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彼方を見る者たちへ  作者: 二立三析
第六章 運命の日
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第十七話 届いた希望



「……ッ」

 全ての命運を懸けて踏み込んだ右足。

 移動する重心の重みを余すところなく伝えた足裏が、地面を五本の指先でしっかりと握りしめている。振り抜き切った刀身。

 艶のない黒色に染められた終月(しゅうげつ)の刀身が、(みなぎ)る凄絶な気力をそのままに中空で制止している。背後で微かに息を呑んでいる、フィアの気配が耳に届き――。

「……!」

「……なるほどな」

 展開された事実に動けずにいる俺の目前で。これ以上ないほどの冷厳さを内に秘めた、男の声が響き渡った。

「これが、今のお前の築き上げた力というわけか」

「――っ」

 ――ッ蔭水(かげみず)(めい)()

 全ての狙いと力を込めた一刀が打ち据えたはずのその場所に、刀を下ろした父が、全くの無傷を保つ姿で立ちはだかっている。……何が起こった?

 微かに手のうちに残っている感覚のあとを、遅れてきた思考がどうにか把握しようとする。……目にした今でも信じられない。

〝――ッッ‼⁉〟

【魔力解放】と【魔力凝縮】の力を乗せた渾身の俺の一刀が身に届く直前。父は諸手で繰り出していた【(たえ)(はな)】の握りから片手を離したかと思うと、指先だけを俺の斬撃に沿わせるようにして、【無影(なきかげ)】の軌道を上方へと受け逸らしたのだ。……あり得るのか?

「……反応速度は並み」

 タイミングも間合いも完璧だったはずの一撃を、この至近距離で外されるという、そんな芸当が。永仙(えいせん)との戦いにおいても、小父さんとの訓練においても決め手としてこの技はあった。

「身体能力は辛うじてマシと言える部類だが、なににも増して、技術の(つたな)さは補いようがない」

「……!」

「牛歩の進歩しか見えない【魔力解放】に、練度の不足を誤魔化す苦し紛れの力技。模倣にすらならない奥義の真似事……」

 決まれば確実に決定打になる。仕留め役として重ねてきたこれまでの鍛錬の成果を、父は指先一つで現実に打ち砕いて見せたのだ。淡々とした批評が俺の思考に容赦なく突き刺さる。

「お前の(つちか)ってきたものは全て、寄せ集めのガラクタでしかない」

「――ッ」

「今の試しでそれが良く理解できた。お前の示した狙いに乗り、剣理にそぐわない【絶花】まで披露してやったにもかかわらず……」

 ……ッなに?

 告げられた言葉の衝撃が脳を打つ。……父が今まで見せていた言動。

「あれだけの機会を与えられた上で、これだけの稚拙さしか見せられないとは」

「――黄泉示(よみじ)さんッ‼」

「万が一を願った期待を遥かに下回る。確かに確かめてみるものだ」

 俺が自分の力で掴み、手繰り寄せた糸だと思っていたものは、俺の力量を(はか)るために、父がわざとこちらに渡していたものだったというのか? フィアの叫び。

「――ッ‼」

「予測を超える成長を期待するには、十年という期間は余りにも短い。――お前の望んだ試しは終わった」

 光を反射する白刃の動き出しに、相手の間合いにいることを思い出して飛び退()いた俺の動きを、父は追おうとすらして来ない。抜き身だった刀を鞘に納め……。

微温(ぬるま)()の努力で何かを築いた気でいるならば、教えてやる」

「……‼」

「重ねられ錬磨された本当の力。蔭水の奥義とは、こういうものだ」

 悠然とした足取りで互いの距離を開け直す。構えることもない自然体のまま、過たぬ失望のこもった眼差しで俺を一瞥した。――直後。

「――ッ――」

 ――消えた(・・・)

