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彼方を見る者たちへ  作者: 二立三析
第六章 運命の日
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第七話 穏やかな日常


「……まったく……」

 試着室前に設けられた、簡易な待合のスペースにて。

「酷い目に遭いました」

「……」

「あんな奇天烈な衣装を着せられて人前に出させられるなど、拷問以外の何ものでもありません」

 熾烈な戦いから生還した、魔導協会の未来の幹部候補――賢者見習いたる(かく)が、足を投げ出すようにして俺たちの隣に腰を下ろしている。立慧(リーフイ)さんとの試着三本勝負。

「しかもあれだけ時間をかけて結局引き分け(ドロー)とは。今一つ納得の行かない結末でしたね」

「まあ……」

 首を振りながら零されていく愚痴に、何とも言い難い感想が込み上げてくるのを、唇の手前側で押さえる。正直完全に自分から(はま)りに行っていたような気もしたが。

「二人ともよく、あんな服を見付けて来ましたよね……」

「……俺としては正直、あんな服まであるこの店のチョイスに不安を覚えたくらいだったな」

 その辺りに触れるのは、やめておいた方が無難かもしれない。(やぶ)をつついて蛇を出さぬよう、フィアと共にこそこそと感想を呟いていく。日常からの雄飛をポリシーとしたこのブランドのラインナップには、コスプレ用の小物までが用意されており、

 天使の翼と悪魔の羽、ベルトで腰につけるタイプの尻尾につけ耳バンドなど、付属品が多岐に渡った。相手に似合いそうな服ではなく……。

 より滑稽に映る服装を選んでいたのだから、当然だが。砂糖漬けのチョコレートより甘い、ゆるふわゆめかわメルヘンゴシックとでも言えそうなコーディネートと、それを着て互いに皮肉と嫌味を押し付け合う二人の舌戦は凄まじいもので。

