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彼方を見る者たちへ  作者: 二立三析
第六章 運命の日
135/153

第十三話 侵食する恐怖





「――ッ!」

 ――狂乱。

 赤色の肌をした異形の溢れかえる本山の内部を、俺たちは鋼の矢じりで武装した石弓の如くに突き進んでいる。先頭を行く立慧(リーフイ)さん。

「フンッ!」

 踏み込みから拳の繰り出されるコンマ一秒で生み出される衝撃に、進行を阻む鬼たちが雪崩のように隊列を打ち崩され、吹き飛ばされていく。体格と体重差をものともしない――っ!

「――凄いっすね⁉」

 一気呵成に道をこじ開けていく姿に、ただただ驚嘆の視線を送るしかない。駆け走りながらサングラスの奥の瞳を丸くするリゲルが呼びかける。

「俺のブローでもあんだけタフだった連中を。まるで軽々じゃないっすか⁉」

「――いーや、頑丈よ?」

 話している最中にも立慧さんの動きは止まらない。流れるような手足のさばきで二体へ同時に拳と蹴りを叩き込み、左右の壁面に激突させ昏倒させながらリゲルへの回答を口にする。

「肉体の強度も構造も人間と同じじゃない。だから、気の流れから弱点を看破して、確実に一撃で破壊するの」

「――⁉」

「どれだけの強度を備えてたって、結局仕留められるだけの力を受ければ崩壊するわ。相手が化け物だからって、気持ちで退かないことね」

 唸るような気の動きと共に繰り出された踏み込みの振動が、己の重量をぶつけようと目論むひときわ巨大な鬼の突進の威力を減衰させ、砲弾のような連撃を打ち込むよろめきの隙を作りだす。動きを止めて進路に(うずくま)る巨体を、大きく息を吸った蹴りで強引に撥ね飛ばし。

「腰が引けて体重の乗らない打撃になってると、倒せる拳でも倒せないものになる」

「……!」

「自分たちの積み重ねを信じて振り抜くこと。要は気合いと、根性よ」

「――‼」

 墜落する同類に潰されてドミノのように倒れていく仲間たちを目に、鬼の一団が叫びをあげる。近接戦では敵わないと見たのか、大きく距離を離した何体かが、立慧さんの攻撃の終わり際を狙って引き絞った金棒を投げ放ち――ッ‼

「――【上守(かみもり)流・上位対物障壁】」

 人間の頭などガラス細工のように打ち砕くはずの豪速の金属の塊が、瞬間的に張り巡らされた盾に完璧に防御される。梵字の刻まれた半透明の円を描く魔力の障壁に、傷一つ入れられずに弾かれた凶悪な得物たちが、己の威力を溢れさせたまま凄まじい勢いで床へと打ち込まれていく。

「――【陣地照破(しょうは)】」

 集団の動揺も気に懸けずに、小柄な先輩から間髪入れずになされた詠唱と同時に――奇襲をかけようと側方から飛び出してきた別の一群が、地面に描かれた法陣に足を止められるようにして倒れ伏す。……っ動けない。

「っあ、あれは……?」

「私の生家である上守家は、元々ああいった異形に対抗する退魔の家系だったからな」

 リゲルの重力魔術さえ耐え抜くほどの膂力を持っている鬼たちが、法陣の内部に完全にその動きを封じ込められている。俺たちの傍を走りながら、痙攣する鬼の様相を目にしつつ、紫煙を吸い込んでいる先輩が説明する。

「対異形用の術式も当然ある。奴らが纏う陰の気を弱体化させ、動きを封じる陣術」

「……‼」

「私たちの足元にも同系統のものを張ってある。陣の範囲内なら、蔭水(かげみず)たちでも打撃を与えられるはずだ」

「フンッ‼ ――おおっ!」

 飛び込んできた中型の一体を迎撃したリゲルが、ただの一撃で昏倒した鬼を見て歓声を上げる。……ッ凄い。

 協会の支部長という立場を担っているだけあって、先輩たちの実力は圧倒的だ。並みいる鬼たちを寄せ付けもしない。

 合流の初めに先輩は手に負えなくなる可能性があると言っていたが、今のところ先輩たちの対処から零れてくる鬼たちもほとんどいない。このままいけば俺たちが負傷することはないだろうが――。

