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彼方を見る者たちへ  作者: 二立三析
第六章 運命の日
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第十八話 賢者の責務


 ――建物の内部とは思えぬほど広大な空間。

 葉を(しげ)らせた常緑のつる性植物が壁際を覆い、地中から湧き出る温水が足元を靴底を越えぬ程度に浸している。空気には微かな水気が(ただよ)い、

「……」

 立ち込める霧と植物の香りの満ちる、仙境に迷い込んだのかと思える景色の内部にて、勇壮を(かも)し出す麒麟(きりん)と並んで秋光(あきみつ)は歩みを進めていく。どこまでも続いていると思しき無辺の景色。

 遥か遠方から滝の流れる音さえ聞こえてくるような広がりの感触は、よく見れば外部の構造から計算できる空間の体積を優に超えてしまっている。この部屋の設けられた目的を果たすため、

 (いにしえ)の賢者たちの構築した術式により、大規模な【空間拡張】の術式が展開されているのだ。随所にスイレンが咲き、蝶が舞う優美の景色には、強力な幻惑の術式が仕掛けられており。

 協会員の中でも限られた立場の者が持つ知識によって、正しい道筋を判読することができなければ、永遠に空間の周縁を彷徨(さまよ)い続けることになる。……秘されているということに意味のある場所。

 一度でも道筋を誤れば即座に永遠の囚人となる景色のうちを、秋光は迷いなく踏み越えていく。並び立つ麒麟と共に足取りを進め――。

「――」

「……」

 広大な空間の中心、この部屋の作られた全ての理由のある場所へと、辿り着いた。声もなく横たわる複数の人影。

「せ、先生……」

 護衛として付いていたはずの協会員たちと、外にいたのと同系統の鬼の遺骸が水面(みなも)に淡い血の色を流している。予想と違わない光景を認める秋光の眼前で、物言わぬ(むくろ)と化した彼らの間から、倒れ伏していた一人の人物が、力ない所作で顔を上げた。

「申し訳、っありません……」

「……」

「……急な鬼たちの強襲に後れを取りました。戦闘を避けて内部に逃げ込んだんですが、中には既に鬼の一群が紛れ込んでいて……!」

 ――三千(みち)(かぜ)(れい)。秋光の弟子である才気ある青年の声音には、これまでに見たことのないような苦悶と弱々しさが宿っている。

 平時は(しわ)一つなく洗濯されているアーガイルのポロシャツが、今は見るにも痛ましい赤の色に染まっている。事切れている警備たちの遺体を目に、無念さに歯噛みする口調で零が首を振る。

