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彼方を見る者たちへ  作者: 二立三析
第六章 運命の日
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第十五話 一縷の希望



「あ、秋光(あきみつ)……様……」

 ――本山の最上階に辿り着き。

「……」

 目の前に広がる惨状、血だまりの中からか細く発される協会員の声を、血の広がる地面に膝を付いた秋光は静かに聴いている。普段は立ち入る者のない、清浄の領域。

 魔導協会の最上階という、魔導の象徴足る組織の頂点にありながら、組織として必要な機能の一切を持たない空間。本来であれば襲撃の意図などあり得ないはずのその場所に……。

 今は、(おびただ)しい戦闘の痕跡が広がっていた。周囲に散乱している幾つもの遺骸たち。

 四散した身体の部位からは、行われた戦いの激しさ以外、情報を読み取ることが困難だが、辛うじて原形をとどめた何体かの姿から、それが人ならざる怪物のものだということが理解できる。階下を(おびや)かしている鬼たちと比べても数段引き絞られた重量感のある体格と、自らの位階の高さを強調するようにねじくれた、(いびつ)な角。

「突然の襲撃に、不覚を取りましたが……」

「……」

「ここを襲撃した鬼たちは。……警備の人員で、どうにか片付けました」

 無作為な混乱を招く目的で放たれた鬼たちとは違い、明らかに明確な狙いをもって運用された、別格の高位の鬼たちだ。支部長クラスでさえ対処に手間取ると思える鬼の精鋭を相手にした、年若い警備が微かに口の端を上げる。

「しかし……っ始めの襲撃で三千(みち)(かぜ)様が負傷し……」

「……」

「三千風様を庇いながらの戦闘となり。増援を考慮して護衛に付いた数名が、三千風様と共に、中に……っ」

「……そうか」

 話す相手の意識を僅かでも支えられるよう、地に落ちた相手の手のひらを握りつつ、秋光は協会員の状態を今一度己の眼で確認する。……強引な力で引き裂かれた腹部の裂傷は、ほぼ胴体を切断するまでに達している。

 零れ落ちた臓物から流れる血の熱は冷め、鬼の爪先で強引に抉り取られたと見える左目には、痛ましい裂け目と何ものも映し出すことのない虚ろな空洞が空いている。……ここまで持っただけでも奇跡と言える状態であって……。

「――よくやってくれた」

「……っ」

(れい)も、警備の仲間たちも。……此処にいる者たちの尽くした力のお陰で、命を繋ぐことができた」

「……よか……た……っ」

 頬にこびりついた血と混じり合いながら流れる涙と共に、僅かな意識の輝きを保っていた協会員の眼の光が、急速に失われていく。自身に残された最期の力。

「みちかぜさま……なかまを……」

「ああ」

「きょうかいを……どうか……ッ」

「――何も心配することはない」

 それを振り絞って、死の淵にてなお、仲間たちの安否に心を砕き続ける若者に対し、確かな言葉の強さで秋光は答えを返す。相手の心残りの一切を取り払うよう、

「この場における警備の責務は、四賢者筆頭たる私が引き継いだ」

「……!」

「全員の努力のお陰で事態が解決する。――ありがとう」

「――」

 万感の思いを込めた微笑みを見せた秋光に応えるように、唇の端を微かに持ち上げた協会員が、ゆっくりと己の(まぶた)を落としていく。……静寂。

「……」

 眠るようなその面持ちから、命を繋ぐ呼吸の音は聞こえてはこない。黙して死に相対する秋光と、傍らにて控える麒麟(きりん)。息を引き取った協会員の手を握ったまま、無念と懺悔(ざんげ)()い交ぜになった情念に、深く黙祷を捧げ続け……。

「――」

 血の気の引いた手のひらを静かに床へと横たえて、立ち上がった秋光の眼に、周囲の惨状が再び飛び込んでくる。鬼の残骸と入り混じり、原形も分からなくなっている協会員たちの血肉。

 強大な力で壁に打ち付けられ、床で踏み潰されて息絶えている女性の亡骸が見える。壁に寄りかかる形で絶命している、両腕を失った壮年の警備の表情は、彼が絶命時に味わった苦痛と絶望をそのままに留めているようで。

〝――秋光様〟

〝秋光様!〟

 目を閉じれば、一人一人の生前の言葉と仕草が鮮やかに思い返される。己の身を切り刻むような哀悼の感情を、賢者として(つちか)われた意志力で、僅かな時間だけに押し込めて。

「……行こう」

「――」

 己の為すべきことを果たすために、握りしめる手のひらを解いた秋光は麒麟へと声をかける。通路の奥に設けられた扉、硬く封印の施された巨大な両開きの門へと、歩みを進めて行った。












「……」

「……ッ」

 ――相対する俺と父。

 彼我(ひが)の間に開いた間合いは六メートルほど。対峙する人間のどちらも、その気になれば数瞬から一瞬で詰めきることのできる間合いだけがあって。

「……!」

 寸毫(すんごう)も気を抜けない緊張の中で保つ構えの背後から、張り詰めた空気の鋭さに息を呑んでいる、フィアの抑えた息遣いが俺の耳に聞こえてくる。……どうにか超えることのできた第一関門。