 背筋が寒気を覚えるより前に、視界から父の姿が掻き消える。……何も見えなかった。

 父の繰り出す全ての技の動きを知っているにもかかわらず、軌道を予測することさえできずに。ただ、動作を終えて背後に立つ父の気配だけが感じられて――っ。

「あっ――ッ⁉」

「⁉ 黄泉示さん‼」

「……蔭水流の剣理とは、一技必殺」

 そのことを認識した直後に、焼け付く痛みを感じた両脚と両腕の肉が裂けたかと思うと、断ち切られた血管から鮮やかな血の色が吹き出してくる。――ッ熱い(・・)

先先(せんせん)(せん)(むね)とする、【影の太刀】における奥義――【無影】は、俊敏な異形に一手の反撃も許さず切り伏せるためのもの」

「……ッ……‼」

「認識さえさせずに切り伏せる剣速の達成には、単純な気剣体の一致だけでなく、居合術としての鞘走りの技法、標的との間合いを神速で詰めきる運足の技法などが含まれる。奥義として必要な要訣の全てが揃ってこそ、初めて技は技と呼べる」

 崩れ落ちた四肢の感覚を、自分の肉体が割り開かれた苦痛が埋め尽くしている。体内から抜け出していく熱の虚脱感と、裂かれた肉の痛みに歯を食いしばって膝をつく俺を、父はもはや振り返りもしない。どこまでも涼やかな、澄み切った納刀の音だけが響いてきて――ッ。

「――お前のそれは技とすら呼べない」

「――」

「刀に似た玩具(がんぐ)を振り回しているだけ。児戯にも劣る、子供騙しだ」

「ッ……‼」

「黄泉示さん……ッ!」

 ――ッ力が入らない。正確に筋肉と繋がる部位を切断されているのか、終月を握ったまま四肢を震わせることしかできないでいる俺に、フィアの治癒が掛けられる。――ッマズイ。

「……っ駄目だ」

「……!」

「――逃げろッ! フィア――‼」

「……無意味な願望を口にする」

 ッこのままでは。上半身だけを動かして振り向いた俺に対し、父はすでに無情にも視線の方角を変えている。瞬く間に詰めきれる位置に立ち尽くしている、フィアを瞳に捉え。

「お前たちを殺すことの容易(たやす)さなど、初めから忠告してあったはずだ」

「……!」

「逃げきれる可能性などありはしない。それを知って治療を施している、少女の方がまだ気骨があるな」

 白銀の髪を流すその姿に向けて、ゆっくりと歩いていく。……ッ一歩一歩。

「……ッ‼」

 自らの命を削り落としていく接近に色を失いながらも、フィアは、目だけは外すことをしていない。細かに震えている脚。

「……自分の身を守らずともいいのか?」

 蒼白の面持ちで強く噛まれた唇。身を隠すための障壁さえ出さずに、踏み止まって俺たちの治療に魔力を送り続ける姿に――。

「……」

 果たして何を思ったのか。数秒の間だけフィアと視線を交わした父が、納められた刀の柄に再び手を掛けた。ッ駄目だ――ッッ‼‼

 それだけは、絶対に。彼女を殺させるわけにはいかない。

「――フィアッッ‼」

 心の中の激情に反して、四肢の動きを封じられた俺にできることの少なさが圧し掛かってくる。自分の傷口が更に広がる苦痛と恐怖に冷や汗を流しながらも、残された体幹の力で父に終月を投げつけようとした――‼

「――ッ⁉」

 その、瞬間。目を見張った視線の先、刀に手を掛けた父とフィアとの間に、半透明に輝く防壁が出現している。緻密に編まれた強力な魔力の壁。

「――⁉」

「きゃっ⁉」

「――まったく」

 その背後を縫うように、俊足の影が瞬いたかと思うと、力強い腕に抱え上げられた俺とフィアが、同時に離れた地面へと運び落とされる。尻餅をつく俺たちの頭上から発せられた、覚えのあるこの声は。

「本当についてないわね、あんたたち」

「――⁉」

(あおい)卜占(ぼくせん)で凶兆が出てるし、不穏に動く魔力の気配がするしで、本山の反対側から戻って来てみたら」

 ――立慧(リーフイ)さん‼ 短く切りそろえられたウルフカットの髪の端をなびかせ、俺とフィアを守る位置に立ちはだかってくれている、頼もしい姿が映る。

「まさかこんな大物といるだなんて。不幸の星の元にでも生まれついてるのかしらね?」

「……蔭水冥希」

 全力の臨戦態勢を取る背中の後ろ――リゲルとジェインが倒れていた付近から、小柄な背丈を支える軽やかな足音が俺たちに近づいてくる。――ッ千景(ちかげ)先輩!

