第二十九話 星明りの笑顔
「……」
――老人の話を受けた、翌日。
町の中央にある酒場で、永仙は遅めの昼食となるシチューを口にしていた。作られた時代の古さを感じさせながらも、丁寧な掃除によって清潔さの保たれた木造りの椅子と机。
昨日の夕飯と同様、素朴ながらも味わいの濃い料理は、作り手と共に育まれた風土の趣を感じさせるものだが、まだ日の落ちる以前の時間帯とあってか、昨夜に比べれば流石に人の入りは少なく見える。複数の香草の香りをうちに含めた、後味に軽い苦みの乗る茶を飲みつつ――。
〝――両親は、私が物心つく前に二人とも亡くなったの〟
年季の入った天板の木目を見つめる永仙の脳裏に、イデアの言葉が思い返される。石壁を見つめながら口にされていた言葉。
〝母親は私を生んだときに、私の力の影響を受けて。父親は出産時にその場に立ち会っていて、私と母さんと助けようとして亡くなったと聞いた〟
〝……〟
〝物心つく前のことだから、実際に覚えてはいないけど。それからは町の人全員で、私の対処と対応を考えることになった〟
イデアの指先が、自身の座り込んでいるベッドのシーツの上をゆっくりと滑る。乗せている足の指先が作り出す皴の道筋を、無意味になぞるようにして。
〝私の力が抑えきれないものだって分かって、おじいちゃんがこの塔が完成させるまでに、何人かが命を落としたわ〟
〝……だからこの場所にいるのか?〟
なるべく感情を込めずに語られているような話の中身に、永仙は慎重に自らの口にする言葉を選び取っていく。
〝力による望まぬ被害を防ぐために。自らの意志で〟
〝……全部が全部、そういうわけじゃないけどね〟
血色の薄い唇から吐かれたのは、そのまま消え入るかと思うほど微かな溜め息。
〝外に出たい気持ちもあるし、自分の境遇を呪う気持ちもある〟
〝――〟
〝なんでこんな体質に生まれて来たのかって。胸の内側に、沸々と燃えるように湧いてくる気持ちがあるわ〟
〝……〟
〝……でも……〟
瞳に映る星の光を飲み込むような暗い情念の蠢きを覗かせたあとで、輝かしい陽の光を思い出したような、柔らかな表情がイデアの頬に浮かんだ。
〝……物心つくかつかないかくらいのときから、覚えていることがあるの〟
〝……?〟
〝子どもの頃の私を、世話してくれた人たちのこと。みんながみんな、私を助けようとしてくれていた〟
言葉の端々に宿るのは、冷たい暗闇を照らす星明りにも似た、微かでも疑いようのない温かさ。
〝恐怖で怯えたり、不安に思ったりする人も周りにはいたけど、それでも石を投げるようなことはされなかった〟
〝……〟
〝この力を何とかして、普通の生活が送れるようにって、願ってくれていた。――世の中には、生まれる前に死んでしまうことだってあるわ〟
そこまで暖かだった声の音が、不意に冷たい記憶をなぞるような感情の色を帯びる。
〝生まれて間もなくして、戦火の中で誰の手も差し伸べられずに死んでしまうこともある〟
〝……っ〟
〝どんな呪いを持っていようと、私は世界に生まれて、支えられてきた。私に手を差し伸べてくれた、あの人たちのことを考えたなら……〟
老人の語っていた惨劇の記憶。町の人間として、凶王派との衝突の歴史を知っているのだろうイデアの言葉が、ふと、力の抜けるような柔らかさをみせる。
〝無理にここを出て行こうって気持ちには、なれないってだけ〟
〝……〟
〝今の私が外に出ても、望まない混乱で誰かに迷惑をかけるだけでしかないし。……だから〟
〝――あの戦いから私どもが誓ったのは、あのような惨劇の歴史を繰り返さないということだけではありません〟
永仙の耳に蘇るのは、宿屋で夕飯を共にする席にて、乾いた両掌を硬く組み合わせて声を出していた、老人の声。
〝無念のうちで死んでいくような人間を、誰一人出さないようにすること〟
〝――〟
〝この町にいる者だけにしか、手が届かないとしても……この生命ある限り、誰一人見捨てるような真似はしないのだという決意です〟
「……」
己の骨髄に刻む覚悟を吐き出すような吐露。目元に浮かべられた、皴の深さを思い返したとき――。
「――お呼びでしょうかな」
永仙の示す答えは、決まっていた。宿の主人の言伝で訪れた老人。