「不意を突かれる形になり、僕以外の警備たちは、全員」

「……零」

「……っ、心配しないでください、先生」

 悔しさと罪悪感の滲み出た声。自らの負った傷の痛みを気力でねじ伏せるようにして、頬に血の付いた端整な面持ちを歪めた零が、緩慢な動作で立ち上がった。

「彼らが守ってくれたお陰で、僕自身の傷はそこまで深いものでもなく済みました」

「……」

「僕はまだ、っ戦えます。……ッ僕のことより、周りを警戒してください」

 幾分ふらつく足取りでありながらも、緊張に満ちた視線で周囲を睨むように見回している。

「彼らを殺した鬼たちが、今もこの部屋の内部に潜んでいます」

「……」

「外を荒らしている鬼たちとは、全くレベルの違う鬼たちです。麒麟が傍にいるとはいえ、先生も、注意を――ッ」

「……もういい」

 焦りと警戒の情緒が過分に込められた振る舞いを前にして。耐え難く沈黙を守っていた秋光が、静かに言葉を口にした。

「――え?」

「……もう、終わりにしよう、零」

 唐突な発言。自らを見つめ続ける哀しげな師の視線の意味を、どう捉えたのか。

「……な」

「……」

「……何を言ってるんですか? 先生」

「……」 

「これまでに例のない襲撃で、動揺しているのは分かりますが。今は何よりもまず、事態の解決を急ぐべき時です」

 微かに困惑気な笑みを浮かべた零が、傷の痛みに体躯を(たわ)めたまま秋光に訴えかけてくる。協会の次代を導く賢者見習いとして。

「僕らが此処で足止めを食っていては、本山の他の部署に被害が出ます」

「……」

(たお)れてしまった彼らと同じ犠牲を、これ以上出さないためにも。一刻も早く、鬼たちを片付けて――!」

「――本山の内部結界を潜り抜け、誰一人に悟らせず【鬼門(きもん)】を呼び寄せる手腕」

 理知的で明晰な弟子としての忠言を成している。最後までその擬態を続けようとした零の言葉を、確固たる秋光の確信が断ち切った。

「例えどれだけ優れた技量を持つ術者であろうとも、そのような芸当ができる道理を、私は知らない」

「……ッ!」

「魔導の本山に対してこれだけの強襲を成し得たのは、術者が転移による【大結界】の解除に乗じて侵入したのではなく、始めから(・・・・)本山の内部にいたからだ」

 ――そう。

 およそ考えられない無法の転移によって龍脈地との接続を断たれ、【大結界】とそれに準じる防衛術式が機能不全に(おちい)った魔導協会ではあったが、本山の建物そのものに施され、侵入者の居場所を探知する内部結界は生きていた。鬼門による無数の鬼の出現と建物自体の損壊によって、その機能は早々に停止させられはしたものの。

「召喚の知識に通じ、鬼門を呼び出すことの出来る技能者は、本山に常駐する協会員の中でもごく僅かしかいない」

「……」

「私か零、……お前以外には」

 鬼門の出現前の侵入者に対しては有効であり、仮にそうでないとしても、召喚師として当代でも有数の知見と技量を持つ秋光であれば、鬼門の召喚時に発せられる魔力の動きを掴めないということは通常あり得ない。鬼門の召喚者が日頃からの知己(ちき)であり――。

「……」

「……」

「……なぁんだ」

 例え魔力を感知したとしても、本山の脅威に対処していると考えてしまう場合でなければ。――変調。

「――分かっちゃってたんですか、先生」

「――」

「残念ですね。弟子としての僕を信頼したままでいてくれたなら、苦もなく後ろから刺すという選択肢もあったんですが」

 (うつむ)きがちでいた(おもて)を上げた零が――これまでとは別人のような軽々しさで両手を広げる。服を染めた血を流しているはずの傷の痛みなど、初めから無かったように。

「楽な方法は選べないようです。平和ボケした他の馬鹿どもとは違って、流石に(あなど)れませんね」

「……襲撃を装い、封印の警備たちを殺したのもお前の仕業か」

「ええ。――苦労しましたよ」

 普段通りの平常さで、負傷の演技をやめた零が大仰に息を吐く。頬に自嘲気な笑みを微かに浮かべて。

「幾ら近年の協会のレベルが落ちているとはいえ、この場所に配属される人間は、慣習上それなりに腕が立ちます」

「……」

「鬼門から湧いてくる通常の鬼たちでは蹴散らされて終わりでしょうから。リスクを冒しつつも、僕自身が動くほかなかった」

 組織の内情を知る者としての適切な分析を述べたのち、肩を(すく)める。

「封印の奪取には、どの道鍵を知る僕自身が出向かないといけませんしね。しかし――」

「……」

「殺すために見繕(みつくろ)った鬼たちでしたが、どうにも使えなくてですね。僕自身が気を引いて、完全に不意を突く形を作ってやったにもかかわらず、始めの接触で全員を殺し切ることができなかった」

 平静と話してきた言葉に、抑えきれない傲慢さと冷酷な苛立ちが交じり込む。

「挙句の果てに応戦され、三人も取り逃がす始末。――参りましたよ」

「……」

「無能な鬼どものお陰で、結局僕が直接手を下す羽目になってしまうのは。ここまで入念な潜伏をして、上手いこと位置を悟られずにいたというのに」

 自らの周りに倒れている協会員たちの遺体を一瞥し、冷笑を浮かべた零が、転がる鬼の頭部を踏みつける。千切れた断面から覗く血肉が自らの靴底を染めてくのを、まるで意に介さないように踏みにじり。

「先生もそれで気がついたんでしょう?」

「……ああ」

「鬼門の方は、最初の召喚以外は完全に術者と独立させていますし、鬼どもは勝手に暴れ回るだけですから、魔力を(おこ)す以外で僕がここにいると気付かれる要素がない。本当につまらない失態をしてくれたものです」

「……一つ訊きたい」

 残酷さを(あら)わにしたまま言葉を続ける姿に、賢者見習いとして邁進(まいしん)してきた弟子の姿はない。心のざわめきを抑えるよう、可能な限りの冷静さを保って秋光は口を開く。

