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彼方を見る者たちへ  作者: 二立三析
第一章 新しい日々の始まり
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第十六話 蠢く者たち


「……ようやく着きましたね」

 生きとし生けるもののない荒野。

 風化した歴史の混ざり合う灰色の砂地が広がる中、(そび)え立つ巨大な岩山の一つを前にして、青年は息を吐く。入念に偽装された結界。

 熟達の魔術師でも感知不可能な術理で再現された幻の岩肌は、そうと知っていても本物と違わぬ感触を五感に伝えてくる。預けられた術式の鍵を行使し、周囲と同化した不透明の入り口をすり抜ける。纏っていた穏形(おんぎょう)を解除。

 体温のこもるフードを外し、亜麻布の聖職衣を(あらわ)にした男と暗闇のうちを歩み続ける。硬い砂岩の床をローカットのトレッキングシューズが擦るたび、微細な足音が反響する。視界の先から零れる光の境界を踏み越えた。

「――やあ」

 その瞬間、圧迫するような岩窟とは打って変わった、広大な景色が目の前に出現する。高さ、奥行き、幅。

「お帰り。首尾はどうだった?」

 共に数百メートルはあろうと思える洞窟内を照らすのは、壁天井に備え付けられた魔術の光。間隔を開けて輝く純白の光源が辺りの明度を引き上げるうちで、自分たちを出迎えた、緊張感のない男の声に青年は目を遣る。

 ――床全体を使って構築された、巨大な魔法陣。

 見慣れぬ複数の言語と図像が描き込まれた複雑な円形の中心に、中年を過ぎたと思しき一人の人物が佇んでいる。着古してよれのできた上着。

「無事仕事は終えられたかな? 君たち二人なら、問題はなかったと思うけど」

「ええ。予定通り」

 顎と口元に(まば)らに生えた(ひげ)。厳めしさに欠ける黒い瞳と、目の下の微かなくま、高くもない鼻に乗せられた丸眼鏡が、青年たちを見つめる顔立ちに温和な印象を漂わせている。これといった特徴があるわけでもない。

「アデルさんが片付けてくれましたよ。新進気鋭の支部長を相手に、危なげなく。終始脱帽と言うところですね」

「――それで、貴方の方は見届け役というわけ」

 平凡な人物。ローブを着たままの青年が答えた瞬間、背を向けていた入口側の壁から、含みのある声が飛ばされた。

「――セイレスさん」

「同志として初めてになる仕事も、アデルに任せっぱなしで。ふいにできない大切な立場があるとはいえ、もう少し貢献してくれると嬉しいのだけれど」

 壁際に佇んでいる黄色のローブ姿。フードを被っても隠しきれない自負を声色に秘めた、若い女の笑みが口元に覗く。

「帰還も遅いし。貴方たちのお陰で、随分と待たされたわ」

「済みません。警戒網を抜けてくるのに手間取りまして」

「そう言ってやるな」

 滑らかな中に皮肉を込めた台詞を、悠然とした聖職衣の男が執り成す。

(きた)る舞台で大役を担うのは同じだ。離脱についても、私が支部長との戦闘でローブを失っていなければ、もう少しスムーズにいったろうさ」

「え、なくしちゃったのかい? あのローブ」

「襤褸切れにされた挙句燃え尽きてな。隠匿には便利だが、耐久が低いのは考えものだ」

「皆さんもお戻りだったんですね」

 中年男とのやり取りを無視して青年が奥を見る。高慢な女性の他に、思い思いの場所を占めている同志たち。

「流石仕事が早い。どうでしたか? 他二つの組織方は」

「勿論、順調さ」

 答えたのは、理知的かつ(あで)やかな女性の声。手近な岩に腰かけるしなやかな姿。持ち上げた手のひらにフードの中から零れる黒髪が揺れるたび、艶麗(えんれい)な空気が乾いた砂埃を塗り替えるリズムには、弾むような若々しい響きがある。

「今回の標的は、あくまで下位の戦力だからね。おじさまとセイレスの方は、ナンバーズを一人仕留めたし、僕とバロンのコンビも、息ピッタリの連携で救難守護聖人を葬ったよ」

「後ろからチマチマサポートに徹しただけでしょうに。何を偉そうに」

「良いじゃないか別に。サポートだって立派な貢献だし、僕の術法は強すぎて今は使えないんだよ」

「……だが、気になることもある」

 不服気に噛み付く女の声に、いかにもからかいがちに言い返した女性。散らされる剣呑な空気を知ってか知らずか、重々しい(いわお)のような声が(うろ)のうちに響き渡る。岩窟のくぼみのうち。

「組織方の対応が、予想以上に的確としている。当初の予測では、ここまでの動き出しは想定していなかった」

「覇王派の襲撃による影響だな。戦好きの狂覇者と、離反した大賢者の組み合わせだ」

 他の影を二回りほど上回る人影が佇立している。ローブの裾から覗く、岩を削り出したような指先。覆い被さるような手のひらの下には、身の丈ほどもある武骨な二対の鉄塊が鎮座する。およそ人間の扱うとは思えない得物の、照明を受けて仄かに黒光りする姿態を前に、聖職衣の男が意味ありげな表情で肩を竦める。

