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彼方を見る者たちへ  作者: 二立三析
第六章 運命の日
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第十二話 本山の中の死闘



「――【中級障壁】ッッ‼」

 ――(ひび)割れた石壁に詠唱が反響する。

「【雷の槍・集合強化】――‼‼」

「ッ食らえッ‼」

 複数人の魔力により生み出された雷撃の長槍が襲い来る異形の数体を串刺しにし、魔力の解放と共に(ほとばし)る閃光が、赤黒い鬼の表皮を焼き尽くしながら破砕した床の惨状を激しく照らし出していく。本山の中腹に位置している事務区画。

 突如として現れた無数の鬼たちによる強襲に対し、ここでもまた魔術師たちの苛烈な死闘が繰り広げられていた。三、四人が(ひと)(かたまり)となった戦術的なグループが、迫り来る鬼の群れを矢継ぎ早に繰り出す幾つもの術式でもって迎撃する。

 ――その(かたわ)らで。

「グギャッ!」

 一撃。人ならざる筋力を漲らせる剛力をもって振り下ろされた金棒の威力を受け止めきれぬまま、砕け散った障壁の陰から頭部を潰された協会員の身体が踊るようにたたらを踏んで徘徊する。強靭な腕の一振りで哀れな亡者を壁へと突き飛ばし、なおも進軍してくる赤黒の巨体。

「ッだ、駄目だッ‼」

「結界が、っもう――ッ‼‼」

 六人ほどで纏まって防御結界を張っていた協会員たちの間から、防壁の(きし)みに耐えがたい苦悶の息が漏れる。(たわ)んだ一か所を藁屑(わらくず)の如く貫通した剛直の怪腕が、絶叫を上げて逃れようとする者たちの頭蓋を掴み、機械の如く無情に握り潰していく。

「クソォッッ‼」

「ッどれだけいやがる‼ 焼いても焼いても切りが――ッ‼」

 増援に向けて放たれていた炎の隔壁が、術者の魔力の枯渇を受けて勢いを弱めていく。流れる汗に歯を食いしばる協会員たちの眼前で、くすぶる火種を踏みつぶして進軍する鬼の群れたちが、表皮を焦がしただけの新たな一軍となって戦場に到達する。焦がされ灰となった自らの同胞を、路傍(ろぼう)の石の如く背後へと踏み越えて。

 ――純粋な魔術師としての技量を見た場合、本山に常駐する職員たちの水準は、当然のことながら技能者界全体においても高い位置にある。

「――【風剣構築】、【瞬間加速】――‼」

「ッ【水の(から)め手】。凍れッ‼」

 総勢数百万人を数える協会の所属者の中でも、本山勤務に選ばれる者は僅か数千分の一にも満たない。紛れもない魔導の上澄みと呼べる人員たちであり――。

 ――しかし。

「あ、ああっ……‼」

「……た、助けて。助けてぇッ‼」

 今回の襲撃について言うならば、彼らの状況はほとんど、壊滅的と言って良かった。簡易な結界と防御機能しか備えていない支部と違い、本山は平時より龍脈を利用した【大結界】と【ゲート】という、鉄壁の術理によって守られている。

 近日に起きていた永仙(えいせん)(きょう)(おう)らの襲撃のような、限られたごく例外的な事態を除けば、外部からの強襲を受けることなど皆無であり。組織力による情報網の強さも相まって、彼らの大半は任務で戦闘を行うことがあるとしても、自分たちの側から仕掛ける戦闘しか経験したことがない。

 凶王派との対立が小康化し、三大組織に反発を示す勢力との衝突が減少した近年においては、魔導院にて優秀な成績を修めたのち、実戦の経験を積まずに本山に籍を置いている者たちも少なくはない。協会の示す秩序の最前線として、現場で小規模な戦闘に当たることの多い支部とは違い――。

 各支部や管轄地からの情報が集積する本山の職務において求められるのは、協会という巨大な組織の働きを円滑に維持するための業務を(とどこお)りなく(さば)けるだけの知識と処理能力が主となる。戦闘を本職とする人員の割合は実際、支部と比較した場合の四分の一以下に留まっており、