 父がフィアたちでなく、俺自身を剣の標的とするこの状況に持ち込めなければ、可能性など微塵も与えられていなかった。子どもの頃――。

 俺が父から受けていた鍛錬には、一つのある約束事があった。一定の修練を終えたのちに、習い覚えたことを正しく身に付けられている自信があれば、俺から父に確認を申し出ることができる。

 学んだ事柄の内容に応じて、父か俺のどちらかから技を仕掛け、覚えた内容を用いて適切に応じられれば合格。そうでなければ鍛錬か、理解が不足しているとしてまた修練をしなおすことになる。上達の節目節目で行われ、下される判定に一喜一憂する俺を目に、父と母が仲良く微笑んでいた――。

「……」

 あの頃の約束事だ。……通じるかどうかは賭けだった。

 一蹴され、実力行使に出られる可能性もあったが、父はこうして俺の誘いに乗ってきている。現実に見せられた信じがたいほどの変貌と、記憶の中と変わらない相手の振る舞いに、衝突する心の痛みを抱えながら……。

「――ッ」

 手繰った細い糸を切らせないことに、今の俺は全身全霊を尽くしていた。――身体中に巡らせた気の流れ。

 足先から手指の先まで綿密に意識を張り巡らせ、足腰に伝わる自重を均等に分散。引き付けた両腕と体幹を過度に強張らせないよう、即座に動くことのできるレベルの緊張を保ち続ける。立慧(リーフイ)さんと小父さんとの修練の中で教えられた要訣たち。

「……」

 この身に染み込ませた全ての技法に一つの抜かりもないよう集中し続ける俺の視線の先で、立ち尽くす相手は、何の備えも見せてはいない。――自然体(・・・)

 緩やかに両腕を身体の真横に下ろし、刀の柄に手を掛けることさえしないまま(たたず)んでいる父の姿には、敵を前にしたあえての集中など何もない。……そう思えるにもかかわらず……ッ……‼

「……‼」

 ――相対から今この瞬間に至るまで、全くと言っていいほど、気を抜ける余地がないままでいる。……っ小父さんとの修練で、俺は相手の隙を見抜く力を錬磨してきた。

 針の穴ほどの隙でさえ見通す気概で集中を維持しているにもかかわらず、どれだけ意識を()らして一挙手一投足を見つめても、攻め手の切っ掛けとできるような、ほんの小さな裂け目の一つでさえ浮かんでは来ないのだ。……どのタイミングでどう打ち込んだとしても、確実に自分の側が切られて崩れ落ちている。

「……ッ……!」

 揺らぐことのない敗北の判断だけが、ひたすらに脳裏に積み上がってくる。構えを取っている俺の側が、動き出しでは少しは優位に立っているはずなのに……ッ。

「……ッ‼」

「……【無影(なきかげ)】、か」

 微塵もその有利が感じられない。構えの姿勢から動くこともままならないまま、流れ落ちる汗を床に落とした俺を前に、超然とした気配で佇む父――蔭水(かげみず)(めい)()が、僅かに視線を細めてくる。

「構えを見る辺り、(あずま)辺りの仕込みだろうが。――剣理の意味までは教えられていないらしい」

「……っ!」

「一対一の対決に持ち込むつもりがあったにせよ、その技の構えを見せておいて、先に打ち込んで来ないとはな」

 水面のような黒の瞳に微かに叱責の色を覗かせた父が、唐突に明確な技の構えを取ってくる。――ッ【(たえ)(ばな)】。

「その姿勢だけでも不足と断ずるに値する」

「――」

「十年前の鍛錬でも教えたはずだ。剣を振るうことを志すならば、己の手にしている武器に、どれだけの重みと責任があるのかを知るべきだと」

 両手で握る刀身を高く上段に掲げあげ、全ての体重を乗せた一撃を放つ最剛の剣技。蔭水流における後の先を(むね)とする――。

【花の太刀】における奥義だ。――ッやった!

 その特徴的な構えと父の姿勢を前にした瞬間に、僅かな反応も表に出さないよう、心の中で俺は快哉(かいさい)を叫び上げている。……二つ目の関門をクリアした。

 ――父が俺にしてきた指摘。相手の先を取るための技である【無影】の構えを取っておきながら、剣理に背く待ちの姿勢を見せたことは、俺が父から【絶花】を引き出すための布石だった。蔭水流における【影の太刀】の奥義であり、相手のあらゆる動作より速く一刀を届かせると言われる神速の居合術、【無影】ではあるが……。

「……!」

 俺と父とではそもそも、技能者としての能力に差が開き過ぎている。いくら最速の奥義の動きの真似をしたところで、これまでの格上の敵たちと同様に、例え完全な不意をついても一撃を食らわせられることにはなり得ない。……必要なのはアドバンテージを創り出すこと。

 絶対的と言える力の差がある中で、僅かでも俺の側に天秤を傾けられる要素を積み重ねることだ。父がそこまで詳細に記憶しているかは分からないが……。

 ――子どもの頃、技能者としての両親に憧れを抱いていた俺は、鍛錬の合間に父にせがんで、蔭水流における九つの奥義全て(・・)を見せてもらったことがある。……当然、本気で披露されたわけではない。