「丸一日かかるやもと思っておりましたが。あの子との話の中で、答えを出されたようですな」
「……ああ」
「私どもも覚悟はできております。……九鬼殿の答えを、お聞かせ願いたい」
真剣な面持ちをした老人が永仙に向き直る。口を開き――。
「――この件は、協会には報告しない」
「――」
「イデアの件が伝われば、協会の内部でも意見の分断が発生する」
永仙は、自らの答えを口にした。――そう。
この件に対する協会の対応は、恐らく一枚岩とはなり得ない。リア・ファレルを中心とする、協会の本懐たる理念を貫かんとする立場と、
「凶王派や他組織に付け込まれるような隙を作る行為は、協会にとって不利益に働く公算が大きい」
「……」
「事情が伝われば、この地や組織間に新しい戦火を招く恐れもある。この町の状況を無意味に暗転させることは、私としても望みではない」
「……ありがたい心遣いとお言葉です」
「……だが」
組織や技術にとっての権益を何よりも重視する者たちとの立場に立ち分かれて、最悪の場合、組織の内部抗争にも発展しかねない危険性を秘めている。感謝を示しかけた老人を前にして、永仙は言葉を切る。次に口にする台詞。
「目にしたこの事態を、見過ごして帰ることもしない」
「――⁉」
「魔導の継承の途絶えた環境で為された努力には敬服するが。あの術式による押さえ込みが、長くは持たないのは明白だ」
己の言わんとする中身への決意を再び確かめて、永仙は、瞠目する老人の眼を見つめ直した。――そうだ。
この場において求められるのは、単なる協会の賢者としての判定だけではない。……自分が自分として何を成すか。
「あれを超える措置ができなければ、いずれ、最悪の選択を迫られることになるだろう」
「……そうであっても」
九鬼家を出奔し、協会の門を叩き、魔術師として歩んできた自らが、己の道をどう成したいのかだ。老人の喉から絞り出されたのは、耐え難い苦悩の果てに抱え込んだ不治の痛み。
「それしか……それしかないのであれば」
「……」
「あの子が世界で生きられる時間を。せめて少しでも長く……」
「――私が請け負おう」
それらを看過することができないからこそ、永仙は己の決めるところの言葉を口にした。見つめる瞳に自負を浮かべ。
「あの少女、イデアの力の抑制について」
「――⁉」
「問題となっている特性の中心を。私が解決してみせる」
「――それは……っ」
言葉に詰まる老人。――できるのなら苦労はしない。
「……四賢者である九鬼殿が仰られるなら、私どもには反対し遂せる理由もありませぬが」
「……」
「あの子の特異性を前にして――なお、見込める望みがあるということですかな?」
「――ああ」
何より望んだそれができないからこそ、苦悩はここまで行きついている。明瞭に疑問を物語る老人の眼差しに対し、永仙ははっきりと頷きを返す。――分からない。
それが永仙の本心からの見立てだった。これまでの魔術師としての人生で、およそ想像だにしなかった力と作用。
十七において九鬼家の秘奥を余さず修得し、協会の門を叩いてより、集積された術理を貪るように取り入れてきた自分であっても、千尋の谷より這い上がるほど困難な道のりとなることは想像がつく。……協会への情報の秘匿。
背信とも取られかねない行為の実行を考えたなら、場合によっては組織から追われる身ともなりかねないはずであって。――それでも。
「――できる」
「――」
「私の四賢者としての、魔術師としての全てを懸けて臨む。それに――」
あの少女と、この老人たちがこの先進む足取りを考えたならば、何もしないという選択は永仙にはありえなかった。自分が魔導の道を志したのは――。
単なる知識や技術への傾倒からでも、魔導の大家となる家に生を受けたからでもない。――何かを成しうると思ったから。
己の生まれ落ちた環境をもって、世界と人のために何かができると考えたからこそ、永仙は今此処まで魔導の道のりを歩むことを選んできた。己の磨き上げてきた知識と技をもってして、目の前の問題を打ち砕けないのであれば。
「あの娘がこの先、平穏無事な生活を送ることを望むのなら」
「――ッ」