「ぶっちゃけ、んな悪くはなかったと思うけどな」

「――」

「普段は飾り気のない格好してるもんだから、初めのうちはギャップに戸惑ったけどよ。慣れてくれば割と――」

「――役立たずなゴリラは黙っていてください」

 見ているだけだったはずなのに、終盤にはこちらの方が胸やけがしてきそうなほどだった。悪意のないリゲルの感想を、鋭い一瞥を送った郭がピシャリと封じ込める。

「どちらがより滑稽だったかの勝負だったというのに、似合っているからという理由で僕に票を入れてどうするんですか?」

「いや、でもよ――っ」

「言いわけはいいです。仮にも人間であるならば、少しは自分の感情を自制して――」

「……大変だな……」

「そうですね……」

 責めを一手に負っているリゲルの様子に、フィアとひそひそ声で話し合う。正面のブースでは今、千景(ちかげ)先輩と田中(たなか)さんが試着している。

〝――私も着るのか?〟

〝ここまできて千景だけ着なかったら、それこそ不公平ってもんでしょ〟

 郭との不毛な戦いの直後。意外そうな先輩を前に、憔悴した様子で身体を支えている立慧さんは、それでも辛うじて目だけに執念の光を湛えていた。

〝ぶっちゃけもうここまで来たら、全員に着せてやらないと気が済まないっていうか〟

〝……そうか〟

〝意地よ意地。いいでしょもう。引っかけで親友の趣味をばらしたんだから――〟

〝女同士大変そうだな。いい加減飽きて来たから、俺はちょっくらそこらの飲み屋で休憩でもして来るぜ〟

〝何言ってんの。あんたも着るのよ〟

 伸びをして去りかけていた田中さんが、ピタリと動きを止める。油を差していない機械染みたぎこちない動きで、恐ろしいものを見るように陳列された洋服を見つめて。

〝……あのヒラヒラをか?〟

〝っ違うわよ。心は服装からって言うでしょ〟

 突っ込んだ立慧さんが、改めて田中さんの装いをビシリと指差す。

〝ただでさえサボりの常習犯で酔っ払いなのに、冴えない襤褸(ぼろ)っちい格好でそれを助長してちゃ最悪よ〟

〝――っ〟

〝まずは形から入って、印象を変えるのも一つだと思ってね。こんな機会もそうそうないことだし、私が直接見繕ってあげるわ〟

〝……渾身の一張羅だったのに、襤褸とか言われちまったぜ……〟

〝っ古くて手入れもしてないから、みすぼらしく見えるって言ってんの! 大事なものなら、維持の方法くらい覚えときなさいよね――ッ〟

〝郭、悪いが――〟

〝……分かっていますよ〟

 首根っこを掴まれて引き摺られていく田中さん。謝罪を込めるような先輩の視線に、郭は幾分乱れた髪の毛のまま、小さく溜め息を吐いて。

〝今は僕が付いていますからね。詰まらない魂胆で近付く野良や組織の人間には、手出しはさせません〟

〝ありがたい。蔭水(かげみず)たちも悪いが、此処で待っててくれ〟

 そう言って先輩たちがカーテンの向こうへと消えていった。郭と俺たちが取り残され。

「――なぜ、こんな外出に来たんです?」

 今に至るというわけだ。俺たちの近くにいる郭から、昨日と同じ疑問が口にされる。

「貴方たちの置かれた状況は、以前に説明した通りだ」

「……」

「命を脅す逼迫(ひっぱく)の危険こそ去りましたが、将来的な道の選択に暗雲が生じ始めている。そのことくらいは理解したと思っていましたが」

「それは……」

「……こういった日常の感覚を、思い出すためだ」

 昨日の時点では明確な答えをえられていなかった疑問を受け止めて、俺たちの考えを口にした。

「協会の本山に来てからの――凶王派に命を狙われてからの俺たちは、前みたいな平和な時間を過ごせる機会がほとんどなかった」

「……」

「特にこのところは、小父さんたちとの修行に永仙たちの襲撃で、完全に息つく暇もない状態で。どうするのかの決意を固める前に……」

「――前みたいな日常の感覚を、もう一回思い起こそうって話になったんだよ」

 前を見つめながら、気迫を込めた声音でリゲルが語っていく。……そうだ。

「協会に来て数か月が経って、俺らもそれなりに技能者界の空気に染まってきた部分があったからな」

「……」

「一方の視点に立っただけじゃ、納得の行く判断はできねえ。もう一回前の感覚を思い出して、その上で決めるためにな」

「……だからわざわざ打診をしてまで、外出の許可を取ったというわけですか」

 重要な選択の前だからこそ、そのことは確かめておきたかった。事情を飲み込んだ郭が、軽く嘆息する。

「納得の行かない話ではないですが。なら猶更、僕は連れてこない方がよかったんじゃないですかね」

「――」

「僕は貴方たちの言う日常とは、対極の世界にいる人間ですし。支部長たちとは違って、親しい間柄というわけでも――」

「んなことは別に問題じゃねえだろ」

 ――そう。

「日常ってのは、んなことで崩れるほどせせこましいもんじゃねえ」

「――」

「新しい面子が加われば、それだけ違った形で豊かになってくもんだしな。お前だってなんだかんだ言って、(ファン)さんのノリにここまで付き合ったりしてるじゃねえか」

「なんですか、その意味不明な理屈は」

 間に色々あったとはいえ、俺たちも今は郭を、昔のように思っているわけではない。リゲルの言い分に呆れるように小さく鼻を鳴らした郭が、中から先輩や立慧さんたちの声の響いている、ブースを見つめ直す。思考をまとめるような間をおいて、

