第十話 突撃マフィア宅
学園にて。
「――おーい、黄泉示! フィア!」
真っ直ぐに伸びる廊下の上を、スーツとサングラスの人物が駆け寄ってくる。固められたオールバックにサングラス。
「屋上行こうぜ。早く行かねえと埋まっちまうって」
「ああ」
明らかに堅気でないと思える物々しい面の下に、燦然としたブルーの瞳が輝いている。示し合わせたように引いていく周囲の学生たちは気に留めずに、三人で階段を上がった。
「うほっ! うんめぇ~!」
青々とした空の広がるベンチ。
「はしゃぎすぎだろ」
「いや、マジでうめえっての、このターキー。黄泉示もちょっと食って見ろよ」
「俺は別に――」
リゲルと共に屋上で昼を食べる。この光景も、今では珍しいものではなくなっている。――あの一件以来。
リゲルと俺たちは、友人としての関係性が続いていた。……以前を考えれば信じられないくらいの変化だが。
「……美味いな」
「パリパリですね……」
「だろ? 皮目の焼き加減が絶妙」
始めは鬱陶しいと思っていたテンションも、慣れると案外、これが普通なのだという気がしてくるから不思議だ。リゲルの方も、以前ほど強引な絡みはしてこなくなった。
「火の通し方が職人技だよな。――っと、そうだ」
本人曰く、どうにかして友人になろうとしていたせいで、距離感を掴み損ねていたところもあったらしい。購買で四ダースほど購入した鶏の唐揚げを頬張りながら、リゲルが言ってくる。
「相談なんだけどよ。今度の休日、よければ、うちに来てくれねえか?」
「リゲルさんのうち……ですか?」
「ああ。なんかこのところ、妙に親父にせっつかれててよ」
常に力強くあるブルーの瞳が、参ったというようにふっと遠い目をする。父親に……?
「〝大学生にまでなったのに、リゲル君にはちっともお友達ができないみたいだね〟とか、〝交流のあるファミリーから紹介してあげようか? 勿論、紹介料は半額でいいよ〟とか」
「それは中々……」
「キツイ絡みだな」
「まあ、前々からそんな感じだったのはいいんだけどよ――」
口いっぱいに頬張ったサンドイッチを飲み込んで、紙パックの牛乳を吸う。――いいのかよ。
「多分、二人のことは知ってて言ってんだよなぁ」
「え?」
「一応、親父はファミリーのボスだからよ。この街で起こってるくらいのことなら、大抵耳には入ってるし」
「……!」
リゲルの父親については詳しくないが、随分とお茶目な性格のようだ。――なるほど。
「えっと、つまり……」
「連れて来いって言ってんのさ。嫌みな言い方で、言外に」
「……品定めがしたい、ってことか」
事情を飲み込む。リゲルの父親からしてみれば――。
「息子の友人になった俺たちが、どういう人間だとか」
「そういうわけだな。つってもまあ、んな大したもんじゃあねえ」
マフィアというきな臭い事情を抱えている以上、息子に近づいた相手の素性を警戒するのは当然なのかもしれない。十個目の唐揚げを高々と指で弾いたリゲルが、口でキャッチしてどや顔を決めてくる。曲芸みたいな食い方だな……。
「親父のことだから、もうとっくに身辺調査とかは終わってんだろうし。暗にOKは出した上で、一応顔見せの筋は通しとけって感じだな」
「な、なるほど……」
「俺自身はファミリーに入ってねえから義務ってわけじゃねえし、突っぱねてもどうにかなるとは思うんだが」
色々と複雑らしい。咀嚼した唐揚げを飲み込んだリゲルが、真面目な面持ちで俺とフィアを見てくる。……一応はマフィアの家。
催促されている以上、顔を出した方が丸く収まるのだとは思うが、リゲルがあえて確認してくるところを見ると、その実危険性があるのかもしれない。断りの選択肢は用意されている。
無意味なリスクを冒したくはない。安全を考慮すれば一択だろうが――。
「――いいぞ、俺は別に」
「大丈夫です。私もその」
「っ、――悪いな」
揃って頷く。答えを聞いたリゲルが、済まなさそうにする。
