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彼方を見る者たちへ  作者: 二立三析
第六章 運命の日
132/153

第十話 悲願の始まり

 

 ―― 

 ――四人。

 いつものメンバーで肩を並べた俺たちは、本山のフロアを伸びる通路を歩いている。部屋から出てホールまでを歩く道のりの途中。

「――んで、話って何のことだよ」

「僕たちが今後選ぶべき、選択肢についての話だ」

 協会員たちの大半はこの時間は職務中なのか、ときおり遠くを忙しそうに歩いていく人間のほかには、明るい石造りの建物の広がる景色は閑散としている。リゲルの問いかけにジェインが答えを返す。

「今の僕たちには大きく言って、協会に残る道と、学園に戻る道の二つがあるわけだが」

「――」

「学園での生活に戻るとする場合、秋光(あきみつ)さんに頼んで、組織側に僕らの中立を保証できないか提案してみようと思っている」

「ん?」

「神父たち――《救世の英雄》は、元組織の人間もいて、技能者としての力も持っているにもかかわらず、一般社会での生活を選択しているわけだろう」

 指摘を受けた俺たちが今一度考える。……確かにそうだ。

「神父たちが英雄としての業績と、技能者として優れた実力を持っていることは大きいだろうが、技能者界の秩序維持を担っているという三大組織が、(おおやけ)に中立を認めているところも大きい」

「……!」

「中立を認めさせていると言った方が正しいか。仮に僕らも神父たちと同じ中立の立場を取ることができるのなら、以前と変わらない生活を送ることも不可能ではないはずだ」

「……! 確かに……!」

「――つってもよー」

 その通りかもしれない。唐突に出てきた希望に俺とフィアが目を丸くした隣で、期待の込められていない調子でリゲルが言い出す。

「テメエも言った通り、親父たちの場合は、英雄としての功績と力があるってことが大きいんじゃねえのか?」

「――」

「技能者としてはひよっこの俺たちが、中立です! なんつったとしても、それを気にしねえ連中はごまんといると思うぜ」

「そうだな。だから僕らの場合は、中立の技能者として扱うことを組織に保証してもらう必要がある」

 考え済みだと言うように頷くジェイン。組織に――?

「協会が僕らを手元に残しておきたいと思うのは、次代の人員を確保することで、他の組織より戦略的な優位に立っておきたいからだ」

「――」

「ただしそれは他の二組織も同じ。僕らを戦力として奪い合うことで、秩序のうちで揉め事が起きるリスクを嫌がるなら、僕らを中立として認める意味が出てくる」

 語られる言葉の中身を考える。……そうか。

「今は僕らを直接抱えている、協会のアドバンテージが大きいわけだからな。他の二組織が、この状況を黙って見ているとは思えない」

「それで今――」

「他の組織に対して強硬な姿勢を取っているらしいレイガスや、この間の変わった四賢者が同意するかは微妙だが。――この間の外出時に先輩たちから聞いた話、今の協会は、永仙(えいせん)凶王(きょうおう)たちの襲撃の件で、他の二組織からよくない疑いを掛けられているらしい」

 三大組織間の均衡を保つ役割として、俺たちを一種の緩衝地帯、不可侵区域のようなものにできないかということか。上げられたチタン製の眼鏡のフレームが、天井から降る魔力の明かりを受けて、怜悧な煌めきを放つ。