「……ッ」

 先輩たちの対応の完璧さから生まれた余裕が、周囲の状況に目を凝らさせる。破壊によって変わり果てた本山の内部。

 憩いの場だったはずの中庭の植物たちは燃え折られ、肩口から千切れ落ちている誰かの左腕が、無意味に服の切れ端を握り締めている。砕けたベンチの残骸の下に、鬼の死体と綯い交ぜになって流れている血だまりと、原形も分からない幾つもの肉体の欠片が四散する。鼓膜に伝わる空気の遠くに、次々に上がる誰かの怒号と叫びが伝わってきて……。

 ……ッこんな。

 こんな現実が。俺たちのいるこの場所で、本当に――ッ‼

「――見えたわ‼」

 立慧さんの声に目を上げる。複雑な文様の描かれた扉。

「前にいる群れを蹴散らして、一気に駆け抜けるわよ‼」

「はいッ‼」

「私と立慧が道を作る」

 目的地を目にした心が、正体の分からない興奮で震え立つ。低く呟いた先輩が、口にしていた煙草の燃えさしを吐き捨てる。

「その中を全力で走れ。【陣地()(だい)】、【四諦(したい)結界】――ッ‼」

「【(ぎょう)()・五行連環拳】。吹き飛びなさいッ‼」

 押し寄せる鬼の波を割くように張り巡らされる陣と防壁。分断され、進路に取り残された鬼の群れを、立慧さんの繰り出す連撃が竜巻の如く壁や天井に吹き飛ばしていく。――行けるッ‼

「っ【時の加速・二倍速】‼」

「【重力三倍】ッ‼」

 俺たち四人全員の行動時間を倍化させ、背後から追従しようとする一群にリゲルが駄目押しの重力魔術を放つ。押し潰される鬼たちの(うめ)きを尻目に、先輩が開いた扉に飛び込み――‼

「――ッ……‼」

「――よしっ!」

 ジェインとフィアが室内に入った瞬間、殿(しんがり)を務めていた立慧さんが、見舞った最後の拳を引いて、一足飛びに扉を潜り抜けてきた。……重々しい音を立てて扉が閉まる。

「ふー……」

「な、なんとかなりましたね……」

「っまったく――」

 先輩たちの言っていた通り、強力な防御の術法が施されているのか、外にはあれだけいたはずの鬼たちの喧騒が、避難区画の内側では少しも聞こえてこない。一応の安全を確認したあとで、額に浮かぶ汗を拭いながら立慧さんが悪態を零す。

「どんだけいるってのよ。斃しても斃しても、切りがないわ」

「……ここに来る途中でも、軽く百体以上は倒してきたはずだがな」

 流石に消耗がなくはないのか、深く息を吐いた先輩が真剣な面持ちを覗かせる。

(あおい)秋光(あきみつ)様も対処をしているはずだが、まったく総数の減る様子がない。あとからあとから湧いてくる」

「……!」

「奴らを()び出した術者がいるにしても、これだけの数を同時に操っているわけじゃないだろう。何かしらの仕組みを作った上で、野放しにさせている」

「破壊と混乱だけが目的ってわけね。むかつく悪趣味な奴……‼」

 歪めた目線に立慧さんが憤りを見せる。……そうだ。

 俺たちの暮らしていた本山の中で、あれだけの混沌と惨劇が広がっている。……訪れた落ち着きの時間のうちで、脈打つ自らの心音がやけに大きく聞こえてくる。

「――大丈夫?」

「――っ」

「事態が事態なだけに、動揺するのは分かるから。深呼吸して落ち着きなさい」

 一つ間違えば命を落とす危険の中を駆け抜けてきたことに、今更のように恐怖と震えが湧き上がってきて。立慧さんのかける声が、俺の精神を支えてくれる。

「は、はい……っ」

「……確かにこの状況は異常だ」

「……!」

「何もかもが予想外で、私らも到底全容を把握できてはいないが。――心配することはない」

 昇ってくる震えを同じように抑えていたらしいフィアの前で、先輩が静かに俺たちに向けて話してくる。以前に雷を操る男や、賢王(けんおう)から助けてくれた時と同じ、頼もしい強さの宿る瞳で。

