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彼方を見る者たちへ  作者: 二立三析
第六章 運命の日
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第九話 静かな決意


「……」

 昼食後の休憩時間。

 フィアたちと共に日課の自主鍛錬を終えた俺は、(あて)がわれた自室のベッドの上に寝転んでいた。天井を見ながら……。

 考える。これまでに体感したこと。

 俺たちの選ぶべき、これからのことを。……協会に残るという選択肢。

 それは確かに一つの道として、俺たちの前に伸びている。レイガスとバーティンさんが賛成し……。

 秋光(あきみつ)さんとリアさんは、恐らく俺たちの意志を尊重しようとしてくれている。……技能者として戦いを続ける。

 組織に所属する人間として、協会の理念の為に力を振るう。想像しても、そうした自分の姿は今一つ現実に噛み合う形として浮かんではこない。……命を懸けての戦闘。

 これまでの戦いや修行の苦労、先輩の傷ついた姿、負傷していたリアさん、永仙(えいせん)と秋光さんの激闘が脳裏に蘇ってきて。……到底あんなことを続けられるとは思えない。

 俺が今まで戦って来られたのは、フィアたちと自分の命を守り通し、四人で元の平穏な生活に戻るという、切実な動機があったからだ。避けられない戦いや困難なら、他人任せにすることはしたくないと思うが……。

 元々自分のものでもない理念や組織の負担を、これからの生き方全てを捧げてまで背負い込もうとは思えない。……一度協会に所属する選択をしてしまえば、あとからそれを(ひるがえ)すことは難しいはずだ。

 知り得た情報や預かる立場、人間関係のほか、仮に秋光さんたちが許可しようとしたとしても、レイガスやバーティンさんがそれを許すとは思えない。……元々俺は、魔導協会のような大きな組織に良い印象を持ってはいなかった。

 秋光さんとの会話や、先輩たちや(あおい)さん、三千(みち)(かぜ)さんとの関わりである程度払拭されている部分はあるとはいえ。……やはりそれでも、自分の居場所としてはどうしようもなく拭えない、違和感のようなものが付き纏ってしまう。魔術師として――。

 技能者として戦う自分の姿を想像するたび、心の奥に浮かんできてしまう情景があるからだろう。……子どもの頃に夢見ていた未来の自分。

 技能者として活動する両親を尊敬していた、輝かしい頃の気持ちと、その終わりを目にして抱いた、暗澹(あんたん)たる気持ち。都合のいい道具として頼りにしながら、誰一人として助けに来なかった組織の人間たちに抱いた……。

「……ふぅ」

 暗い、火のような情念を。……駄目だ。

 やはりあまりいいイメージは浮かんではこない。秋光さんや先輩たちが、人として信頼のできる人物であるのは確かだとしても、

 協会の理念として語られた、〝魔導の秩序を守る〟という言葉も、俺としてはそれほど身近なものには感じられない。……世の中の問題とは決して、こうした普通でない物事の中だけで起こっているのではない。

 その理念を持つ人たちにこれまで助けられてきたことは事実だが。……高邁(こうまい)で崇高な理念を守り通すために、自分や仲間の命さえ投げ出さなければならないのだとするならば。

 やはり、俺は――……。

「……」

 一つの行き当たりを覚えて、先の開けなさそうな考えを転回させる。学園に帰ると決めた場合でも、決して一筋縄でいくわけではない。

 以前の俺たちのように、完全に非日常的な世界と縁を切って過ごすことは、恐らくもうできないと考えていいのだろう。(かく)やバーティンさんから言われたように……。

 救世の英雄という名のある技能者の関係者である以上、俺たちにその気がないとしても、巻き込もうとしてくる勢力は出てくるはずであって。……今回の一件を経たことで、俺たち自身も目をつけられる要素ができてしまった。

