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彼方を見る者たちへ  作者: 二立三析
第二章 学園での出会い
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第十八話 招かれざる客人


 ――講義終わり。

「――よーう」

 帰り支度をしている肩に、黒革の手が置かれる。馴染みのある相手。

「リゲル」

「早目に終わったんでな。なに辛気臭え顔してんだよ、二人とも」

「いえ……」

 会話もなしに片づけをしていた姿は、傍からすればそう見えたのかもしれない。笑顔を見せるフィアの表情も、なんとなく心ここにあらずといった感じがして。

「気持ちは分かるぜ。念仏みてえに難解な講義を聞いてちゃ、気も詰まるよな」

「――まあな」

「部屋の中にいるからよくねえんだよ。勉強は終わったんだし、外に出ようぜ」

 ――。

「――くーっ!」

 帰り道。遮るもののない開放的な空間の中で、隣を行くリゲルが、ジャッカルのように大きく伸びをしてみせる。

「やっぱ外はいいなぁ。今日もいい天気だし」

「だな」

「羽も伸ばせて空気も美味い! 夏だとあれだけど、秋だとこんくらいがちょうどいいよな」

「そうですね――」

 街での空気はともかく、確かに今日はよく晴れている。涼し気に肌を撫でていく風に、髪の端を梳かせたフィアが目を細める。――遠くの景色。

 赤みの差した黄金色に染まっている浮雲と、遠く群れ成して飛ぶ鳥たちを秋穹(しゅうきゅう)に眺望する。夕暮れ時に移りかけている街並みの中で、そのまま暫し足音が続き――。

「……悪かったな」

 呟かれた一言。振り向いた視線に、リゲルが先の空を見つめている。

「ここんとこ、振り回しちまって。色々面倒も掛けることになっちまった」

「――いや」

「これからは一段気合入れて、二度とあんなことがないようにするぜ。――だ、か、ら」

 大袈裟と思うくらい元気にあふれた笑みを浮かべて、ぐっと胸を張った。

「あの野郎のことは、忘れようぜ」

「――」

「俺も怒りをぐっと飲んで忘れるからよ! そいつが大人の対応ってもんだよな」

「そう……ですね」

 前を向くリゲルに、少しの迷いを覗かせるようなフィア。……気にはなっている。

 あの日以来。特に顔を合わせることもなくなったジェインだが、講義の被っている教室ではちょくちょく目にする機会があった。……いつも通りの姿勢。

 いつも通りの授業態度。教室の後ろから見て取れるジェインの姿は、俺たちとの件がなかったことになったのかと思うくらい、全く何事もないようでいて。

 だからこそ、気になっている部分がある。最後まで消えないでいたリゲルへの敵意。

 去り際のあの表情。何も聞いていないという台詞――。

「……」

 ……だが。

「――そうだよな」

 溜め込んでいた思考を、息と共に吐く。

「気にしててもしょうがない。もう、終わったことだからな」

 ――本人が、自分から関わらないでくれと言ったのだ。

 誰が強要したわけでもなく、なら、それ以上どうすることもできはしない。……助けを求められているわけでもなく。

「そうそう。気にしている方が、身体に毒だぜ」

 助けが必要な状況でもない。ジェインの言うように、バイトや勉学にかけるべき時間を俺たちに取られることになっていたのなら、関わり合いになろうとするのはむしろ好ましくないことになる。……ジェインは既に、自分のやり方で努力している。

 あの教会に迎えられてからずっと、そうしたやり方でやってきたのだろう。ジェインが誰のために、どんな努力をしていようと――。

「……だな」

 関わりのない話ではないか。






 ――ッ。

 午後六時。

 徒歩で教会へ向かうジェインは、足のふらつきを覚えて意識に喝を入れる。……昨日の就寝は午前四時前後。

 これまでの講義の復習と、今後の課題となる範囲の予習をしているうち、いつの間にか夜が白み始めてしまっていた。……短時間睡眠での行動には慣れている。

 元から睡眠時間は短いとはいえ、それでも三時間を割る日が続いたなら、流石に体調に響いてくるのも事実だ。綿密なスケジュールをこなすには、抜かりのない集中力と思考力とが不可欠。

 思わぬ事故を起こさぬよう、一層気を張り詰めなければならない。今の疲労が即座に破綻に繋がることはないが……。

 ――このところ、小さな綻びが目立ってきている。

 一昨日のバイトでは、簡単な順番の手違いを酷く注意された。面目ばかりを気にする先達からの仕事ぶりに対するやっかみだと分かってはいるので、返答ついでに二、三の難事をこなして黙らせた。

 学園では、マフィアの暴力バカに二度も付き合わされる羽目になった。目に映るような実害はなかったが。

「……あの留年ゴリラが」

 思考と時間のリソースを割かれた分、疲労と腹立たしさはそれなりに大きいものとなっている。……シトー学園。

 特待生の立場を得て通うことになったその場所も、今のジェインにとってはあまり居心地のいいものではなくなっていた。人間関係にしか興味のないようなクラスメイトたち。

 友人を得て揚々とはしゃぎ出したグラサンマフィア。講義をサボっていた時期には無視していればいいだけの置物だったが、講義に参加するようになってからは、精神を逆なでる天敵にも等しい人間になっている。……なぜ。

 ――なぜあんな人間が、のびのびと笑えている?

