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彼方を見る者たちへ  作者: 二立三析
第二章 学園での出会い
30/153

第十二話 新たな火種


 ――リゲルが友人になってから、俺たちの学園生活は(いろどり)を増した。

 フィアと二人のときにはなかった賑わい。騒がしくも、毎日が充実していると言える刺激に満ちている。予想もまるでしていなかった分、それは新鮮な驚きに満ちていて――。

 ――だが。

「――テメエ、今なんつった?」

 問題とはそんなとき、全くの突然に現れ出るものなのだ。定刻通りに済んだ講義の終わりに、リゲルを迎えに来た俺とフィア。

 数十人程度が定員となる中規模な教室の中で、教壇の真向かいに立つ二人の人物の姿が浮き上がっている。片方は見慣れた黒スーツにサングラス。

「……何の話だ?」

(とぼ)けてんじゃねえよ。つける薬のないバカって言ってたの、はっきり聞こえてんだぜ」

 リゲル・(ギャンビット)・ガウス。黒々のオールバックを固めた強面が、いつにない威圧感を(たぎ)らせて目の前の相手を睨みつけている。明らかに歓談ではない空気に。

 これから始まる事態に巻き込まれるのを恐れてか、鞄や筆記具を抱えた学生たちが、そそくさと小走りで教室を後にしていく。気の弱い相手ならそれだけでへたり込んでしまうのではないかと言うほどのガン付けに、正面から相対しているのは――。

「――それは悪かったな」

 ――冷たさを感じさせるシルバーメタルフレームを備えた、シャープなオーバル型の眼鏡。

「君がそこまで地獄耳だったとは知らなかった。次に言うときは、聞こえないよう声を潜めて言うとしよう」

「一々ムカつく野郎だぜ。――謝れよ」

 刺さるような鋭いふさに分かれた栗色の短髪の下、理知的なライトブラウンの瞳が、度の強いレンズによって一際印象を強くしている。筋肉質でないスマートな体格。

「こっちの素性を盾にしてんのかもしんねえが、他人にいきなり暴言吐いていい道理にゃならねえだろ。詫びを入れりゃあ手打ちにしてやる」

「何を謝れと?」

 答える声の色は落ち着いていて、怒気を纏うリゲル相手にいささかも動じていないように見える。レンズ同士を繋ぐブリッジに中指を当てて、犬でも見るかのように平然と押し上げた。