 協会の庇護を受けている状況なら、問題として浮かび上がっては来ないことだったが、そうではない状態になった場合に、俺たちだけで、普通でない領域の問題に対処できるのか? ……。

「……」

 ……分からない。

 分からないとしか言いようがない。小父さんたちの見立てでも、郭の評価でも、今の俺たちは普通でないものを扱う技能者として、一定程度の力は持っているはずだ。

 以前のあの雷を操る男のような技能者については分からなくとも、暗殺者の老人くらいなら、より確実に退(しりぞ)けられるようにはなっているのかもしれず。……それでも安全とは言い切れない。

 襲撃に備えてリゲルの家で合同生活をしていたときにも体感したが、本山のような確固とした守りのある場所にいて生活しているのと、そうでない環境に置かれているのとでは、日頃の安心感がまるで違ってくる。警戒は必須。

 学園でも家の中でも、どこにいても危険の有無をその都度確認しなくてはならない。気配や殺気を殺して近付かれたならば、初めの老人でも今の俺たちが完全に対処できるのかは怪しいところで。

 ――深刻な危険を孕んだ学園での生活。

 そのときの俺たちの過ごす毎日は果たして、望んでいた以前の日常とかけ離れてしまってはいないだろうか? 堂々巡りのような考えが頭を回り――。

「……」

 逃げ場を求めて横に傾けた頭のうちに、また異なる思考のイメージが浮かんできた。……フィアのこと。

 永仙との戦いを終えたのち、彼女が自分の過去を思い出したという事実は、俺たち四人の間だけでなく、先輩たちや秋光さん、帰宅した小父さんたちとの間でも共有されている。……俺がフィアから直接聞いた話。

〝――私は昔、山奥にある小さな村の中に住んでいました〟

 治癒棟で治療を受けていた際の、個室で話された内容を思い返す。ベッドを覆う清潔なシーツの上で居住まいを正し、湧き出る記憶に身を浸すようにして、神妙に煌めく翡翠(ひすい)の瞳を(たた)えたフィアが言葉を紡いでいる。

〝家族はいたのかどうか思い出せなくて、一人で動いていることが多かったと思うんですけれど、周りの人たちが助けてくれたので、不自由はしていませんでした〟

〝……〟

〝小さくて貧しい、近くには病院も無いような村にいて。……そこで私はその、今とは違う、癒しの力を使っていたんです〟

〝癒しの力……?〟

〝はい〟

 俺の疑問に頷いたフィアが、開いた自分の手のひらをじっと見つめる。記憶の中のイメージと自分自身を重ね合わせるような、(おぼろ)げな視線を浮かべて。

〝思い出せる記憶の中では、私の手を当てた部分から、淡い光のようなものが溢れ出していて〟

〝……〟

〝今の私が使っている、治癒魔術とは少し違う光なんですけど。野犬に噛まれた人の手当てをしたり、病気の牛や馬を診ていたりしていました〟

〝……医者みたいなことをしてたってことか?〟

〝多分、そうだと思います。近代的な設備や薬も無いような村だったので……〟

 自分の手から視線を上げたフィアが、数秒だけ目を閉じる。

〝その代わりになるようなことをしていたんだと思います。記憶の中の私は、その力以外にも、傷の治療や薬草の種類に何となくの知識があって〟

〝――〟

〝そういった力や知識を組み合わせて、各家を回る定期的な検診のようなこともしていました。そのあとはまた、記憶が沈んでしまって……〟

 訥々(とつとつ)ながらも語ってきたフィアの声が、そこで小さくなる。……フィアは、全てを思い出せたわけではない。

〝……記憶を失って、どうやってあの街に来たのかまでは、思い出せないんです〟

〝具体的な人の名前とか、地名とかも浮かんでこない感じか?〟

〝はい。古びたガラス越しに物を見ているみたいに、ぼんやりとした景色や色のイメージくらいしか……〟

 村の名前や、そこにいたはずの知り合いの名前は思い出せないまま、以前の自分についての断片的な情景を思い出しただけだ。傷ついた映写機のフィルムを巻き戻したときのような、あやふやで不確かな記憶だが、