「ひ、ヒィッッ‼‼」

「待てッ‼ 行くなッッ‼‼」

 その状態で今回のような未曽(みぞ)()の奇襲に対応ができるかと言われれば――状況を見つめる誰の眼にも、答えは明らかだっただろう。とめどなく湧き上がる恐怖と狼狽の感情から、一部の人間が耐えきれずに冷静な判断を放逐する。

「――チィッ‼」

「い、痛い! 痛いぃぃぃぃ‼」

 誤謬(ごびゅう)が交じり込むことで奮戦に維持されていた均衡は呆気なく崩壊し、度合いを増す混迷に思考と感覚は鈍っていく。鼻を突く色濃い臓物の香りと、()せ返るような血の臭いが空気を埋め尽くす。

 自分を取り囲む一面から悲鳴と怒号が飛び回り、僅かに理性を保っていた集団も、不意を衝く鬼の群れに蹂躙され、分断された烏合の衆と化していく。誰一人事態を打開できない。

「あ……‼」

 誰一人として、この地獄から抜け出ることはできない。(すが)るべき希望の欠片さえ見えない阿鼻叫喚の中で、抜かした腰を地べたに貼り付けていた協会員が、己の前に踏み出でた絶望の姿に、辛うじて目を見張った……。

 ――その、瞬間。

「〝――水よ〟」

「――⁉」

 刻むように紡がれる一語の詠唱。突如として湧き起こった複雑な凄烈の奔流が、敵味方の区別ない混沌から、協会員たちを避け、鬼たちだけを押し流していく。抗うことを許さない怒涛の水流。

「〝邪妖を祓い、生命(いのち)ある者たちを平穏へと帰す〟――」

 入り乱れる激流の中で無様に赤黒の巨体が手足をばたつかせるが、足場を失って一度浮き上がらせられた肉体は、清めの力を持つ水の中で得意の膂力(りょりょく)さえ発揮することができない。数百を超えている数の鬼どもを、亀裂の入った広間の各所へと分散してまとめ上げ。

「――【水刃千乱舞】」

 落ち着き払った結びの詠唱が響いた直後、水中から放たれた無数の高圧水流による斬撃群が、藻掻いていた鬼たちの集団を瞬時に裂断した。……一瞬。

「あ……っ!」

「――ッ(あおい)様‼」

「――フロアの大群は片付けました」

 強靭であるはずの肉体を豆腐のように切り刻まれ、物言わぬ肉片の欠片となった鬼たち。惨状を一瞥もすることもなしに戦場の跡地へと降り立った協会の特別補佐官、(さくら)御門(みかど)(あおい)が、協会員たちの声と視線に答えを返す。墨色の髪を、身の回りの澄んだ空気中になびかせ。

「通路に対異形用の結界を展開し、増援の到着を阻害」

「――」

「負傷者の状態を確認し、危険性の低い一か所へ移動させる。配属の治癒師か、治癒魔術の得意な人間による救護体制を作ってください」

「は、はいッ!」

 闘争と死の恐怖から解放された協会員たちが、的確な指示に活発な動きを見せ始める。生き残りの総数と、視界に広がった犠牲者の痕跡とを目にしながら……。

 ――酷い。

 葵は静かに、その感想を胸中で下す。……判断としてはその一語に尽きる。

 本山に常在する魔術師たちが、みな優秀な素養や能力を持った者たちであることは、日頃彼らと職務のやり取りをする葵も充分に知っている。予測もできない強襲に完全な形で不意を突かれたとはいえ、

 有する知識と技量から言えば、異形にただ蹂躙されるような戦力ではないはず。冷静に状況と対面し、落ち着いて適切な行動をとれたならば、ここまでの被害は招かなかったはずだが……。

「……」

 ――それも、やむを得ないことなのかもしれない。魔導院での学習や、本山員となってから日頃彼らの相対してきた多くの相手は、自分と変わることのない人間だった。

 手足を射抜き、一定の負傷を与えれば動きは止まる。互いに通じる言葉を持ち、共通の技能者界に生きる以上、背景となる組織や力関係などの了解も、暗黙のうちに働く相手であるはずであって。