「嫌疑自体はボヤ程度のものらしいが、捨て置けば面倒だと言うことで、ファレルさんとレイガスが二組織に交渉に行っている」

「……!」

「あの酔狂な四賢者の動向までは分からないが。秋光さんや葵さんに話を通しに行くなら、今がチャンスかもしれないと思ってな」

「……は~」

 リゲルが感心したように溜め息をつく。機を見るに(びん)というか――。

「凄いですね……」

「――ああ、凄い」

「鬼のいぬ間になんとやらって奴か。今だけは、お前が味方でよかったと思えたぜ」

 素晴らしい前準備の良さだ。唸らされる俺たち二人の前で、リゲルが思いついたようにからかう口調を取ってみせる。

「まるでうちの親父みてえな手際の良さして。お前の方が案外、マフィアに向いてるんじゃねえのかよ」

「自分たちの今後を左右する、重要な問題だからな」

 レイルさんとの鍛錬の影響もあるのかもしれない。ジョークを無視して続けられる言葉。

「考えられることは考えておくさ。この状況下でのんきに昼寝を決め込んでいるような、マフィアもどきのゴリラとは違う」

「言うねえ。ま、俺は正直、協会に入っちまうのも手かなー、なんて思ってはいたからよ」

「そうなんですか?」

「この状況が趣味ってわけじゃねえけどな。俺らが妙な力を持ってるってのは、実際のとこ事実だろ?」

 意外そうな視線をフィアから向けられたリゲルが、おどけるように肩をすくめてみせる。……確かにそれはそうだ。 

「色々ひでえ目にも遭ってきたわけだけど、こういう力を使えるってのも、ある意味俺らの一部じゃあるわけで」

「――」

「上手く使えりゃ強みにもなることだし、自分自身の持ち物を最大限発揮するってなると、自由度が高いのは案外こっちの方なんじゃねえか、とか思ったりしてな。神父たちとの訓練で、それなりに力を使いこなせるようになったってのが大きいけど」

「なるほど……」

「僕らの力を使う場合でも、必ずしも組織に所属していなければならないわけじゃない」

 一理あると思えるリゲルの意見のあとで、ジェインが冷静に自分の見解を述べていく。

「三大組織から中立としての立場を認められるなら、どの組織にも属さない、フリーの技能者として振舞うこともできなくはないだろう」

「――っ」

「僕としては正直、どこであれ、組織に属するのは嫌だという動機が大きいからな。より大きなもののために動くことを強要される以上、自分の行動を大きく制限することになる」

「ま、協会なら多少はその辺もマシだろうとは思うけどよ。親父のやり方なんかを見てると、俺もなれるんならフリーの立場の方がいいってのは賛成だぜ」

「……そうですね……」

 かつての俺の両親のような活動か。胸に湧く郷愁を感じている俺の隣から、二人の話を聞いていたフィアが、今一度自分の内面を見つめるような面持ちを見せた。

「私もその、自分たちの勢力を競い合うような戦いで、誰かが傷つくような場所にいるよりは、学園での生活に戻りたい気持ちの方が強いですけど」

「――」

「協会を離れるってことは、その。……先輩や、立慧(リーフイ)さんたちとも会えなくなるってことになりますよね?」

「っ。……そうだよな」

 これまであまり意識を向けないようにしていたことが思い返される。……先輩たちは元々、凶王派に命を狙われているという事情があったからこそ、俺たちの担当になってくれていた人たちだ。

「この間の外出じゃあ一緒だったけど、前回の襲撃以来、(ファン)さんたちも自分たちの支部に戻ってることが多くなったしなぁ」

「今のように頻繁に会うことは難しくなるだろうな。とはいっても、完全に縁が切れるというわけじゃない」

 永仙と凶王派の影響が消え、俺たち自身が協会から距離を置く道を選ぶとなれば、先輩たちとの接点もどうしても薄れてはしまうだろう。表情の読めない眼でジェインが軽く眼鏡を上げる。

「仮に僕らの中立の立場が認められれば、下手な肩入れをしない限り、別段どこの組織の人間と連絡を取ってもいいということになる」

「――っ」

「神父たちのような影響力の強い技能者なら、実際どの程度までそれが許容されるのかは分からないが。僕ら程度の技能者が単なる友人として会う分には、大した制限もかからないだろう」

「それは――」

「どう……なんでしょうか?」

「――組織の(しがらみ)なんか、フリーの技能者になっちまえば関係ねえ」

 現実にどうなるかということは、細かい部分の話を詰めないと分からなさそうだが。協会所属の人間だけに会うのは難しそうだと思う俺の横で、あえて悪そうな目つきをしたリゲルがニヤリと笑んでせる。