「お前の言ったように、ここに駐在する本山員たちは、何れも高い力量を持っている」

「――そうですね」

「既に一度襲撃を受けて逃げ込んだとなれば、警戒も備えも十二分にあったはず。……その状態でどうやって、苦もなく三人を殺すことができた?」

「ああ。それは実に簡単な話なんですよ」

 本山の中でも上位と呼べる魔術師たちと交戦したにもかかわらず、零の身体には、僅かな擦り傷の一つでさえ見受けられない。秋光の問いかけに、打って変わって上機嫌になったかのように零が微笑む。

「聡明な先生と違って、彼らは僕のことは微塵も疑っていませんでしたから」

「――ッ!」

「〝怪我をしてしまって戦えない〟、〝傷の痛みで動くことができない〟。そう言ってわざと危険に晒されれば、面白いように必死になって僕を庇うように戦ってくれたんです。――っ笑えましたよ」

 くぐもった(いびつ)な笑い声が端正な青年の喉奥から発される。仲間であったはずの者たちの死を(おとし)めてなお、わずかの罪悪感も後悔もその表情には見られない。

「僕に裏切られたと知ったときの、彼らのあの間抜けな面構えは」

「……」

「警戒心というものがないんですかね? いくら腕が立つと言っても、あの程度の頭では――」

「――『永久(とこしえ)()』」

 声を震わせ、醜悪に(わら)い続ける零の言葉を秋光は遮る。拳に自然と入る力を自覚しつつ、険しさを増す眼光と共に、核心となる言葉を突き付けていく。

「お前たちがこれほどの襲撃を用意したのは全て、組織が保持するこの封印を奪い取るため」

「……」

「正体も分からぬ太古の厄災を解き放ち。……技能者界のみならず、世界全体に混沌と、地獄を(もたら)すつもりか?」

「――ん~、どうなんでしょうねぇ?」

 如何なる虚偽をも許さない真剣をもって尋ねた秋光に対し、零から返されたのは、他人事のような苦笑い。

「僕が彼らの仲間に加わったのは、割とここ最近のことでして。新参だけあって、詳しい事情は聞かされていないんですよ」

「――」

「理念や動機は僕の同志たちに訊いて下さい。僕にとってこれはあくまで、自分の目的を果たすためのついででしかないんですから」

「……目的?」

「――戦いですよ」

 空間の中心部に隠されている封印の鍵。気の無いようにそれを一瞥した零が、静かな、注意していなければ聞き逃してしまうような、余りに自然な口調で口にする。

「先生は、思ったことがありませんでしたか?」

「――?」

「魔導協会を始めとした、三大組織と(きょう)(おう)派の対立が沈静化したのに伴って。近年の技能者界では、昔のような技能者同士の激しい衝突が起こらなくなっています」

 鬼と協会員たちの死骸の間を歩き回りながら、零は一方的な態度で説明を為していく。……理解としては間違っていない。

「組織に属する技能者のレベルは下がり、協会の力は落ちる一方」

「……」

「魔導の道を深く読み解いた賢者でさえ、こなす仕事はお飾りのような神輿(みこし)役と、組織間のくだらない政治交渉でしかない。――僕はですね」

 秋光も問題として認識し、レイガスが憂いていたこと。歩みを止めた零が、秋光と出会った少年の頃のような、酷く無邪気な笑顔を見せた。

「以前の先生たちのような、《救世の英雄》と呼ばれるような人間を、この騒動で再び世界に呼び戻したいと思っているんです」

「――ッ⁉」

「生と死が混じり合い、己の存在自体を懸けた血みどろの戦いの中でこそ、本当に際立った技能者が生まれてくる。今の時代のような、安寧の揺り篭に甘やかされている惰弱な魔術師たちではなく」