 ――しかし。

 異形である鬼たちは、彼らが前提とするそれらの全てから外れている。人間のそれとは一線を画した膂力と強靭性。

 人外のタフネスに危うげなく対処するには、人間との違いを計算に入れた、異形に特有の対処法というものが必要であり。成り立ちが人と異なる異形であるがゆえに、残虐性にもブレーキが利くということがない。

 片腕で容易に人体を千切り潰すほどの暴力性は、鬼たちからすればごく自然な自身の力の発露に過ぎない。中世から続く討伐活動によって著名な異形たちが姿を消し、死霊や怨霊と言った人間に由来する霊的存在すら、珍しいものとなった現代……。

「――【(はらえ)】を施した水流で、此処に来るまでの通路は清めてあります」

【大結界】という()(かご)の中で守られ、知識の中でしか異形を知らない者たちに、混乱と動揺の最中に冷静な対処を求める方が酷だと言えるのかもしれない。……呼び出された鬼たちにしろ、決して低級の群ればかりというわけではない。

「簡易な防御術式も構築済みです。大半の鬼たちは侵入を忌避するでしょうが、万が一乗り越えてきた個体がいた場合には、貴方たちで応戦してください」

「わ、分かりました!」

「必ず複数人で対処に当たり、必要なら退避すること。人と異なる異形とはいえ、単独や数体ならそこまでの脅威ではありません」

 百を超える軍団の中に数匹、ここに来る途中も何体か、一定以上の格を備えた個体が混じっていることを確認している。暴威と恐怖に晒された協会員たちを鼓舞し、冷静さを取り戻させることに葵は注力する。いかに本山の特別補佐という力量を持つとはいえ、

「判断を迅速にし、群れる前に処理を終える。武器である怪力を発揮させないよう、封印や捕縛の術法で動きを鈍らせることも心がけるように」

「了解ですッ!」

「貴方たちなら可能です。――では」

 自分一人でこの本山の全てをカバーすることはできない。被害をより微少なものに抑えるためには、本山員である彼らにこそ、その実力を発揮して貰わなければならないのだ。信頼を込めた一度の頷きをあとに残し。

「――っ」

 振り返らずに葵は走り出す。構築された結界を走り抜け。

「――‼」

 清めを終えた通路を駆け抜け、現れる鬼たちを即座に水流の刃にて両断していく。返り血一つも浴びることはない。

 いかに頑強な肉体と膂力を備える種族とはいえ、【水の支配者】の適性を持ち、金剛石をも両断する葵の水刃を正面から凌ぐことのできる個体は、少なくとも本山に群がる通常の鬼たちの中にはいない。瞬くほどの速度で数十の鬼たちを切り捨てて。

「――」

「――葵‼」

 速度を緩めず階段を飛び降りる。僅かな音のみを立てて着地し、次の区画へ向かおうとした瞬間、前方から此方に向かってくる声を葵は察知した。広がるホールを猛速で駆け抜ける四つ足の霊獣。

「――‼」

「――ッ秋光(あきみつ)様」

「――事務区画の状況はどうだ?」

【四霊】の一角たる【麒麟(きりん)】が豪速で空間を踏破するたび、強靭であるはずの鬼たちがその余波だけで藁屑(わらくず)の如くに吹き飛ばされていく。立ち塞がろうとする幾体かを(ひづめ)による蹴撃で昏倒させ、葵の前に駆けつけた霊獣の背中から、四賢者筆頭たる召喚士、(しき)秋光(あきみつ)が声をかけた。

「四人の元には支部長たちが駆けつけてくれたようだが、他は」

「……全ての部署で混乱と動揺が広がり、すでに一定数の被害者が出ています」

 正した居住まいで簡易な礼を示して、葵は本山の現状を告げる。自らの眼にしてきた光景たち。

「主力となる獄卒(ごくそつ)の集団を幾つか片付け、有効となるはずの指示を出してはきましたが。……この状況下では、新手の増援が途絶えることはないかと」

「……そうか」

 覚悟していたはずの事実を聞いた、秋光の声に哀しみと悔恨の色が交じる。犠牲になった者たちの痛みを、今一度己が身に引き受けるように瞑目し、

「――治癒棟と、居住エリアにいる鬼たちの掃討は済んだ」

「――」

「調理場や書庫など、戦える者の少ない区画には、【四霊】と【四凶】が分散して残ってくれている。一応の安全は守れるだろうが……」

「……【鬼門】の設置場所については、おおよそ七割程度までは絞り込めています」

 秋光の瞳に滲みだす、微かな苦悩の感情を、葵は冷静に受け止めて発言する。【四霊】と【四凶】。

 四体一組となる格の高い霊獣たちを本山の各所へ走らせ、被害の拡大を早々に食い止めた秋光の手腕には目を見張らされるが、それだけでは現状そのものが解決することはない。――【鬼門】。