「魔導協会の本山は、こんな襲撃でどうにかなるほどやわじゃない」

「――」

「手を尽くして必ず事態を終息させる。この場にいる以上、カタストたちの身は間違いなく安全だ」

「……よしっ」

 あえてそう言い切ってくれているのだろう先輩の言葉に、心と意識を(さいな)んでいた緊張が波のように引いていく。……そうだ。

「大丈夫そうね。それじゃ、私たちは行くから」

「――えっ?」

「私たちは、協会の支部長だからな」

 先輩たちの手を(わずら)わせないためにも、今はひとまず落ち着かなくては。大きく破顔して頷いた立慧さん。フィアの訊き返しを耳にして、先輩が穏やかに微笑する。

「率先して問題の前に立ち、事態を解決する責務がある。見たところじゃ本山員たちも、完全に対応のできてるわけじゃない」

「なるべく多くを助けなくちゃいけないしね。――あんたたちはここで、大人しくしてること」

 言い聞かせるような口調で言った、短く爪の切り揃えられた立慧さんの指先がびしりと俺たちを指す。

「この辺りをうろついてるのは小物が多かったけど、中にはもうちょい厄介な力を持ってるのも紛れてるわ。そういう連中が束になって出てきたら、流石に周りを庇ってる余裕はなくなっちゃうし」

「――っ」

「元凶の術師も、どこに潜んでいるか分からない状況だからな。念のため、この部屋の入り口と周囲に補強の結界を張っておく」

 閉じた扉を目に、先輩が再び頷いてみせる。

「道中見た鬼たちではどうあっても破れないし、万が一破られたり、お前たちが抜け出たりするようなことがあれば、私が感知して駆けつける。――間違っても外に出ようとは思うなよ」

「……!」

「相手は鬼。人間とは構造も感覚も異なる、本物の異形だ。力をつけたとはいえ、今のお前たちじゃ対応のノウハウが足りなさすぎる」

「……っ」

「ほんの少しの思い違いでも、致命的な傷を負うことに繋がりかねない。自分たちの命を守ることに専念しろ」

「そういうこと。――それじゃ」

 一つ手を挙げて扉の方を向いた立慧さんが、小気味いい音を立てて拳と掌を打ち合わせる。

「久々にガッツリ共闘ってわけね。病み上がりだからって遠慮はしないわよ? 千景(ちかげ)

「訓練の成果を試すときが来たな。治療室でのんびり寝てた分、英気は充分にあるさ」

 親友らしく屈託のない笑みを交わす二人。一度だけ視線を合わせて頷いたかと思うと――。

「――ッじゃあね‼」

「――終わるまで休んでろよ!」

 号砲のように蹴り開けた扉から、先陣を切る立慧さんと、その後ろに続く先輩が飛び出していく。扉の前にたむろしていたらしい鬼たちへ襲い掛かる激しい攻撃の音と共に、再び扉が閉まり――。

「……」

「……いやぁ~っ」

 静寂。静けさが場を(ひた)していく安全圏の中で、リゲルが大きく息を吐き出した。……凄まじいバイタリティだ。

「あんだけの数を蹴散らしてたってのに、凄えな二人とも」

「――」

「先輩たちが来てくれて助かったぜ。俺たちだけじゃ正直、あのまま囲まれてたらかなりヤバいところだっただろうしな」

「そうですね……」

 凶王(きょうおう)派の技能者や九鬼(くき)永仙(えいせん)との戦闘を経て、俺たちもそれなりのレベルにはなったつもりだったが、実戦経験の厚みも、使う技法の練度も、まるで水準が違い過ぎる。……俺たちでは、この区画まで辿り着けるかも怪しいところだった。