「最悪親父たちの名前を使ってでも、無理矢理礼参りにくりゃあいいってことか! テメエも中々あくどく考えるじゃねえか」

「字面だけ聞いてると、完全に襲撃の宣言だな」

「っその……」

 突っ込んだ俺の隣から、何かを気にしているように、フィアが言い出す。迷いのある眼遣いを見せて。

「リゲルさんは、……(かく)さんのことは、どう思ってるんですか?」

「は? 郭?」

「あ、いえ。なんだかんだ言って、郭さんとも私たちは関わり合いがあるじゃないですか」

 どことなく曖昧な笑みのまま、なぜか落ち着かなさげに指先をくるくると回したフィアが先を続ける。……確かにそのことは少し気になる。

「このまま協会を離れることになったとしても、先輩たちと同じように会いに来たりはするのかなって」

「――」

「深い意味はなくて、あくまで何となくなんですけど」

「ん~……」

 支部長という役職を持つ先輩たちもそうだが、郭はとりわけ、協会の次代を担っていく賢者見習いという特別な立場にある相手だ。今のような例外的な状況だからこそ、本山の中で互いに出くわしたり、この間の外出のようなこともあったりはしたが……。

 俺たちが協会から離れて、中立の立場を保つとなれば、先輩たち以上に会うのが難しくなることは間違いがないはずで。自分から何度か会いにも行っているリゲルが、両腕を組みながら首をひねり、

「まあそりゃ、会いには行くんじゃねえかな?」

「……!」

「対面した模擬試験の対応があんなで、初めの印象は最悪だったけどよ。別段今は、んな悪い印象は持っちゃいねえし」

 ほどいた手で後頭部を掻きながらの回答に、緊張に呼吸を止めているようだったフィアの表情が、ぱっと明るい面持ちになる。

「あいつはあいつなりに、色々と抱えてるものがあるって分かってきたっつうか。この間の外出でも、師匠命令とはいえ、自分の時間を削ってこっちに着き合ってくれてたわけだし」

「……」

「賢者見習いっつう立場があるから、本山を離れるとなりゃ、なおさら会うのが難しくなるってのはあんだろうけどな。なんだかんだ、向こうもたまには顔を出したりはすんじゃねえかな、と」

「そうですか……」

「……?」

「良かったです、それなら」

「んー? なんでフィアが安心すんだよ?」

「いえ、その。仲がいい方が、喧嘩や揉め事も起こり辛いと思うので……」

「僕に言わせれば、鼻持ちならないエリートの若造だがな。人の物語を勝手に晒すなど、賢者見習いという立場に不相応なことこの上ない」

「滅茶苦茶根に持ってるな……」

 ほっとしたように息を吐き、にこにこしながら頷いているフィアと、眉間にしわを寄せてレンズを光らせるジェインが対照的な表情を披露していく。……よかった。

 色々とまだ不明瞭なところもあるが、ジェインの提案のお陰で、どうにか現実的な線が見えてきた気がする。上手く受け入れてもらえるかどうかは分からない。

「そういや――」

 だとしても、この四人でいれば、きっとこの先の問題も乗り越えていくことができるはずだ。理由の要らない頼もしさを覚える俺の横で、リゲルが気が付いたように言い出した。

「賢者見習いといや、郭はともかくとして。三千(みち)(かぜ)さんは最近姿を見てねえよな」

「確かに……」

「永仙と凶王の事件以来、随分と忙しいようだったからな」

 ――そうだ。

「元々修行の方が上手く行っていないという事情もあったし、今は状況が落ち着いて、自分の鍛錬に専念しているかもしれない」

「そうなのかもしれないですね……」

「学園に帰るとしたら、その前にまた一度くらいは会っておきたいよな」

 永仙と凶王による襲撃への事後処理を行うためか、あのときの三千風さんは相当にバタバタしていた。賢者見習いとしての立場を抱えてもいる以上、俺たちの想像以上に成すべきことは多いのかもしれず。……思い返してみれば。

「これまで色々と、世話になってもきたわけだし。何も言わないで帰るのもあれだ」

「だよなぁ。秋光さんか、(あおい)さん辺りに訊けば、予定とか、どこにいるのかとか分かるんじゃねえか?」

「提案ついでに訊いてみるか。秋光さんから時間を取る許可がもらえれば、三千風さんとしても話がしやすいだろう」

 俺たちが三千風さんに助けられたことは色々と多かった。サロンで互いの素性を知らずに出会って、本山を案内してくれたことに始まって、

 外出試験における郭の暴走の制止、中庭での会話や、リアさんからフィアのもらった道具についてのアドバイスなど。三千風さんがいてくれたことでスムーズに事態の進んだ場面は少なくない。

 部外者である俺たちとも屈託なく接してくれたことに、今一度お礼を言っておきたい気持ちもある。人のいいスマートな笑顔を思い返しながら、秋光さんたちの居場所に向けて足を――。

「――っ?」

 進めていたとき。……なんだ?

