は二度と使えないと思った方がいい」

「……分かってる」

「うん。現状勢いでうちが優位とはいえ、相手も力のあるファミリーだ」

 成すべきことに自分の力が及ばず、レイルの手を借りざるを得なかったのは事実だ。これから会うことになる人物。

粗相(そそう)をすれば庇い切れるか分からない。失礼のないようにね、リゲル君」

「……ああ」

 その素性を今一度考えたリゲルの拳に力が籠もる。気配を鋭くした息子にレイルが微笑んだところで、階下から水を弾いて止まるタイヤの音が響いてきた。

「――っ」

「――行こうか」

 ――階段。

「――ったく」

 自然な足取りで進むレイルのあとに続いて、リゲルは一階のホールへと降りる。一目見て来客用と分かるような。

「外出だってのに、いきなりの大雨だ。まったく最近の陽気はどうなってやがるんだか」

「――やあやあ」

 品のある装飾を施された空間から聞こえてくるのは、声。馴染みとなるレイルの部下たちに導かれる形で佇んでいる、水を含んだ重い空気の纏わりついている一行の中へ、隙のない笑みを浮かべたレイルが歩み出ていった。

「私の別邸へようこそ。招きに応じてくれて感謝する」

「――」

「歓迎するよ。名だたるアルバーノのドン、ビアッジョ」

「――ふん」

 返されたのは鼻を鳴らす短い意気。背後の取り巻き二人が揃って表情を引き締めるのを尻目に、コートの肩に付いた水滴を払い除けつつ、恰幅の良い、五十代程度の男が圧のある眼差しをレイルに差し向けた。

「世辞はいい。他所から来た一代の新参とはいえ、躍進目覚ましいあんたんとこだ」

「……」

「声を掛けられちゃあ、断れる奴は界隈にいないだろうよ。事実上の命令ってわけだ」

「事実とはいえ、他人の口から言われると照れるものだね。とりわけそれがあの、伝説のビアッジョの言葉ともなれば」

「はっ、心にもないこと言いやがって」

 茶けたひげを蓄えた口の端に咥えられているのは、パナマ産の太葉巻。被っていた灰色のポーラーハットを預け、差し出されたレイルの手を取りながら、気色を失わない厳めしい眼光で笑みを浮かべる。マフィアとして最大級の勢力を誇る五大ファミリーの一角。

「……」

「――で?」

 最も長い歴史と伝統を誇るアルバーノファミリーのボスであり、影響力ではレイルに引けを取らないと言われている人物。握手を終えた手が主たちの元へと戻り、社交の笑みが消えると同時に、場に満ちる空気が緊張を増した。

「用件はなんだ。呼び出しの仕方を見るに、随分急な用事らしいが」

「――実はうちの息子が、ぜひ貴方に会いたいと言っていてね」

 タイミングを合わせて前に出る。自身の横に並んだリゲルを、笑みを崩さないままレイルが目で指し示す。

「何やら話があるそうなんだ。まだまだ浅学の青二才ではあるが、胸を貸してやってくれると嬉しい」

「ああ……」

 そつのないレイルの微笑みが示す先を、気のない視線でビアッジョが軽く一瞥する。小さく一礼したリゲルのスーツの端に目をくれて、不機嫌そうに、つっけんどんな口調で口を開き直した。

