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彼方を見る者たちへ  作者: 二立三析
第六章 運命の日
136/153

第十四話 決別


「――久し振りだな、黄泉示(よみじ)

 ――目の前に立っている人の姿。

「おおよそ十年ぶりになるか」

「……!」

「やむを得ない事情があったとはいえ、決して短いとは言えない年月だ。……苦労を掛けたな」

 記憶にあるのと寸分違わない口調が心を揺さぶる。幾度となく繰り返してきた思い出の中だけにあったはずの、二度と会えないと思っていた相手の出現に……。

「……マジかよ……っ⁉」

「っ黄泉示さんの……ッ」

「父親というわけか。だが……」

 動きを止めざるを得ない俺の後ろで。事態を理解したフィアたちからも、驚きの声が上がっている。……っそうだ。

「……どうして……」

「……」

「……貴方は。……父さんは、あのとき死んだ」

 確かにそのはずだ。脳裏に蘇ってくる血まみれの畳、腹から突き出た刃の、冷たい輝き。

「母さんが亡くなって。……っ自分で自分を」

「……」

「遺体は引き取られて、葬式には出られなくて。なのに、なんで……」

「――思い込むのも無理はない」

 思い出すだけでも寒気と痛みを覚える克明な絶望の光景が、父の死という事実を明確に支えていて。(いた)わるような静かな声の()が響いてくる。

「十年前のあの日、私は自らの死を偽装した」

「――ッ⁉」

「協力者の手を借りてな。世界のうちを去った死人となることによって、私は誰にも悟られないまま、己の目的のために動くことができたのだ」

 思いがけない言葉の中身に、脳の一部が棍棒の一撃を食らったような衝撃を受ける。……偽装?

「組織の眼をも(あざむ)く偽装に、お前が気付ける道理は何一つなかった」

「……!」

「幼いお前を一人にしていくことは、苦渋の決断だったが……」

 俺が自殺だと思っていたあの出来事は、全て、父の演じた芝居だったと言うのか? 纏まらない思考と感情に混乱する俺の前で、父は静かに瞑目(めいもく)し。

「その憂いも今日で消える。――私と共に来い、黄泉示」

「――⁉」

「私たちの手により、じきに技能者界の秩序は塗り替えられる。お前がそのときいる場所は、崩れ去る秩序の側ではなく、こちら側であるべきだ」

 意志の宿る瞳――力強い視線で正面から俺と目を合わせた父が、剣だこのある精悍(せいかん)な手のひらを伸ばしてくる。

「私と共に来れば、この望みのない惨劇に苦慮する必要はなくなる」

「……!」

「状況は何もかも整えられ、全てがお前にとって善いように進む。――さあ」

 ――差し出された手。

 十年を経ても変わらない父の姿と、頼もしさを感じさせる力強い眼差しを目にした脳裏に、かつての生活が蘇ってくる。……ひなびた風情のある和風の家屋。

 尊敬し、憧れをもって仰ぎ見ていた父と母が、居間の中央の机に座っている姿が目に浮かぶ。二人の背中に追いつこうと、庭先で懸命に剣を振るっていた子どもの頃の自分。

 胸の奥底にしまわれていた、大切な感覚が思い起こされてきて。暖かな感情の湧き上がるそのままに、記憶の中にある父の手を――。

「――っ黄泉示さんッ‼」

「――ッ――」

 掴もうとした。――声。

「……」

「……冷静になれ」

 隣から伸ばされたフィアの手が、俺の手のひらを握っている。伝わってくる柔らかな生命(いのち)の体温が、無自覚に歩み出ようとしていた俺の身体を、懸命に引き止めてくれている。……ジェイン。

