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彼方を見る者たちへ  作者: 二立三析
第一章 新しい日々の始まり
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第十五話 それぞれの思案



「――んじゃ、よきキャンパスライフを、お二人さん‼」

 意気揚々とした台詞を言い残し、返事を待たずに男――夜月東は電話を切る。午前一時半過ぎ。

 目の前で薄暗い光を放っているのは、17インチの大きさを囲うラップトップ。定価の半分以下で手に入れた型落ち品だったが、画面の中に情報がまとめられているというのは、二つ折りの携帯にでさえ不慣れを感じたような時代遅れの人間にはまだピンと来ない。表示されたメールの内容に今一度目を通すと、閉め出すように上蓋を閉じた。

「……ちょいとやり過ぎだったか」

 台詞とは裏腹に、してやったりと言う風に口の端を上げながら、東は先ほどの会話を思い起こす。黄泉示も彼が助けた少女も。

 期待に違わない、鮮やかな反応だった。世慣れしない初々しい若者の驚愕振りというのは、渡世の先を行く壮年からすれば見ていて楽しい。ないはずの箱から煙草を取り出そうとして、掻いた指先を空中で止める。習慣だったタバコを止めて十年。

 黄泉示を引き取って以来、きっぱりと喫煙の誘惑を断ち切った東だったが、一人でいると未だに昔の欲求が顔を出してくることがある。ストッパーとして携帯している、ミントのダミーシガレットを口に咥え。

「ま、それくらいのサプライズがあってもいいだろ」

 煙を吐く真似をして、鼻から抜ける爽やかなグリーンの香りと共に、視線を竿縁(さおぶち)に区切られた天井へ差し向けた。――黄泉示といる(くだん)の少女。

 フィア・カタストを同じ学園に通えるようにしたのは、単なる思い付きの気紛れだった。黄泉示に言ったような動機もあるにはあるが。

 どちらかといえば期待したのは少女ではなく、黄泉示の側に訪れる変化の方。自らを縛る過去から意識を外して――。

 少しでも違う何かに目を向けてくれればいい。そんな手前勝手な思いが今回の行動を選ばせたのだろうと、東自身は分析している。昨日。

 調査の合間に何気なく学園のホームページを再訪し、創設者欄にある名前にどこかで覚えがあると気付かなければ、できなかった芸当だ。しまい込んでいた古い記憶。

〝いつかきっと、貴方にこの借りを返してみせます〟

「……」

 あのとき助けたのは確か、二十代そこそこの若造だったと記憶していたが。

 二十年余りが経ち、新たに学園を立ち上げるまでになっているとは思わなかった。貫禄の乗っていた紹介写真。アポなしで無理やり取り次がせた無理難題の応対にも、今を生き生きと進んでいる者の力強さがあった。

 ――二十年も忘れずにいてくれるとはな。

 振り返ってみてみれば、確かに自分の行いも、繋がるものがあったのだと思わされる。戻ることのない日々。

「――やめだやめ」

 省みることはないと思っていた時間。頭を振って辛気臭い考えを散らす。それより今は、やらなければならないことがあるのだ。

「……」

 テーブルの上に置かれた書類。各調査先からの連絡書類で、〝該当無し〟という文字だけが記されている束を東は目にする。電子上で返ってきた報告もあったが、いずれにせよ結果は同じ。

 ――記憶喪失という症状に加えて、発見時に一般人から認識されていなかった。

 極めて整っているという容姿まで含めれば、当人に自覚がないとしても、事件の特定は容易。始めのうちは東もそう考えていた。技能者による悪質な窃盗か、愉快犯的犯行の事件。

 そう思ったのだが――。

 考えられるツテのほとんどを当たってみたにもかかわらず、得られた成果はゼロ。幾つかのツテは確認代わりのつもりで使ったのでともかくとして、現役時に重宝していた情報屋たちからも、なんの成果も得られなかったというのは小さくない驚きだった。

 しかも、どの情報屋たちも、東が切り出すまでそれらしい事件が起こっていることさえ知らなかった様子だったのが気に掛かる。一人二人ならそういった事態が起こり得ることは理解しているが、十を超える数については極めて稀。起きているのはこの一件だけ。

