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彼方を見る者たちへ  作者: 二立三析
第六章 運命の日
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第三十話 消えぬ輝き




 ……つかの間の夢のようだった(うたげ)の時間が終わり。

「ふぅ……」

 町で一晩を明かした永仙(えいせん)は、宿屋の個室で独り、考えを巡らせている。……始まりは自身の憂鬱から。

 不可思議な一通の手紙を契機とし、無聊(ぶりょう)を晴らす一助になればいいと思っていた。軽い興味本位の気持ちで、この地に足を踏み入れたことは確かで……。

 ――だが。

「……そうだな」

 ――こんな行いができるのなら、悪くない。

 立場のある身として組織の一員となる以上、他組織との(わずら)わしい駆け引きや、形式的な雑務といった面倒事から逃れることはできないのだとしても。その中においても四賢者として、魔術師として己の選んだ歩き方で責務を果たす。

 それら一つ一つの取り組みの積み重ねがきっと、自分にとって誇りと言える道筋になるはずだ。揺らしたグラスのうちで、琥珀色の液体に浮かぶ透明な氷が軽やかに心地のいい音を立てる。

 普段は滅多に口にしない、アルコールの余韻。戦火を超えて、この土地で育まれた麦から造られたスコッチの香りが、身体のみならず心にまで染み渡っていくようであって……。

「――っ四賢者様‼‼」

「――⁉」

 いつにない(いこ)いの時間に浸っていた永仙の意識を、開け放たれたドアから鋭く響く、息せき切った町人の叫びが打ち切った。


 ――


「――ッ」

 視界のうちに捉えた光景。

 報告を聞いて部屋を飛び出し、心臓を破りそうな鼓動の苦しさにも構わず走り来た永仙の視線の先で。……町の入り口から十メートルと離れていない、並ぶ木造の家屋の中央を貫く開かれた通りの上に、花が咲いているのが見える。

 澄んだ空の元でそよ風に吹かれ、柔らかな朝日を受けて温かい色合いに色調を変えている無数の花びらたち。往来する人間や牛馬、荷車のためにむらなく整地された土の上では――。

「……」

 決してあり得ないはずの、小さくも壮麗な、花畑が。あるべき季節も気温も構うことなく満開に、色鮮やかに咲き誇る多様な花弁たちの中心に。

「……」

 この七ヶ月で幾度となく語り合った、二人の人物が斃れている。……うつ伏せに倒れた野良着姿の老人に。

 空を仰ぎ見たまま、眠るように目を閉じて倒れている可憐なワンピースの少女。強引に押さえ付けられたのちに飛び散った、異質な魔力の残滓(ざんし)

「……」

 澄んだ大気のうちで、今なお(ほころ)んでは消えていく術式の残骸。魔術師として磨き抜かれた知識と感知の能力が、あえて思考に意識を回す努力をせずとも、この場で起きた事件の全貌を、克明なビジョンとして永仙の脳裏に再現してくれていた。――力の暴走(・・・・)

 現像した写真を受け取りに行った帰り、恐らくはこれまでになかったほどの、絶望的な発作と言えるほど強力な力の波が二人を襲った。永仙の組み上げた術式による肩代わりの原理を逸脱し――。

 限界を迎えた術式が破綻の寸前にまで至る。老人も、イデアも、即座にそのことに気が付いた。必死で自分の力を抑え込もうとするイデアと、対処の手を打とうとする老人だが、何の備えもない道端(みちばた)では取りうる手立てがない。

 崩壊する術式が波動を抑えておける時間はごく僅かであり、ひとたび暴走を許したなら、変質の力の影響はイデアたちのみならず、町人たちの暮らすこの町全体を飲み込みかねない。僅かな猶予だけの与えられた二人にとって、現実的に残されていた選択肢とは――。

「……」

 どう考えてみても、一つしかなかったのだ。……自分たちで自らの命を絶つ。

 己自身でさえ制御のできない【世界変質】の力はしかし、イデアの生存に直結している能力であることには違いない。保有者である当人の命が消えたなら、世界に(もたら)される影響も消失する。

 望まぬ未来の実現を避けるため、最後の手段としてあり続けていた選択肢。僅かな時間で自分たちの置かれた状況を理解し、唯一の方法として受け入れて――。

「……」

 二人はそれを、実行したのだ。うつ伏せに事切れている老人の手のひら。

〝――■より仕方■ないこと〟

「――」

〝手を尽■していた■き、■■■と■ございました〟

 強引な魔力の稼働によって破れた神経から血を流しながらも伸ばされた指の先に、魔力によって書かれた、微かな光を放つ遺言たちがある。変質によって中途は輝くような未知の結晶体に変わり、読めなくなっているが、