「……学園でも、こんな風に過ごしていたんですか?」

「え?」

「雑然としていて、思い付きで動き回って」

「――」

「計画性などとはほど遠い、騒がしい、平凡な時間ですが」

「……まあ、そうだな」

 そこまで間違った見立てではない。問いかけに記憶を辿ってみれば、シトー学園で紡いだ思い出の光景が、今でも鮮やかに蘇ってくる。

「マジで色々あったぜ? 無関係のガキを人質に取るマフィア崩れを、黄泉示とフィアの協力で撃退したり」

「リゲルとサッカーの1on1で勝負したり、協会の土地を狙う地上げ屋に、皆で抵抗したり」

「卓球やダーツの種目で、天狗になっているゴリラを完膚なきまでに叩きのめしたこともあったな」

「ああ⁉」

「協会で子どもたちと遊んだりもしましたよね。喫茶店でバイトをして、料理をみんなで作ったりして――」

 思い返せば本当にハチャメチャな出来事ばかりだった。捏造された証言に噛みつくリゲルの隣から、かつての日々を懐かしむ様子のフィアが、思い出したと言うように不意に顔をほころばせる。

「初めて教会に行った時には、ジェインさんが書いてる、絵本も読ませてもらいました」

「――っ」

「絵本?」

 ――それは。

「……っカタストさん」

「――……っあ」

「へ~っ」

 確か、俺たち以外には秘密という話じゃなかったか? 失言に気付いて固まったフィアの前で、リゲルがニヤニヤと笑みを浮かべる。

「そいつは知らなかったぜ。絵本なんて書いてたのかよ、テメエ」

「……!」

「四人で親父のうちにいたとき、なんっか夜中にこそこそファンシーな絵描いてんなーっとか思ってたけど、もしかしてあれが絵本の挿絵だったってわけか? 二人には読ませて俺には見せねえなんて、随分と姑息な手を使うじゃねえか」

「――二人に見せたのは、始めにお前の絡んできていた騒動の最中だったからな」

 中々に鋭い。完全に弄り倒すモードのリゲルに対し、眼鏡の位置を直したジェインは淡々と答えを返していく。

「これきりの相手だろうと思って感想を求めただけだ。お前に見せるつもりは毛頭ない」

「別に何にも言ってねえけどよ。書き手が読みたいって人間の希望を断んのかよ?」

「僕は別に、作家として出版するために書いているわけではないからな。僕自身の趣味と、教会の子どもたちのために個人的に書いているだけで――」←死んだ妹が、子どもたちの中で生き続けるため? というのもある?

「――鞄の中に在るそれが絵本ですか?」

 訪れた突然の窮地にも、全く慌てる素振りを見せていないのは流石だ。――っなに?

「……ッ⁉」

「図星のようですね。解析の魔術を使えば、中に何か入っているかくらいのことは分かります」

 ――郭。俺たちの会話を静観していた賢者見習いが、手元に小さな魔力の光を熾している。解析……⁉

「戦闘用の魔術ばかり教えられている貴方たちには分からないでしょうが、本来魔術とは非常に複雑かつ繊細で、多岐に応用の渡るものなんですよ」

「あ……⁉」

「幻影を作る術式を改変して、中身を簡単に複写しておきました」

 (かざ)した郭の手元に、ホログラムのような映像で構築された紙束の複製が出現する。呆気に取られている俺たちの目前で、本物の紙に触れているかのように、ページを捲ってみせ。

「それほど長い内容でもなかったので、僕は意識に投影したイメージで読み終えてしまいましたが。読みたければお好きにどうぞ」

「おおっ! すげえな!」

「……」

「……っごめんなさい」

「……いや」

 投げ渡された複製をリゲルがキャッチする。超常の力であっけなくプライバシーの障壁が打ち破られた事実に、蟀谷を押さえるジェインが、深く溜め息を吐いた。

「カタストさんのせいじゃないさ。倫理の欠片もない賢者見習いとやらと、人間の常識を持たない類人猿が悪い」

「ほほう? なるほどなるほど――」

 嫌味にもまるで(こた)えない。パラパラと中身を確認していたリゲルが、注意をひくようなわざとらしい声を上げる。

「素人の絵本なんざ、どんなもんかと思ってたが、中々凝ってるじゃないの」

「……!」

「親にも棄てられた少女が、似たような境遇の少年と出逢って? 幸せを手にするために、宝物を守ってるドラゴンとか、生ける死人のいる洞窟とかを乗り越えてく冒険譚ってわけか」