「今(かげ)(みず)の置かれている状況は、どう考えても不自然だ」

「……ッ」

「動揺する心情は理解できるが。……今は、冷静になった方がいい」

「――そうだぜ」

 庇うように歩み出たリゲルが、警戒の色を隠さずに相手を睨みつけるようにする。

「いきなり出てきて一緒に来いだとか、肉親だとしても、流石に怪しすぎんだろ」

「……」

「黄泉示の親父なんだよな? 他人の家庭事情に首突っ込んじまって悪いが、十年間も自分の都合で息子をほっぽり出してたんなら、普通は事情の説明を先にするもんだぜ」

 おどけるように左右に首を振りつつ、油断のない眼光で父を見据えてみせる。

「胡散臭い勧誘の文句じゃなくてな。信頼を結び直す努力が、必要なんじゃねえかよ?」

「……」

 ……そうだ。

 確かに俺はまだ、今の父から何の説明も受けてはいない。現実に引き戻された意識で父を見つめる。俺の隣にいる、三人から送られる視線を受けた父が――。

「……レイルとエアリーの子息たちか」

「……っ!」

「あの二人の関係者というだけあって、中々にいい教育を受けているようだ。――いいだろう」

 冷静そのものだった面持ちを微かに緩め。その感情の発露が幻だったかのように、次の瞬間には冷たい理性の表情を取り戻した。

「黄泉示の友人である以上、お前たちにも無関係な話ではない」

「……!」

「全員に向けての誘いの前に、私たちの悲願について話すとしよう。――お前たちは、不思議に思ったことがないか?」

 俺たちの反応を待つこともなく、平静な声の音も変えぬまま、父の話が始められる。

「戦争、飢餓、差別に迫害。世界と人の誕生からこれだけの時間が過ぎたにもかかわらず、世の中にある問題は一向に数を減らさないでいる」

「……?」

「こうしている今日この日にも、誰かが地獄に等しい失意の中で命を散らしている。まるで人間の生きる世界そのものが、存続のための犠牲を要求するかのように」

 語られる言葉の中身が意識を上滑りしていく。……なんだ?

 話が見えない。父は一体、何を――。

「どれだけ社会の歪みを正そうと努め、人を救い続けたところで、嘆きと苦悶の叫びは消えることがない」

「……っ」

「消えることのない犠牲を要求するこの世界の在り方は、どこかが根底から間違っている。――この歪んだ世界を滅ぼし、新たな地獄の誕生を終わらせること」

「――ッ⁉」

 ――なに。

「世界の存続と叶わぬ理想のために苦しむ人間を、誰一人として出さないこと」

「……」

「人の抱える悲劇の終わりと、地獄の根絶。それこそが、我らの叶えるべき悲願」

 語りを終えた父の前で、俺たちの間に重苦しい沈黙が下りてくる。……余りに。

「……そのために、こうして魔導協会に攻撃を仕掛けている」

「……!」

「秩序を維持する組織を滅ぼし……自分たちが、新しい秩序を作り直すと?」

「――魔導協会だけではない」

 突然に語られて正面から受け止めるには、余りに荒唐無稽な話だ。――っなに?

「我らの同志により、聖戦の義、国際特別司法執行機関も同様の襲撃を受けている」

「……ッ⁉」

「世界から抵抗する力を消し去り、技能者界の秩序を終わらせるためにな。そして――」

 その言葉に心臓が揺さぶられる思いがする。……ッ俺たちのいる魔導協会だけでなく、

「私たちは、自分たちの手で新たな秩序を作り直すことはしない」

「っ――⁉」

「悲劇を要求する世界が再び現れないように、私たちを含めた全ての人間を完全な形で滅ぼし尽くす。――此方側に着くのなら、お前たちだけは生き延びられる」

 三大組織を構成する、他二つの組織においても、こんな事態が起きているというのか? 狂気に等しい(くわだ)てを語りながら、どこまでも感情の(たかぶ)らない瞳で父が眼差しを送ってくる。

「全ての人間が滅んだ世界の中で――四人だけで天寿を(まっと)うできる」

「……」

「世界が続いていかないための処置を施すことにはなるが、それ以外に要求することはない。あらゆる代償も、苦役も何も」

 まさしく自分の案こそが唯一の救いの手なのだと言うように、俺たちに誘いをかけた父が、硬く鍛え抜かれた手のひらを上向けた。

「お前たちはただ、頷いて此方側に来るだけでいい」

「……」

「それで全てが上手く運ぶ。歪な犠牲を生み出す世界は終わり、お前たちだけの未来が明け渡される」

 ……沈黙。

 誰もがすぐには答えを紡げない中で、目の前の父から言われた言葉の中身を、俺は受け止めきれずにいる。……世界の歪みを正す?