「……」

 ――それでも、これまで全くと言っていいほど掴めていなかった、フィアの素性を照らす一筋の光であることには違いない。どことない心強さを覚えていたような彼女の瞳。

「……そうだよな」

 自分という人間の足場を踏みしめ直せたような、安堵感の滲み出ていた表情を思い返して、横倒しになっていた頭を再び仰向けへと戻す。……フィアが自分自身の記憶を取り戻せたのは、素直に喜ばしいことだ。

 協会に来る以前、出会ったときの不安げな表情や、色々なことに引け目を感じていた頃を知る身からすれば、その気持ちはなおさら大きいものであって。思い出したという記憶の内容自体についても、俺なりに納得しているところがある。

 危険を(かえり)みずに見ず知らずの子どもを助けようとする性格も、通行人から認識されないまま倒れていたのも、治癒や障壁の魔術に適性を持っていたのも、フィアが元から普通でない力を持っていて、人を助ける活動をしていたのなら、おおかた説明が付けられる。永仙や凶王からの干渉も見られず。

〝こいつはおそらく、固有魔術の影響だねい〟

 リアさんが話していた通り、使い手の自己に根差すという固有魔術の発現が、想起の切っ掛けになったのであれば、猶更。だが……。

「……」

〝――あの少女と共にいたいなら、己の意志を決めることだ〟

 深緑色の天井を見つめる俺の脳裏に、真剣な老人の言葉が響いてくる。――永仙に言われた台詞。

〝何が起ころうともその隣に立ち続ける。例え今ある全てを失いかけることになっても、最後まで力を尽くし続けるのだと〟

「……」

 俺たちの力を見届けるようだった相手から掛けられた言葉が、ずっと俺の心に引っかかっている。……あのとき見た永仙の表情は、決して軽い内容を語っているようなものではなかった。

 結果的に俺たちを殺さなかったのは喜ばしいことではあるが、そもそも命を奪う気がないのなら、永仙と凶王たちは、何ゆえ俺たちを狙っていた? 魔導協会の本山という、永仙と凶王派からして敵地に等しい危険地帯に踏み込んでまで。

 二度の刺客を差し向けて来てまで、殺害を試みていたようだったわけとは。……永仙の言葉の真意とは。

 一体――。

「……――っ」

 思考の最中。

「――っはい」

「あ、っあの」

 聞こえてきた控え目なノックの音に、ベッドから上体を起こしつつ声をかける。……澄んだ鈴の音のような声。

「――フィア?」

「済みません、黄泉示(よみじ)さん」

 ドアの向こうから、耳慣れた少女の声が聞こえてくる。控えめな口調で居住まいを正す気配が聞こえてきて、

「お疲れでなければ何ですけど。今少し、大丈夫ですか?」

「ああ、大丈夫だ」

 扉を開けて迎え入れる。礼を述べて入ってきたフィアは、いつも通りの可憐な服装に、整えられた白銀の髪を静かに揺らしている。胸元につけられたブローチ。

「……着けてくれてるんだな、それ」

「はい。これまではその、急な戦いで汚したり、傷つけたりしちゃう危険があったんですけど……」

 鳥の羽を(かたど)った、空色のグラデーションを持つ刺繍性の装飾品に、フィアが大切そうな手つきでそっと触れる。光沢のある柔らかな糸の感触を、再び確かめるように。

「落ち着いてる今なら、そういう心配はないと思って。黄泉示さんは――」

「……相変わらずここに付けてるな」

 ポケットから取り出したその品をフィアに見せる。デフォルメされたウサギのキーホルダー。

 協会住みになってから使わなくなっている家の鍵ではなく、取り出すことの多い携帯のストラップとして着けている。人前で見せることになるのを考えると、初めのころは少々気恥ずかしかったが……。