 類例のある案件ではないということになる。盗難や愉快犯の線は薄い。

「……妙な話だな」

 たまたま一件目であるという可能性は勿論あるが、通常の技能者による事件であれば、それで飯を食う彼らが何の情報も掴めていないはずがない。例え下手人が……。

 人間以外のものだったとしても。自らの行為を完全に隠し通すほど利口な異形、怪異というのは、一般に思い描かれるほど多くはない。

 古い時代にはそうした種族との衝突が急務となる時期もあったが、現代において思考力を持つ異形種はほとんど絶滅の状態にある。現象的に湧き出る異形の大半は食べ残しを片づける知能も持たないし、痕跡は垂れ流し。知恵のある技能者よりよほど情報は拾い易い。内容の特殊性を考えても。

「……技能者だろうな」

 可能性が高いのはやはり人。幾分鼻についてきたシガレットを外し、東は更に黙考を続ける。アプローチとしては二つだろう。

 一つはこのまま調査を続ける。新しく得られた手掛かりはあるが、一般の情報屋で端緒すら掴めないことを考えると、強力な情報網を持つ相手に当たるべきか。

 もう一つは、記憶喪失という症状自体をどうにかする。高位の治癒技法に長けた技能者であれば、望み薄ではあるが、記憶の再生ができる可能性はある。

 幸いにしてと言うべきか、普通であれば難度の高いそのどちらについても、東は心当たりがあった。……とはいえ。

「気乗りしねえなぁ……」

 できれば可能な限り、当たりたくないツテではあるのだが。送られてきた少女の写真を、東は眺めやる。正直な話。

 少女の件だけなら、そこまで火急を要する内容ではない。事件を起こした技能者の目的は不明だが、記憶喪失ということで一度事が済んでいるのなら、これ以上被害が重なるようなことはないはず。

 不憫だとは思ったとしても、手掛かりが掴めるまで待ってもらうしかない。つまり今東の思考で問題になっているのは。

「……」

 少女の一件が、少女を直接に狙ったものでなかった場合の話だ。……可能性としてはかなり低い。

 異形にせよ技能者にせよ、狡猾な仕掛け役が無辜(むこ)の被害者を撒き餌として使うのは珍しい話ではない。見ず知らずの人間を保護したとなれば東とて警戒心を抱かざるを得ないが、今回については、その懸念はほぼ払拭されている。電話越しの会話。

 技能者として力量と経験のある東からしても、擬態や嘘の臭いは感じ取れなかった。……仕込みにしてはやり方が迂遠(うえん)すぎる。

 技能についてはほとんど素人とはいえ、蔭水の一族である以上、黄泉示自身にもある程度鋭敏な感覚が備わっている。そもそも今回の一件が黄泉示に害為すつもりのものであるのなら、家に連れ込んだ時点でジ・エンド。

 技能者界におけるかつての名家とはいえ、現状の蔭水家はほぼ断絶している。引退後の自分を含めて然したる利用価値はない。黄泉示が何も感じていないというのなら。

 ひとまずは信頼して任せるべきだろう。技能者として真っ当な、そこまでの理解が東にはあって。

 しかし……。

「……はっ」

 そうはいっても気になってしまうのは、自分の目で直接確かめられないところにあるのかもしれない。すっかり保護者気取りでいる自分の心境を感じて、東は自嘲気にフェイクのシガレットを摘まみ出す。十年。

 あの日から過ぎた年月を振り返ると、東と(いえど)も感慨に(ひた)らないわけにはいかない心地がある。例え有名があったとしても、技能者界の十年は否応なく長い。

 先の調査で成果が得られなかった件については、全く別の理由も考えられる。技能者として東がある種の(はく)を付けられた人間であるとはいえ、既に引退した身であることは誰もが知るところ。

 つまり今回の調査はプロからの真剣な依頼ではなく、ロートルの趣味的な頼み事と映る公算が大きいということだ。長らく音沙汰がなかった人物からの突然の依頼に対し、果たしてその調査力をどこまで遺憾なく発揮してくれたことだろうか。

「……」

 目を瞑る。瞼の裏に焼き付いているあの日。

 あれから自分は多くのものに目を背け、多くのものを失ってきた。それと同じだけの時間で、黄泉示は歩き出そうとしている。彼が独り立ちへ向けて歩み始めたことで……。

「……連絡、してみっか」

 自分がないがしろにしてきたものに、向き合うべき時が来たのかもしれない。息を吐いて、東は引き出しの奥、表紙の擦り減った古い黒革の手帳を取り出す。黄泉示が入学する学園の所在を聞いたとき。