「僕はただ、事実を口にしただけだ。四回目の講義になってもくだらない質問を繰り返す人間を、馬鹿以外に何と呼べばいい?」

「え、え~、君たち……」

「考えても分からねえんだからしょうがねえだろうがよ。テメエのおつむがどれだけ優秀か知らねえが、話の分からねえ人間は質問さえするなって言いてえのか?」

「――始めからまともに講義を受けてさえいれば、あの程度の内容で分からないことなどないはずだがな」

 この学園にしては珍しく普通そうな、若い担当の講師が背後でオロオロしている。勤勉の証なのか、目元の皴を微かに寄せた学生が、冷ややかな眼つきでリゲルを見据える。

「学期の始めからふて寝を貫いていたものを、今頃になって参加しようとしてくる」

「あ?」

「心を入れ替えたとでも言うつもりか? お前一人の気紛れで、真面目に受けている人間にどれだけの迷惑が――」

「お、おっほん。二人とも、そろそろその辺で――っ」

「――っリゲル」

 ――潮時だ。

 意を決して声を掛けた俺に、講師を無視していた二人が気付いたように此方を向く。……これ以上はマズい。

「行きましょう」

「……ちっ」

 リゲルもそうだが、相手の方もまるで引き下がる様子が見えない。注意をこちらに向けるよう、近づいた俺とフィアに、一瞬だけ視線を外したリゲル。

「――命拾いしたな、テメエ」

「……」

「次はねえぞ。――(わり)いな、二人とも」

 無視を貫く相手に背を向け、鞄を肩にかけて歩いてきてくれる。……よかった。

 どうにか事を荒立てずに済んだ。後ろの講師のほっとした表情が目に映る。ひとまずこれで――。

「――マフィアの権威を笠に着た人間が」

 ――っ。

「留年までしていい気なものだ。お前のような馬鹿を学園に通わせるくらいなら、幼稚園児でも連れてきた方が余程のことためになるがな」

「――ッ!」

「ヒぃッ‼」

 稲妻のように振り返ったリゲル。夜叉のようなメンチを切るブルーの眼光に、油断していた講師がマーカーを転がしながら腰を抜かす。……数秒の緊迫。

「……」

「……チッ!」

 立てないでいる講師を他所に、眼鏡の学生は平然とした顔つきで斜を向いている。わざとらしい舌打ちを盛大に響かせて、俺たちを追い越したリゲルが教室を出た。

 ――帰り道。

「――ッあーっの眼鏡野郎ッ‼」

 街路を強く踏みつける革靴のテンポに、リゲルの怒声が入り混じりになって響き渡る。触らぬ神に祟りなしと見た通行人が、存在感を消して別通りに消えていく。……怒り心頭と言った様子のリゲル。

「ッマジでムカつくぜ。他人の腹立つことばかり言ってきやがって」

「え、えっと……」

「ぬぅなぁにが幼稚園児だ! テメエこそ保育園児からやり直しやがれってんだ」

「……随分喧嘩腰な相手だったな」

 傍から見ればさぞ恐ろしい怒りだろうが、気持ちも分からなくはない。どういう事情があったにせよ――。

「あからさまに敵意が剥き出しだった。何があったんだ? 講義中に」

「何もねえよ。講義終わり、いつも通りに質問してるところに、いきなりボソッと暴言吐いてきやがって」

 あれだけの暴言を受けて、気分を害さない人間の方が珍しいだろう。リゲルが舌を打つ。

「大方こっちがマフィア関係者だからって、目の敵にしてきてんだろ。嫌みな野郎だぜ」

「……私たちと同じ、新入生じゃなかったですか?」

 ――フィア。

「知ってるのか?」

「はい。私と黄泉示さんも、確か幾つか同じ授業で」

 思い出すようにして言う。……そういえば何かの講義で、あの後ろ姿を見ていたような気もする。

「前に、他の方たちが話してるのを聞いて。今年唯一の特待生だとか言ってたような……」

 っ――。

「――それは凄いな」

「はっ、凄かねえよ! あんな奴」

 驚嘆をかき消すようにリゲルが大きく鼻を鳴らす。心情は分からなくはないが……。

 こればかりは凄いと言わざるを得ないだろう。――特待生制度。

 他の大学や高校と同じように、シトー学園にも学生を経済的に支援する制度というものが設けられている。その代表的な一つである制度。

 正式名称は『特別待遇学生選抜制度』であり、書類審査のみの一般入試とは違って、家庭環境などの要件の審査と、複数の科目からなる特別試験をクリアした場合にのみ、学費の免除を認める資格を得ることができるとされている。成績次第で全額免除も可能という資格を得るための試験は、当然ながらハードルが高く。

