第十三話 ショッピング・タイム
近場では最大級となる総合ショッピングモール『サウザンド・ファーブラ・パーク』。
「――ふぅ……っ」
その一階にある小洒落た喫茶店の隅で、俺とフィアは休息を取っていた。死地から辛うじて生還した。
「落ち着いたみたいだな」
「はい。……すみません」
そんな表現も大げさではないと思える安堵の一息を吐いて、焦げ茶色の革張りソファーに座ったフィアが、申し訳なさげに表情を暗くする。生気を失って垂れていた髪も、今ではサラサラした流れを取り戻している。
「いきなり休むことになってしまって。その」
「気にしなくていい」
首を振る。モールに辿り着いたときのフィアは、正に疲労困憊といった様子。
買い物以前に全ての体力を使い果たした全身呼吸を前にして、目についたこの店に迷わず入り込んだ。十二時前ということもあってか人は少なく。
「俺も急ぎ過ぎた。荷物も増えるだろうし、帰りは歩きじゃなく、バスで行こう」
「……ありがとうございます」
「いや。……本当にそれだけでよかったのか?」
「はい。大丈夫です」
俺のアイコンタクトと、リビングデッドのような少女の窮状を見て取った店員に阿吽の呼吸で案内され、すぐに二人がけのテーブル席へ着くことができた。微笑むフィアの前に置かれているのは、彩鮮やかなフルーツパフェ。
逆円錐状のガラス器に、瑞々しいメロンの果肉、輝くオレンジ。艶めいた大粒のイチゴに煌めく白桃が乗せられ、さながら小さな花束のようになっている。土台はヨーグルトジェラートとカスタードクリーム、クッキーにコーヒーシロップ。
「凄く美味しくて。盛り付けも凄く綺麗ですよね」
「……そうだな」
どこぞの賞でグランプリを取ったこともある、この店の一押しメニューらしい。にこにこ顔でスプーンを口に運んでいるフィアを、香り立つハーブティーのカップ越しに眺める。俺のペースに付き合わせてしまった罪悪感もあり。
謝罪の意味も込めて、なんでも好きなものを頼んで良いと宣言したのだが、フィアが頼んだのはそれだけだった。パフェは高カロリーなデザートだとは聞く。
それでもフィアの頼んだ器はそう大きくもないので、俺の注文したクラブサンドの方が食い応えはあるに違いない。本人がいいならそれでいいが……。
「むぐ。……どうしますか? このあとは」
「取り敢えず、下のフロアから回ろうと思う」
淀みなく動く銀の長スプーンを見つつ、予定について話し始める。こうして改めて向き合うと。
「掃除機や雑貨なんかを揃えて、最後に服を見る感じで」
「分かりました」
フィアの容姿は非常に整っていて、花束のようなパフェを食べる姿が実に絵になっている。優等生のように真面目な面持ちで頷くフィア。……言うべきか迷うが……。
「……」
「そろそろ行きましょうか。食べ終わったので」
「……その前に」
「?」
「ついてるぞ、クリーム」
「……あ」
唇のすぐ横を指し示す。鏡合わせになる指摘に、引き締めていた白い頬を赤らめた。
――一時間後。
「……よし」
買い物袋を片手に、メモ帳に入れておいたリストを確認する。大体は買い終えた。
「上に行くか」
「はい」
目当てのもので買い漏らしはなく、つまりはここからが本番ということになる。フィアと共にエスカレーターに乗って向かうのは、四階。
「わぁ……」
レディースコーナーのフロアだ。入口から見回しただけでも、洒落た構えの店がいくつも並んでいる。目移りするのか、隣にいるフィアはきょろきょろしている。俺の方を向いて。
「その、どんな感じで」
「取り敢えずは、好きな店を見て回ってくれていい」
考えておいた台詞を言う。フィアの服選びである以上。
「俺も着いて行って、問題がないようなら購入する。高すぎない程度で自由に選んでくれ」
「分かりました。……ええと……」
本人の希望が第一に優先されるべきだろうが、値段などについて最低限のチェックはしておかなくてはならない。店名を見ても分からないとみえて、見回しながらおずおず進んでいくフィアのあとに着いていく。幾つかの店構えをチェックしたのち。
「……じゃあ、ここからお願いします」
「ああ」
フィアが選んだのは、角にある一店舗。あからさまな高級店は外していたらしく、カジュアルで、入りやすそうな雰囲気に思える。
ここなら悪くは――。
「いらっしゃいませー!」
「……っ!」
――いきなりの声掛け。
「お洋服をお探しですか? 男性ものと女性もの、どちら様のをお求めでしょうか?」
「えと、あの、その」
店舗の奥から現れたのは、金髪を一つ結びにした若手の女性店員。隙のない笑顔と流れるような台詞に、心構えのできていなかったらしいフィアが右往左往する。助けを求めるように向けられた翡翠の視線。
「俺は付き添いなので、彼女のを」
「……⁉」
「承りました! 素敵なワンピースですね~。どんなご洋服がお好みですか?」
「ッ、ええと――」
対応を丸投げされたことに愕然としながらも、にこやかに話しかけてくる店員に対応せざるを得ない。――これでいい。