「本当に良かったですけど。……その……」

「……本山の状況自体はかなり深刻だ」

 例え全員でないとしても、僅かなミスで誰かが命を落としていたか、重大な負傷をしていた可能性は大きい。言葉を濁したフィアの素振りをあえて受けて、ジェインが小さく眼鏡の位置を上げる。

「協会の本山相手にこれだけの仕掛けを打てるということは、潜んでいる技能者も相応の力を持つ人間であるのは確かだろう」

「……!」

「最悪凶王並みの技能者が来ているかもしれないとなれば、僕らにできることは多くない。先輩たちに言われた通り、自分の身の安全を確保しておくべきだろうな」

「……そう、だよな……」

 冷静さを失わない分析に、頷く。ジェインの言うことは、何も間違ってはいない。

 本山全体が混乱に巻き込まれているこの異変は、どう考えても俺たち如きの手には負えないものだ。鬼の群れを相手にしたところで大した手助けにはならず、最終的に押し潰されるだけであることは、実際に戦った全員が分かっている。

 本山の仕組みや構造について知識も浅い以上、下手に俺たちが出ていけば、救助に回る先輩たちの手を煩わせることになるかもしれない。俺たちがここで自分の身を守っていることこそが、賢明で真っ当な判断であるはずで……。

 ……ッだが。

「……」

「しっかし、なんにもねえなぁ、この場所」

 それで納得してしまっていて、本当にいいのか? 誰のものとも分からない腕の片方が、俺の脳裏にまざまざと蘇ってくる。

 床に広がっている血だまり。ぶちまけられた臓物と、肉片と混じり合う悲鳴の叫びが、波のように鮮烈なイメージとなって俺の意識に押し寄せてくる。……頭が痛い。

「いざというときの避難場所だってなら、くつろげるよう、椅子とかテーブルくらいあっても良さそうだけどよ」

「……本山の防備は、実質的に【大結界】が全て(まかな)っているようだからな」

 目に焼き付いた惨劇の情景が思い描かれるたび、心臓を締め付ける鈍痛が身体のうちに溜まってくるようだ。――十年前のあの事件(・・・・)

 かつて経験した悲劇との類似が、ここ最近では見ることの少なくなっていた悪夢を、再び呼び覚ましてくる。震えそうになる手足の動きを抑え込みつつ、ジェインたちの会話に耳を傾ける。

「元大賢者であり、結界に仕掛けを施せる立場にいた永仙のような技能者でない限り、本山に侵入者が出ることはない」

「……」

「セーフティーエリアとして設けられてはいるが、実際に使われることはほとんどなかったんだろう。必要物資はどこかにあるのかもしれないが――」

「協会員用の魔術とかで隠されてんなら、俺らには分かりようがねえな」

「でも……」

 がらんどうの空間をリゲルが軽く見渡す。思いつめた表情を浮かべていた、フィアが再び自身の指先を握る。

「……今回の事態はその、協会側のその常識を(くつがえ)して起こったってことですよね?」

「……そうなるな」

「大丈夫なんでしょうか? 先輩たちは……」

「……分からない」

 誰の胸にも湧いているだろう不安。抱えきれずに思いを口にしたようなフィアに、ジェインが静かに首を振った。

「先輩たちはあの鬼たちを倒せていたとはいえ、楽観視のできる事態でないことは確かだ」

「……!」

「混乱を引き起こしている相手がどれだけの力を持ち、何を目的にしているかも分からない。ただ――」

 不安の現実味を肯定したのち、どこまでも冷静に眼鏡を押し上げる。

「今この本山には(しき)さんや、復帰した(さくら)御門(みかど)さんもいる」

「……‼」

「四賢者の筆頭に、先輩たち以上の力量を持つ特別補佐官がいるならば、事態がどうにかなる可能性も高いと、僕は思っている」

「マジの龍とかをダチにしてるあの爺さんなら、正直負ける気はしねえよな」

 リゲルの声が耳に響く。……そうだ。

「……本山で修行に励んでたんだとすれば、三千(みち)(かぜ)さんもいるはずだ」

 永仙との戦闘において見せられた秋光(あきみつ)さんの実力は、俺たちの想像をはるかに超えているものだった。格上である賢王を相手に、起死回生の手を打っていた(あおい)さん。