「ああいう野郎が将来、悪徳弁護士とかになって他人を食い物にすんだぜ」

「それは分からないが……」

 入学前に俺も過去問を見てみたことがあるが、てんで歯が立たなかった。文理双方の科目が入り交じった、完全記述形式の問題たち。

 あれを超えて来ているとなれば、勉強の方はさぞかしできるのに違いない。……なぜあそこまでリゲルに絡んできたのかは不明だが……。

「モヤシみてえな体格のくせしてよ。次に会ったら――」

「――そういえば、今日の夜はどうする?」

「おお、あれな」

 いつまでも引きずるような話題でないのも、確かだろう。会話の転換を狙って出した台詞に、リゲルがぱっと表情を明るくする。

「ばっちり予約が取れたぜ。十八時半から三人」

「っ、そうか」

「おうよ。地図には乗ってねえし、ちょいと分り辛え場所だから」

 気分の乗っている返事に、心なしか自分の声も弾む気がする。――先日。

 三人で昼飯を食べているときに、とある話題が出ていた。都市として古い歴史を持つこの辺りには――。

「言ってた通り、俺が案内しようと思うんだが。十分前に待ち合わせでいいか?」

「大丈夫だ」

「ありがとうございます」

「当然だっての。ガキの頃から知ってる一押しの店だからな」

 ネットなどにも出ていない、いわゆる隠れ家的な飲食店が多いらしく、そのうちの一件をリゲルが知っているとのことだった。ばっちり決まったウィンク。

「紹介したいと思ってたし、良かったぜ。楽しみにしといてくれよ」

 ――そして。

「――よーう、黄泉示、フィア!」

 日の落ち切った十八時二十分。意気揚々と手袋の手を挙げたリゲルが、上機嫌で俺たちを迎える。上下を揃えたいつもの黒スーツ。

「お待たせしました」

「悪い、待ったか?」

「今来たところだぜ。それじゃ早速、行くとするか」

 俺は襟の付いたシャツ、フィアは白のカーディガンにブラウンのスカートという出で立ちで、街灯の灯った道を並んで歩き出す。これから行く店は――。

「なんて店なんでしたっけ」

「『オールド・パル』。古真珠って意味のネーミングだな」

 リゲルの話によれば、基本的なジャンルはイタリアン。厳しいドレスコードなどはなく、カジュアルな格好で大丈夫ということだったが、それなりに格式のある店らしいので、一応らしい格好を選んではいる。一歩前を歩いていくリゲルが、得意げに人差し指を立ち上げる。

「真珠ってのは磨けば磨くほどツヤが出んだが、年季が入るとそこに独特の色味が加わってくる」

「ほほう」

「何年経っても深みと味のある店をってことでな。六代続く名店なんだぜ」

「なるほど……」

 頷きに続いて角を曲がる。普通の一見(いちげん)が入れない名店。

 どんな店なのか楽しみだ。細い脇道に入り――。

 街灯の少ない路地を進んでいく。表通りから外れたもの侘しい通りのせいか、辺りには人気がなく、少し薄暗い。

「……この辺りにあるんですか?」

「おうよ。もうちょい行ったとこにな」

 看板も見当たらず、店が出ているようには思えない場所柄だ。辺りを見回す俺たちを、全く気にしていない素振りでリゲルが進んでいく。一抹の不安を覚えながらも……。

「――ここここ」

「――」

 着いて行くよりなく。一分ほど歩みを進めたのちに、リゲルの背中が立ち止まった。……何の変哲もない。

「ここが……」

「――ういっす。十八時半に予約した、リゲルっすけどー」

 木製のドア。寒風に晒されるざらついた表面にはプレートも何もなく、隙間から明かりが漏れ出ることさえしていない。戸を取り囲む灰色の石壁はむき出しの外観を呈していて、客を迎え入れるというより、人間を寄せ付けない気配を纏っているようだ。……本当にここなのか?

「……」

 久々ということで、道を間違えたとか。吸い込まれていくノックの残響。染み出てくる疑問を消し切れない俺の心境に。

「……!」

 内部で何かが外れる音と共に、鉄扉のようだった扉が内側へ、ゆっくりと開かれた。――っ。

「――ようこそお越しくださいました」

「――」

「リゲル・G・ガウスさま、お連れのお二方様」

 ――暖炉の薪明かりに似た、柔らかい光。

 大ブナの洞に反響するような声に連れて、暖気が内側から溢れ出てくる。空気に交じる微かな食器の音。

「どうぞ中へ」

「――っ、はい」

「足元に段差がありますので、お気をつけてお上がりください」

「あ、ありがとうございます」

 香ばしいチーズと、バターの香り。逆光を受けて立つ大柄な人影が、立ちすくんだ俺たちに微笑みを向けてくる。扉を押さえる骨太の前腕に瞬きしつつ、差す光に導かれるように中へ入った――。

