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彼方を見る者たちへ  作者: 二立三析
第二章 学園での出会い
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第九話 雨降って……



 ……帰宅までの道のり。

 景色を照らし出す陽が、徐々に傾き始めている。人気のない住宅地を通る家路を……。

「……大丈夫ですか?」

「……ああ」

 俺とフィアは並んで歩いている。ゆったりとしたペース。

 ふらつく足取り。一歩一歩を踏むのにも気力を使う俺に、隣にいるフィアが、心配そうな表情で見つめてくる。……疲労は重い。

 だがなぜか、心は清々しい気持ちがしていた。身体の方は精魂尽き果てそうだというのに……。

「帰るまではもつ。……今日の復習は無理かもしれないが」

「別にそれは。夕飯は、私が作りますから」

「……悪い」

 不思議なものだ。口の中で呟いて、さらに歩くことを続けていく。互いの足音だけが響く時間が続き――。

「……よかったのか?」

「はい?」

「本当に。俺が言うのも何なんだが……」

 立場の無さから、声が途切れる。――リゲルとの一戦のあと。

〝――〟

〝……はぁ?〟

〝スライディングを仕掛けたときに、勝負はついてた〟

 唐突な俺の敗北宣言に、目を大きくしたフィア。(いぶか)し気に声を挙げたリゲルに、告げる。

〝何もなしにあそこで二点差をつけられれば、取り返せる気はしなかった。だから〟

〝……気にしなくていい、つってんのに〟

 自分の中では過ぎたことになっていたのか、短く息を吐いたリゲルが、頭の後ろを掻く。手のひらを差し向けて。

〝事故だろありゃ。結果的に俺がきめてんだから、別に――〟

〝――自分が負けたと思ったんだ〟

 衝突を避けて倒れたリゲルは、あのとき自分の勝利を主張することもできた。

 俺の繰り出したスライディングは、傍目からすれば明らかな妨害行為。始めに取り決めていた条件に従えば、あの時点で俺の反則負けだったのだ。

 ――それに。

〝だから、俺としてはこう言うしかない。納得はいかないかもしれないが〟

〝……カタストはどうなんだよ?〟

 そのことを抜きにしても、この話はそもそも、リゲルの絡みに対する俺たちの納得の話。()ねのける動機が無くなってしまった以上。

〝二人の勝負だろ。黄泉示はこう言ってるけど、文句とかねえのかよ〟

〝……私は……〟

 反発を続けることはできなくなってしまった。リゲルに連れてフィアを見遣る。そう――。

「――はい」

 俺としては。目の前にいるフィアの声が、記憶に沈んでいた意識を現実に引き戻す。

「私も、あれでよかったです。二人の勝負を見ていて……」

「……」

「色々と、思うところもあって。リゲルさんも、始めに思っていたのとは違いそうだって思いましたから」

「……そうか」

 静かな肯定を示したのち、思い起こすようにフィアが一拍、目を閉じる。長い睫毛を揺らして開いた翡翠色の瞳に、前を向く。

〝なっんか釈然としねえなぁ……〟

 俺が敗北を主張し、フィアが頷いたあともぼやいていたリゲルの姿が思い起こされる。

〝そ、そうですか?〟

〝そりゃそうだぜ。一旦勝負にした以上、白黒つけねえとすっきりしねえっつうか。筋ってもんが――〟

〝――なら、もう一回戦るか?〟

 間に落ちていたボールを拾い上げる。瞬きして俺を見る、リゲルとフィア。

〝今からでも一戦。受けて立つぞ〟

〝ちょっ――、黄泉示さんっ〟

〝――ははっ!〟

 よろめきながら立ち上がろうとする俺を、支えようとするフィアが止めてくる。俺たちの様子を交互に目にして、笑いを零したリゲルは。

〝やめとくぜ。今回は、勝ちをもらっとくよ〟

 そう言って、少年のような笑みを浮かべた。……思い返してみても大変な一日だったが。

 掛けた時間と労力は大きかったとはいえ、リゲルとの件は、これで一つ決着がついた形になる。……残っていること。

「黄泉示さん、その……」

 躊躇いながらも出されたようなフィアの声。向き合わなければならないことを前にして、自分の心を決めた。

「この間のことについてなんですが。私――」

「――済まなかった」

「――っ、え」

「あのとき怒鳴ってしまって。そのほかにも、色々と……」

 緩く食い込む爪の感触を覚えながら、手のひらを握る。――子どもが乱闘に巻き込まれていたあのとき。

 駆け出していくフィアを見た俺は、無謀だと叫ぶと同時に、心のどこかで誰かの姿を重ね合わせてもいた。何よりもまず、人を助けに走った父と母。

「あのときフィアが子どもを助けに出なければ、あいつを殴らせたままだったかもしれない」

「――」

「今日みたいなことにも気付かずに。――悪かった」

「……いえ」