「少なくとも(かく)と同等の実力がある三千風さんなら。……あの鬼たちはきっと、問題じゃない」

「……っそうですよね」

 秋光さんの弟子であり、郭と同じ賢者見習いの立場を持つ三千風さんもいるならば、結界が破れたとはいえ、本山の戦力はかなり厚い。秋光さんや三千風さんの性格からして、現状の異変を受ければすぐにでも対応策を取っているはずだ。

 常に冷静さを崩さない葵さんを含めて、誰が相手であろうとも、簡単に後れを取ることはないはずで。……大丈夫。

 大丈夫だ。……あの日のようにはならない。

 これ以上、全ての光を失った、あの虚ろな瞳が生まれるようなことには。記憶の中に残る血まみれの畳と、男の腹から突き出た抜身の刃の冷たさが、思考を妨害する。

 頼りになる根拠を掻き集めて、自分で何度言い聞かせてみても、頭の奥で蠢く鈍痛は簡単に鎮まってはくれない。……ッ大丈夫だ。

「……!」

 きっと、先輩たちの努力と力で、全てがいい方向に進むはずだ。足の裏を這うような怖気。震え出した二の腕を、フィアたちから隠すように、俺が身体の向きを変えた――。

 ――そのとき。

「……⁉」

「――黄泉(よみ)()さん?」

「ッおい、あれ――」

 明らかに硬直した俺の視線に気が付いてか、全員が、俺の視線の先にある光景を目にする。――避難区画の壁際。

「……」

 入口と真反対になる最奥の壁際に、これまでには気づかなかった、一つの人影が立っている。……目深に被られた白いフード。

 身体のシルエットを隠す、緩やかなローブの仕立てと相まって、中身の出で立ちは一切(うかが)い知ることができない。一体――ッ?

「……誰だ――?」

「……っ」

「……私たちと同じように、この部屋に逃げてきてた人……でしょうか……?」

「……っいや」

 いつからそこにいた(・・・・・・・・・)? 気づいた俺たちが反応を見せてなお、何の気配も発さないまま、景色の一部であるかのように壁に背を(もた)れたまま(たたず)んでいる。……違う。

「……多分、そうじゃない」

「……!」

「もし単に避難しているだけの人間だったなら。……僕らと共に先輩たちがこの部屋を訪れた時点で、何かしらの反応を示していたはずだ」

 確信に近い予感を持っての俺の呟きに、同じ意見を示すジェインの分析が続く。……そうだ。

「仮に声をかけてこなかった理由があるとしても、僕らはともかくとして、先輩たちが気配に気付かなかったのはおかしい」

「――ッ」

「負傷している様子も、外の異変に対処しようとする素振りも見受けられない。先輩たちを前にして、気配を殺していたということは――ッ」

 出入り口が一つしかないこの部屋に、俺たちより後に入ってきたということはあり得ない。――ッ()

「――っ!」

 辿り着いた結論に、俺たちの間から緊張の空気が湧きおこる。共有した危機意識。

「……っおい」

「……ああ」

 一気に危険性を増した状況の変化に、声のトーンを落として、互いに判断を確かめ合う。……まったく想定外の事態。

〝――わけの分からねえ相手と出くわした場合、勢い任せに突っ込んでくことだけはしちゃならねえ〟

 完全に意表を突かれた形だが、どうすべきなのかは分かっている。修練のときに何度も口にされた、小父さんの言葉が心に蘇る。

〝相手が敵らしくても、自分たちだけでどうにかしようとせず、逃げられるなら逃げて、支部長さんらや秋光に応援を(つの)ること〟

〝多種多様な技法を扱う技能者の中には、初見ではまず防ぎようのない、極めて特殊な攻撃手段を持っている人間もいるからね〟

〝そうした相手の技能に立ち向かうには、どうしても知識か、実戦での経験が重要になりますから。どれだけ首尾よく修行が進んだとしても、自分たちの力を過信せず、必ず周りとの協力を考えることです〟