「この前オールド・パルで騒ぎを起こしたっつうボンボンか。こりゃまた、随分詰まらねえ用事で呼びつけてくれたもんじゃねえか」

「詰まらないかどうかは、貴方が直接判断してくれたまえ。――では」

 仲介者としての役割を終えたレイルが、スムーズに身体を引く。笑顔を崩さないまま。

「客人を前にして不躾とは承知しているが、私たちは一旦ここで席を外させてもらうとしよう」

「――」

「ファミリーのものがいては、お互い話し辛くなることもあるだろうからね。何か用があれば、表の部下に声を掛けてくれたまえ」

 躊躇いなく反転したレイルと部下たちが、階上へ姿を消す。遠くなる足音の向こう。

「――」

 扉の閉まる音が聞こえたのち、ホールに残されたのはビアッジョを含むアルバーノファミリーの三人と、リゲル一人となった。……沈黙。

「……」

「……ドン・ビアッジョ」

 ビアッジョの肩越しに注がれる部下たちの視線を意識しつつ、リゲルは改めてゆっくりと前に出る。僅かのミスもあってはいけない。

「この度は、わざわざご足労願って……」

「――おい」

 自分の今いるこの場では、歩き方一つ間違えても失敗する。剣が峰に踏み出す心境で声の震えを押さえたリゲルの挨拶に、ビアッジョが顔を背ける。

「手帳見せろ。明日の予定をチェックしとかなきゃならねえ」

「――はい」

「……どうしても話したい件がある。あんたのところに――」

「レイルん奴には、あとで苦情入れとけ。――美味くねえな、この煙草は」

 取り合う気すらない。目の前のリゲルに一瞥もくれることなく、葉巻を吸ったビアッジョが眉をしかめ。

「香りに活気がねえ。いつもの店から仕入れてんのか?」

「はい。間違いなく」

「代が変わっててんてこ舞いしてんのは分かるが、これじゃあ引き継いだとは言えねえな。不作が続くようなら取引先を変えろと、先方に伝えて――」

「――ドン・ビアッジョ」

 膝を突く。罪人のように差し出した(こうべ)に、流れるようだった会話が、一拍途切れた。

「……頼む。話を聞いてくれ」

「……」

 ひたすらに首を垂れる。見られているのかも定かではない。

 自分の行動の正しさに、命運の全てを懸ける。息詰まるような長い沈黙のあとに――。

「――それでいい」

 発されたビアッジョの声。三人の靴を目に映しているリゲルの頭上で、合図を受けたらしい部下が、差し出した新しい葉巻に火をつけた。

「最初からそうやって、下手(したて)に出てりゃあいいんだ。親父の力を借りて呼びつけた若造が」

「……」

「いっちょ前に話そうなんてのが間違ってる。ガキだろうが何だろうが、対面に漕ぎ着けた以上、筋ってもんを通さねえとな」

「……ああ」

「――で?」

 つま先の仕草で、立ち上がるようビアッジョが促す。立ち上がって顔を向けたリゲルに、目の染みる濃い煙を吹き付けて。

「話ってのはなんだ、ボウズ」

「……あんたのところに、エアリー教会の地上げの話が上がってるはずだ」

 瞳を合わせないまま、気のない様子でビアッジョは尋ねてくる。――ここからだ。

「そういやそんな話があったかもしれねえな。それで?」

「――拒否して欲しい」

 第一関門はクリアした。自分の要求を通すなら、ここからが本当の正念場になる。リゲルの喉に自然と力がこもる。

「ファミリーの中でも有数の勢力を持つあんたのとこにとって、地上げは数ある収益手段の一つでしかない」

「……」

「元からぼろい教会一つ。孤児院ってことを考えても、旨味のある土地じゃあないはずだ」

「――なるほどな」

 リゲルの指摘に対し、葉巻をくゆらせるビアッジョが鷹揚(おうよう)に頷いてみせる。――そう。

 この五日間。エアリー教会が見舞われた地上げの件について、リゲルはレイルの情報網を借りて徹底的に調べ上げた。――特別な資産価値はなし。

「考えねえ話じゃねえ。あの話はこっちとしても、そこまでカネになると思ってるわけじゃあない」

「……!」

「お前の言うように、数ある仕事の一つ。どうしてもって言うんなら、中止って選択肢もあり得るわけだ」

 個人的な投資の話、企業による開発の話なども出ていない。身寄りのない子どもたちが現に寄り場として生活している以上、追い出せば余計な不名誉を(こうむ)ることにもなりうる。――なぜこんな話が上がっているのか。

「なら――」

「――で?」

 事情を知る人間であれば、不思議に思うほど旨味のない話なのだ。手ごたえを感じて勢い込んだリゲルの言葉を、冷め切った、ドンの眼差しが押し留める。問い掛けてくる視線。

「その話を(ことわ)って、俺たちにどんな旨味がある?」

「――!」

「例え気乗りがしなかろうと、仕事は仕事だ」

 当然のように紡がれる先。傷痕の残るビアッジョの指先が、葉巻を唇から離す。

「あの土地の件をどう処理するかは、こっちでとっくに算段がついてる。知ったかぶりのガキに言われなくとも」

「――」

「前々からな。――人にものを頼むときってのは、それなりの条件を示すもんだ」

 見下した視線がリゲルを貫く。道理を知る前の子どもに言って聞かせるような。

「お前の言う、旨味のねえ土地の為に、わざわざ動いてくれてる連中もいる」

「……」

「関わった全員が納得するだけの理由。ファミリーとして得のある選択肢を示せなきゃ、まるっきり話にもならねえな」

 突き放すような宣告。……ッ。

「……ボス。そろそろ」

「――ああ」

 対価の要求にリゲルが唇を結ぶ前で、部下の促しを受けたビアッジョが葉巻を咥え直す。……そうだ。

 相手はレイルと同格である、五大ファミリーのボス。ただの頼み事で動く道理もない。

「もうそんな時間か。閑暇(かんか)を無駄にしちまった――」

「……ある」

「ん?」

「旨味なら、ある」

 そもそもマフィアのファミリー同士は全て、利得を求めてしのぎを削り合う間柄。レイルのファミリーに権勢を損なわされたことを考えれば、アルバーノが友好的であるはずもない。