「っ好みとかはあれで、その、普段着に使える洋服が欲しいと思ってるんですが……」
「普段着ですか、いいですね~。本店の方から丁度、新しいデザインが入荷したところなんですよ」
記憶喪失の件もあってのことだろうが、フィアは臆病というか、些か引っ込み思案なところがある。人との会話に慣れて。
「上下両方ともで、あんまり目立たない感じで」
「はいはいっ」
「値段の方はその、なるべく手頃なものを」
「了解ですっ。こちらで幾つか見繕ってしまっても構いませんか?」
「っはい」
自己主張ができるようになってもらった方が、今後のためにも有り難い。あたふたした様子の会話から視線を外して、ぐるりと店内を一瞥する。フロアの中の一店舗であるせいか。
昨夜の『ギムレット』よりは開放的で、レディースエリアにいる違和感も強くはない。手近な服の値札を幾つか捲ってみるが、価格も向こうの四分の一ほど。
「お持ちするのはあくまで参考ですから。気になる洋服があったら、いつでもお声がけ下さいね!」
「分かりました。……っふぅ」
妙な品揃えもなさそうだ。要件はすべてクリアしている。
あとは静観と支払いに徹して、服を着る当人に任せればいいだろう。店員から解放されたフィアが肩の力を抜く。落ち着きながら周囲を見回して、近くのラックに掛かった商品に指を掛けた。
「あ、この色、素敵……」
「……」
……暇だ。
「いや~、それにしても、いいですね~」
「えっ、はい?」
メインを少女に任せるとなると、俺はもう待っているだけ。いてもいなくても変わらない、案山子のような存在になる。外に出て携帯でも弄っているか……。
「休日に買い物デートなんて。このあと彼氏さんの服も買いに行かれるんですか?」
「……」
「……」
……そうか。
「……えっ」
「二人で好みの洋服を選んで、プレゼントして。羨ましいです。私にも彼氏がいるんですけど、買い物には全然付き合ってくれないんですよねぇ」
「ええと、それは、その」
その誤解があった。男一人で女物の服を買いに来るのもそうだったが……。
年頃の男女二人が相手の洋服を買いに来たとなれば、そう見るのが世間的には自然なこと。事情をどう説明したものか迷ったらしく、白銀の髪越しにチラチラとヘルプの視線が送られてくる。……下手に説明しても面倒が大きい。
「〝服には興味がない〟とか言っちゃって。いつか超絶お洒落な衣装でドレスアップして、ビックリさせてやろうと思ってるんですけど。――気になるご洋服はありましたか?」
「あっ、はい。その」
「いいチョイスですね~。今秋のおススメですよ、こちらは。私からはひとまず、三着ほどピックアップしてみました!」
この場だけ適当に拍子を合わせて、乗り切るのが無難だろう。拗ねた口調から唐突に切り変わる声音に戸惑いを隠せないフィアの前に、色とりどりの布地とデザインが広げられる。
「どうです? お眼鏡には敵いますでしょうか」
「は、はい。いい感じで……」
「よかったです! ではでは一着目、ご試着をどうぞ!」
「あっ――」
候補を見切らないまま一つを持たされて、白いワンピースの背と流れる髪が試着室のブースに押し込まれる。……強引な手口だ。
「デザインも大事ですけど、着心地も重要ですから。違和感があれば、遠慮なく仰ってくださいね~」
「わ、分かりました」
外見上の若さとは裏腹に、店員としての経験値と強かさを感じさせる。淀みのない仕草でカーテンが閉じられる。フィアの姿が消えたことで必然、場にいるのが俺と店員の二人だけにされた。
「……」
「――素敵な彼女さんですね!」
無言。
「可愛らしくて、凄く綺麗で。始め見たとき、どこぞのモデルさんが来たのかと思っちゃいました」
「そうですか」
「はい。美人さんって大抵、自分に自信を持ってるものなんですけど」
気のない返事。教科書通りの塩対応を見せる俺にも、まるで臆せず店員は話しかけてくる。……中々に組みし難い。
「彼女さんはなんというか、非常に慎ましやかで。珍しいタイプですね~」
「そうですね……」
「大事にしないと駄目ですよ。あんな彼女さん、今どきどこを探したって見付かるものじゃないんですから」
――それはそうだろう。
頭の中で返答を呟く。記憶喪失。
何かしらの異常と関わっていたことも含めて、フィアの抱えている事情は、とても普通とは呼べないものだ。身寄りも知人もなしに。
独りきりで、たまたま見知っただけの男のところに居候せざるを得なくなっている。助けた側として言わせてもらえば、面倒や厄介の多いことではあるが。
そうした私情を抜きにして語るなら。彼女の置かれた状況は、きっと――。
「あの、すみません……」
「――はいはいっ!」
ブースから聞こえてきた声に、素早く店員が反応する。軽やかな低空ジャンプで近づいて、俺から見えないようにカーテンを捲って中へ入る。
「これ、腰のところは」
「大丈夫です。填まってます。お似合いですよ」
「というかその、このデザインは……」
控えめなフィアの声音が更に一段ボリュームを下げる。……どうした?