 真っ先にその名前が思い浮かんだことを、東も否定するわけにはいかなかった。罪悪感と共に置き去りにしてきた過去。

「――っあ~、もしもし?」

 かつての仲間たち。異国の地で奮闘している青年を思い浮かべながら、電話口の向こうに出た相手に、東は話しかける。決まりの悪さに無様に口元を歪めつつ。

「俺だけどよ。久しぶりだな。その……」



 

 

 

 執務室の両側面に並ぶ、四対の書棚。

「……」

 古びた木枠のうちに収められた書物たちは何れも、秘める各々の来歴を感じさせる朽ち色を帯びている。歴史の重みに満ちる空気の中、背後の天窓から差し込む陽の光を受けて、魔導協会の四賢者筆頭、式秋光は黙考している。

「――お疲れ様です」

 重厚なダークブラウンの色味を持つウォールナットの机。カラタチとハシバミの刻印を持つ万年筆の側方から、静かな足音が近づいてくる。質実としたパッチワークの入る羊毛の絨毯を踏み。

「……(あおい)か」

 香ばしい挽き立ての豆の香りを漂わせ、中身を僅かも揺らさぬ正確さでカップが天板に置かれる。湯気を立ち昇らせているコーヒー。執務机の横に佇む女性の姿を目にして、秋光が眉間に浮かぶ皴を和らげた。

 ――櫻御門(さくらみかど)(あおい)

 式家の嫡男であった秋光と同じく、元日本の退魔機関である『祓紋の八家』の家系を出自とする技能者。青みがかった透き通るような黒髪に、同色のブラウスとフレアスカート。

 三十代前半という若さとは裏腹に、四賢者の傍仕(そばづか)えに抜擢された力量が抜きん出ていることは言うまでもないが、何よりその落ち着いた思考の在り方を秋光は高く評価していた。流石、元は軍師の家系とされる櫻御門家といったところ。

「如何様でしょうか、組織方の動向は」

「大きな問題はない」

 公において信頼のおけるパートナーである。これで後は合理性だけでなく、情を含む大器を身に付けることができたなら、次代を担える一人になるだろう。

「二組織とも、警戒態勢の樹立に賛成とのことだ。近いうちに宣言が出される」

「――。そうですか」

「ああ」

 日頃から抱いている感想を今日も新たにしつつ、秋光は葵の表情の変化を見て取る。滅多に起こらない機微が現れるのは、それだけ事態が重いものであるからだろう。

 ――十四支部支部長、ファビオ・グスティーノの死。

「敵は、外部ということですね」

「恐らくはな」

 先日に届いた凶報の記憶は、秋光、葵ともに真新しいところだった。ファビオの魔術による砂鳥の警告を受けて――。

 警戒態勢を保っていた十四支部のメンバーたちが、付近の広場にて戦闘の痕跡を発見した。焼き尽くされた遺骨は誰のものとも分からぬ状態であったものの、残留術式の照合から、死亡者がファビオであると判明。

 残されていた手掛かりと状況から鑑みて、炎を操る技能者と相対したことは間違いがない。支部まで一キロという条件であったにもかかわらず、逃走を遂行しなかったことから、明確な格上であることも予測が立つ。

 しかし――。

「彼らもこちらの被害の裏付けが取れたのだろう。スムーズに話し合いが進むまで、時間はかかったがな」

 問題はその後の協会の調査において、何一つ下手人の候補が出て来なかったということにある。――そう。

 委細不明。影も掴めぬ正体不明の襲撃だが、被害を出していたのは魔導協会だけではなかった。聖戦の儀、国際特別司法執行機関。

 技能者界において魔導協会と並び立つ二組織も、頃合いを同じくして下手人不明の襲撃を受けている。準幹部級の人員が犠牲になっているところまで同じと、互いにその事態を掴んで協議に臨んでなお、組織方の足並みがそろうまでには少なくない時間を要した。互いの出方を窺い合う余り……。

 有事の際に必要な協力体制の樹立が遅くなる。組織方の一人として秋光が憂いている状況ではあったが、今回についてはそれでも幸運な方だと言える。覇王派の反秩序者による領域侵犯。

「どうにか協力にまで漕ぎ着けた。あとは団結して――」

「秋光様は」

 敵方への九鬼永仙の出現。三組織共通の問題ができていたことが、協議を開く上での建前として機能していたからだ。事の成り行きに皮肉なものを感じる秋光の前で、葵が言葉を紡ぐ。