 己の思い描いた理想に酔うような零の台詞に、秋光は言葉を失っている。……そこまで。

「苦難と苦痛に磨かれ、死闘を乗り越えた本物の輝きを発する、偽りのない英雄たちが」

「……争いの中にあるのは、輝かしい栄光や達成などではない」

 そこまで、かけ離れてしまっていたのか。最早自分の言葉が届かないとの予感を覚えながらも、秋光は己の理念を再度繰り返す。師として幾度となく語ってきたこと。

「傷を負いながら、汚泥のうちを這いまわるような苦しみ。……手の及ばない混沌と、喪失だ」

「……」

「英雄とは、彼らの死を貶めないための仮初(かりそめ)(ころも)として用いられる称号。決して目指すような輝きなどではない」

「……己の磨き上げた力を現実に(ふる)いたいと望む」

 秋光の言葉に零は答えを返さない。無表情を保ったまま、己の考えを呟いていく。

「何も、おかしなことではないと思いますが。先生とは意見が合わないんでしたね」

「……」

「賢者見習いの修了となる課題の中身。回答は引き延ばしていましたが、答えは分かっていましたよ」

「――」

 零の言葉に秋光は一瞬思考を止める。それは――。

「〝可能な限り己の力を振るわず、周囲との調和を志すこと〟」

「……!」

「それが争いを生まずに、人同士が分かり合える世界への道だと言うんでしょう? 御免ですよ」

 零が嘲笑う。――そう。

「そんな自分を閉じ込められた生き方や、積み重ねてきた自分の力を使えない世界など。ここまで努力し磨いてきた僕が、力のないものたちの為に、なぜ己のできることを放棄しなくてはいけないんです?」

「……」

「先生は嫌いなようですが、力とは素晴らしいものです。人にこれ以上なく強い自信と、自由を与えてくれる」

 それこそが、半世紀に渡る己の戦いの中で、秋光の掴み取ってきた答えだった。(たかぶ)る情動に目を凶悪に輝かせながら、零が手のひらを握りしめる。

「鬼門から呼び出した鬼たちも、それで従えたんですから」

「……なに?」

「先生も妙だと思ったでしょう? 鬼門という切っ掛けこそ与えたとはいえ、そこから湧き出る鬼たちは、術者である僕の統御下にはない」

 得意げな台詞の意味するところ。――そのことは秋光も感じていた。

 鬼門から現世に降り立った鬼たちは本来、己の欲望のままに暴虐を尽くすだけであることが通例だが、今回の襲撃に限っては鬼たちの統率が取れ過ぎている。【()(れい)】や【四凶(しきょう)】を前にして別格と言える力の差を見せられても、後退を選ぶことがなく、

「一般の協会員相手ならいざ知らず、先生や(あおい)さんといった厄介な技能者を敵にして、退(しりぞ)いてもいいはずの鬼たちが、なぜそれでも自分たちに向かって来るのかと」

「……ああ」

「――僕がそう命じたんですよ」

 どれだけの同類が(ほふ)られても、彼らの(しかばね)を踏み越えて、まるで自分たちのあとがないかのように向かって来ていた。――ッ‼

「僕の力を見せて、この本山にいる人間を殺し尽くさなければ、お前たちを皆殺しにしてやると脅してね」

「……ッ‼」

「異形は所詮家畜や奴隷と同じ。力を見せられれば怯えて従い、使われるだけの道具でしかない」

 どこまでも満足げに語る零の言葉に、秋光の拳が握り締められる。――強く。

「僕らのように複雑で高等な理論を駆使し、自在に己の力を扱える存在はごく僅か。先生の隣にいる麒麟たちなどは、実によく(しつけ)けられていますが」

「――ッ」

「嫌だなぁ」

 自らの手に血管が浮かび上がるほどに。都合のいい絡繰り仕掛け眼差しで見つめる零の笑みに、秋光の(かたわ)らに立つ麒麟が低く怒りの(うな)りを上げる。

「そんな目で僕を見ないでくださいよ。――先生のことは、今でも尊敬しています」

「……」

「僕が知る限り、召喚師として明確な高みに立った人物ですから。貴方の教えと貴方の英雄譚が、僕を此処まで連れて来てくれた」

 おどけるように首を竦めた零が、拳を握る秋光に丁重に微笑みかける。弟子としての姿勢を保ったまま、

「先生からすれば不本意な称賛かも知れませんが、貴方は素晴らしい召喚師です。――それにですね」

 明確に変わる声の調子。

「僕が先ほど先生に話したことは、決して嘘だけじゃないんですよ」

「――‼」

「――【鬼神七柱】」

 一切の気配を感じさせることなく、突如として秋光たちの頭上に巨大な何者かの手のひらが出現する。一目で分かるほどの強大な霊格を備えたそれを従える、零が悠然と言葉を発していく。