「触り心地がいいから、携帯を触ったあとでたまに撫でたりしてる」

「良かったです。大事にしてもらえてるみたいで……」

 慣れてきた今では、見ていて温かい気持ちになれる大切な贈り物だ。ホッとしたようにフィアが胸をなでおろす。

「嬉しいです。……それで、その」

「ああ」

「今日来た用事についてなんですけど。記憶のことについて、もう一度話しておきたくて……」

 生まれた穏やかな空気を心の支えにするように。フィアが、本題を切り出した。――記憶について。

「昔のことが思い出せたとき、私、少しホッとしたんです」

「……!」

「自分の素性や来歴が、完全に分かったわけじゃありませんでしたけど。……私にも、何もなかったわけじゃないんだって思えて」

 出会ってからずっと記憶を失っていたフィアにとって、それは今、何よりも自分自身に影響を与える事柄のはずだ。真剣に相手を見つめ直す俺の前で、フィアが胸元で手を握る。

「思い出せない時間の中にも、ちゃんと何かがあったんだって。だから……」

 ゆっくりとした呼吸で心臓の鼓動を整えて。勇気を自分の内側から手のひらに込めるように、ぎゅっと指先を握り締めた。

「昔の記憶を持ったうえで。今の私なら、以前よりはっきりと言える気がするんです」

「――」

「この先、どんなことがあったとしても――」

 しっかりと顔を上げた純粋な翡翠色の瞳が、俺を正面から真っ直ぐに見つめている。

「黄泉示さんやリゲルさんたちのいる場所が、私のいたい場所なんだと思います」

「――」

「昔のことを完全に思い出したとしても、それはきっと変わりません。そのことをちゃんと、伝えておきたくて……」

 間違いようのない彼女の言葉を耳にして、俺の中に一つの考えが浮かんでくる。……そうだ。

 仮に俺たちが、学園に帰ることを決めたとして。……フィアとの生活を、俺はどうするのだろう?

 過去の記憶が断片的に戻ったとはいえ、彼女の状況が根本的に変わったわけではない。頼るような寄る辺もなく、

 過去の人間関係も、家族も不明となれば、以前と変わらず俺と生活を共にすることになるのかもしれず。……小父さんと協会がこれだけの期間を調査に費やしても、フィアの思い出したこと以上の進展が得られないのなら。

「……フィア」

「はい」

 事態が抜本的に変化することは、少なくとも、当てにできるほど明白なことではないはずだ。……俺はどうしたいのか。

「その、仮にの話なんだが」

「……? はい」

「俺たちが前みたいに学園に戻ったとして。そのとき、いや」

 俺の目の前にいる、彼女はどうしたいのか。白銀の輪郭に囲まれた、可憐さと美しさの同居する瞳を見つめる。

「そのあとでも、フィアは……」

「――っ」

 言わんとすることを察したように、フィアが一瞬だけ息を止める。考える少しの間隔を置いて、フィアが何かを口にしようとした。

「――っ⁉」

「っ、はいッ」

「――僕だが。蔭水(かげみず)、今大丈夫か?」

 そのとき。扉から響いた唐突なノックの音に、二人して弾かれたように振り向かされる。――ジェイン?

「っああ、大丈夫だ」

「そうか。僕らの今後について少し、思いついたことがあってな」

 なぜか速くなっている心臓の鼓動を、抑えながら答えていく。思いついたこと……?

「四人で一度話せればと思っている。カタストさんとリゲルにも、声をかけるから――」

「あっ、私はその、ここにいます」

「っそうか。なら、リゲルに声をかけておく」

 フィアの返事に、扉の外の声が一瞬不意を突かれた素振りを見せる。幾分気まずそうな感情を滲ませた言葉が続き。

「悪いが、二人で出て来てくれないか? 用事の途中なら、タイミングを遅らせても構わないが」



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