「やっぱり、私にはちょっと」
「とんでもありません。立派に素敵です。きっと、彼氏さんも喜ぶこと間違いなしですよ」
及び腰になっているようなフィアの声と、ハッキリと言い切る店員の声がコソコソと響く。何か山車にされているような気がするが……。
「それでは一着目、お披露目と行きましょうか!」
「あっ」
大丈夫なのか? 一抹の懸念を覚える中、高々と言った店員によって、勢いよくカーテンが開かれた。
「――っ」
「――」
――これは。
「どうですか? 彼女さんの新たな装いは」
「……」
店員がしずしずと真横に引き下がる。全身を顕わにされたフィアが、固まっていた右手をそろそろと下ろす。……言いたいことは色々とある。
なぜ俺が感想を言う体なのか、とか、そもそもそういう関係ではない、だとか。少女の服選びである以上、俺には本来関わりのない話であるはずで。
だが。
「……」
――似合っている。
一言で言ってしまえば、そうだ。自信なさげに立っているフィアの姿。
「や、やっぱりその……」
「そんなことありませんよ。ほらほら、どうです? 彼氏さんも」
本人は着慣れない服を着て落ち着かない様子だが、店員が得意げにしているのも頷ける。昨夜のパジャマと違い――。
当人と服の両方が、より洗練されて引き立つ選び方をされているのが分かる。フィアが纏っているのは、白のチュールロングスカート。
二層になっているのか、微かに透ける薄いレース地が綺麗に広がり、先に着ていたワンピースより華やかな印象が生まれている。上には暖かそうな明るい灰色のニット。
目の細かい滑らかな生地に、ふんわりとふくらんだ袖が特徴的で、柄はないが、それが土台としてスカートの華やかさを際立たせているようだ。そよぐように舞う白銀の髪が、陽の光のようにも煌めいていて。
「どう……ですか?」
少し大人びた印象を纏ったフィアが、見つめてくる。揺らぎつつも覚悟を決めたように、何かを求めているような目で。
「……」
「……自分の服だからな」
真っすぐに。一抹の期待を込めているような翡翠色の眼差しから、視線を外す。
「俺の意見より、自分の趣味で選んだ方がいい。それが一番だ」
「っ」
「あらまあ」
「――まあ」
表情に陰りが差す。伏せられた瞳が曇り切る前に、付け足した。
「それはそれとして。似合ってるんじゃないか、結構」
「……!」
「……ふぅー」
ぱっと顔を上げたフィア。素知らぬ風の口調にもの言いたげな店員のリアクションが、見開かれた翡翠の瞳の隣に映る。……素直に乗るのも癪だ。
「素直じゃないですねぇ、全く。やれやれと言いますか」
「え、えっと……?」
「怒らないでくださいね。あんまりに連れない体ですので、私、気合が乗ってきました」
「え」
今しがたの言葉を反芻しているのか、気恥ずかし気に身体を動かすフィアの横で、店員がにっこりと微笑みを見せる。試着している洋服は確かに綺麗だが、始めにフィアが告げたチョイスとは違っている。
「此処で退いては服屋が廃る。――彼氏さんがぐうの音も出なくなるような洋服を、一緒に選んじゃいましょう‼」
「え、えっ――ッ⁉」
「……ほどほどにな」
理解した上で、わざと一着目に選んだのだろう。フィアに自信をつけさせるために。両手をガッチリと握られ、熱の入った宣戦布告に振り回されている姿に目を遣って、手を上げながら背を向けた。
――それから。
「……」
幾つかの店舗を回って。帰りのバス内で肘をついた俺は、流れる窓の外を眺めている。景色を見たいからというよりは……。
「すぅ……」
無防備な隣の相手から、目を逸らすため。眠っているフィア。
あれやこれやと試着して疲れたのか。零れる白銀の髪の下、血色のいい手元には新しい三つの手提げ袋が抱かれている。結局あの店では五着を買ったのち。
〝お、お待たせしました〟
〝ああ〟
上着、靴下と揃えて、流石に下着売り場には着いていけなかったので、現金を渡して買いに行ってもらった。待ち合わせ場所の広場に戻ってきた際、レシートと釣りの受け渡しをする間に、ぎこちない空気が流れはしたが。
目的の物は揃えられた。概ねは上手くいったと言っていいだろう。
気付けばほとんど丸一日がかり。面倒だらけで、疲労もそれなりにある。店員に妙なやり取りもさせられた。
――それでも。
街路の裂け目から夕陽が差し込む。白銀を纏うフィアの姿が、炎に似た温かみを帯びて見える。
――悪い一日ではなかったのかもしれない。
少なくとも今日は。小さな吐息を立てる姿から、目を逸らした。