 子ども心に尊敬し、憧れを抱いていた人たち。両親の面影を見たからこそ、冷静になることができないでいた。……今日だけの話ではないのだろう。

 初めてフィアと出会い、その純真さと眩しさに触れたときからずっと。俺は――。

「謝るのは私の方です。向こうみずに走って、黄泉示さんまで危険にして」

 かつて失った自分の理想を、フィアに見ている。頭を下げた俺に、逆に自責の念を強くしたようなフィア。零れそうな気持ちを抑えるように、胸の前でぎゅっと手を握った。

「そのあともずっと。リゲルさんとのやり取りも、私じゃ、何もできずに……」

 零れ出た言葉の終わりが空気に消えていく。握り締められていた手のひらが、ゆっくりと解かれる。

「……あのとき黄泉示さんが助けに来てくれなければ、私もあの子も、無事ではいられなかったと思います」

「――」

「だから」

 白銀の髪を茜色に流した、フィアが顔を上げる。曇ることのない、真っ直ぐな瞳のままで。

「私たちを助けてくれて、ありがとうございます。黄泉示さん」

「――。……っいや」

 ――一瞬。

 その表情に心を奪われる。真っすぐに俺を見てくる笑顔。

 溢れている純真さ。迷いのない、翡翠の美しさに呆けている自分を自覚して、叱責するように我に返った。

「俺の方こそ。……ありがとう」

「っ、はい」

 いつの間にか立ち止まっていた二人。互いの礼を受け止めて、照れくさくなるような空気が満ちてくる。……どこかぎこちない感覚。

「……帰るか」

「そうですね」

 だがきっと、前よりも深く通じ合えたのだという予感がする。見つめ合っていることに笑みを零し合って、晴れやかになった心で、歩き始めた。……近付いた距離。

「……その……」

「? どうした?」

「前から、気になっていたんですけど」

 歩みの遅い俺に歩調を合わせている隣から、フィアが何かを言い出す。躊躇いを押し切るようにして。

「黄泉示さんは、どうして私を助けてくれたんですか?」

「――」

 前を向いたまま声を発した。……その問いかけ。

「……」

「……誰からも」

 不意を打つ言葉に一瞬だけ、意識が止まる。胸に湧くイメージ。

「誰からも手を差し伸べられないのは、辛いだろ」

「……」

 重苦しい気持ちが出ないよう、視線を上げる。意味が通じたかは分からない。

 発した言葉の意味は、俺自身のうちにしかないものだ。敢えて抽象的な台詞を選んだような俺の答えに、フィアは少しの間沈黙して――。

「……そう、ですね」

 何かが通じたような声で、静かに呟いた。歩き続ける俺たちの影を、夕陽が長く伸ばしていく。

 家に帰り着くまでの間。隣にいる互いの足音を、俺たちは無言のうちで感じ続けていた。

 



「――なんだかんだで、上手くいったようです」

 調度の行き届いた室内。机脇の壁際に直立したまま、無線で連絡を受けた部下の男が、目の前のデスクに座す人物に報告する。回転式のビジネスチェア。

「ようやくのご友人ですね。例の事件以来、――っ」

「――どうかな」

 俳優のような細面に、見た者を委縮させるだろう切れ長の瞳。タブーに触れたものとして言葉を切った部下の様子を気にしないように、ダークスーツの脚を組んだドン、レイル・G・ガウスが口を開く。

「リゲル君のことだからね。羽目を外して、またすぐ喧嘩別れになるかもしれない」

「っご冗談を。セキュリティはいつも通りに?」

「――いや」

 不同意。天然木の机で、レイルが視線を天板に差し向ける。

「ようやくお友達ができたなら、環境も少し変えようか。レベルの高いプロはこちらで処理」

「――yes」

「これまで通していたゴロツキもシャットアウト。運動にもならないレベルか、害にならないような人間だけ通過させて、監視の方は外してくれて構わないよ」

「了解。――通達します」

 指示を受けた部下の男が、端末を操作して素早く伝達事項を送信する。リゲルを警護するチームのメンバーに行き渡ったのを確認して、端末を胸のポケットにしまい入れた。

「全員の了解を確認しました。――五分前になります。ボス」

「ああ、先に出ていて欲しい。軽い情報の整理があるからね」

「分かりました」

 心得たような素振りで黒服が外に出て行く。室内に一人残った状態で、腰を下ろした椅子をレイルがゆっくりと回転させる。

「……奇妙な偶然もあるものだ」

 呟くように零し出す。黒い深みを湛えた瞳が捉えるのは、デスク上にあるタブレットの中身。

「彼の忘れ形見に、調査を依頼された人間が友人とは。昔馴染みとも、縁が続いているらしい」

 画面に表示されている電子調査票。これまでに得られた情報が連ねられていると思しき欄の隣には、流れる白銀の髪と、翡翠の瞳を持つ少女の写真が写し出されている。

「先がどうなるかは分からないが。――少し、予定を調整しておこうかな」


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