「当然先生もご存じだとは思いますが。俗に言う鬼の頂点、【鬼神】は、神獣や神霊種に匹敵する霊格を誇っている」

「……っ!」

「封印のための自然化が施されたこの空間は、どちらかというと人工物より外の環境に近いものですから。自然神としての性質を持つ彼らの気を、溶け込ませることは容易かった」

 盟友を守るための闘志を(みなぎ)らせる麒麟の勇壮を前にして、広大な空間の各所から、次々と強大な威容を持つヒトガタの巨体が顕わにされる。――身の丈十メートルを超える七体の鬼神。

 壮大な光景の中で、勝ち誇りの表情をした零が秋光たちを睥睨(へいげい)するように眺め遣る。如何に高位の霊獣である麒麟といえども――。

「僕が元凶と分かっていながら、どうして【四霊】と【四凶】を呼び戻すことをしなかったんです?」

「――」

「すべての霊獣を集めたならいざ知らず、まさか麒麟一体だけとは。賢者として、本山の中にいる人間を守る責務ですか?」

 霊格においても存在強度においても勝る鬼神たちを相手に、到底勝ち目の見える状況ではない。鼻で嗤うような薄ら笑いを浮かべていた零が、ふと気が付いたように口の端を上げた。

「――それかひょっとして、僕を説得できるとでも考えたりしていました?」

「……っ」

「もしそうなら申し訳ありませんが。――僕は完全に、僕自身の意志でこちら側にいます」

 零が秋光へと示したのは、悪意を込めたそつのない穏やかな微笑み。

「貴方が何を言おうと意味はない。貴方を殺し、協会と三大組織の作った微温湯(ぬるまゆ)の秩序を終わらせる」

「……」

「無能な協会員たちは、その犠牲となるべきもの。新しい火を起こすためにくべられる、粗末な(まき)のようなものです。貴方自身も今日ここで、その炎の一部となる」

 思い描く未来を迎えるように手のひらを広げた零が、控える鬼神たちを一瞥する。視線による主の促しを受けて、微かに頷きを見せた鬼神の巨大な手のひらが秋光たちへと迫りくる。避けようのない脅威。

「葵さんや支部長たち、ゆくゆくは、他の四賢者方も含めて。――さようなら、先生」

「――」

「師と弟子の別れにしては、少々呆気ない気もしますが。戦いの幕引きとは案外、こんなものなのかもしれませんね」

 絶対的な力の格差に、あらゆる抵抗が無意味だと悟らされる。寸前まで迫った鬼神の手のひらが――。

「劇的な対決など所詮、物語か過去の中にしかないものですから――」

 悠然とした所作で、麒麟と秋光を捕らえようとする。人間も霊獣も同じく矮小なる存在として、己の手のうちで等しく握りつぶさんとした。

「――ッッ‼⁉」

 その、刹那。今正に秋光たちの身を掴みかけていた鬼神の手のひらが、激しい拒絶の閃光を受けて弾かれる。焼け焦げ消滅した鬼神の指先。

「なに……ッ‼⁉」

「……【四霊】と【四凶】を伴わなかったのは、お前を説き伏せるためではない」

 目を見開いた零が凝視する視線の先で、言葉を発す秋光の眼前に、長方形の形をした墨色の防壁が張り巡らされている。一枚一枚が触れられぬほど濃縮した魔力と術式を帯びた、何十もの紙片が寄り集まって形作られる結界――!

 ――【黒符七十二符】。

「騒動の元凶たるお前を、確実な形で仕留めるためだ」

「……!」

「お前の油断を誘い、狙いと経緯の全てを話させるため。〝我らが盟約にて門を開く〟――‼」

 戦友たる永仙(えいせん)との戦いでも用いられた、己の魔力を一時的に増幅させ、持続的な回復までを行う(しき)家の秘術。副次的に構築される力場の余波だけで鬼神の霊体を弾く力を持った、最高位の術法を披露した秋光が、麒麟を助けの必要な外部へと送り返すと同時、懐から取り出した四枚の符を空へと高く投げ放った。