「己の自由のままに、望む道を歩いていくことを願うのなら。……どれだけ困難に思えたとしても、取ることのできる答えとは、一つしかない」
この先自分が魔術師として立っていく道理など、果たしてどこにあるというのか。……老人が目を瞑る。
思考と脳裏のうちで浮かんでいるだろう数多の苦悩と逡巡。瞼の裏に過ったはずの、様々な想像の衝突を垣間見たのちに――。
「……なにとぞ」
「――」
「なにとぞ、――よろしくお願い申し上げます」
己の葛藤を乗り越えた老人が、覚悟を込めて頭を下げた。……。
――そして。
「……」
イデアのいる塔に通い始めてから、七か月後。目元にくっきりとクマを浮かべた永仙の目前には、変わらぬ部屋の中に閉じ込められたままの少女がいる。いつにない緊張をもって腰かけている姿。
「……本当に大丈夫なの?」
「……勿論だ」
「もし大きな力の波が来たら。……私には、抑えられない」
目元を眇めた少女が、微かに震えている手のひらを握る。
「最悪の場合、この町全体に被害が及ぶかもしれない。貴方とおじいちゃんも――っ」
「……九鬼殿の組んだ術式については、儂もこの目で確認している」
永仙の隣に立つ老人が、穏やかな中にも確信を秘めた口調で口にする。
「魔導の常識を覆す発想と手腕で編まれ、細部まで一点の瑕もない。一つの芸術とさえ言える術式じゃ」
「――」
「古代から現代までの理論を駆使し、お前の力を抑えるよう、完璧な形と計算で組み合わせてある。……心配は要らない」
「……っ」
嘘偽りのない祖父の言葉に、イデアが心を動かされたような面持ちを見せる。……そう。
協会の賢者としての業務をこなしながらも、この七か月間、持ちうる全ての時間と力を賭して組み上げた術式だ。……間違いがあるはずもない。
自信と確信は胸にあるが、効果が実際にどれだけ正確なものになるかは、現実に運用してみなければどうしても分からない面がある。……彼女の力の大きさには、波がある。
石畳に水滴を落とすような僅かな作用で済むこともあれば、一息に天より降り注ぐ大雨のような、辺り一帯を変質させる危険な波動を放つこともある。彼女自身の意志と、老人の執念たる術式によって押さえ込まれていた力。
人の身で抱え込むには余りに特異なその力を、無害なものと成すことができるかどうか。己の魔術師としての道のり全てが――!
「……!」
この一事の結末で、意義あるものだったかどうかが決まるのだ。魔力を抑え込む部屋の中から、老人の手によって術式が解除されている建物の内部へ、イデアが歩み出る。……一歩。
二歩。開かれた格子を踏み越え、薄氷を踏むかのように恐々と踏み出されたサンダル履きの素足は、そこで運命を待つかのように固まったまま動かなくなる。……五秒。
十秒。凝視して術式の働きを確かめる永仙と老人の眼の前で、静かに時間だけが流れていく。誰もが息を張り詰めたまま、二十秒の時が過ぎ――。
「――ッ‼」
「――‼」
一際大きい力の波動が放たれた瞬間。少女を囲む世界の影が一瞬二重に別れたかと思うと、全ての物が輪郭をぼやけさせるような動きを示す。……っ僅かな揺らぎ。
「……!」
油断できない現象に全身の神経を張り詰めて気を配る永仙の眼前で、揺らぎを含んだ世界の景色が、そのブレを自己修復するかのようにゆっくりと元の形を取り戻していく。……分かれていた世界の姿が、再び一つのものへと重なり合い。
「――」
「……大丈夫、なの?」
変わらない。待ち続けてみても、世界を侵食する変化の波は訪れない。
「小さな力の波は起きている感覚はするけど、……世界が変わった様子はない」
「……」
「大きな波も抑え込んだ。本当に――っ」
「……ああ」
恐る恐ると言った様子で声を出したイデアに、確信をもって永仙は頷く。――ッ成功した。
「――っああ」
術式に綻びはなく、自分の思い描いた通りの機能と強度で作用している。隣に立つ老人の眼から、溢れ出た一筋の涙が冷たい石の床に零れ落ちる。
「――良かった」
「――」
「良かった。本当に――っ」
「……!」
孫娘を抱きしめる老人の手。驚くイデアの様子を、至近で愛おし気に見つめたのち、
「……っありがとうございます」
