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彼方を見る者たちへ  作者: 二立三析
第一章 新しい日々の始まり
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第一話 新天地

 ――荷物(バックパック)の受け取りを済ませたあと、空港を出る。

「――」

 外に出たとたんに吹き付けてくる風と、空気の冷たさに目を細める。現在の時刻は十七時過ぎ。

 気象が安定しなかったため、予定より一時間ほど遅れての到着となってしまったが、暗くなる前にたどり着けたのは幸運だった。傾いた夕陽に照らされる、伝統ある街の景色を眺めやりながら、空港の電波で開いておいた地図を確認する。目的地はここから徒歩で一時間ほど。

 タクシーなら二十分ほどで着けるはずだが、急ぐ用事もない以上、まずは自分の暮らすことになる街の様子を目にしておきたい。狭い座席で座ることには飽きてきたところだ。

 新居の到着前に一度、身体を動かしておくのもいいだろう。背中に掛かる荷物の重さを確かめつつ、新天地へ向けて一歩を踏み出した。

 ………

 ……

 ……分かっていたつもりではあったが。

「……ふぅ」

 歩くだけで一時間近くが過ぎていくと、どうしてもだれた気分が昇ってくる。見るものがまるでないというわけではない。

 初めて来た土地の空気や景色はそれなりに珍しく、始めの方こそ何気ない装飾や街造りの差異などに、注目する部分があった。風情(ふぜい)のない白や灰色の近代建築ばかりが並ぶ日本の都会と違って、

 この街の建物は主に石やレンガ造りで、歴史を感じさせる年季の入った風貌のものが多い。外見にも気を使っているのか、色合いにも赤や茶、黄色や緑などが混ざっている。

 伝統的には木材を主な建材とし、湿潤な気候や災害のために建築物の取り換えが余儀なくされる日本とは、風土的な違いがあるということもあるのだろうが、歴史や伝統といったものを大事にしているためか、目に(うるさ)い広告や宣伝の数も少ない。静穏な秩序の保たれた明美な風景だが……。

「……」

 それでもこれだけ似たような景色が続けば、流石に慣れてきてしまう。今はただ足を前に進めているだけ。

 着くことだけが待ち遠しい気持ちでいる。『ギムレット』とかいう服屋が左手に見えてくれば、すぐのはずなんだが……。

 目を細めてみても看板は見えない。疲労については問題ない。

 家の事情がら、体力は人よりかなりある方だし、実際に汗が吹き出してきてもいない。ただ……。

「……」

 昇ってくる退屈に従って、これまでは抑えられ気味だった、憂鬱な気分が顔を出してきている。始めの目新しささえ過ぎてしまえば、ここもやはり普通の街に過ぎない。

 生活を営む人々がいて、それぞれの問題ごとを抱え、日々を歩んでいる。向こうと変わらない場所であって、

 それ以上のことなどない。海を渡ろうとも、それだけの――。

 ――何かが見つけられると、本当に思っているのか?

「――」

 聞こえた心の声に足を止める。すれ違う女子高生たちの不思議そうな視線を意識して、再度歩き出す。……気疲れのせいだ。

 今日はなるべく早く休もう。息を()いてペースを落とし、気を緩めるつもりでぼんやりと視線を散らしながら歩いて行く。周囲を見て改めて気づいたことだが、

 この辺りはどうやら、観光客にも人気があるスポットであるらしい。これまでの素朴な街並みとは違う、華やかな装いをした店構えの前に、髪の色や目の色の違う様々な人たちや、スーツケースを引いて歩く一群がたむろしている。程度の差はあるものの……。