 あの過酷な修練の中で、何度もレイルさんやエアリーさんたちから言われたことだ。……突破の不可能な【世界構築】に閉じ込められた永仙のときと、今の状況とは違う。

「……外にいる鬼の群れが問題だな」

「あの結界を破るか抜けるかした場合、先輩には感知ができると言っていた」

 逃走にも明確なリスクがあるのは問題だが、少なくとも目の前の得体の知れない相手から距離を取ることは不可能ではない。現状における最大の懸念点について、俺たちの間で静かに言葉が交わされる。

「戦闘で派手に魔力を使えば、先輩たちには僕らの居場所が感知できるだろう。鬼どもの大軍を(さば)くのは厄介な話だが、生存に徹していれば、目自体は充分あるはずだ」

「得体のしれない野郎の相手をするよりマシだぜ。さっきの(ファン)さんのやり方を見て、何となくコツも掴めたからよ」

 視線の先の人物への警戒を保ったまま、リゲルがグローブの拳を握り締める。

「さっきのようにはいかねえぜ。何匹掛かって来ようが、全力でぶっ倒してやる」

「っそれが最善……ですよね」

「……ああ」

「――例の合図で動く」

 万が一にも聞き取られないよう、一際潜めた声量でジェインが呟く。このような事態を考えて、俺たちは事前に取り決めを作っていた。

「対処のパターンも予定通りだ。順番を間違えるなよ」

「はい……!」

「任せとけって。――そこの誰かさんよ!」

 ジェインのある合図からタイミングを合わせて、逃走に必要な各々の技能を一斉に発動させる。壁にもたれかかる人物と俺たちとの距離は、おおよそ二十メートル前後。

「外の鬼どもから逃げて来たんだろ? 俺らも相当苦労したぜ」

「……」

「んな状況で緊張してんのは分かるが、逃げて来た者同士、協力して助け合おうぜ。俺の名前は――っ」

 先制されることはまずありえず、【時の加速】と【重力増加】が決まったなら、逃げきるのに充分すぎるほどの間合いだ。大仰に手を広げるリゲルがわざと注目を集める中で、対面の人物からは見えないよう、ジェインが|踵《》かかとをゆっくりと二度踏んだ。

「リゲル・(ギャンビット)――」

「【時の加速・二倍速】‼」

「――ッ【重力四倍】ッ‼」

「――ッッ‼‼」

 合図からきっかり二秒後に行動を起こす。二人の身から熾された魔力と同時に、俺とフィアが身を(ひるがえ)して扉へ駆け走る。初めに必要なのは退路の確保。

 フィアの障壁と俺の援護で鬼たちを寄せ付けないようにしたのち、全員で開いた血路を一斉に走り抜ける。立ちふさがる鬼たちを薙ぎ倒す覚悟で、俺とフィアが扉に突進した‼

「――ッッ‼⁉」

「――ッ⁉ きゃあっ⁉」

 その直後。思いがけない光景を目の当たりした、俺とフィアの動きが急停止する。――俺たちの向かっていた扉。

「――なに……ッ⁉」

「ッマジかよ……‼⁉」

 この部屋唯一の出口の前に、背後にいたはずの、あのローブの人物が立っているのだ。……僅かにはためいた布地の(すそ)

「え……? ……えっ?」

「……ッ‼」

「……な、なんでですか? さっきまで――っ」

「……ッ消えやがった」

 混乱しているフィアの後ろで、歯噛みするように呟くリゲルの声が響く。――消えた?

「これ以上ないほどガン付けしてたはずなのに、一瞬で目の前から消えてやがった」

「……‼⁉」

「動き出しの起こりも気配もねえ。……っ加減なしのあの神父と、同レベルのスピードだぜ」

 冷や汗をかいているらしいリゲルの台詞に、愕然とした戦慄を覚える。――エアリーさんと同じ速度?