「――ッ」

「――ようこそ『オールド・パル』へ」

 ――内部に広がる光景。

 背後で重々しい扉の閉まる音が響き。寒気が随伴を拒否された暖かみの中で、隣のフィアと共に目を見張る。……これは。

 明るく広々とした、くつろぎの空間。

 横への奥行きは、二十メートルほどもあるだろうか。外から見えた一軒を丸々使ったらしいワンフロアの中に、入り口の通路を歩いて直ぐの右手にはバー形式のカウンターが。

 左手にはテーブル席とソファー席、奥には更に一段高くなっているエリアが見えている。……天然木と思える味のあるフローリング。

 天井の照明から降る黄色の光を受けて、主張の強すぎない慎ましやかな滑らかさを帯びた漆喰の壁が、暖かな印象を醸し出している。……外観からは想像もつかない。

「随分久し振りだよな、ここも」

「リゲル様が大学に入られる前ですから、二年ぶりほどになりますか」

「そんなになるか。懐かしいぜ」

 しつらえられた上質な空間だ。二人して店内の雰囲気に気を取られていたところで、しみじみと話していたリゲルが、俺たちの方を向いた。

「紹介するぜ。こちらが、オールド・パルの店長」

「――初めまして」

 リゲルの指し示しを受けて、控えていた相手が歩み出てくる。――っデカい。

(わたくし)、オールド・パルで七代目の店主を務めさせていただいております、アレンと申します」

「――」

「リゲル様のご友人方ということで、以後どうぞお見知りおきを」

「あっ、いえ」

 扉を開けてくれたときにも思ったが、目の前に聳え立つ人物の上背はリゲルより更に頭一つほど高く、服の上からでも分かるほどがっしりとした筋肉質の体格をしている。……帽子だけを外したコックスタイル。

「こちらこそ、初めまして。――蔭水黄泉示です」

「フィア・カタストです」

 ワンポイントとなる胸元の赤いスカーフタイの上に、体型にはそぐわないほど温和な表情が鎮座している。つぶらなアッシュグレーの瞳が、俺たちの挨拶を受けて親し気に輝く。

「蔭水黄泉示さまに、フィア・カタストさま」

「は、はい」

「今後とも末永くご愛顧くださいますよう。――階段上のテーブル席を用意してございます」

 熊を擬人化したならこんな感じになるだろうか。肩の力が抜けない俺たちを相手に、優雅な仕草で案内してくれた。他の客の座っているテーブルの間を、ゆったりとした歩幅で歩き――。

「こちらのお席をどうぞ。お飲み物をお選びの間に、お食事のメニューをお持ちしますね」

「おう、ありがとな」

「……」

 焦げ茶の椅子に、慣れた様子で腰を下ろすリゲル。去っていく背中を横目に、恐々と俺とフィアも腰を下ろす。ウッドの階段を三段ほど上がった高台の席。

 事故防止のためか、高台とそれ以外の境界付近には簡単な木の柵が付いていて、子どもなどでも転落はしないようになっている。改めて店内を見渡すと……。

 単に綺麗というだけでなく、空間の随所には相応の年季が見て取れる。インテリアになっている吊り下げ式の照明。

 俺たちの使っている机と椅子、フロアの中央にシンボルのように置かれている暖炉も、それなりに古い型のもののようだ。よく見れば細かな傷なども見て取れるが――。

「――どうぞ」

「あっ、はいっ」

 決して古臭いというわけではなく、むしろその逆。手入れが行き届いているためか、長年使い込まれた物品特有の雰囲気を醸すそれらは、この上質な空間を作るのに一役も二役も買っている。――新品では決してこうはいかない。

「本日のおすすめはヒラメ、子牛肉になっております。お飲み物はお決まりですか?」

「俺は、ビールを。二人はどうする?」

「俺は――」

 ある種、ここだけのアンティークと言ってもいいだろう。ドリンクに続けて料理の話になる。ブドウ色の革表紙に包まれたメニューと睨めっこして。

「んじゃ、それでいくか」

「畏まりました」

「……開業してどれくらいになるんですか?」

「今年で丁度、三百年目になります」

 おすすめという中クラスのコースを三人分頼んだのち、アレンさんに訊いてみる。――三百年。

「凄いですね……」

「恐れ入ります。紹介制でお人は選びますが、あくまでフランクな飲食店ですので」

 七代目と言うのは聞いていたが、それだけの歴史がこの空間にはあるということか。周囲を眺める視線が改めて深まった俺とフィアに、茶目っ気のあるウィンクをしてくるアレンさん。