「え……?」

「前見せてもらった時より、話が増えてないか?」

「……修行や鍛錬の合間を縫って、少しずつ続きを書き足していたからな」

 俺たちの読んだときには、そんなエピソードはなかったはずだ。あの拷問じみた鍛錬の合間を縫って……⁉

「凄いな……」

「ほとんど習慣のようなものだからな。全体としてはまだ、半分程度の出来栄えだが」

「ジェインさん、その……」

「俺たちも読んでみていいか? 勿論、ジェインが良ければなんだが」

「構わない」

 鞄の中から原稿用紙と画用紙の束ねを取り出したジェインが、俺たちに作品を手渡してくる。

「二人には以前も読んでもらっているしな。隣の無法者たちと違って、原本で読んでくれるのなら、言うこともないさ」

「――うっしゃあ! 読み終わったぜ!」

 皮肉をふんだんに効かせた台詞の隣で、写しを閉じたリゲルが快哉を上げた。――早っ。

「本当に読んだのか? 貴様」

「当ったり前よ。お前の書いたって物語にしちゃ、中々楽しめたぜ」

「……ッ!」

「まあ~? 話が少々純情すぎる気はしたけどなぁ? ロマンチック過ぎるっつうか、作者の性格を考えると、随分と似合わねえ――」

「――僕は割と好きですがね」

「は?」

 思わぬ一声がリゲルのからかいを途絶させる。平然とした様子の郭に、俺たち全員の視線が集中する。

「……どういうつもりだ?」

「別に。ただ、普段の修練でも本を読むことはしますから」

「――」

「ジャンルが大幅に異なるとはいえ、良い読み物とそうでない読み物の区別くらいはつきます。貴方の描いた物語からは、つまらない自己顕示や陶酔の臭いはしなかった」

 魔術の複製をリゲルから取り上げた郭が、今一度、ゆっくりと幻の本のページを捲っていく。記憶に残る場面の一つ一つを見返すように、丁寧に。

「純粋に読む相手のことを考えて書かれたのでしょう。魔法や奇跡の出てくる物語でありながら、否定しきれない現実の残酷さを含んでいるところも、単純な子供騙しでないことの証と思える」

「……」

「物語を読んだ人間が、現実の困難と出遭ったときにも心折れないように、必要だと考えたことを伝えようとしている。作者の人格を思うと違和感が浮かんでくるという、最大の欠点を除けばいい作品ですね」

「……一々気に(さわ)る言い方だな」

「僕は別に、貴方の友人というわけでもないですから。感想に気づかいは混ぜ込みません」

 品評の進む隣で、フィアと共に絵本を読み進めていく。……少女と少年の出会いのところまでは前と同じ。

 色鉛筆で描かれた繊細なタッチの挿絵と、年少の子どもでも読みやすいよう、配慮して書かれた文章がよくマッチしている。物語を書いた相手への敬意が感じられる手つきで、郭が仮初の背表紙を閉じると、複製を形作っていた魔力が小さな光の粒となって空気中に霧消する。