「一々手間かけちまって。親父も立場上っつうか、そういうとこにはうるさくてよ」
「しょうがない部分はあるんじゃないか、実際」
「そうですね」
親から言われたことである以上、リゲルが気にすることではない。……断った方がかえって面倒な場合もある。
「正直ちょっとドキドキしますけど、どんなおうちなのか、見てみたい気持ちもありますし」
「確かにな」
「リゲルさんのおうちって、どんな感じなんですか?」
「ん~、見た目は普通かな?」
この地域に影響力を持っているのなら、たとえ今回自宅に行かなかったとしても、何かしらの形で俺たちにちょっかいを掛けてくることは充分できるだろう。誘いの来ている今が吉。
「中身は親父の趣味とか、ファミリーでの使用とか考えてあれだけど、設備は色々なもんがあるから、アミューズメントパークみたいで面白いと思うぜ?」
「あ、アミューズメントパークですか」
「全然普通じゃないみたいだが……」
結果的には最も穏便に済ませられる道かもしれない。それに――。
「なんだかんだで凄そうだよな、聞いてると」
「全っ然んなことねえって。――ま、安心してくれよ」
俺とフィアの間で、共通しているだろう思い。あの戦いを終えて。
ここ何日か、近くでリゲルという人間の在り様を見てきた。当人の人間性を見ていると。
「客として呼んでるからには、妙なことにはならねえはずだし。――何があろうと、手出しはさせねえからよ」
「ありがとうございます」
「頼りにしてるぜ」
素性に付きまとう諸々のリスクは、大した問題でないように思えるのだ。目を合わせた三人で笑い合った……。
――ッ。
数日後。――甘かった。
「……」
「……っ」
あれから三日後の日曜日。――部屋の中心。
フィアと共に立つ俺の内心には、足先から染み入るような緊張感が湧いてきている。――品の良い調度を設えた一室。
正面にはレースのカーテンのついた大きな天窓が設けられ、天井には優美な吊り下げ式照明が、床にはネイビーブルーのカーペットが敷かれている。汗が滲んで強ばる手の先。
「……」
隣にいるフィアから震えが伝わってきている理由は、当然の如くそれらの内装にはない。――出口を固めるようにして取り囲む、強面の黒服たち。
揃いのスーツで固めた整然さは軍隊にも似た雰囲気があり、以前にリゲルと乱闘を繰り広げていたゴロツキたちとは比べ物にならない風格を備えている。年齢も髪の色も異なる思い思いの風貌に……。
鋭さだけの共通する二対の瞳たちが、まんじりともせずに俺とフィアを見つめている。ひとつ間違えればどうなるか。
場に満ちる張り詰めた空気が、嫌でもそのことを連想させてくれる。そして――。
「――初めましてになるね」
俺たちのいるこの物々しい空間の中で、最も威圧感を備えているのは。歯切れのいい声音。
唯一空けられた前方の景色。窓から入る陽光を受けるデスクに、一人の人物が座している。一見して細いと見えるしなやかな身体つき。
「蔭水黄泉示くんに、フィア・カタストくん。日頃から、息子がお世話になっているらしい」
塵一つ付いていない高級生地のダークスーツに、鋼線のような艶のある漆黒のオールバック。俳優のように整った細面からは、切れ長の瞳による、笑みながらも隙のない視線が飛ばされてくる。リゲルの父親――。
「うちのような素性があると、大抵の人間は怖がって近づいてきてくれなくてね。偏見を持たずに招きに応じてくれたことに、感謝するよ」
「……っいえ」
「その、リゲルさんとは、日頃からいいお付き合いをさせていただきまして……」
俺たちを取り囲む黒服全てを統括している、マフィアのボス。……っ圧倒的。
「――折角だから、学園の話でも聞かせてもらおうかな」
リゲルの話を聞いて会う前から多少の想像はしていたが、実物はその何倍も凄味がある。――外見年齢は四十代程度。
何一つとして欠けたもののない装いからは、優美に整えられた紳士然とした雰囲気を感じられるが、それ以上に隠しようのない、寒気を覚える気配が覗いてもいる。……瞳の奥に刃物を潜めているような。