「――うわっ、おい見ろよこれ!」

 ショーケースや街並みを見渡す顔には、どれにも一定の期待が見えるようで。弾ける驚嘆の言葉が耳に入ってくる。

「すげえなこれ、マジもんのスターゲージパイだよ! すげえ……!」

「興奮しすぎ。引かれちゃうでしょ、そんなはしゃいでると」

「分からないでもないけどな。昨日見たミュージカルなんて、本場まで来なきゃ見られない演技と演出だった」

 ワイワイと言葉を交わしているのは、日本の大学生たちだろうか? 俺より幾分年上と思える雰囲気を持つ四人組が、これから帰国するのだと見えるような、満足げな表情で店を眺めている。

「色々と貴重な体験もできたし。ほんと、海外に来てよかったよ」

 ――暢気(のんき)なものだ。

 心の底からそう思っているらしい無邪気な感想に、インクを零したような苦い感情が胸に広がる。同じ場所を訪れていながら、互いの心情はそうとは思えないほど隔たってしまっている。

 彼らと俺との間に広がる溝はきっと、この国と日本との間に広がる距離よりもさらに深い。たとえ言葉を交わしてみたとしても、分かり合えることなどないのだろう。

「……」

 ……いや。

 数歩の歩みのあと。遠くに去っていく歓談の残響を覚えながら、今しがたの思考を改める。考えてみれば、どちらにも大した違いはないのかもしれない。

 俺も彼らも、何かを求めて異国(ここ)に来ている。向こうの日常では得られないはずのモノ。

 彼らはきっと目新しさや、刺激的な楽しみを。そして俺は――。

「……!」

 ――『Gimlet』。

 渋い茶色地のウッドボードに金文字で店名の刻まれた、上品さのある洒落た書体の組み文字を目にした瞬間、意識がそこに集中する。ようやくか……!

 ここの角を曲がれば目的地まではすぐのはずだ。退屈な行軍(こうぐん)が終わりを見せたことに、先ほどまでの憂鬱さが吹き飛んでいく。ここを超えれば、新居で始まる新しい生活が待っている。

 これまでの自分から変わるための生活が。肩に食い込む荷物を下ろして一息つけるのだと思うと、自然と足取りも軽くなっていくようで。……我ながら単純だ。

 気分などしょせん、そんなものかもしれない。苦笑で口の端が緩むのを感じながら、目当ての通りを右へと曲がった。








「――ほう」

 正面から上げられた声。

 国策の破綻により放棄されたかつての首都に打ち捨てられた、高級ホテルの大広間に男は立っている。装飾の剥がされた壁際を、(さび)れて薄汚れた調度品たちが、かつての栄華を懐かしむように彩っており。

 敷かれた絨毯は一部が焦げ、埃と正体の分からない染みで色あせている。王号を継ぐ者の拠点としては(わび)しさが過ぎると思える景色の中で、男の姿を目に留めた、武骨な玉座に腰を下ろした青年が双眸を光らせる。

「これはまた、大層な客が訪れたものだ」

「……」

「魔王や賢王を差し置いて、俺のところに現れるとは。中々に見る目がある」

 周囲を囲む技能者の気配。充満する敵意からして、男の存在が歓迎されていないことだけはあまりに明白であり。今自分が暴虐の洗礼という憂き目に()っていないのは、(ひとえ)にこの場の長である青年が、対話の姿勢を見せているから。

「その慧眼に敬意を表して、一応は尋ねておくか。――何をしに来た?」

 一つでも対応を(あやま)てば、空間を埋める敵意は即座にその殺意を行動へと移す。一手の失策で命を落とす虎穴にある事実を認めながらも、男は内心で安堵の感想を漏らしてもいた。自分を見つめる青年の瞳には、芯から(にじ)む喜色の色合いが宿っている。

 王派の長として持つべき警戒の響きは確かに声音のうちにあるが、それ以上に、興味ある獲物を見つけた際の高揚が隠しきれていない。……人物像はおよそ評伝の通り。

 これより王として成熟の過ぎる相手であっても、王号に足らない未熟さの過ぎる相手であったとしても、自分の目論見は達成されなかっただろう。第一の賭けを超えられたことに、男は覚悟して口を開き――。