「敵は、どこだと思われますか?」

 唐突な葵の言葉。

 聞く者によっては繰り返しと取れたかもしれない台詞に対し、秋光は黙ったままその表情を見つめ返す。犯行者の手掛かりは掴めていない。

 その上で支部長を下すほどの実力者がどこから現れたのかと問われれば、心当たりはかなりのこと限られる。力を有し、かつ三組織を敵に回しても構わないと思える組織。

 三大組織に対する公然の敵対者、かの凶王派以外に有力な回答の候補はない。手がかりを一切残すことなく支部長を殺すことも。

「……」

 一部の幹部クラスになら可能だろう。……ただ。

 そうした常識を理解してなお、秋光には気に掛かっている部分があった。協議の際にも問題となっていた、覇王派の反秩序者の動向。

 支部長の殺害以前に起きた、十四支部への強襲。襲撃の中で永仙が目撃され、ファビオにその件を訊こうとした矢先の殺害であるからには、その間に糸を結びつけることが容易であるのは間違いがない。

 だとしても。

 二つの事件は余りに手口が違い過ぎている。覇王派による強襲はそれなりの人数で、支部一つを巻き込み、正体が割れても構わないという大胆さを備えていた。

 例の狂覇者らしいやり口とも言え、対するファビオへの襲撃は、支部長単体に的を絞った、いわば暗殺に近い手法である。……凶王派の動向には、組織側全体が目を光らせている。

 行動の隠匿を重視しない覇王派はともかく、他派の動きを完全に追えるわけではないとはいえ、こうも手掛かりがないことなどあり得るだろうか?

 更に言うならば、凶王派の公算が大きいのは事実だが、同じ『三大組織』と銘打たれる他の二組織の犯行という線も捨て切れない。信仰勢力の集積たる『聖戦の義』、非技能者の用いる科学技術を中核に据えた『国際特別司法執行機関』。

 共に三大組織として秩序を維持する側に数えられてはいるものの、成立を問えば三者は決して友好関係にあるとは言えない。信仰組織として異端撲滅に注力した『聖騎士団』への抵抗組織として生まれた『魔導連合』が現協会の前身であり、聖戦の義はその聖騎士団の後継として成立した組織。

 執行機関については大戦後、近代国家が後ろ盾となることで生まれた歴史の浅い組織であり、魔術や秘跡を利用した特殊技能犯罪への対処、ひいては権勢を振るう技能者への対抗という狙いから設立された経緯を持つ。特別法の一線で線を引くとはいえ、超法規的な立場を取る協会や聖戦の義に対し、技能者全般への強い敵対意識を有す彼らが好意的な印象を抱くはずもなく。

 隙あらば隣から剣を向けられる。そうした緊張関係の上に三者の共存は成り立っている。気を緩めることは許されない。

「……」

 手掛かりが掴めていない以上、二組織への疑いは厳密には消えていない。構成員を犠牲にした自作自演という、最悪の事例を想定することはできる。技能者界の秩序が大きく揺るがされかねない大事を前にして、葵はそう言いたいのだろう。

 ――だが。

「その答えは、確証を得られてからにしよう」

「――、はい」

 信頼がなければ、協力体制などまともに機能しない。(いたずら)な疑念は自分たちの首を絞めるだけ。

 そのことは他の二組織も分かっているはず。凶王派や永仙の動向を考えても、まだこの時期に仕掛けてくるとは考えづらい。

 そもそも秋光の想定するこれらはあくまでも可能性の高い選択肢であって、例外的な事項であれば幾らでも考えつける。覇王派の一件に便乗した、『逸れ者』個人による愉快犯的な可能性。

 未知の組織による襲撃など、一度疑いを持てば可能性の視座はとめどなく広がっていく。協会の舵取りを託される賢者筆頭として、迂闊な判断を下すこと。

「――失礼します」

 それこそが最も避けるべきことだ。空気を切るように、執務室の扉がノックされる。間を経て入ってきたのは、年若い協会員。

「どうした?」

「対外部署からの連絡です。秋光様本人に、応答をお願いしたいと」

「必要なら私が出ます」

 葵が半歩前に出る。理知的な瞳が、職員の至らない対応を打ち据える。

「筆頭は多忙です。不要に手を煩わせないよう」

「は、はい。ですが――」

「誰だ?」

 協会員の態度で秋光は察する。気圧されていたような青年の表情が、明瞭に安堵を増した。

「っはい。それが――」



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