 高校のときに、あれだけのこと(・・・・・・・)をしでかしておきながら。苦労して得たはずの自分と同じ場所にいて、あまつさえ、同じような顔つきで講義に参加しようとしている。リゲル・G・ガウスという人間が認められていることそれ自体が……。

 ジェインにとっては、受け入れ難い問題としてあった。生き伸びるために何の努力もしていない。

 必要もない乱闘に(うつつ)を抜かし、親の権勢に寄生して生きてこられた害虫。何の自責も自省の念もない。

 その自由な奔放さが、ただただ腹立たしく(しゃく)に障る。――だからあのとき。

「……」

 愚かだと知りながら、つい思いを声にしてしまったのだ。……思考が淀んでいる。

 益体もない雑言に陥っている自分を覚えて、ジェインは小さく息を吐く。……つまらないことに気を(わずら)わせている余裕はない。

 明日は一限だが、学園の前に臨時のシフトが入っている。店長が好みの外見のバイトを贔屓するつまらない仕事ではあるが。

 やめるわけにはいかない。直面している事態を考えるなら、今は少しでも金が必要だ。

 少しでも。行きなれた帰路の途中で、ジェインは足を止める。出迎えてくる子どもたちに気付かれないよう。

「……ふー……」

 一つ横の通りに入り、眼鏡をずらして目元を強くもみ込む。……今日は夕飯の支度がある。

 年少組の勉強を見て、学園の課題も進めておかなくてはならない。頭の奥に響く鈍痛。

 数日前から消えることのないそれを覚えながら、眼鏡を掛け直す。教会への道を曲がり――。

「――ッ()めてんじゃねえぞ‼」

 聞こえてきた罵声に、足を止めた。……ああ。

 当事者であるはずなのに、他人事のような思いがする。……また。

 ――また(・・)あいつらだ(・・・・・)

「ふざけてんのかババア。とぼけた面しやがって」

「なんと言われましても、ここは明け渡せません」

 威圧的なスーツに身を包んだ黒づくめの二人。門の前に立つ男たちの前に、エアリー神父が立ちはだかっている。

「子どもたちにとっての大切な居場所です。正当な理由もなしに、それを奪おうなど――」

「――意外と強情なんだな、神父さん」

 赤ら顔をいからせる小太りの男の横に、長身の男が立っている。頬に刻まれた十字傷に。

「渡世の理屈が分からない齢でもないだろうに。――ファミリーの名前を持つ俺たちが退けと言ったんだ」

 飴色のサングラス。どことなく素人臭い小太りの男とは、雰囲気が違う。裏の世界を潜り抜けてきた人間だけが持つ空気を覗かせて、男がエアリーに視線を送る。

「あんたらはそれを聴いて、素直に引き下がればいい。何もかもそれで丸く収まる」

「お断りします」

「こんのババア――!」

「――随分と(さら)い易そうだよな」

 怒りもせずに、隣の仲間を制しながら言う。

「この教会は。子どもってのは案外、高く売れる」

「……!」

「気をつけるといい」

 教会の尖塔を見つめていた男が、顔色を変えたエアリーの前で、悠々とタバコに火をつける。煙越しに注がれる無機質な眼差し。

「俺たちのファミリーは決してそんな真似はしないが。金に困ったそこらのゴロツキが、何かの間違いで手を出さないとも限らない。壁も直せないような教会なら猶更な」

「ひっひ。そうだぜ~?」

 明白な脅迫。男の威を借りた小太りの男が、下卑た笑みを浮かべる。

「ガキが攫われちゃあ大変だ。精々戸締りには気を付け――」

「――そこまでだ」

 音を立てて歩み出る。三人の目が、一斉にジェインの方角を向く。

「――ジェイン」

「恫喝をやめて帰れ。さもなくば通報する」

「はっ! 通報~?」

 嗤いを吐き捨てた小太りの男が、大股で近づいてくる。携帯を(かざ)したままのジェインに顔を肉薄させ。

「やってみろよ、じゃりんこが」

「……!」

「泣く子も黙るアルバーノファミリーに、盾突けるサツがいるってんならだけどな。けっ! ガキのくせに気に食わねえ目つきをしやがっ――」

「――やめとけ、ロッソ」

 低く唸るような声で目を剥いて、不快な息を吐きかけてくる。嫌悪に力が籠もったところで、もう一人の男が声を掛けた。

「大の大人が、子ども相手にむきになるもんじゃない。――恫喝だなんて人聞きの悪いことを言われちゃ困る」

「……!」

「俺たちはただ、困窮する孤児院の心配をしていただけさ。――期限は一週間後」

 見え透いた虚偽。恥じげもなく嘘を吐いた男が、道に煙草の灰を落としながら言い渡す。

「それまでに用意ができてなきゃ、こっちもそれなりの行動に出させてもらう。また来るぜ、神父さん」

「首を洗って待ってやがれよ、オンボロ教会が!」

 片手を上げて男が去っていく。中指を立てて続く小太りの男……。

「……大丈夫ですか、神父」

「ええ。私は」

 二人の姿が完全に見えなくなったところで、エアリーが溜め息を吐いた。滲む疲労感。

「日に日にしつこくなってきますね、あの人たちも。何かしら手が打てるといいのですが」

「夜も警戒しましょう。僕が見張りに立ちます」

 胸のうちに(くすぶ)る嫌悪を抑えながら、ジェインはあくまで冷静に判断する。……無視していいリスクではない。

 下手な相手なら口先だけの脅しとも見て取れるが、連中の素性を考えれば実行に移してもおかしくはない。負うべき面倒が更に増えると、苦々しい思いを(わだかま)らせて……。

「……で」

 気にしていた方角。話の途中から人影が見えていた、曲がり角の方にジェインは視線を向ける。冷ややかな語調で上げた眼鏡。

「どうして君たちがここにいるんだ? 蔭水、カタストさん」

「……いや」

「その……」


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