「まあ、こういったものが書けるだけでも、考えている部類だと思いますよ。――貴方などどうせ、日ごろから喧嘩しかして来なかったんでしょう?」

「っ俺か?」

「技能者界でこそ《救世の英雄》とはいえ、一般社会でマフィアのボスを親に持っているとなれば、どうなるかは想像がつきます」

 突然やり玉に挙げられて動揺するリゲルに、頬杖をついた郭が含みを込めた視線を向ける。

「誇れるものは力とタフネスのみ。腫物(はれもの)のように扱われて、ろくな学園生活もままならなかったのではないですか?」

「んなことねえっての。学生として学園に通ってたんだから、きちんと勉学に励んでたぜ。なあ?」

「「……」」

フィアたちと共に考える。思い返してみると……。

「……途中からは真面目に講義を受けてたな」

「勉強会でも、きちんと課題と復習をしてましたよね」

「――その前はゴロツキとの喧嘩ばかりだったがな」

 俺とフィアの敢えて触れなかった点を、ジェインが容赦なく暴露していく。

「不良どもとの格闘ばかりで、学園の講師や学生からも敬遠されていた」

「――ッ」

「本人も腐ってか、講義ではよく机に足を乗せてふて寝していたな。――蔭水やカタストさんが気に懸けなければ、今でもその状態のままだっただろう」

「ぐッ……!」

「なんともまぁ、悲惨な状態ですね」

 事実なだけに否定できない。首を振った郭が、スーツの面に憐れみの眼差しを向ける。

「猪突猛進なイノシシが、人間社会で暮らすのは大変だろうと思っていましたが。想像以上の体たらくだ」

「……っ!」

「下手な意地など張っていないで。素直に親の敷いたレールの上を走っていた方が、賢い選択だったんじゃないんですか?」

「っできるかよ、んな情けねえ真似。――俺だって、昔は色々やってたんだよ」

 挑発じみた郭の忠告に舌打ちをしたリゲルが、手を広げて話し始める。

黄泉示(よみじ)にはちょいと話したが、高校のときには気の合う連中とチームを作ってて、それぞれの得意分野を活かして、ろくでもねえゴロツキにお灸をすえる自警団みてえなことをやってた」

「――」

「全く経歴の違う連中だったから、教えられることも多かったぜ。馬鹿やったりもしてたが――」

「――まあ結局、その連中とも別れたわけなんだがな」

 ――ジェインからの更なる追い打ちが突き刺さる。

「何があったのかは知らないが、高校のときに自分の起こした乱闘で、全てお釈迦になったわけだ」

「……ッ‼」

「チームを失い、後々に響く悪評までたつことになった。考え無しの行動は変わらないな」

「……ッうるせえよ」

 敵対する組織との衝突でチームメイトを死なせたという、前に話していた噂の件か。先の意趣返しとばかりに、大袈裟に首を振って見せるジェインの眼前で、リゲルがグローブの拳を強く握りしめる。ドスの利いた声で低く呟いたかと思うと――。