「……」
「ありがとうございます、永仙殿……!」
「……礼はいい」
涙の線を拭った老人が振り返る。己の成し遂げた所業に安堵と喜びを覚えつつ、平静を保つ永仙は、協会の賢者たる答えを口にする。
「己の心に従い、成すべきことを為しただけだ」
「――」
「私の力を信じてくれたことにこそ、礼を言う。――歩けるか?」
「っ、ええ」
手を差し出した永仙に、一瞬だけ躊躇いの表情を見せたイデアが、手のひらを重ね合わせてくる。冷たく滑らかな手。
「……ありがとう」
「……」
「――永仙」
だが今は、その中に流れる確かな生命の温かさが感じられる。永仙の手を握り返したイデアが、これまでにない、色鮮やかな情感を乗せた面持ちで微笑んだ。
――
――そのあと。
夕陽に影を落とす無用の建造物をあとにし、町を訪れた少女は、町人たちの前で永仙から事情を説明された。反応は様々。
あからさまに疑問や不安の表情を浮かべる者も少なくなかったが、祖父である老人が実際に少女と触れ合ってみせたことで、懸念は一掃された。町人たちとの触れ合いと、温かい言葉を受けることになり。
始めは戸惑いがちだった少女も、次第に目じりに涙を浮かべ、笑みを浮かべるようになっていた。呪いの解けた記念に、町全体で祝いの宴を開こうという運びになり――。
「……」
「――まさか、こんな光景が見られる日が来るとは」
今。町唯一の踊り場で卓を囲む永仙の対面には、イデアの祖父である老人が腰かけている。二人の眼差しの先にいる少女。
「夢の中で何度も目にし、覚めては虚しさに落胆する日々でしたが……」
「……」
「生きていて良かったと、今では心からそう思える。――ありがとうございます、永仙殿」
「……いや」
町人たちに囲まれ、嬉しそうに言葉をかけあっている様子。何十回目かも分からない謝辞に小さく手を振りながら、エールを口に運んだ永仙は、胸のうちで達成の実感を噛み締めていた。……【世界構築】。
彼女の引き起こす世界への変質を、術式で構築した別の【世界】に肩代わりさせるという理論こそが、今回の試練で永仙が生み出した新たな術法の核心だった。【世界】の概念魔術とさえ言えるようなその発想は、記録に残る歴史の中ではこれまで誰も実現したことがないものであり――。
「息子たちの遺志を継ぐ立場でありながら、これまであの子を暗い石の部屋に閉じ込めることしかできなかった」
全てが初となる理論と計算に基づく試みである以上、百の確実性はない賭けではあったが。……自分の見立ては、間違っていなかった。
「これからは、あの子に広い世界を見せてやりたい」
「――」
「自由を謳歌し、自分の進みたい道を歩めるように。これから本当の意味で、あの子の人生が始められるのです」
「……そうだな」
理論を構築したことで、それを応用する新しい技法についても構想が浮かびそうな気がする。実戦的な運用の可能な術法を開発するには、より多くの課題があるだろうが……。
「――おじいちゃん」
今はただ、この瞬間を楽しんでいたい。――イデア。
「姿が見えないと思ったら、こんなところにいたの」
「おお、イデアか」
「主役の身内なんだから、もっと真ん中の方にいてくれないと。――永仙も」
特別に仕立てられた洋服で着飾ったイデアが――永仙の方に瞳を向ける。
「もっと町の人たちの相手をしてくれないと。どういう原理でこんなことができたのかなんて、素人の私に訊かれても分からないのに」
「九鬼殿の術法の説明をしても、大半の町人には理解不可能じゃよ。儂だって糸を解くように丁寧に説明されて、ようやく飲み込めたくらいなんじゃから」
「もう酔っぱらってる。普段は頼れるおじいちゃんなんだけどね」
机に突っ伏しかけている老人の頭を優しくつつくと、軽く息を吐き。
「こうなっちゃうと、ただの人のいいおじいちゃんだわ。――現像にはもう少しかかるみたい」
「ああ」
「できあがったら、二人にプレゼントするって。写真屋のおじさんが張り切ってた」
軽く肩を竦めるイデア。――そう。
今日この日を記念として残そうと言う町人からの提案で、イデアと永仙は写真を撮らされていた。始めは両人とも、老人を含めた三人で映ろうと言ったのだが、