 相手の乗るその動機だけについては、己自身で作り出さなくてはならないのだ。去り際の足を止めたビアッジョに――。

「――あんたのところは、()に貸しを作れる」

 最後にもう一度だけ決めて、口を開いた。思いのほか気負いなく出た台詞に、ビアッジョの眼が微かに丸くなる。

「そいつが旨味だ。ドン・ビアッジョ」

「……」

 突き付けた台詞。

 帽子を被ったままのビアッジョが、奇妙なものを見るような目でリゲルを見つめている。後方に控えた部下たちが、豆鉄砲を食ったような顔をしている。

「……くっ」

 誰も何も口にすることはない。時間が止まったのかと思える静寂の檻を――。

「――くはははははははッッッ‼」

「――」

「いやあっ! こりゃあ参った!」

 (にわ)かに爆発した、ビアッジョの哄笑が引き裂いた。崩れた口元に、咥えられていた葉巻が吹き飛ぶ。

「貸し、貸しねえ⁉」

「――」

「ファミリーにも入らねえ半端もんが、随分と大きく出たもんだ! クハッ!」

 抱腹に身体を折り曲げ、膝を叩いてなおビアッジョの絶倒は止まらない。耳にしたセリフがおかしくて仕方がないのか――。

「言うに事欠いて、〝俺が貸し〟だとよ! 身の程知らずもここまで来ると笑っちまう!」

「……」

「――っ、それで?」

 突然の反応に対応を決めかねているような部下たちの前で、涙目になりつつ、ひーひーと乱れていた呼吸をビアッジョが整える。指で目元を拭い、とびっきりのジョークの落ちを求めるような口調で。

「お前に貸しを作ってどうする? 困ったときボウズに声を掛ければ、パパにお願いでもしてくれるってのかい」

「――親父は関係ねえ」

 ――食い縛れ(・・・・)

 流されればそれで終わる。渾身の覚悟をもってリゲルは真剣を叩きつける。弛んだ弧を描いたままの瞳を――。

「これは、あんたと俺の(・・・・・・)話だ。ビアッジョ」

「……」

 己の気力で殴り飛ばすよう。口元と眉尻に描かれたビアッジョの笑みの残滓が、リゲルの視線を受けてゆっくりと消えていく。

「……」

「――貸しと言ったな」

 リゲルの切った啖呵に、背後の部下が息を呑んでいるのが見える。次にまた口を開いたとき、葉巻を咥え直したビアッジョの双眸には、威厳のあるドンとしての落ち着きが戻っていた。

「そいつを対価と言うからには、お前にとってどれだけ重みのある貸しなのかを確かめないことには始まらねえ」

「……」

「土地の代わりにならない程度なら終いだ。そうだな?」

「……ああ」

 此方の意志を確認してくるビアッジョ。短くも明瞭なリゲルの返答に、煙を吐き出しながら満足そうに頷いた。

「――レイルを殺れ」

「――ッ」

 ――冷徹な台詞。

「⁉ ボス――ッ⁉」

「あの野郎は怪物だが、不死身の化け物ってわけじゃねえ」

 端的に突き付けられた要求に、リゲルの思考が空転する。部下の狼狽えようなど知ったことではないように、明瞭な口調でビアッジョが続けてくる。……レイルを。

「殺り方はどれでもいい。一つ屋根の下にいる家族なんだ」

「……」

「その気になりゃあ幾らでも手はある。お前が本気になりゃあできるだろう?」

 怪物のようなあの父親を、殺す? ……。

 ……考える。

 突き付けられた言葉の意味。カフェテリアでなされる世間話のような気軽さではあるものの、リゲルを見つめるビアッジョの(おもて)に描かれた瞳は、ただの少しも笑ってはいない。有無を言わせない。

「……」

「……今の俺には無理だ」

「――ほう?」

 本物のドンの湛える圧力。五感を封じ込めるようなプレッシャーの中で、絞り出すように答えを口にする。続きを問うようなビアッジョの、その眼差しを見た。

「――十年」

「――」

「十年待ってくれれば、望みに応えてみせる」

 ――僅かでも気を抜けば折られるだろう。

 全身全霊を以て踏み止まっているリゲルの瞳を、値踏みするような視線でビアッジョが覗いてくる。……数秒の拮抗。

 ――笑っていない(・・・・・・)

「――いいだろう」

「――⁉」

 自分を見つめるビアッジョの表情は、初めて真顔を描いている。そのことに気づいた瞬間。

「その条件で頼みを聞いてやる。借りを忘れればどうなるか」

「――ッ、分かってる」

「よし」

 突然の承諾に、背後にいる部下たちの驚愕が響く。一も二もなく頷いたリゲルの態度に、納得したように首肯して。

「――帰るぞ、車回せ」

「ぼ、ボス⁉」

 (きびす)を返して歩き始めたビアッジョを、事態を飲み込めない部下たちが追いかけていく。閉まる扉の向こうに姿が消えるまで――。

「……ッ!」

 気を張っていたリゲルの、緊張が解ける。一気に溢れ出る疲労。

「……ふぃ~……っ」

 己を懸けた博打の戦果を手にした、リゲルが尻餅をついた。



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