 子どもの俺が追える動きの速度など高が知れているし、庭先での披露の必要があった以上、演武のような鍛錬上の型としての動きに落とし込んでのものだったが、それでも一つ一つが輝いて見えた子どもの頃の憧れは、今でも俺の胸にしっかりと刻み付けられている。

 どの構えを取り、どんな動きで技を繰り出すか。いくたび技を繰り出そうと崩れることのない正確無比な父の太刀筋と相まって、構えを事前に見せられたなら、どの軌道で刀が走るかまでを完璧に思い描くことができるまでになっているのだ。……父が今見せている【絶花】は、九つの奥義の中で最も予備動作の大きい技。

 最大の威力を乗せた斬撃で守りや攻撃ごと相手を両断するという、後の先の極致を示す技だが、刀身に自重と力の全てを乗せきる必要がある原理上、技ののちに見せる隙も大きい。……本来ならそれらが問題になることはない。

 後の先の剣理に基づき、【絶花】を繰り出す際は基本的にカウンターの決まるタイミングを狙うのだし、そうでなくとも俺と父の技量には天と地ほどの隔絶がある。例え俺の側が、最速の奥義を模した一刀で仕掛けたとしても……。

 父の技量なら、それを見たあとからでも確実に後の先を取ることができるだろう。……そうなってしまえば勝ち目はない。

【無影】を仕掛けの技とし、父も知る通常の剣理に従えば俺の勝機はなくなる。切り伏せられる運命は(くつがえ)しようもないが――ッ。

「――……‼」

 この【無影】の構えで待ちの姿勢を取り、父から【絶花】を引き出すことができたのなら。一縷の望みも無いに等しいこの状況下で、僅かな風穴を開けることができる。ッ瞬間。

 大上段に構えた父が踏み込みの動きを見せる。全身に焼き付いた全ての記憶と感覚で、自重を乗せきって打ち込まれる刃の軌跡を直感する。――ッそうだ。

 鍛錬において俺が間違った動きや理解をしていた場合、確認の中で父は、その間違いを最も明確な形で指摘できる行動を取ってきていた。ほかの何よりも速度に重きを置いた剣技である【無影】は、正面からの技同士の激突に弱い。

 技能者としての練度に差があるということは、固定されているはずの技の関係性を入れ替えられる可能性があるということ。本来なら相手の出方を(うかが)い、最善の機を取ってカウンターとして用いるはずの【絶花】も、父と俺ほどの力の差があれば、強引に先制する仕掛けの技として使うことができる。仮に同時に一刀を振り出したとしても――‼

「――ッッ‼‼」

 俺の【無影】の練度では、父の【絶花】に先んじるほどの速さを出すことはできない。……先手を取られた時点で敗北は確定している。

 先の先を旨とする技で機先を制さなければ、例え最も予備動作の大きい【絶花】であろうとも、俺の対処が間に合うことはない。そのことを父は俺に指摘しようとしている――。

 だからこそ(・・・・・)

 ――ここだッッ‼‼

 俺の掴める勝機は唯一、この瞬間にしかないのだ。垣間見えた瞬間の好機に、全ての気迫と魂を込めて終月(しゅうげつ)を抜き放つ。

 振り下ろされかけている相手の剣身に、全身の感覚が、このタイミングでは間に合わないことを俺に告げてくる。……そうだ。

 父の見立ては正しい。事前の動作こそ大きいとはいえ、自重と膂力(りょりょく)の全てを乗せる【絶花】の斬撃が加速しきってしまえば、その速度は今の俺の剣で追いつけるものではない。

 蔭水流の剣技全てに精通し、技能者として圧倒的な格上である父の見立てが、間違っているはずもない。同時はいわんや、ましてや――。

  ――ッッ‼‼

 遅れて打ち放った場合には。――【魔力解放(・・・・)】。

 意識と共に全身から溢れ出す暗黒の魔力。永仙(えいせん)との戦いで更なる限界の突破を見た、血肉から解放された常外の力が、稼働する俺の肉体全ての能力を奥底から引き上げる。瞬間の強化による加速。

 いくら父が俺の修行の内容を伝え聞いていたとしても、現実に見ていない技の強化率までを予測することはできない。そして――‼

 ――……ッ。

 今の俺の使える隠し玉は、もう一つある。立慧さんとの修練で手に入れた新たな技。

 相手の思惑を打ち崩すために会得した、本当の奥の手が。――ッッ【魔力凝縮】‼‼

「――ッアアッッ‼‼」

 極限の集中に伴って圧縮された全身の魔力が、ほんのわずかな時間だけ強化の効率を飛躍的に増大させる。(うな)りを上げる黒色の剣閃が、突発的に増した勢いで大気と空間を強引に引き裂いていく。

「――っ」

 ……振り下ろされる【絶花】の白刃に自重の加速が乗り切る寸前。

 予測を超えた速度の刀身が、一瞬だけ早く相手の身に到達する確信の中で。俺を見つめる父の瞳が、初めて僅かに見開かれたように見えた。



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