「ごゆっくりお寛ぎください。では」

「――ま、今夜は親父も黒服たちもいねえ」

 去った後のテーブルには、先んじて運ばれてきた飲み物たちが鎮座している。俺の前には香り立つ熱いごぼう茶。

「気の置けない友人同士。楽しくいこうぜ」

「……そうだな」

「行くぜ。――乾杯!」

「か、乾杯!」

 フィアの前にはフレッシュな桃のジュース。慣れない手つきの俺たちの前で、泡立つビールグラスをリゲルが高々と掲げ挙げた。――。

 ――それから。

「でよ? 結局学生で評決を取ることになって――」

「それは凄いですね」

 リゲルの話を聞いてフィアが笑みを零す。硬さの取れている自然な表情。

「やっぱ中で文書とかに向き合うより、遺跡でフィールドワークの方がテンション上がるよな。黄泉示だってそう思うだろ?」

「夏場はきつそうだけどな。誰かの遺した記録より、実際に触れる方がロマンはあるかもしれない……」

 思案しつつ、手をカップへ。ふくよかな土の芳香の立ち昇るお茶を、気負いのない所作で口に含む。

 席に着いてから、三十分ほどが過ぎ――。

 始めのうちは緊張気味だった俺とフィアも、次第にこの場所自体に慣れてきていた。憩いの為に設えられた趣ある空間。

 明るすぎず、暗すぎずの際を見極めた照明、天井から程よい音量で流れてくるクラシックのBGMが、気分を更にリラックスさせてくれる。緊張がほぐれるのにそう時間はかからず。

「――美味しい……!」

 そしてなにより。前菜(オードブル)の次に来たミネストローネを飲んで、思わず瞬きするフィア。

「前菜も美味しかったですけど、また全然違った美味しさですね……」

「へっへ、だろ?」

 行きつけを褒められてか、上機嫌でグラスを上げるリゲル。――確かに美味い。

 トマトベースに人参やセロリ、ジャガイモなどを煮込んだ定番とも言うべきスープ。日本にいたとき、俺もファミレスで飲んだことがあるが――。

「ここの料理はマジで美味えんだよなぁ。親父に連れられてやたらと高えレストランとか行ったこともあるけど、イタリアンならなんでもここが一番だぜ」

 ここのスープを飲むと、驚きに目が覚めるようだ。皿の中で一体となった野菜の風味。

 混然としながらも各々の持つ味わいが非常にくっきりとしていて、まるで舌の上で踊っているかのようだ。それらを束ねる何らかの隠し味が、味に更なる深みを出している。

「確かにな……」

 これまで食べたことのない味わい。未知の饗宴に舌鼓を打ちつつ、改めて考えてみる。――値段も高くない。

 事前の評判からある程度の出費は覚悟していたのだが、俺たちの頼んだドリンクが日本円にして一杯四百円程度、コースも一番軽い六千円前後のコースで、これだけの内容になっている。ファミレスと比べれば流石に高いが……。