「……ん?」

「今……」

「……何か妙な感覚がしたな」

 何か一瞬、おかしな感覚が背筋を走った。飛び立つ鳥の羽先が、僅かに後ろ髪に触れたような。

 他に気を取られることがあれば見逃してしまうほど微かで、それでいて、決定的に何かが違っている違和感のある感触。辺りを見回す俺の意識に――。

「……?」

 足を向けていた先の床に映る、一つの奇妙なシルエットが飛び込んでくる。……口を開けた通路の奥から伸びている影。

 光に引き伸ばされた長い脚は、恐らくは本山で活動している協会員のものだろうが、背丈がやけに大きく見える気がする。通路の壁に隠れた肩から上のシルエットが、大股と思しき歩みに合わせて揺れ動く。

 鎧を纏っているように歪な凹凸を持った、異様な太さを持つ両腕の輪郭が露わにされる。視界を遮る壁の切れ目から覗いた、赤黒い色彩に気付いた瞬間――ッ。

「――ッフィアッ‼‼」

「――え?」

 飛び掛かって来た巨大な影。全身を走り抜ける恐怖の感覚を覚えながら、反射的に俺は地面を蹴り出していた。










「――さて、と」

 ――視界を(さえぎ)るもののない、広大な荒野。

 周囲一帯に生きとし生けるものの気配のない、長大な領域隔離の結界の中で、一人の人物が強い風の吹いていく青空を見上げている。天蓋にて煌々と照り輝く三対の法陣。

「――切り離しは完了した」

 たなびく雲を覆い隠すほどに巨大な、人の身ではおよそ成し得ぬ絶大な魔力を要する術式の状態を確かめて。(まば)らな髭を生やした人の良い中年男の相貌が、目の前に開かれている通信用の【窓】へと向けられる。

「三大組織のいずれも、主力となる防衛機構の機能は発揮できていない」

「――」

「タイミングも予定通り。あとは、君たちが存分に力を振るってくれればいい」

「――分かっている」

 不純物のない乾いた大気のうちに、異なる遠隔地を繋ぐ魔術の窓から、重苦しい気迫を持つ男の声が響く。シャープな黒髪を風に揺らし、細かな傷の付いたフレームに、年季の入った曇りの染み付いたレンズを持つ丸眼鏡の奥から、温厚そうな黒い瞳を見せている中年の男に向けて、同志たちの言葉が返された。