「テメエにとやかく言われる筋合いだけはねえぜ! 自分だけが真面目みてえな顔して、〝僕に関わるな〟とか言ってた勘違い野郎がよ――ッ!」

「神父や子どもたちのことを考えれば仕方ない状況だっただろう! 読むなと言っているものを読んでおきながら、何を勝手に――‼」

「……よくこの調子で一緒にいられますね」

「まあな」

 取っ組み合いで衝撃波を放ち始める二人から、巻き込まれないよう郭が距離を取る。……絵本の件の火付け役は、郭だったようにも思うが。

「普段からぶつかることも多いですけど、リゲルさんとジェインさんは、なんだかんだで息が合っているというか」

「始まりは険悪そのものだったけど、今はお互い認めるところは認められてる。無いところを補い合って、俺たち全員でバランスが取れてる感じなんだよな」

「ッ加速を使ってんのは反則だろうが!」

「なんとでも言うがいい。勝負を制するのは常に、賢い目で先を読む者だ――!」

「そうですか……」

 自分憎しで統合する二人を見る機会の多かった郭からすれば、殺伐とした衝突に見えるのかもしれない。白熱する二人のバトルを目に、引き気味の郭が半信半疑な表情を浮かべ。

「貴方たちはどうだったんですか?」

「え?」

「前の学園では。聞いていると、あの二人は大分賑やかな事情と毎日を過ごしていたようですが」

「俺たちは――」

 不意に問われた内容に、俺とフィアが顔を見合わせる。なんというか。

「まあ……」

「ジェインさんやリゲルさんと一緒だったので。私たちの方も、それなりに賑やかには過ごしていたというか……」

「……あの二人みたいに、特別な動機や事情があったわけじゃないけど。騒がしくても、充実した毎日だった」

 日本を出る前の、小父さんといる以外は灰色だった毎日を思い出しながら語る。……全員が同じ気持ちでいたかは分からない。

「フィアがいて、リゲルがいて、ジェインがいて」

「……」

「皆で過ごす時間に感謝したくなる。そんな、掛け替えのない日々だった」

「……なるほど」

 だが、俺にとっては間違いなく、これまでの人生の中で一番守りたいと思える時間だったのだ。答えを聞いた郭が頷きを見せる。

「平和で平凡ですね。貴方たちらしいと言うか」

「――」

「これはあくまで僕の見方ですが、貴方たちには、そういった生活の方が似合っている気がします。――あの二人なら、戦力となることを求められる技能者界の人間としてでもやって行けるでしょうが」

 競り合いを横目に語り始めた郭の目つきには、いつにない真剣な真面目さが宿っている。

「これまでの言動を見る限り、貴方たちはあまり、戦いには向いていない」

「――」

「一人はあからさまに敵意のある試験官に対してでも、加減をするようなバカですし。もう一人は、自分を殺そうとしている相手とでも話をしようとするほどのお人好しです」

 あえて俺たちからは視線を逸らしたまま、郭が微かに頬で笑む。

「極めつけには二人とも、極限の状況下で自分の身を(かえり)みるということをしていない」

「……!」

「いざとなれば状況を打開するために、自分から危険に飛び込んでいく。相応の力が伴えば英雄にもなれる気質でしょうが、貴方たちの力量では精々、勇敢な犠牲者止まりです」

「……」

「長生きできる性分ではありません。組織同士の抗争で寿命を縮めるよりも、平凡で幸せな暮らしをしている方が似合います」

「……郭」

 情感のこもった口調に、思わず言葉が止まる。……意外だった。

「四人で共にいることが掛け替えのないことだと言うならば、猶更その方がいいでしょう。――まあ、とは言ってみても、どう転ぶかは分かりませんがね」

 以前のような険悪な間柄ではなくなったとはいえ、まさかあの郭が、ここまで俺とフィアを(おもんばか)った言葉を話してくるとは。小さく膝の位置をずらした郭が、どこか遠くを見つめるように視線を上げ直す。

「物事は常に幸運な方に転がるとは限りませんし。望まず、向いていないことであっても、投げ入れられてしまうことはあります」

「――」

「仮にもしそうなってしまった場合、重要なのは、自分自身の芯を壊されないように立ち回ることです。持ち続け、失っては拾い直し、自分が自分であることを見失わないようにする」

 語りながら郭の広げた手のひらに、小さな光の粒が形作られる。――魔術の光。

「師匠がよくそれを話してくれています。その人間自身を根底的に破壊してしまうような、地獄と呼べる逆境の中でさえ、自分が立ち続けられるようにする」

「――」

「そのための助けとなる技術と思考とを、お前に伝えるのだと。僕はあの人から、それだけの物事を教わってきた」

 様々な色合いの粒子が手のひらの上でまじりあい、繊細な輝きを放つ光の球体を構築している。音一つ立てないまま嵐のような勢いで回転する、完全に統御された光の粒子たちが。

「貴方たちの友人などはどうやら、貴方たちと一緒なら、それと同じことができると信じているようですが」

「――!」

(はた)から見ていて馬鹿馬鹿しく思えてくるほど、混じりけの無い気持ちで真っ直ぐに。先行きがどうなるかは分からないとしても――」

 言葉の途中で唐突に消え失せる。光のなくなった自らの手のひらを見つめていた郭が、見たこともない柔らかい目つきを浮かべた。

「貴方たちにも、それに応えられるだけの気概があるといいですね」

「……」

「僕の眼からしても。こうした貴方たちのやり取りが見られなくなることには、多少の寂しさを覚えますから」

「郭さん……」

 ――気のせいだろうか?