 クオリティは圧倒的。二皿目にして、正直唸る気持ちしか出てこない。……ここまでとは思わなかった。

「……本当に凄い店なんだな」

「だろ? 分かってくれて嬉しいぜ」

 感嘆の溜め息を吐く中で、リゲルが満足げに頷く。グラスを更に上げ。

「〝ミドルなお値段で、最高の食事体験を〟! 創業以来、そいつがこの店のモットーらしいからな」

「――ああ」

「いいお店ですね」

 俺にもフィアにも異論はない。どの一皿にも、新鮮な驚きがある。

 食べるものに活気を与えてくるような味わい。しかもその上で味の芯を外すことなく、気さくで奥深さのある一品に纏めている。……見事な研鑽。

 始めに告げられた志を貫徹していることに、重ね重ね感服する気持ちがあって――。

「――」

 ――だが。

「……?」

 なんだろう。空になったパスタ皿。

「……リゲルさん」

「ん?」

「気のせいだったらあれなんですけど、その」

 ある程度腹が満ち、店内を見渡せる余裕ができてから、どことなく俺の中に違和感が昇ってきている。なんというのだろうか。

「なんだかこのお店、雰囲気のある方が多くないですか?」

「――」

 俺の知っている普通の店と比べて、何かしら違和感があるような。――それだ。

「そう、そうだよな」

「家族連れの方とかも、皆、目つきが鋭いような気がして……」

「あー、そりゃそうかもな」

 これだけリラックスできる雰囲気の店内であるにもかかわらず、目に入る客の顔にはいずれも、どこかしら凄味のある気配が感じられる気がする。一癖も二癖もありそうと言うか。

「仕事柄、どうしても顔に出ちまうんだろうな。なんたってここは、マフィア御用達の店だからよ」

「――」

 死線の通った修羅場を、幾つも潜り抜けてきているようなというか。……。

「――えっ?」

「――なんだって?」

「マフィア御用達。ここに来てんのは基本、マフィア絡みの人間だからな」

 少しずつ酔いが回ってきているのか、赤ワインの入ったグラスを回しながら、僅かに赤みの差した表情でリゲルが言う。……冗談ではない。

「日頃からドンパチやってるようなファミリーとなると、色々と気苦労も多いだろ? 飯を食うにも中々気が休まらねえ」

「それは……」

「悩めるファミリーの関係者を見かねて、ある人物が一つの志を抱いた。食事は誰しも楽しんでするもの」

 語る口調はやや芝居がかっているが、芯には真剣味が入っている。っそれはそうかもしれないが――。

「裏家業の人間でも気兼ねすることなく、リラックスして飯が楽しめる店を作ってやろうってな。果敢な挑戦の甲斐あって、試みは見事に成功」

「……いや……」

「志を受け継ぐ人間も出て来て、今じゃ押しも押されぬ名店になってるってわけだ。軽めの商談や、オープンな会合なんかにも使われてるみたいだぜ」

「――いよぅし!」

 いい話なのかもしれないが。ほろ酔い気分のリゲルが笑顔を見せると同時、二席ほど離れたテーブルから、喜色に満ちた歓声が届いてくる。

「これで纏まった。乾杯と行こう」

「いいですな!」

 こっそり様子を見る俺とフィアの視線の先で、盛り上がっているらしい紳士たち。がっしりと握手を交わす皴入りの手の下に、テーブルに置かれた小切手が見える。額は――。

「いち、じゅう、ひゃく、せん……」

「いやぁ、めでたいめでたい」

「一時はどうなることかと思ったが。オールド・パル様様ですな」

「皆様のご愛顧あってこその店ですから」

 七桁を超えるゼロの数。懐にしまわれた小切手のあとで、ワインを注ぎにきた店長が微笑みを見せる。

「先代たちの名に泥を塗らぬよう、精進する所存です」

「相変わらず健勝な心意気だ。いつまでもこの店が続くよう、贔屓にさせてもらうよ」

「……でも、マフィアの御用達って」

 取引の現場を目撃してしまったフィアが、これまでより声量を抑えた声で話し出す。

「危なくはないんですか? 事件とか起きたりしたら――」

「心配いらねえよ。この中じゃ、武装はご法度ってことになってる」

 俺たちの不安を他所に、グラスをクルクルと回すリゲル。

「ヤクや贋金なんかのぶつは持ち込み禁止。揉め事を起こしたりすりゃ、自分のファミリーに泥を塗ることにもなるからな。そこいらの店よりよっぽど安全なくらいだぜ」

「――お預かりはこちらでよろしいでしょうか」

 聞こえてきた声。入り口付近のカウンターで、帰り支度をした何人かの客が、ウェイターから黒光りした重みのある道具を渡されている。銃……!