「〝四神招来〟 ――ッ【(こく)四天(してん)】‼‼」

 魂の奥底から呼び掛けるような(しゅ)の解放を受けて、友の叫びに喚ばれた強大な存在たちが、核となる霊符よりその威容を顕わにする。高く翼を広げ――。

「――‼」

「――ッ‼」

 巻き起こる紅蓮の炎風を散らして中空に舞い降りるのは、日輪の如く輝く羽を備えた、()(ぎょう)(つかさど)る壮麗なる赤き神鳥、【朱雀(すざく)】。羽ばたく朱雀と対を成すように地面を揺るがし、地響きと共に湧き上がる水の中から甲羅を背負う自らの肉体を競り上がらせるのは、巨大な蛇を巻きつかせた(すい)(ぎょう)を司る漆黒の大亀、【(げん)()】。

「――‼」

「ッ――‼」

 たなびく雲と共に宙を泳ぎ――篤実(とくじつ)の守護者にして(もく)(ぎょう)を司る蒼き龍、【(せい)(りゅう)】が、吹き荒れる突風と雷鳴の中で深緑の(うろこ)(つや)めかせる。(こん)(ぎょう)を司る白き猛獣、【(びゃっ)()】が(たけ)る疾風の如き速さで大地を駆け走り、鋼の硬質を持つ爪を突き立てたかと思うと、しなやかな体躯から伸びる牙を鋭く()き出しにする。

「……ッ‼」

「――【黄龍(おうりゅう)招来】」

四獣(しじゅう)】、もしくは【四象(ししょう)】と呼ばれる最高位の神獣たち。最後に中心に投げ上げられた霊符から、居並んだ荘厳な異形たちの中央に、()(ぎょう)を司る勇壮なる金色の龍が姿を現す。――【黄龍】。

「……っ」

「……」

「……は、ははっ」

 秋光の生家である式家がかつて自分たちの力として隷属させ、因習からの解放ののち、一人の召喚師として秋光と【盟約】の関係を結ぶに至った五体の神獣。紡がれてきた生涯の歩みこそが可能にする、秋光の全霊の込められた光景を前にして――。

「ハハハハハハハハッッ‼‼」

「――」

「――ッッ素晴らしい」

「……」

「素晴らしいですよ! 先生ッ‼ それでこそ、僕が見上げた術師だ‼」

 狂気的な興奮の光を眼に浮かべた零の指先が、流れるような動きで素早く空中に呪を描く。古く難解な様式。

「当代最強の召喚師と呼ばれる貴方を倒し――‼」

「……」

「僕は今日、僕という人間を打ち立てるッッ‼‼ ――来い、【黒竜】ッ‼‼」

 刻まれた術式は歪で細部に荒さの残るものではあるが、それを上回るだけの才覚と執念により裏打ちされた異彩を放っている。呼び出された強大な力。

「……――」

 大地に描かれた法陣から、奈落の闇と(まが)うほどに暗く濃い、暗黒の魔力が滲み出していく。霧のように周囲の地面を覆い、

「――」

「……【四霊】や【四凶】が相手なら、これを出すつもりはなかったんですがね」

 草木を枯らしていく冷気の中心に、赤く凶暴な瞳を面相に宿した、一個の巨大な竜が顕現した。……伝わってくる力の波動。

「【四神】と【黄龍】が相手となれば、不足はない。奥の手は最後に披露するもの」

「……」

「鬼神たちを見て有利と踏んだのなら――この暴虐の竜に、全てを(くつがえ)されることになりますよ」

「……この局面に言葉は要らない」

 鬼神たちと比較しても異質と言える力の圧力は、間違いなく零が主力として用意してきた切り札であることを示している。己の全力を披露して(えつ)に浸る零を目に、秋光は静かに言葉を返す。

「戦いとは、どこまでも無情で冷酷なものだ」

「……ッ!」

「その場に立った以上、全ての意識を振り向けなければ命を失うことになる。召喚師として語るべきは、己を(たく)す異形との繋がりに他ならない」

「……この()に及んで、まだそんなことを……ッ」

 零が拳を握り締める。己の奥歯を噛み締めるようにして。

「――ッ行けッ‼ お前たち‼」

「――」

「あの四神どもを! 目障りなあの龍を、叩き潰せェッッ‼‼」

「――っ」

「――ああ」

 零の命令を受けた鬼神と黒竜が動き出す。並び立つ友たちからの低い咆咻(ほうく)を胸に受けて。

「――行くぞ」

 魔導協会の賢者筆頭、式秋光は、己の弟子との戦いに身を投じた。



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