「十年前に死んだはずの《救世の英雄》か。到底信じられないような気分だが……」

「信じるしかないわよね。こうして現実に、見せられちゃってると」

「……支部長か」

 立慧さんの斜め後ろ、俺たちの隣に立った栗色のポニーテールが揺れる。緊張の気配を上らせる先輩たちの前方で、刀を納めたままの父が、緩やかに二人へと向き直ってくる。……ッ良かった。

 ――俺たちの賭け続けていた最後の望みが、瀬戸際で間に合ったのだ。本山の事態の解決に出ていったとき、先輩と立慧さんは、俺たちに絶対に無茶をしないよう言い残していった。

 結界を出るか、破られるかすれば感知ができると言っていたが、そうでなくとも、戦いの中で激しい魔力の動きが(おこ)ったなら、先輩たちにはその異変が伝わるのではないか。リゲルとジェインの魔術に、フィアの障壁――。

「本山の異常を差し置いて此方に駆けつけてくるとは、意外だな」

「……!」

「この四人は組織の人間ではない。多少の時間を共にしたとは言え、職務を投げ捨ててまで助ける相手とも思えないが」

「……なるほどね」

 俺の【魔力解放】の気配までが合わさったことで、一縷(いちる)の希望が本当に届いてくれた。冷静さを崩さない父の台詞に、腰を落とした構えを取っている立慧さんが、不機嫌さも(あら)わに視線を細くする。

「本物とは初めて会ったけど。――あんた、私の嫌いなタイプだわ」

「……」

「組織の人間かなんてどうでもいいでしょ? 危険に陥ってるかもしれない相手がいるから、誰だろうと助けに行くってだけ」

 吐き出された言葉のうちから伝わってくるのは、支部長に至るまでに持ち続けてきたのだろう、強い決意。

「それが私ら協会の理念よ。あんたは勘違いしてるみたいだけど――」

「本山で異変の対処に当たってるのは、何も私ら支部長たちだけじゃない」

 静かでありながらも、立慧さんの気迫に劣らぬ覇気をもった先輩が言葉を引き継ぐ。

(さくら)御門(みかど)秋光(あきみつ)様、三千(みち)(かぜ)に、田中(たなか)もいる」

「……!」

「それ以外の協会の職員も、全員が協力して事態に当たっている。私たちが此処に来たのは、後ろを任せられる信頼があったからだ」

「……信頼か」

 支部長としての自負と信念を持って立ちはだかる二人に向けて――父から返されたのは、低く呟くような、冷たく暗い実感の混じった声だった。

「現実を前にしてみれば、無意味なものだ」

「――」

「例え本山の人間全てが力を尽くしたとしても、この混乱を即座に収束させられるわけではない。未熟な技能者たちの窮地に(おもむ)けたのは、お前たち二人だけ」

 先にも増して温度の低い眼光を宿した父が、腰元から二振りの長刀を抜き放つ。――ッ二刀流(・・・)

「かつての私の行いを知り、今こうして現実に相対しながら……」

「……ッ‼」

「お前たちだけの力で。本当に、この局面を変えられるつもりでいるのか?」

「……言ってくれるじゃない」

 蔭水流の全ての剣技を会得したという父が、基本である一刀流に加えて、最も得意とする戦型。額に冷たい汗の感触を自覚する俺の前で、苦々しさを隠さない口調で立慧さんが舌打ちをする。

「《救世の英雄》である自分なら、私らなんて一人で充分だってわけ?」

「……」

「大した自信ね。言っとくけど、私はあんたのことをよぉく知ってるから。あんたの活躍を記録した文書は、魔導院時代に保管されてるだけ読んで――」

「――よく動く口と手だ」

 ――手?