 二度と地獄を生むことのない世界を創る? 抽象的な言葉の指す意味とは裏腹に、残響のうちに蘇ってくるのは、先に目に焼き付いている、誰のものとも分からない遺骸たち。

 千切れた片腕、残された血痕。死者たちの怨念と無言の嘆きが、今この瞬間にも俺の心に押し寄せてくるようで――ッ!

「……」

「――へっ」

 果たして、何を言えばいいのか? 脳髄と心を揺さぶる血の光景に、唇を噛むことしかできないでいる俺の隣から、軽快なしなやかさを持つ声が上がった。

「なるほどなぁ……」

「……ッ」

「黄泉示の親父っつうから、どんな人間かと思ったら。――随分とぶっ飛んでやがるぜ」

 リゲル。オールバックにサングラスで固めた強面が、俺たち全体に圧し掛かる緊張を払うように、あえて大仰に肩を竦めてみせる。

「苦しむ人間を出さないためとか言っときながら、あんな怪物どもを放って組織の連中を殺させる?」

「……!」

「自分の身内は殺さず優遇して、他人なら容赦なく化け物の餌食ってわけか。――筋が通らねえんだよ」

 ブルーの眼光から放たれたのは、明瞭な拒絶の意志を込めたガン付け。

「どれだけ口で四の五の語ってみたところで、その人間の本心ってのは結局、何をして何をしないかに現れる」

「――」

「親父の――レイル・(ギャンビット)・ガウスの仕事上、俺はそういう連中をゴマンと見てきた。テメエのやり口は、いかれた野心家や独裁者のそれと同じだ」

 スーツに包まれた腕を伸ばし、真っ直ぐにグローブの人差し指を突き付ける。

「自分たちの目的だけが世界の全てで、それ以外の何を潰してでも成し遂げる価値があると思ってやがる」

「――」

「自分の都合で平然と他人を踏みつけにする。テメエの手で地獄を作って地獄の誕生を終わらせるとか、ジョークにしても笑えねえ戯言だぜ」

「……このゴリラはバカで単細胞だが……」

 鼻先で笑い飛ばす仕草に、眼鏡の位置を直したジェインが続く。

「この件については同感ですね。まともな考え方とは思えない」

「……」

「論理的に破綻していることは置いておくとしても。蔭水の父親ということは、秋光(あきみつ)さんや神父、レイルさんや()(げつ)さんの仲間でもあったはず」

 理性的なブラウンの瞳が、批判的な眼差しで父を目にする。

「『アポカリプスの(まなこ)』から世界を救った英雄でもある。今の貴方の悲願とやらは、自分たちの成し遂げた行動を無にしてしまうものだ」

「……理解できないか」

 二人の応答に、父はそれ以上説得することをしてこない。ただ一つ、冷ややかな眼差しだけを覗かせて。

「未熟な(ひな)たちとなれば無理もないが。――お前たちの判断は元より問題ではない」

「……!」

「この場で重要となるのは、黄泉示の意志だ。私の提案を受けるか否か」

 端的に事実だけを告げる口調の父が、俺を見てくる。……感情の起こりの映らない水面のような瞳の色。

「今この場の状況を決する資格は、他の誰でもない、お前自身にある。黄泉示」

「……ッ」

 選択権を明け渡してくる父の言葉に、自分の手のひらを強く握り締める。……なにが。

 なにが、どうなっているという? 何もかもが不分明にすぎる。

 この状況で答えを下せなど、どう考えてもできるはずがない。父と、フィアたちから向けられている意識。肩に圧し掛かる思考の重圧に――っ。

「……ッ……」

「……思考が追いつかないか」

 唇を噛み締めたままでいる俺を前にして。張りつめていた空気を緩めるように、父が小さく息を零した。――っ。

「思えば昔からそうだったな」

「……!」

「難解な問題にぶつかれば、納得のいくまで考え抜こうとする。己の確信する道が見つかるまで、決して動こうとはしない」