何か一つでも不興を買うことをしたならば、すぐにでも相手の名前を自身の名簿から消し去るような。この男の前に立つのと……。
「リゲル君とのなれそめや、普段どんな話をしているのか。学園外での交友関係なんかを――」
「――やめとけよ、親父」
死罪を追及される罪人としての法廷のうちに立つのと、果たしてどちらがマシなのだろうか。プレッシャーに動けずにいる中で。
「ここに来た時点で、用事はもう終わってんだろ。人のダチをからかってんじゃねえよ」
「――ッ」
「はは。手厳しい」
天啓のように響いた声。――っリゲル。
目の前の脅威に信じられないほど気安い口調で話しかけている光景に、思わず息を呑んでしまう。いや――。
「リゲル君が友達を連れてくるなんて、随分珍しいことだからね。ついつい悪ノリしてしまう」
「……!」
「会えたのは実に喜ばしい。――改めて名乗ろうか」
親子なのだから、考えれば当然の光景ではあるのだろうが。呆然としている俺たち。一度目を閉じてから開き直した相手の鋭い気配が、明らかに薄まった。
「私はレイル、レイル・G・ガウス」
「あ……」
「リゲル君の父親で、この地域のまとめ役となるファミリーのドンをやらせてもらっている。勧告なしで失礼とは思うが、安全面での理由から、君たちのことも調べさせてもらった」
――消えた威圧感。
先ほどまでの印象が夢だったのかと思うような解放感に、隣のフィアも目を瞬かせている。……いや。
「シトー学園の新入生。成績は特別言うことはなし」
消してくれたのか。硬直の解けた身体を身じろぎさせる中で、レイルさんの黒い瞳が、情報の映っているらしいタブレットに落とされる。……なにはともあれ――。
「身長は順番に172㎝、154㎝。体重は59㎏、43㎏」
「――っ⁉」
「平均的な健康体だね。スリーサイズは上から順に――」
「えっ⁉ えっ、えっ?」
「またそれかよ。――来るとき玄関を通ったろ?」
ひとまずの安堵に胸を撫で下ろしかけた俺たちを、別種の衝撃が襲う。混乱して胸を隠すよう手をやったフィアの前で、呆れた溜息を吐き出すリゲル。
「あそこの壁やら床やらにセンサーが仕掛けてあって、入った人間の持ち物とかが分かるようになってんだよ。ガキの頃何度もそいつで騙されたぜ」
「……!」
「ネタ晴らしとは感心しないね、リゲル君。久しぶりの友人なんだから」
――そんな風になっていたのか。仕込みをばらされても悪びれなく、どこまでもにこやかな表情でレイルさんは言う。なんというか……。
「からかいたくなるのが親心というものじゃないか。――詳しいプロフィールを述べることは避けるけれど、二人ともに問題はなかった」
「は、はい」
「これまで通りの交友を続けてもらって構わない。野暮ではないからね」
ジョークということは分かるのだが、本職にやられると心臓に悪い。冷や汗をかく心境でいる俺たちに対し、レイルさんが意味ありげなウィンクを飛ばしてきた。
「出身や入学経路については、特別言うこともないだろう」
「――ッ」
「――さて」
針を刺されるような感覚。――ばれている。
「これでも何かと忙しい身なのでね。今日はこれで失礼させてもらうが、邸内は大体どこを見てもらっても構わない」
フィアの事情や、恐らく小父さんがしたという入学の手段まで。レイルさんの立ち上がる仕草に連れて、黒服がコートを運んでくる。スーツと一体感のあるダークのロングコート。
「その辺りの塩梅はリゲル君が知っているはずだからね。息子の客として、君たちを案内するよう部下にも言いつけてある」
「――はい」
「うん。ささやかながら、夜にはイベントも用意した」
指を鳴らすレイルさんの動きに合わせて、数人の黒服が前に出る。俺たちの方を向いてきっちりとなされた一礼に、レイルさんが満足げな頷きを見せた。
「今日という日がいい一日になるように。――楽しんでいってくれたまえ」