「……!」

「……っ何が目的だ?」

 二十メートルを超えていたあの距離を、リゲルとジェインの詠唱を受けながら、瞬きするほどの時間で詰め切っているとなれば、確かに。――圧倒的格上(・・・・・)

「僕らに危害を加えることが望みなら、移動の瞬間に攻撃していればいいはずだ」

「……っ‼」

「部屋からの脱出を阻んできたことを見るに、僕らを此処に留めておくことが狙いなのか? そちらの要求の内容によっては、僕らもそれに応えられるかもしれない」

 こちらの予想を遥かに超える力を見せつけられたことで、俺たち全員が次の手を見つけられなくなっている。……っジェイン。

 明確な格上となる技能者を相手に、僅かでも足がかりとなる反応を引き出そうとしているのか。……っそうだ。

 この男の狙いが俺たちを殺傷することにあるのなら、今の瞬間にすべてが終わっていた。回避も防御の動きも取れていない。

「……」

 逃げ切れると思っていた俺たちは、相手にとっては格好の獲物だったはずで。……一縷(いちる)の望みに賭けるようなジェインの呼びかけが、重苦しい沈黙のうちに消えていく。

「……っ」

「……おい」

 五秒、十秒。出口の扉を塞いだまま、佇む相手は、一切の反応を返してこない。ただ静かに黙しての相対に、じわじわと精神が削られていくようであって――。

「だんまりじゃあ、分かんねえだろ」

「……っ!」

「このままここで睨めっこでもしてる気か? 俺らはこの通り、話す姿勢を見せてんだからよ」

 状況を動かそうとするリゲルが、降参と言うように両手を上げる。相手の警戒を解き、

「多少のおしゃべりくらいは構わねえだろ。せめてその、ローブくらいは脱いで――」

 交戦の意志はないというアピールで、果敢に一歩、沈黙する相手に踏み出してみせた。息を飲む一瞬。

 ――刹那。

「ッッ⁉ ――うおッッ‼⁉」

 振り下ろされていた白刃。視界に瞬く斬撃を紙一重の精緻さで受け逸らし、続く切り上げを半身で空ぶらせたスーツの肉体が、呼吸と共に反撃の拳を打ち放つ。瞬間にも満たない攻防。

「――くっ‼⁉」

「きゃあっ‼⁉」

「――ッッ‼⁉」

 会心と言っていいリゲルの応手をすり抜けた刃が、空間を超越するように俺の首元へと迫り来る。移動の風圧に怯む二人の叫びを捉えるのと同時、真横から首を薙ぐ意志を見せていた瞬速の剣閃を、咄嗟に動いていた終月(しゅうげつ)の刀身で辛うじて受け止める。――背筋の凍る鋭い衝撃。

「――【時の加速・二倍速】‼」

「ッッ――‼」

 散った火花から間髪入れずに掛けられたジェインの援護を受けて、左手の死角から迫っていたもう一つの刃を、本能的な防衛意識で(かわ)しきる。切られた髪の端が舞う圧縮された時間の中でなお、俺の右眼を追うように突きへと変化した鋼の切っ先が――ッ‼

「ッ【上守流・中位対物障壁】‼‼」

 体勢を立て直したフィアの構築した、半透明の障壁に受け切られて。動きの止まった相手の身体に向けて、俺が反撃の一刀を叩き込もうとした‼

「――ッ⁉」

「なにッ‼⁉」

「……中々によく鍛えられている」

 その瞬間。目の前にいたはずの人影が掻き消えたかと思うと。扉の前にまで戻っていたローブの姿が、煌めく二振りの長刀を、慣れた手つきで腰元の鞘へと仕舞い込んでいる。……っ見えなかった。

「真剣への流しと反撃までを行える拳闘の技量に、致命的な攻撃に反応する防御の感覚」

「――」

「行動速度を倍化させて戦線を支える支援魔術に、緻密に計算された魔力の編み込まれた堅牢な守りの術式。――随分と無茶な修練をさせたものだ」

 反撃を見舞ったはずのリゲルの拳をすり抜け、目の前から一瞬にして元の位置にまで立ち戻る所作の、どれ一つとして。――なにッ?