 子どもの頃の情景を思い出しているのか、微かに気配を緩めた父が、視線をあらぬ方角へと向ける。かつての日々を懐かしむようだった横顔が、

「自発的な回答を待ちたいのは山々だが、こちらとしても時間が無限にあるわけではない」

「――」

「協会側に気づかれる懸念もある。今の状況で判断がつかないというのであれば――」

 次の瞬間には、再び凝固し。感情を深く殺した黒の瞳が、俺の隣に立つ二人を見つめてきた。ッまさか――⁉

「決断を加速させるための、材料(・・)が必要か」

「――っ!」

「――始めに言っておく」

 ――ッリゲルとジェインを⁉ 反射的に身構える姿勢を取った二人に向けて、父が言葉の剣を抜いたと感じさせられる、冷ややかな眼差しを差し向ける。

「お前たちが黄泉示の友人であり、仲間であり、かつての戦友の息子たちだろうと、私は一切の容赦をしない」

「……!」

「必要になれば躊躇(ためら)いなくお前たちを殺す。もう一度だけ訊いておこう」

 自らの腰に差した刀を視線で示して、実質的な最後通告を突きつけた。

「黄泉示と共に、私たちの側に来い」

「――」

「それだけで危害を加えることはしない。戦いの苦痛も、抵抗の困難も無くなる」

 何一つ変わらずに繰り返される勧誘の言葉。……っこれが。

「労せずしてお前たちは世界を手に入れられる。地獄も嘆きもない、理想の世界を」

「――何が理想だよ」

 これが本当に、俺の知るあの父の口にしている言葉なのか? ――ッ‼

「俺たち以外誰もいない更地の世界が、理想なわけねえだろうが」

「――」

「色んな奴が当たり前にあちらこちらにいて、思い思いに自分の輝きを発揮してる。誰かが何かをやってるってことが、自分や周りの奴の励みになる」

 揺るぎのない強さを瞳に浮かべたリゲルが――退くことのない勇壮さで、父に向かい合っている。

「どんな奴らを前にしようと、そいつがそいつであること自体を認め合えてる。理想ってのは例えば、そういう世界のことを言うんだろうが」

「……青い夢だな」

 語られたリゲルの理想を、冷酷な眼遣いで切り捨てる父。

「どんなや誰しもという言葉の本義は、何者にも負えないほど重いものだ」

「――!」

「お前の望む理想は必ずや破綻する。レイルならその忠告をしたはずだが――」

「――だからどうしたよ?」

 冷ややかに甘さを突くその台詞を、どこまでも冷めやらない、熱のこもった台詞が正面から迎撃していく。

「叶うからその道を望んでるわけじゃねえ」

「……ッ!」

「俺がそうだから、その望みを心に刻み付けてんだ。どれだけヤバい敵が相手だろうと、膝を折ることはしねえ」

 黒革のグローブを纏った拳が、これまで以上の力をもって固められる。

「どんな障害があろうと、立ち向かうべきときには、必ず俺が前に立ってやる。テメエの了見で勝手に決めんなよ」

「――」

「どれだけ険しい困難と苦労があろうと、俺はこの道を行くぜ。……もう二度と、誰の夢も光も諦めさせはしねえ」

「……っやめろ」

 勇壮を貫かんとするその気配。両拳を上げたファイティングポーズから昇る覇気に、本能的に言葉が口を突いてしまう。――ッ本気だ。

「やめてくれ、リゲル……っ!」

「……悪いな、黄泉示」

 リゲルは本気で、目の前の父に立ち向かうつもりでいる、髭を生やしたサングラスの面が、自分の意志を示すようにニヤリと口の端を上げてくる。

「できるかどうかは怪しいとこだけどよ。テメェの息子をほっぽって、こんだけトンチキなことを抜かしてる野郎は、一発ぶん殴らねえと気が済まねえぜ」

「……!」

「黙って従うなんてのは論外だ。ぶっ飛んでる野郎の要求通りにしたところで、無事で済む保証なんてのはどこにもねえ」

 踏み出た背中が、峻烈な闘気を上らせ始める。……ッ違う。