 ――。

「……なんだと?」

 己の思惑を話した男の(げん)に、青年が微かに眉根を押し上げる。暗がりで男を囲む技能者たちの間から、当惑と不審の共存するざわめきが起こる。

 ――大したものだ。

 当然と言えるだろう周囲の反応をよそに、青年はすでに何かを思案する素振りへとその表情を変えている。派閥を(こと)にする王たちから認められず、正式な称号を得ていない問題児。

 見聞(けんぶん)の段では不安の方が(まさ)っていたのは事実だが、素朴な期待を含めた表情から一転して、相手を値踏みする冷徹さを宿した瞳の変貌ぶりに、この相手もまた王の名に恥じない器を持った人物の一人であることを男は確信する。僅かの沈黙が流れたのち、

「――いいだろう」

 微かな懸念を覚え出していた男の心境を、朗々たる覇者の宣告が一蹴した。石造りの玉座から立ち上がる青年の行動に、辺りを覆っていたざわめきが消えていく。

「お前の真意がどこにあれ、試さず返すには惜しい尋ねだ。――要望を通したければ答えは一つ」

「――」

「覇王派の理に従い、今この場で俺と死合え」

 立て襟をいからせる青年から、猛々しい、猛虎の如き殺気が立ち昇る。音一つ立たない張り詰めた静寂のうちで、若く血気に満ちる面相のうちから、ぎらつく獅子の如き金色の瞳が男を見下ろした。

「貴様の覚悟が本物かどうか。すべての決定はそれからだ」

 ――予測通りだ。

《狂覇者》の号を持つこの相手を前にして、平穏無事にことが進むなどあり得ない。懐に手を差し入れた男の前で、若き王の器が、力を溜めるように体躯を(たわ)めた。


 ―― 


「……はっ、はははははッ‼‼」

 ――一分にも満たない戦闘。

 至るところに広がる亀裂、崩壊。常軌を逸した威力によって無残な様相と化した広間に、狂気に似た高揚を(はら)んだ笑声が響き渡る。遠巻きに囲む技能者たちから、動揺のどよめきが湧き起こり。

「――ッいいぞ‼」

「……」

「至高の賢者と(うた)われたお前の力……‼ 離反を受けた組織方が血眼(ちまなこ)になって探すわけだ」

「――っネメシス様」

 傷ついた長に駆け寄ろうとしたダークスーツの女性の動きを手のひらで制し、口の()から流れる鮮血を、青年がぐいと指の背で(ぬぐ)う。

「いい、いいコッキー。俺としても、ここで楽しみを終わらせるつもりはない」

「――」

「お前の言に(なら)うのならば、この先に更なる戦いが待っている。まだ見ぬ強者たち」

 血で汚した口角をさらに押し上げた青年が、肉体の苦痛など(いと)わぬように喜悦に満ちた眼でもろ手を差し上げる。噛み千切らんばかりの期待を込めて贈った視線を、正面から受け止めた男の態度に、満足げな素振りで頷いた。

「平穏な秩序に縛られぬ本物の戦い……!」

「……」

「血沸き肉躍る死闘の訪れ。真意を示した以上、二言はない」

「……!」

 青年の宣言。意味することを悟った周囲から、息をのむ気配があげられる。

「覇王の号を継ぐこのネメシスが、お前の望みを聞き容れよう。部屋を与えてやれ、ガトウ」

「――(おお)せのままに」

「俺の決定に異のある者、我こそが物申すと思う者には、尋常な戦いの場を用意してやる。細かい話は、夕食のときに聞かせてもらおう」

 青年の着座と周囲の技能者の殺気の収まりを受けて、肩口に傷を受けた男は構えていた符を懐に仕舞い入れる。――まずは一つの山を越えた。

 確かな達成感を覚えながらも、男が気を緩めることはない。例えどれほど厳しい(いただき)であろうとも、これは一つの山に過ぎない。

 自分が為すべきことの第一歩。困難を覚える所業の、未だ始まりに過ぎないのだから。






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