 何が書かれていたのかは想像が付く。――〝元より仕方のないこと〟

〝手を尽くしていただき、ありがとうございました〟。脳裏に蘇る、どこまでも誠実な重みを持っていた老人の声。

 暴走を食い止めるための手立てで魔力を使い果たし、耐えがたい苦痛が肉体と精神を襲っている死の間際で、そんなことを思っていたのか。そして……。

「……」

 口元から一筋の血を流して横たわる、イデアの姿に永仙は目を移す。生前と変わらない柔らかな微笑を浮かべた、死者とは思えぬほど穏やかなその表情……。

 二度と開かない、星の光のようだった瞳から流される血と涙の混じった線の下で、胸元に握られた手のひらのうちに、夕陽を照り返す、静かな煌めきが見えている。……震える指先を近づける。

 力を失いそうになる膝を、自らを取り囲む花畑の中に落とし、脈動を止めた浅黒の肌を見つめながら、鳴りやまない自分の心臓の音を耳から追い出そうとする。ゆっくりと開かせた指の下――。

 地面に落とさぬよう、手のひらに爪痕を残すほど強く握られた指の内側から、美しい装飾の施された、金色のペンダントが(すべ)り落ちてきた。視線の先に映る、投げ出された反対の手のひら。

〝――貴方のせいじゃない〟

 花の陰に隠れた柔らかなその肌の上に、緋色で記された、小さな言葉たちが見える。手紙の中にあったのと同じ筆跡。

〝あんなにも美しい世界を見せてくれて、ありがとう〟

 己の命の消えていく寒さの中で刻まれたのだろう言葉たちは、微かに輪郭と終わり際が崩れている。自らの流す血で(つづ)られた、どこまでも真っすぐな想いの感情を前にして――。

「……ッッ‼‼」

 如何ともし得ない激情を覚えた永仙の拳が。……己の心臓の上に強く、叩き付けられた。






「――馬鹿な真似は止めな」

 ――魔導協会の執務室。

「今の協会に、あんた以上の賢者の適任者はいない」

「……」

「何があったのかは、報告書であらかた読ませてもらったが。一度の失敗で、何もかも投げ捨てるつもりかい?」

 自らの四賢者資格の剥奪を願い出た永仙の目前に――波打つ黒髪の女性、協会の大賢者である魔術師、リア・ファレルが立っている。右の腰に手のひらを当て。

「……どれだけ後悔をしたところで、時間ってのは戻らない」

「……」

「やっちまったことについて、どう向き合って生きていくのかは、あんた次第なんだ。今のあんたがどう言おうと、私は大賢者として反対する」

 答えを返せずにいる永仙に今一度眼差しを送って。腰元まである髪をなびかせて背を向けると、ドアへ向けて歩き去った。

「そいつが本当に適切な選択なのか。自分の心の内側を、もう一度見つめ直してみな」

 同情のこもらない、先達としての忠告が最後に残される。扉の閉まる音が響き――。

「……」

 部屋の最奥。書類の詰まれた机の上で、ぼんやりとした視線を下ろし続ける永仙の瞳に、あの日のペンダントが映っている。手のひらに乗せられた静かな重み。

 柔らかく磨かれた金色の金属で鋳造され、開かれたロケットのうちには、現像された二人の写真が収められている。……慣れない写真に、澄ましながらもどこかぎこちない微笑みを浮かべているイデア。

 その隣に立っている自分。自負と誇りを浮かべた、賢者としての表情……。

〝――元より仕方のないこと〟

「――ッ」

〝手を尽くしていただき、ありがとうございました〟

 老人の遺した最期の言葉が、克明に脳裏に蘇る。……ッ違う。

 違う、違う、違う。

 ――自分は――ッ。

「……‼」

 ……自分は決して、手を尽くせていたわけではなかったのだ。それまでに類を見ないほどの力の波動が起きたとはいえ。

 現象としての性質が変わっていないのなら、構築した理論で完全に抑え込める。それだけの術理を永仙は作っていたはずだったし、確認もしていたはずだった。あらゆるリスクと綻びとを想定し……。

 考え得る一分の隙さえも無いように、己の全霊を懸けて挑んでいたはずだったのに。……っ失敗していた。

 町人たちの間で密やかに行われた二人の葬儀ののち、永仙は己の組み立てた理論と構築式とを徹底的に洗い直した。寝食を(ないがし)ろにして取り組み続け、

 丸二日に及んだ精査ののち、それまでの考え方では死角となっていた、致命的となる一つの不備を発見したのだ。……【世界変質】の影響を肩代わりする【世界】自体が変質を受け続けることよる、現実世界とすり合わせを行う際の僅かなズレ。

 綿密と言える構築式で導き出し、弾き出したはずの計算だったが、ある一定の波長の力の影響を過大に受けた場合のみ、そのズレが一瞬だけ許容量を超えてしまう。尋常であれば致し方ないとも思えるような、針の穴を突くような僅かな欠陥だが……。

 己の全霊を賭して挑んだ永仙の眼には、それが余りにも明白な過ちとして映っていた。……理論の段階では仕方がなかったかもしれない。

 紙の上での情報が不足していたのは事実だが、実際に術式を稼働させたあと、始めに石造りの建物でイデアの力の波動を受けたあの瞬間に、より慎重を問う姿勢をみせていたならば?