 あの人は。――ッ蔭水(かげみず)(めい)()は、俺たちが抗えるレベルの技能者ではないのだ。……先に見せられた芸当以上の力の差。

「何が起ころうと気にすんなよ。コイツは全て、俺が自分で選んだ結果だからな」

「……ゴリラもたまには真実をつく」

 幼少の頃の記憶で、それを知っているからこそ、俺は。――ッジェイン。

「掲げる理念がいかに歪んでいようと、今の貴方の目的が蔭水にあるのは確かなようだ」

「――っ」

「先に自分自身で口にしていた通り、貴方は始めから僕らのことなど問題視していない。狙いはあくまで、蔭水を自分の側へと引き入れること」

 祈るような気持ちでいる俺の視線の先で、覚悟を決めた様子のジェインが眼鏡を上げる。レンズの奥に連綿と湛えられている、理性の光を持ったブラウンの瞳を輝かせて。

「僕らの同意を餌にして、自分の息子を貴方への恭順に追い込むことにある。――誤魔化しや引き延ばしは意味を成さない」

「……‼」

「逃走も抵抗も見込めないなら、せめてその目論見だけは(くじ)かせてもらう」

「……そうか」

 ……ッやめろ。

 やめてくれ。二人の視線を受けた父が、一瞬だけ目を瞑り。

「――ここで死ぬのが望みか」

「――ッッ‼‼」

 再度双眸を見開いた。――ッ殺気‼

 いや、単なるその呼び名で語れるようなものではない。研ぎ澄まされた抜き身の刃をくまなく全身に突き付けられているような、指一本さえ動かせない殺意が俺たちを襲っている。……ッここまで。

 ここまで桁違いなものなのか⁉ これまで体感したどの殺気よりも、明確な死のイメージを突き付けてくる。

 手心のない父の威圧を前に、直接殺意を当てられていない俺でさえ、身動きを取ることができていない。僅かでも身体を動かしたなら……ッ‼

「……‼」

「……くっ……‼」

 その部位が切り飛ばされるという確信が、これ以上ないほど克明に本能に警鐘を鳴らしていて。エアリーさんの修練と向き合ったリゲル、レイルさんの洗脳に耐えきったジェインも、自分から手を打ち出すことを封じられている。

「……首があるうちに、訂正の言葉を紡ぐことだな」

 辛うじて構えだけを保ったまま、切られるのを待つ身でいる二人の眼前で、父がゆっくりと刀の握りに手を運んだ。マズイ……ッ‼

「――ッ【上守(かみもり)流――‼」

「――」

「――中位、対物障壁】ッッ‼‼」

 このままでは。窮地を理解しながらも、その光景を見ることしかできないでいる俺の隣から、思いがけない一つの叫び声が上げられた。――ッフィアッ⁉

 全身に突き付けられた殺意の刃の中で、己の身を(かえり)みずに魔力を(おこ)したフィアが、先輩から学んだ術式を紡ぎ上げている。ジェインとリゲルの前面に展開する、堅固な障壁――‼

「――ッ【時の加速・二倍速】‼」

「――【重力四倍】ッ‼‼」

 輝く守りの補助に気力を得たように、二人もまた即座にフィアの決死に応えている。全霊の集中をもって魔術を放ち‼

「――……ッ⁉」

 次の一手に移ろうとしていたそれぞれの肉体が、突如としてその動きを停止した。……っ二人の背後に立っている父。

 鞘より抜かれ、残心の構えを取っていた鏡の如き刀身が、静止画に似た不動からゆっくりとその刃を(ひるがえ)す。冷たく澄んだ納刀の響きに応じるようにして――ッ。

「――ッ‼」

 止まっていた時間が動き出すように。二つに切り開かれた障壁の間から、真新しい熱を持つ鮮やかな血飛沫が(ほとばし)った。――リゲルッッ‼‼

「――ジェインさんッッ‼」

「ッ……‼」

「……ックソ、がッ……‼」

 ッジェイン。間をおいて切られたはずの二人が、僅かな苦悶の声だけを残してほとんど同時に地面へと倒れ込む。伏して意識を手放した身体の下から、石床を染めていく赤い液体……ッ‼