 冥界へと繋がる冥府魔導の門。一度開けばその口から無限と言える鬼たちが現れると言う、禁忌の接続路が今回の事態の原因であることは、葵も秋光も言葉を交わさずとも把握していた。これだけの数の鬼たちを動員できる技法としては、それ以外に現実的な選択肢がない。

「執拗な隠蔽(いんぺい)に加えて、複数のダミーを使った攪乱(かくらん)を敷いていますが、四回の卜占(ぼくせん)を行う以内には掴めるかと」

「確認次第処理を頼む。要所となる鬼門の前には、本山全域に差し向けられたのとは格の違う鬼たちが配置されている可能性が高い」

【鬼門】の召喚において術法の対象となるのはあくまで入り口となる門の方であり、設置された鬼門を通じて現れる鬼たちには術者の統御が利かない。本能と欲望の(おもむ)くままに暴れ回り、周囲一帯に無作為な災厄を(もたら)すだけの術法として、協会では古くより禁術指定がされている。

「鬼たちとは別の仕掛けがあるリスクもある。充分に注意してくれ」

「はい。――秋光様は」

「……私は」

 鬼門による混乱は敵の戦略の要。発見した協会員による排除を防ぐため、相応の障害が待ち構えていることだろう。尋ねた葵に向けて。

「……この惨状を引き起こしている、元凶を断つ」

「――!」

 答える秋光の言葉を耳にした葵は、改めて敬服の感情が湧き上がるのを自覚する。――流石だ。

 自分が鬼門の居場所を掴みかけている最中に、秋光はすでに、この事態を引き起こした下手人そのものの居場所を把握していたらしい。現世と異界との通路となる鬼門は通常、自然発生的に開くということはありえない。

 呪詛や怨念の強く染み込んだ忌み地など、特殊かつ一定の条件の揃った環境においては生まれる可能性がなくはないが、それも極端な自然災害や戦争、疫病や飢饉など、歴史の中でも記録に残るほどの災厄がなければ起こり得ないことである。転移法により異位相空間に隔離された直後に鬼たちが現れたのを考えれば、鬼門の召喚を行った術師は当然、この本山の内部に潜んでいるということで。

「端緒となった転移法自体は恐らく、本山外部の術者によってなされたものだ」

「――はい」

「どれだけの術者が絡んでいるのかは分からないが、数年がかりの準備期間を設けたとしても、これだけの転移を維持するのに長くは持たない。耐え抜けば必ず元の位相へと帰還する」

 これまでの行動中に葵も気配を探ってはいたが、鬼門以上に入念に隠匿されているだろう気配の痕跡を掴むことは、完全にできないでいた。どれだけ感知を研ぎ澄ませても、感じられるのは(ファン)支部長、上守(かみもり)支部長、秋光に三千(みち)(かぜ)賢者見習いなど、馴染みのある魔力の拍動ばかり。

「龍脈との接続が部分的にでも回復できれば、完全ではないとはいえ、【大結界】と本山の術式が機能を取り戻す」

「――」

「ゲートによる応援も望める。霊獣たちから希望となる情報を伝えさせてはいるが、補佐官からも適切な情報の流布を頼みたい」

「――(うけたまわ)りました」

「任せたぞ」

 ここまで完璧な潜伏を行うあたり、相当の手練れだと理解してはいたが、それも筆頭を務める魔術師の前では無意味だったらしい。秋光と一度目を合わせた麒麟が、軽く地を蹴って蹄の方角を変更する。

「……お気をつけて」

 疾風の速度で駆ける麒麟と秋光の姿が、通路の奥へと消えていく。敬愛する賢者の背中を数秒だけ目に焼き付けて、己の責務を果たすべく、葵は彼らと異なる方角へ駆け走った。


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