「……外から襲撃されたりしないのか? 非武装のファミリーが集まってるんなら……」

「そこんところもバッチリ。バイトは違うかもしんねえけど、正規のスタッフは全員、腕のある面子で固められてるから」

 日常的には滅多に見ることのないはずのそれらを、当然のようにしまっていく客たち。つまり――。

「――凄腕のプロ、ってことか?」

「おうよ。店長は代々その筆頭」

 ニヤリとリゲルが口の端を上げる。……道理であの体格。

「今のアレンも、幾つもの戦場でならした歴戦の猛者らしいぜ。前に新参のギャングが強襲してきたとき、一人で返り討ちにしたとか」

「……!」

「壁や天井も装甲が入ってるし。入ってきたドアも鉄と鉛が詰まってて、すんげえ重いんだよな、あれ」

「そ、そうだったんですか……」

 上質な内装と実情のギャップに、フィアが目をパチクリさせる。……なるほど。

「言ってなくて悪かったけど、できるだけ前情報抜きで判断して欲しくてよ」

「いえ……」

 ――そういうことだったのか。……紹介制というのも頷ける。

「界隈限定にしとくのがもったいないくらいのいい店なんだって。黄泉示たちも、そう思ったろ?」

「……まあな」

 マフィアの集う場所に連れてきても問題ないという、保証制度の機能を兼ねているのだろう。店の素性は予想外だったが……。

「……いい店には違いないよな。料理も美味いし」

「良心的なお店であることには変わりないですよね。雰囲気も素敵ですし……」

「へへっ、そゆこと。――すんません! ビール一つ!」

 サービスの質がいいことは確かだ。事情は置いて、目の前にある料理を口に運ぶ俺とフィアの前で、リゲルが店員に追加の注文を頼む。先ほどから飲んでいる地ビール。

「飲み過ぎない方がいいんじゃないか?」

「五杯目ですよね、もう」

「大丈夫だっての、こんくらい。酒は飲んでも飲まれるな、ってな!」

 陽気に言うリゲルの口調はいささかテンションが高いものの、酩酊している様子ではない。大丈夫ではあるのだろうが……。

「……」

 この店の素性を知った上となると、頼みの綱のリゲルが酔っぱらい気味なのは、少々不安な気持ちでもある。長居をすれば思わぬアクシデントにぶつかるかもしれない。

 リゲルの言うように、滅多に起こることでもないのだろうが、油断は禁物だ。居心地の良さと相反する判断に、手にしたティーカップを所在なく揺らしつつ――。

「――お待たせいたしました」

「お、待ってました――!」

 落ち着いたウェイターの声に目をむける。――そういえば、次がメインディッシュだった。

 前菜、スープにパスタに、口直しのシャーベット。これまでの料理も絶品だったが、メインと来れば期待もひとしおになる。今だけは目の前の皿に集中しようとして――。

「――っ」

「こちらがオマール海老のムニエル」

 思わぬ光景に、目を疑った。白い陶器製の器に盛りつけられた、鮮やかな食材たち。

「ヒラメの香草焼きに、子牛肉のコトレッタ」

「……」

「地ビールになります。このあとにデザートと、コーヒー紅茶がお選びになれますので」

 一匹が丸々使われた大ぶりの海老と、焼き色の美しい、身の詰まった魚。香ばしい衣に包まれたカツレツの乗った皿を、ウェイターが丁寧な仕草でテーブルに並べていく。食欲をそそる香りと色味。

「ごゆっくりお楽しみください。では――」

「……ちょっと待て」

 期待に違わない、芸術的とさえ言える出来栄えだが、今の俺たちの意識はそこになかった。板についた仕草で去りかけた相手を、リゲルの一声が呼び止める。剣呑な目を覗かせて。