「――ッ【中級治癒】‼」

「……!」

「〝彼の者らを癒す、我が手の光〟――!」

「……悪くない動きだ」

 じわじわと溢れていく血液の量に、フィアが必死で詠唱を紡ぎ出す。柔らかい光に包まれる二人の身体を、強張った眼で凝視している俺の耳に、切り伏せた相手に流し目を送る、父の言葉が届いてきた。

「まともに斬撃を受けながらも、私の動きに拳を合わせようとしてくるとは」

「……⁉」

「即座に取るべき陣形を取ろうとしていたもう一人の判断も、中々のものだ。――殺してはいない」

 意識のない二人へ淡々とした賞賛を送った父が――冷めたその瞳の焦点を、俺たちの方へと差し戻してくる。

「急所は共に外してある。余計な言動のできないよう、(かせ)代わりの重傷を与えただけ」

「……ッ……!」

「その娘の治癒でも処置は間に合う。大事を懸念する必要はない」

 ――懸念する必要はない(・・・・・・・・・)

「――」

 紛れもない、父から出されたはずのその言葉に、俺の中で、何かの情念が固まっていく思いがする。……これまで目にした言動。

 世界と人を滅ぼし尽くすと(うた)い、協会を始めとした組織を襲撃し、これだけの惨劇を(もたら)している張本人だと理解しながらも。……俺の心の中には、どこかでそれを信じられない自分がいた。

 見ようとしていなかったと言ってもいいかもしれない。かつての父、俺の知っている蔭水冥希は、間違ってもそんなことをする人間ではなかったからだ。誰よりも誠実で、磨き上げられた確かな強さと共に、優しさと思い遣りを持っていた。

 見知らぬ人たちのために手を尽くし、母と共に苛烈な戦場の中にも飛び込んでいっていた。助けを必要とする誰かがいたならば、迷いなく手を伸ばしていたその人が――。

「……なんで」

「……」

「……なんでだ?」

 今、目の前で、これだけの惨劇を引き起こしていることに。受け入れられない思い。

「……なんで、こんなことをしてるんだよ?」

「……今しがたの対応が、私の望みというわけではない」

 それと同時に、否応なく突き付けられてくる現実の光景に対し、立ち向かわなければという情動がある。表情を変えないまま、父が(さと)すように俺に向けて語ってくる。

「事前にこちらの力量を示し、意図を話した上で、忠告もした」

「――」

「重ねての警告を無視したのはその二人自身。傷つかずに済む提案を断った以上、仕方のない帰結だと思うが――」

「――ッそんなことを言ってるんじゃないッッ‼‼」

 抑えきれない情念が口を突く。現実に流れている血。

「……っ貴方は……‼」

「……」

「……ッ貴方は。……蔭水冥希は、こんなことをする人じゃ、なかったはずだろ?」

 二人の負わされた傷、痛みと苦しみ。今の俺の目の前にいる父は、自分が引き起こしたそれらを完全に無視して語っている。己の振るう剣にどれだけの――。

「なのに、なんで……っ」

「……どうして、か」

 どれだけの責任と痛みが(ともな)うのかを、教えてくれたはずの人であったのに。嘆息にも似た微かな溜め息が、目の前の相手から零される。

「――お前が私の、何を知っていると言う?」

「――っ」

「人の考えや信条は変わるものだ。ただでさえ子どもの頃のお前が見ていたのは、私という人間の一部分でしかない」

 揺るぎない理性の込められた――錯乱や興奮などしていない、どこまでも怜悧(れいり)な視線が俺を貫いてくる。疑いようもなく、

「幼少の時分のお前に、私が全てを見せていたわけでもない」

「……!」

「私が歩んできた道のことも、紫音(しおん)が命を落とすことになったあの戦いのことも、お前は何一つ知らないまま、子どものように理想を口にしているだけだ」

「――ッ」

 否定しようもなく、目の前の現実を本物だと突き付けてくるように。――母の名前。

「――私と共に来い、黄泉示」

「……!」

「今は分からずとも、いずれ分かるときが来る。お前が共に来れば、その二人の命も助けてやる」

 思い浮かんだ過去の情景に動揺した俺に向けて、父が刀を納めた手を今一度伸ばす。記憶の中にあるのと変わらない、その中心に確かな理性の光を宿した黒い瞳が、俺の隣へと向けられる。