 ジェインと格闘するリゲルの方を見つめる表情。その眼差しに、これまでにはない慈しみのような感情の色合いが見えている気がする。何を口に出したものか分からない俺の隣で、唐突に思い至ったように瞳を大きくしたフィアが、

「……もしかしてですけど、その――」

「――お待たせー!」

 その中身を尋ねる前に。ブースと外とを仕切る厚手のカーテンが勢いよく捲られたかと思うと、立慧さんが姿を現した。

「――おっ」

「范さん。どうでしたか?」

「いやもう、大変だったわよ」

 疲れたような顔つきをして、大きく肩を回す立慧さんに、喧嘩を止めた二人が目を向ける。ずれていた眼鏡の位置を直しながら訊いたジェインの台詞に、やれやれ顔で立慧さんは首を振り、

「千景の方は結構早く決まったんだけどね。田中の方が難航して、どうにか形になったって感じ。――ほら」

「……似合ってるのか? これ」

 指し示された隣のブースから、千景先輩が姿を現す。――ゴシック調のクラシカルなワンピースと、品のある日傘。

「悪くないと思います」

「凄く似合ってますよ、先輩」

「いや~。妙な服ばっかり選んでた前二人と違って、文句なしに可愛いっすね! ――あいたっ!」

「軽薄なバカは置いておくとしても。背丈のせいか、フリルを増してもそこまで違和感がありませんね」

「……私にとっちゃ可愛いよりも、カッコイイの方が誉め言葉なんだがな……」

 主に背丈とのマッチを褒められる状況に、普段からクールな格好を好んでいるらしい先輩は、どこか複雑な面持ちで摘まんだフリルの裾を眺めやっている。……ギャップがあるというのも大変だ。

 先輩の戦いぶりを目にした人間なら、子ども扱いするような真似はできないだろうが、外見だけで判断されると、幼く見られることは抗いようがない。そして――。

「――」

「――ッ」

「おう、どうよ?」

 颯爽(さっそう)とカーテンを開いて現れた田中さんに、俺たち全員の視線が集中する。上はシックな印象のタキシード。

 (のり)のきいた身綺麗なシャツの上には、彩度の低いワインレッドのネクタイを渋く締め、タキシードと同じ、上質な布地を用いた黒のズボンで固めている。……装いとしては充分にダンディと言っていい。

「立慧の熱意に根負けして、(がら)にもなく袖を通しちまったぜ」

「……」

「こういう洒落(しゃれ)た服を着るのは久々だけどよ。決めりゃあどうして中々、似合ってるもんだろ?」

「えっと、その……」

「――絶望的なまでに似合っていませんね」

 印象もそれに連れて向上するはずなのだが、根本的に何かがずれている気がする。自信満々に感想を求めた田中さんの決め顔を、躊躇のない郭の一声がバッサリと両断した。

「胴回りに比べて手足が短い体型のせいか、既製品の仕立てでは裾や肩回りがちぐはぐです」

「――ッ!」

「姿勢も猫背で、首元の辺りがダボついて見えます。腹にも肉がついていて、顔面にも清潔感が皆無。日頃不摂生な生活をしている浮浪者が、盗んだスーツに袖を通したと言った感じですね」

「そうなのよね……」

 そこまで言うかと思える品評を披露した郭に、コーデを担当した立慧さんが我が意を得たと言う勢いで頷いている。――酷い。

「色々試しては見たんだけど、どうしても取り合わせが悪くなっちゃうって言うか」

「……ッ」

「活かした格好がここまで似合わないとなると、もう、これはこれで一つの個性なのかもね。――安易に服装から入ればなんて言って、悪かったわ」

「……っ謝ってんじゃねえよ、そこでよぉっ‼」

 天使のような優しい憐れみの表情を浮かべる立慧さん。メルヘンな雰囲気を多分に漂わせた店の中で、哀しい現実を負う田中さんの叫びが木霊した。




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