「長きに渡る雌伏のときは結実した」

「……」

「迷いも過去もはるか遠く。今はただ、己の運命に従って、悪逆を果たすのみ――」

「――いや、だから堅いって」

 宣誓にも似た重々しい男の言の葉を紛らわすように、同じ右端の窓から響いてきたのは、艶のある若々しい女性の声音。苦笑交じりに肩を(すく)めるような間をおいて。

「本番でもその調子が変わらないのは、かえって頼もしいけど。――僕らの方は順調だよ」

「――」

「いきなりの転移と現れた巨大な獣とに、聖戦の義は大混乱。信徒たちがハチの巣をつついたみたいに右往左往してる。上の方はこうは行かないだろうけどね」

 気配を消しての移動の最中なのか、微かにブーツが石作りの床面を擦る音が聞こえてくる。

「取りあえず、新しい障害が出てくるまではこの調子で進めるかな。――セイレスの方はどうだい?」

「……」

「直前で随分と大役を押し付けられちゃったわけだけど。面子の変更もあって大変だろうけど、頑張ってね」

「……っうるさいわね」

 わざとらしい女性の呼び掛けに、左端の窓から余裕のない女の声が答えてくる。苛立ちを隠さず吐き捨てるような、

「貴女の言う通り、自分の預かった大役に今は集中してるの。……話しかけないでもらえるかしら?」

「おっと、ごめんごめん」

「――機関は流石と言う手際だな」

 蠅でも払うような鬱陶しさを持った台詞のあとに、同じ窓から平静な男の声が続く。風を切る移動音と同時に響いてくるのは、連続する銃撃と、上がる複数の苦悶の叫び声。

「転移を受けた初めの動揺こそ大きかったようだが、短時間ですでに侵入者の迎撃へ意識を向け始めている」

「なるほど」

「歯ごたえのある抵抗であるだけに、引きつけを無視することはできんだろうな。ナンバーズは予定通り私が相手をする」

「……協会の二人はもう入ってるみたいだね」

 間近で引き起こされるそれらを意に介さず話し続ける男の声に連れて――艶のある若い女性の声が、唯一反応のない中央の窓について言及する。

「呼びかけても返事がないし。上手くやってると良いけど」

「……あの男が出向いた時点で、心配も何も要らないでしょう」

「座標を見る限り、二人とも予定通りに動けてはいるようだね。――僕らの目標は、主に一つだ」

 不服気な言葉を零した女性のちに、手元に開いた術式で中年の男が同志の位置を確認する。一呼吸を置いたのち、改めて注意を促すように呼びかけを為した。

「組織の保有する封印の奪取が最優先。それ以上の無理は禁物だ」

「――」

「自分自身の目標は譲れないだろうが、削り落としには構わず、すぐに帰還してくれればいい。誰一人欠けずに、戻ってきてくれることを願うよ」

「……善処はするわ」

「相手が相手なだけに、保証はできないけどね」

「――そちらの方も一仕事だろう」

 緊張を抑えたような女の声。軽く口笛を吹く女性の声が響いたのちに、平静な男の声が、どことなく含みを持った軽妙さで口にする。

「結界と転移を維持したまま、あの男の相手をしなければならないとは。常人であれば想像したくない苦労だな」

「ヴェイグなら勿論大丈夫なんだろうけどね。万が一にも負けちゃうようなことがあれば、僕らも長年の目標も、全部おじゃんなんだし」

「……激励かと思ったら、なんだか逆にプレッシャーを掛けようとしてないかい? 二人とも……」

「……我らにとって、ここが一つの正念場であることは間違いがない」

 素朴な疑問を口にした中年男の前で、右端の窓から重々しい男の声が零れ落ちる。

「どれだけ無法の力を持っていようとも、いや、無法の力を手にするに至ったからこそ、懸ける想いの強さは、並ならぬものであるはずだ」

「……そうよね」

 真摯な言葉に応えるように発されるのは、余裕のないようだった女性の声。

「ここを乗り越えられなければ、私たちに明日なんてない。――私は必ず目的を果たすわ」

「……!」

「必ず組織の連中の鼻を明かして帰ってくるから。貴方の方も、それを楽しみに待っていなさい」

「おお、やる気だね~! 流石はセイレス――っ」

「――武運を祈る」

 短い一言を最後に窓が閉じられる。一斉に途絶えた同志たちとの通信を前にして――。

「……皆随分と個性的だ」

「……」

「本番を前に不安に飲み込まれないかと心配だったけど、大丈夫そうかな。――(さい)は投げられた」

 古びた眼鏡の位置を整えた男――ヴェイグ・カーンは、独り滔々(とうとう)と呟きを口にしていく。己以外は誰もいない、無情な風の吹き抜ける荒野の中にあって。

「今日このときから、僕らの悲願の成就が始まる」

「……」

「例え世界全てが障害として立ちはだかったとしても、掴み取るべき望みのために。――貴方はどう思うかな?」

 目には見えない何者かに話を聞かせているようだったヴェイグの視線が、ある一点に差し向けられた。瞬間。

「――ッ!」

 空白だった景色から突如として膨大な魔力が湧き起こったかと思うと、ヴェイグの立つ景色が世界ごと塗り替えられる。緻密に編み込まれた無数と言える術式にて構築された、『世界』と何一つ変わらない異位相空間の構築式。

 刹那のうちに行われた変貌と同時に、先ほどまで空白であったはずの景色のうちから、一人の人物の姿が顕わにされている。壮健とした老人の立ち姿を見つめつつ――。

「魔導協会の元大賢者」

「……」

「《救世の英雄》が一人。――九鬼(くき)永仙(えいせん)

 相手の視線を受けるヴェイグが、旧友を迎えるような、温かい微笑みを差し向けた。



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