「傷跡も残さずに治療をし、危害を加えることなく連れていく。お前と共にいる、その少女も」

「……ッ‼」

「私の殺気の中で声を上げられただけでも大したものだが。通常の障壁を使ったことを見るに、目覚めたはずの固有魔術にはまだ制限があると見える」

 怯んだフィアの仕草に目を留めた父が、ゆっくりとこちらに向けて歩き出してくる。一歩一歩。

「必要となる情念の発露、魔力の用意」

「……!」

「要因となるのが何であるにせよ……お前が固有魔術を発揮させるより、私の刀が首を落とす方が確実に速い」

 時間の制約があることを刻むようにして、間合いの一歩外、最後の猶予を与えるように、その瀬戸際で立ち止まった。

「今こうして二人の治療を見逃しているのも、私がお前たちをいつでも殺せるからに他ならない」

「――」

「お前たちの命運は、私の手のうち一つに握られている。――よく考えて選ぶことだ」

 今一度選択を(うなが)すように言葉を止めてくる。……どうする?

 今ここで父の提案に頷けば、少なくともリゲルやジェインの命は助かるかもしれない。フィアも。

 これ以上の危害を加えられずに済む。現状をやり過ごせることは確かだが……っ。

「……っ」

 ……今ここで父に着いて行ってしまえば、俺たちは恐らく、二度と元の場所には戻れないだろう。

 これだけの力量を持つ父が同志と呼び、三大組織全体に襲撃を仕掛けるほどの攻勢を取るからには、仲間たちも父に劣らないほどの力量を持っているに違いない。父とその仲間たちのいる拠点に連れられてしまえば……。

 技能者として遥かに劣る俺たちが抵抗のできる余地など、どう考えても残されてはいないはずで。……どちらを選んでも道は(とざ)されている。

 リゲルとジェインも気付いていたはずの現実が、俺に答える一言を出させないでいる。……どうすればいい?

 この絶望的な状況を(くつがえ)し。二人と共にフィアをも助けるためには、一体――ッッ‼‼

「――ッ‼」

 どうすればいいというのか⁉ 刻一刻と命が削られていくような焦燥の中において。

「……黄泉示さん」

「……ッ?」

 二人に治癒をかけているフィアが、俺の方へ向き直ってくる。倒れた二人へと魔力を送り続けることをやめずに、

「――大丈夫です」

「……!」

「黄泉示さんがどんな選択肢を選んでも。……私は」

 手のひらに血がにじむほど強く握りしめていた俺の手に、その華奢な手のひらを重ねてくる。澄み渡る翡翠(ひすい)の瞳で、一心に俺を見て。

「私は貴方を恨むことも、後悔することもありません」

「――っ」

「黄泉示さんたちのいる場所が、私のいたい場所ですから。……だから」

 頷く瞳と、手のひらから伝わってくる、確かな熱。告げられた言葉に……。

 心を委縮させていた震えが止まっていく。フィアの言葉と思いが、俺の心に、その温もりで確かな焔を灯してくれている。……状況は何も変わらない。

 どちらを選んでも最悪を招くかもしれず、己を含めた全てを失ってしまうかもしれない。――それでも。

「……ありがとう」

「――っ」

「時間の限られた状況でも動けなくて。……情けないところを見せた」

「……いえ」

 フィアの微笑みに笑みで応えて、(たたず)んでいる父へと視線を向け直す。……そうだ。

 どちらを選んでも可能性はないに等しい。父の提案に従えば、命を長らえることはできる。

 父の言葉に偽りがないのなら、例えこの先世界が最悪の結末を迎えることになっても、俺たちだけは生き延びられるのかもしれない。全てを諦めて従うことも、一つの選択肢ではあるはずであって。