自分はあくまで主役ではないとして、自分が映ることを老人が良しとしなかったのだ。どことなくぎこちない雰囲気を感じながらも、町人の求めに応じて撮影を済ませ――。
「永仙殿、イデア……。むにゃむにゃ……」
「……その」
その現像を待っているというわけだ。眠るように机に突っ伏す老人をちらりと目にして、口ごもるようにイデアが言い出す。
「二人で話したいことがあるの。……少し、いいかしら?」
――
「――星が綺麗ね」
酒場の三階から歩み出たバルコニーの先。視線の先に広がる広大な夜空を見上げるようにして、永仙の先を行くイデアが、奇麗に櫛の入れられた癖毛の黒髪を揺らす。
「あんなに遠いのに。暗い夜の中でも、懸命に輝いている」
「……そうだな」
「街灯や炎の明かりよりずっと弱い光のはずなのに、どうしてあんなに輝いて見えるのかしら。本当に、不思議だわ」
答えを必要としないように呟かれた声。暫しの静寂が過ったのち……。
「……貴方には、本当に感謝してる」
改めて唇を開いたイデアの手が、バルコニーの端を囲む木製の手すりにそっと触れる。ざらつくその表面を柔らかに撫で。
「これまでは、周りの全部を自分が壊してしまうんじゃないかって怖かった」
「……」
「近づけば壊れてしまう、触れることなんて敵わない。受け入れるしかないことだって思っていたけれど……」
指先でその硬さと荒さを確かめる。風雨によって刻まれた傷やささくれの一つ一つさえ、愛おしいもののように情感を込めて木肌をなぞり。
「――世界って、こんなにも美しく色づいて見えるものだったのね」
「――」
「目に映る全部が輝いて見える。全部が全部愛おしくて、大切なもの」
指先を欄干から離したイデアが、その感触を自らの心に仕舞い込むように、胸元で静かに手のひらを握り締めた。
「今の私、この世界に生まれてきて、本当に良かったって思えるわ」
「……ああ」
「世界は美しい。貴方の……」
瞬いた双眸。星の光を閉じ込めたような瞳が、方角を変えた面のうちから永仙を見つめる。伸ばされた手のひら。
「貴方のお陰で、私もそう思えるようになった」
「……」
「……もう少し身の回りの状況が落ち着いたら」
その手のひらに手を重ねた永仙に、自分を握り返す確かな力が伝わってくる。熱く、
「私きっと、貴方に会いに行く」
「――」
「協会に入って、貴方の隣で、貴方のように誰かを助けられる魔術師になる。……できるかしら?」
「……どうだろうな」
触れれば火傷をしてしまうような、暖炉の中で燃える熾火のような熱。万感の思いを込めて見つめているだろう少女に対し、永仙はあえて真面目な面持ちで言葉を返す。
「水を差すことを言ってしまうだろうが、今回のことはまだ、行動と選択の自由を得ただけに過ぎない」
「――」
「これから自分の道を進むうえで、考えることは山のようにある。自分の持つ力以外の問題も、多く現れるだろう。だが――」
永仙は今一度それを確かめる。自分がこれまで歩んできた道のりの中で、常に心に抱いていた信念を。
「夢とはいつか、叶うものだ」
「――」
「絶対的な意味で不可能なことなどない。少なくとも私は、それに生涯挑み続けるつもりでいる」
「……厳しい台詞ね」
この町を訪れ、老人と、イデアたちと交わした言葉たち。自身のかけがえのない一部となった思い出を胸に語った永仙に、イデアが口の端から零れるような、はにかみながらの笑みを返す。
「おかしな話だけど。今ので初めて、貴方が協会の四賢者なんだって気がしたわ」
「そうだろう」
「おじいちゃんから何度も聞いて、凄い魔術師なのは知っていたけど。――そうよね」
イデアが、自身の遥か頭上に広がる満点の夜空を見つめる。
「できるかどうかじゃなく、やるかやらないかは、私自身が決めること」
「――」
「私は今、それができる自由を得たから。貴方が自分でそうするように、おじいちゃんや町の人たちが、手を尽くしてくれたように――」
夜空に浮かぶ星の中でも、ひときわ美しく目に映る輝きが――永仙に向けて、未来への希望に満ちた明るさで微笑んだ。
「――私もきっといつか、誰かを助けられる魔術師になるわ」