「――なんでテメエがここにいやがる? 眼鏡野郎」

「……」

 拳を突き付けるような言葉で、相手の素性を確認した。足を止めたウェイター。

「……それはこっちの台詞だ」

 スルーを諦めたらしい相手が、溜め息を吐きつつ振り返る。ブラウンの理知的な瞳を囲う、シャープな銀縁の眼鏡。

「覚えのある声が聞こえると思えば、まさか君たちとはな。運が悪いというか」

「あ?」

「こんなところで会う羽目になるとは思わなかった。――そっちが噂の、リゲル・G・ガウスの友人か」

「あ……」

 ――昼間の特待生。教室でリゲルと口論を繰り広げた相手が、俺たちの目の前に立っている。首元まできっちりボタンの留められた、白のウィングカラーシャツ。

 店の雰囲気に相応しい、滑らかな黒のベストの、左胸についている名札に目が留まる。……レトビック。

「その、どうしてこのお店に……」

「ただのバイトだ。マフィア関係の事情は、今さっき君たちの話を聞いて知った」

 ――ジェイン・レトビック。それがこの学生の名前らしい。知的さを滲ませる話し方で、事実だけを口にしているかのように言ってくる。

「店の雰囲気からして何かあるだろうとは思っていたが、そういう事情だったとはな」

「えっと、その」

「居合わせたのは偶然だ。学園の外に来てまで、わざわざ面倒を起こしたくはない」

「……だろうな」

 ――本心なのだろう。

「ここはお互い、知らぬふりを通すということで行こう。紳士協定でな」

「けっ。なぁにが紳士だ」

 今のジェインの顔には気に入らない相手への敵愾心(てきがいしん)より、揉め事を起こしたくないという面倒さだけが覗いている。――ッリゲル。

「人の話の盗み聞きまでしやがって。暴言野郎のくせに、よくもまあ潜り込めたもんだぜ。バイトの口なら他に幾らでもあるんじゃねえか」

「時間の都合がついたのと、給金が良かったんでな。学園外の行動にとやかく言われる筋合いはない」

「はっ、カネの話かよ」

 酔いが回っているのか、微かに赤らんだ頬で、不機嫌そうに息を吐く。無視してジェインが立ち去りかけたそのとき――。

「折角ダチと馴染みの店に飯を食いに来てるってのに、カネ目当ての守銭奴がいやがるとはな。あー、嫌だ嫌だ」

「っ、リゲルさ」

「――大層な言い草だな」

 立ち止まったジェインがリゲルを見やる。凍てつくような冷たい視線で、眼鏡のフレームを光らせて声を発した。

「リゲル・G・ガウス。いい子ぶってお友達ごっこか?」

「……あ?」

「界隈に疎い僕でも噂は聞いている。『黒いハイエナ』との乱闘」

 スーツの肩がピクリと動く。反応を意に介さずに、ジェインが淡々と話しを続けていく。

「チームの瓦解で少しは懲りたかと思えば、大学に入ってもゴロツキとの喧嘩三昧。羨ましいな」

「……」

「親のすねをかじることのできるボンボンは。なんの足しにもならない暴力なんぞに、明け暮れることができて――」

「ッ‼」

「きゃっ⁉」

 ――刹那。

 椅子を蹴り飛ばすように立ち上がったリゲルの手が、鳥の翼のように折り返されたシャツの襟首を掴み上げる。一瞬の動き。

「――ッ」

「――やる気か?」

「り、リゲルさんっ!」

 反応し損ねた俺たちの前で、煌々と燃えるブルーの(まなこ)が怒りを込めてジェインをねめつけている。襟首を捻じられているジェインは、抵抗の様子も見せないまま。

「僕はただの雇われだ。こんなところで騒ぎを起こせば、困るのはそっちの側だと思うが」

「……ッ!」

「――抑えてくれ」

 冷たい表情を変えずに返している。ただ事ではない空気に、周囲から視線が向けられてくる。――マズい。

「他の客もいる。……ッ頼む」

「……」

 この店でトラブルを起こしたなら、リゲルとて無事に済むのかは分からない。事態を察した店員が足早に駆け寄ってくる中で――。

 ――互いに射殺しそうなリゲルとジェインの睨み合いを、冷や汗をかく息苦しさと共に、俺たちは見つめ続けていた。


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