「凶王と永仙に対峙するとなれば、それもやむを得ないだろうが」

「……⁉」

 これ以上ない警戒の姿勢を保つ俺たちの前で――フードを被った()は、攻撃の余韻も感じさせない静謐な声音で喋り続けている。――知っている?

「ッテメェは――!」

「……僕らの力を試したのか?」

 ここ数か月で俺たちが小父さんたちから受けていた、鍛錬の内容を。……協会の関係者?

 だが仮にそうであった場合、魔術師でありながらこれだけの剣の技量を備えていることには違和感がある。……目の前の男の動きの冴え渡りは、立慧さんや永仙といった、俺たちの知る武闘派の魔術師より遥かに研ぎ澄まされているレベルのものだった。

「事前に情報を得ておきながら。齟齬(そご)がないかどうかを、自分の手で――」

 一切が不明瞭だった先ほどより確かに情報が増えているはずでありながら、核心的な手掛かりには結び付かない。不穏な困惑が支配しているはずの空気の中で、しかし……。

「……」

 俺は。四人の中でおそらく俺だけが、己のうちに湧いてきている、一つの感覚を享受してもいた。……()

 (あら)わにされた男の声音を反芻(はんすう)した意識の中で、記憶の奥底と合致した、何かしらの変化が起きている。……そうだ。

 先に襲い来た剣技の洗礼を受けたときにも、どこかにその感触があった。切りつけから一切の予兆を見せずに突きへと変化する、無窮(むきゅう)の鍛錬だけが可能にする剣の技量。

 攻撃を受けている側が目を見張るほど迷いのない、最善の軌道へ吸い込まれるようなあの太刀筋。自分が受けた全ての感覚に……。

「ッ、こっちが両手を上げた途端、いきなり切りかかって来やがって」

 俺には、明確に覚えている答えがあった。――ッあり得ない(・・・・・)

「ずっとだんまりかと思えば、わけがわからねえ。何が目的なんだよ⁉ テメエは!」

「……貴方は」

 あり得ない、はずだ。思考を埋め尽くす情念が、胸を突いて言葉に出てしまう。俺の心に浮かんでいる……。

「貴方は一体……、……っ誰なんだ?」

「……」

「……っ黄泉示さん?」

 たった一つの名前。俺に起きている異変を見て取ってか、フィアたちが俺と相手の様子を静観する姿勢を取る。息を呑んで答えを待つ先で――。

「――やはり、確信は持てないか」

「……!」

「見せられた動きに記憶の一致をみてはいるが、事実との矛盾で答えを出せずにいるらしい」

 重ねて告げられた言の葉に、全身が震え立つ。――ッ違う(・・)

「この状況ではここまでが限界か。ならば――」

 そうであるはずがない(・・・・・・・・・・)。必死に否定しようとする思考の叫びが、目の前の相手の引き起こす本物の記憶に押し潰されていく。フードの下で小さく笑むような気配を見せた男が――ッ。

「――ッッ」

 前触れなくローブに手を掛けたかと思うと、腕の一振りで自らを覆っていた衣を脱ぎ捨てる。投げ捨てられた白の布地の下から、隠されていた人物の姿が顕わにされた。

「――‼」

 ……170を僅かに超える身長に、剣腕に不要な肉の、一切を削ぎ落とした身体つき。

 目線に僅かにかかる長さの黒髪は、端だけが白く染まっており。見るものを引き込むような眼差しを持つ黒い瞳には、波一つ立たない水面の如く深々とした理性の光が宿っている。磨き上げ、練り上げられた凄烈な刀気を己の身に漂わせ、

 腰に差された二振りの日本刀が、まるで己の身体の一部であるかのような一体感を放っている。……間違いようがない。

 疑えるはずもない。繰り返される悪夢と、輝かしい子どもの頃の思い出の中で、幾度となく思い起こしてきたその姿は――‼

「……?」

「……父、さん……?」

「――⁉」

 亡くなったはずの俺の父。……蔭水(かげみず)(めい)()、その人だったのだから。


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