「彼我の気運を操作する【風水術】」

「――っ」

「言葉の上では気丈であるとはいえ……格上を相手にする際は、運を天に任せると言うわけか」

「……本当に嫌な奴ね」

 今一度注視した俺の視線の先で、顔をしかめた立慧さんの突き出した左腕に隠された右手の指が、意味の見えない複雑な動きをしているのを把握する。――魔術の仕込み。

「格下相手に()めてるみたいな振りしといて、しっかり全部見抜いてるってわけ?」

「……」

「腐っても眼力の方は確かみたいね。――始める前に、一つ訊いとくわ」

 自身に不利を(もたら)す術法の効果を理解しながら放置しているらしい父を前に、問いを投げかける立慧さんが、張り詰めていた気配をひときわ鋭いものにした。

「そこで切られて血を流してる相手、あんたの息子なのよね?」

「――っ」

「そっちで重傷を負って倒れてる二人は、昔あんたが一緒に戦ってた戦友の身内。仮にもし何かあったとしたら、保護者が全員青筋立てて殴り込みに来るくらい大事に想われてるわけだけど……」

 親指と顎遣いで、父によって切り付けられた俺たち三人を指し示した立慧さんが、正面から今一度父の姿を双眸に捉え直す。

「今みたいなことを知ってた上で、自分の手で三人を傷つけたの?」

「……無意義な問いだな」

 駆け引きのない真剣さをぶつけられた父が小さく息を零す。十年前と変わらない強さを湛えたその相貌に、冷たい刃の如き眼差しを浮かべ直し、

「現実に見て取れる以上、それが事実だ」

「――ッ」

「かつての如何なる関係だろうと、今の私の歩みを止める動機にはならない。必要であるのなら、迷わず自分の手で切り捨てる」

「……そう」

 答えを受けた立慧さんが唇を微かに開ける。胸のうちにため込んでいた想いを、気を整える呼吸とともに吐き出すようにして。

「……魔導院にいた頃、あんたらに憧れてた時期もあった」

「……!」

「最近別のメンバーたちに会って、現実を見た気もしてたけど。――あんたに比べれば、あの三人の方が遥かに尊敬できるわ」

 相対する父を見据えるその瞳に、裂帛の気魄を持つ熱い闘志の焔が燃え上がった。

「あんたはもう、《救世の英雄》って呼ばれてた時代の蔭水冥希じゃない」

「……」

「自分の息子や仲間の身内でさえ切り捨てようとする。……ただの、人殺しよ」

「……何を言おうが現実は変わらない」

 強い弾劾(だんがい)の言葉を受け止める父の表情は変わらずに、磨かれた刀身の輝きに似た鋭い冷徹さが、どこまでも寒色の光となって理知的なその眼差しに湛えられている。――ッ瞬間‼

「――増援がお前たち二人だけである以上、この私を止めることなどできない」

「――ッッ‼⁉」

「幹部級でもない人間の抵抗は無意味に終わり。お前たち二人もまた、此処で死ぬ」

「――ッ嘗めてんじゃないわよ」

 放たれる真剣のごとき殺意。全身を凍て付かせる吹雪を錯覚させる威圧の中で、立慧さんから(ほとばし)る炎にも似た峻烈な闘気が、俺たちに向かう殺気を相殺してくれている。高めた気を纏って輝く己自身の背中で、相手の殺意を退けるように構えを保ち、

「この程度の殺気でビビらせようってわけ? かつての英雄が聞いて呆れるわ」

「……‼」

「今どきの支部長には、肩書なんてなんのコケ脅しにもならないの。――あんたに支部長の力が通じないかどうか」

 言い放つ立慧さんの周囲に、気とは違う微かな魔力の煌めきがちらついている。ッなんだ――⁉

「恰好の試金石として――私と千景の全力で、試させてもらうからッッ‼‼」


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