 ――だが。

「……っ!」

「――」

「……いいのか?」

 それで、この状況に抗える手立てがなくなってしまうのなら。終月(しゅうげつ)を正眼に構えた俺の姿勢に、父が静かに問いかけてくる。

「お前が頷けば、仲間たちの命は助かることになる」

「……」

「お前が首を横に振るなら、今ここで全員が死ぬ。お前の気持ち一つで――」

「……俺は」

 なおも恭順を促す言葉を、フィアたちの決断を受けた、己の意志で押し留める。

「俺は。貴方がどうしてこんなことをしているのか、理解ができない」

「……」

「何を思って、何を考えているのかも知らない。――貴方の言う通りだ」

 これまでは相手の方から見られるだけだった父の眼を、今度は自分から見返していく。――そうだ。

「貴方のいう目的自体がどうなのかは、俺には分からない」

「……」

「本当は貴方の言うことが正しくて、どうしようもなく真っ当な理由があるのかもしれない。それでも――!」

 今この状況で確かなのは、今の俺の心の中にあるこの思いだ。嘘偽りのない、自分自身の心情を――‼

「貴方の――貴方たちのこのやり方は、間違っていると俺は思う」

「……」

「だから――」

 はっきりと父に向けて口に出す。……微かな郷愁が胸に残る。

「……今の貴方には、俺は、着いて行けない」

「……そうか」

 記憶の中の両親を思い浮かべた俺の前で、答えを聞いた父が沈黙する。……道はほとんど崩れ落ちている。

 僅かでも足場を踏み外したなら、下は断崖。歩き切ることなど望むべくもないが、ほんの一筋の裂け目にも等しい、僅かな可能性の光がある。……リゲルとジェインもきっと。

「それが答えか」

「……」

「予想以上に冷淡だな。己の決断で仲間たちを見殺しにする」

 その光を見据えていたはずだ。軽く息を吐いた父が、俺の隣にいるフィアと、背後に倒れた二人を意図的に見遣る。

「意を曲げまいとして全てを失う。その愚かな決断はしないと思ったが……」

「……ッ!」

「――貴方の相手は、俺だ」

 握りに掛けられる手。抜身の刃のような視線に射竦められるフィアを隠すように、己の身体を盾として前へ踏み出す。――ッそうだ。

 この細い蜘蛛糸のような可能性を手繰り寄せるためにはまず、父の意識をできる限り俺に引き付けなければならない。……ッ俺が今ここでやらなければならないこと。

「貴方の目的が俺を連れていくことなら、フィアたちは元々この話に関係がない」

「――」

「話すべき相手は俺のはずだ。……この刀で、確かめるべき相手も」

 如何(いか)に昔とかけ離れた理想を語り、己の振るう得物を血で染めていようとも、目の前にいるのが俺の父、蔭水冥希であるならば。

 そこに相手を動かせる何かがあるはずだ。――終月の刀身。

 かつて目の前の相手自身から贈られた、不殺の理想を象徴する刃の無い黒色の刀身を、己の腰に引き付けるように構えてみせる。……【無影(なきかげ)】の構え。

 子ども心に父から教えを請い、立慧(リーフイ)さんや(あずま)小父さんとの鍛錬で磨きをかけてきた、この技の。数秒の静寂ののち……。

「……なるほどな」

 俺から送る意図を正確に受け止めたらしい父が、一瞬だけ目に笑みとも哀れみともつかない光を覗かせる。微かに息を吐き、

「お前から私に望む、十年ぶりの試験というわけか」

「……っ⁉」

「殊勝なことを思いつく。――いいだろう」

 理解の追い付いていないようなフィアの反応を他所(よそ)に、標的を明確に俺へと変えた父が、視線を注ぎ続ける俺と正面から目を合わせてくる。

「私がお前の元を去っていた月日は確かに、軽く一言で流してしまえるものではない」

「……!」

「当時のお前がまだ子どもだったことを考えるなら、猶更のこと。お前がこの十年で何を学び、何を己のこととして選び取ったのか」

 リゲルやジェインを切ったときと同じように、剣気を立ち昇らせ始める父。……蔭水冥希が、双眸に鋭い光を宿した。

「この再開の場で――それを見極めてみるとしよう」


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