「流石の三大組織も、睨み合いを棚上げにせざるを得まい。疑念で重い腰に火が付いた、というところか」

「問題児に余計な茶々を入れられたものね。凶王派も元大賢者も、いっそのこと共倒れにでもなってくれれば嬉しいのだけれど」

「僕らの襲撃も、当面は彼らの仕業として処理されるでしょう。悪いことばかりでは――」

「――違うな」

 各々の意見が交わされる中、聞き慣れない一声が、空気を離断した。

「――」

「動いたのが最も格の低い覇王派とはいえ、正体不明の襲撃に凶王派の影を見せられたことで、組織方は協力体制の成立を急がざるを得なくなった」

「……」

「永仙は常に先を読んで動く。大賢者の立場を得ていた以上、掴める限りの情報は掴んでいると見て間違いない」

「……僕らの動きを見越して行動している、と?」

 全員の視線がそちらに向く。切り立った岩壁に、自然体で背を預けている一人の人物。

 ローブの内側から響くのは、身体から熱を排し切ったような冷たい男の声。落ち着き払った、それでいて鞘に納められた真剣を思わせる声の深みに、回答への緊張が一段増すように感じられる。思案気に言い出した青年が、剃り残しのない顎に指先を当てる。

「先日の強襲も、支部側の奮戦で死者が出ていないとは聞きます。しかし……」

「それこそまさかでしょう」

 如何ともし難い信じ難さを抱いているらしい、青年の熟慮のあとを、高慢な女性の声が鼻先で笑い飛ばしていく。

「ここに至るまでのヴェイグの隠蔽を看破しているとでも? 長きに渡って所属した組織を捨てて、追われる身になってまで」

「……」

「根拠がなさすぎるわ。組織の構図にはまり切った男が、今更覇王派に迎え入れられる算段があったとでも言うつもりかしら?」

「まあまあまあ。なんにせよ、無事削り落としはできたわけだし――」

「――どっちにしろ」

 答えるまでもないと考えているような男の態度に対し、女性の語気が苛立ちを覗かせる。間に割って入った中年の温和な笑顔を無視して、立ち上がっていた黒髪の女性が告げる。

「僕らのやることは変わらないけどね。来るべき日に、各々の悲願を達成する」

「――その通りだ」

 鷹揚に続いた聖職衣の男。

「その日に向けて時は動き出している。此処に集った人間のいずれもが、己の道のりを邁進(まいしん)するしかない。他がどう企んでいようとも」

「……そうですね」

「そう、その通り! それじゃ」

 青年の頷きに、我が意を得たりとばかりに中年男が微笑む。細かな傷のついた手を回すと、どこからともなくその中に一揃いの山札が現れた。

「トランプでもしようじゃないか。今日は珍しく時間があってね。仲間同士の親睦を深めるため、大富豪でも――」

「私は修行場に行っているわ」

 外見上の年齢にそぐわず弾んだ(さそ)いを、余所余所しい女の声が切り捨てる。

「え――」

「……準備の段階で浮かれているのもなんだもの。本番までに、なるべく書庫の調子を見ておきたいから」

「あ、それでしたら、僕も同行させてもらいます。限りある時間を少しでも有効に使いたいので」

「お前はどうする?」

 早くも二人が脱落。カードを握った手を落とした中年に、一瞬だけ気を引かれるようにして、ローブの裾を(ひるがえ)した女性が去っていく。済まなさそうに会釈をして着いていく青年の後ろで、聖職衣の男が大柄な男の方を向く。

「バロン。スタイルの調整はできたのか?」

「……(おおむ)ねは」

「救難守護では相手として物足りまい。修行の見物がてらに、一戦交えるとするか」

「え~。いいじゃないか、今日くらい。アデルと支部長の激闘について聞きたいんだよ」

 背中を叩く黒髪の女性の強請(ねだ)りをものともせずに、聖職衣と大柄の男が歩みを進める。壁際に設置された法陣の光が瞬くと共に、連れ立っていた三つの人影が消失した。――静寂。

「ええと……」

「――式の構築は良いのか?」

 残された二人。困りながら視線をさ迷わせた中年に、熱の欠けた男の声が掛けられる。

「仕掛けと本命。どちらも難関だと思ったが」

「ああ、ある程度はね。地脈に影響が出始めるこれ以上は、本番よりあとに進めないといけない」

 気を取り直したように頷く。中年男が自然な速さで手を横に滑らせると、床に描かれた法陣が呼応するように光を放つ。深海に差し込む太陽の輝きにも似た、膨大に蓄えられた力。

「仕掛けの方はほとんど完成してる。あとは、気付かれないよう仕込みを終えるだけ」

「……そうか」

「手筈も整ってる。――大丈夫さ」

 技能者であれば目を()くほどの強大さにも、男の声色は変わらない。心ここにあらずといった様子に気が付いてか、眼鏡の奥の瞳が何かを(おもんばか)ったように優し気になる。

「向こうが動いてきたとしても、計画に支障はない。彼についても、ちゃんと用意を」

「――不要な心配をするな」

 一転して厳しさの現れた声が、男の台詞を途絶させる。

「同志として集った以上、見据えるべきは計画の方だ。約束については」

「……」

「事が成ったあと。その日が終わったあとでいい。互いのすべきことに集中しろ」

「……そうだね」

 フードのうちに湛えられる沈黙。視線を合わせずにいる男を、丸眼鏡の男は暫し見つめる。ふっと表情を緩めて。

「ようし! 最後に」

 一気に語調を切り替える。トランプの束を掲げて、浮かべたのは満面の笑顔。

「どうだい? 軽く息抜きも兼ねて、二人でババ抜きでも」

「――一人でやることだな」

 にべもない一言で返される。壁際に向けて去っていく男の背を、人の好い苦笑いが見送っていた。


ここまでで一章は終わりです。

次回からは二章に入ります


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