 今回の破綻の予兆と言える、僅かな揺らぎの現象に目を留めていたならば――どれだけ可能性が低いとしても、気付ける算段はあったはずだった。くみ上げた式を今一度見直し、より完璧なものへと組み変えていたならば。

「――ッ」

 あの二人にあんな終わりを迎えさせない方法を、掴めていたはずだったのに。花畑に斃れてた、イデアと老人の姿。

 棺に納められた遺体の姿が、鮮明に網膜に蘇る。祝いの席で心から笑顔を見せ――。

 自分に全幅の信頼を置いてくれていた、二人の姿もまた。――ッ……‼

「……ッ……ッッ‼‼」

 ――激情。

 己の骨を砕かんばかりに握り締められた拳のうちに、鈍い痛みと共に熱い液体が滲み出す。……己へ何度ぶつけてもやまない情念。

 いかなる理由や理屈でさえ如何ともし難い何かが、永仙の胸中で(うな)りを上げて渦巻いている。……っ消し去ることなどできない。

 時の流れが何れ、この痛みを薄れさせるとしても。……この痛みを忘れ去ることを自分は赦さない。忘れてはならない。

 己の犯した過ちを、この身体のうちで荒れ狂う情念を。己自身の奥底に、刻み付けなければ――ッッ‼‼

「――」

 ……そうだ。

 老人は言っていた。我が子の遺したただ一人の孫娘でありながら、自分はこれまで、彼女の望みを助けられなかったのだと。

 閉じ込めることしかできないでいた分、これからは、彼女に広い世界を見せてやりたいのだと。――彼女は言っていた。

 世界は美しいと。数奇な運命を負わされ、長く闇の中で息を潜めることになったとしても、私たちのいる世界は愛おしく、こんなにも輝いて見えるものなのだと。二人と交わした言葉――。

「――」

 二人の灯した思いが未だに、自らの胸のうちにある。生きて自らの望みを果たすはずだった二人を、己の過信と抜かりで永遠に喪わせたのなら。

 ――ならば私は、それを守ろう。

 二人の未来を潰えさせた人間として、魔導の秩序を担う賢者の一人として。彼の愛した彼女の、彼女の愛した世界を、守り続ける。

 命尽きる最期の時まで。いかなる苦難を受けることになろうとも。

 絶対に……。



 

 


 ――純白の世界。

「……ここまで、か」

 全てが崩れ去っていく茫漠(ぼうばく)の景色のうちに在って、永仙は独り、その言葉を呟いている。薄れていく指先。

【三千世界】――数十万もの構築式によって編まれた【世界】の崩壊に伴って、内部に在るあらゆる存在が終わりの時を迎えようとしているのだ。発動すれば逃れることはできず、

 例え術者であるとしても、確実な存在の消滅を迎えることになる。脳裏に浮かぶこれまでの情景……。

 ――多くの人の、輝きがあった。

 自らの(そう)祖母(そぼ)である銀揺(ぎんよう)に始まり。魔導協会の俊英にして長を務めた魔術師、リア・ファレル。

 出自を同じくしていると知り、友として同じ道を歩んできた秋光(あきみつ)に、稀に見る徹底した厳格さを持っていたレイガス。肩を共に並べて戦った――。

 (めい)()紫音(しおん)(あずま)とエアリーに、レイルたち。……己の提案を受け入れてくれた(きょう)(おう)ら。

 拳を交わして友となった狂覇者に、(よわい)に似つかわしくない峻厳さを見せていた魔王、冥王。事あるごとに皮肉を口にしていた賢王と――。

「――っ」

 ――これからの時代を歩んでいくことになる、若き人間たち。……そうだ。

 思い返し切れぬほどの人物たちの姿を脳裏に思い浮かばせながら、永仙は思う。あの日からどれだけの時間と経験が身に刻まれようとも、自分の考えはやはり、変わらない。

 世界に多くの嘆きが降り続けていることが確かでも。ヴェイグの目にしてきた歴史と、語る言葉が真実そのものであろうとも、己の様々な輝きを放つ者たちを見てきたからこそ、本心からこう言える。あのときの彼女と同じ――。

「――世界は美しい」

 今この瞬間に至るまで、自らが選び続けてきたその答えを。死にゆくこの間際で、偽ることなく口にできた己の生きざまに、微かに口元を上げて。

「……あとは、任せたぞ」

 静かに永仙は目を閉じる。向こうに待つ懐かしい人々の姿が心に浮かぶ。

「お前たちなら、きっと――……」

 枯れた唇から零される呟きが消えていく。閉じていく空白の世界に、崩れゆく己の存在を溶かし――。

 魔導協会の元大賢者、世界の守り手たる九鬼(くき)永仙(えいせん)は、世界のうちから消失した。


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